
2024年05月03日
アレクサンドル・イサエヴィチ・ソルジェニツィン
(江川卓/訳)
『イワン・デニーソヴィチの一日』毎日新聞社
午前5時。
イワン・デニーソヴィチ・シューホフは、本部建物の横に吊るされたレールを叩く、かすかな音で目覚めた。音をさえぎる窓ガラスには、指2本もの厚さに氷が張りついている。
シューホフの囚人生活も8年。
きっかけは、1942年2月のことだった。
シューホフのいた部隊は、北西部戦線で敵の完全包囲を受けた。食料補給は途絶え、弾薬もない。ドイツ軍に捕えられ、2日間だけ捕虜になった。
脱走し、友軍に合流できたのは奇跡だ。そのとき森で道に迷ったと報告すればよかった。そうすれば不問に付されただろうに。
脱走したなど信じてもらえるわけもない。
裁判では「祖国を裏切る目的をもって、すすんで捕虜となり、ドイツ諜報部の任務を遂行したゆえ、帰還を許されたことになった」とされた。調書に署名しなければ生きのびられなかっただろう。
ドイツの捕虜になって帰国した軍人は、全員、強制収容所(ラーゲル)行きなのだ。シューホフもそのうちのひとりにすぎない。
はじめは一般ラーゲルにいた。それから現在の特殊ラーゲルに移り、今では854号と呼ばれている。
ラーゲルでは、点呼までの1時間半を自分の時間にできた。
この日のシューホフは、ぐあいが思わしくない。医務部へ出かけて、作業の一日免除を申請してみようかと考えるが……。
ソ連のラーゲルでの一日を綴った文学。
午前5時に目覚めてから、夜になって眠りにつくまで。過酷な状況が、ユーモアたっぷりに語られます。
シューホフにとっては、まったくありきたり。とはいえ、いるのがラーゲルですから、ありきたりじゃないです。
ソルジェニツィンは直接の体験者だそうです。
人間の適応力の高さには目を見張るものがあります。
なお、854号は実際には、番号の前にアルファベットがついてます。ロシア語のアルファベットのため、省略しました。ご了承ください。
2024年05月07日
梶よう子
『北斎まんだら』講談社文庫
高井三九郎は、高井家の総領息子だった。
高井家は信州小布施の豪商で、名字帯刀を許された家柄。家業は、農業、酒造、貸地、茶販売と手広い。屋敷には、本宅、隠宅の他、土蔵がいくつも並び、築山に泉水を設えた庭まである。
奉公人は百余名。住み込みの大工に按摩、お抱えの医師もいて、松代藩からは剣術指南が屋敷内の道場に稽古をつけにやってくる。
三九郎は、なに不自由なく育ってきた。
それでも悩みはある。ずっと悩まされ続けてきたが、誰にも明かせずにいる。それだけは、いくら金があろうと、どうにもならない。
三九郎は15のときに、京へ遊学に出た。書画、詩歌を学んで11年。鳥や草木を見、風の音を聞き、月を眺め、筆を執って紙に写してきた。
それらは描きたいものではない。三九郎には、心の奥に潜み、ときおり姿を現す醜い物たちが見えている。そいつらをどう紙に描き出せばいいか、わからなかった。
その答えを葛飾北斎なら出してくれそうな気がした。どうしても北斎の許で学びたい。在所へ戻った三九郎は、ふた親を説得して江戸にでてきた。
そのころ北斎の住まいは、浅草明王院地内五郎兵衛店。弟子入りを許してもらおうとおとずれた三九郎だったが、家のようすにびっくりしてしまう。
