2015年09月07日
夢枕 獏
『陰陽師 滝夜叉姫』上下巻/文春文庫
平安時代。
都では、このひと月で九人もの女が襲われ、殺されていた。それも孕み女ばかり。腹を裂かれ、中の子は外へかき出されていた。
そしてまた、小野好古卿の屋敷には妙な賊が押し入っていた。
夜中に起こされた好古は、賊から要求される。東山の雲居寺からあずかったものを渡せ、と。好古にその覚えはない。首魁は姫君で、巨大な蜘蛛に牽かせた牛車に乗っていた。
その話を陰陽師の安倍清明に教えたのは、源博雅だった。
そこへ、賀茂保憲が訪ねてくる。
平貞盛が、瘡を患っているという。古い刀傷にできたのだという。
保憲は、清明の兄弟子にあたる。自分で動くことができず、清明に、押し掛け治療を頼んだのだ。
清明のみたところ、保憲の後ろにはさる人物がいる。貞盛の瘡に、思うところがあるようだった。だが、保憲は多くを語らない。
清明は博雅を通じ、貞盛との面会を果たす。だが、治療については断られた。すでに貞盛は、方術師の芦屋道満を頼んでいたのだ。
道満は腕はいいが癖がある。
清明はそのことを危惧するが……。
《陰陽師》シリーズの長編第二作。
人物紹介はほぼないです。シリーズの短編集やら、長編第一作の『生成り姫』を読んでいることを前提にして書かれているのだと思います。
物語の序盤に、かつて世間を騒がせたある事件がチラっとでてきます。いくつかのエピソードが語られ、それらが符合していることをにおわせてきます。
そういう積み重ねはさすがだな、と。
セリフも改行も多いので、書面を見るとスカスカな印象。だけれども、着実に情報は伝わってくるので、読んでいて、関連性が手に取るようでした。見た目以上に濃密。
なお、滝夜叉姫というのは、歌舞伎で有名だそうです。歌舞伎に詳しいと、そちらの角度からも楽しめるそうです。門外漢なもので、少々もったいないことをしました。
2015年09月11日
ジェイムズ・P・ホーガン(小隅 黎/訳)
『プロテウス・オペレーション』ハヤカワ文庫SF1765
1974年。
アメリカは、危機に瀕していた。
第二次大戦で勝利をおさめたナチス・ドイツの勢いは留まるところを知らず、ヨーロッパはおろか、アジア、アフリカ、南アメリカをも手中にしていた。ナチスに対抗する勢力はあまりに少ない。
ジョン・F・ケネディ大統領は、「もはや降伏なし」というアメリカの方針を、ことあるごとに口にしている。だが、勝てる見込みがあるわけでもなかった。
そんなアメリカの希望は《プロテウス作戦》だ。
アメリカは、時間転移マシンを使い、歴史そのものを変えようとしていた。過去の世界に工作隊員を送り込み、ナチス勢力が拡大する前に食い止めようというのだ。
かくして、選りすぐりの専門家による特殊チームが過去に旅立つが……。
歴史改変もの。
時間転移マシンは、過去に設置する〈帰還門〉とのセットになってます。過去に送り込んだ人や機材を未来に帰すには〈帰還門〉が必要不可欠。そこで、《プロテウス隊員》たちは真っ先に〈帰還門〉を建設します。
実は出発前から、〈帰還門〉と交信がなし得てます。そのため、どこに〈帰還門〉を設置すればいいのかも分かっています。
ところが!
