トム・バレンが生きているのは、2016年。
人類は、豊かで意義深くて脅威に満ちたテクノユートピア的楽園を実現している。いまでは全員が、幸福で快適な人生を送るために必要なものをすべて手に入れているのだ。
1965年、ライオネル・ゲートレイダーは、のちに〈ゲートレイダー・エンジン〉と呼ばれるようになる装置を発明した。
ゲートレイダー・エンジンの登場で、科学の発達は大幅に加速した。クリーンで堅牢なエネルギーは、惑星の回転運動から無限にとりだすことができる。人々は労働の必要がなくなり、世界経済はほぼ全面的にエンターテイメントに特化することになった。
トムの父のヴィクターは、最先端分野である時間旅行のパイオニア。世界でも屈指の天才として広く認められている。そのヴィクターでも、ただの時間旅行では投資家の食指を動かせない。そこで、観光という言葉を加えて時間観光旅行として大々的に宣伝し、資金を集めた。
人間を過去へ送りこみ、最初のゲートレイダー・エンジンのスイッチが入れられるところを見学させる。
はじめて行くことになるチームは6人。全員がえり抜きの精鋭だった。
トムは、チームリーダーであるペネロピー・ウェクスラーの代役に選ばれる。なにかあったときの補欠要員だが、トムの抜擢はただの同情によるもの。もっともなにかありそうにないのが、ペネロピーだった。
ところが、時間旅行が実現するその日、大事件が起こってしまう。
動揺したトムはひとりで時間を遡った。そして、ゲートレイダー・エンジンの実験を大惨事へと変えてしまう。安全装置のおかげで2016年に戻ったものの、気がつけば病院で、ジョン・バレンという名前の建築家になっていた。
あの輝かしい世界はなくなり、広がってるのはディストピア世界。
トムは必死に、元の世界を取り戻そうとするが……。
トムによる一人称小説。
だらだらとトムの語りがつづいて、挫折しそうになったころ、ついに事件が勃発。なんとか踏みとどまれました。
おそらく、トムの変化を書くつもりで、わざとダメっぷりを披露したのだと思います。それが分かっていても、一人称で語られるとキツイです。せめてトムが、失敗ばかりでも愛されるキャラクターだったら……。
ちなみに、トムはディストピア世界と呼んでますが、現在の現実世界のことです。
2018年10月01日
リチャード・アダムズ(神宮輝夫/訳)
『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』上下巻/評論社
ヘイズルは、サンドルフォードのウサギ。
まだ幼年組に入っている。幼年組たちは、特権階級の血筋でもなく、並はずれて大きな体や力もなく、上のウサギたちに押さえつけられながら、ウサギ村のはずれで、一生けんめいに生きている。
ある日弟のファイバーが、予言をした。恐ろしいことが近づいてくる。たいへんな危険が、この村に迫ってくる。すぐに立ち退かなくてはならない。
ヘイズルとファイバーは、長ウサギのスリアラーに面会を求めた。取り次いでくれたのは、幹部(アウスラ)ウサギのビグウィグ。
スリアラーは、年老いてきてはいるけれど、頭はまだはっきりしている。兄弟の話を聞いてくれたが、それだけだった。
ウサギの中には、確かに予知をするものがいる。しかし、体が小さいために予言者のふりをするものもいるのだ。スリアラーは、ファイバーをそのように見ていた。そして、取り次いだビグウィグを叱責し、アウスラの地位を剥奪してしまう。
翌日、まったく動かないスリアラーにヘイズルは、自分たちだけで動くことを決意。夜に村を出ていくことを決め、仲間に声をかけた。ビグウィグも一緒に行ってくれるという。
ヘイズルは、少ない仲間たちと、月の出後に出発した。
ウサギの多くは、一生おなじ場所で暮らし、一度に100メートル以上走ることはない。地上で眠ることがあっても、巣穴の代わりをする隠れ家から、あまり離れない。ヘイズルたちは、慣れない旅に疲労困憊。
