2017年02月12日
飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』小学館
1837年、腐敗した役人たちに抗議し、大塩平八郎が蜂起した。
平八郎は、儒学者にして大坂東町奉行所与力。平八郎に賛同して共に決起したのは、同僚や門人の豪農たち、支配する立場の者たちだった。
それから9年。
隠岐に、島後と呼ばれる島があった。後醍醐天皇の流刑の地だったという伝説のある島だ。
島後は有木村の庄屋、黒坂弥左衛門は、流されてきた罪人をひきとるため西郷湾を訪れた。流刑の島にとって、罪人など珍しくもない。ところが、人々の様子がおかしい。まもなく、その理由が判明した。
流人の中に、15歳の西村常太郎がいた。
常太郎の父は、西村履三郎。大塩平八郎の高弟として知られていた。潜伏生活の後、江戸で死んだという。あの反乱のとき6歳だった常太郎は父の罪を償うため、15歳になるのを待って島流しとなったのだ。
松江藩に組み込まれていた島後は、長年、詐取されてきた。そのため島の住人には、大塩の思想に共感し履三郎を敬っている者が少なくない。履三郎の遺児である常太郎も、特別な存在として受け取められていた。
弥左衛門もそのうちのひとり。
常太郎は弥左衛門の庇護のもと、医師・村上良準の弟子となることを許された。漢方医術を学び、窮民救済に奔走するが……。
物語は、常太郎が島後に到着した1846年から1868年まで。
タイトルになった狗賓は、天狗のこと。島の守護神です。島後には神聖な御山があって、千年杉に狗賓が宿っていると信じられています。常太郎は16歳のとき、狗賓の童子となります。
常太郎はあくまで罪人ですが、あの争乱当時6歳。弥左衛門をはじめとする周囲の島民たちは、子どもになんの罪が……と常太郎に暖かく接します。
あまりに暖かいので、飯嶋和一の独特の反骨精神を期待していた読み手としては、やや拍子抜け。と思ったら、中盤でストンと落とされました。
島にもいろんな人がいて、一枚岩じゃないんですね。それは常太郎に対しても同じ。そのことを痛感した常太郎は、それまでも控えめでしたが、さらに引いていきます。
おかげで、常太郎が暮らす島のことを語るのに、常太郎以外の視点を織り交ぜなくてはならなくなって、主人公不在で物語は展開していきます。なにしろ時代は幕末。島では隠岐騒動が勃発します。
実は、主人公は常太郎ではなく、島後の島そのもの。そう思えば、別の側面からの幕末史として楽しめるのですが……。
2017年02月19日
浦沢直樹/画
勝鹿北星/作
『MASTERキートン』全18巻/小学館
平賀=キートン・太一は、英国人の母と日本人の父を持つ英国人。中学生の娘がいる。考古学者としての自負はあるが、身分は日本の大学の非常勤講師にすぎない。
若かりしころキートンは、オックスフォード大学ベーリアル校で考古学を専攻し、学生結婚。娘をもうけたものの離婚されてしまい、自身の根性を叩き直そうと、英国陸軍に志願した。
陸軍では特殊空挺部隊(SAS)に所属し、サバイバル技術の教官を務めたこともある。だが、軍隊には向いていなかったと気がつき、名誉除隊をした。
キートンの夢は、あくまで考古学にある。
西欧文明ドナウ起源論を提唱し、証明のために発掘調査がしたくて仕方がない。そのためには、肩書きの他に資金が必要だった。そこで、フリーの保険調査員(オプ)として働いてもいる。
ところが、考古学の研究は思いどおりにはできず、副業のはずのオプの仕事が増えるばかり。考古学者としての知識と、元SASだった経験を元手に、危険にも立ち向かっていくが……。
漫画。
泣ける人情話が多いです。
キートンの人柄が好感持てるので、次々と読みたくなります。控えめで、相手を尊重し、子どもにも対等に接する。古代文明への造詣が深いのはもちろん、多言語を操り、頭の回転も速い。
