
2024年11月22日
ブライアン・オールディス(中村 融/訳)
『寄港地のない船』竹書房文庫
ロイ・コンプレインは、グリーン一族の狩人だった。
グリーン一族は半放浪民だ。バリケードで区切った〈居住区〉で暮らしている。穀物や家畜を維持するため、バリケードを動かすことで部族は、果てしない通廊をのろのろと進む。
前方のポニックの繁みが切り開かれると、ドアが姿を現す。部屋には、巨人族の遺した奇妙な品々がある。役に立つものもあれば、意味のわからないものも。
グリーン一族がはじまる前の記録は残っていない。
世界はデッキが重なってできており、デッキには終わりがない。ぐるっと一周して元にもどるからだ。デッキには謎めいた場所がいっぱいあり、ポニックでふさがっている。
通廊から離れて主通廊にはいれたら、世界の遠いところまでいけるという。そこは〈前部人〉の領土だ。かれらは謎めいている。
世界にはほかにも、部族から追放されたミュータントと呼ばれる者たち、人間に似ているがまるで違う〈よそ者〉たち、それから失われた巨人族がいる。
コンプレインは妻のグウェニーにねだられ、狩りに連れていった。狩人は、バリケードに守られた〈居住区〉から出て、繁みから成る迷路で豚を狩る。最近は家畜の肉が豊富で、価値が下がる一方なのが悩みの種だ。
グリーン一族は900人ほどから成っており、そのうちの半分近くは未成年。女はわずか130人ほど。女は、部族の領域をひとりで離れることを許されない。
そんな貴重なグウェニーが、何者かにさらわれてしまった。女を失ったコンプレインには、罰として六度の鞭打ちが言い渡される。
失意の中コンプレインは、司祭のヘンリー・マラッパーに声をかけられた。
立場上、さまざまな遺物を手に入れる機会があるマラッパーは、ある秘密を持っているという。冒険に行く手筈を整え、仲間を集めていた。ポニックの繁みを歩きなれたコンプレインが役に立つと考えたのだ。
マラッパーは〈死道〉へ行き、〈前部〉にいたり、世界を支配するつもりでいる。コンプレインも同行することになるが……。
世代宇宙船テーマの古典。
さらわれたグウェニーを助けに行く話ではないです。死んだものとして早々に諦めて忘れられます。そういう価値観の世界なので。実際、そうなのでしょう。
この世界とはなんなのか、コンプレインたちは何者なのか、という謎は、きちんと明らかになります。
なるほど、と。
いろいろ腑に落ちました。
2024年12月01日
ヒュー・ハウイー(雨海弘美/訳)
『ウール』上下巻/角川文庫
《サイロ》三部作・第一部
人々は地下に埋められたサイロで暮らしていた。外の世界は、最上階に設置されたスクリーンで見ることができる。行くことはできない。
スクリーンでは、丘の連なりの向こうに朽ち果てた摩天楼群が見える。ガラスと鋼鉄でできた大昔の建物は、人間が地上に住んでいた時代の名残だという。
レンズは日々汚れていき、掃除に出された誰かが磨くと鮮明になる。その人物が生きて戻ることはない。大昔の人々が残したのは、殺伐とした死の世界だったのだ。
保安官のホルストンが妻のアリソンを亡くして3年がたつ。
IT部にいてコンピュータを調べていたアリソンは、世界を疑っていた。
自分たちは、まちがったことを教えこまれているのではないか。
過去の記録がないのは、150年前の反乱でサーバーのデータが消されてしまったからだという。反逆者のしわざだというが、本当は祖先がやったのではないか。人類がサイロに移り住んだ理由を教えてくれる情報を、あえて消したのではないか。
アリソンはなにかを掴んでいたようだった。その情報をホルストンは知らない。アリソンは3年前に発狂し、禁忌を口にした。