そんなとき、牧草地で、カウスリップというウサギと出会った。
ファイバーは、彼らにはいっさいかかわらず、すぐに、ここを離れるべきだという。だが、ヘイズルたちは、上品で大きなカウスリップの話に耳を傾け、彼の村に行ってみることにする。
村を訪れるとウサギ穴が、あたり一帯に丸見えになっていた。この村では、キツネや猫の心配はなく、穴堀をする必要もなく、偵察もいらないのだという。どのウサギも、毛のつやがよく、並はずれて大きく、豊かでぜいたくな雰囲気を身につけていた。
ヘイズルたちは、ここのウサギには絶対に変なところがあると気がつく。ファイバーが正しかったのだ。けっきょく逃げ出し、一行は、ウォーターシップ・ダウンにたどりついた。
ヘイズルは長として認められ、新たな村を築くが、まだ問題は残っていた。仲間は牡ばかり。牝がいなかったのだ。
さっそく、牝のウサギ探しがはじまるが……。
ウサギ視点で語られる、大冒険もの。
4部構成。ウォーターシップ・ダウンに定着するまでが第1部。そこまでの旅で、ほぼ、ウサギの生態とか個性を把握できます。
第2部以降は、牝を仲間にするためのいろいろ。
ヘイズルは、傷ついたユリカモメのキハールを助け、お礼に上空から偵察してもらいます。それで、さほど遠くはないナットハンガー農場でウサギが飼われていること、やや遠くのエフラファに、大きなウサギ村があることを知ります。
ナットハンガー農場には猫と犬がいますし、エフラファのウサギ村は、これまたすごいところなんです。
ヘイズルは徐々に成長していきますが、ビグウィグもなかなかのもの。当初ヘイズルは、ビグウィグに警戒心を抱いています。やがて絶対的な信頼へと変わっていき、ビグウィグもヘイズルを長として認めていきます。
そういった成長物語に時折はさまれる、ウサギたちの神話。創造主フリスも登場しますが、主に、伝説のウサギ王、エル-アライラーの冒険が語られます。
そして、ときどき、人間視点の捕足が入ります。人間はあくまで脇役なのですが、児童書なので、読者の理解を助けるためだと思います。
とにかく、エピローグが美しいです。そこまで読み進めてきた読者なら、明言されていなくともなにが起こったのか分かるはず。
主人公がウサギだから、子ども向けだから、というだけで読まないのはもったいない名作。
2018年10月02日
マンリイ・ウェイド・ウェルマン(野村芳夫/訳)
『ルネサンスへ飛んだ男』扶桑社ミステリー
レオ・スラッシャーは、アメリカ人の科学者。父親はエンジニアにさせようとしていたが、本当は、美術を勉強し、画家になりたかった。べつの驚異を求めていたのだ。
時間反射機(タイム・リフレクター)を発明したレオは、行き先にルネサンス時代のフィレンツェを選ぶ。
そのころのフィレンツェには、人類の歴史上もっとも偉大な画家や詩人や哲学者たちがいた。そこで絵を描くつもりでいた。それも傑作を。礼拝堂とか教会とか美術館に飾る価値があるものを。
レオの時間反射機は、反射鏡として機能する。対象物を収束させ、別の時代に転移させるのだ。レオは、国立図書館の古文書で、都合のいい出来事を捜し出した。
1470年4月30日、雨乞いのため、ミトラ信仰の秘儀が行われた。場所は、イタリア、トスカーナ地方の屋敷の庭。祭壇には、生け贄の雄牛がいた。
レオは実験を成功させるが、失神から回復したばかりのように記憶に脱落がある状態。なんとか主導権を握ろうとするものの、うまくいかない。
儀式を取り仕切っていたのは、グァラッコだった。突如現われたレオをおそれいることもなく、ふたりきりになると、レオはののしられてしまう。
グァラッコは、妖術師と思わせている科学者。
奇蹟はあの祭壇で以前にも起きているが、それはグァラッコが考え、機械工場で準備したため。グァラッコにとって、無断で出てきたレオは、権力に対抗する存在だった。
事情を説明したレオは、グァラッコの野望に協力することになってしまう。
