
2024年07月03日
リース・ボウエン(古川奈々子/訳)
『貧乏お嬢さま、メイドになる』コージーブックス
《英国王妃の事件ファイル》シリーズ第一作
20世紀初頭。
ヴィクトリア・ジョージアナ・シャーロット・ユージーニー(ジョージー)は、決断した。もう未成年ではないのだから、付き添い人なしで行きたいところに行って、自分自身で決めて、自分自身の人生を選ぶことを。
ジョージーの父は、グレンギャリーおよびラノク公爵。最初に結婚したのはイングランドの伯爵令嬢で、兄のヘイミッシュ(ビンキー)を産んでまもなく亡くなっている。ジョージーの母は再婚相手の女優だ。
ジョージーが2歳のとき、母はスコットランドから逃げだした。乳母や家庭教師もいたから寂しいと思ったことはない。5歳のころには、母の3番目の結婚相手と一緒に暮らしたりもした。
ラノク公爵家が貧乏なのは父のせいだ。カジノで散財しただけでなく1929年の株価大暴落にも巻きこまれ、自死したために莫大な相続税が発生した。
21歳にして前途に失望しているジョージーは、友人の結婚式の準備と偽ってロンドンにでてきた。兄夫妻からラノクハウスに住む許可をもらったものの、メイドを雇う金はない。なのにジョージーは火のおこし方も知らないのだ。
稼がねばならないことを痛感したジョージーは、最初の就職に失敗してしまう。そのうえ、ビンキーが緊急な用事でロンドンに出てくるという。
兄嫁から届いた手紙には、そのための準備について書かれてあった。当然メイドがいるもの、と考えているのだろう。ジョージーは仕方なく、自ら用意を整えた。
これがジョージーの気性にぴったり。楽しんでいる自分に気がついたジョージーは、コロネット・ドメスティックス・エージェンシーを立ち上げる。
通常、地方に住んでいる上流階級は、ロンドンに用事があるときには召使いを先行させて準備させる。ジョージーは、その代行サービスを思いついた。公爵令嬢のレディ・ヴィクトリア・ジョージアナのお墨付きとあってか、反応は上々。
そんなときラノクハウスに、ガストン・ド・モビルと名乗る男が現れた。
実は、ビンキーのロンドンでの用事がド・モビルだった。ド・モビルは、先代のラノク公爵がトランプゲームでラノク城を賭けて負けたと主張しているのだ。
そのうえド・モビルが殺され、ビンキーが姿を消してしまうが……。
殺人ミステリ。
シリーズ名に「王妃の事件」と入ってますが、殺人事件に王妃は関係ないです。
王妃はジョージーに、息子の交際相手についてスパイすることを頼んできます。王妃の言動がジョージーを動かすきっかけなので、物語に絡んではいます。
ちなみにジョージーの王室との関わりは、曾祖母がヴィクトリア女王という繋がりです。
死体が発見されるのは中盤にさしかかってから。
ミステリを楽しむというより、逞しいジョージーと上流階級のあれこれを楽しむ物語、という印象でした。
2024年07月05日
スタニスワフ・レム(飯田規和/訳)
『砂漠の惑星』ハヤカワ文庫SF1566
無敵号は、琴座星系の宇宙本部基地に所属する二等巡洋艦クラスで最大の宇宙船だった。
今回の任務先は、レギス第三惑星。
無敵号と同型のコンドル号がレギス第三惑星で消息を絶って6年。最後の連絡で、サブ・デルタ・92型の砂漠の惑星だと伝えていた。それと、全然意味のわからない一連の断続音と。
この惑星のことはなにも分かっていない。
大気は理想的だった。放射能はぜんぜんないし、胞子も、バクテリアも、カビも、ウィルスも見あたらない。酸素は16パーセントある。
不思議なのは、メタンを4パーセント含んでいることだ。爆発性の混合気体ということだが、無敵号の着陸時に爆発したりはしなかった。なにかが通常とは違うのだろう。
それと、砂のなかには酸化鉄がかなりふくまれている。
