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2018年の記録
目録
 
 
 3/現在地
 
 
 
 
 
 
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このページの本たち
空間亀裂』フィリップ・K・ディック
シブミ』トレヴェニアン
監禁』ジェフリー・ディーヴァー
ハリー・オーガスト、15回目の人生』クレア・ノース
最後の晩餐の暗号』ハビエル・シエラ
 
必殺の冥路』ウォルター・ジョン・ウィリアムズ
通訳』ディエゴ・マラーニ
漆の実のみのる国』藤沢周平
シンギュラリティ・スカイ』チャールズ・ストロス
すえずえ』畠中 恵

 
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2018年04月20日
フィリップ・K・ディック(佐藤龍雄/訳)
『空間亀裂』創元SF文庫

 2080年。
 アメリカは、人口問題に苦しんでいた。連邦特別福祉局の寮庫には、仕事のない数千万人の若者たちが、凍眠(ビブズ)となって眠りについている。軌道上には〈きんのとびら〉娼館衛星があり、売春が公的に認められていた。
 このところ世間の関心が向けられているのは、ラートン・サンズの離婚裁判。
 サンズは、著名な臓器移植外科医。妻のマイラは、中絶コンサルタントとして同じく名前がよく知られている。あらゆる種類の内密の情報がリークされ、双方ともに不利益をこうむりはじめているところだ。
 マイラは、私立探偵のティトー・クラヴェッリを雇っていた。サンズが臓器移植で不正行為を働いている確信があったのだ。だが、証拠がない。サンズの愛人キャリー・ヴェイルが逐一知っているはずなのだが、姿をくらましていた。
 そのそろサンズは、超高速移動機(ジフイ・スカットラー)を修理に出していた。
 修理担当のリック・エリクソンは、操縦機構部を徹底的に調べるが、不具合箇所を見つめることができない。サンズに、代替機械について提案するが、拒否されてしまう。サンズは、どうしてもこの移動機でなければだめだといい張る始末。
 エリクソンはサンズの態度に違和感を覚えていた。そして、修理人たちの間で伝説となっている逸話を思い出していた。移動機の開発初期のころの話だ。移動機の搭乗筒にできた亀裂から、別の空間が覗き見られたという。
 エリクソンは亀裂を見つけ出すが、別世界に隠れていたキャリーに殺されてしまった。
 情報を掴んだクラヴェッリは、アメリカ大統領候補のジェームズ・ブリスキンに取引きを持ちかける。
 そのときブリスキンは、はじめての黒人大統領候補として話題になっていたものの、劣勢に立たされていた。人口問題解決を訴えるが、対策は、20年前に試みられて中止されたきりの惑星植民計画の再開と心もとない。そのうえ、〈きんのとびら〉を不健全だと断罪していた。
 〈きんのとびら〉オーナーの結合双生児ウォルト兄弟は、アメリカ実業界で大きな力を持っている。そのうえ、衛星から地球に向けて毎日数多くの放送を流しており、影響力は絶大。
 だが、あの亀裂の向こうに、すぐさま移住可能な世界が広がっているのなら?
 ブリスキンは、クラヴェッリの司法長官就任を約束し、情報を得た。亀裂からの移民の可能性について演説に盛りこむと、支持率は急上昇。ブリスキンに流れが傾く。
 対立候補でもある現職大統領ウィリアム・シュワルツは、先手を打って、早々と移住を開始してしまうが……。

 60年代の作品。
 群像劇。
 中篇の「カンタータ百四十番」(収録『シビュラの目』)を長編にしたもの。「カンタータ百四十番」読んでいますが、まるきり覚えてませんでした。既視感すらなく……。
 センセーショナルなサンズ医師の離婚裁判、途中からどうでもよくなりますが、ちゃんと物語の流れに絡んでます。
 本人が「失敗作」と評していたそうですが、散らかり具合はそんな感じ。でも、そういうところも含めてディックの世界。ウォルト兄弟の不思議とか、亀裂の向こうの世界の正体とか、なかなか楽しめました。    


 
 
 
 