実際に現地を訪れると、その場所が使えないことが判明します。これが、最初の不穏な空気。
謎は謎のまま、指揮官クロード・ウィンスレイドはイギリスへと向かいます。時は1939年。ウィンスレイドが接触したのは、ウィンストン・S・チャーチルでした。
ウィンスレイドはチャーチルに、未来からやってきたことや、これから世界がどうなるのか、語ります。その語りはチャーチルに向けたものでもありますし、読者に向けたものでもあります。この、舞台背景の説明の入れ方が、効率的で、すごくうまいなぁ、と。
このとき明らかになるのが、タイムトラベルの技法は、1974年のアメリカによる独自技術ではない、ということ。
2025年に〈オーバーロード〉という組織が、時間転移マシンを開発し、〈パイプ・オルガン〉と名付けます。〈オーバーロード〉の目的は、自分たちにとって都合のいい世界を作ること。彼らが干渉した過去が、1925年でした。
〈オーバーロード〉はナチスを援助して勝利に導きますが、誤算もありました。ナチスが勝手に〈帰還門〉を閉鎖したのです。1941年のことでした。
時は流れて、1974年。
アメリカは、諜報活動や取り残された未来人たちからの情報を得て、〈パイプ・オルガン〉をパクります。ただ、過去への旅に必要なエネルギーが足りず、出現できたのが1939年だった、と。
《プロテウス作戦》の肝は、ナチスや〈オーバーロード〉に悟られてはならない、というところ。しかも〈帰還門〉が1974年と接続できず、孤立無援状態。工作活動と、危機的状況と、ハラハラドキドキの連続……と言いたいところですが、物語は淡々と進んでいきます。
さすがに終盤に山場はありますが、そこまでが長いです。このエピソードはもっと盛り上げてもいいのでは、などと思いながら、読んでました。
あえてフラット。それがホーガンなのでしょうねぇ。
2015年09月12日
藤沢周平
『蝉しぐれ』文春文庫
牧文四郎は15歳。
海坂藩は城下普請組、牧家の養子。当主助佐衛門の妻登世は叔母に当たる。だが文四郎は、母となった登世には堅苦しさを感じており、血のつながりのない父を敬愛している。
牧家の隣には、小柳甚兵衛が一家を構えていた。小柳の長女ふくは12歳。まだまだ子供だが、文四郎にとって気になる存在になりつつある。
文四郎には、仲のよい幼なじみがふたりいた。
ひとつ年上の小和田逸平。逸平は、はやくに父を失い、すでに小和田家の当主。元服も済ませ、春からお城へ出仕することが決まっている。
そして、同い年の島崎与之助。与之助は学問に秀で、勉学のために江戸に行くという。高名な朱子学者である葛西蘭堂のもとで学べることになったのだ。
年が明け、文四郎は16歳になった。
ある夏の日、助佐衛門が帰宅しなかった。監察に捕らえられたのだという。他にも多くの藩士が、助佐衛門と同じ境遇に立たされているらしい。
海坂藩には、ふたつの勢力があった。争っているのは、横山家老と里村家老。両派は、藩主の家督相続を巡って激突していた。
正室寧姫の子亀三郎は世継ぎとして、将軍家への謁見も済んでいる。ところが里村派は、亀三郎の病弱を理由に廃嫡を主張していた。代わって推すのは、妾のおふねの子松之丞。
両派の均衡が崩れて里村派が優位に立ったとき、横山派は粛正された。助佐衛門もそのうちのひとり。
助佐衛門は反逆者として、切腹を命じられる。牧家は、取り潰しこそ免れたものの家禄は減じられ、粗末な長屋への引っ越しを余儀なくされた。
文四郎は周囲から、罪人の子として見られることとなった。逸平には勤めがあり、与之助は江戸にいる。孤独な文四郎は、剣術に励むが……。
文四郎の成長物語。
主な出来事は、だいたい6年の間に収まります。その短い間に、楽しいことがあったり、友情が育まれたり、大事件が起きたり、保身をはかったり、さまざまなことが起こります。
文四郎は孤独ですが、まるきり孤独というわけではありません。
実兄の服部市左衛門はきちんと世話してくれます。しかも、文四郎の元服に名乗り出てくれたのは、番頭の藤井宗蔵。宗蔵によると、助佐衛門とは同じ道場に通った親しき仲で、かねてから烏帽子親を頼まれていたんだとか。
助佐衛門の人柄がしのばれます。
序盤は、ひとつひとつのエピソードが分断されてます。書き連ねていく手法なのかと思っていたら、助佐衛門が帰宅しなかったところから一変。序盤のエピソードを生かしつつ、物語は展開していきます。
