2018年01月04日
バーナード・ショー(小田島 恒志/訳)
『ピグマリオン』光文社古典新訳文庫(Kindle版)
イライザ・ドゥーリトルは、下町の花売り娘。
長年ロンドンの埃と煤にさらされて、風呂に入る習慣もなく汚れ放題。必要最低限のものしか持っておらず、週に4シリングの安宿に暮らしている。
ある夜イライザは、突然の雨に、コヴェント・ガーデンの教会の軒先に駆け込んだ。多くの人が雨宿りをする中イライザは、なにやらメモを取る男にでくわす。どういうわけだか、イライザの話したことを書いていたのだ。
男は、音声学のヘンリー・ヒギンズ教授。
イライザのリッスン・グローヴ訛りを書き取っていたのだ。
ヒギンズが言うには、イライザの、ドブ板に泥水を流したような英語の発音では、一生貧民街から出ることはできない。しかし、自分がレッスンすれば、3ヶ月で、公爵夫人として通用するようにして見せる、と。
その言葉は、イライザの心に残った。
翌日イライザは、ヒギンズの家を訪ねた。
訛りを直し、美しい言葉を身につければ、ちゃんとした花屋の売り子になれる。トッテナム・コート・ロードの角に立って売るのではなく。
ヒギンズはイライザの申し出を聞き、居合わせたピカリング大佐と賭けをした。
イライザを、どこに出しても恥ずかしくない淑女にしてみせる。大使館の園遊会に行けるほどに。
こうしてイライザは、貴婦人に化けるために厳しいレッスンを受けることになるが……。
戯曲です。
ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の原作。映画とは同じようで違うようで同じ。
本書は〈1941年版〉と呼ばれるもの。ト書き部分を完全にそのまま上演するのは難しい、というのは作者自身の弁。とにかくト書きが多くて、演出家を兼ねているようでした。
なんでもバーナード・ショーは、結末を指定どおりに上演されなかったため大激怒したそうで。そんなわけで、後日談が書き足されてます。その部分は戯曲ではなく、単純に、幕が下りた後のイライザが、どう考え、どのような行動をするかを書き連ねただけ。
納得できる部分もありますし、納得できない部分もありました。
《シャム猫ココ》シリーズ第25作
ジム・クィラランは、シャム猫のココとヤムヤムと共に、悠々自適な生活を謳歌していた。暮らしているのは、ムース郡ピカックス市。地域新聞〈ムース郡なんとか〉にコラムを執筆している。
クィラランは、ムース郡はおろか合衆国の中部北東地域でもっとも裕福な独身男だった。その莫大な富は、遺産相続によってころがりこんだもの。クィラランにとって重荷でしかなかったが、慈善団体を設立して遺産をつぎこむことで、問題は解決した。
4月1日、〈ムース郡なんとか〉の短信コラムに、セルマ・サッカレーのニュースが載った。カリフォルニア州のハリウッドで60年間暮らしたあと、生まれ故郷に帰ってくる、と。
クィラランは、エイプリルフールのいたずらかと思った。身近なところに、サッカレー家のことを覚えている人がいなかったのだ。
やがて、本当にセルマ・サッカレーが存在することが分かってくる。クィラランが懇意にしているインテリア・デザイナーのフラン・ブロディが、新居の内装を請け負っていたのだ。
セルマの父はじゃがいも農場主で、いわゆるひと山を当てた。サーストンというふたごの兄がいる。サーストンは評判のいい獣医だったが、ブラック・クリーク渓谷沿いを一人でハイキングしているあいだに命を落とした。
フランは、セルマの歓迎会のため、クィラランの自宅を会場にしたいと考えていた。元はりんご貯蔵用納屋で、改装にはフランが関わっている。まるでお城のような景観は、いつでも人々の注目の的だ。
クィラランは快諾し、セルマは、アシスタントのジャニス、甥のディックを連れてやってきた。セルマは、愛想がよくて泰然自若としていて、印象的な帽子を被っていた。
セルマは猫が苦手らしい。可愛がっているのは、オウム。五羽いるという。全員がアマゾン生まれで、知性と会話能力が傑出している。クィラランもオウムに興味津々。
