《しゃばけ》シリーズ第15巻
一太郎は、廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の若だんな。齡三千年の大妖を祖母にもつ。
一太郎の世話をあれこれと焼くのは、手代の佐助と仁吉。ふたりの正体は、犬神と白沢。祖母によって送り込まれてきた。というのも一太郎が、商売よりも病に経験豊富であるほど病弱であったから。
両親も手代たちも、遠方まで噂になるほどの過保護ぶり。一太郎は、甘やかされすぎることに憤るものの、それで性根が曲がることもなく、妖(あやかし)たちに囲まれた日々を送っている。
一太郎は、ある日、当たりについて考えた。自分にとっての大当たりとは何だろうか。考えるほどに、分からないものであることに気がつく。
「おおあたり」
江戸に夏がやってきた。若だんなは暑さに当たり、さっそく寝こんでしまう。
菓子屋で修行中の栄吉から、病気見舞いの菓子が届いた。だが妖たちは、警戒して手をだそうとしない。なにしろ栄吉の菓子は、寝こんでしまうような餡子なのだ。
ところが袋を開けてみると、入っていたのは辛めのあられ。しかも、なかなかの味だった。若だんなの後押しもあって、栄吉の辛あられは江戸で大評判になる。
そんなとき、栄吉の許嫁であるお千夜に求婚者があらわれた。栄吉は選択を迫られてしまう。修行を終えて、一人前の菓子職人としてお千夜を嫁にするのか。それとも、まだまだ待たせるのか。
「長崎屋の怪談」
毎日暑くて、なかなか寝付けない日が続いていた。そこで噺家の場久が、ひんやりする怪談を披露してくれるという。
実は、場久の正体は悪夢を食べる貘。人が夢でうなされるほどの恐い思いを食べ、寄席で噺家として、それを吐き出している。
その夜、場久が語ったのは、一助という若者の噺だった。一助は幼なじみの娘に好意を寄せられるが、束縛を嫌い、江戸から逃げ出してしまう。旅に出て3日。一助は、追われる夢を見るようになってしまう。
場久の寄席は大成功。ところが、それから10日後。場久は一助のように何者かに後をつけられ、痩せ細ってしまう。しかも、日限の親分も何者かに追われているらしいが……。
「はてはて」
貧乏神の金次が、若だんなに頼まれてお菓子を買ってきた。ところが店の前で不注意な男にぶつかられ、ばらまいてしまう。男がおわびとして差しだしたのは、富突の富札だった。
富札は高いものなので、割り札と言って、一枚の本札を幾つかに割って売られる事もある。金次が受け取ったのは、本札の半分の割り札。
その富札が大当たり。噂が広まり、すぐに富突の世話人がやってきた。世話人によると、割り札は二枚であるはずが、三枚もあるという。
若だんなも金次も金に欲がなく、辞退を申し出るが……。
「あいしょう」
大妖である皮衣は、荼枳尼天様にお仕えする事となり、神の庭へ移り住んだ。江戸には孫の一太郎がおり、今五つになる。それはひ弱で、皮衣は孫のことが心配でならない。
そこで皮衣は、仁吉と佐助に一太郎のことを頼んだ。
仁吉は、佐助という名の犬神が相方となる事に納得がいかない。
一方、佐助も穏やかではない。仁吉は神獣と言われる白沢であり、自分のことを犬神程度と思っている気がしてならないのだ。
ふたりは子供姿になり、奉公人として長崎屋に入った。間もなく、若だんなが行方不明になる事件が起こってしまう。ふたりは、なんとか協力しようとするが……。
「暁を覚えず」
猫又薄墨が、猫又の妙薬〈暁散〉をもってきた。飲むと、丸一日寝る事になるが、次の一日は元気に過ごせるという。
翌日には、両国の大親分、大貞のための仕事が控えていた。若だんなはこれまで、父の藤兵衛と共に接待するはずが急に寝こんでしまうことが多く、そんな自分を情けなく思っていた。今度ばかりは成功させたいと意気込み、薬を飲んで眠りにつく。
