
2024年10月09日
ローズマリー・サトクリフ(井辻朱美/訳)
『ベーオウルフ 妖怪と竜と英雄の物語』原書房
イェーアトの王ヒイェラークの大広間に、交易船の乗組員たちが訪れていた。イェーアトに来訪者があるのは、氷が溶け、野生の雁が北に帰って以来初めてだ。
かれらは大広間に集ったものたちの前で語った。デネの民の偉大な王フロースガールの壮大な館のことを。
その館は、ヒイェラーク王の大広間よりもさらに奥行きが深く、天井が高い。破風の端高くには、金めっきの牡鹿の角が飾られていた。そのため館は〈鹿のヘオロット〉と呼ばれている。
フロースガール王は〈鹿のヘオロット〉を、家中の戦士とともに座して酒をくみかわすため建立した。だれであれ立ち寄るものを歓待しようと建立した。
ところが、そこにグレンデルがあらわれる。〈夜の徘徊者〉と呼ばれるグレンデル、人狼グレンデル、〈死の影〉グレンデル、海辺の洞窟や沿岸の潟に住まいなすグレンデルは、ひとの生命を求める化物だ。
グレンデルをひとの子が鍛えた刃で傷つけることはできない。いかなるかんぬきも錠前も、締め出すことができない。グレンデルはくりかえし〈鹿のヘオロット〉にもどってきた。
どんな勇者も〈鹿のヘオロット〉で夜を明かすと、朝には影も形もなく、床には血しぶきがあるばかり。もはや希望は失せた。デネ全土を探しても、かの怪物を倒す勇者は見つかっていない。
来訪者の話を聞くものの中に、ベーオウルフがいた。
ベーオウルフは、フロースガール王の妹の子。フロースガール王に恩義があった。
まだベーオウルフが生まれていないころのことだ。父となるエッジセーオウはウュルヴィング族の主だった勇士のひとりを殺した。それで血をもってあがなうべき復讐劇に巻き込まれ、若い妻を伴って海賊とならざるを得なくなった。
そんなふた親に住むところを与えのが、フロースガール王だった。さらに王は、エッジセーオウの殺した男の身代金を払い、ウュルヴィング族との間に和を結んでくれたのだ。そのおかげで、ベーオウルフが6つになった夏、故郷へもどることができた。
ベーオウルフはヒイェラーク王の許しを得て、剣の兄弟たちと〈鹿のヘオロット〉にかけつけるが……。
古代の叙事詩をサトクリフ流の児童文学にしたもの。
なお、イェーアトは現在のスウェーデン、デネというのはデンマークのことです。
ベーオウルフが怪物退治に出向くのは、叙事詩では若さの血気にはやるためになっているとか。恩義を絡めたのはサトクリフのオリジナルだそうです。とても自然だったので、もともとそうなのかと思ってました。
児童文学ということもあり、とても分かりやすくなってます。
ただグレンデルがどういう姿なのかは想像しにくく、こうかと思うと違う記述がでてきて戸惑いました。叙事詩がそういう感じなんでしょうね。
いずれは直訳ものも挑戦したいものです。
2024年10月11日
江戸川乱歩
『蜘蛛男』角川ホラー文庫
東京はY町に、関東ビルという貸事務所がある。あいていた13号室を借りにきたのは、美術商の稲垣平造と名乗る紳士だった。
契約した稲垣氏は手早く品物を手配し、その日の午後には美術商のオフィスとなった。そこに、次々と若い娘がやってくる。
稲垣氏が朝刊の新聞広告で女事務員を募集していたのだ。ところが面接もせずに断わっていき、ただひとり、里美芳枝という娘だけを面接して採用した。言葉巧みに芳枝を自動車に乗せた稲垣氏が向かったのは、自宅ではなく空家だった。
その3日後。
稲垣氏は朝刊の新聞広告でセールスマンを募集した。経験は不要で、求めているのは、正直にして穏和なる独身青年。
採用された若者は6名。6つの石膏像をひとつずつ持たされ、学校に見本として贈呈してくるよう指示があった。ただ、平田東一だけは指示を守らなかった。