クィラランは、オウムに会うため翌朝に訪問する約束をとりつける。ところが、その夜、ジャニスが電話をしてきた。明日は来ないでほしい、と。
ジャニスは理由を語らず、ただ、恐ろしいことが起きたと言うばかり。ココの不可解な行動もあり、クィラランは気になって仕方ない。セルマの身辺を調べ始めるが……。
物語の中心は、セルマ。
セルマは82歳ですが、元気で精力的。古くて倉庫になっていたオペラハウスを改装して、映画クラブをはじめます。
サッカレー家が初登場のため、そちら方面でのピカックスの歴史が語られます。まだまだ知らないことがあるんだなぁ、と。
2018年01月10日
青山文平
『鬼はもとより』徳間書店
寛延3年(1750年)。
奥脇抄一郎は24歳。勘定方に仮設された藩札掛に配属された。
この時代、どの国の内証も急速に傾きかけている。抄一郎が禄を食む国も例外ではない。窮状を救うために、藩札を導入することになったのだ。
献策したのは、藩札頭に就いた佐島兵右衛門。藩札掛は、貧しさという、この国最大の敵と闘う。命を惜しむ商人には到底望めぬ務めであり、それを成し遂げうるのは、死と寄り添う武家のみだった。
それから3年。佐島兵右衛門が風病であっさりと逝った。藩札は上手く回るようになっていたが、まだ内証が劇的に改善されるまでには至っていない。
そんなとき、飢饉が始まった。
藩札頭となった抄一郎は、筆頭家老から藩札の刷り増しを命令される。抄一郎は刷り増しに納得がいかない。藩札には藩札頭の専権事項とする取り決めがあるが、命令に従わないでいることは難しかった。
抄一郎は版木を持ち出し、国を欠け落ちた。
江戸にたどりついた抄一郎は、万年青商いをはじめ、その伝で藩札板行指南を生業とするようになっていく。
抄一郎は、藩札の仕法を求め続けた。藩札で、国を大元から立て直す仕法へ通じる戸がどこかにあるはず。
はじめて藩札に関わってから8年が経っていた。
北の海に臨む島村藩一万七千石から、藩札指南を頼まれた。はじめて導入するという。
抄一郎は一国を救うべく取り組むが……。
武家社会における、経済活動が主軸。
藩札とは、その藩独自の兌換紙幣。抄一郎は島村藩で、藩政改革を断行しようとしている人物に協力し、さまざまな策を授けます。
藩札のことが掘り下げられるのかと思いきや、抄一郎は、まるで経営コンサルタント。藩札で国を救うはずが、商売で国を救う話になっていたような……。
文体はサラリとして柔らかいのですが、漢字の選択に確固としたこだわりが感じられました。その選択が合うときにはいいんですけれど、残念ながら合わなかったようで気になって仕方なかったです。
江戸時代の予備知識も、本書では邪魔でした。いろいろと知らずに読んだ方が楽しめそうです。
2018年01月23日
ジョン・バーンズ(中原尚哉/訳)
『大暴風』上下巻/ハヤカワ文庫SF1168〜1169
2028年。
世界は緊張状態にあった。アメリカやロシアは弱体化。代わりに、国連が絶大な権力を握っていた。
10年前、アラスカ自由国がアメリカから独立した。以来、シベリア連邦がアラスカの所有権を主張している。その根拠はうすく、シベリアは、ひそかな暴力とあきらかな脅迫によって併合しようと目論んでいた。
そんなころ、北極圏の海底に軍備管理協定に違反した弾道ミサイルが発見される。国家の領土外だが、シベリア連邦のものであることは明らかだった。
リベラ国連事務総長は、軍事介入を決断する。クラム爆弾を使って、大規模な空爆によって破壊したのだ。そして、海底に閉じこめられていた大量のメタンまでもが放たれてしまった。
メタンは温室効果をもたらす。
急激に気温が上昇し、地球の大気は乱された。その結果、かつてない規模のハリケーンが発生。世界を蹂躙し始めた。しかも、ハリケーンの勢力は尽きることがなく、何度となく襲ってくる。
さまざまな対策、解決策がたてられるが……。
群像劇。