レオが送りこまれたのは、アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房。レオには、20世紀の知識がある。それらを総動員して、賞賛を勝ちとるが……。
ミステリ・レーベルだけれども、SF。
歴史家が研究発表のために書いた小説、のような雰囲気でした。読了後に1951年の作品だと気がついて、納得。古い時代のと分かっていれば、もっと暖かい気持ちで読めたかもしれません。
とにかくレオが解せない。ミトラ信仰の秘儀については調べたのに、当時の科学レベルとか風習とか、基礎的なことを調べずに行ってしまったのはなぜなのか。目的のはずの絵を描くのはそっちのけでアレコレ道具を考案しはじめるのはなぜなのか。
と、そこで、レオが誰なのか思いいたったのでした。
もっとやりようがあったのではないかと思うのですが、1951年の作品なので、そういうものなのかな、と。
2018年10月04日
ジョー・ウォルトン(茂木 健/訳)
『わたしの本当の子どもたち』創元SF文庫
パトリシアは認知症を患い、介護施設で暮らしていた。
パトリシアはよく忘れるが、記憶の混乱もあった。パトリシアが自分の人生について考えるとき、併存するはずのないふたつの思い出が、重なり合っているような気がしてならないのだ。
あるときは、自分には4人の子どもがおり、そのほかに五人を死産したと絶対の自信をもって断言できた。ところが別のときには、ふたりの子と、パートナーが産んだ子もひとりいた記憶がある。
人生が別れたのは、マーク・アンストンに結婚の返事を迫られたときだ。
パトリシアはオックスフォードを出て、パインズ女学校の教師となっていた。恋人のマークとはなかなか会えず、毎週届けられる手紙が喜びの源。ある日マークから珍しく電話をもらい、結婚を承諾するか、それとも別れるかという二者択一を迫られた。
マークとの結婚を決意したパトリシアは、新婚早々からつまづいた。素敵な手紙のマークは暴君だったのだ。強引な性交渉を迫られ、女性の権利は認めてもらえず、家にとじこめられた。子どもたちがパトリシアの喜びだった。
一方、マークと結婚しなかったパトリシアは、傷心旅行のイタリアが好きになり、とりわけ、フィレンツェのルネサンス美術に魅せられた。やがて、ベアトリス(ビイ)・ディキンスンと出会い、ビイがかけがえのない存在へとなっていく。ただ、世界情勢は悪化していき、核兵器の応酬まで起こってしまう。
どちらのパトリシアも、その人生を精一杯生きていくが……。
考えさせられる物語。
考えずに読むと、なんだか分からないままに終了してしまいます。自分で考えるために読む物語となってます。
痴ほうになって混乱と共に生きているパトリシアから始まり、子ども時代、女学生時代、学校教師時代を経て、いよいよ物語は分岐し、交互に語られます。2つの人生があるため、進み方はスピーディ。
ふたりのパトリシアはそれぞれの歴史の中で生きてますが、どちらも、現在とは違ってます。マークのいる章では世界はおおむね平和です。ビイのいる章では、家庭も仕事も順調だけれども、苛酷な世界になってます。
パトリシアの性格などは、ほぼ一緒。人のいいところを見つけようとする姿勢がすばらしいです。
マークを相手にしたときには、その姿勢が足をひっぱってしまったんでしょうね。結婚を決断する前から、マークが配偶者としては最低であることが示唆されていたので。子どもに愛情を注げてほんと、よかった。
2018年10月06日
R・D・ウィングフィールド(芹澤 恵/訳)
『フロスト始末』上下巻/創元推理文庫
《ジャック・フロスト警部》シリーズ第6作
ジャック・フロストは、デントン市警察の警部。だらしのない格好で、時間には頓着せず、デスクワークは大の苦手。下品な冗談を所構わず口にする中年男だ。
デントン警察署に、主任警部のジョン・スキナーが着任した。マレット署長の意を受けて、フロスト警部をデントン警察署から叩き出すため招聘されたのだ。ふたりは密談を重ね、準備を進めていく。