平田青年は、日当を受け取ったうえ石膏像をかたにして2円を手に入れた。正直でも穏和でもない不良の平田青年にとって、実においしい仕事だ。ところが、翌日のオフィスには誰もいない。
あやしんだ平田青年は、関ビルを見張りはじめる。
そのころ畔柳(くろやなぎ)友助博士は、新聞広告に注目していた。民間の犯罪学者で素人探偵でもある畔柳博士は、警察に捜査協力をするほどの人物。足が悪く、あまり出歩くことはない。
畔柳博士は関東ビルになにかがあると考えていた。最初は、貸部屋広告。それから、その部屋の借り主と思われる人物による女事務員とセールスマンの募集。その数日後、ふたたび貸部屋広告が掲載されている。
わずかな日数で退去があったとはどうしたことだろうか。
そんなとき、里美絹枝と名乗る女性が、妹が数日前から行方不明になっていると相談にくる。ちょうど女事務員が募集されていたころだ。
畔柳博士が関東ビルを訪れると、借り主の稲垣氏は2日しか来ておらず、自宅へ送った手紙は届かず、店員だという青年がさわいでいる、という。畔柳博士は平田青年に案内され石膏像を見にいくが、なにやら蟻がたかっている。
石膏像の中には、女の腕が入っていた。6つの石膏像は、里美芳枝の頭、胴体、両腕、両足だったのだ。
こうして猟奇殺人事件が発覚するが……。
《明智小五郎》シリーズ。
最初は畔柳博士がメインで、その後、シリーズ主人公の明智小五郎が登場します。
なんでも、江戸川乱歩が「通俗もの」を書くと決意を新たにして挑み、明智小五郎のイメージ(異形の怪人たちと対決する正義の味方)が確立された記念的物語だとか。
昔の小説(1930年)だからな、と思いながらの読書となりました。当時は、本作が大うけだったとか。
時代は移り行くものですね。
2024年10月21日
オルハン・パムク(宮下 遼/訳)
『雪』上下巻/ハヤカワepi文庫
ケリム・アラクシュオールは自分の名前が嫌いで、Kaと自称し、Kaと呼ばせるほうが気に入っていた。詩人となり、詩集を出版するときもKaという名義を使った。
Kaは政治に興味がない。ところが別の人が書いた政治的コラムのせいで有罪にされ、やむなくドイツに亡命した。あれから12年が経ち、Kaはトルコに帰ってきた。
Kaは42歳の独り者。Kaが情熱をそそいでいるのは詩だけ。
Kaは、新聞社の古くからの友人に頼まれた。トルコ北東部国境にほど近い地方都市カルスで取材をしてきてくれないか、と。
Kaにとってカルスは、学生時代の思い出の地。
かつては通商の要衝であり、オスマン帝国と帝政ロシアの国境の街だった。裕福な中産階級が暮らしていたが、第一次世界大戦後に独立国となり、その後トルコが奪還した歴史がある。今ではさびれて、貧困と不幸の街になっている。
カルスでは市長が暗殺され、近く実施される市長選挙に沸いているという。それとは別に、スカーフの少女と呼ばれる娘たちの自殺が相次いでいる。
政教分離政策を掲げるトルコでは、公共機関内での礼拝やスカーフの着用といった宗教行為が禁じられている。ところが、教員養成校に通う少女達の中にスカーフを脱ごうとしない者たちがいた。彼女たちは教室から追放され、学校そのものへの立ち入りも禁じられた。
亡くなった少女は両親の説得に応じず、不登校扱いで退学寸前だったという。そして、ある日突然、自殺した。
政府管轄下の宗務省はもとより、イスラム主義者たちでさえ、自殺は冒涜だと繰り返し喧伝している。人は神の傑作であり、自殺は神への冒涜になるのだ。信心深い少女の自殺は、波紋を広げていた。
取材はしているものの、Kaは再会したイペキのことばかり考えてしまう。
大学時代、Kaはイペキに見惚れていた。だが、これまでずっと想っていたわけではない。離婚したと耳にした途端、結婚したいと思うようになったのだ。
Kaはイペキに求婚する。そのふたりの目の前で、教員養成校の校長が撃ち殺されてしまった。
折しも2日間続いた大雪により、市周辺の全交通路が遮断されてカルスは陸の孤島。射殺犯事件が起こるが……。