三和土に丼や重箱が山と積まれている。ふた間続きの座敷は、畳敷きなのか、板張りなのかもわからない。絵具皿やら反古やら食い物を包んだ竹の皮やらが散乱し、餅菓子の籠、夜着、赤い腰巻きまで転がっていた。
このとき、北斎74歳。どこぞへでかけてしまい、はっきりとした返事は聞けなかった。
弟子になれたのか、なれていないのか。よくわからないままに三九郎は、北斎の娘お栄や美人画で知られる池田善次郎に引っ張り回される。
北斎の偽物がいるかもしれないという不穏なことを耳にするが……。
江戸もの時代小説。
文量は長編分あるのですが、短編を読んだときのような読後感。その分、わかりやすくて読みやすい、ということはあると思いますが。
北斎のことを多少なりとも知っている人なら、三九郎が誰なのか、早い段階で検討がつくと思います。それと同じように、北斎の偽物についても、そうだよね、と。
やたらと春画ネタがでてくるので、そちらの話を書きたかったのかもしれません。
2024年05月08日
ヘンリック・イプセン(毛利三彌/訳)
『ペール・ギュント』論創社
ペール・ギュントは、頑丈な体格をした働き盛りの20歳。
家の仕事を手伝おうともせず、刈り入れで忙しいときにいなくなってしまう。牡鹿狩りに行くという話だったが、帰ってきたときには鉄砲を失くし、獲物も持ってこないていたらく。
おこる母オーセにペールは、狩りの様子を、見事な牡鹿との格闘を、ちょうしよく語った。ペールは、自分はいつか王さまになる、皇帝になる、と見栄を張る。
オーセには嘆かれてしまった。イングリがペールに気があったのに、と。
イングリはヘッグスタの大地主の娘。娘に甘い大地主のことだ、ペールさえその気になれば結婚できた。イングリの婚礼は明日だ。
ペールは、呼ばれていないのに祝いの会場に駆けつける。
会場でペールは、移民者の娘ソールヴェイに言いよったりとしたい放題。そのころイングリは、蔵の中にとじこもっている。
花婿に頼まれたペールは蔵に行って、イングリを誘い出す。そのまま、イングリを連れて逃げてしまった。ところが、途中で仲違いしてしまう。
けっきょく別れて、ペールはひとり、山に逃げた。そこで、緑色の衣を着た女に出会う。ペールは女に恋して求婚するが、実は女は、ドヴレ山の王さまの娘。
ペールは、オーセ女王の倅だと名乗りをあげる。そのためドウレ王女は、ペールをどこぞの王子だと考えた。ふたりの結婚をドヴレ王も認めるが、条件をだしてきた。
トロル族は近頃、斜陽気味。もっと落ちるか、ここで持ちなおすか。ペールはドヴレ王から「満足なれ」この力強い言葉を、生涯の武器とせよと命じられる。
ペールはあらゆる条件を受け入れるが、ひとつだけ拒否した。左の眼に傷をつけ、トロルにならねばならないというのだ。そうなっては人間に戻れなくなる。
ペールは結婚を反古にして逃げだした。
森の中で隠れ住もうと家を建てるペール。そこに、ペールのことが忘れられないソールヴェイがやってくる。ペールは大喜び。
ペールは、ソールヴェイとふたりで新しい生活を始めようとする。だが、緑色のボロをまとった女が、子供をつれて押しかけてきた。ドウレ王女と、ペールの子だった。
ペールは悟る。ソールヴェイと幸せになるには、回り道しなければならない。
ペールはひとりで旅立ってしまうが……。
劇詩。
上演を考えずに書かれたそうです。