妖たちは若だんなが眠っている間に、供として誰がついていくか決めようとするが……。
「おおあたり」を共通のキーワードにした作品集。とはいうものの、まとめはないです。若だんなの出した結論は分からずじまい。
内容は、安定したいつものパターン。その分、安心して読めました。
2019年06月15日
マット・ヘイグ(大谷真弓/訳)
『トム・ハザードの止まらない時間』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
トム・ハザードは遅老症(アナジェリア)だった。外見は40歳くらいに見えるが、437歳になる。エリザベス朝の時代に生まれた。
症状が現われたのは、思春期頃。すでに父は亡く、母は魔女の疑いをかけられて殺された。ひとりになったトムはローズと出会い、マリオンが生まれた。
一家はロンドンで暮らしていたが、まったく歳をとらないトムに疑惑が生じ、別れざるを得なくなる。トムがローズと再会したとき、彼女は死の床にあった。マリオンは家出をしており、どうやらアナジェリアであるらしい。
あるときトムは、自分と同じ症状の人びとがいることを知った。最年長のヘンドリックが〈アルバトロス・ソサエティ〉を設立し、アナジェリアたちを守っているという。トムはヘンドリックにマリオン探索を依頼するが、なかなか見つからない。
組織はトムを守ってくれるが、同時に責務も課される。
秘密に気づいたり、秘密を信じたりした者は、組織によって、もともと短い人生がさらに短くなることになる。そして、アナジェリアたちに危険がもたらされるのは、一般の人たちからだけではない。仲間からもたらされる場合もあるのだ。
トムは、ヘンドリックの命じるままに生きることに疲れてしまう。
トムはロンドンに戻って、オークフィールド学園で歴史教師になった。相手にするのは、14歳の生徒達。
トムは、ふとしたことでも過去を思いだし、頭痛に悩まされる。人とのかかわり合いを避けようとするが、同僚のフランス語教師カミーユ・ゲランに心引かれてしまう。
カミーユは、トムとどこかで会ったことがあるらしい。カミーユと距離を置こうとするトムだったが……。
トムの一人称。
現代を軸にして、現在の出来事に付随した過去の出来事がそのときどきに語られます。現代で歩いた通りでの出来事とか。
時間は行きつ戻りつ。あちこちに飛びますが、分かりづらくはなかったです。全容をつかんだところで再読すると、また違った読み方ができそう。
トムは、現在と過去を同時に視ています。そのためか、当時は意識してなかったであろう人物との出会いが、意味ありげに語られてしまうのが残念。
そのような細かいところで、ひっかかりを覚えてしまいました。
2019年06月16日
廣嶋玲子
『妖怪の子預かります』創元推理文庫(Kindle版)
徳川家による政が続いて、まもなく200年になろうかという頃。
太鼓長屋と呼ばれるおんぼろ長屋に、ひとりの按摩が子連れで越してきた。按摩の千弥は20そこそこ。弥助は7歳くらい。千弥は目が見えず、弥助は人前ではまったくといっていいほど口をきかない。
弥助は、山の中で一人で泣いていたところを千弥に拾われた。その時の記憶も、その前の記憶もない。気がつけば「千にい」と呼んで、一緒に暮らしていた。
年月は流れ、弥助も12歳になった。奉公にも出ず、身のまわりの世話をするという名目でべったりと千弥にはりついている。まだ千弥が相手じゃないと声を出すことができない。
ある日千弥が、佐和のご隠居の屋敷に呼ばれた。
豪商だったご隠居は、息子に店をゆずり、少々辺鄙なところに屋敷をかまえて、趣味の盆栽に精を出している。腰が悪く、千弥を贔屓にしていた。按摩が終わった頃には、とっぷり日が暮れ、ふたりは泊まらせてもらうことになった。