外に出たい人間は、望みどおり追放される。それゆえ、なにがあっても外に出たがってはいけない。口にするのはおろか、考えても、思い浮かべてもいけない。
発言を隠すことはできず、アリソンは掃除の刑に処された。ホルストンが保安官でも、救う手立てはない。
独房に入れられたアリソンは、ホルストンに帰ってくると告げた。おそらく外の世界は、話に聞くほど恐ろしいところではない。連鎖を断ち切り、ふたりであの丘を越えよう、と。
アリソンは、本物にしか見えない映像をスクリーンに映すプログラムを見つけていた。見ているものが正しいとはかぎらないのだ。外に人がいても、こちらを見ていても、サイロにいては気づくことはできない。
だが、アリソンは帰らなかった。
スクリーン越しに見守るホルストンの前で、アリソンはレンズの掃除をした。それから、崩れかけた大昔の都市を目指して丘を登りはじめたが、中腹で倒れ、もだえ苦しみ亡くなった。
遺体は今もスクリーンに映っている。
あれから3年。ホルストンは自ら独房に入り、外に出たいと口にするが……。
文明滅亡後の地下都市の物語。
ホルストンではじまり、市長のマリー・ジャンズに視点がうつり、ジュリエット・ニコルズに引き継がれます。
主人公は、ジュリエット。
いかんせん登場が遅いのですが、それまでの2人のところで世界を説明しておこうという意図なのでしょうね。
ネタバレになってしまうので、あれこれ書けない……。
2024年12月03日
ジャニス・ハレット(山田蘭/訳)
『ポピーのためにできること』集英社文庫
ふたりの司法実務修習生が、弁護士から大量の書類を受け取った。大半は、時系列に沿って並べられた、メールやテキスト・メッセージ。新聞記事、SNSの投稿などもある。
それらはすべて、ある事件の周囲の人々のやりとり。弁護士は、その背景は教えてくれなかった。司法実務修習生たちは、戸惑いながら読み込んでいく……。
イザベル・ベックは、聖アン病院老年科の看護師。アマチュアの〈フェアウェイ劇団〉に所属している。
地域の名士であるヘイワード夫婦が主宰する〈フェアウェイ劇団〉で、ひとつの公演が終わった。次の演目はすでに決まっている。
イザベルは、新しく同僚となったサマンサ・グリーンウッドとその夫を〈フェアウェイ劇団〉に誘った。グリーンウッド夫妻は、アフリカで8年間〈国境なき医師団〉のボランティア看護師をして帰国したところ。このあたりに知人がおらず、イザベルはあれやこれやと面倒をみようとしている。
4月9日、新しい劇のオーディションが行なわれた。配役は決まったものの、マーティン・ヘイワードからの連絡が途切れがちになる。劇団員たちは気をもみ問い合わせるが、マーティンから返事はない。
21日になって劇団員にマーティンから連絡が入った。2歳の孫娘ポピー・レズウィックに、ごく稀な型の脳腫瘍が発見された、と。
承認された特効薬はなく、期待ができるのはアメリカで治験が行われた複合製剤のみ。主治医ティッシュ・バトアの尽力で入手可能になったものの、25万ポンドかかるという。
マーティンはクラウドファンディングを立ちあげ、ポピーのための資金を募りはじめる。話を聞いた劇団員たちも協力し、運動の輪が広がっていく。
イザベルはポピーのことを心配し、募金活動にも協力するつもりだ。だが、今度の件で自分に役がまわってきて、大喜びもしてしまう。
一方、サマンサも新人ながら配役され、募金にも積極的。実は、サマンサとティッシュには確執がある。サマンサはさまざまな動きを見せるが……。
読者への挑戦状系ミステリ。
弁護士が司法実務修習生に、資料だけを渡して予備知識なしで考えさせる、という体裁になってます。ふたりのと同じものを読者も見ている状態です。
そのため、地文はありません。時系列に並べられたメールが大半です。