一話(30ページ弱)で完結することが多いためか、話の展開がとんでもなく早いです。端折っている印象。最終の18巻だけは、まるまるひとつのストーリーに当てられていて、さすがに盛り上がりましたが。
エピソードは、考古学と、陸軍だの諜報員だのきな臭いもののミックス。雑誌掲載が1988年〜1994年だったこともあって、当初は冷戦下にあった世界情勢から、東西ドイツが統一したり、イラクがクェートに侵攻したり、ソビエト連邦が崩壊したりします。
思えば激動の時代でした。
ただし、それらは背景なので詳しくは語られません。当時のことを知っているからすんなり読めましたが、予備知識なしで読むのは厳しそう。
漫画なので、そんなことは関係なく楽しめるのかもしれませんが。
あれ(前作『MASTERキートン』)から20年。
キートンはルーマニアで、ヨーロッパ古代文明発祥の地らしき集落を見つけていた。発見は話題になり、さらなる資金集めのためにテレビにも出演するが、学会には無視されてしまう。
探偵の副業も続けていたが、研究に専念するために廃業を決意。ところが、事務所のパートナーが仕事を請け負ってきてしまう。
渋々ながら調査にでかけるキートンだったが……。
漫画。
今作も、ほぼ一話完結型。
雑誌掲載も、ほぼ20年後の2012年〜2014年。絵柄の変化を、登場人物たちの加齢でカバーした感じ。
前作と(故人となったためか)作者が違うのですが、物語としての違和感はありませんでした。ただ、最後のエピソードで知り合った女性がまるで出てこないのが不思議で仕方がなかったです。ルーマニアで一緒に発掘したんじゃないかと思うんですけど……。
20年のブランクを経て読めば、すごく楽しめると思います。今回は連続して読んでしまったため、いささか物足りなさが残ってしまいました。
2017年02月26日
エミリー・ロッダ(さくま ゆみこ/訳)
『ローワンとゼバックの黒い影』あすなろ書房
《リンの谷のローワン》第四作
リンの谷では、ジラーとストロング・ジョンとの婚礼が行われていた。祝宴には、海辺に住むマリスの民や〈旅の人〉たちもかけつけ、大層にぎやか。
だが、ジラーの息子ローワンは楽しめずにいた。胸騒ぎが収まらないのだ。それでも、今日の日を台無しにしたくないローワンは、誰にも言うことができない。
予感は的中し、上空にひとつの影があらわれると、妹アナドがさらわれてしまった。
翼のある怪物は、海の向こうから飛んできたらしい。そんなことをするのは、ゼバックだとしか考えられない。
ローワンはアランと、マリスのパーレン、〈旅の人〉のジールらと共に海を渡った。しかし、シバに授けられた予言は意味が分からず、ゼバックの情報は皆無。ジールはゼバックの出身だが、袂をわかったのは幼いころ。記憶は定かでない。
一行は未知の道を行くが……。
四作目にして、これまで名前のみで正体のよく分からなかったゼバックの実態が明らかになります。ローワンと共にゼバックに潜入するのは、集団の中で疎外感を抱いている人たち。
アランはリンの民と〈旅の人〉のハーフ。ジールはゼバックで生まれ〈旅の人〉の養女となった経歴の持ち主。
気がつけば、このシリーズを読むのは7年ぶり。それでも、手に取っただけで記憶が蘇って独自の世界が広がるので、力のある物語なのだな、と。
お約束の、要所要所で登場するシバの予言は相変わらず。分かりやすくする工夫なのでしょうけど……。
いかんせん児童書なので、もの足りないところはあります。それでも、シリーズ過去作の出来事を生かしてまとめたところなど唸りました。やられた〜。
《イルスの竪琴》第一部
モルゴンは、ヘドの世継ぎ。
ヘドは農業を生業とする小さな島国だった。ヘドの人々はヘドに根を下ろし、島から出ることはほとんどない。そんな中モルゴンはヘドを出て、ケイスナルドの大学に入学した。
両親が亡くなり、自身が領国支配者となるまでは。