とりたてて言うほどの異常さは見当たらないが、コンドル号はここからもどってこなかった。ありふれたサブ・デルタ・92型の惑星ではないのだ。
防御バリアを常設しての調査がはじまる。
都市らしきものが発見され、コンドル号も見つかるが……。
ファースト・コンタクトものSF。
20年ぶりの再読。
前回は旧版で、今回は新版で読んでます。比べられるほどは覚えてませんでしたが。
コンドル号になにが起こったのか。
無敵号にも起こるのか。
副隊長のロハンを主人公に、淡々と静かに展開していきます。未知の相手って、こわいですね。
2024年07月06日
ポリー・フェイバー/作
クララ・ヴリアミー/絵(長友恵子/訳)
『ブックキャット ネコのないしょの仕事!』徳間書店
1940年9月。
石炭みたいにまっ黒なネコのモーガンは、イギリスの都市ロンドンで生まれました。敵の爆弾がはじめて落ちた夜のことでした。
その日、お母さんネコのペタルは、人間たちといっしょに地下鉄の駅ににげこみました。そうして、ホームの暗いすみっこのフェルト帽と新聞の上で、モーガンと妹のメーブを産んだのです。モーガンがインクのにおいにほっとするのは、そのためでしょう。
ペタルは子どもたちが大きくなってくると、地下鉄をでて地上で暮らしはじめました。
1941年5月。
かべの上でペタルとメーブは、気持ちよく昼ねをしています。モーガンはひらひらと飛ぶチョウチョを追いかけて、通りを走っていきました。
そのときです。空からなにか黒いものが落ちてきたのは。モーガンは爆風にふきとばされ、あのかべは、あとかたもなく消えていました。
それから2年。
戦争はまだつづいています。人間の食べ物はきびしく管理されていて、モーガンも残飯を見つけるのに必死です。
そんなときモーガンは、高い屋根の下の部屋から、ネズミが走りまわっている音を耳にしました。えんとつから中に入ったモーガンは、あわてふためくネズミをおいしく食べました。
それからモーガンは、部屋のまんなかの大きな机の紙の山に気がつきました。すべすべでひんやりしていて、インクのいいにおいがします。モーガンは、あっというまに、深い眠りに落ちていきました。
そこはフェイバー・アンド・フェイバー社でした。出版社なのに配給でしか紙が手に入らなくて、しかも倉庫の紙をネズミがかじってしまうので、困ってました。
ネズミをとる能力を認められたモーガンは、住みこみネズミとりネコ、門番ネコ、となりました。
出版社に住みついて2〜3週間たったころ、モーガンはラッセル・スクエアの広場で暮らしているネコたちを誘いました。モーガンは、好運をひとりじめするようなネコではないのです。ごちそうを用意し、みんなでネズミ狩りもしました。
1944年。
まだ戦争はつづいています。モーガンは子どもたちのためにある計画を立てますが……。
児童文学。
ほぼ、絵本。
フェイバー・アンド・フェイバー社は実在する出版社。ノーベル文学賞のT・S・エリオットも在籍してました。
ミュージカル「キャッツ」の原作であるエリオット『キャッツ ポッサムおじさんの実用猫百科』に収められた最後の詩のモデル猫がモーガンだそうです
イギリスでは、黒猫が前を横切ると悪運をつれていってくれると考えられていて、縁起がいいとモーガンはかわいがられます。
いたましい出来事もあったけれど、だからこそモーガンは、広場の猫たちのためになにかしたいと行動したんでしょうね。堂々たるブックキャットぶりに目頭が熱くなりました。
2024年07月10日
高木彬光
『刺青(しせい)殺人事件』ハルキ文庫
昭和21年。
戦争が終わって1年。
世間で「刺青殺人事件」と呼ばれた、凄惨な連続殺人事件があった。
その中心となったのが、大蛇丸の刺青だ。
大蛇丸は、野村絹枝の両腕、両腿、背中いっぱいに彫られていた。絹枝は彫安の娘。彫安と言えば、名人の名をうたわれた刺青師で、その一代の傑作が大蛇丸だった。
8月。