そのエピソードの拾い方が実にうまい。名作の呼び声が高いのも納得。
ただ、横山派は善で里村派は悪、という構図は気になりました。随分と単純だなぁ、と。それと、終章は蛇足だったように思うのです。たとえ余韻がすばらしくても。
2015年09月13日
アーサー・C・クラーク(山高 昭/訳)
『グランド・バンクスの幻影』ハヤカワ文庫SF1208
1912年。
イギリスの豪華客船タイタニック号は、大西洋を横断する処女航海の最中、沈没した。グランド・バンクスの沖合で、氷山に衝突したのが原因だった。
船体は二つに折れ、今も海底に眠っている。
沈没100周年を迎えるまで、あと5年。
2つの巨大プロジェクトが動き出していた。タイタニック号を引き揚げようというのだ。
船首部分を担当するのは、ガラス製造で名を馳せるパーキンスン家。船尾を請け負うのは、日本ターナー。
両陣営とも、水中工学者ジェースン・ブラッドリーに声をかけてくるが……。
タイタニック号を引き揚げる、という大仕事を接点にした群像劇。
パーキンスン家には、一族の者がタイタニック号に乗り合わせていた、という縁があります。当時、アメリカのスミソニアン博物館に貸し出す、貴重で高価なガラス細工の数々も積み込んでました。それらがどうなっているのか、という探索も入ってきます。
日本ターナー側で中心的に活躍するのは、提携しているドナルドとイーディスのクレイグ夫妻。別々の理由で大金持ちになった後に結婚しましたが、夫婦仲は冷め切ってます。
クラークがこの作品を書いたのは、なんでも、タイタニックの引き揚げをテーマにした映画を見て、科学的な間違いに大激怒したのがきっかけだとか。
というわけで、主役は人間ドラマではなく「科学的に正しく引き揚げるにはどうするか」ということ。群像劇なのにね。
結末は、まさにクラークとしか言いようがないです。
2015年09月15日
宮部みゆき
『ぼんくら』講談社
鉄瓶長屋は、新高橋のたもとに近い深川北町の一角にあった。その名は、共同井戸の底から、赤く錆びた鉄瓶がふたつも出てきたことが由来である。
このあたりは、かつては大きな提灯屋だった。急に傾き、家も店も手放すことになったとき、築地の湊屋総右衛門の手に渡った。
総右衛門は長屋を建て、差配人として久兵衛を当てた。久兵衛は総右衛門の料亭「勝元」の番頭だった男だ。人望が篤く、人当たりもいい。
久兵衛のもと、おだやかに、ゆるゆると時をきざんできた鉄瓶長屋に、大事件が勃発する。
八百富の太助が殺された。
妹のお露は、かけつけた煮売屋のお徳に告げる。殺し屋が来たのだ、と。殺し屋が兄を殺したのだ、と。
一昨年のこと。「勝元」の奉公人だった正次郎が、鉄瓶長屋で騒動を起こしていた。久兵衛への逆恨みだった。その正次郎が、またやってきたのだと言う。
誰もが耳を疑った。だが、久兵衛が責任をとって失踪してしまうと、同心の井筒平四郎でさえも、殺し屋の話を受け入れざるを得なくなった。
それから1ヶ月。
ようやく、鉄瓶長屋の新しい差配人が決まった。総右衛門の遠縁だという佐助だ。
佐助はまだ27歳。どう考えても若すぎる。住民たちが不安にかられる中、鉄瓶長屋から店子が次々といなくなっていく。
平四郎は、鉄瓶長屋の有様を疑問に思い、探索を始めるが……。
どうもいびつな印象。
物語の構成は、5つの序章(短編)+本篇+終章からなってます。本篇を読んでいると、序章でのエピソードが回収されていく様を目の当たりにできます。終章は蛇足なのか、続刊への伏線なのか。
雑誌に連載されていたものなので、途中で、いろいろあったんでしょうかねぇ。憶測ですが。
途中から、平四郎の甥っ子が主役級の活躍を見せてくれます。
平四郎の養子候補で、細君の姉の息子である弓之助。優秀というより天才肌。大人びているかと思えば子供で、そういう表現が実にうまい。
こんな魅力的な人物を、なぜ最初から出さなかったのか。というより、せっかくの平四郎の個性がかすむような人物をなぜ出したのか。
やはり連載途中に、なにかがあったんでしょうねぇ。このままじゃいかん、とか。推測ですが。
2015年09月17日
アルトゥーロ・ペレス・レベルテ(大熊 榮/訳)
『呪のデュマ倶楽部』集英社
(文庫化時のタイトル 『ナインスゲート』)
ルーカス・コルソは、書物狩猟家。