一旦はヘドに戻ったモルゴンだったが、己の欲求をとどめることはできなかった。人知れず、大陸のアウムへと向かう。
アンの三国のひとつアウムには、ペヴンの塔がある。塔には、アウムの古代の大公ペヴンが幽閉されていた。ペヴンは亡霊となってなお500年にわたって王冠を護り続けている。
王冠を手に入れるには、ペヴンとの謎かけ試合に勝たねばならない。挑む者は後を絶たず、生きて塔を出る者はいなかった。
モルゴンは領国支配者となったばかりにもかかわらず、ペヴンに勝負を挑んだのだ。そして、勝利した。モルゴンは王冠には興味がない。誰にも告げることなく、しまいこんでしまう。
ペヴンの王冠が持ち去られた事件は、アンの人々を驚愕させた。
実は、アンの王マソムは、娘レーデルルが生まれたとき、誓いをたてていた。レーデルルを、ペヴンからアウムの王冠を勝ちとった者と結婚させる、と。
モルゴンにとってレーデルルは、学友ルードの美しい妹。マソムの誓いを知ったモルゴンは、ケイスナルドを訪れた。ルードと再会し、レーデルルの意向次第で結婚する意思を固める。
モルゴンは、求婚のために船でアンの首都アンウインに旅立つ。ところが、嵐に見舞われてしまった。船が難破し、モルゴンは海に投げ出された。
モルゴンが流れ着いたのは、アンとはまるで方向違いのイムリス。記憶を失い、声を失ってしまった。
間もなく、モルゴンのことはイムリスの王ヒュールーの知るところとなる。首都カールウェディンに迎え入れられ、モルゴンは、大きな竪琴と対面した。
魔法使いイルスが創り出した竪琴には、傷ひとつない血のように赤い星が三つ、光り輝いている。それは、モルゴンの額にある三つの星と同じもの。誰ひとり音を出せなかった弦は、モルゴンが触れると、豊かで甘やかな音色を響かせた。
そしてモルゴンの記憶も声も蘇った。
モルゴンは不思議でならない。遠い昔に、自分の額にある三つの星が語られていたこと。自分が生まれるよりもずいぶん昔に〈星を帯びし者(スターベアラー)〉と名づけられていたこと。
モルゴンは、人々を導く〈偉大なる者〉に質問をするため、御座所のあるエーレンスター山に行くことを決意するが……。
舞台は、かつての支配者〈大地のあるじたち〉がいなくなり、〈大地のあるじたち〉のひとりである〈偉大なる者〉が領国の掟を維持している世界。なんでも知っていて慈悲深い〈偉大なる者〉は、人々の心の拠り所になっています。
モルゴンの道先案内人となるのは、〈偉大なる者〉に仕える竪琴弾きデス。齢1000年という男。ちなみにこの世界での1000歳は、おどろきはするけれど、ありえないことではない、といった程度のようです。
こうした設定は、きちんと説明されないままに展開していきます。モルゴンは暗中模索のまま、エーレンスター山を目指したり目指さなかったり。助けられたり襲われたり。どんでん返しの連続、というより、今後どういう展開になっていくのか分からない状態。
どっしりした世界観の上に築き上げられた、謎が謎を呼ぶ名作。ただし、世界が見えてこないと読むのが大変。ちょっと人には勧めにくい。美しすぎて。
《居眠り磐音江戸双紙》シリーズ48
坂崎磐音(いわね)は、剣の達人。江戸は小梅村に尚武館道場を開いている。
磐音の幼馴染、奈緒が、江戸入りを果たした。
奈緒は、かつて吉原の花魁だった。白鶴太夫として評判になり、身請けされ、出羽国の紅花問屋前田屋内蔵助に嫁入りした。ところが、山形藩の内紛に巻き込まれ、夫を亡くし、前田屋をも失っていた。
奈緒は、金龍山浅草寺の門前に「最上紅前田屋」を開店させる。磐音の奔走もあったが、紅花問屋の内儀であったころに身につけた技が役に立った。
通常、花魁であったことは隠すものだ。だが、奈緒は出自を隠さない。その真摯な姿勢から吉原の協力も得られ、商いは順調。
一方、江戸城では、十代将軍家治が身罷っていた。