デントン市では、〈スーパーセイヴズ〉に脅迫文が届けられていた。実際に毒物を入れられた商品が見つかり、被害者も出た。犯人は5万ポンドを要求している。
経営者のビーズリーはドケチで有名。それでもフロストの説得で、渋々ながら金を用意してくれた。送金先として指定されたのは〈フォートレス住宅金融共済組合〉の口座。
口座の持ち主は、キャッシュカードを盗まれていた。フロストは口座を止めることなく、犯人が金をおろすところを逮捕しようと目論む。
だが、デントン署はたいへんな人手不足。州警察本部に制服組を応援に出していたのだ。さらに、研修に出ている者が複数名。ATMを見張るための人員配置に横やりが入ってしまう。
一方、少女の行方不明事件も発生していた。
その日デビー・クラークは、同級生のオードリー・グリッソンの家に泊まるため自転車で出かけた。ところが翌朝になっても帰宅せず、両親がグリッソン家に電話をすると、泊まっていないし、泊まりにくる話もなかったと返事があった。
フロストの考えは単純明快。デビーは、ボーイフレンドのトム・ハリスと示しあわせて家出したのだ。トムの両親は旅行中で、トムは自転車で出かけたらしく、不在だった。
実は、デビーの父のハロルド・クラークはデントンの超がつくほどの有力者。州警察本部の上層部にも顔がきく。署長は、とにかく、ほんの形だけでも捜索してもらいたいとフロストに懇願する。
フロストはやる気のないまま、かつてデビーとトムがデートしていたというデントン・レイクを捜索する。すると湖から、デビーの自転車が出てきた。
どうやらデビーは、ただの家出ではなかったようだ。
連日の大がかりな捜索がはじまるが……。
ウィングフィールドの遺作。
今作も、さまざまな事件が同時進行で展開していきます。人間の足首から下だけが見つかり、連続強姦事件が発生し、赤ん坊が誘拐され、スーパーに脅迫文が届き、少年少女が失踪して、腐乱死体が発見される。
さまざまな容疑者が挙げられ、警察は失態をおかし、マスコミの取材攻撃に辟易する。
スキナーは、捜査の指揮をとりたがる一方、面倒なことはフロストに丸投げ。一方のフロストは相変わらず。下品だし、違法捜査するし、上司なんてヘとも思ってない。
スキナーは、見習い婦人警官のケイト・ホールビーと確執があるようです。ケイトはさまざまな嫌がらせを受けますが、負けず嫌いで頑張り屋さんなもんだから、逃げようとしません。見かねたフロストは、助け舟を出し続けます。
それがすごくあったかい。フロストが呆れられながらも慕われるの、分かるよ。
そんなフロスト警部も、今作が見納め。
たぶん、もうフロスト警部のようなキャラクターは出てこないだろうな、と思うと寂しくなります。
2018年10月09日
G・ウィロー・ウィルソン(鍛冶靖子/訳)
『無限の書』東京創元社
ペルシャ湾に面した〈シティ〉は、専制君主をいただく首長国のひとつ。世界でもっとも高性能のネット規制を誇りながら、まともな郵便システムも整っていない場所。銀メッキの車に乗る王子と、水道設備すらない地区が共存する。
アリフは23歳のハッカー。クライアントにサービスを提供し、報酬を得ている。
このところ〈シティ〉では、インターネットの規制が異様なほど強化されていた。正体不明の〈ハンド〉によって、不満分子たちのホスティングアカウントは発見され、ハッキングされていった。アリフの仲間たちは〈ハンド〉の噂で持ちきり。
アリフには、気がかりなことがもうひとつあった。最近、恋人のインティサルがつれないのだ。
インティサルは、旧市街に住む貴族のご令嬢。身分が違うことは分かっていた。ようやく連絡がついたとき、インティサルは婚約していた。どうしようもなかったのだ、と弁明して。
アルフはインティサルから、アリフの名前が二度と目に触れないよう、頼まれてしまう。