この時代、TVは廃れていて、XVと呼ばれる技術がもてはやされています。XVでは、人間の脳が直接オンラインにつながり、感覚、感情、思考がネット配信されてます。
なかでも人気なのは、シンシ・ベンチャーの日常。シンシを演じているのは、メアリー・アン・ウォーターハウス。仕事のために肉体改造し、もう疲れきってます。
シンシに夢中になっている大学生ジェシ・カラールには、気象学者の兄ダイオニーズ・カラールがいます。ダイの勤め先は海洋大気局。異常気象に立ち向かう最先端です。
海洋大気局は、かつてクビにした、気象と地球環境の第一人者カーラ・タイナンに助けを求めます。カーラは、前夫で宇宙飛行士のルーイ・タイナンと接触をはかります。
ルーイは、アメリカの宇宙ステーション〈コンスティテューション〉で観測の仕事をしています。現在のところ、軌道上にいるのはルーイだけ。
その他、いろんな立場の、いろんな職業の、いろんな価値観をもった多彩な人物が登場し、それらの視点で物語は展開していきます。
群像劇ゆえに、人物それぞれを掴むまでが大変。
しかも、現代と地続きになってません。この世界の過去には、アメリカを弱体化させたある大事件が影を落としているんです。そのため、別の物語の続編のような印象でした。
その点でも単なるパニックものとは一線を画していますが、SF的な展開も用意されてました。実は、月面に、進化しすぎたために機能停止させられているロボットたちがいるんです。
大暴風をしずめるために、ルーイは大冒険を繰り広げます。好みの問題ですが、ルーイの物語だけでまとまっているのが読みたいかも。
2018年01月27日
ジェニファー・フェナー・ウェルズ(幹 遙子/訳)
『異種間通信』ハヤカワ文庫SF2048
ジェーン・ホロウェイは言語学者。これまでに、ゼロから言語を習得するフィールド経験を積んできた。そのためNASAから〈プロヴィデンス〉の乗組員として選ばれた。
宇宙船〈プロヴィデンス〉が十ヶ月をかけてたどり着いたのは、〈ターゲット〉。異星人の宇宙船だった。
1964年、火星調査用探査機マリナー4号が、思いがけないものを撮影した。グレーター小惑星帯のなかに未知の物体があったのだ。
NASAは宇宙船を〈ターゲット〉と名付け、60年以上監視してきた。〈ターゲット〉はまったく動かない。外部からの干渉もなく、固定した軌道を保っている。
NASAが決断したのは、〈ターゲット〉と衝突軌道にある小惑星が発見されたためだった。もはや、訪問をこれ以上延期できない。
ジェーンの仕事は、〈ターゲット〉に誰かがいたとき、コミュニケーションをとること。もし誰もいなくても、新たな言語を解読して記録しなければならない。
〈ターゲット〉は、ドッキング・ライトをつけて待っていた。エアロックが開き、室内灯が点々とついていく。まるで歓迎しているかのようだった。
しかし、誰もいない。
やがてジェーンは、船内のマークの解読に成功する。突然、図形のなかに意味が見てとれたのだ。ホログラムのように、図形のなかをのぞきこむことができた。
そのときジェーンは、異星人エイ=ブライの接触を受けた。姿は現さず、テレパシーでの接触だった。
エイ=ブライと話している間、ジェーンは気を失っていた。そのため、他のメンバーはジェーンのことをまったく信じようとしない。
医官には、ストレスによる幻覚妄想に陥っていると思われてしまう。気絶したのも、パニック発作だと。ジェーンは〈ターゲット〉の調査から外されてしまうが……。
ファースト・コンタクトもの。
〈プロヴィデンス〉の乗組員は、ジェーンも含めて6名。
指揮官はウォルシュ中佐。パイロットのトム・コンプトン。航宙医官のアジャーヤ・ヴァールマ。エンジニアでジェーンに気のあるアラン・ベルゲン。そして、役割不明のロナルド・ギブズ。
ジェーン以外の5人は、選び抜かれた精鋭です。設定上では。
ジェーンは、仲間たちから理解されないことで腹を立ててます。第三者として読んでいるこちらも、苛々してしまいました。この一行の有能さが感じられないんです。トップレベルの人たちのはずなのに。