彫勇会主催の刺青競艶会が開かれた。
東大医学部で基礎医学の研究をしている松下研三は、会場で最上久と再会した。久は中学時代の友人で、兄の竹蔵が最上組という土建屋をやっている。
竹蔵の女が、野村絹枝だった。絹枝もさそわれて出場していたのだ。優勝した絹枝の大蛇丸には誰もが感嘆した。一方の絹枝は、なにか気にかかることがあるらしい。
彫安は3兄妹に、大がま使いの自雷也、大蛞蝓にのってあらわれる綱手姫、大蛇の妖術使い大蛇丸、を彫りわけたという。実は、刺青の世界では、蛇と蛙と蛞蝓をひとつに彫ることは禁制のひとつ。三すくみにといって、3匹が争いあって刺青の持ち主は死んでしまうという。
それを彫安は、血を分けた3兄妹に彫ったという。
絹枝の兄、常太郎は南方へ行ったきり行方不明になっている。双子の妹、珠枝は終戦当時、広島にいた。絹枝は、不安を感じているようだった。
研三は、絹枝に呼ばれて朝9時に自宅を訪問する。だが、人気がない。裏手の雨戸が1枚だけ開き、部屋は荒らされ血痕が散っていた。
家に入って絹枝をさがすと、浴室から、水を出しっ放しにしている音が聞こえる。扉は開かない。割れ目から、切られた女の片腕らしきものが見えた。
浴室には、女の生首があった。それから、肘の上から切断された二本の腕と、膝の下から断ち切られた二本の足。大蛇丸はどこにもなかった。
研三は、窓縁の上にうごめく灰色の小さな蛞蝓に戦慄する。
そののち、最上組の管理物件で竹蔵の遺体が発見されるが……。
《神津恭介》シリーズ第一作。
探偵役の神津恭介は、終盤に入りかけたころの登場。
物語は、松下研三を中心に展開していきます。研三の知人が神津恭介という繋がりです。
神津恭介は、研三がまとめたメモやら絹枝から送られてきた写真やらを見ただけで真相を見抜いてしまいます。さすがに確かめる時間をとってから披露しますが。
これでは最初からいたらお話にならない、と途中からの登場になるほど納得。ただ、解決のためだけの存在なので、いなくてもいいような?
なかなか難しい問題ですね。
2024年07月14日
N・K・ジェミシン(小野田和子/訳)
『オベリスクの門』創元SF文庫
地球上でただひとつの大陸スティルネスでは、数百年ごとに〈第五の季節〉と呼ばれる大規模な天変地異が発生する。その都度人類は、文明崩壊の危機に立たされてきた。
そしてまた〈第五の季節〉が訪れ、大都市ユメネスは壊滅した。
そのころ造山能力者(オロジェン)のエッスンは、ユメネスの南にある小さな共同体ティリモに隠れ住んでいた。というのも、オロジェンたちは、大地を操る能力を持つゆえに災厄を呼ぶものとして憎まれ、時に虐殺されることもあったのだ。力は隠さねばならない。
エッスンの力は、子どもたち、ナッスンとユーチェに受け継がれている。〈第五の季節〉到来により、秘密は明らかとなり、ユーチェは死んだ。そして、夫ジージャはナッスンを連れ去った。
エッスンはふたりの痕跡を追って旅立つ。しかし見失ってしまう。やむなく地下都市カストリマに身を寄せた。
カストリマでは、オロジェンも受け入れている。地下都市ゆえに、オロジェンがいないと生活できないのだ。
カストリマで、オロジェンの先達アラバスターと再会したエッスンは、ふたたびアラバスターの教えを受ける。だが、アラバスターは石に変わりつつあるうえ、そもそも教え方がうまくない。
アラバスターによると、かつての地球には〈月〉があったという。実は、アラバスターこそが、ユメネスを滅ぼした〈第五の季節〉を引き起こした張本人。
〈月〉が失われたとき、最初の〈第五の季節〉がはじまった。〈月〉は今でも、地球のまわりで遠心軌道を描いてる。〈月〉が地球に帰れば、現世代は大損害を被っても人類の将来が開けるのだ。
その目的に、エッスンは賛同する。