出版後数年して上演の話がもちあがり、グリーグに音楽が依頼され、初演時の伴奏音楽を中心に「ペール・ギュント組曲」が誕生します。
組曲の「山の魔王の宮殿にて」がドヴレ王とのシーンで、ひとり旅立ったペールの物語が、組曲の「朝」からはじまります。
組曲は知ってましたが、元となった作品を読むのははじめて。ドヴレ王の「満足なれ」が、ペールが自分に語りかける「おのれ自らとは何か」につながって作品の核になってます。
ペールのあまりのひどさに絶句しました。
詩できれいに表現されてますが、やってることが、ひどい。
2024年05月10日
レオ・ペルッツ(垂野創一郎/訳)
『ボリバル侯爵』図書刊行会
騎士領領主エデュアルト・フォン・ヨッホベルクの死後、回想録が見つかった。
実はヨッホベルクは、ナポレオン1世のスペイン遠征に参加していた。ライン同盟軍のラ・ビスバルでの敗北は、そのまま出征の歴史の転回点となった。にもかかわらず、ドイツ連隊が跡形もなく消滅した事件は、あまり資料が残されていない。
回想録は〈ナッサウ〉〈ヘッセンの公子〉両連隊がスペインのゲリラに壊滅されるまでの記録だった。
1812年冬。
サラチョ大佐の率いるスペインのゲリラ部隊は、ラ・ビスバルを奪取しようとしていた。市は、軍事上から見てきわめて重要な位置にあるが、将軍自身が窮地にあり、援軍はこない。
市外の丘にある聖ロフス礼拝堂でサラチョ大佐は、スペイン王の従弟であるボリバル侯爵と面会した。ボリバル侯爵には策があるという。
ラ・ビスバルの住民が、ある晩一斉に蜂起し、ドイツ軍に襲いかかる。計画はすでにでき上がっている。ゲリラ部隊は、ボリバル侯爵の合図に呼応すればいい。
最初の合図で、部下を招集して街道を占拠し橋を爆破する。ふたつめの合図で、砲撃と第一防衛戦の占拠にとりかかる。そして、三度目の合図で突撃命令を下す。
その会談のようすを、礼拝堂の屋根裏に隠れていたローン少尉が聞いていた。ラ・ビスバル駐留隊にとって、変装して市に入るというボリバル侯爵を捜し出すことが優先事項となった。
そんな最中に、ヨッホベルク少尉らナッサウ連隊の将校たち5人は、危機的状況を迎えていた。
連隊を率いるフォン・レスリー大佐の亡き妻と仮初の愛人でなかった将校など、ナッサウ連隊中にはひとりとしていない。そのことが大佐の耳に入ったら身の破滅だ。ところが、スペイン人の騾馬曳きに知られてしまったのだ。
将校たちは、ペリコと呼ばれる騾馬曳きをどうにかしたい。
運よく、ペリコに泥棒の嫌疑がふりかかる。証言があり、証拠もある。恥知らずで汚らわしい泥棒とあれば、銃殺刑になるのも当然だろう。
将校たちは、ペリコに懺悔も許さない。一方ペリコは、どうしても司祭にやり残したことを伝えたいと訴える。将校たちが代行を約束し、ペリコは処刑された。
ヨッホベルク少尉は、死んだのがボリバル侯爵だと気がつくが……。
幻想歴史小説。
宿命の物語。
ナッサウ連隊がラ・ビスバルで完敗したことは先に分かってます。ヨッホベルクが生き延びることも。鍵をにぎるのはボリバル侯爵の合図です。
ボリバル侯爵の死を知っているのは、ヨッホベルク少尉とその周囲くらい。どういう状況で死んだのか堂々と言うことができないため、うやむやな雰囲気になってます。当然、ゲリラ部隊は知りません。
誰がどうやって、どういう経緯で合図をだすのか?