アリフは考えた。ユーザーネームをブロックするとか、IPアドレスをフィルタリングするとか、そういうレベルではなく、ネット上で、二度とアリフを見つけることのないようにしたい。
アリフは友人の知恵を借り、プログラムを考案した。理論上、人はみな固有のタイピングパターンをもっている。文法構造や単語選択やつづり、言語使用の比率が人ごとに異なるのだ。それらを識別し、個人を特定する。
こうしてアリフは、プロクラム〈ティン・サリ〉を完成させた。もはやインティサルがアリフを見ることはない。だが、アリフは未練を断ち切れず、インティサルとのパソコンとはつなげたまま。
そんなある日、アリフのネットワークに〈ハンド〉が侵入してきた。アリフはあわててクライアントたちとの接続を遮断していく。
恐怖に震えるアリフのもとにインティサルから、古い本が届けられた。それは『千一日物語(アルフ・イェオム・ワ・イェオム)』だった。
『アルフ・イェオム』は、幽精(ジン)によって語られた。その中に、物語に形を変えた秘密の知識があるという。
なぜインティサルは『アルフ・イェオム』を送ってよこしたのか。状況が分からないままにアリフは、国家保安局から必死に逃げ隠れるが……。
世界幻想文学大賞受賞作。
舞台は、アラビアン。アリフは、幼馴染のダイナと一緒に逃げることになります。
アリフが助けを求めたのは、〈隠れたもの〉であるヴィクラム。かなり胡散臭い人物として登場します。アリフはヴィクラムの案内で、幽精(ジン)たちがいる世界にも足を踏み入れます。
アラビアものらしく、枠物語のような部分もありますが、オマケ程度。もうちょっと『アルフ・イェオム』に書かれた物語に触れてみたかった。
アリフはムスリムですが信心深くないためか、イスラム的な雰囲気は薄め。神を称える独特の会話はあまりでてきません。
アラビアン・ナイトを期待していたので、ちょっと物足りない。
2018年10月15日
ミヒャエル・エンデ(丘沢静也/訳)
『鏡のなかの鏡 −迷宮−』岩波書店
出版社による、内容紹介文
鮮烈なイメージと豊かなストーリーで織りなされる、30の連作短編集。ひとつずつ順番に、前の話を鏡のように映し出し、最後の話が最初の話へとつながっていく。このめくるめく迷宮世界で読者が出会うのは、人間存在の神秘と不可思議さである。『モモ』『はてしない物語』とならぶ、大人のためのエンデの代表作。
連作短編集とありますが、それぞれにタイトルがついているわけではなく、全体でひとつになっているようです。
理解の範疇をはるかに越えて、自分にはなんとも言いようのない物語でした。短いもの、ちょっと長いもの、前の話とつながっていると思うものもあれば、どうつながってるんだか分かりかねるものあり。
まるで夢を見ているような印象。
好きな人は好きなんでしょうけど、どうも趣向が合わなかったようです。でも、最後を読んだら、また最初を読みたくなります。
2018年10月21日
パトリシア・A・マキリップ(大友香奈子/訳)
『ホアズブレスの龍追い人』創元推理文庫
中短編集。
1982年から1999年までの17年間に書かれたものを発表順に。まるで長篇を読んでいるような、緻密な世界が広がっているものもあれば、よく分からないままに終了してしまうものも。
マキリップの物語にはいつも、言葉の美しさにほれぼれしてます。翻訳家の力によるところもあると思いますが。
「ホアズブレスの龍追い人」
世界のてっぺんに、黄金と雪でできた環の形の島があった。島がホアズブレスと名づけられて200年。そこでは、13か月のうち12か月が冬に覆われている。
ペカ・クラオは12歳のとき島をでたが、学校教育にうんざりして、ホアズブレスに戻ってきた。ある晩ペカは、龍追い人と出会った。龍追い人は、6年前に亡くなったルーラ・ヤロウの息子、リド・ヤロウ。17年ぶりの帰郷だった。
リドによると、ホアズブレスの長い冬は、龍がいるせいなのだという。眠れる龍が冷気をもたらしている。もし龍が思いがけず目を覚ましたら?