エッスンはアラバスターから、天空に浮かぶオベリスクを呼び寄せられるか試すように指示された。エッスンも、オベリスクがオロジェニーの増幅器だということは知っている。空に意識を向けたことはなく、詳しいことは知らない。
エッスンはオベリスクに接触するが……。
一方、ジージャに連れられたナッスンは、カストリマよりさらに南を目指していた。ナッスンはまだ8歳だったが、ジージャがユーチェを殴り殺したことを知っている。
ジージャはナッスンに、もっといい子になれるところへ行く、と言うが……。
《破壊された地球》三部作、ニ作目。
ヒューゴー賞受賞作。
前作『第五の季節』を読んだのは2年前。
うっすら覚えているつもりで読みはじめましたが、どういう話だったか思い出すのに手間取りました。
前作について説明するような箇所はほぼ、ありません。その分テンポよく展開していきます。前作を読みなおしてから読むべきでした。
小林紋三は、臆病な癖に冒険好きだった。
酔いに任せて春の夜の浅草公園をそぞろ歩いているとき、一寸法師に目を留めた。10歳位の子供の胴体の上に、まるで借物の様に大人の顔がのっかっている。
紋三がベンチに腰をおろし行き交う人たちを見ているときも、さい前の一寸法師がいた。ツクネンとベンチに腰かけている。やがてベンチから降り、ヒョコヒョコと紋三の前を素通りして、一方の降り口の方へ向かった。
そのときだった。
一寸法師の懐中から、何か黒い物が転がり落ちた。一尺ばかりの細長い品物を包んでいた風呂敷がほぐれて、少しばかり中味がのぞいている。青白い人間の手首だった。
一寸法師はあわてもしない。包物を拾いあげて懐中にねじ込み、立ち去った。
紋三は非常に興奮して跡を追いかける。一寸法師が入ったのは、裏道りの養源寺という寺の庫裏らしい建物だった。
翌朝の新聞で紋三は、溝の中から女の片足が見つかったことを知る。そのとき、あの一寸法師のことを思い出していた。養源寺へ行って様子を探るが、坊さんも近所の人たちも、背の低い人など心当たりがないという。
不思議に思いながら帰宅するとき、同郷の先輩である山野氏の夫人と再会した。紋三は山野夫人から、紋三の知人の有名な素人探偵を紹介してくれないかと頼まれる。
山野三千子が家出して5日。
家出の理由も、どこから出ていったのかも分かっていない。まるで神隠しにでも逢った様で、警察も行方を見つけられずにいた。
山野夫人は知り合いという知り合いを尋ね歩いているところだ。養源寺のお住持もそのうちのひとり。山野夫人にとって三千子は継子にあたり、妙に邪推されはしないかと気に病んでいるのだった。
紋三が紹介した明智小五郎は、上海から帰って約半年。何もしないで宿屋の一間にごろごろし、退屈を持て余していた。紋三とは、貧窮時代同じ下宿にいた間柄になる。
明智小五郎は山野夫人の話から、多年の慣れで、これは一寸面白そうな事件だと直覚した。
紋三も、明智小五郎と山野夫人と共に屋敷へと向かうが……。
《明智小五郎》シリーズ第一作。
次々と謎を解いていく、明智小五郎。最後には、ちょっとずっこけました。そういう展開もあるんだ、と。
明智小五郎という探偵は、執筆時期によって個性に変化があるそうです。
先に《少年探偵団》の一作目に当たる『怪人二十面相』を読みました。あの完全無欠な人物からは、退屈でごろごろしている姿は想像できません。
明智小五郎が今後どう変化していくのか。
そういう変化を楽しむこともできそうです。
2024年07月21日
N・K・ジェミシン(小野田和子/訳)
『輝石の空』創元SF文庫
地球上でただひとつの大陸スティルネスでは、数百年ごとに〈第五の季節〉と呼ばれる大規模な天変地異が発生する。その都度人類は、文明崩壊の危機に立たされてきた。
かつてのスティルネスは3つの大陸で、シル・アナジストという文明があった。なんの限界もなく、物質の力、その構成を完全に把握し、生命そのものを意のままにかたちづくって支配していた。都市の中心にはオベリスクがあり、都市を養い、都市に養われていたものだ。