途中、司法実務修習生のやりとりが挟まります。自分はこう思う、といった意見交換ですが、読者がなにに注目すればいいのか、サポートするような形になってます。
登場人物が多く情報も整理されていないので、読みはじめは大変でした。それでも、徐々に、人間関係や人となりが分かってきて、田舎町が見えるようでした。と同時に、開示されたデータに偏りがあることも。
そして、いよいよ事件が起こります。
が、その前に、弁護士が司法実務修習生たちにクイズのような質問をします。修習ですから、テストでしょうか。
それを読んだとき、一気に現実に引き戻されてしまって……。
読者への挑戦状はあまり好みではない、と気がつきました。
好きな人は喜々として解くのでしょうけど。
2024年12月04日
横山起也
『編み物ざむらい』角川文庫
黒瀬感九郎は、凸橋家から召し放ちになってしまった。
父からは勘当され、縁談も取りやめ。 屋敷を追い出されてしまう。
黒瀬家が良家だったのは昔の話。今では内職をせねば立ち行かず、感九郎は得意の編み物(メリヤス)をして家計の足しにしていた。そもそも、男が針仕事をしていることが、父にはおもしろくなかったのだ。
感九郎が蘭方医、久世森羅(しんら)が多くの町人をだましていると告発したのは、正しく生きよ、という父の教えを守ったからなのだが。
久世森羅は多くの武家からの信頼も篤い名医。奉行所は、調べたが潔白だったという。感九郎が嘘をついたことになってしまい、どうにも納得がいかない。
素浪人となった感九郎は、友人も頼れず、独り川辺にたたずむ。いつもは我を忘れられるメリヤスも、今回はだめだった。
メリヤスとは、糸の輪から糸を引き出し新たな輪を作ることだ。何度も繰り返すことで布地のようになり、筒になり、足袋や手袋、胴衣にもなる。単調な繰り返しに感九郎は無心となり、無念無想の境地に近づいていく。
感九郎の心のなかには、昔から「穴」があった。暗い闇を孕んだ深い「穴」は、これまでは家やお役目や、さまざまな壁で覆い隠してきた。それがなくなり、感九郎はひしひしと「穴」の存在を感じている。
そんなとき、女が、3人の浪人に囲まれ困っているのに気がついた。感九郎は勝算もなくかけつける。けっきょくその場を収めたのは、女の共のものらしい一風変わった侍だった。
侍は、能代寿之丞。女は「御前」と呼ばれていた。
感九郎はなにもしていないが、お礼がしたいと屋敷に誘われれば、行くところのない身の上、ありがたく受けるしかない。案内された墨長屋敷は、小綺麗な長屋のような外見でありながら一間一間は大きく、中でつながって往き来ができるようになっている。
話しているうち、かれらと感九郎の利害が一致した。かれらが請け負う「仕組み」のために、腕のいい編み手を探していたのだという。
その「仕組み」がなんなのか、感九郎はよく分からないままに仕事を引き受けるが……。
時代もの。
メリヤスをする侍は実在したそうです。感九郎は架空ですが。
墨長屋敷に住む人たちの全貌は、よく分からなかったです。異能の人たちで、実は感九郎にも異能が備わってます。
それと、物語には久世森羅の一件も、絡んできます。
あまり時代ものを読まない人を意識したのか、登場人物たちはカタカナのニックネームで書かれてました。
そういうこともあってか、どうも時代ものというより、時代もの風のファンタジーのような印象でした。
メリヤスと侍の組み合わせは、おもしろく思うのですけど。
2024年12月06日
ジェイムズ・ヤッフェ(小尾芙佐/訳)
『ママは何でも知っている』早川文庫HM
《プロンクスのママ》シリーズ
連作短編集。
デイビッドは私服警察官。ニューヨーク市警殺人課に配属されて5年がたつ。デイビッドは毎週金曜日に、ブロンクスに暮らすママに招かれ夕餉を共にしている。
デイビッドはおそれていた。いつか、だれかが、秘密をかぎつけるのではないか、と。
