中国、春秋戦国時代。
中国統一を目前にした秦王に、3人の暗殺者を倒した才で一人の地方役人が謁見を許された。彼は、名もない孤児の無名(ウーミン)。無名(ウーミン)はその功績を讃えられ、秦王にあと10歩の距離まで近づくことを許される。そして、達人たちを倒したいきさつを物語るが……。
終盤、秦王は剣の道の奥義について悟ります。まさにそのとき、ワタクシの脳裏には中島敦の「名人伝」が去来し、無性に読みたくなってしまいました。こうなると、気もそぞろ。映画に身が入りません。
剣の奥義も、弓の奥義も同じもの!
中国、春秋戦国時代。
紀昌には、天下第一の弓の名人になる志があった。紀昌は、趙の都に名手・飛衛をたずねる。飛衛に命じられるがままに目を鍛える紀昌。ついに、射術の奥義秘伝を授けられるにいたった。
しかし、どれだけ腕をあげようと、飛衛がいる限り天下第一の弓の名人にはなれない。己の師匠に殺意すら抱く紀昌だったが……。
中島敦の「名人伝」は、中国の古典『列子』が原典。『列子』は読んだことあったかな。忘れてしまいました。
オチと言えばオチなんですが容易に想像がつくので書いてしまうと、映画で秦王が悟るのも、物語で紀昌が至るのも、つまるところ老荘思想。別の思想を持つ人は
「それは違う!」
と叫ぶでしょうし、老荘思想を知らない人は
「なんでそうなるの?」
と狐につままれた心地になることでしょうね。
こういうとき、乱読のありがたみを感じます。乱読してなかったら、老荘思想をかじることもなかったでしょうから。当時は、深い考えがあったわけでもなく、ただ気のむくままに、それこそ手当り次第に読んでいただけだったのですが。
ところで、中島敦の「名人伝」ですが、川本喜八郎によって人形アニメ化されてます。「Kihachiro Kawamoto Film Works」(DVD/パイオニアLDC)に収録されている「不射の射」がそれ。
原作読んで、これまた無性に観たくなって、久しぶりに視聴しました。中国との合作だそうで、お辞儀一つとっても本場仕込み。川本喜八郎作品には、結末に映像の力を感じさせます。「不射の射」も例外にあらず。たった25分の作品のラストとは思えない、奥深さ。
川本喜八郎といえば、NHK人形劇の「三国志」や「平家物語」の人形美術で記憶している方が多いようです。名前は知られている割にその監督作品は知られてなくって、残念に思います。
目下、新作「死者の書」を製作中。ぜひ公式サイト(http://www.sakuraeiga.com/kihachiro/index2.htm)をご覧ください。