後ろ盾を失った老中の田沼意次は失脚。代わって権力を握ったのは、尚武館道場に入門している松平定信だった。
磐音は定信から 次期将軍家斉の剣術指南役に就いて欲しいと頼まれるが……。
前作『失意ノ方』から2年。
奈緒が江戸で落ち着くまでにはいろいろあります。そんな奈緒にかかわっていく、おなじみの面々。磐音の周辺にはいろいろと変化があります。そろそろこのシリーズも終わりが見えてきた雰囲気。
《居眠り磐音江戸双紙》シリーズ49
坂崎磐音(いわね)は、剣の達人。江戸は小梅村に尚武館道場を開いている。
十代将軍家治が亡くなり、磐音を目の敵にしていた田沼意次が失脚した。今では松平定信が、老中首座として政治の実権をにぎっている。
定信はかつて、磐音に窮地を救われたことがある。定信にとって磐音は大恩人。だが、自身の弱点でもあった。
磐音の元には、不穏な情報がもたらされる。身罷った意次が手練の刺客7名に、定信の暗殺を命じていたらしいのだ。
定信の政治は物価の上昇を招き、江戸の人々は不満を募らせている。しかし、ここで定信が死んでしまっては、社会に更なる混乱をもたらす。磐音は、刺客の目標をまず自分へ向けさせようと、弥助、霧子、利次郎を彼らの潜伏地に送り出すが……。
磐音はこれまでの経験から、政治と距離を置こうとします。そのことが定信を追いつめてしまいます。
それにしても、手練の刺客7名が、がっかりな出来だったのが残念。手早く片付けるために仕方なかったのでしょうが、それなら3人くらいに絞って、もうちょっとなんとかできなかったのかな、と。
《イルスの竪琴》第二部
レーデルルは、アンの王マソムの娘。
ヘドの領主モルゴンから求婚されるはずだった。ところがモルゴンは不可解な失踪をとげてしまう。モルゴンは〈偉大なる者〉に会うため、エーレンスター山に向かっていたはずだった。
それから1年。
人々が心配する中、ヘドから知らせが入る。
ヘドの領国支配権が、モルゴンから弟のエリアードに移っていた。
エリアードはこの1年ずっとモルゴンの夢を見ていた。モルゴンの心は、何か名前のつけようのない力みたいなものに押さえつけられていた。自分で自分がわからなくなっていたようだった。
助けに行こうとしたエリアードだったが、厳しい冬にはばまれる。そして、ようやく春になったとき、自分に領国支配権が移ったことでモルゴンの死を知ったのだった。
そのことを聞いたマソムは、モルゴンを殺した者を見つけると誓いをたてる。そうして領国を世継ぎのデュアクに託すと、鴉の姿になって飛び去ってしまった。
残されたレーデルルは、次兄ルードを呼び戻そうとケイスナルドへと向かう。
そのころケイスナルドには、ヘルンの領主モルゴルが訪れていた。
レーデルルはモルゴルの近衛隊長ライラに接触する。
ライラは、モルゴンがヘルンを通過したとき、そのまま行かせたことを悔やんでいた。ふたりは、マソムの船を使ってエーレンスター山に行くことを決意する。〈偉大なる者〉に面会し、モルゴンを殺した者の名とその居場所を聞きだすために。
一方、モルゴンの妹トリスタンもまた、エーレンスター山へ旅立とうとしていた。マソムの船に密航することで、ふたりに合流するが……。
今作は女性陣が主役。
まじないを使うレーデルルと、兵士として訓練を受けてきたライラ、トリスタンは……なんだろ?
中心人物はレーデルル。アンの王家には、イロンという正体の分からない者の血が流れています。実はイロンは、モルゴンの敵(変身術者たち)の一員の子ども。
レーデルルはイロンの子孫として、勧誘され、強大な力に魅了されてしまいます。レーデルルの葛藤たるや。
後半の、レーデルルの活躍は圧巻でした。
なお、本作では、モルゴン視点だった『星を帯びし者』の出来事が、さまざまなスタイルで断片的に語られます。前作の結末を知っているので、身悶えしました。
なにも知らないままに読んでいたら!