実は、デイビッドが解決した事件の大半はママの手柄。
ママは概要を聞いていくつか質問をするだけで、あっさり事件を解決してしまう。警察を何週間もきりきりまいさせている事件であっても……。
「ママは何でも知っている」
ホテル暮らしの娘が殺された。フロント係とエレベーターガールによると、その夜、娘の部屋に行ったのは3人。
娘をホテルに送ってきた紳士、浴槽の修理に訪れたが娘とは会えなかったと語る雑役夫、死体を発見したプレイボーイ。
警察は、3人の中に犯人がいると見ている。
「ママは賭ける」
下町の料理屋で、常連の男が毒殺された。おそろしく横柄で、不作法で、不愉快な男だった。
スープを給仕した老人が逮捕される。
「ママの春」
ある夫婦の伯母が殺された。大金持ちで、身寄りと言えば甥夫婦だけ。夫婦によると、伯母には文通をしている男がいたという。
警察は、文通相手と思われる男を逮捕する。
「ママが泣いた」
5つの坊やが殺人犯の疑いをかけられる。
父は戦死し、母とふたり暮らし。負傷して除隊した叔父が同居するようになっていた。叔父が転落死したとき一緒にいたのは、その坊やだけだった。
「ママは祈る」
大学の学部長が、路上で撲殺死体となって発見された。疑われているのは、失職したとき学部長をうらんでいた元大学教授。そのうえ娘と学部長の息子が婚約し、結婚に反対していた。
「ママ、アリアを唱う」
オペラハウスの立ち見席の常連だった男が毒殺された。容疑者は、同じ立ち見席の常連。ふたりの老人は共にオペラを愛していたが、意見はいつも正反対。その日も張り合いをしていたという。
「ママと呪いのミンク・コート」
医学博士が、25年連れ添った妻のためにミンクのコートを贈った。妻は大喜びしたが、コートに怨霊が憑いているらしく、結局、売却されることになった。
その直前、妻はコートに顔をおしつけられ死んでいた。
「ママは憶えている」
18になる若者が殺人罪で逮捕された。近ごろ悪い仲間とつきあいはじめ、帰宅も遅く、両親としじゅうやりあっていたという。
目撃者がおり、刺し殺された男も、死ぬ前に証言していた。
2024年12月11日
ウィル・ワイルズ(訳者/訳)
『時間のないホテル』創元海外SF叢書
ニール・ダブルはミーテックスに参加するため、ウェイ・イン・ホテルに泊まった。ニールが働くコンヴェックス社では、イベントの参加代行を請け負っている。
見本市(フェア)に付随する研修やセミナーは退屈なことが多い。貴重な時間を最長で一週間もつぶさなければならなくなり、交通費とホテル代はもちろん、入場料だけで200ポンドを超えることもある。
そこで、イベントの見所や有益な部分、役に立つ情報を抽出しレポートにして提供する。宣伝はしていないが、口コミだけでも顧客は少なくない。
ニールは各地のフェアに参加するため、世界中を飛び回っている。そして、ウェイ・イン・ホテルも世界中にあった。ニールは得意客だ。
今回のミーテックスは、見本市やコンベンションを企画・運営する側のプロたちを対象とするものだった。ニールの仕事を知ったら、さぞ厭な顔をされるだろう。そのためニールは身分を隠していたが、正体を知られ主催者とトラブルになってしまう。
一方ウェイ・イン・ホテルでニールは、気になっていた女とふたたび出会った。前に見たことがあるだけで、話すのははじめてだ。
彼女は、ウェイ・インのために建設候補地を探す仕事をしているという。私的に、ホテルを彩る抽象画を撮影していた。
同じような絵画は、世界中のウェイ・イン・ホテルにあふれている。客室だけでなく、バー、レストラン、ロビー、いたるところにある。最低でも数千枚になるだろう。
ニールも絵画のことが気になりはじめるが……。
ホテルをめぐる謎。
