でも、今日はその話ではなく、残された人の話。
ちなみに、宮崎駿の初監督作品「未来少年コナン」の原作が、アレグザンダー・ケイ『残された人びと』。この物語の“残された”人たちではなく、まとめられて、ばらまかれて、そのまま放置されてしまった人々の話。
まとめられて、ばらまかれて、そのまま放置されたのは、『80年代SF傑作選』の下巻の巻頭を飾る、マイクル・ビショップ「胎動」の人々。
ロウソンが目覚めると、自宅のベッドではなく川べりの胸壁に寝ていた。しかもリンチバーグではない。着ている服もおかしい。あたりには人があふれ、皆、言葉も通じず恐慌にかられていた。
解説によると「胎動」は、フィリップ・フォセ・ファーマー《リバーワールド》シリーズの出だしと似たところがあるんだそうな。ところがファーマーは全然読んでこなかったので、連想したのは、こちらの作品。
チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』
新共和国の植民星ロヒャルツ・ワールドに、フェスティヴァルが到来した。彼らは携帯電話をばらまき、情報と引き換えに3つの願いを叶え始める。社会は大混乱に陥り、新共和国は艦隊を派遣することを決めるが……。
この物語の背景になっているのは、最初のシンギュラリティ(特異点)。
人類は、高次知性体エシャトンによって、さまざまな星系、まちまちな時代に強制移住させられてしまいます。予告も説明もなく……。
消え失せた人間は、地球全体の実に九割。彼らは民族や心理的類縁性によって分けられていたため、それぞれの星系で特化した社会をつくっていきます。
物語では背景説明だけにとどめて、当時の詳細はほとんど分かりません。もしかして「胎動」みたいな感じだったのかも。
「胎動」では、人種や国籍などいっさいかかわり合いなく、ごった煮状態。家族とも離ればなれ。悲嘆にくれて自殺する者、言葉の通じる相手を見つけようとする者……。
場所が地球上というのは、いいのか、悪いのか。
まとめられて、ばらまかれて、そのまま放置されてしまったロウソンたちの行く末やいかに!?