
2024年08月05日
ジョン・スコルジー
(内田昌之/訳)
『怪獣保護協会』早川書房
2020年。
その日は、ジェイミー・グレイの勤務評価の日だった。
ジェイミーがフード#ムード社にきて6ヶ月。シカゴ大学の博士課程を離れての就職だったが後悔はない。やりがいを感じ、新たな提案もある。
CEOのロブ・サンダースの提案は、配置転換だった。
デリバリー要員だという。指揮をとるのではなく、現場で、最前線で、街角から情報を得る。それが嫌なら退職せねばならない。
新型コロナの蔓延で、ロックダウンが近かった。どこもかしこも閉鎖され、仕事などない。やむなくデリバリー要員になったジェイミーは、配達先でトム・スティーヴンスと再会した。
はじめジェイミーは、トムのことが分からなかった。なにしろ、かつてのルームメイトの親友の彼氏にすぎないのだ。トムにとっては、当時のジェイミーの発言で人生を変えた経緯があった。
以来、ジェイミーはトムから贔屓にしてもらった。
ところが、フード#ムードはウーバー社に買収されてしまう。ウーバーには自前のデリバリー要員がいて、ジェイミーはお払い箱。
そのことを知ったトムが、仕事を紹介してくれた。
トムは、KPSというNGOで働いている。大型動物の権利を守る団体だという。来週には所属するチームがフィールドに出発するが、新型コロナでひとり入院し、欠員がでてしまっていた。
いまの時点で本当に必要なのは、物を持ちあげてくれる単純労働者。デリバリー要員であるジェイミーなら、物を持ちあげられるのは分かっている。
面接を受けたジェイミーは、あまりの高待遇に驚く。
ただし、何ヶ月も文明から離れることになる。インターネットは使えず、外界とのコミュニケーションそのものがごくわずか。ニュースもほぼ入ってこない。
仕事内容は絶対的な機密。ジェイミーは詳細が分からないままに同意し、採用された。たくさんの予防接種を行ない、なにも教えられないままに向かったのは、グリーンランドのトゥーレ空軍基地。
ついに仕事内容を知るが……。
怪獣SF。
タイトルで分かっているので書いてしまうと、KPSとは怪獣保護協会(カイジュウ・プリザヴェイション・ソサエティ)の頭文字。
怪獣がいる平行宇宙の地球が主な舞台で、怪獣は絶滅危惧種。怪獣を研究し、保護するのが仕事内容です。それと、出資者の接待と。
KPSのメンバーは、ほぼ博士号保持者。ジェイミーは修士号どまりなので、ちょっと思うところはあるけれど、そのままいけば博士号をとれた頭脳はもっているので、話題に置いてけぼりになることもなく、うまくやってます。みんな研究に夢中で、マウントとることもないですし。
やりとりも軽快。和気あいあいとしている職場、いいですね。ストレスなく読めました。
もちろん、それだけではなく、きちんと山場もあります。
読了後、あとがき読んでおどろきました。物語とは関係ないことですが。すぐに読み返してみたくなりました。
2024年08月08日
ロビン・スローン(島村浩子/訳)
『ペナンブラ氏の24時間書店』東京創元社
クレイ・ジャノンは失業者だった。
たいした職歴もなく、不況で、とにかくどんな職でもよかった。そんなときだ、ブロードウェイの中心から離れていたところで、窓に貼られた求人ビラを見つけたのは。
ミスター・ペナンブラの24時間書店で、夜勤の店員を募集していた。
ミスター・ペナンブラのだした条件はみっつ。
午後10時から午前6時までのあいだ、なにがあっても店に居続けなければならない。
棚に並んだ本を開いて見てはならない。
お客とのやりとりをすべて記録しなければならない。顧客の名前、来店時刻、書名、態度や様子など、すべてを。
クレイは、簡単な面接を経て採用された。
ミスター・ペナンブラの24時間書店は、ふたつの店がくっついているようだった。