稀覯本を扱う書籍販売業者の依頼を受け、ヨーロッパ中を飛び回る。所有者と取引をすることもあれば、非合法な手を使うこともある。
コルソは友人のフラビオ・ラ・ポンテから、ある頼みごとをされていた。
ポンテは稀覯本コレクターから、デュマの直筆原稿を買い取った。アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』を。白い原稿が4枚、薄青のものが11枚からなる、第42章「アンジューの葡萄酒」だった。
入手先は、エンリケ・タイリェフェル。その後タイリェフェルは、自宅の居間で首吊り死体となって発見された。
原稿は本物なのか。
デュマのことを調べるコルソに、新たな仕事が舞い込む。
依頼主は、バロ・ボルハ。国際的な書籍販売業者にして高名な愛書家。
ボルハは『影の王国への九つの扉』を手に入れていた。
この古書は、世界に3冊しかない。『九つの扉』には、悪魔を呼び出す秘法が記されているという。出版したアリスティデ・トルキアは、異端審問にかけられ火あぶりに処された。
当時の記録によると、トルキアは拷問の果てに、もう一冊の本があることを明かしていた。一冊の本が救われている、と。
ボルハは、自身の所有する本は偽物だと断言する。ところが、その理由をコルソに明かそうとしない。コルソは、ボルハの本と他の本を比較してみることになる。
限りなく本物に見えるこの偽物は、どこからやってきたのか。
コルソは、ふたつの調査を進めていくが……。
謎はふたつ。
デュマの手稿と、『影の王国への九つの扉』をめぐる謎。ふたつの謎は平行線で、おそらく目的は、コルソの物語を複雑にすること。
映画化されたときにタイトルが「ナインスゲート」となったのは、デュマのエピソードをバッサリ切り捨てたから。確かに、ミステリとして『九つの扉』の謎の方が読ませます。
ちょっとおもしろいな、と思ったのは、いくつかの章が、文芸評論家のボリス・バルカンの視点で語られること。バルカンが後に聞き及んだという設定で、コルソの活躍が展開されていきます。
なお、デュマの『三銃士』を再読しておくべきか迷いましたが、いろいろと解説が入ってくるので、基礎的知識で充分でした。執筆過程などは、あまり詳しくない方が楽しめるかもしれません。
2015年09月19日
フィリップ・K・ディック(山形浩生/訳)
『聖なる侵入[新訳版]』ハヤカワ文庫SF1988
エリアス・テートは、エマニュエルがまだ胎児だったころから保護してきた。そのエマニュエルも6歳。地球にいる以上、学校に入れねばならない。
エマニュエルが通うのは、特殊学校。エマニュエルの脳には損傷があった。記憶を失っていたのだ。
実は、エマニュエルは〈神〉だった。邪悪なベリアルによって地球を追われ、胎児となって帰還をはかる〈神〉だった。だが、ベリアルの目を欺ききれなかったのだ。
事故があり、〈神〉を身ごもっていたライビスは死んだ。〈神〉は周囲の記憶を消そうとして、自身も健忘症になってしまう。そして、名目上の父であるハーブ・アッシャーは、冷凍生命停止状態に陥った。
アッシャーが回復したのは、エマニュエルが10歳のとき。
エマニュエルは、学友ジーナのおかげで記憶を取り戻しつつある。だが、まだ完全ではない。
そんなエマニュエルにジーナは、自分の世界へと招待するが……。
《ヴァリス》三部作の2作目。
エマニュエルが過ごす現実と、アッシャーの見る夢(過去の出来事)とが入り乱れて語られるのが前半。
夢の中でアッシャーがいるのは、小惑星CY30-CY30Bのドーム。お気に入りのリンダ・フォックスの歌にひたりながら、ひとりで仕事をしています。
となりのドームには処女懐妊しているライビスがいて、不治の病を患ってます。正直なところ、アッシャーはかかわり合いになりたくないと思ってます。ですが〈神〉が許してくれません。
そんなわけで、アッシャーはライビスと結婚して、予言者のエリアス・テートと3人で地球に向かうことになります。名目は、ライビスの病気治療として。
物語の後半は、アッシャーが意識を取り戻してから。ジーナが何者なのか、ということが集点になります。
夢の話はおしまいですが、ジーナが見せる世界は夢のようなところなので、雰囲気としては継続しています。
前作『ヴァリス』より、はるかに読みやすいです。とはいうものの、神学談義してる部分が多いので、SFだと思って読むと愕然とするかも。かといって、神さまの話だと思って読んでも愕然としそう。
