C・L・アンダースンとはつまり、サラ・ゼッテルのことだった!
と気がついたのは、著作を購入してから2ヶ月ほどたったころ。ふと著者紹介を見てみたら、バッチリ書いてありました。
そうと知っていれば、すぐに読んだのに……。
サラ・ゼッテルと言えば『大いなる復活のとき』。
宇宙船船長エリクは、銀河の一大勢力であるヴィタイ属から緊急の呼び出しを受ける。出向いたエリクを待っていたのは、自らが後にしてきた〈施界〉の女アーラだった。エリクは通訳として呼ばれたのだ。わけが分からないエリクだったが、アーラと共に逃亡することになってしまい……。
ようやく読んだのは、
C・L・アンダースンの『エラスムスの迷宮』。
平和な世界を維持すべく、地球統一政府軍は守護隊を創設した。かつて守護隊の野戦指揮官だったテレーズは、盟友ビアンカが亡くなったことで現役復帰し、彼女の死の謎を解くべく、エラスムス星系へと向かうが……。
エラスムス星系は、創設者一族が絶対的な支配を確立しています。というのも、星系唯一の水のある星を押さえているから。
他の星の住民たちは、過酷な負債奴隷制にも、官僚組織による徹底した管理にも、なんにも言うことができません。ある星では反乱が起こりましたが、水の供給を止められて、けっきょくは自滅して終わりました。
読んでいて、
あれ、この監視社会どこかで……?
と思って記憶を探ってみたのですが、そういえば、ヴィタイ属社会も常に監視されている社会でした。
ヴィタイたちは銀河の半分を支配していますが、自分たちの故郷の星を見失っています。必死に捜しているものの、一枚岩とはいかず。主流派に対立する人々は監視の目をかいくぐり、ひそかな企みを進行させています。
『大いなる復活のとき』は処女長篇だけあって、荒削りなところがありました。が、やはり、
処女作にはその作家のすべてがある
と言われているとおり、あのときのヴィタイ属社会が、後にエラスムス世界に昇華したのかもしれませんね。感慨深いです。
ところで、少し前に読んだ
クラーク&バクスター『過ぎ去りし日々の光』にも、ある意味、監視社会が登場します。
時代の最先端をいくアワワールド社は、ワームホールを自由に操るテクノロジーを開発した。この〈ワームカム〉を使えば、光よりも速くメッセージをやりとりできる。さらに開発が進み、過去を覗くことすら可能になるが……。
過去を覗ける〈ワームカム〉が開発されると、誰もが過去の好きな場面を見られるようになります。公人私人を問わず、常に誰かに見られている社会が誕生したわけです。
そこでクラーク&バクスターが出したひとつの答えが、
風紀がみだれる
ということ。〈ワームカム〉ができてから生まれた世代は、人の目なんて気にしない。誰が見ててもなんでもできちゃう。
個人的には、この憶測は賛同しかねるのですが……。
常に見られているのだから、逆に、誰にも見られていないときのだらしなさが壊滅するような気がしたものでした。
そんなモヤモヤした気分のときに、チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』を読んで、すっきり。
重なりあって存在している2つの都市国家〈ベジェル〉と〈ウル・コーマ〉。あるとき、〈ベジェル〉で女性の刺殺死体が発見される。身元は、〈ウル・コーマ〉にいるはずの学生マハリア。〈ベジェル〉のボルル警部補は、〈ウル・コーマ〉に渡って事件解決に尽力するが……。
複雑ですが、こちらの社会の方が納得できました。
〈ベジェル〉と〈ウル・コーマ〉は地図上で入り組んでいる、とか、そういったことではなく、空間的に重なっています。まるで、隣り合う平行世界のように。ときどき、相手の都市の様子が見えてしまいます。
常に、誰かに見られている可能性があるので、ある意味においては監視社会……となるのでしょうか。
相手の都市を見てしまうのは厳格に禁止されているため、住民たちは、見えたとしても、見えてないように振る舞えるように、幼いころからしつけられてます。
本当は見えてるけれど見えなかったことにする、見られているけれど見られてないように振る舞う……でも、見られてるのは分かってる。
なんて複雑なんでしょう。
こんなこと言えるのは監視社会にいないから、なのでしょうが、監視社会にもいろいろありますわね。