手前はふつうの古本屋だ。新品のように状態のいい本が、デスクのまわりの書棚に本がぎっしり詰まっている。蔵書は多岐にわたり、パターンも意図もよく分からない。
奥側が問題だった。くらくらするほど天井が高く、書棚がずっと上まで続いている。 並べられているのは、グーグルが知るかぎり存在しない作品ばかり。
大半はアンティークのように古く、ひび割れた革装をして、書名が金箔で記されている。一方、色あざやかなぱりっとした表紙の新しい装丁の本もある。
クレイは奥側の店を、奥地蔵書と呼ぶことにした。
見てはならないと厳命されているのは、奥地蔵書だ。独自の顧客グループが存在し、まるで狂気にかられたかのように、アルゴリズム的規則正しさでやってくる。会員証を持っている人たちで、全員がかなり変わっていて、白髪で、ひたむきで、どこか別の時代か場所から来たような雰囲気がある。
メンバーがくるとクレイは、指定された本を持ってきて渡す。そして、観察する。
精神状態はどうか。どのような恰好をしていたか。どのように本を請求したか。どのように受けとったか。怪我をしている様子はなかったか。
ミスター・ペナンブラの24時間書店にお客はほとんど来ず、ひまを持て余したクレイは勝手にマーケティングをはじめる。つい奥地蔵書を見てしまうが……。
本にまつわる物語。
宣伝文句の
「すべての本好き、読書好きに送る冒険と友情、その他もろもろ盛りだくさんの物語」
につられて読みました。読み終わってみれば、おおむね正しいです。
ぼんやりと人情ものを想像してましたが、それは違いました。
クレイは面接で好きな本を尋ねられたとき『ドラゴンソング年代記』を挙げます。おもしろさもさることながら、この本のおかげで親友ができた、と。なんてことない場面ですが、のちのち大きな意味を持ってきます。
この本にまつわるエピソードが好印象。
こまかいことを考えると、不可思議に思えるところもあるのですが、すごくおもしろく読めました。
ただ、クレイが勝手にいろいろするのが、どうも受け入れられなくて。それだけが残念。
なお、中盤以降の展開について書的独話「究極の書物」でとりあげてますので、興味がわいた方はどうぞ
2024年08月13日
ラーフル・ライナ(武藤陽生/訳)
『ガラム・マサラ!』文藝春秋
いつものように湿った暖かい午後だった。その日、ラメッシュ・クマールはルドラクシュ(ルディ)・サクセナと一緒に、ルディのアパートにいた。
ルディが住むのは、デリーの超高級アパート。ルディはコカインで意識を失い、ラメッシュに意識はあったものの酒を飲んで床の上に転がっていた。
そのときだ。突然、知らない男がドアを壊して侵入してきた。騒動にもルディは目を覚まさない。ラメシュも、警棒で打ちつけられてなにもできなかった。
こうして、ふたりは誘拐された。
ラメッシュは、元はといえば受験コンサルタント。ロースクールの入試、軍隊の入試、トイレ検査官の入試と、試験はいろいろある。
ルディの両親に依頼されたのは、全国共通試験だった。学校を卒業するときに誰もが受けるやつだ。最高の大学、最も輝かしい未来、最もホワイトな人生への入口になっている。
全国共通試験で1万位以内に入れば、将来が約束される。百位以内に入れば、出身校の校舎に顔が貼り出され、教師はテレビでインタビューされる。十位以内なら、即席セレブの誕生となる。
ルディの場合は、1万位以内を130万ルピーで請け負った。両親によると、いい子なんだけど助けが必要なんだとか。
本番まで1ヶ月。ルディに成り代わって受験するため、ラメッシュは脳に知識を詰め込んでいく。
試験結果が発表されたら、サクセナ家から電話がくることになっていた。ところが、なんの連絡もない。