ですが、前半はミーテックス。ミーテックスとのトラブルにかなりの文量が割かれてます。そこにウェイ・イン・ホテルの謎がうすーく重なり、ミーテックスが解決していよいよ謎が全面にでてきます。
そうなると、ミーテックスのエピソードは必要だったのか。どうも釈然としないまま読んでしまいました。
2024年12月12日
トム・リン(鈴木美朋/訳)
『ミン・スーが犯した幾千もの罪』集英社文庫
ミン・スーは殺し屋だった。
ジューダ・アンブローズを殺したところだ。かつてセントラル・パシフィック鉄道で労働者の募集係をしていた男。名前を変え、転職もしていたが、ミンは探し出して殺した。
復讐だった。
残るは3人。
死ぬまぎわのアンブローズによると、ジェイムズ・エリスは今でもセントラル・パシフィック鉄道の敷設工事を管理しているという。ジェレマイア・ケリーは、リノで判事になったらしい。チャールズ・ディクソンの居場所はまだ分からない。
それから、シエラ・ネヴァダ山脈を越えてカルフォルニアへ入ると、ポーター兄弟がいる。ギデオンと、その兄のエイブル。かれらも標的だ。
ミンは敷設工事現場に赴き、中国人の労働者たちに混じった。ミンはかれらのような弁髪ではない。だが、エリスには見分けがつかないらしく、難なく復讐を遂げた。
その場でミンは、予言者と再会した。盲目でなにも見えなくとも、予言者は未来を見る。その日から予言者は、ミンの道案内となった。
ミンは予言者の導きで、奇術一座の窮地を救う。座長を含め6人からなる一座はリノを目指しており、奇術ショーをしながら旅をしているところだ。
奇跡とはその性質上、別の奇跡を呼ぶ。奇跡を起こす力のある者は仲間を見分ける。予言者が普通の人間ではないことに気がついた彼らは、ミンを用心棒として雇った。
ミンと奇術一座との旅がはじまるが……。
一風変わった西部劇。
ミン・スーの復讐譚。
奇術一座の面々は、簡単にいえば超能力者たちです。燃えない女とか、テレパシーを持つ少年とか。多彩な能力を持っています。
残念ながら、多彩な能力の活躍の場はあまりありませんでした。
それと、映画やドラマの西部劇を期待すると肩すかしになると思います。
重要なテーマのひとつが、記憶。
未来を記憶している予言者は、過去の記憶がありません。実は、ミン・スーのことも憶えてませんでした。
一座には記憶を消せる者もいて、ミン・スーは記憶について、思いを巡らせます。
主軸であるミン・スーの復讐は、徐々に全容が見えてきます。なにに対する復讐なのか。復讐を遂げたときどうなるのか。
結末は予想できてしまうのですが、予想できるからこそ、その後のことも想像できて余韻は残りました。
デビュー作らしいので、次作に期待。と言いたいところですが、果たして翻訳されるか。そこが心配。
2024年12月14日
ポール・ギャリコ(亀山龍樹/訳)
『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』角川文庫
旧題『ハリスおばさんニューヨークへ行く』
《ミセス・ハリス》シリーズ
ミセス・エイダ・ハリスは、ロンドンの通いの家政婦。
ハリスおばさんは、バタシー区ウィリスガーデンズ五番地に住んでいた。九番地には、友だちで仕事仲間でもあるバイオレット・バターフィルドおばさんがいる。ふたりとも上流家庭にお得意さんを持っているが、バターフィルドおばさんはさらに料理もやりますという人だった。
ふたりの家に挟まれるように、ガセット家がある。里子ヘンリーは8歳。ヘンリーは、好意や愛情のかけらさえあたえられず、ろくに食事にもありつけず、ぶたれたりつねられたり。
薄い壁を通じ、ふたりともヘンリーの境遇は知っている。だが、あからさまな虐待はしないから、通報することができずにいた。