トルコ文学。
舞台は90年代。
政治的なこと、宗教的なことが全面に出てきます。Kaはイスタンブルの西欧化されたブルジョワの家庭で育っているので、ちょっと距離をもって眺めている感じ。
とはいえ、イペキの別れた夫が市長候補だったり、イペキの妹がスカーフの少女の親玉的立ち位置にいたり、Kaも巻き込まれていきます。
このKaの個性が独特でした。いわば自分勝手。ひとりで舞い上がったり、クヨクヨしたり。突然、詩がわいてきて状況を無視して書き記したり。
イペキに求婚するとき詩的なことを言わないのが、詩人ってむしろそうなんだろうな、と思わせられました。
なお、Kaの心情が事細かに明かされてますが、書いているのはKaではなく別の人物です。物語がだいぶ進んでから判明するので、ふせておきます。
心に残る読書体験でした。
2024年10月28日
ジョン・ル・カレ(村上博基/訳)
『パーフェクト・スパイ』上下巻/ハヤカワ文庫NV
マグナス・ピムは、英国情報部上級職員。
風の強い10月の夜明け前、マグナスがいるのは南デヴォン州の海岸町。ミス・ダバーの下宿に到着したところだ。
ミス・ダバーはマグナスのことを、カンタベリーという名前で知っている。50すぎの男盛りで真剣味と熱意にあふれ、あたたか味と誠実味をふりまくすてきな笑顔をしたハンサムな男。それがミス・ダバーの知るカンタベリーだ。
カンタベリーは身の上話をしない。郵便物も来客もなく、ほとんど電話も使わない。ミス・ダバーが知っていることといえば、ロンドンに住んでホワイトホールに勤め、旅行が多い、ということだけ。
そのころウィーンでは、マグナスの妻メアリーがマグナスの上司であるジャック・ブラザーフッドに一報を入れていた。
マグナスは、父親の死去にともない帰郷していた。そこまではいい。帰ってくるはずの飛行機に乗っていなかったのだ。
空港に迎えにいったメアリーは、マグナスのスーツケースがエプロンをうごいてるのを見たとき直感した。なにかが起こった、と。ただごとではないことが。
情報部の職員たちが次々とピム家にやってきた。マグナスの失踪は極秘扱い。外部はもちろん、内部にも伏せられた。
自宅を徹底的に探索され、質問攻めにされて、メアリーは苛々してしまう。メアリーもかつてジャックの部下だった。だからこそ、スパイとしてのマグナスの不可解な行動に理解があったが、その信頼が徐々に揺らいでいく。
一方マグナスはミス・ダバーの下宿で、前々から書こうとしていた文章に取り組んでいた。自分の生涯を書き記すものだ。息子に向け、ブラザーフッドに向けて。
マグナスの父親のリチャード・T・ピムは詐欺師だった……。
スパイもの。
少しずつ明かされていくマグナスの生涯と、マグナスをさがす人々が織りなす情報合戦。同盟国としてアメリカの情報部ともやりとりがあります。
内省が多いので、なにが起こっているのか分からない最初は意味が汲み取れず、読みにくさがありました。後で読み返すと、そういうことだったんだと気がついて納得できるのですが。
2024年11月02日
ニック・ハーカウェイ(黒原敏行/訳)
『世界が終わってしまったあとの世界で』
上下巻/ハヤカワ文庫NV
〈エクスムア州運送&危険物質緊急民間自由会社〉の本社所在地は〈名なしの酒場〉にある。突然の停電に客たちは驚き、自家発電機を稼働させてテレビを見ると〈ジョーグマンド・パイプ〉が火事になっていた。
〈逝ってよし戦争〉によって、世界は終わった。
世界は悪夢のような〈非=現実〉に侵され、ただ〈ジョーグマンド・パイプ〉が噴きあげる〈FOX〉だけが、人間を人間として保たせてくれる。材料や製造法は誰も知らない。
家を持つべき場所は〈パイプ〉の近く。30キロも離れると〈境界地帯〉と呼ばれる無人地帯に至る。そこにいる人間たちはいつまでも人間のままでいるとはかぎらない。