ラメッシュが結果を知ったのは、行きつけの南インド料理屋だった。テレビ画面にルディが映っていたのだ。国じゅうの全テレビ局が、サクセナ家に集まっているようだった。
ルディはトップだった。
これでルディは、大金持ちへの切符を手に入れたことになる。
ラメッシュはサクセナ家に乗り込んだ。ラメッシュの要求はルディの収入の10パーセント。ルディのマネージャーになれなければ世間に公表すると脅かした。
ラメッシュとルディは共に行動するようになるが……。
インド小説。
カースト制度の言及は少なめ。
ラメッシュの生い立ちも語られます。貧乏な家だけど最底辺ではなく、子どものことなど考えない父親とのふたり暮らし。そこから受験コンサルタントになるまでのいきさつ。
これまでインド作家の本は、古典くらいした読んだことがありませんでした。
賄賂が当たり前な社会の感覚が、いいか悪いか別にして新鮮でした。人生の主人公としては、金で融通を効かせられるのって都合がいいですよね。なかなか賄賂がなくならないのも分かる。
2024年08月14日
T・S・エリオット/作
エドワード・ゴーリー/挿画
(小山太一/訳)
『キャッツ ポッサムおじさんの実用猫百科』
河出書房新社
別題「おとぼけおじさんの猫行状記」
「キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法」
「袋鼠親爺の手練猫名簿」
「オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集」
袋鼠(ポッサム)おじさんというキャラクターに仮託して書いた、猫をテーマにしたユーモラスな軽い詩。
ミュージカル「キャッツ」の原作。
収録作は以下の15編。
「猫の名付け」
「ガムビーばあさん」
「絶体絶命グラウルタイガー」
「ラム・タム・タガー」
「ジェリクルたちの歌」
「マンゴージェリーとランペルティーザー」
「デュートロノミー御大」
「ペキとポリクルの恐るべき戦い」
「ミスター・ミストフェリーズ」
「マキャヴィティ−−ミステリー・キャット」
「ガス−−劇場猫」
「バストファー・ジョーンズ−−シティボーイ・キャット」
「スキンブルシャンクス−−鉄道猫」
「猫とジッコンになる方法」
「モーガン爺さんの自己紹介」
ポリー・フェイバーの児童文学『ブックキャット ネコのないしょの仕事!』を読んだとき本書のことが取りあげられてました。
あちらで主人公猫だったモーガンは、最後の詩に登場します。
かなり違う印象でした。人によって切り取り方がちがうの、おもしろいですね。
残念ながら「キャッツは」は未視聴。俄然興味がわいてきました。
2024年08月17日
デニス・レヘイン(鎌田三平/訳)
『愛しき者はすべて去りゆく』角川文庫
パトリック・ケンジーは私立探偵。アンジェラ(アンジー)・ジェローナと公私ともにパートナー関係にある。
このところ世間を騒がせているのは、アマンダ・マックリーディの行方不明事件だ。アマンダはまだ4歳7ヶ月。ボストンじゅうが彼女の居場所を見つけようと、大騒ぎをしている。
日曜の夜から月曜朝にかけての出来事だった。
報道された母親ヘリーンの証言によると、アマンダを鍵のかかっていないアパートに残し、となりに住む親友のアパートでテレビを見ていた、という。アマンダに父親はいない。3時間45分のあいだ、アマンダはひとりで鍵のかかっていないアパートにいた。
アマンダが行方不明になって3日。
パトリックのもとに、アマンダの伯母ビアトリス・マックリーディから連絡があった。警察の捜査に進展がないため力を借りたいという。だが、パトリックもアンジーも乗り気になれない。
アマンダのことは詳しく報道され、たくさんの人間が捜している。子供の失踪は72時間以内に解決しないと、解決する見こみが少なくなる。今さら捜す人間が増えたところで、どうにもならないだろう。