昔のSFのような雰囲気を目指したのだろうと思います。それが空回りしている印象。
なお物語は、ジェーンの他、ベルゲンの視点からも語られます。このふたりの色恋沙汰が、なんというか。それがいい人もいるんでしょうけど。
《シャム猫ココ》シリーズ第26作
ジム・クィラランは、シャム猫のココとヤムヤムと共に、悠々自適な生活を謳歌していた。暮らしているのは、ムース郡ピカックス市。地域新聞〈ムース郡なんとか〉にコラムを執筆している。
クィラランは、ムース郡はおろか合衆国の中部北東地域でもっとも裕福な独身男だった。その莫大な富は、遺産相続によってころがりこんだもの。クィラランにとって重荷でしかなかったが、慈善団体を設立して遺産をつぎこむことで、問題は解決した。
ムース郡の北部、ブルルの町は創立200年を迎えていた。さまざまな催物が予定されているが、クィラランにも一人芝居の依頼が入る。
クィラランには、ムース郡の半分を焼き尽くした森林火災を題材にした《1869年の大火》の実績があった。今度は1913年の、何隻もの船が沈み、湖岸の町を壊滅させた大嵐を取り上げることにする。
クィラランは、ブルルの〈ホテル・ブーズ〉の経営者ゲリー・プラットに、芝居のアシスタントについて相談した。紹介されたのは、ゲリーの同級生、アリシア・キャロルだった。
アリシアは、祖母エディス・キャロルに引き取られて育てられた。父はクランソン事件に関わっていて刑務所へ、母は自殺している。優秀だが、欲得ずくの人間だった。
現在はミルウォーキーに住んでいるという。
ミルウォーキーと聞いて、クィラランはあることを思いつく。ココが、ミルウォーキー出身らしいのだ。ココの祖先をたどれるのではないか、と。
一方、クィラランの恋人ポリー・ダンカンは、新しい書店の計画に大張り切り。ついにピカックスに書店ができるとあって奔走していた。
クィラランは、ポリーの身体を気遣うが……。
本作は、とにかくあっさり。特にひねりもなく。
本そのものも薄いですし、内容も薄い。七面鳥は登場しますが、本当にいるだけ。なぜ出てきたのか読み取れませんでした。
アリシアは、いやーな感じを漂わせてます。そういう雰囲気をして実は……ということもなく。ゲリーにとってクィラランは上得意だと思うのですが、なぜアリシアを紹介したのか。そのあたりのことを問い正したいです。
《シャム猫ココ》シリーズ第27作
ジム・クィラランは、シャム猫のココとヤムヤムと共に、悠々自適な生活を謳歌していた。暮らしているのは、ムース郡ピカックス市。地域新聞〈ムース郡なんとか〉にコラムを執筆している。
クィラランは、ムース郡はおろか合衆国の中部北東地域でもっとも裕福な独身男だった。その莫大な富は、遺産相続によってころがりこんだもの。クィラランにとって重荷でしかなかったが、慈善団体を設立して遺産をつぎこむことで、問題は解決した。
ピカックスではじめてとなる書店〈海賊の宝箱〉がついにオープンした。地下の半分のスペースに入るのは、慈善団体が運営する古書店。そこでは寄せられた本を売り、利益は識字協会と奨学金に寄付される。
理事のひとりに、ヴァイオレット・ヒバードがいた。ヴァイオレットは、ヒバート家の最後の子孫。ヒバード屋敷を相続したため、大学教員を退職してピカックスに戻ってきたのだ。
ヒバード屋敷は、このあたりにしては珍しく木だけで作られていた。築100年以上はたつ。クィラランがヒバード屋敷について知っているのは、歴史的、個性的、印象的、独特、あるいはただ巨大だということ。
ヴァイオレットは、ヒバード屋敷について書いてもらいたがっていた。クィラランは引き受けてしまうが、実物を見て驚いた。屋敷は醜かったのだ。
そのヒバード・ゲスト・ハウスに、書店〈海賊の宝箱〉のスタッフのひとり、オールデン・ウェイドが入居していた。
オールデンの亡き妻は、ロックマスターの狙撃事件の被害者。オールデンは、気の毒そうな声と、同情を浮かべた顔にずっと取り囲まれていた。そこで大きな屋敷を売り、新しい生活を見つけるために越してきたのだ。