〈可住ゾーン〉の住民はひとり残らず〈パイプ〉維持存続を望んでいる。それがなければやっていけない。建設は迅速かつ卑劣に行なわれ、要所要所で三重の予防措置がとられ、安全第一を旨として破壊不可能なものになっている。
その〈ジョーグマンド・パイプ〉が火事になっていた。そうした非常事態に声をかけられるのが〈エクスムア州運送&危険物質緊急民間自由会社〉だ。
電話はきた。だが、女の声で、仕事を請けるなという。社長のサリー・J・カルペッパーは黙殺する。
消化の出動要請は、電話ではなく直接だった。
見た目以上に〈ジョーグマンド・パイプ〉はまずいことになっていて、送り出し基地も火事になっているという。そこには〈FOX〉を詰めた容器が数千個ある。
それほどの規模になると、通常の消化は無理だ。有効なのは、爆破消火くらいだろう。大爆発で疑似真空状態にして、火を消すのだ。
〈エクスムア州運送&危険物質緊急民間自由会社〉の面々はトラックに分乗して出発するが……。
終末後の世界の物語。
火事ではじまりますが、その後、物語の半分ほどかけてそこに至るまでの経緯が語られます。
ずっと「ぼく」の一人称ですが、主人公の名前には触れられずに展開していきます。
主人公の古い記憶のひとつが、親友となるゴンゾー・ウィリアム・ルビッチとの出会い。そのとき主人公は迷子の小さな子供で、ただ泣いていて、心配したゴンゾーの家に招かれます。ゴンゾーの両親にも受け入れられ、以来、ふたりはずっと一緒に成長していきます。
当然、火事が起こったときにもゴンゾーと行動を共にしてます。
主人公の名前が明かされなかったのには理由があります。
その理由が分かったとき戸惑いました。冗談を言っているのではないか、と思って。
どうやら本当らしいと分かって、それまでに読んだエピソードを振り返ってみるのですが、その理由で納得できるところと、それだと辻褄が合わないと思うところと。
どうも釈然としないまま、終わってしまいました。
デビュー作なので、こんなものかな、と思いつつ。
ハナ・デンプシーは、ブリーディング・デューティーから仕事に復帰した。
ハナは都市計画局の行政官のひとり。艦に乗っている女性にとって、ブリーディングは義務であり、特権でもある。
9ヶ月の間眠ったまま子供を身ごもり、出産する。精子の提供者のことは知らないし、卵子さえ自分のものではない可能性もある。
人類は絶滅の危機に瀕していた。
星間植民船〈ノア〉は、生き残った人類のエリートたちを乗せて地球を後にしてきたのだ。向かうは惑星カナン。すでに出発して346年が経過しているが、まだ旅程の三分の一のところだ。
何より貴重な資源は、乗員の生命だった。遺伝的多様性は重要で、出産は完璧にコントロールされている。ハナもそのことは理解しているが、子供を失った喪失感に苛まれてしまう。
そんなころハナは、親友のレオナード(レオン)・バレンズから相談を受けた。
レオンは警察官だが、尊敬する先輩キャラハンが不自然な最期を遂げていた。その事実は隠匿されているという。キャラハンのファイルには、ただ〈引退〉したとしか書かれていない。
キャラハンは秘かに〈ひき肉〉事件を調べていた。ひき肉のようになった人間の死体が残されている、凄惨な事件だ。それと同じ最期だった。
レオンは事実を知るため、ハナの助力を必要としていた。
ノアを率いているのは〈評議会〉だ。情報省、保健省、エネルギー省、内務省、平和省の5つから構成されている。
艦長は常に情報省出身者。実質的な権力は、情報保安局(アイセック)が握っていた。レオンは〈ひき肉〉事件に、アイセックが絡んでいると考えている。
覚悟を決めたハナは、レオンと共に事件を調べはじめるが……。
世代宇宙船で起こる殺人事件。
ハナの一人称で語られていきます。このハナが、女性特有の役割語を使う人なんです。つまり、地文もすべて役割語。