ひとまず話だけは聞いたものの、パトリックは、ビアトリスの強引さに戸惑ってしまう。
パトリックは、ヘリーンが〈フィルモア・タップ〉に出入りしていたと聞き、ひとまず足を運んだ。麻薬常習者がいくので有名な、いかがわしい店だ。
実のところ、アマンダが姿を消した日も、ヘリーンは〈フィルモア・タップ〉にいた。親友と一緒だったが、親友のアバートというのは嘘だったのだ。ヘリーンは麻薬の運び屋だった。
麻薬の線で、街のギャング、チーズ・オラモンが浮かびあがってくる。チーズは3ヶ月前に仮釈放違反を犯して刑務所にいるが、逮捕直前の取引に失敗していた。
強制捜査されたとき、ブツは現場で見つかっている。だが、カネはなかった。街の噂では、運び屋がカネを持ったまま逃げたという。
カネが押収されていなかったことを、刑務所にいるチーズが知ったのではないか。カネを取り戻すため、ヘリーンの娘を誘拐したのではないか。
パトリックは、担当刑事と共にヘリーンがカネを持っていったという家に行くが……。
《私立探偵パトリック&アンジー》シリーズ第四作。
児童の誘拐にはじまる殺人ミステリ。
このシリーズをはじめて読みました。
これまでのシリーズであったらしきことがパトリック&アンジーに影を落としてます。なにがあったのか、だいたいは分かります。気にはなりましたが。
途中まで、読みながらなにかがひっかかっていたのですが、パトリックもひっかかっていることでした。その理由が判明して、失踪事件の全容が見えてきます。
展開がうまいなと思いつつ、児童がからんでることもあって、後味はあまり……。
自分ならどういう選択をするか、考えさせられました。
2024年08月21日
キム・チョヨプ(カン・バンファ/訳)
『世界の果ての温室で』早川書房
人は、赤い霧のなかでは生きられない。耐性がある人にとっても、ダストが死を意味すること自体は変わらない。
ダストが蔓延していた時代。世界各地に、ダストをさえぎるための巨大なドームが建てられた。その後、ディスアセンブラの開発に成功し、ダストは収束している。
それから60年。
アヨンは、ダスト生態研究センターの研究員。朝鮮半島南部に自生する植物の生態変化を担当している。
このところ江原道(カンウォンド)ヘウォルの廃墟で有害雑草が異常増殖し、世間を騒がせていた。問題の植物は、ミツデトライコームカギヅタ、一般的にはモスバナと呼ばれている。アヨンは、山林庁からモスバナの分析を依頼された。
モスバナは、細くて茶色い茎をもつ、なんの変哲もないツル植物だ。ダスト終息期の繁茂種だが、再建以降は生息地が急減している。山林庁は、このモスバナにはおかしな点があるという。
アヨンは奇妙な噂を耳にする。モスバナが増殖しはじめてから、その付近で青い光を見たという。青い光は、アヨンが子どものころに見た記憶があった。
そのころアヨンは、オニュという小さな町に住んでいた。
隣は倉庫と庭つきの大きな家で、暮らしているのは、イ・ヒスというおばあさんひとり。イ・ヒスはダスト時代の経験者だ。ドームの外での話は、まるで別世界から来たようだった。
イ・ヒスは、気味が悪いほど雑草を生い茂らせた庭を大切にしていた。アヨンが青い光を見たのは、その庭だ。空中を漂う塵すらも青く、まるで青いベールをかぶせたかのような、自然ではありえない光景だった。
モスバナについて調べるうちアヨンは、青い光にまつわる真実を知っているという人物にたどりつく。それが、薬草学者ナオミだった。ナオミは、モスバナを用いた民間治療で名を馳せていたこともあったという。
アヨンはナオミから、かつてドームの外にあったという奇跡の村の話を聞くが……。
ポスト・アポカリプスもの。
