書的独話

 
2012年のひとりごと
01月01日 展望、2012年
01月03日 灰色の世界
01月15日 2011年、ベスト
02月16日 おバカな買い物
03月31日 善人って・・・
04月13日 監視社会
04月14日 それもこれも猫なのだ
05月20日 『マーリー』
07月15日 封鎖都市
08月06日 挫折のタイミング
08月19日 『図書館ねこデューイ』
10月11日 子供から大人へ
12月31日 総括、2012年
 

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2012年08月06日
挫折のタイミング
 

 いくつか本を読んでいると、ときどき挫折しそうになるものと出会います。

 はじめての挫折だったのが、忘れもしない
 吉川英治『三国志』
 全三巻で、第三巻の半ばあたりまではなんとか。おそらく、まだ読むには若すぎたんでしょうね。吉川英治は悪くない。でも、読めないままに手放してしまいました。

 それから、
 グラハム・ハンコック『神々の指紋』
 1996年のベストセラーですよ。ノンフィクションを装ったフィクションのように記憶していますが、どこまで読んだのやら。当時は図書館で借りるのが習慣だったので、おそらく上巻の、それも早い段階でやめてしまった気がします。
 ハマる人はハマるのでしょうけど。

 近くでは、
 チャイナ・ミエヴィル『都市と都市
 都市国家〈ベジェル〉と〈ウル・コーマ〉は、同じ地域にあり、奇妙に重なりあって存在していた。あるとき〈ベジェル〉の住宅団地で女性が刺殺死体となって発見された。担当となったボルル警部補は、女性が〈ウル・コーマ〉の留学生だとつきとめる。事件の捜査のため、ボルルは〈ウル・コーマ〉へと入国するが……。
 とにかく基本設定が複雑。まだ見たことのない事象を説明することの、なんと難しいことか。
 大混乱に陥りながらもなんとか踏みとどまれたのは、これがSFだったから。混沌を過ぎると興味深さが台頭してくるのです、SFって。耐えた甲斐がありました。

 さて、今回、このようなことを書いているのは、何度となく挫折しそうになった本を読んだから。
 挫折しそうになった本と言うより、休み休みしながらなんとか読み切ったけど、どこかで挫折したかった本、と言うべきか。

 ロベール・メルル『イルカの日
 セヴィラ博士は、産まれてすぐ母イルカを亡くしたイワンを、母親がわりとなって育ててきた。イワンに言葉を教え、イワンはついに英語をしゃべれるようになる。セヴィラは、イワンを利用しようとする組織と対立するが……。

 基礎となるストーリーは、おもしろいんですよ。
 イルカを愛するセヴィラと、彼の研究を手伝う助手たち。助手の誰かは、セヴィラのために働きながらもスパイ活動を行っています。というのもセヴィラの研究が、軍事目的に使うことができる画期的なものだから。
 そこに絡んでくるのが、本筋との関連性が「?」なエピソードの数々。
 序盤にクローズアップされているセヴィラの女性問題は、その後話題にすらなりません。なにやら意味ありげに語られるソ連のイルカ研究の謎は、セヴィラが噂を耳にした時点で終了。強硬なフェミニストの助手は、意味不明な主張でお子さまぶりを発揮しただけで途中退場。 