その夜、弥助は悪夢を見た。
千弥に起こされた弥助は、気分をすっきりさせようと、庭に出た。庭は広く、その先にはこんもりとした小さな森がある。森に入った弥助は、白い石にぎょっとしてしまう。悪夢で見た白い腕かと思ったのだ。
弥助は石を両手でつかむと、地面に叩きつけて2つに割った。
翌日、ふたりは長屋に戻るが、弥助が妖怪に連れ去られてしまう。大罪を犯したというのだ。
弥助が割った白い石は、うぶめ石だった。
うぶめは、子を思う母の思いから生まれた妖怪。全ての子を我が子のように守り、いとおしむ。ゆえに、子預かり屋を営んでいた。
うぶめ石がうぶめの住まい。その石が傷つけられ、心痛めたうぶめはいずこかにか飛び去ってしまった。
困ったのは、子持ちの妖怪たち。弥助は、妖怪奉行所を司る月夜公(つくよみのぎみ)から、子預かり屋となることを命じられてしまう。
まもなくして長屋には、妖怪たちが子どもを預けにくるようになるが……。
江戸妖怪もの。独自の妖怪もいるようです。
子預かり屋になってから、連作短編のように展開していきます。まるで妖怪同士で示しあわせているのように、ひと組ずつ。弥助は妖怪が相手だとふつうに会話できるので、そちら方面での支障はありません。
途中、連作短編調から抜けでて、弥助の失われた過去など、伏線回収がはじまります。当初からシリーズ化を予定していたようですが、本書だけでも完結してます。
雰囲気は、人情もの。いかんせん、妖怪の子のひとつひとつのエピソードが短くて、雰囲気だけ。そういうところが、ちょっと物足りない。
キャラクター重視の読者なら楽しめると思います。
2019年06月18日
アントニイ・バークリー(高橋泰邦/訳)
『毒入りチョコレート事件』創元推理文庫
小説家のロジャー・シェリンガムは、〈犯罪研究会〉を主催していた。入会するには、厳しいテストに合格しなければならない。今のところ、メンバーは6名いる。
刑事弁護士のチャールズ・ワイルドマン卿。
女流劇作家のフィールダー・フレミング。
推理作家のモートン・ハロゲイト・ブラッドレー。
小説家のアリシア・ダマーズ。
そして、まったくの無名で、知名の士のグループに入会できたことを彼自身が驚いている、アンブローズ・チタウィック。
ロジャーはある夜の集まりで、みんなをびっくりさせる趣向を用意していた。有名な未解決事件を推理しようというのだ。あの、毒入りチョコレート事件を。
11月15日金曜日の朝。
グレアム・ベンディックスは、ピカデリー大通りにある〈レインボー・クラブ〉に立ち寄った。すぐ後から来たのは、ユーステス・ペンファーザー卿。ユーステス卿には小包が届いていた。
小包はチョコレート製造会社であるメイスン父子商会から。チョコレート・ボンボンの新製品の売り込みだったが、ユーステス卿は手紙の文面に激怒してしまう。
そのときグレアムには、妻のジョウンにチョコレートを渡さねばならない理由があった。そこでユーステス卿から小包を譲り受け、持ち帰った。
グレアムとジョウンはチョコを食べたが、グレアムは甘党ではない。チョコの味も気に入らず、食べたのは2つだけ。ジョウンは、グレアムが商談のために出かけるときもまだ食べていた。
やがてグレアムは具合が悪くなり、意識を失ってしまう。周囲は大騒ぎ。そのころ自宅では、ジョウンが亡くなっていた。
チョコに毒物がしこまれていたのだ。
犯人は、ユーステス卿を狙ったと思われる。捜査は難航し、もはや打ち切り状態。警察では、未知の偏執狂、または狂人の犯行だと見解を出している。
ロジャーは〈犯罪研究会〉の会合に、スコットランド・ヤードの首席警部モレスビーを招待していた。
