

2月2日。大相撲の力士たちが勝ち星を売買する八百長相撲を行っていたらしい、ということを示すメールがあることが暴露され、大々的に報道されました。
そういう疑惑は以前からありました。ただ証拠がなく、疑惑は疑惑のまま。そこに新事実が発覚して、世間は大騒ぎ。
連日、テレビや新聞を賑わしたり。他に報道することがあるだろ、と突っ込まれたり。
それで、お相撲が活字で読みたくなったのです。
ただ、相撲小説ってあんまり聞いたことがなくって……。八百長世界の話、というわけではないのですが、唯一知っているこれで。
飯嶋和一『雷電本紀』
江戸中期に実在した稀代の相撲人・雷電為右衛門の生涯を、商人・鍵屋助五郎の視点を交えて描いた伝記的作品。
太郎吉は百姓の倅。恵まれた体格だけでなく、知能も充分。祭礼相撲で大活躍していた。おのずと注目され、江戸相撲からスカウトを受ける。雷電として大活躍するが……。
なんでも「八百長」という言葉が生まれたのは明治時代。八百屋店主の長兵衛さん(通称・八百長)が、さる相撲年寄と碁をうったとき、相手をヨイショするため、わざと負けたりしたんだそうな。
長兵衛さんが果物屋だったら「クダ長」とかになっていたのかしらね。それか、半兵衛さんだったら「八百半」とか。
それはともかく……
雷電の活躍した江戸時代には、まだ「八百長」という言葉はなかったけれども、似たようなことはやっていたようで。いかんせん、相撲取りたちは大名に召し抱えられている身分。どうしたって、お偉いさんたちの思惑が絡んでくる。
そうした風潮に反旗を翻したのが、雷電為右衛門だった、と。
当時は「拵え相撲」と呼んだそうです。あらかじめ脚本ができているから。そんな中、雷電は常に全力で、ぶつかっていきます。その姿勢は、他の力士たちに影響を与えていきます。
もしかして、相撲は八百長をするのが伝統なのでしょうか。雷電は周囲を変えることは出来たけれども、伝統はあまりに根深くて、いつしか復活してしまった……。
あと何人か、雷電のような生き方をする人が必要なのかもしれませんよね。