クィラランは、恋人ポリーとオールデンとの仲にやきもきするが……。
今回の集点は、オールデン。
ポリーだけでなく、とにかく女性にモテモテなんです。そういう男性、過去の作品にもいましたねぇ。ちょっとした既視感。
タイトルは、クィラランの食生活から。
クィラランは医者から、健康のためにバナナを毎日一本食べるように指示されます。仕方ないので買ってくるものの、バナナが大嫌いなんです。なかなか食べることができません。
そんなバナナに興味を示すココ。
たまたまなのか、わざとなのか、ココのいたずら炸裂。
でも、本編とは関係ありません。
《シャム猫ココ》シリーズ第28作
ジム・クィラランは、シャム猫のココとヤムヤムと共に、悠々自適な生活を謳歌していた。暮らしているのは、ムース郡ピカックス市。地域新聞〈ムース郡なんとか〉にコラムを執筆している。
クィラランは、ムース郡はおろか合衆国の中部北東地域でもっとも裕福な独身男だった。その莫大な富は、遺産相続によってころがりこんだもの。クィラランにとって重荷でしかなかったが、慈善団体を設立して遺産をつぎこむことで、問題は解決した。
今年ピカックスは、創立150年を迎える。記念祭は〈ピカックス・ナウ!〉と名づけられ、クィラランも忙しい日々が続いていた。
そんなときクィラランは、顧問弁護士のG・アレン・バーターに頼み事をされる。
クライアントのレッドフィールド夫妻には、カリフォルニアに甥がいた。夫妻に子どもはなく、甥のハーヴェイ・レッドフィールドは両親ともに亡い。
ハーヴェイは、大学の建築学科に入学するつもりでいた。入学申請する際の作品集のために、納屋の内部をスケッチしたいのだという。クィラランの住まいである改装した納屋は、カリフォルニアでも知れ渡っているらしい。
クィラランは、納屋をスケッチする提案に大乗り気。快諾すると、ハーヴェイは、フィアンセのクラリッサ・ムーアを連れてきた。
クラリッサの専攻はジャーナリズム。そのうえ猫好きとあってクィラランは大いに気に入るが、ハーヴェイの方は猫嫌いだった。ココもなにかを感じ取ったのか、上の床からハーヴェイの頭にダイビングする始末。
けっきょく、若いふたりは別れてしまう。
その後クラリッサは、クィラランの推薦で〈ムース郡なんとか〉に就職した。確実に仕事をこなしているが、クィラランは心配ごとを打ち明けられる。
クラリッサはハーヴェイのフィアンセとして、レッドフィールド家から指輪を贈られていた。それを返したいのだが、連絡が取れなくなっているというのだ。
クィラランもツテをあたるが……。
〈ピカックス・ナウ!〉のネタ元は、実行委員長のヒクシー・ライスの目の前でココが「ナナナウ!」と鳴いたところから。そういう鳴き方をするのはヤムヤムだったはずなんですけどね。ヤムヤムのお手柄にしてほしかった……。
その他にも、シリーズでおなじみの人物があっさり死んでそのまんまだったり。少々違和感が残る物語でした。
《シャム猫ココ》シリーズ第29作
ジム・クィラランは、シャム猫のココとヤムヤムと共に、悠々自適な生活を謳歌していた。暮らしているのは、ムース郡ピカックス市。地域新聞〈ムース郡なんとか〉にコラムを執筆している。
クィラランは、ムース郡はおろか合衆国の中部北東地域でもっとも裕福な独身男だった。その莫大な富は、遺産相続によってころがりこんだもの。クィラランにとって重荷でしかなかったが、慈善団体を設立して遺産をつぎこむことで、問題は解決した。
ある日、古書店から一報が入った。
クィララン好みの本が入荷したということだった。それらは、ペイパーバックが登場する以前の、小型のハードカバー。クィラランは、箱に詰められたまま引き取ってくる。
到着した荷物に、ココは興味津々。どうやら本ではなく、箱が気になるらしい。それは、なにも印刷されていない茶色のダンボール箱だった。
箱の出所は、キャンベル家だという。その前は、レッドフィールド家にあった。キャンベル家はレッドフィールド家から、何かを買っていた。それが何なのか、まだ分からない。