2018年04月25日
トレヴェニアン(菊池 光/訳)
『シブミ』早川書房

 アメリカのCIAは、母会社(マザー・カンパニイ)に乗っ取られていた。
 母会社は、西欧世界のエネルギーと情報を完全に支配している。その正体は、石油、通信、運輸関係の主要多国籍企業の共同体。母会社は、国際的権力を通してCIAをコントロールし、西側社会の行動を監視、誘導していた。
 現在、中東に関するCIAの活動を統括しているのは、ミスタ・ダイアモンドだ。ミスタ・ダイアモンドはかねてから、CIAの無能ぶりに呆れていた。
 CIAは、ローマ空港での作戦を実行したところ。
 アラブ側からの要請に基づき、悪虐な任務を与えられたシオニストのギャング2名を抹殺した。死んだのは、彼らだけではない。口封じのためCIAの工作員も、一般人も、合計9名もの人間が亡くなる大惨事となってしまった。
 失敗は、それだけではない。
 標的たちが所属する〈ミュンヘン・ファイブ〉には、もうひとりの構成員がいた。
 そもそも〈ミュンヘン・ファイブ〉は、ミュンヘン・オリンピックのユダヤ人選手殺害の復讐を目的とする。標的は〈黒い九月〉のメンバー。あの報復行動の英雄で生き残っている最後のふたりを暗殺するため、ロンドンに向かっていたのだ。
 しかし、彼らが持っていたのは、ポーに向かう切符だった。
 ミスタ・ダイアモンドは、ローマ空港にいながら見過ごされてしまった〈ミュンヘン・ファイブ〉の最後のひとり、ハンナ・スターンについて調べあげる
 ハンナ・スターンは、〈ミュンヘン・ファイブ〉の中心人物だったアサ・スターンの姪。アサには、ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ヘルという友人がいる。
 ニコライは、引退してはいるものの、かつては最高レベルの暗殺者だった。現在、バスク地方に住んでいる。最寄りの空港はポーだ。
 ミスタ・ダイアモンドはニコライに圧力をかけるため、バスクへと向かうが……。

 なんでも「囲碁の戦術をスパイ小説の筋書きに応用したのが本書」だそうです。囲碁のことを分かっていると、より楽しめるのかもしれません。
 ですが、物語のほとんどは、ニコライの半生記で占められてます。その半生記が、抜群におもしろいです。
 ニコライの母は、上海に逃げてきたロシアの伯爵夫人。父は不明。日中戦争のときニコライの屋敷が、日本軍に接収されてしまいます。そのとき一緒に暮らすようになったのが、上海特務部長の岸川孝将軍。
 やがて三人は家族のようになりますが、母が亡くなってしまいます。そして岸川も転勤することになり、ニコライは岸川に、日本行きを手配してもらいます。
 ニコライが身を寄せたのは、岸川の友人であるプロ棋士のお宅。田舎とはいうものの、東京大空襲とか、原子爆弾とか、微妙にかかわってきます。もちろん、敗戦国となった後のゴタゴタも。

 タイトルの「シブミ」といい、すごく日本がフィーチャーされてます。読み応え抜群。
 ただ、ニコライの半生記の比重が高すぎて、すごくバランスが悪くなってます。そこがおもしろい部分でもありますが。


 
 
 
 

2018年04月27日
ジェフリー・ディーヴァー (大倉貴子/訳)
『監禁』ハヤカワ・ミステリ文庫

 ミーガン・マコールは17歳。
 月曜日の夜、町の給水塔の通路を酔っぱらって歩いているところを発見された。ミーガンは、友人のアン・デヴォーが自殺したことにショックを受けていたのだ。父親のテイト・コリアに連絡が行き、ミーガンはセラピーを受けることになってしまう。
 水曜日。
 ミーガンは嫌々ながら、ジェームズ・ピーターズの診療所に赴いた。そこで、治療の一環として、自分の気持ちを紙に書くことを勧められる。15年前に離婚した両親に不満のあるミーガンは、ピーターズに暴かれていく深層心理に怒り、手紙を書きなぐった。
 その日ミーガンは、両親と昼食の約束をしていた。
 テイト・コリアは、別れた妻ベットと共にミーガンを待っていた。ところが、いつまでたっても姿を現さない。心配になって、友人のディミトリー・G・コンスタンチナチス(コニー)刑事に連絡を取った。
 3人は家の中を改めるが、見つかったのは、ミーガン本人の筆跡による手紙。いかに自分が傷ついているか、 怨嗟に満ちた激しい言葉が並んでいた。
 セラピスト宛てに振り出した小切手も捨てられてあった。ピーターズ医師に連絡をとると、ミーガンは来なかったという。
 コニーは家出だと言うが、テイトもベットも納得できない。
 このころコニーは、微妙な立場にいた。
 元々コニーは、暴力犯罪課の部長刑事。不祥事を起こし、少年課に警部補として異動させられて、保護観察中の身。
 上司からは、自殺した少女アン・デヴォーの再捜査を命令されていた。アンは自殺と断定されたが、州議会議員の父親が納得していないのだ。自殺に見せかけて殺された方向で調べるように指示される。
 コニーとしては、問題を起こしたくない時期。だが、テイトには大きな借りがあった。 ミーガンの捜索に協力することを決断するが……。
 一方、ミーガンは、ピーターズを名乗っていたアーロン・マシューズに捕らえられていた。用意周到な誘拐だった。
 ミーガンは人里離れた教会に監禁されるが……。