そのときはまだ〈月〉があった。
そもそも〈第五の季節〉がはじまったのは〈月〉が失われたため。いまでも〈月〉は、遠心軌道を描いて地球をまわっている。
今回の〈第五の季節〉を引き起こした造山能力者(オロジェン)のアラバスターは、〈月〉を地球に帰そうとしていた。次は、オベリスクを利用して〈月〉をつかまえなければならない。成功すればユメネス断層が閉じて〈第五の季節〉は永遠に過去のものになる。
この季節がはじまって1年半。
エッスンは、石になってしまったアラバスターに代わって〈月〉を捕まえる決意をする。だが、身を寄せた地下都市カストリマが、赤道地方の都市レナニスに侵略される危機を迎えていた。
エッスンはオベリスクを使い、敵を殲滅する。侵略者だけでなく、レナニスの住民たちをも滅ぼした。レナニスは今や空っぽになっている。
カストリマの住民たちは救えた。しかし、損害を被ったカストリマで暮らすことはもはやできない。住民たちはレナニスを目指して旅立ち、エッスンも同行する。
オベリスクを使ったエッスンは、今では惑星最強のオロジェンとなった。それは、有効期限ができてしまったことをも意味する。アラバスターと同じように、エッスンは石に変わりつつあった。
〈月〉をつかまえるタイミングは近い。エッスンにとって、行方の分かっていなかった娘ナッスンのことも重要だ。オベリスクを通じてナッスンの居場所を知ったエッスンだったが……。
一方、ナッスンは、ある計画のためにコアポイントへと旅立つが……。
《破壊された地球》三部作、完結編。
ヒューゴー賞受賞作。
前作までのそのまんま続き。読んでることが大前提。どういうことがあったのか、説明らしきものはありません。その分テンポよく展開していきます。
この三部作は、あまり間隔をあけずに読むべきだと思います。
今作で〈第五の季節〉がはじまるきっかけとなった事件も語られます。
それと、最初からずっと、エッスンの章はある人物が二人称形式で語っていました。最終的に、語りの意味が判明します。
なぜ、どうして、なんのために語っているのか。
腑に落ち、すっきりしました。終わりがきれいにまとまっていると、読んでいて(読み終わって)清々しい気分になれます。
2024年07月26日
S・J・ベネット(芹澤 恵/訳)
『エリザベス女王の事件簿 バッキンガム宮殿の三匹の犬』
角川文庫
2016年10月。
女王付きの秘書官サー・サイモン・ホルクロフトは、早朝のバッキンガム宮殿の屋内プールに向かっていた。
海軍のパイロットだったサー・サイモンも、54歳。運動の必要性を切実に感じている。忙しい日々を過ごしているが、寝室の鏡で自分を見たとき、もはや先送りできないと悟った。
ところが、泳ぐより先にプールサイドで死体を発見してしまう。
赤黒い水たまりに、女が倒れていた。女は、お仕着せの白いワンピースを着ている。家政婦のミセス・ハリスだ。
サー・サイモンの動揺は激しく、警察からの報告を女王に伝えたのは、秘書官補のローズマリー(ロージー)・オショーディだった。
ミセス・ハリスは、足首のすぐうえの動脈を切っていた。おそらく、ウィスキーグラスを片づけるためにプールサイドに行き、足を滑らせて手にしたグラスを落とし、グラスの割れた断面が致命傷を負わせたのだろう。転倒したミセス・ハリスは意識を失って、気がついたときには止血できない状態だったと考えられる。
聞いたことのない事故だ。とはいえ絶対に起こらないとも言いきれない。
実は、ミセス・ハリスはトラブルに巻き込まれていた。定年後も働き、女王のお気に入りで、反感を買っていた。よく思わない者は多く、嫌がらせの手紙も受け取っていた。
手紙は、ほかの職員のところにも、ロージーのところにも届いている。
