チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』
新共和国の植民星ロヒャルツ・ワールドに、フェスティヴァルが到来した。彼らは携帯電話をばらまき、情報と引き換えに3つの願いを叶え始める。社会は大混乱に陥り、新共和国は艦隊を派遣することを決めるが……。
これを読んだとき、タイトルのシンギュラリティがなんなのか、まったく分かりませんでした。途中で、なんとなくこういうことかな、というのがぼんやりと浮かんだ程度。曖昧で、はっきりとした説明のつかない言葉。正直、著者の造語かと思ってました。ほぼ正確に分かったのは、読了後、解説を読んでから。
科学技術の幾何級数的進歩によって現在からは理解も予測もできない段階へと世界が到達する時点。
これが、SFのシンギュラリティ。
あんなにわけの分からなかったシンギュラリティですけど、読了直後、一目で理解できるものに出会ってしまいました。ある本の内容紹介文に、〈特異点〉にシンギュラリティのルビがふってあって……。
ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』
ルシンダ率いる探査チームは、新たに発見されたワームホールを通り、惑星エウリュディケにやってきた。調査をはじめた矢先、一行は現地人の襲撃を受け、ゲートが閉じてしまう。取り残されたのはルシンダただひとり。ルシンダは、エウリュディケの反体制派に取引を持ちかけるが……。
なるほど、そういうことか〜。先にこっちを読んでおけば良かったなぁ。後悔先に立たず。こっちはこっちで「?」な作品でしたけど。
続けざまにシンギュラリティものが刊行されましたけれど、最近はシンギュラリティがはやっているのでしょうか? でも、以前から、こういう転換点はありましたね。外圧的なものであれ、内部爆発的なものであれ。
アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』
人類の有人ロケットが完成しかけたまさにその時期、エイリアンが地球にやってきた。その圧倒的な科学力に、人類は深い無力感にとらわれてしまう。エイリアンは宇宙船で威嚇する一方、友好的な態度を崩さなかった。地球を、平和で統一された惑星へと導こうというのだが……。
このショッキングな出来事も、シンギュラリティと呼べるのでは? ということは、“80年代の『幼年期の終り』”と囁かれたあの作品も。
グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』
ウラムは、会社に無断で遺伝子研究を行った。自分の細胞から、知能を持つ細胞を作り出したのだ。クビになったウラムは、自身に注射して発明の持ち出しを計る。ところが、体内からとりだすことができないまま、特殊な細胞が根付いてしまった。ウラムの身体は、思いがけず健康になっていくが……。
最初にご紹介した2作品との決定的な違いは、シンギュラリティそのものか、シンギュラリティ後の世界か、ということ。そのうち、シンギュラリティ後の世界のさらにその後の物語が語られるようになるのでしょうか。
たとえば、こんな感じに
数十億年後の未来、科学は遺物となっていた。太陽は輝きを失い、地表を赤く鈍く照りつける。この滅びゆく地球で活躍しているのは、機械ではなく、魔法使いだった。
これは、ジャック・ヴァンスの《暮れゆく地球の物語》シリーズ。作中語られるファンタジックな伝承は、科学文明全盛期の出来事を歪めたものなのか?
古い作品の中にも、新しいものはあるのですね。たとえ、シンギュラリティなんて言葉は使われなくっても。