物事がどんどん転がっていってボリバル侯爵の思惑どおりになっていくさま、それに巻きこまれたヨッホベルクの生き延びてしまった感。
読み応えありました。
2024年05月11日
ジュノー・ブラック(田辺千幸/訳)
『狐には向かない職業』ハヤカワ文庫HM
シェイディ・ホロウは、動物たちがくらす小さな村。町からは遠く離れているが、小さなネズミから巨大なヘラジカまで、あらゆる種類の生き物たちが一緒に暮らしている。
町の支柱は、水車池に面するフォン・ビーバーペルト製材所だ。
その池の反対側には、気難しいヒキガエルのオットー・ズンフが住んでいる。オットーは村じゅうに喧嘩をふっかけており、もはや誰も気にしない。偏屈でだれも寄りつかず、世捨て者のような暮らしをしていた。
8月末の早朝。
村の唯一の報道機関である〈シェイディ・ホロウ・ヘラルド〉に勤めるグラディス・ハニーサックルが、水車池で見慣れないものをみつけた。ハチドリのグラディスは村のゴシップ屋。動きを止めることのない羽と同じくらい、舌も動きを止めることはない。
一方、仰向けに浮いているオットーは、ぴくりとも動かない。死んでいるのだ。グラディスは動揺し、オフィスで気持ちを落ち着かせてから警察を呼ぶことにした。
そのときオフィスには、狐のヴェラ・ヴィクセンがいた。ニュース記者のヴェラは、いつもスクープを探している。グラディスのさえずりに耳をかたむけたヴェラは、まずは現場にかけつけて記録してから、警察署におもむいた。
警察署長は、クマのセオドア・ミード。釣りが好きで釣りにあけくれ、警察署にいたためしがない。今日も不在で、対応したのは副署長でヒグマのオーヴィル・ブラウンだった。
オーヴィルが船に乗ってオットーを引きあげると、事件のレベルがあがった。その死は、心臓発作でも老衰でもない。背中からナイフの柄が突き出ていたのだ。
村じゅうが騒然となった。
オーヴィルは犯人検挙にやる気満々。だが、いかんせん経験がなくマニュアル頼り。
実はヴェラには、大きな町で警察担当記者をしていたことがある。捜査を取材した経験から、あれこれと考えを巡らせていた。
ヴェラはオーヴィルと対立しながら、取材してまわるが……。
動物たちの活躍するミステリ。
主人公はヴェラです。
メルヘンな雰囲気と殺人事件のミスマッチを楽しみました。動物の特性というか、人間が持ってるイメージをそのまま生かした配役になってます。
細かいことを考え出すと穴だらけなので、そのあたりは目をつむる必要があると思います。
なお、邦題は、P・D・ジェイムズの『女には向かない職業』を意識したのだろうとと思いますが、そういう内容ではないです。
狐にその職業は向いてない、などと言われることもなく、エース記者としてバリバリ活躍してます。
2024年05月16日
ローラン・ピネ(高橋啓/訳)
『言語の七番目の機能』東京創元社
ロラン・バルトは、記号学者で哲学者。20世紀最高の文芸評論家といわれていた。
1980年2月25日月曜日、午後。
バルトは自宅に帰ろうとしている。あと数十メートルの距離まできている。エコール通りの横断歩道を渡ろうとして、クリーニング店の軽トラックにはねられた。
病院にやってきたジャック・バイヤール警視は、この時点ではあまり情報をもっていない。
車にはねられたのは、64歳の男。運転手はブルガリア国籍の男。運転手のアルコール反応は基準値以下で、ワイシャツを店に届ける時間に遅れていたことは認めたが、時速60キロは超えていなかったと主張している。
被害者は身分証明書を所持していなかったが、コレージュ・ド・フランスの教授で作家のロラン・バルトであることが判明している。同僚のミシェル・フーコーが、そう証言した。
バイヤール警視が事情聴取にやってきたのは、バルトが車にはねられる前にしていたことと関係がある。
バルトは、フランソワ・ミッテランと昼食をともにしていた。大統領選を翌年に控えた時期で、ミッテランは社会党候補者だった。このときフランスは、第五共和政になって以来初めて左翼の大統領が選ばれるかもしれない情勢にある。
バイヤール警視が病室に入ったとき、バルトの意識は回復していた。だが、挿管のため話をすることはできない。できるのは首を動かす意思表示くらい。
それでもバイヤール警視が不可解さに気がつくのは充分だった。バルトは身分証明書を持っていたようなのだ。平凡な交通事故のように見えるが、身分証明書の紛失とは?
バイヤール警視はフーコーに話を聞く。フーコーによると、バルトには大勢の敵がいたという。
バルトの敵について知るため記号学をかじるバイヤール警視だったが、さっぱり分からない。そこで、わけのわからないことを翻訳してくれる人間として、シモン・エルゾグを雇った。
シモンの専門は現代文学。本来の意味での記号学者ではないが、言語学は記号学の基礎であり、言語学の基礎を教えた経験はある。
ふたりでの調査がはじまるが、バルトが病院で殺されてしまった。
まもなく情報の断片から、秘密組織〈ロゴス・クラブ〉の存在が浮上してくるが……。
言葉にまつわるミステリ。
ドキュメンタリー調で書かれてます。バルトは実在人物で、交通事故で亡くなったのは事実。事故後に病院で亡くなったのも。
実際のところは、単なる交通事故だったそうです。
本書では、
実は陰謀があった!