アヨンがモスバナについて調べ、ナオミにたどりつき、ナオミが当時のことを語ります。
滅亡寸前から奇跡的に復活した世界を書くSFではないです。アヨンの調査により事実が判明していくミステリでもないです。
じゃあ、どういう物語なのかといえば……作者の世界観を堪能する物語……でしょうか。
別に長編があって、その外伝を読んでいるような印象でした。当事者の回想で事実が明らかになっていくのが、物足りないというか、ちょっと合わなかったようです。残念。
なお、ダストが蔓延しだしたのは、2055年の秋のことです。その5年後くらいに終息に向かいはじめてます。
また、ナオミは日本人ではないです。
2024年08月24日
バリントン・J・ベイリー(冬川亘/訳)
『カエアンの聖衣』ハヤカワ文庫SF512
ペデル・フォーバースは、由緒正しいプロの服飾家を自認していた。だが、莫大な負債をかかえ、破産寸前。自称実業家のリアルト・マストが仕事を持ちかけてきたのは、そんなときだった。
実は、マストの正体は密貿易者。その仕事の危うさは分かっていたが、借金を肩がわりしてもらえるなら引き受けざるを得ない。
こうしてペデルは〈コスタ号〉に乗って、惑星カイレにやってきた。
カイレの動植物は超低周波音波を発し、共振音をぶつけて相手を粉砕する。植民にうってつけの惑星にもかかわらず無人なのは、そのためだ。遮蔽スーツがなければ生きていられない。
このカイレに、カエアンの難破宇宙船が着陸した。カエアン文明の衣裳を満載した宇宙船が、手つかずでそのままそこにある。
ペデルの暮らすジアードは、カエアンと対立していた。異質なカエアンを敵視し、その衣裳も法律で禁止している。だが、かれらの作る服の愛好家は少なくなく、高値で闇取引きされていた。
なにしろカエアンの衣裳は特別なのだ。それは、たんなる装飾ではなく、ひとつの哲学であり人生観。神秘の衣服は、身につけた者にさまざまな効果を与えてくれる。
遮蔽スーツを着てカイレに降ろされたペデルは、目的の船を見つけた。生存者はいない。船内に入ったペデルは、すばらしい服の数々に圧倒されてしまう。
とりわけ圧巻だったのは、フラショナール・スーツだ。
カエアン服飾芸術界の帝王とうたわれた大天才フラショナールは、寡作家だった。なかでも奇跡の素材プロッシムで作られたものは5着しかない。
ペデルは、そのうちの1着をわがものとした。
帰国したペデルは、フラショナール・スーツを着て大出世。スーツはペデルに、自信と魅力を与えてくれるが……。
そのころジアードの元首会は、対カエアン戦争の可能性を熟考していた。相手を知るため、カエアン文化の特殊性がどのように発展してきたか、調査する〈カラン号〉が送り出される。
惑星をめぐって調査していた〈カラン号〉は、宇宙空間で男を捕獲した。
男が身にまとっているスーツは、12フィートあまりの巨大なもの。宇宙服というより、もはや宇宙船だ。かれは自分の本当の姿を知らず、生まれてからずっとスーツを自分の肌として生きてきた。
調査団を指揮する社会学者のアマラ・コォルは、かれの種族こそがカエアン文化の発端だと仮説をたてるが……。
ワイドスクリーン・バロック。
18年ぶりの再読。
よくよく考えてみると不真面目な設定なのですが、あくまで真面目に語られてます。めくるめくアイデアが洪水のように押し寄せてくる一方、きちんと流れもあります。
服を肌としている種族はロシア人の末裔なのですが、かれらと敵対しているのは日本人の末裔です。そんなことは忘れてました。
忘れたころに読むっていいですね。
2024年08月26日
高木彬光
『呪縛の家』光風社出版
八坂村の水呑百姓だった卜部舜作は、あるとき不思議な夢を見た。天照皇大神だと名乗る絶世の美女が現れ、この世に神の国を開け、と命じたのだ。