出産適齢期とはいえ都市計画局の管理職なので、それなりの年齢のはず。言葉使いからは、人生経験の浅いうら若い女性、のような印象を受けました。
それが延々と続くのでキツいです。
読むのが辛くて、他の本を読む合間に少しずつ読んでました。
作者は日本アニメのファンだそうです。そういうイメージで読むといいのかもしれません。
合う人には楽しめるのかもしません。
2024年11月09日
米澤穂信
『黒牢城』角川書店
天正6年。
織田信長は一向一揆を相手に越前で勝ち、伊勢で勝った。大坂だけはいまだ攻めきれずにいる。
大坂から北に歩むこと半日。伊丹郷そのものを堀と柵木で城内へと囲い込む惣構の城、有岡城があった。
有岡城の城主は大の織田方、荒木摂津守村重。織田家から摂津一職支配を許されている。だが、ここにきて米や塩、味噌を運び入れ、籠城の備えを整えていた。
荒木村重の謀叛は、織田家にとって青天の霹靂。
村重は秘かに、毛利や大坂の本願寺と起請文を交わしていた。籠城すれば、毛利勢が山陽道を駆け上がって有岡城を救いに来ることになっている。
自信に満ちた村重のもとに、小寺(黒田)勘兵衛が訪ねてきた。勘兵衛の君主の小寺は大坂方だ。だが、勘兵衛自身は秀吉の元におり、嫡男が織田の人質になっているという。
勘兵衛は村重に指摘する。毛利は謀の多い家だ。決して来ない。
そのことは村重も気になってはいた。毛利家当主輝元は信用しきれない。それでも謀叛を撤回する気はない。
村重は、勘兵衛を帰すわけにはいかないとも考えた。勘兵衛がいると、君主である小寺が織田になびきかねない。村重は勘兵衛を帰しも殺しもせず、土牢に入れた。
いよいよ戦がはじまるが、戦うまえから次々と支城が織田に下っていく。ついには大和田城までもが開城した。
有岡城には、大和田城の人質として自念がいる。寝返り者の人質を殺すのは乱世の習いだ。ところが村重は、牢に繋ぐように命じただけだった。
武将たちは訝しむ。勘兵衛に続き、自念もとは。御成敗あってしかるべき人質に情けをかけるとは。
土牢には勘兵衛がいるため、新たな牢ができるまで自念は、村重の屋敷の奥にある納戸に入れられることになった。三方が壁になった狭い板の間で、残る一方は、外に面した廻り廊下へ通じる障子戸になっている。
厳重な見張りがつけられたが、自念は殺されてしまった。
床、天井、壁のいずれにも、外したりこわしたりした跡はない。庭には雪が積もり、なんの跡もついていない。見張りがいたのに、誰がどうやって殺したのか。
村重はひとり、勘兵衛の知恵を求めて会いにいくが……。
直木賞受賞作。
連作中編のようなミステリ。
歴史ものとしてはじまりますが、謎がでてくると一気にミステリな雰囲気になりました。
4つの章で、それぞれ事件が発生します。その都度、困った村重が勘兵衛に意見を求めにいきます。もちろん監禁されている勘兵衛が快く答えをくれるはずもなく。
物語が進むにつれ、城内の様子や武将たちが変化していくのも読みどころ。
実際にあった出来事とミステリをうまく融合させたなぁ、と。
2024年11月10日
アラン・ベネット(市川恵里/訳)
『やんごとなき読者』白水社
きっかけは犬たちだった。
宮殿を散歩していたエリザベス女王は、駆け出した犬たちを追って見慣れぬものを見た。移動図書館の車だ。引っ越しトラックのような大きな車が、厨房のドアの外に停まっていた。
犬たちは車にむかってけたたましく吠えつづけ、いっこうに収まらない。エリザベス女王は車のステップを上がり、騒音の詫びを言った。突然のことに、運転手兼司書のハッチングズも、たまたま車内で本を読んでいた下働きのノーマン・シーキンズも、びっくり仰天。
移動図書館は、毎週水曜日に来ているという。
エリザベス女王は礼儀的に、1冊の本を借りた。アイヴィ・コンプトン=バーネットの本だ。デイムの称号をあげたことがあるから名前は知っている。