ということにして展開していきます。そこはフィクション。
バイヤール警視のハードボイルドにもなりそうなところ、シモンをくっつけて娯楽要素を入れている印象でした。
シモンは、シャーロック・ホームズ的なところがあります。ほんのちょっとしたことから背景を読みとる能力があります。ホームズと違うのは、肝心なことを見逃しがちだというところ。
難解ですが、分かりやすさもありました。
なにかというと出てくるブルガリア人。特徴ある車に乗ってる日本人。傘をもっているふたり組み。
あえて記号化しているのでしょうね。
このおもしろさに気がつくまで、読むのが大変ではありました。
2024年05月21日
ジョナサン・ストラウド(金原瑞人/松山美保/訳)
『スカーレットとブラウン あぶないダークヒーロー』
静山社
崩壊した大ブリテン島は、七つの国に分割されている。
スカーレット・マッケインは、ひとりで無法者として生きていた。金が必要になり、無人地帯をチェルトナムに向かっているところだ。
スカーレットは、〈生き残った町〉のひとつであるチェルトナムで銀行強盗をするつもりでいる。それもこれも、ストウの町のハンド同業組合に、借金を完済しなければならないため。それも早急に。
チェルトナムでまんまと大金をせしめ、スカーレットは無人地帯へと逃げこむ。深い森に危険はつきもの。国境地域には〈堕種〉の棲みかもある。
なんとか追跡隊を振り切りったスカーレットは、横転したバスを見つけた。森を走る舗装道路から、斜面を転がり落ちたらしい。バスの側面には大きな穴が開いていた。
あたりはガソリンと血のにおいがただよっている。おそらく事故は昨日のことだろう。乗客たちは逃げられたのか、森の獣にやられたか。
スカーレットは遺留品を当てこみバスに入った。予想外だったのは、個室トイレに隠れて少年が生き延びていたことだ。
少年は、アルバート・ブラウン。頼り無さげで、世間知らずで能天気で、軟弱で無力。懇願されたスカーレットは、ストウの町まで連れていってやることにする。
しかし、ストウにはたどり着けなかった。追手に見つかり、こわがるアルバート共々、川に飛び込んだのだ。命は助かったものの金を失い、流れ着いたのははるか下流。
スカーレットは追手を、チェルトナムの者だと考えていた。実は、かれらの狙いはアルバート。アルバートは〈信仰院〉から、懸賞金がかけられていたのだ。
直接統治はしていない〈信仰院〉だが、七つの国全部に君臨している。正常で健康な人を規定する法律を作り、当てはまらない人間を迫害する。そのやりくちをスカーレットは憎んでいる。
アルバートには、特殊能力があった。そのために〈ストーンムア〉という施設に閉じ込められ、つらい日々を送ってきた。どこの国にも属さない〈自由の島〉というコミュニティがあると耳にして、逃げだしてきたのだ。
スカーレットはアルバートの話をなかなか信じようとしないが……。
《スカーレットとブラウン》三部作の第一部。
文明崩壊後の未来世界を舞台にした児童文学。
どのくらい未来なのか語られてませんが、現代との間に〈大衰退期〉とか国境戦争があったようです。見捨てられた廃墟のコンクリートが保てているのですから、それほど遠いというわけではなさそうです。
ふたりとも十代設定ですが、そんな雰囲気ないです。スカーレットは過酷な生活からか、ずっと年上に思えます。一方のアルバートは、ずっと幼く感じます。
読んでいるうちに年齢のことは忘れてしまいました。
三部作の最初というだけあって、まだまだ語られていないことがありそうな雰囲気。続きが楽しみです。
2024年05月22日
ジル・チャーチル(浅羽莢子/訳)
『ゴミと罰』創元推理文庫
ジェーン・ジェフリイには、3人の子供がいる。15歳のマイクを頭に、13歳のケイティと10歳のトッド。