警部の話を聞いたメンバーは、一週間の猶予をおいたのち、立論と、仮説の証明と解釈を各々が披露することになった。演繹法を好む人は、警察の捜査にもとづいて推理すればいい。帰納法をとる場合は、大いに聞き込み調査が必要になる。
1週間後、最初の発表者であるワイルドマン卿は、犯人が特定できたと言い切るが……。
《ロジャー・シェリンガム》シリーズ
ミステリ。
とはいうものの、証拠のすべてが読者に呈示されるわけではなく、次々と新事実が明らかになっていきます。基本的に〈犯罪研究会〉が定点で、読者は、メンバーの発表を聞くだけの立場。
事件を解決しようとする探偵たちの言動を云々するミステリなのです。
発表は、1929年。「多重解決」と呼ばれる手法がはじめて登場したのが本書。今では古典となっているようです。
ふだんミステリを読んで、演繹法だの帰納法だの、考えてなかったので、古い時代の作品ですけれど新鮮な気分で読みました。
2019年06月23日
キャリー・パテル(細美遙子/訳)
『墓標都市』創元SF文庫
世界は〈大惨事〉で滅んだ。
それから何百年もたっているが、人々はまだ地下で暮らしている。地上には、出入り口用のポーチが墓標のように建ち並ぶ。それらが使われることはほとんどない。
リコレッタの上流階級の一員であるワーナー・トーマス・カーヒルが、自宅の書斎で殺された。貧窮層が住んでいる工場地区以外で暴力犯罪が起きるのは珍しい。
カーヒルは、保存理事会で働く歴史学者だった。書斎には抗った形跡があったが、ほかには何も乱されたところはない。
歴史を記録した本はほとんど〈大惨事〉の直後の時期に失われるか破棄されるかしている。それ以前の歴史を本格的に研究することは評議会が禁じていた。公文書がや報告記事などはすべて保存理事会の保管室に入れられ、個人が所有することなどあり得ない。
ところが、カーヒルの書棚には禁断の歴史の本が並んでいた。職務上の許可があったのか否か。机のなかはからっぽだった。
リーズル・マローンは、リコレッタ市警察の捜査官。新人のレイフ・サンダー捜査官を相棒にして捜査に当たるが、請負契約書がとれない。
通常、市警察は評議会からの請負契約を受けて犯罪の捜査をする。ところが評議会は、今回の事件については直属のシティ・ガードを起用したのだ。マローンたちは、表立って動くことができなくなってしまう。
一方、洗濯屋を営むジェーン・リンは、ボタンに頭を悩ましていた。富裕層の顧客からフロックコートを預かり洗濯したが、ボタンがひとつなくなっていたのだ。
高価な黒真珠のボタンひとつ。いつなくなったのか、定かでない。預かったときに確認を漏らすというミスをしてしまったのだ。泥棒だという噂がたてば、もう洗濯屋はできない。
コートの持ち主は、ラニング・フィッツヒュー。建築局長だ。ジェーンが意を決して屋敷を訪れると、フィッツヒューは殺されていた。ジェーンも何者かに襲われてしまう。
病院で目覚めたジェーンは、市警察のマローンとサンダーに聴取される。マローンに頼まれ極秘捜査に協力することになるが……。
三部作でした。
残り2冊は未翻訳。今作では、ヴィクトリア朝っぽいリコレッタが舞台。
主人公は、マローンとジェーンのふたり。マローンにサンダーという相棒がいるように、ジェーンには親友のフレドリック・アンダースがいます。アンダースは新聞記者。
映像化されれば、リコレッタの地上と地下の対比があざやかで興奮しそう。ただ、文章だと、いまいち伝わってこないのが残念。読者は地下都市を見たことない、ということを忘れているような印象でした。
徐々にいろいろなことが明らかになっていきますが、〈大惨事〉になにがあったかは不明。読了後に読み返しても、なんだか合点がいかない場面が多々あります。
三部作ゆえの構造的な問題なのか、力量の問題なのか。
2019年06月28日
