ひとつの物語が別の物語の元となるのは、ままあること。
大きく発展させることもあるし、前フリとして使われることもあります。
たとえば、アーシュラ・K・ル=グィンの
「セムリの首飾り」(収録『風の十二方位』)
フォーマルハウトの原住種族の娘セムリは若殿に嫁ぐものの、かつての栄華を憂いでいた。いつしか、先祖がなくしてしまった家宝の首飾り〈海の眼〉が希望となっていく。セムリは〈海の眼〉を取り戻そうとするが、それは、この星にやってきたものたちの手によって博物館に収められている。
そこは宇宙空間を越えた先だった。
後日、『ロカノンの世界』のプロローグになりました。
ロカノンは、民俗学調査隊を率いてフォーマルハウト第二惑星に降り立った。 そのころフォーマルハウト第二惑星には、反逆者たちの秘密基地が秘密裏に設置されていた。ロカノンがそのことを知ったのは、仲間たちが乗った宇宙船を破壊された後。
ロカノンは母星との通信装置をも失い、完全に孤立してしまう。 唯一の希望は、反逆者たちの持つ即時通信装置アンシブル。ロカノンは未踏の南の大陸へと旅立つが……。
セムリに〈海の眼〉を返したのがロカノン。ロカノンとセムリの出会いが、第二惑星の正確な調査の必要性へとつながっていってます。こうして「セムリの首飾り」から50年後に物語は始まります。
セムリの〈海の眼〉は、本篇でも意味を持って語られます。さらには、ロカノンを手助けするモギーンは、セムリの孫。ただ、全体の文量に対してかなりの割合を占めるプロローグは、構造にいびつさも感じてしまうのでした。
それから、J・R・R・トールキンの
『ホビット ゆきてかえりし物語』
平穏な毎日を送っていたホビット族のビルボは、魔法使いのガンダルフの紹介で、ソーリン率いる13人のドワーフ族と冒険の旅にでかけることになってしまった。めざすは竜の住む山。竜にうばわれた財宝を取りかえすために。
この児童書が《指輪物語》へとつながります。
フロドはホビット族。いとこにして養父のビルボから、魔法の指輪を譲られた。ビルボは指輪の正体を知らなかったが、魔法使いガンダルフによって、冥王サウロンの主なる指輪であることが明らかになる。
サウロンは復活しつつあり、己の力のほとんどを封じ込めた指輪を欲していた。フロドは、指輪を狙うものたちから逃れ、仲間たちと旅たつが……。
『ホビット』が成功したため、出版社はトールキンに続編を依頼し、のちに《指輪物語》になります。最初から続編があったわけではないので、整合性をとるため『ホビット ゆきてかえりし物語』は何度か改訂されました。
それでもなお両者の間には、ちょっとした溝が感じられます。
一連の物語で最初に読んだのは、版が古い瀬田貞二訳の『ホビットの冒険』でした。
本書を下敷きにした、パット・マーフィーの
『ノービットの冒険 −ゆきて帰りし物語−』を読むため。
ベイリーは、小惑星帯に暮らすノービット族。漂流中のメッセージ・ポットを拾い、持ち主に知らせたことから冒険の旅に出ることになってしまう。
行き先は、ポットに記録されていた星図の彼方。超種族の財宝があるらしいのだが……。
このときは《指輪物語》のことは考えてなかったので、版の違いは気にならず。翌年に《指輪物語》を読みますが、そのときにはこまかいことを忘れていたので問題にもなりませんでした。連続して読んでいたら、また違った感想になったかもしれませんね。
そして今回、山本史郎訳の『ホビット ゆきてかえりし物語』を読みました。最終版が元になっていて、どこがどう変わったのか、注釈つき。
15年ぶりに読むことにしたきっかけは、ようやく映画の「ホビット」三部作を鑑賞したことでした。
こんな物語だったっけ?
と思って。
さて、映画「ホビット」三部作は、映画「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」三部作の前日譚という位置づけ。本来ならば「ロード・オブ・ザ・リング」の方が「ホビット」の続編なのですが、後から作られたので前日譚。
「ロード・オブ・ザ・リング」三部作を見たときには、あの長大な《指輪物語》を美しくまとめたなぁ、と思ったものでした。ストーリーとは直接関わりのないエピソードをばっさりカットする一方で、関連書から小ネタをひっぱってきてました。
そして「ホビット」三部作。
あのギュッとつまった大冒険を、大胆に引き延ばしたなぁ、と。それも、先に作られた「ロード・オブ・ザ・リング」が意識されているのがよく分かる方法で。
まさしく〈指輪戦争〉の前哨戦。
同じ監督なので「ロード・オブ・ザ・リング」で切らざるを得なかったエピソードを盛り込みたい、とかあったと思います。商売なのですから、関連性を強めて、人気がでた役者を出して、収益をあげたいっていうのもあったと思います。
けれど正直なところ、世界観が一緒なだけの別の物語として楽しみたかったなぁ、と。ビルボの苦悩と葛藤と決断を描けるのは「ホビット」だけなのですから。
改めて『ホビット ゆきてかえりし物語』を読んで、あの、やさしく書かれているのに重たく詰まった感じが好きだったのだと再確認した次第です。
13人もいるドワーフ族の区別がなんとなくつくようになったのは、映像の力かな、と思いますが……。