そんなころ、ハリスおばさんの上得意、シュライバー夫婦のところに、うれしいニュースが舞い込んでいた。
ふたりは子どものない中年のアメリカ人で、ロンドンに住んで3年。もとは営業マンだったシュライバー氏は、ヨーロッパ支社長兼配給網支配人にまで出世している。そして、ハリウッドで繰り広げられていた支配権争いの結果、権力とは距離があったシュライバー氏に社長の椅子がまわってきたのだ。
大喜びのシュライバー夫婦だったが、夫人には気がかりがあった。アメリカに住んでいたころ、熟練家政婦と称して労働力を売りこんできた役にたたない者たちが、なんと多かったことか。
ハリスおばさんは夫人から、アメリカに一緒に来てくれないかと頼まれる。期間は、新しい家におちつくまでの3ヶ月ほど。
ハリスおばさんは、バターフィルドおばさんを料理人として連れて行くことを条件に快諾した。内心、ある計画が出来上がっていた。
ヘンリーを見放した実母は行方不明。実父は、イギリスに駐屯していたアメリカ軍人だったということは分かっている。任務を終えて帰国する際、ヘンリーの母はアメリカに行きたがらず離婚するに至ったのだ。
たまたま同じ名前、同じ経歴の人物を新聞で知ったハリスおばさんは、彼こそヘンリーの父親だと思いこんだ。ヘンリーを秘かにアメリカに連れて行けば、万事関係するだろう、と。
バターフィルドおばさんは無謀な計画におそれおののくが、ハリスおばさんはどこ吹く風。
ヘンリーの誘拐と密航が決行されるが……。
ミセス・ハリスの巻き起こす騒動記
ヘンリーの実父がイギリスに来ていたのが1950年。なので、だいたい1960年ごろのお話だと思われます。
現代だったら飛行機を使うのでしょうが、このころは船旅が基本。ヘンリーの密航は、あっさりと実現されます。
船には、前作『ミセス・ハリス、パリへ行く』で登場した偉い人も乗り合わせていて、旧交をあたためたり、まぁ、いろいろあります。そのため、前作を読んでいなくても困りはしませんが、読んでおいたほうが楽しめると思います。キーアイテムのあのドレスのこともでてきますし。
全体にほんわかした雰囲気で、最後にはうまくいくと分かっていながらハラハラドキドキもして楽しめました。
2024年12月17日
サラ・ヤーウッド・ラヴェット(法村里絵/訳)
『カラス殺人事件』角川文庫
8月25日、午後4時30分。
〈マナー・ハウス・ファーム〉の女主人ソフィ・クロウズが殺された。
そのころ〈マナー・ハウス・ファーム〉の領地内では、生態学者ネル・ワート博士がソフィから依頼された調査をしていた。来るはずだった同僚のアダム・カシャップは、車のタイヤがパンクして立往生。ひとりで調査することになってしまう。
ネルは事前に、400年前、エドワード七世時代の地図を見つけていた。地所にトンネルが記されており、林のある高台が終点になっている。地図を頼りに1時間近くかけ、大量の葉のかたまりを引き剥がして古びた門を見つけだした。
トンネル内でコウモリの糞を見つけて採取したネルは、引き返そうとした。そのときだった。トンネルの奥から、形容しがたい鈍い音がひびいてきた。
ネルは底知れぬ恐怖にかられ、その場を後にした。
27日朝。
ジェームズ・クラーク巡査部長は同僚とともに、ネル・ワート博士の自宅を訪れた。ネルは、重要参考人リストのトップに名前があがっていたのだ。殺された日、ソフィとネルは会うことになっていた。
ジェームズは、ペンドルベリー警察の重大犯罪課に所属している。湿っぽくて黴臭いトンネル内で見つかった死体を調べるために招集され、チームは早い時間から本格的に動きだしていた。迅速に進めたくてうずうずしているところだ。
ところがネルは、刑事たちを信用しない。屋敷に招き入れたのは、身分証を見たうえで警察に電話確認してからだった。ジェームズはネルの用心深さに苛立つが、一目惚れした自分に気がつき、驚く。