でも、世界説明が無いに等しいので、いきなり読んでも意味不明だったろうとも思います。前作より読みやすいのは、賑やかな女性陣が主役だっただけでなく、世界のことが少しでも分かっていたおかげでしょうから。
なんとも悩ましい問題です。
《イルスの竪琴》第三部
世界は混沌としていた。
イムリスの内戦は珍しいことではなかったが、今度はこれまでと違った。叛乱軍の中にはすでに死んだ者たちもいて、この世ならぬものに身体を乗っ取られ、戦い続けていた。背後に、強大な力を持つ変身術者たちがいたのだ。
〈偉大なる者〉の行方は知れず、敵対する変身術者の正体も分からないまま。戦火は拡大し続けている。
そのころ〈星を帯びし者(スターベアラー)〉のモルゴンと、アンのレーデルルは、アンの首都アンウインに滞在していた。
アンも軍備を整えていたが、モルゴンの心配はヘドにあった。
かつてモルゴンが領国支配者となっていたヘドは、農業を生業とする小さな島国。戦士はおろか戦える者さえいない。
モルゴンはヘドのために、アンの亡霊たちの力を借りることにする。アンの亡霊を連れて行けば、アンで生きている人たちも喜ぶだろう。
一方、古代の都市ランゴルドには、各地に姿を現した魔法使いたちが集まっていた。彼らを護っているのは、かけつけたモルゴルの近衛兵たち。出入口を隠した秘密の空間で、死者を弔いつつ迎え撃つ準備を進めていた。
遠い昔、ランゴルドはギステスルウクルオームによって創建されたが、破壊したのもギステスルウクルオームだった。そうしたのは、モルゴンの額にある三つの星のためだった。
モルゴンとレーデルルはヘドの防備を固めさせると、大交易路を通ってランゴルドへと向かうが……。
いろんなことに決着がつく最終巻。
モルゴンは各地の領国の掟を学び、力をつけています。レーデルルも力を持っているのですが、その源は、変身術者たちなのです。
レーデルルは変身術者の力に飲み込まれてしまうことを、心底怖れています。その怖れがモルゴンの足を引っ張ってしまいます。
そのあたり、苛立たしく思わなくもないのですが、そうしないと話が進まないでしょうし。仕方ないのかな、と。
これまでのアレコレが伏線になっていて、改めて読み直したくなりました。ただ、美しすぎて読むのに体力がいったので、しばらく休んでからにしようと思います。
2017年05月27日
マット・ヘイグ(鈴木 恵/訳)
『今日から地球人』ハヤカワ・ミステリ文庫
ヴォナドリア星人たちは、ひとつの決断をくだした。
地球人のアンドルー・マーティンを殺害する。そうして、代わりに刺客を送り込んだ。アンドルーに化けたヴォナドリア星人を。
アンドルー・マーティンは、ケンブリッジ大学の数学教授だった。
アンドルーが殺されねばならなかったのは、数学上のもっとも重要な予想のひとつ、リーマン予想を解いたため。
ヴォナドリア星人が考えるに、人間は暴力的で強欲な生物。リーマン予想の証明によって得られた数学知識によって科学技術を飛躍的に発展させてしまうと、宇宙の安寧が脅かされる。
そのため刺客は、アンドルーの論文を削除し、予想が証明されたことを知る人間をひとり残らず探し出して抹殺しなければならない。
ところが、偽アンドルーが出現したのは研究室ではなく、高速道路だった。
そこがどういうところなのか理解もできず、偽アンドルーは交通事故に遭ってしまう。左手に仕込んできたギフトのおかげで生きながらえたものの、言葉も習慣も分からないまま。
偽アンドルーは、人間の姿形に嫌悪感を抱き、服を着る必要性を見いだせず、やがて警察につかまり、精神病院に入れられてしまう。うまく退院できたものの、周囲の人々との交流はちぐはぐ。
どうやら本物のアンドルーは、家族とうまくいっていなかったらしい。そのうえ全裸でうろつく姿がニュースになり、ますます関係は悪化。
偽アンドルーは、アンドルーの家族がリーマン予想の証明についてどこまで知っているのか、探り出そうとするが……。
異星人が主人公なのでSFテイストかと思いきや、そういう雰囲気はなく。ミステリ文庫から出てますが、ミステリでもない。人間発見もののようですが、今にして思えば、恋愛小説でした。
偽アンドルーの独白で物語は展開していきます。主に登場するのは、妻のイゾベルと息子のガリヴァー。
当初はイゾベルの容姿に吐き気をもよおす偽アンドルーですが、やがて好意を寄せるようになります。ガリヴァーの心を開かせようと必死になったり、飼い犬のニュートンを味方につけようと画策したり。どこかユーモラス。
不可思議なのは、アンドルーという人物。数学に人生を捧げて家族をないがしろにしてた……かに思えて、数学一筋というわけでもなく。よくそれで、あのリーマン予想が解けたな、と。
おもしろいけれど、どうも物足りない。おそらく、細部でもやもやとしてしまうせい。ユーモアものとして楽しめばいいんでしょうけど。