そのとき卜部舜作33歳。何か不思議な力に駆り立てられたのか、舜作には透視力が備わり、失せものや縁談のことや相手の心の中までも、ぴたりぴたりといいあてるようになった。その評判は村人の口から口へと伝わり、たちまちにして近郷の話題に登る。
人々がおしよせ、紅霊教が誕生した。
舜斎と名を改めた卜部舜作は、軍部に近づていく。開戦当初はまさに日の出の勢いだった。ところが、次から次へと予言が外れるようになり、敗戦を迎え、紅霊教の輝ける歴史も終った。
それから30年。
松下研三は、一高時代の同窓である卜部鴻一から手紙を受け取った。
鴻一の大伯父は、卜部舜斎。舜斎の3人の娘たちと、かつての紅霊教本部で暮らしている。鴻一は、かれらが奇怪な死を遂げるのではないか、この家に不吉な出来事が起るのではないか、そんな予感が日ましに強くなっていると心配していた。
研三は、名探偵と名高い神津恭介共々誘われるが、あいにく恭介は旅行中。研三はひとり八坂村へ向かった。
道中、研三がひとりの男に道を尋ねると、その男は、卜部家のことを呪われた人々と呼んだ。そして、神のお告げがあったので伝えてほしいと、予言を口にする。
今宵汝の娘は一人、水に浮かびて殺さるべし、と。
正気なのか、狂人なのか、研三は見当もつかない。再会した鴻一に聞くと、その男は卜部六郎といって血のつながりはなく、もとは紅霊教の門弟だったという。
素行がよくないために破門された六郎は、自分こそが紅霊教の正統だと主張し、加持祈祷をやり出した。不思議によく効くと評判になり、最近ではよっつの殺人事件を予言しているという。
屋敷を案内された研三は、舜斎の三女である土岐子が倒れる現場に居合わせた。土岐子の唇は色あせ脈も弱い。誰かが毒を盛ったと思われた。
応急処置をする研三が唖然としたことに、さわぎにかけつけた舜斎と澄子、烈子の姉妹は、わけの分らぬ呪文を誦しているだけ。冷然と祈祷をつづける以外、なにもしない。
土岐子は駆けつけた医師に引き継がれた。どうも、飲んでいる水薬に毒が入れられていたらしい。
不穏な空気が漂う中、澄子が入浴中に殺されてしまうが……。
《神津恭介》シリーズ長編第2作
前作『刺青殺人事件』と同じく、研三が語り手として事件を案内し、恭介は途中から登場します。
間にいくつか短編があるようで、ここまでの経緯のようなことが軽く触れられてました。
あやしげな新興宗教からみとあって、雰囲気がおどろおどろしいです。スタイリッシュな神津恭介は、ちょっと場ちがいな感じ。
その落差も面白みのひとつ、なのでしょうね。
2024年08月29日
ジョゼ・サラマーゴ(雨沢 泰/訳)
『白の闇』NHK出版
はじまりは、ひとりの男だった。
交差点で信号待ちをしていた車のなかに、とまったままのものがあった。ようやく青に変わったというのに、まんなかの車線の先頭の車が走りだそうとしない。
後ろの車から何人かが降りてきて、閉じた窓ガラスを激しく叩く。車のドアがあけられたとき運転手は訴えた。目が見えない、と。
男の眼は健康そのものに見えた。虹彩はきらきらと輝き、白目は白い陶器のように詰まっている。だが、絶望に陥り、半狂乱になっていた。
男の家はすぐ近くだった。たまたまそこにいた男が代わりに運転して家まで連れて行ってやったが、ついでにそのまま車を盗んで行った。失明した男にはどうしようもない。
妻が帰宅すると、夫婦は目医者にいった。
どんな検査をしても、異常は認められない。角膜、胸膜、虹彩、網膜、水晶体、黄斑にも、視神経にも、おかしなところはない。それでも失明した男は、ミルク色の海で泳ぐように、視界が真っ白なのだと訴えた。
男は38歳。年齢が原因とは思えず、外傷も見つからない。先天的な欠陥もみとめられない。しかも、黒ではなく白とは?