どっちにも割り切れないところが、ディックのおもしろいところなんですけどね。
2015年09月20日
横山秀夫
『64(ロクヨン)』文藝春秋
三上義信は、D県警の広報官。
広報室は、県警内部から胡散臭い存在と思われている。それは、刑事部にいた三上にとっても同じ。この春の人事異動で広報官を命じられたときには唖然とした。
それでも三上は、くさって職務を放棄する気はなかった。いずれ刑事に戻ることを願う一方で、広報室の改革に着手する。
手応えを感じつつあったころ、ひとり娘のあゆみが家出した。
相談した先は、上司の赤間警務部長。親として、藁にもすがる思いだった。赤間は快く、あゆみの捜索を全国の警察に口利きしてくれた。それが三上の弱点となった。
三上の改革は頓挫してしまう。あれ以降、県警上層部の意向と記者クラブとの板挟み状態。記者たちとの関係は悪化の一途をたどってしまう。
そんなとき、突如として警察庁長官の視察が決まった。一週間後。長官は、ロクヨンを視察するのだという。
昭和64年。
7歳の雨宮翔子が誘拐殺害される事件が起こった。身代金は奪われ、翔子は遺体となって発見された。ロクヨンの符丁でささやかれる、D県警史上最悪の事件だった。
それから14年。
まもなく時効を迎えるが、犯人は捕まっていない。長官は、死体遺棄現場や特捜本部をまわり、被害者宅を慰問。ぶらさがりの記者会見も行うという。
三上は、記者たちとの関係が拗れていることを危惧する。慰問については心配していなかった。ところが、予期せぬことが起こる。
翔子の父雨宮芳男が、長官訪問を拒否したのだ。
雨宮家と刑事部との関係は断絶していた。三上は理由をさぐろうとするが、赤間から、刑事部との接触を禁じられてしまう。そして刑事部側も、警務部所属の三上に対してよそよそしい。
どうやら、警務部調査官の二渡が、ロクヨンについて聞き回っているらしい。二渡が口にしているのは「幸田メモ」という存在。
三上も独自調査を開始するが……。
三上の思考を追って、物語は展開していきます。そのため、常に三上というバイアスがかかってます。
三上は、あゆみの家出に衝撃を受けています。ことあるごとに娘の話題が蒸し返されます。ロクヨンとは関係ないので、苛立たしく思う人もいるでしょうね。
あゆみという問題があったからこその展開もありますが。
本書は、単なるミステリにとどまらず、三上という中間管理職の物語でもあると思います。
広報室には、三上の直属の部下が3人います。諏訪係長、蔵前主任、美雲婦警。はじめはバラバラだった広報室がひとつにまとまった瞬間、読んでよかったと思いました。
ちょっと、不可思議なところもありますけれど。
2015年09月21日
ラフィク・シャミ(池上弘子/訳)
『夜と朝のあいだの旅』西村書店
ヴァレンティンは、ドイツでも名門といわれたサマーニ・サーカスの団長。
夢は、風変わりな先祖をもつサーカス団長を主人公に、空前絶後の恋愛小説を書くこと。そして、ふたたびオリエントに行くこと。
ヴァレンティンの祖母アリアは、ウラニアの織物商人の娘だった。そして、ヴァレンティンは、自分の本当の父親がウラニアの理髪師タレク・ガザールだと知っていた。
現在のヴァレンティンといえば、負債に苦しむ60男。団員たちへの給料も滞っており、オリエントへの旅など望むべくもない。
そんなとき、手紙が届く。
差出人は、ナビル・シャヒン。少年だった遠い日に、ウラニアでたがいに尊敬と愛情をいだき、固い絆で結ばれた旧友だ。
ナビルは建築家として大成功を収めていた。だが、癌に侵され、余命あと1年。そんなナビルの望みは、サーカスに生き、サーカスで死ぬこと。
ナビルにとってサーカスとは、サマーニ・サーカス以外ありえない。サーカス団をウラニアに招待したいというのだ。公演の準備をととのえ、必要なお金もすべて用意するから、と。
報酬はたっぷり。ただし、ナビルが死ぬまで帰れなくなる。
ヴァレンティンは団員たちに打ち明けた。金だけではない。ナビルに会いたい。なによりオリエントに行きたかった。
ユーゴスラビアは内戦が激化し、トルコではクルド人とトルコ人が戦争している。遠回りになるが、まずはオーストリアに入って、トリエステに向かう。そして船でウラニアへ。