それまでエリザベス女王は、人並みに読むことはしてきたが、本を好むなどということは他の人にまかせてきた。女王である以上、趣味をもつのはふさわしくない。えこひいきは人々を排除することになる。
女王の仕事は興味をもつことであって、みずから何かに熱中することではないのだ。
借りたのはただの礼儀だということは、ハッチングズにも分かっていた。ところが、翌週も女王は本を借りることになる。そのときにもノーマンは車内で本を読んでいて、女王は少年に目を留めた。
ノーマンは老人ホームで働いていたことがある。ノーマンにとって、エリザベス女王の身分は女王かもしれないが、ひとりの老婦人であることに変わりはない。うまく機嫌をとる必要があるのも同じだ。
エリザベス女王は、ノーマンがいつも自然体でいることが気に入った。女王を前にすると怖じ気づいて自然にふるまえない使用人が多いのだ。
ノーマンは小姓として抜擢され、女王に直接仕えることになった。側近たちは、女王が本を読むことをよく思っていない。本のことで相談できるのはノーマンだけ。
すっかり本を読むことが習慣となったエリザベス女王は、読書の喜びを人にも伝えようとするが……。
寓話
女王の読書が、周囲の人々を不安させます。
なぜそういう反応を引き起こすのか、読んでいる最中はいまいち分かりませんでした。
解説によると、イギリスの上流階級には「あまり知的でない」というイメージがあるんだそうです。上流階級の紳士(単なる金持ちではなく、地主)は、頭があまり良くなくてものを知らないことこそが「美徳」である、と。
そのため王室のイメージとして「知的でない」「物事を深く考えない」「本を読まない」ということがよくネタにされているんだそうです。
本作では、そんな「知的でない人」が本を読む喜びを発見し、読んだものに対して素朴に、率直に、反応する。そこがポイントなんだとか。
そうしたことを踏まえたうえで読むべきでした。
読み手の認識のちがいって、翻訳ものの難しさですね。
なお、本作が出版されたのは2007年で女王81歳のとき。
物語の終盤で80歳になります。エジンバラ公もらしい姿を見せてくれてます。
2024年11月19日
ホメーロス(呉 茂一/訳)
『イーリアス』上下巻/平凡社ライブラリー
アカイア軍はトローアスのテーベーを攻め落とした。獲得したものは公正に分配され、総大将であるアトレウスの子アガメムノーンは、美しいクリューセーイスを得た。
そんなアカイア勢の船陣に、アポローンの祭司クリューセースが愛娘をかえしてもらおうとやってくる。数知れないほどの身の代を持参し、アガメムノーンに懇願した。
アカイア人たちも、神の司をうやまってみな一様に賛成し、身の代を受け取るようアガメムノーンに勧める。ところがアガメムノーンの機嫌が悪い。はげしい剣幕で拒絶し、クリューセースを追い返してしまった。
アガメムノーンに恐れをなして引き下がったクリューセースだったが、祈りはアポローン神の耳に入る。ポイボス・アポローンはオリュンポスから降りて来て、アカイア勢に矢を放った。
アカイア勢は9日のあいだ御神の矢に襲われつづけ、ついに占い師が、御神に咎められている理由を探り当てた。神官に対し、アガメムノーンが恥辱を与え娘を釈放してもやらず、償い代を受け取りもしなかった故だ、と。
そこで、アカイア軍中一の勇士であるペーレウスの子アキレウスが、会議を開きみなを呼び集めた。乙女を返し、代金も償い代も取らない。それに大贄の供御をクリューセーに運ばねばならない。
アガメムノーンは娘をかえすことに同意するものの、怒りがおさまらない。代わりに、アキレウスのものとなったブリーセーイスを要求した。
アキレウスは拒否するが、アガメムノーンは強情だった。ブリーセーイスを奪われ、アキレウスは怒り心頭。ひきこもり、母である海の老神の娘テティスに訴えた。