診療を終え帰宅した医者は、医学書を読みあさった。像や、形や、色彩を知覚できない脳が、果てしない白い色を感じることはむりだ。どんな理由が考えられるだろうか。
深夜、医者は自分が失明したことを知った。
翌朝になっても、医者の容態は変わらない。病院の院長に電話して説明した。通常、失明が病原菌によって感染することはないが、昨日診察した患者の病気に感染したとしか思えなかった。
院長も半信半疑だったが、同様の症状の者が現れ、事態は一変する。昨日、眼科診療所にいた患者たちだったのだ。ついでに車を盗んだあの男も。
政府は、ただちに隔離することを決定した。目医者のもとにも救急車がやってくる。医者はひとりで行くつもりでいたが、妻が無理やり同行した。たったいま目が見えなくなった、と言って。
隔離施設に失明した人が次々と送られてくる。ところが、食べ物が届けられるだけで世話をする人がいない。
医者の妻は、目が見えないふりをしながら患者たちの面倒をみるが……。
シミュレーションのような物語。
ひとりだけ失明していない医者の妻を中心に語られます。
サラマーゴは語り口が独特で、地文もセリフもすべて一緒くたの文書になってます。リズムに乗って読んでいると分かりづらさは感じないのですが、リズムがつかめないと読んでいられないと思います。
なぜ失明したのか、といった原因究明はありません。全員が見えなくなったらどうなるのか、思考実験のようになってます。
誰からも見られていないという環境が、文明人を野蛮人のように変えていきます。その一方で、医師の指導を守って目の治療のための目薬をさしつづける人もいる。
日本では考えられないですが、収容所は軍隊に囲まれていて、建物をでてなにかしようものなら射殺されます。
日本が舞台だったらどういう対応になったか、あれこれ考えました。
ちなみに、サラマーゴはポルトガルの作家です。
2024年09月02日
ジョゼ・サラマーゴ(雨沢 泰/訳)
『見ること』河出書房新社
その日は総選挙だった。
はげしい雨が昨日から降りつづいている。至るところで地すべりや洪水を起こしている。それでも選挙は延期されなかった。
首都の14番投票所では重苦しい雰囲気が漂っていた。所長をはじめ、各政党……右派党、中道党、左派党、の代表立ち会い人と副代表、11人が投票を済ませている。投票した人物はそれだけだった。
1時間近くたつというのに、投票に来た人はゼロ。異常事態に、所長は内務省に電話して確認した。どうやら、市内全域でほとんど同じことがおこっているらしい。
さらに1時間がたって、ようやく最初の投票者がやってきた。雨もやんだ。だが状況に変化はない。
ところが、午後4時になって、突如として市民たちは投票所に向かいはじめた。突然彼らは無気力モードから目覚めたのだ。
これで民主主義の制度をゆるがす脅威は回避された。空前の数にのぼる棄権の危機は過ぎ去ったのだ。各投票所の入口では有権者の列が三重になり、街角をまわって見えなくなるまで続いていた。
投票時間が延長され、午前零時過ぎに開票作業は終る。
有効票は25%以下。右派党13%、中道党9%、左派党2.5%、無効票が数票あり、棄権はさらに少なかった。それ以外のすべて、総投票の70%以上が白票だった。
地方自治体は通常と変わらない。どういうわけか首都だけ、異様に白票が多い。異常事態だった。
政府は、8日後に再選挙を決めた。
法律では、自然災害に遭遇したら選挙の投票を8日後に再度実施しなければならない、と定めている。今回はその規定が適用できると考えたのだ。
再選挙当日は上天気。選挙もうまくいくと思われた。
その結果は、右派党8%、中道党8%、左派党1%、棄権は零票、無効は零票、そして、白票は83%だった。
この出来事に、政府は非常事態を宣言する。首謀者がいるに違いないと考え、首都を物理的にも封鎖するが……。
『白の闇』続編。
あれから4年の歳月が流れてます。当初は、まったく『白の闇』との関連性はでてきません。というのも、社会的にあの病気がなかったことにされているんです。
住民たちが、なかったことにしたい忌まわしい出来事として受けとめていて、表面上はなにごとも起らなかったように振る舞ってます。そんなところに白票騒動があって、白票と白い闇で、白と白でなにか関連があるんじゃないか、と。
もう疑心暗鬼。誰かに責任転嫁したい、そういう心境なのでしょうね。
関連性がクローズアップされると『白の闇』で中心だった人たちのその後が分かってきます。そういう意味での続編、ということになってます。
前作は思考実験として、理由の分からない失明現象も納得して読めました。今作は、寓話とはいえ無理がある、というのが正直なところ。
ポルトガルの作家なので、日本人の感覚では想像できないのかもしれません。