エレン・クレイジス(橋本 恵/訳)
『その魔球に、まだ名はない』あすなろ書房
ケイティ・ゴードンは野球が大好き。
野球は男子の遊びと決まっているが、おもしろそうだと思い、混ぜてもらった。はじめはとまどっていた男子たちも慣れてきて、レフトに立たせたり、キャッチボールをさせたり、たまには打たせてくれる。
上の姉のスーズが、裏庭を野球の練習場に作り替えてくれた。下の姉のデューイからは、回転しているボールの動き方や、その動きを変える方法を教わった。ケイティはたちまち取得して、裏庭でひとり練習に明け暮れる。
そんなケイティに気がついたのは、近所の同級生ピーウィー・イシカワだった。ピーウィーはキャッチャーだ。ケイティはピーウィーを相棒に、一緒に草野球を楽しんだ。
ある日ケイティは、ピッチングを見たリトルリーグのコーチから選抜試験にさそわれる。ピーウィーも受けていいという。
リトルリーグは10歳から12歳までの男子リーグ。ケイティは女子であることを黙ったまま見事合格。ところが密告があり、ケイティは、ルールブックに違反している、と告げられてしまう。
ルールブックには、女子は対象外とする、と書かれてあった。
ケイティは抗議するが、コーチが相手ではどうしようもない。
ちょうどケイティは、学校の授業で公民権のことを学んだところ。ママや、ママの知り合いの弁護士にアドバイスをもらい、リトルリーグ本部に、理論整然とした手紙を書いた。
試用期間をあたえてほしい、と。
いい返事を期待していたケイティだったが、受け取ったのは断りの手紙。当初からずっと男子専用のスポーツだというのがその理由だった。
リトルリーグはまちがっている。それを証明するためケイティは、いたかもしれない女子野球選手について調べはじめるが……。
児童書です。
時代は、1950年代後半。
アーカンソー州のリトルロックでは、黒人学生が高校に入らないよう州知事が州兵を送りこんだり、逆に大統領が、黒人学生が高校に通えるよう、陸軍を派遣したりした時代。ケイティに差別意識はありませんが、クラスにいる白人や黒人の人数をカウントしたりしてます。
ケイティはリトルリーグからははねつけられますが、その後の展開は、けっこう都合良く感じることも。そういうところは児童書だな、と思いますが、いろんな情報がさりげなく織込まれていて、読み応えあります。
なにしろママ(大学教授)がいい。ケイティの話を聞いて、情報を与え、自分で考えさせて、きちんと味方でいてくれる。新しく赴任してきたミスター・ハーシュバーガーの存在も大。ケイティは「先生だったら…」と考えるほどに影響されてます。
それから、ピーウィー。ピーウィーも試験に合格していて、ケイティに同調を求められるのですが、リトルリーグを選びます。というのも、ピーウィーには、日系人初のメジャーリーガーになるという夢があるんです。ピーウィーにとってこの夢がいかに重大なものか、推測がつくようなエピソードがあります。
あらゆる場面を泣きながら読んでました。
傑作。児童書はあなどれない。でも、タイトルの語呂があんまりよくないのは気になってしまう。
2019年06月30日
イタロ・カルヴィーノ(脇 功/訳)
『冬の夜ひとりの旅人が』白水Uブックス
イタロ・カルヴィーノの新しい本『冬の夜ひとりの旅人が』が発売された。本屋で買って、仕事中じっと我慢して、家に帰るまでは本を開けるのを待つほうがいい。
そうして読み始めた『冬の夜ひとりの旅人が』だったが、30ページほど読み進み、成り行きに夢中になってきたところでおかしな点に気がついた。読んだことがあるような文章が続いていたのだ。なんと、32ページから16ページに戻っていた。
製本するときにミスが生じたのだ。