話を聞いたテティスはオリュンポスに赴き、クロノスの子ゼウスの膝にすがって訴える。トロイエー方に加勢してアカイア勢を押し込めてくれるように。アキレウスを軽んじるアガメムノーンが、自分の過誤を思い知るように。
テティスに恩のあるゼウスは、願いを聞き入れた。どのようにしてアキレウスの恥を雪ぐか考え、アガメムノーンに凶夢を送る。今こそトロイエー人らの城市イーリオスを攻め取るときだ、と。
ゼウスは他の神々にも企みを知らせず、アカイア勢を誘い出したうえでトロイエーに味方するが……。
古代ギリシアの英雄叙事詩。
舞台は、トロイア戦争10年目。イーリオスの攻防戦です。
序盤で早くもなにを読んでいるのか分からなくなり、だいたいの筋を調べてからの読書になりました。
主人公はアキレウスのようです。ひきこもるので前半はあまり活躍しません。後半になって(アキレウスの視点では)大事件が起こり、一気に話が進みます。
そもそも戦争の発端は、イーリオス(トロイア)の王子アレクサンドロス(パリス)が、メネラーオスの妻ヘレネーを奪い取ったこと。そのため、メネラーオスに相談された兄のアガメムノーンがアカイア(ギリシア)勢を率いて攻め寄せたのです。
作中、人間同士の話し合いで、メネラーオスとパリスの一騎打ちで勝敗を決することが決まります。勝ったほうが財宝とヘレネーを得る、と。ところが、パリスが破れると神さまの横やりが入って、約束はご破算。戦争は継続されます。
神々が常に問題なんです。
どっちの陣営も、ゼウスを頂点とするオリュンポスの神々を信仰してます。そのため、ゼウスが本心ではどっちの味方なのか、他の神々にも分からないんです。
裏事情(神話)を知っていることが前提になっているような印象でした。実際、吟遊詩人に奏でられる英雄叙事詩を聴いていた人たちにとって、神話は常識だったんでしょうね。
なお、有名なトロイアの木馬については、続編『オデュッセイア』で語られてました。本作にはでてきません。
2024年11月20日
ナタリー・バビット(小野和子/訳)
『時をさまようタック』評論社
トゥリーギャップ村へとつづく道は森をさけ、そのまわりをぐるっと遠回りしていた。森のむこう側には、四角いがっちりした田舎家がある。森の持ち主であるフォスター家の屋敷だ。
屋敷はきちょうめんに刈りこまれた芝生にかこまれ、がんじょうな鉄のフェンスがめぐらされている。人々に背中を向けているようだ。道はその前をとおり、やがて村へと入っていく。
8月の第一週。
静かでただ暑いだけの週に、メイ・タックはトゥリーギャップ村のはずれの森にいく。日がしずんでから、だれにも会わないように。大好きなオルゴールを手に、馬で森へいく。
ふたりの息子と待ち合わせをしているのだ。マイルズと、ジェシィと。家族が集まるのは10年に一度だけだった。
おなじころフォスター家のひとり娘ウィニーは、家出を考えていた。きちょうめんすぎる家族からあれこれと指図され、まだ子供のウィニーにはうんざりすることばかり。
そんなことは知らず、暮れがたに黄色い服の旅人がたずねてくる。ウィニーが旅人とやりとりしているとき、森からオルゴールのような音が聞こえた。その旋律に旅人は興奮するが、理由は語らない。
翌朝、ウィニーは早くおきた。この日に家出をしようと思っていた。だが、そのときがくるとこわくなってしまう。
ウィニーの決心はゆらぎ、ひとまず森へ足が向く。あの旋律が気になっていた。
森でウィニーは、ジェシィと出会った。ジェシィは若者に見えるが、104歳だという。そこにメイも到着し、ウィニーはふたりに連れ去られてしまうが……。
時間テーマの児童文学。
メイとウィニーと旅人が出そろう偶然から、物事が動きます。
時をさまようことになったタック家の苦悩が重し。いろんなことが絡まってはいるけれど、紆余曲折はないです。
考えさせられました。