ペカも他の島民も誰も信じようとしない。 だが、リドを父親のように死なせるわけにはいかない。ペカが道案内することになるが……。
冬に閉ざされたホアズブレスが美しいんです。黄金がとれてもゴールドラッシュにならなかったのは、冬のおかげでしょう。
リドの、龍追いをしてきた過去も少し触れられてます。その経験が正義感に火をつけてしまったんでしょうね。
「音楽の問題」
クレス・ダミは、オウノンの大吟唱詩人学校で学んでいた。ダギアンから吟遊詩人を要請されたとき、教師たちはクレスを選んだ。クレスは、ダギアンの誇り高く耳の肥えた宮廷に送り出された。
ダキアンの音楽関係を取り仕切っているのは、領主たちのひとり、セイレイ。セイレイの妻リーリアは、クレスと同じようにジャジ族の血を半分引いている。
実はリーリアは、息子を残して失踪していた。ダギアンとジャジには因縁があり、ダギアンの男はだれひとり、ジャジに入ることができない。
ところが、ジャジの吟遊詩人から儀式への招待状が届く。招かれているのは、ダギアンの吟遊詩人とセイレイだった。
ふたりはジャジへと向かうが……。
相手や場面によって使い分けられる楽器の数々。吟遊詩人ものとはいえ、詩はなし。音楽が物語を語る美しい世界が広がってました。
「トロールとふたつのバラ」
橋の下に、トーンという名前の醜くて汚らしいトロールが住んでいた。トーンは美しいものに目がなく、橋をわたる者に通行料を要求して手に入れていた。
ある晩トーンは、王子が持つバラに心を奪われてしまう。
バラは、霜と見まがう白さで、冬を刻んで作られていた。鈴なりにつく露はダイアモンドのよう。
トーンは純銀の刃に追い払われるが、バラをあきらめきれない。とうとう城を訪れ、バラを奪い取ってきた。
王子が軍を率いて奪え返しにくると、トーンは逃げ惑った。実はパラは、魔法にかけられた王女だった。王女は人間に戻り、今度は王子がバラになってしまうが……。
「バーバ・ヤーガと魔法使いの息子」
バーバ・ヤーガと呼ばれる魔女は、とても賢いときもあれば、とてもたちの悪いときもあった。
〈地下〉で休暇を過ごしていたある朝、バーバ・ヤーガは自分の家とけんかになった。家のなかに戻ることができなくなり、バーバ・ヤーガはおかんむり。
そんなとき、世界の屋根が開いて、なにか大きくて黒っぽいものが落ちてきた。若い男だった。たったいま、父の家を吹き飛ばしたという。大釜で、魔法のちょっとした実験を失敗したために。
若者はバーパ・ヤーガに助けを求めるが……。
「ドラゴンの仲間」
セランダイン女王がひいきにしているハープ奏者がいなくなった。女王が危惧しているのは、ハープ奏者を助け出すよりもむしろ死んだところを見たがっている者がいること。そこで女王は、信頼するいとこのアンを召出した。
セランダイン女王によると、〈ブラック・トレンプター〉がハープ奏者を捕らえているという。血に飢えたドラゴンのいる山だ。
国境の向こうには魔力がある。アンたち五人の女騎士たちは、奇妙な旅をつづけるが……。
短篇だけに、あっさりしてます。ラストもあっさり。それが小気味よい。
仲良し五人組は、それぞれに特徴を持ってます。ハープ奏者を心配する者もいれば、まったく心配してない者もいる。みんな年配女性なんでしょうけど、すごくかわいらしいです。
「どくろの君」
どくろの君は、平原に建つ塔に暮らしていた。そこに六人の騎士たちがやってくる。かつて訪れては躯になった者たちのように。
男たちには選択することができる。塔のなかにある最も貴重なものを選べば、見たものすべてを自分のものにしてよろしい。まちがった選択をすれば、平野を立ち去る前に死ぬことになる。
どくろの君は、男たちが立ち去るだけの分別を持ち合わせていることを願っているが……。
短篇ならではの味わい。結末は予測がつくのですが。
「雪の女王」
カイとゲルダの夫婦は、すれ違いつつあった。
溝は、シリーニのパーティで決定的になった。雪の女王であるネヴァがカイに目を留め、カイも魅せられてしまう。
傷心のゲルダは、元はといえば泥棒のブリオニーに励まされる。ゲルダはほとんどすべての宝石を売り払い、花屋をはじめた。商売は繁盛するが……。
大人になったカイとゲルダの物語ですが、元ネタの「雪の女王」のエピソードが使われているわけではなく、あまり関係はないな、という印象。
「灰、木、火」
彼女は調理場で寝起きしていた。火をおこすが、周囲が騒がしい。鍋たちが笑い、包丁たちはベーコンのなかでくすくす笑い、かまどの扉がきーと鳴ってかちんと閉じた。塩が彼女のうしろを走っていく。