こうしてサマーニ・サーカス団はウラニアに到着するが……。
児童文学調に展開していきます。いろんな思いがけないことが起こるけれども、最後にはハッピーになれる雰囲気満載。ウラニアに入ってしばらくは、そんな感じ。
ところが、あるとき現実が襲いかかります。このアラビアの国で政府が治安を保てているのは、首都ウラニアの他には第二都市のサニアだけだったのです。
それまでおとぎ話のようだったので、軽く衝撃でした。そうだよねぇ。ユーゴスラビアが内戦してる時期だもんねぇ。
タイトルの「夜と朝のあいだ」のことを、ナビルはナッハモルグと名付けています。夜がゆこうとしているが、まだ朝にはなりきっていない。色調は夜だが、もう朝の匂いがする、そんなひととき。
ヴァレンティンとナビルは、ナッハモルグのときには、たがいの想いをうち明け、秘密を語り合おうと誓います。ヴァレンティンが打ち明けるのは、母と実父をモデルにした空前絶後(となる予定)の恋愛小説。ナビルの語る物語もおもしろい。
やさしいだけでない物語でした。
2015年09月26日
キャサリン・ネヴィル(村松 潔/訳)
『8(エイト)』上下巻/文藝春秋
1790年。
フランス、モングラン女子修道院には、秘密があった。
長く行方を知られずにいたシャルルマーニュの〈モングラン・サーヴィス〉を隠し持っていたのだ。そのことを知るのは、代々の修道院長のみ。
紀元8世紀。フランク王国の国王シャルルマーニュは、回教徒からチェスセットを贈られた。アラビアの名匠の手によるもので、豪華絢爛というだけでなく、チェスボードと駒には、宇宙を動かすエネルギーの秘密が隠されているという。
国民議会は教会財産没収法を採択しており、モングラン修道院も人ごとではいられない。修道院長は〈モングラン・サーヴィス〉を守る方法を考え抜き、実行に移す。駒を修道女たちに持たせて避難させ、分散して隠すことにしたのだ。
ヴァランティーヌ・ド・レミといとこのミレーユは、見習い修道女だった。ふたりは、修道院長に駒のひとつを託される。頼るのは、ヴァランティーヌの名づけ親であるジャック=ルイ・ダヴィッド。
ダヴィッドはパリにいる。修道院の質素な暮らしに飽き飽きしていたふたりは、内心、パリに行くことを喜んでいた。
しかし、華やかだったパリは、徐々に革命により血塗られていく。ふたりの元には、助けを求める修道女からの連絡が入るが……。
そして、1792年。
キャサリン・ヴェリスは、輸送産業のコンピュータ・システムの専門家。会社で上役にたてつき、異動を言い渡される。命じられたのは、アルジェリアでOPECに絡む仕事をすること。
そのことを知ったルウェリン・マーカスは、キャサリンに申し出をする。ルウェリンの願いは、〈モングラン・サーヴィス〉を手に入れること。駒が、アルジェリアにあるらしい。
ルウェリンは、仕事上のつきあいから親しくなったハリー・ラッドの義弟。一家とは、家族のような間柄だ。渋々ながら同意するキャサリンだったが……。
18世紀と、20世紀、ふたつの物語が平行して語られます。
18世紀のパートは、ミレーユが主人公。
舞台背景にフランス革命があることもあり、歴史的に名の知られた人物がわんさか登場します。ちょっとした脇役でも実在の人物だったりと、かなり巧妙に作り込んであるな、と感嘆しました。
ミレーユは、自由奔放なヴァランティーヌとは対照的な役どころ。当初は〈モングラン・サーヴィス〉を隠そうと、受け身な態度でした。それが危機を乗り越えることで、変わっていきます。
秘密を解き明かそうと決意してからの活躍は圧巻。
20世紀のパートは、キャサリンが主人公。
ハリーの娘リリーと行動することが多いです。リリーは、チェス・プレイヤー。頭の回転は早いのでしょうが、一般常識がお留守になってます。
キャサリンの周囲では殺人事件が発生します。そのことに怯え、頼まれたから仕方ないという消極的態度だったのが、徐々に積極的に関わっていきます。
結末を覚えているうえでの再読。
ミレーユの物語は抜群におもしろいのに、キャサリンの方はいまひとつ。せっかくの大冒険も登場人物が親戚だらけだと、こぢんまりと感じてしまいます。風呂敷を広げに広げたところまではよかったものの、クチャクチャに丸めてしまったな、という印象。
そして、誰も彼もが、叫ぶ、叫ぶ。老成した人物にも叫ばせるなど、感情表現がワンパターンなのが残念でした。