翌日、本屋にかけつけると、出版社からの知らせが来ていた。カルヴィーノの新刊と、ポーランド人作家タツィオ・バザクバルの新刊『マルボルクの村の外へ』のページが混合をきたしたのだという。カルヴィーノと思って読んでいたのに、バザクバルの本だったのだ。
もはやカルヴィーノはどうでもよく、あの話の続きが読みたくて仕方ない。手に取るべきは、バザクバルだ。そこで『マルボルクの村の外へ』を買って帰るが、読んでみるとまったく違う話だった。しかも、やはり途中までしかない。
本屋で知り合ったルドミッラと意見を交換しようと、彼女に電話をかけるが……。
びっくりする仕掛けの「読書」についての物語。
珍しいことに「あなた」と語りかけられる二人称。
主人公は〈男性読者〉であるあなた。『冬の夜ひとりの旅人が』を購入し、翌日本屋にかけつけると、同じようにして〈女性読者〉がいました。それがルドミッラ。ふたりは意気投合、というより、あなたがナンパして電話番号を聞き出します。
あなたはルドミッラに対して優位に立ちたくて、あれこれ画策します。
その後、あなたが読んだ『マルボルクの村の外へ』の内容からチンメリアという国が浮上し、バザクバルだと思っていた小説は、実は、チンメリアの詩人ウッコ・アフティが残した唯一の小説『切り立つ崖から身を乗り出して』ではないか、という疑惑がでてきます。ところが、『切り立つ崖から身を乗り出して』を読んでみるとまったく違う話で、やっぱり途中までしかない……というのが延々と続いていきます。
都合、10作品の物語の冒頭部分のみが登場します。その間あなたは、振り回されつづけます。
カルヴィーノにはいつも驚かされます。
2019年07月02日
ナオミ・オルダーマン(安原和見/訳)
『パワー』河出書房新社
ニール・アダム・アーモンは、考古学者にして男流作家。
読者に興味を持ってもらおうと、最も史実に近いと思われる物語を書いた。男性の支配する世界の物語だ。それは、5000年前に起こったと思われる。
ロクシーの父は、大物マフィアのバーニイ・モンク。
ロクシーは愛人の子で、ただひとりの娘。母娘で暮らしていたが、ある日、暴漢に襲われてしまう。
反撃しようとしたロクシーは、ぴりぴりする感覚が背筋に、肩に、鎖骨に広がっていくのを感じた。身体の内側に光が満ちてくる。ロクシーは手に雷霆をのせ、意のままに繰り出した。
うまくいったのは一度だけ。強打され気を失い、気がついたとき、母は殺されていた。
そのときロクシーは14歳。最年少で、最初期のひとりだった。
トゥンデは21歳のナイジェリア人。スーパーで、しつこい男を必死に退けようとする少女を目撃し、スマートフォンで撮影した。映像には、少女が雷霆を走らせた瞬間が記録されていた。
動画をネットにアップしたときから〈恐るべき少女たち〉騒ぎが始まった。トゥンデはCNNから接触を受け、動画が売れることを知る。
トゥンデはジャーナリストを自負して、サウジアラピアに飛んだ。最初の大きな暴動は、首都リヤドに着いたその夜。引金になったのは、12歳ぐらいの少女ふたりの死。街は女たちであふれた。みんながいっせいに、自分の強さを自覚したのだ。
一方、アメリカ。
孤児のアリーは、家から家、人から人へたらいまわしにされてきて、現在はモンゴメリー=テイラー夫妻にひきとられている。養父からは性的虐待を受けていた。そのことは養母も知っている。
アリーには〈声〉が聞こえていた。
アリーは雷霆で養父を殺し、家を出た。北に向かい、行き着いたのは慈悲の姉妹修道院。修道院には、悲惨な状況にある少女たちが次々とやってきていた。
修道院でアリーは、イヴと名乗った。
アリーは奇跡を起こし、少女たちの心をつかんでいく。マザー・イヴと呼ばれるようになり、名声は世界に広がっていった。
〈声〉の言う〈その時〉が、刻一刻と近づいてくるが……。