夫のスティーヴがいなくなって、7ヶ月。子供たちには手がかかるし、なんでもひとりでやらねばならず、なにかと忙しい。
今夜はお隣のノワック家で、仲間たちの会合がある。校庭に新しい遊具を贈るための募金活動を計画していて、そのための集まりだ。
隣人にして友人でもあるシェリイ・ノワックは、参加者たちには先に料理を届けるように要求していた。そうすれば、実際の会合に誰がどれだけ遅れようが、予定どおりに食事を出すことができる。ジェーンは人参サラダの担当だ。
ジェーンは出先で、仲間のひとりからシートケーキを預かった。
帰宅ついでにノワック家に寄ると、ちょうど〈にこにこヘルパー〉から家政婦がやってきたところ。先週からイーディスが来ているが、今日はちがう。イーディスの具合が悪いらしく、代わりにラモーナ・サーグッドが派遣されてきていた。
シェリイは、イーディスの仕事に満足していない。仲間たちが褒めちぎっているのが不思議でしかたないという。それでも、はじめての人に家を任せて外出するよりは、イーディスにきてほしかったという。
ジェーンはシェリイに、人参サラダをつくっていないことを言えない。それどころか材料も揃っておらず、もらったレシピも失くしてしまった。ジェーンはシェリイが出かけてから、方々に奔走してなんとかサラダを間に合わせた。
2時45分。サラダを届けたすぐ後のことだった。シェリイのミニバンの音がして、5分後に電話が鳴った。
ラモーナが、客用寝室で死んでいるという。
その日ノワック家は、料理を届けにくる仲間たちのために鍵はかかっていなかった。誰でも出入りできた。誰が殺人犯でもありえる。
ジェーンは、いろんな人から事件のことを質問攻めにされてうんざり。仲間たちが疑われ、警察の捜査にやきもきしてしまう。
ラモーナは、イーディスと間違えられたのではないかと思い、独自に調べて回るが……。
コージー・ミステリ。
ジェーンは、忙しいとは言うものの働いてないです。収入源はあって、贅沢はできないけど暮らすのはなんとかできるって感じ。スティーヴがいなくなった理由は追々語られます。
地域のコミュニティが濃密だったり、文面から受けるイメージより、ずっと田舎なんだろうな、という印象。
軽妙なやりとりとかがおもしろい一方、ちょっとした違和感は残ってしまいました。住んでる国が違うんですから仕方ないんですけどね。
2024年05月23日
マルク・ロジェ(藤田真利子/訳)
『グレゴワールと老書店主』東京創元社
グレゴワール・ジェランは、高校を卒業したばかりの18歳。落ちこぼれで、バカロレアはとれなかった。
統計では、バカロレアの合格率は80%だ。どの仕事も、バカロレアがいる。どうにか老人介護施設〈ブルーエ・ホーム〉で働けることになったのは、市役所の人手不足と、母の社会福祉局のコネのおかげだ。
ブルーエ・ホームの厨房の手伝いは、週に35時間。最低賃金よりいくらか安いが、文句は言えない。
働きはじめて1か月。
グレゴワールは、入居者にはじめて料理を届けた。そのなかに、28号室のジョエル・ピキエがいた。ムッシュ・ピキエは、スタッフたちから〈本屋のじいさん〉と呼ばれている。
グレゴワールは、洞窟のようになっているムッシュ・ピキエの部屋にびっくり。60平米強の四つの壁は、上から下まで本で覆われていた。
ムッシュ・ピキエによると、読書しない一日なんて無駄だという。しかし、パーキンソン病と緑内障を患うムッシュ・ピキエは、たくさんの本に囲まれていながら、本を読むことができない。
よくよく考えたグレゴワールは、ムッシュ・ピキエに提案する。一日に1時間、本を朗読することを。グレゴワールにとっても、その時間だけ暑い厨房にいる時間を減らせる。
所長は、ムッシュ・ピキエの頼みを聞いてくれた。
6月最初の月曜17時。
ムッシュ・ピキエは、グレゴワールが読むためにJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を用意していた。