 なにより、ひたすら長いセンテンスが、読み手の行く手を阻むのです。第一章の二文目だけ、引用させてもらいます。

 ジェームスン夫人は追加注文の美しい英国鞣革の特別備品付きのバックシートのハヴァナ革の背もたれにどっしりとした背中を沈め、小粒だが本物のダイヤで縁取られた眼鏡を直し、ワニ皮のハンドバックを広い腿の上に置き、重い頭を左手に向け、下唇をだらりと垂らして、灰色の目を大きく開き、セヴィラ教授に目を向けると、まるで品物でも見るように、平気な顔で、黙って、じろじろと彼を見つめた、第一印象の確認、暗い目つき、日焼けした顔、真黒の髪、ジプシーみたいな様子だわ、きっとあの可哀そうなジョンみたいに毛深いだろう、ジョンは本物のゴリラだった、背中にまで毛がはえていて、胸毛はふさふさしていた、この男も赤い血をした超男性的なラテン民族の一人で、いつも腰にさかりがついている、
 セヴィラさん、あなたは外国のお生まれですか、とんでもない、わたしは百バーセントアメリカ人です、でも父方の祖父はガリシア生まれでした、ガリシアで? と彼女は眉をあげてくり返した、セヴィラは彼女を見つめ、愛想よく微笑んだ、彼女はタラみたいな顔をしている、タラの意地悪そうな下唇と愚鈍な大きな目を持っている、ガリシアはね、ジェームスンさん、スペインの一地方ですよ、まあロマンチックね、と彼女はハンドバッグの口金をたたきながら言った、彼女はだまされたように感じた、でもとにかく一種のジプシーだわ、彼女はまた首を左へ向けて、セヴィラの観察を再開した、美しい手、暗い目つき、こめかみまで垂れた銀髪まじりの黒髪、あの馬鹿な女たちはきっと彼に夢中になるだろう、いずれにせよわずか一時間のことだ、
 彼女は右の乳房の上にかすかなしこりを感じ、手をシュミーズの下に入れて、たぶん死と呼ばれるくるみほどの大きさのぐりぐりを押してみたい気持ちを我慢した、マーフィは安心させてくれた、だが安心させるのが彼の職業なのだ、何でもありませんよ、ジェームスンさん、絶対に何でもありません、深刻な声、鋭い目つき、忍耐強いだが疲れきった表情、彼は前に身をかがめ、目を閉じた、乳房に沿って汗が流れた、そして彼女はおびえきって、死の声を聞いた、数秒が流れた、彼女はまぶたを上げた、灰色の目が不安げな小動物のようにおどり出て、膝の上のワニ皮のハンドバッグ、ハヴァナ革のシート、ウイリアムの剃られた首筋を備えた、すべてがそこにあった、主よ、ジョン・B・ジェームスンの未亡人のジェームスン夫人が死ぬなんてまちがってます、そんなこと嘘です、ジョンは蒼白になった、彼は血走った目で彼女を見つめ、恐ろしい息を吸いこむ音をたてて、皿の上にがくりと崩れた、死んだのだ、それは当然のことなのだ、主よ、彼は酒を飲みすぎた、煙草もすいすぎた、彼は毛深くて淫奔だった、ジェームスン夫人は小さな花がいっぱいついた青白いドレスに包まれて、山の頂上に座っていた、ライオンたちが彼女のキリスト教徒の足をなめていた、彼女は頭を起して、二重顎を消すために下唇をつき出し、それからハンドバックを開いて、一通の封筒をとり出し、親指と人差指でそれをはさんで、セヴィラの腕の端に黙って差し出した。

 このジェームスン夫人は、私邸で開いている講演にセヴィラを招いたのですね。有閑マダムたちを前にセヴィラはイルカについて話します。読者にイルカのことを知ってもらうために、このエピソードを入れたのでしょう。
 なので、ジェームスン夫人の登場は最初だけ。

 今にして思えば、ここで挫折してればよかったのかも。
 あるいは、これだけ書き込んだジェームスン夫人が、本来は名前すらなくてもいいような登場人物だったと気がついたときに。

 いや、もちろん、物語がすすんでイルカが登場しだすと、俄然おもしろくなるんですよ。そもそも、イルカのために読み始めたわけですし。
 ただ、イルカの登場場面はいいのですが、展開していくと同時にセンテンスが短くなる……なんてことはないのです。すべてが上記の引用のようではないにしろ。
 きちんと「 」でくくられた会話もあります。対談形式のパートなんてのも。逆に、上記の引用が実が短い部類だったと気づかされたり。

 けっきょくのところ、本筋とは無関係と思われるセンテンスは流し読みで乗り切ってしまいました。本当は、そんないいかげんな読み方してないで、別の物語に行くべきだったんでしょうけど。それもこれも、挫折するタイミングを逸してしまったから。
 イルカはよかったけど。
 挫折のタイミングって、いつまでたっても習得できない課題です。

 ちなみに、1センテンスの長さについて調べている人たちがいるそうで、なんでも谷崎潤一郎が、日本文学の中でも破格に長い文章を書くと知られている作家だそうです。


 

 
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