女性優位社会に生きる男流作家が書いた歴史小説、という体裁の物語。群像劇になっていて、ロクシー、トゥンデ、アリーの他にもいろんな人たちの視点で語られていきます。
アメリカの政治家マーゴットは、登場時には市長で、男性知事に押さえつけられた状態。パワーに目覚めて自信をつけていき、どんどん出世していきます。
ジョスリンはマーゴットの娘。雷霆を出すメカニズムは〈スケイン〉と名づけられるのですが、このスケインに障害を抱えていて、うまく操れず悩んでいます。
タチアナは、モルドヴァの大統領夫人。大統領が急死し、臨時大統領となります。その後、軍のクーデターが発生したためにモルドヴァ国境の丘陵地帯にある城に移り、新しい王国ベッサパラの樹立を宣言します。
登場人物たちは、ベッサパラに集結していきます。
徐々に男たちが抑圧されていきますが、現実世界で女たちが受けてきた抑圧が裏返っただけ、というのが本書の特徴。男たちがどれだけ酷いことをしているか、ということを見せる意味では成功していると思います。
ただ、力を持ったから女がオス化する、というのもどうなのかな、と。女たちは、これまでの歴史に学んでこなかったのか。そのあたりが置き去りにされているのが残念。
2019年07月06日
ナターシャ・プーリー(中西和美/訳)
『フィリグリー街の時計師』ハーパーBOOKS
サニエル・スティープルトンは、内務省の電信オペレーター。
この仕事に就いて4年が経つ。一度モールス信号を覚えてしまえば文字を書くぐらい簡単で、変化がない。しかも昇格できるほど教育も受けていない。
元々は、ピアニストだった。
絶対音感を持ち、音を色として識別している。どういうわけだか、D#は黄色だ。ピアノを弾いていたころは、間違えると音が茶色になったので便利だった。姉が未亡人になり、ピアノはやめた。息子がふたりいる姉を援助するためだ。
ある日、警視庁(スコットランドヤード)に〈グラン・ナ・ゲール〉の犯行予告が届いた。〈グラン・ナ・ゲール〉は、アイルランド独立を支援するアメリカの秘密結社。1884年5月30日、あらゆる公共建築を爆破するという。
6ヶ月後だ。
そのころサニエルは、独身男性専用の下宿に暮らしていた。犯行予告が届いた夜、帰宅すると、部屋のドアが半開きになっていた。なくなっているものはない。それどころか汚れた食器はきれいに洗われ、リボンを結んだ箱が置かれてあった。
贈物は、懐中時計だった。留め具を押しても蓋は開かない。姉からの誕生日プレゼントかと考えたが、姉は知らないと言う。
2月になり、ヴィクトリア駅で爆発事件が発生した。爆弾は、荷物一時預かり所に隠されていた。精巧なぜんまい仕掛けが利用されたらしい。
5月30日。
あの懐中時計の蓋が開いた。蓋の裏に挟まれたウォッチペーパーには製作者の商標が記されていた。店はフィリグリー街にあるらしい。
サニエルは興味を抱くが、なにしろ爆破予告の当日だ。最大の関心事は〈グラン・ナ・ゲール〉にある。内務省も狙われているかもしれないのだ。
なにごともないままに時間は過ぎていった。夜になって内務省から解放されたサニエルは、パブに立ち寄った。そして、カウンターで、あの懐中時計がカチカチ鳴っていることに気づいた。
時計は耳をつんざくサイレンの音を発し、サニエルを慌てさせる。音をとめるボタンはみつからなかった。サニエルは店を出て、路地へ駆けこんだ。
そのとき。すさまじい爆発音で地面が跳ねた。すぐ近くのスコットランドヤードから熱波が押し寄せる。パブにいたら、命はなかったかもしれない。
懐中時計に救われたのだ。だが、このままでは警察に、爆弾が爆発する時間を知っていたと思われてしまう。
茫然自失のままサニエルは、フィリグリー街に向かうが……。