ネルの話では、ソフィは午後6時の約束の時間にあらわれなかったという。クライアントが約束をすっぽかすことは珍しくない。気にもしなかった。
内心ネルは、トンネル内で聞いた音にひっかかっている。あの音は、ソフィが殺された音だったのだろうか。ソフィを助けることができただろうか。
ネルは警察に〈マナー・ハウス・ファーム〉を生態調査した際の写真を提出した。タイムスタンプがついており、あの場所での行動の証明になると考えたのだ。しかし、逆効果になってしまう。
ネルが説明すればするほど、ジェームズは疑惑を深めていく。心惹かれた女性が容疑者であるこに葛藤を憶えるが……。
殺人事件をめぐるミステリ。
作者は、生態学者として16年のキャリアをもつ専門家。ネルの行動や生態学者としての活動が事細かく、そちらの面からも楽しめます。
ネルは、アダムにときめいていたり、ジェームズに好意を寄せたり、二股感があります。そのあたり、ちょっと好みが別れそう。
実は、ネルには同僚にも秘密にしていることがあります。それが用心深さの要因。この、解説でも伏せられているような意外な事実が、登場人物一覧表にはシレッと書いてあります。
要注意。
登場人物たちのことが分からなくなって一覧を見たくなっても、ネルの正体が明かされるまでは見ないほうがいいです。知らずに読みたかった。
《サイロ》三部作・第二部。
2110年。
トロイは、ジョージア州フルトン郡の丘の下で冷凍睡眠から目覚めた。眠りにつく前のオリエンテーションの記憶はあるが、それよりも古い記憶は失われつつある。
あのとき、数千の男たちがさまざまなシフトを割り当てられた。それから施設内を見てまわり、女たちと同様に眠らされた。シフトは6ヶ月を10回の予定で、今回の目覚めがはじめてのシフトとなる。
トロイは、ひとつのサイロを率いる予定だった。
それなのに急な抜擢で、全サイロを統括するサイロを率いることになってしまった。前任者からの引き継ぎでは、いくつかのサイロで不穏な動きがあり、予想以上に崩壊が進んでいるという。
トロイは与えられた薬の服用をやめた。徐々に古い記憶が戻ってくるが……。
2049年。
新人下院議員のドナルド・キーンは、ポール・サーマン上院議員に呼ばれた。
サーマンは、故郷ジョージア州が輩出した政界の大物だ。子供のころから知っている。ドナルドが下院議員になれたのも、サーマンの後押しあってこそ。
そんなサーマンからドナルドは、極秘の仕事を頼まれた。
ドナルドの大学時代の専攻は建築。バイオ建築の授業で仕上げた設計図をなぜかサーマンが持っており、改良するように指示してきた。100階建てあまりの、実用性を優先した巨大な筒形の建造物だった。
サーマンのアトランタ計画は、CAD−FACに関係している。使用済み核燃料処理保管施設に、いずれ世界中の使用済み核燃料の大半が収められることになるという計画だ。
燃料棒を保管する許可を取るため、非常用の建物を近くに造らなければならない。敵の攻撃を受けたり、放射能漏れが起きたりしたとき、職員が逃げこめる場所だ。そのための建築物に、ドナルドの考が採用されたのだ。
それは、地下に設置される。
ドナルドは全体像が掴めないまま、サーマンに協力するが……。
2212年。
トロイの2回目のシフトがはじまる。サイロでは問題が持ち上がっていた。
文明滅亡後の地下都市の物語。
外伝のような印象でした。
ドナルドのエピソードが、地下都市の誕生を物語ります。トロイのエピソードで、前作『ウール』に繋げていきます。途中から時代が重なってます。
前作を読んでいることが大前提のようですが、読んでいると驚きが減ってしまうような気が。
情報というのは、なかなか難しいですね。