これまでロージーは、女性であることや人種ゆえの差別を受けてきた。だから今に始まったことではない。不愉快だが放置していた。
なにより、女王に頼まれた仕事が難航しているのだ。
女王はあるところで、1963年に描かれたブリタニア号の絵を見た。かつて寝室を出たところに飾っていた絵だ。
とくに気に入っている絵だったため、ひと目でわかった。わからないのは、なぜ自分の絵がそこにあるのか、ということ。
ロージーは、王室所有の帆船を描いた絵画が、現在の場所に保管されるにいたった経緯を調べ、速やかなる返却に向けて手筈を整えるよう命じられていた。
今ところ、女王の望みどおりにはなっていない。
ロージーは奮闘するが……。
英国王室のからむミステリ。
『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』
続編。
何千点もの絵画を所有する女王が、どうしてひと目で絵のことを分かったのか。高価なものではなく、巧みともいえない。飾られなくなっても騒ぎはしないけど、人のものになっていたら不愉快。
その理由になるほど納得。こだわって返却要求するのも分かります。とてもすっきりできました。
絵画の所在の謎やら、嫌がらせの手紙やら、ミセス・ハリスの死の不可解さやら、いろいろバラバラな出来事がありますが、そこはミステリ。ちゃんときれいにまとまります。
なお、前作同様、英国の王室ファミリーのことをある程度把握していることが大前提。ほんのちょっと名前がでてくるだけなので知らなくてもいいのかもしれませんが、知っていれば、ちょっとしたネタに頷けます。
そうした点も楽しみのひとつ。
2024年07月29日
リン・トラス(玉木 亨/訳)
『図書館司書と不死の猫』東京創元社
アレック・チャールズワースは、秋学期の終わりに図書館司書を定年退職した。今は1月。ノーフォークの海辺で休暇をすごしている。一緒にいるのは、茶色い小型犬のワトソンだけ。
最愛の妻メアリーを亡くし、アレックは静けさを必要としていた。
コテージに娯楽はない。それが、ウィンタートン博士から送られてきたメールを見た理由だ。
ウィンタートン博士は図書館の利用者だった。ほとんど面識はなく、なぜ〈ロジャー〉というフォルダを送ってきたのか、検討もつかない。
文書を作成したウィギーという人物は、ロジャーとのやりとりを脚本形式ではじめ、ロジャーが猫だと明かした。しゃべる猫だと。
ある木曜日の午後4時。
ウィギー(ウィリアム・ケイトン−パインズ)に姉のジョーから電話があった。猫のロジャーの面倒を見るのに手を貸してほしいという。ロジャーは元はといえば、数ヶ月前に自宅の階段から転げ落ちて亡くなった友人の猫だった。
そのときウィギーは手が離せず、週末になってジョーのコテージを尋ねた。
ジョーは不在だった。それなのに車があり、門は開け放たれ、裏口は施錠されていなかった。暖房もついたまま。ハンドバッグが玄関に残され、充電中の携帯電話は壊れていた。
そのうちロジャーがしゃべりだし、ウィギーはロジャーの猫生に耳を傾けることとなる。
ロジャーの生まれは1927年。
1歳になるころ、大きな黒猫と出会った。その猫の名はキャプテン。キャプテンによってロジャーは、九生あることを確認された。
ほとんどの猫たちが、長い年月をへて飼い慣らされ、九生を失っている。昨今では、気骨と活力と頑強な生命力をもつ猫は、百万匹に一匹しかいない。そのうちの一匹がキャプテンであり、ロジャーだったのだ。
ウィギーが制作したファイルすべてに目を通したアレックは、実際にあったことだと確信する。メールの送り主であるウィンタートン博士に説明を求めるが、どうも要領を得ない。
ウィンタートン博士は、すべてを知りながら理論整然と説明することができないのだ。それで図書館司書のメアリーに助けを求めたのだろう。
そして、メアリーは死んだ。
