1999年01月01日
スティーヴン・バクスター(小野田和子/訳)
『時間的無限大』ハヤカワ文庫SF
《ジーリー》シリーズのうちの一冊。
当書は最初に読んだバクスター氏の本で、昨年はこのあとたてつづけに『天の筏』、『フラックス』、『タイム・シップ』と読みふけったのでした。残念ながら『虚空のリング』だけは未読です。まぁ、そのうちに…。
《航空宇宙軍史》シリーズ最大のクライマックスだそうで。でも、まだこのシリーズのはなしは『星の墓標』しか読んでないので、実感はないです。
ちょびちょび読み進めましたが、それは、時間がなかなかとれないというより一気に読んでしまうのがもったいないから。小説に、一気に読みたい本とじっくり読みたい本があるのだとしたら、ワタシにとってこの本は後者の部類に入るようです。思えば、谷甲州氏の本は後者に入ることが多いです。『凍樹の森』ではあまりのもったいなさに、途中で先読みしたり、また読み直してみたり、別の本を読みだしたり、といろいろなことをやりました。
内容は…わたしにはおもしろいのですが、好きずきでしょうねぇ。かっちりした主役がいて、主役を中心に世界がまわってないと絶対に許せない人には、理解できない世界、とでもいうか……。
新聞の連載小説を手直ししたもの。村上龍氏のはなしは、たまにゾクゾクくることがあって好きなのですが、今回はあまりゾクゾクはしなかったです。過去ゾクゾクした本を思うと、村上龍氏のだと『五分後の世界』だったり、谷甲州『凍樹の森』だったり、中島らも『ガダラの豚』だったり、高村薫『マークスの山』だったりと、比較的重量のある本たちなので、もしかしたら、重ための本でないとゾクゾクこないのかもしれません。厚いだけの本もダメですけどね。
山岳冒険ものの短編集。新田次郎文学賞だそうで。最初に山岳用語解説があって、その項目数46。正直びびりましたが、谷甲州氏の山岳冒険ものは何冊か読んでるし、まあ、いいや、てな調子で解説は素通りして読みました。それでよかったのか、悪かったのか、今でもよく分かりませんが。
1999年01月27日
スティーヴン・バクスター(小木曽絢子/訳)
『虚空のリング』上下巻・ハヤカワ文庫SF
《ジーリー》シリーズのうちの一冊。
所用で大都会(!)にでかけた折、有名大規模書店に寄ったら売られていて、案の定衝動買い。他にも地元じゃ絶対に手に入らない本があって、まとめ買いしてきました。ああもう、帰り道、荷物がメチャクチャ重たかったです。
うれしさのあまりか少し読み急いでしまって、あまり理解できてないような気がしつつ、読み進めました。まぁいいや、もう1回読めば、って感じで。しかし、ワタシはすでに『時間的無限大』を読んでいるのでそれが助けになっているのですが、この本からバクスター氏の世界に入ってたら、大変、というより、挫折していたかもしれません。
ついに最後の人類たちは、超種族ジーリーの、ナゾの大構築物〈リング〉へむかうべく旅立ったのでした。
おおげさですが、椎名誠のおはなしは、覚悟を決めてから読むことにしてます。ここで大切なのは、覚悟を決めて読むのと気合いを入れて読むのとは別モノである、という事実でしょうか。というわけで、気合いは入ってません。
ところで、椎名誠の作品は「読んだことあるぞ、このはなし」と思う確率がとても高い気がします。今回の場合は最後の「すきやき」だったのですが、別の短編集で読んだのか、アンソロジーに入っていたのか……思い出せません。『アド・バード』のような長編一本勝負ならそんな心配もいらないのですが。
谷甲州氏、処女長編です。巻末の、高橋良平氏の解説に「新人の」と肩書きつき。時の流れを感じますね。
読み進んでいっても、はなしの進む方角はなんとなく分かった気になれるものの、なかなか全体は見えず、といったところ。
実は、途中、やっぱり読むのやめちゃおうかなぁ、と気弱になったのですが、どうにかこうにかラストにたどりつきました。まだ読む時期じゃなかったのかもしれないです。もったいないことをしました。量子力学自体は、馴染み深いのですけどねぇ。
最後までいけたのは、きっと、これまでにも山田正紀氏の著作を何冊か読んでいたからでしょう。これがネーム・バリューというヤツかぁ。
記憶にまつわる短編集です。実は、あとからでた『前世の記憶』をすでに読んでいて、この系の短編集の読み方がうすらぼんやりと分かった気になっているので、あえて、分断して読みました。いずれのはなしも記憶がかかわってくるので、続けざまに読むと、どうしても面白味が半減してしまうのです。一つ一つはいいんですけどね。
同氏の短編集『私の骨』もそんな感じでした。同一テーマで統一した短編集は多かれ少なかれ、共通する問題なんでしょうねぇ。それとも個人的嗜好の問題?
さて、内容ですが……
記録にまつわるだけあって「思いだす」展開が多い中、「膚の記憶」は少々指向が違いました。居酒屋のママがあやしいと思ったんですけどねぇ。
また「霧の記憶」では、作中の小説があんまりおもしろくないなぁ、とか思ってたら、登場人物も「下手」と感じていたのでした。ううーん。なんか、スゴイかも。
ラストの「冥(くら)い記憶」は、正直なはなし、最初はちょっとまて、という感じだったのですが、真相を知ってからもう一度読んで、印象が変わりました。でも、短編だったからもう一度読む気にもなりましたけど、これ、長編だったら、誤解したまま終わったかもしれません。実は、京極夏彦『姑獲鳥(うぶめ)の夏』で、ちょっとまて、と思ったきりになってまして。厚みが再読の機会をうばっている、と思うのですが。…いいわけか。
文字が大きいとはいえ、二段組で450ページばかり。一気に読まされてしまいました。もう、まん中あたりから「まだこんなに残ってるー」という、嬉しい悲鳴をあげつつ。書論家で、当書を恋愛小説に分類された方がいらして、正直、読む前はちょっと不安だったのですが、全然問題なしって感じ。ただ、氏の名前を一躍有名にした『新宿鮫 無間人形』と、なぁーんか重なるのですが。気のせいでしょうか?