改変歴史もの。
イギリスが舞台ですが、明治の日本も登場。
サニエルを中心に物語は展開していきます。それにかかわるのが、フィリグリー街の時計師こと、ケイタ・モウリ。日本の男爵です。
スコットランドヤードはモウリが爆弾製造者だと考えてます。サニエルは警部に頼まれて(脅されて)モウリを見張ることになります。
サニエルの音が色として見える能力が、とても面白いです。忘れたころに出てくる程度なので、ちょっともったいない感じ。実は、モウリも別の種類の能力を持ってます。物語的には、そちらがメイン。
それから、貴族のご令嬢グレイス・キャロウが視点のひとりになってます。グレイスは、オックスフォード大学を卒業間近。物理学を学んでいて、女性は付き添いがなくては図書館に入ることもできないことに憤慨しています。でも、女性参政権運動には無関心。
日本的なものがたくさん出てきて、とてもおもしろく読んでいたのですが、それは途中まで。なにかを読み飛ばしてしまったのか、読み手の力不足で読み取れなかったのか。登場人物たちの思考が、まるで分からない状態。
釈然としないままに終わってしまいました。
なお、作者は、大和日英基金の奨学金を獲得して、日本に留学していたそうです。本作は在日中の執筆。
藩主の親族レベルの武家の名前が「ケイタ」というのに違和感があったのですが、漢字の毛利慶泰を見て考えました。作者の指定か訳者の当て字か不明ですが、本当はヨシヤスではないか、と。ヨシヤスだと英国人には発音しづらいのでケイタと名乗っているのかな、と。
そういうこまかいことに思いを馳せられる世界でした。でもやっぱり釈然としない。
ジェディは、時間も資産もすべてを〈タイムマシン〉に注ぎ込んだ。すべては、ピラミッドが作られている現場を見るため。
ジェディを紀元前に送り届けた〈タイムマシン〉は、虚数の時空を航行しており、4日半のちに戻ってくる。その時、到着地点から2キロメートル以内にいるだけでいい。〈タイムマシン〉はジェディを回収して、4500年もの〈未来〉に帰してくれる。
ジェディの目の前には、巨大なピラミッドがあった。3つとも、完全に磨き上げられた姿で立ち並んでいる。感嘆したジェディだったが困惑してもいた。建設されているところを見て秘密の一端を知る目論みだったのだ。
そんな彼の前に、ひとりの青年が現われた。センムトとヘカトの息子、メトフェル。ピラミッド作りの最高責任者だった。
メトフェルは恐れていた。太陽を司るラー神が、地上を見捨て、人間を見捨て、もはや二度とこの地を照らすことがないのではないか、と。
明け方にメトフェルは、ピラミッド群(メルウ)の向こうへ落ちる光を目撃していた。ちょうどラー神の魂である青鷺(ベヌウ)が啼いていた。
ジェディはメトフェルからもてなされ、あちこち見て回った。
ピラミッドは砂から掘りだされ、最後の仕上げを施しているところ。工事が始まったのは〈最初の時(セプ・テピ)〉からだという。それがいつのことなのか、具体的には分からない。
時代は、クフ王の治世28年目。
メトフェルは〈ホルスに従う者たち〉のひとり。古の建設者たちの末裔。クフ王が、ピラミッド建設を己の功績にしようとしていることに憤っている。
ジェディの存在はクフ王の知るところとなり、王宮に連れていかれてしまうが……。
古代エジプトもの。
わずか4日半の出来事が語られます。
ジェディは本名ではなく、冒頭では名無しになってます。メトフェルに名乗るとき、所有物に頭文字JDのヒエログリフを入れていたため、ジェディとしました。
ジェディはこの時代のことを研究してきており、読者にいろいろ解説してくれます。それがかえって、集めた情報を詰め込んだ印象になっていて、残念。
物語の中に情報を入れていくことの難しさ、なんでしょうね。