ポール・ギャリコといえば、映画「ポセイドン・アドヴェンチャー」や「スノーグース」の原作者として知られていますが、猫好きとしても有名です。
猫のために猫が書いたマニュアル『猫語の教科書』なんて本も書いてます。(書的独話・2010年02月22日「猫語の教科書」にもこの話題あり)
ギャリコの、猫がらみの代表作といえば『ジェニィ』らしいのですが、個人的には『トマシーナ』の方が気に入ってます。ちなみに……内容は繋がっていないのですが、ジェニィにとって、トマシーナは姪っ子に当たります。
『ジェニィ』
思いがけず猫となってしまった少年ピーターは、人間たちの町をさまよったあげく、負傷してしまう。倒れたピーターを助けたのは、雌猫ジェニィだった。ピーターは、猫であるにも関わらず、毛繕いひとつ満足にできない有様。ジェニィから猫のことを学ぶが……。
『トマシーナ』
獣医の仕事に愛着を持てないマクデューイ氏は、動物に、愛情も、感傷も、関心も抱くことができずにいた。愛娘メアリ・ルーのかわいがっている猫トマシーナが病気になったときも、メアリ・ルーの懇願を退け、簡単に安楽死を決めてしまう。ショックを受けたメアリ・ルーは病気になってしまうが……。
今回、1年何ヶ月ぶりかに『トマシーナ』を読み直しました。前回読んだときも、この書的独話でとりあげたのですが(参照:2010年12月05日「ご先祖さまの記憶」)、そのときには素通りしたところに、なぜか目が釘付け。
それは、最後の一文なのです。ネタバレにならないように詳細は省きますが……ある猫が、宣言します。
この家はあたしの思うとおりに動いている
そのほんのちょっと前に、
なにもかも思いどおりというわけにはいかない
と、嘆いたばかりなのに!
でも、そうなんですよね。
猫なので、一見すると矛盾してても、実は符合しているんです。思いどおりにいかないことも含めて、思うとおりなんですよね。
なにもかも思いどおりだと、猫生がおもしろくないから!
残念ながら〈猫語の教科書〉を読んでも、猫語の習得はできませんでした。なので、猫がなにを考えているのか、正確には分かっていません。ただ単に、そんな気がするだけです。
それでもなお、わが家にいる猫を見ていると、頷かざるをえないのです。人間のふるまいに腹をたてたようすを見せながらも、尻尾をピンと立てて、ごきげんに去っていく後ろ姿。
心の中ではきっと、こう思っている。
この家はあたしの思うとおりに動いている