彼女はなにかを思い出そうとしていたが……。
作中、彼女と呼ばれている存在はなんなのか。人間なのかそれ以外のべつのものなのか。擬人化なのか比喩なのか。
戸惑ったまま、過ぎ去っていきました。
「よそ者」
シルは引き潮のときによそ者を見かけた。男は、道具を広げると音楽を奏で、さまざまな色を放った。空で織物を織っているようだった。
翌朝、ゲイマンの畑が何者かの襲撃を受け、燃えつきた。
海の霧がひとつにまとまって、青く燃える目をした白い翼のあるものの姿になっていた。その口から出る火は青い。そして、ゲイマンの畑を火の海に変えたのだ。
そんなことが続いた後、あのよそ者が人々の前に現われた。男は金を要求するが……。
「錬金術」
セリーズはベズル博士のもとで働きながら研究を続けていた。錬金術の過程に没頭することによって、ことばを変質させられるのではないか、と考えたのだ。そうして詩を書こうとしていたのだが……。
ベズル博士にはもうひとり、オーブリー・ボーンという弟子がいます。セリーズもオーブリーも人間ではないようなのですが、掴みきれず。
「ライオンとひばり」
古き魔法の都に三人の娘たちと住む商人がいた。
長女のパールは、すこしばかり不器用でぼんやりしているもののたいそう美人だった。次女のダイアモンドは求婚者たちみなにすばらしく賢いと思われていた。いちばん下の娘はラーク(ひばり)と呼ばれ、父親は溺愛していた。
ある日、遠い街への長旅に出かけた父は、娘たちの名前にちなんだものを持ち帰ると約束した。10日後、父を出迎えたのは、ひばりの美しい鳴き声を耳にしたラークだった。
父は悲嘆にくれた。実は、森でひばりを捕らえたとき、恐ろしいライオンと約束させられていたのだ。旅行から家に帰って、最初に会ったものをやると。父は、最初に会うのは門のところでひなたぼっこをしている猫だろうと考えていたのだ。
ラークは父を許し、森に向かった。
ライオンは魔法にかけられており、夜だけ人間でいられるという。彼はペリンと名乗った。姉の求婚者たちを見慣れていたラークはペリンに惹かれ、ふたりは結婚するが……。
出だしは、ほぼ「美女と野獣」。ペリンにかけられている魔法のせいで、物語は二転三転していきます。最初の「美女と野獣」的な設定はなんだったのか、疑問を感じるほど別の物語になってます。
「ジャンキットの魔女」
ジャンキットに暮らすヘザーは年老いた魔女。ある日、〈オイスター・ロック〉のなかにいる怪物が目覚めつつあることを知った。やつは、800年間あそこにいた。
翌朝、川で一尾のマスから、ストームの子どもたちを呼ぶように助言される。
ヘザーは友人のペピーに相談するが……。
珍しく、現代社会を舞台にした物語。老いた魔女たちと、若々しい魔女たちが登場して、とにかくにぎやか。
「悪い星のもとに生まれて」
4体の死体があった。
ティボルトは死んだまま。ジュリエットはだいぶ前に死んだはずなのにまだあたたかく、死んだばかりのようだった。パリス伯爵は殺されていた。そして、ロミオは傷痕はひとつもないのに、息絶えていた。
捜査がはじまるが……。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の直後の話。夜警が、ロミオとジュリエットが不可解な状況で死んでいた真相を、調べていきます。シェイクスピアを読んだことがなくても大丈夫。
「心のなかへの旅」
大公は、娘の婚礼の祝宴で毒物を見つけるために、ある角を欲しがった。古くからの敵の裏切りを恐れていたのだ。
あの角を持った獣が立ちどまるのは、乙女の前のみ。乙女が集められ、狩りがはじまるが……。
魔法使いを視点にした、ユニコーン狩りのようすが書かれます。ユニコーンの伝説を知らないと、意味不明でしょうけど。
「ヒキガエル」
お姫さまは、お気に入りのおもちゃ、金色のまりを泉に落としてしまった。そこで彼女は短い人生のなかでいつもうまくいってきたことをする。泣くのだ。
そこにヒキガエルが現われて、約束をする。まりを取ってきてくれたら、なんでもあげる、と。ところが、まりが届けられると、お姫さまは気を変えてしまう。
今回ばかりは、まわりの大人たちが許さなかった。お姫さまのいい教訓になると考えたのだ。
お姫さまは泣く泣く、ヒキガエルとの約束を果たしていくが……。
ヒキガエル視点で語られる、童話「カエルの王様」。
2018年10月26日