247ページという文量にグレゴワールは心配になる。自分で提案したことだが、そもそも読書する習慣はなかった。グレゴワールの脳裏に、国語の授業での嫌な記憶がよみがえる。
本の舞台はアメリカだ。グレゴワールは、馴れない固有名詞に何度も引っかかってしまう。だが、ムッシュ・ピキエの助言で気楽になれた。
7月15日。『ライ麦畑でつかまえて』を読み切った。そのときグレゴワールは、主人公の言動が自分のものになっていることに気がつく。最後の言葉には感動した。
ムッシュ・ピキエのてほどきで、グレゴワールは朗読が好きになっていくが……。
朗読を軸にした成長物語。
作者のロジェはプロの朗読家。元書店主のムッシュ・ピキエは書店での朗読会に立ち会い学んだことがあるためノウハウを持っている、という設定になってます。
朗読って、ただ本を読むのではないのですね。
朗読のことだけでなく、老人介護のこととか、同性愛への偏見とか、いろいろ織り込まれてました。ちょっとふざけたエピソードもありました。
笑ったり泣いたり、本っていいなと再確認。
2024年05月24日
フレデリック・ダール(長島良三/訳)
『夜のエレベーター』扶桑社ミステリ
アルベール・エルバンがルヴァロワに帰ってくるのは、6年ぶりのことだった。アパートはあのころのまま。だが、そこにママはいない。
ママは4年前に死んだ。
午後8時。アパートを出たアルベールは、町の目抜き通りにある大きなレストランに入った。昔ながらのビヤホールで、そこで食事をすることが夢だった。
樅の木のそばの席に案内してもらうと、隣のテーブルに3〜4歳の女の子がいる。若い女といっしょだ。クリスマスイブに、若い女と子供がビヤホールにいるのは奇妙だ。
アルベールは、女がアンナに似ていることにショックを受けてしまう。アンナは6年前に死んだ。死んだアンナを見たときのような悲しみに襲われた。
アルベールは、鏡に映る女の子を見るふりをして、母親を眺めた。彼女もこちらを見ている。その顔には、好奇心、悲しみ、恥じらいが次々と現れていく。
帰宅の途についたアルベールは、映画館の前にいる母子に気がついた。思いがけない再会だった。そろって映画をみたことで距離が縮まり、アルベールは眠ってしまった子供を抱いて、女についていった。
母子の住まいのある地区は新しく、アルベールの記憶にはない。明るい色の建物で、鉄製の門は真新しかった。
J・ドラヴェ、仮綴じ工場。
私用出入口を案内されたが、明かりはつかない。暗いなか荷物用エレーベーターで住居階に上がる。子供を寝かし、ドラヴェ夫人の身の上話を聞いた。
夫人がジェローム・ドラヴェと出会ったのは7年前。恋愛結婚したが、結婚して6か月で子供が生まれたために、夫婦仲に亀裂が生じた。カトリック教徒の町工場で離婚はできず、ジェロームは愛人をつくっている。
アルベールとドラヴェ夫人はふたりきりで出かけたが、帰ってきたとき、玄関のコート掛けには男もののオーバーが掛かっていた。出るときにはなかったものだ。
そして、アルベールが座っていたソファに、男が斜めに横たわっていた。拳銃があり、頭の一部がもぎとられていた。右のこめかみと頭のてっぺんにかけてぽっかり穴があき、血がほとばしっている。
アルベールはドラヴェ夫人に、アリバイを証明することはできないと告白するが……。
一夜のミステリ。
母じゃなくてママってところにフランスっぽさを感じてしまいました。それもあってか、これまでに読んだミステリとは違う雰囲気でした。
ドラヴェ氏は自殺か、他殺か。
アルベールには秘密があって、その秘密が「アリバイを証明することはできない」話につながっていきます。
トリックは、それほど巧妙ではないです。早い段階で気がつきます。どういう結末になるのか、そのあたりに読みごたえがありました。