アレックは邪悪なキャプテンが迫っていると考えるが……。
邪悪な猫の物語。
脚本や、音声データを書き起こしたもの、メール、通常の独白、さまざまな方面からミステリ的に語られます。
序盤はこわいです。ホラー風味。
たくさんの猫が死に、犬も悲惨な死を迎えます。ところが、物語が進むにつれて、実はコメディではないか、と疑いがでてきます。
人間が階段を下りるときに猫が足元をウロウロするのは、猫あるある。猫が人間に危害を加えようとしているため、という理由はユーモアまじりでよく語られます。そういったことを大真面目に、恐怖とともに語ったのが本書ではないか、と思います。
ただ、作者の意図は分かりません。
ホラーなのかコメディなのか、読み手次第なのかもしれませんね。
(人が亡くなっている以上、ホラーだとは思いますが)
2024年08月01日
イラナ・C・マイヤー(鍛治靖子/訳)
『吟遊詩人の魔法』上下巻/創元推理文庫
ダリエン・アルデムーアは、マーレン・ハンブルリとコンビを組み、学院卒業からわずか1年にして名声を獲得した吟遊詩人。この十年で、もっとも世に知られたふたり組として知られていた。
今度の盛夏祭では、12年に一度の競技会が開かれる。エイヴァールじゅうからすぐれた吟遊詩人が集まり〈銀の枝〉を獲得せんと競いあう。ふたりもそのために王都タムリュリンにやってきた。
かつてエイヴァールには魔法があった。
吟遊詩人のなかでも選ばれた〈視者〉たちが強大な魔法の力をふるう時代があったのだ。そして、人の血を使った魔法をおこなう背教の吟遊詩人たちもいた。
かれらは争い、背教の者たちは滅んだ。だが、そのために多くの人材が失われ、吟遊詩人たちは弱体化した。このチャンスを王は逃さない。
王にとって吟遊詩人たちは、みずからの絶対的権力に対する脅威だった。王の介入があり、なにかが起こって吟遊詩人の魔法は失われた。
それから時代は下り、エドリアン・レトルトが登場する。
エドリアンは、かの時代においてもっとも偉大な〈視者〉。魔法とともに失われたと考えられていた〈異界への道〉を探し求め、発見した。ところが、魔法を秘めた〈銀の枝〉を持ち帰っただけで、見てきたものについては口をつぐんだ。
〈銀の枝〉は、今も学院の竪琴の間におさめられている。霊妙な輝きを放ち、春ごとに芽吹いて花と葉をつけ、冬になるとまた枯れていくという。〈銀の枝〉には王国にも等しい価値がある。
競技会での優勝者に与えられるのは〈銀の枝〉の複製だ。その〈銀の枝〉を、ダリエンは欲していた。
ダリエンには、リアンナ・ゲルヴァンという恋人がいる。父は有力な大商人。貴族の端くれだが末っ子にすぎないダリエンでは、リアンナの父が了承するとは思えない。
だが〈銀の枝〉を得られれば話は別。
ダリエンには勝算があった。実力があり、ゲルヴァン邸で開かれる舞踏会に招かれるまでになっている。
その夜、舞踏会には、ハラルド王が来臨し、宮廷詩人ニッコン・ジェラルドも列席した。それと、ヴァラニル・オクーンも招かれていた。
ヴァラニルは〈視者〉で、ニッコンと並び称される偉大な吟遊詩人。10年以上ものあいだ異国を旅して戻ってきたらしい。
招待客たちはヴァラニルの登場に興奮するが、披露されたのはエイヴァールの現状を糾弾する歌だった。ヴァラニルは王宮兵に捕えられてしまうが……。
異世界ファンタジー。
群像劇になっていて、ダリエンは中心人物のひとり。
もうひとりは、リンと名乗っているキンブレイリン・アマリストス。わけありで、女吟遊詩人として活動してます。なお、女は吟遊詩人になれない、という設定になってます。
そのほか、マーレンとか、リアンナとか、いろいろ。
少々、説明不足な印象。
後づけで明かされたり、後から例外がでてきたりすることも多く、疑問だらけで読んでしまいました。なかなか興味深いところもあるのですが。
本作がデビュー作だそうですから。