チャールズ・ストロス(金子 浩/訳)
『アイアン・サンライズ』ハヤカワ文庫SF1593
『シンギュラリティ・スカイ』続編
モスコウ連邦共和国の主星が、突如として超新星爆発を起こした。2億におよぶ住民が全滅し、衝撃波面が広がっていく。
モスコウのポータル・ステーションであるオールド・ニューファンドランド・フォーは、主星から3.6光年離れている。だが、爆発の影響は免れない。
ヴィクトリア・ストロージャー(ウェンズデイ)は16歳。オールド・ニューファンドランド・フォーから避難する直前の冒険で、犯罪の目撃者となった。死体と、手書きの指令書を見つけたのだ。警備の犬に追われて、証拠を持ち出すことはできなかった。
ウェンズデイの避難先は、セプタゴン星系。財産を失っての貧乏暮らしにうんざりしてしまう。
そんなときウェンズデイは、何者かに襲われた。あの冒険で目撃したものが関係しているらしい。
セプタゴンを脱出したウェンズデイは定期客船ロマノフ号に乗船し、戦争ブロガーのフランク・ザ・ノーズに助けを求める。証言が公表されてしまえば、命を狙われることもなくなると考えたのだ。
一方、地球の国連査察官レイチェル・マンスールは、秘密任務に召集されていた。
モスコウが悲劇に襲われたとき、ちょうど、ニュードレスデンとの険悪な貿易摩擦のただなかにあった。超新星爆発をひきおこした犯人は分かっていない。だが、モスコウが所有していた復讐者級報復STL爆撃艦4隻の照準はニュードレスデンに定められていた。
爆撃機を止めるには、モスコウの2名以上の大使が解除コードを送らなければならない。
実は、すでに3名の大使が殺害されている。犯行のあったとき、常に寄港していたのは定期客船ロマノフ号だった。次の寄港地は、ニュードレスデン。
レイチェルは、大使のいるニュードレスデンへと急行するが ……。
複数の視点で語られていきます。
かなり早い段階で、暗躍しているのがリマスタードだと知れます。いわゆる宗教団体ですが、一枚岩ではありません。ウェンズデイを追っているのは、リマスタードの幹部U・ポーシャ・ヘキスト。おっそろしい人です。
ウェンズデイには、ハーマンという味方がいます。ハーマンは、謎の高次知性体エシャトンのエージェント。より高い次元から世界を見ているため、ただでさえ複雑な物語をスムーズに動かす役割を担っているようです。
終盤まで謎は謎のまま。なぜモスコウの主星が爆発したのか。大使を殺害しているのは誰なのか。ウェンズデイが狙われているのはなぜなのか。
前作『シンギュラリティ・スカイ』より、かなり読みやすいです。
2018年10月28日
A・E・ヴァン・ヴォークト(沼沢洽治/訳)
『武器製造業者』創元SF文庫
ロバート・ヘドロックは、不死人。イシャー帝国から独立した組織である武器店側の人間として、イネルダ女帝の宮廷にいた。
ある日イネルダ女帝は、ヘドロックの処刑を決める。3時間後の昼食が終わってから1時間後に逮捕、そして絞首刑にする。
性格分析では、イネルダ女帝は変化と興奮と新しい経験を求める気質。ただ、保守的な、変化に反対する勢力の代表者という立場にいる。この矛盾の結果、女帝はひっきりなしに心が左右反対側に引っぱられ、危険きわまる不安定状態にあった。
3時間の予告があれば、ヘドロックならゆっくり逃げ出せる。イネルダ女帝はそのことを見越していたのかもしれない。
けっきょくヘドロックは昼食に出席し、女帝の決定を覆す努力をする。あやういところで刑の執行は免れたものの、今度は武器店側に捕まってしまった。
武器店は、女帝からヘドロックを助けようとした結果、ヘドロックが本人が語っている通りの人物ではないことに気がついてしまったのだ。ヘドロックは、卓越した、すさまじいほどの知性の持主だった。このような人物にとっては、イシャーの家系も武器店も、ただ目的のための手段にすぎない。
ヘドロックは武器店からも逃げることになってしまうが……。
昔ながらの奇想天外SF。1947年の作品なので、あたりまえですが。
イシャー帝国は4800年ほど続いている、地球の大帝国。武器店は「武器を買う権利は自由になる権利」をスローガンに、人々が搾取されすぎないように設立されました。
17年ぶりに読みまして、なにひとつ覚えてないところからのスタート。読んでいる最中にネタが割れてしまったのは、察したのか、思い出したのか。
後年『イシャーの武器店』が発表されて、《武器店》二部作となってます。そちらもどうぞ。