つい最近レッドフィールド夫妻は亡くなっており、屋敷は博物館になることが決まっていた。館長は、長年屋敷で働いてきた、アルマ・リー・ジェイムズが務める。
クィラランは顧問弁護士から、アルマがクィラランの住まいである納屋を見たがっている、と頼まれるが……。
「シリーズの大転機を迎える注目作」にして、シリーズ最終巻。実はもう一作品執筆されているのですが、本国の出版社が契約をキャンセルしてお蔵入りになったようです。
ここ数作品、高齢(90歳超)のせいか質が落ちている印象がありました。クィラランの身近な人が事故死しても悼まれなかったり、事件が起こっても解決されないまま終了したり。町の人事がクィラランの一声で決まる、なんてことも。
本作も、ミステリというより「クィララン日記」といった雰囲気。さすがに限界だったのかな、と。
前作『猫は爆弾を落とす』で登場して、中心人物になりそうだったクラリッサ、いきなり退場します。長年、クィラランの恋人という位置づけだったポリーにも変化が。
おそらく、作者の心がポリーから離れてしまったのでしょう。あまり好きなタイプではありませんでしたが、あんまりな出来事が残念でなりません。
2018年02月09日
ポール・ギャリコ(山田 蘭/訳)
『トマシーナ』創元推理文庫
アンドリュー・マクデューイ氏は、獣医だった。
小さなインヴァレノックの町で開業して一年半、すでに凄腕の獣医としての評判を得ている。と同時に、動物に対する愛情などさらさら持ちあわせていない、ということも。
子どものころから、人間を相手とした医師になることが夢だった。父親の圧力に屈して獣医となった今も、未練を断ち切れずにいる。そのことが態度に表れていた。
マクデューイ氏は、治すも早けりゃ殺すも早い。人間に対してさえほとんど心を動かさないように見えた。
唯一ともいえる例外が、愛娘のメアリ・ルー。妻のアンが亡くなった今、マクデューイ氏にとってメアリ・ルーだけが、愛情を注ぐ対象なのだ。
メアリ・ルーも、父のことは大好きだった。同じように、飼い猫のトマシーナのことも大好きだった。
メアリ・ルーはいつでもトマシーナと一緒。学校に行くときも、友だちと遊ぶときも、眠るときも。トマシーナはペットであると同時に、母のぬくもりでもあったのだ。
ある朝メアリ・ルーは、トマシーナの様子がおかしいことに気がつく。父に診てもらおうとするものの、マクデューイ氏はトマシーナを一瞥しただけで、安楽死を決めてしまった。
メアリ・ルーの必死の訴えは退けられた。メアリ・ルーの嘆きは深く、心を閉ざしてしまう。
噂は広まり、人々はマクデューイ氏から離れていった。
そんなころマクデューイ氏は、峡谷の奥で暮らす《赤毛の魔女》ことローリの存在を耳にした。なんでも、動物たちに治療を施しているらしい。マクデューイ氏にとって、商売敵。それも無許可の。
マクデューイ氏はローリの暮らす小屋に乗り込むが……。
猫ファンタジーの傑作。
マクデューイ氏を中心に語られます。おもしろいのは、猫の視点があること。
はじめは殺されるトマシーナによるもの。のちに、ローリが連れ帰った猫タリタに代わります。タリタは他の動物たちに、自分はブバスティスの猫の女神バスト・ラーだと名乗ります。ただ、神の力はなく、相手にされません。
その他、印象的なのが、隣人のアンガス・ペディ牧師。
ペディ牧師は、マクデューイ氏の子ども時代からの友人。その挫折もすべて知ってます。アンが亡くなって傷心のマクデューイ氏をインヴァレノックの町に誘ったのは、ペディ牧師でした。
親子の仲をとりもとうとするのもペディ牧師。メアリ・ルーの心をほぐしていく技は、さすがにうまい。うまいけれども、残念ながら手遅れで……そうでなくては話になりませんものね。
読むのは何度目かですが、記憶に残っているシーンがなかったのに驚きました。脳内で勝手に、余白を補完していたようです。
どうやったらこういう物語が書けるようになるのだろう?
つくづく思います。