 物語は水曜日にはじまり、金曜日に終わります。
 ディーヴァーというとどんでん返しを想像するのですが、今作のは”返された”というより、過去の出来事が少しずつ明らかになっていき、膝を打つ感じ。それが3日間に濃縮されてます。
 いろいろ語れないのが、もどかしい。 


 
 
 
 

2018年05月02日
クレア・ノース(雨海弘美/訳)
『ハリー・オーガスト、15回目の人生』角川文庫

 1919年、ハリー・オーガストは産まれた。
 私生児だった。養父母に育てられ、1989年、ベルリンの壁が崩れるのと時を同じくして死んだ。
 そして、1919年。
 ハリー・オーガストは産まれた。
 最初の人生の記憶をそっくり持ったまま前回とそっくり同じ状況でこの世にふたたび生を受けたせいで狂気におちいった。混乱し、悩み、苦しみ、疑い、絶望し、悲鳴を上げ、金切り声で叫び、7歳で聖マーゴット救貧精神病院に送られた。半年後には3階の窓から飛び下りて死んだ。
 そして、1919年。
 三度目の人生では答えを探そうと決意した。命を絶ってもなんの得にもならなかったからだ。記憶がいっぺんにではなく、成長とともに少しずつよみがえるのは、ささやかな恵みだろう。
 ハリーは、自分と同じように記憶をループさせている人たちがいることを知った。自分たちを〈カーラチャクラ〉と呼び、永遠に同じ歴史の流れを生きる。彼らは、秘密組織〈クロノス・クラブ〉をつくり、助け合っていた。
 そして、1996年。11回目の人生でのこと。
 ハリーはいつものように、死にかけていた。そんなとき、7歳の少女が病室に訪ねてくる。未来からメッセージがあるのだという。
 世界が終わろうとしている。もちろん、世界が終わるのは珍しいことではない。だが、どういうわけだか、世界が終わる日が早くなっているらしいのだ。
 ハリーは12回目の人生で、調査に乗り出した。
 時代にそぐわない発明を察知し、出所を辿ってたどり着いたのは、ソビエト連邦のピエトロク112地区。軍事研究施設だった。
 潜入したハリーは、6回目の人生で出会った、ヴィンセント・ランキスと遭遇する。ヴィンセントは〈カーラチャクラ〉だが、組織には属していない。組織に属していない者は、どんな結果を招くかろくろく考えもせずに、答えを探しがちだ。
 ヴィンセントは科学者を集め、量子ミラーを開発していた。量子ミラーは、万物の、理由と正体と経緯を解き明かしてくれる。ハリーも協力を依頼されるが……。

 物語は、ハリーが何者かに語りかけるスタイルで展開していきます。
 ハリーは、〈カーラチャクラ〉の中でもとりわけ特殊な〈ネモニック〉と呼ばれる人。〈カーラチャクラ〉が何度となく生き直すとはいえ、古い記憶は徐々に薄れていくもの。ところが〈ネモニック〉は、どんなに小さなこともすべて覚えています。
 そのため、思い出話風に、行きつ戻りつすることもたびたび。それでも混乱することなく、読み進められました。そういう、全体の流れの中に差し込むエピソードの処理が、すごくうまい。

 世界の滅亡について知ったのが、11回目の人生の終わり間際。そこから、タイトルの15回目の人生までになにがあったのか。ハリーが語る相手は誰なのか。
 また最初から読みたくなりました。
 ハリーが思い出していくように。


 
 
 
 

2018年05月05日
ハビエル・シエラ(宮崎真紀/訳)
『最後の晩餐の暗号』イースト・プレス

 1497年。
 キリスト教世界は混乱期にあった。
 教皇アレクサンデル6世は聖物売買をおこない、国王たちは異教徒の美術品を目の色を変えて収集している。外部からは、トルコ軍が西地中海を侵略し、イスラム教を布教する機会を虎視眈々とうかがっていた。
 そんなころミラノ公国で、大公妃ドンナ・ベアトリーチェ・デステが亡くなった。
 教会にとってベアトリーチェは、忌むべき存在。異教の護符や偶像を蒐集し、占星術師やあらゆるたぐいのペテン師の予言をむやみにありがたがっていた。だまされやすく、冒涜的な書物に没頭し、領内に流布するさまざまな異端思想に惑わされる。
 しかし、大公妃の死去だけで、ミラノ大公の宮廷でひそかに続いているらしい不正と陰謀、信仰を脅かす邪悪な企みの連鎖が断ち切られることはない。なにしろミラノは、フランス国境近くに位置し、伝統的にローマに対抗してきた歴史を持つ。しかも、十字軍が討伐したカタリ派の残党がたどりついた地域でもある。
 実は昨年から、ローマ教会にある告発が届いていた。
 ミラノ大公の領内で大がかりな魔術営為の疑いあり、と。告発者は匿名。その人物のことを関係者は、文面から〈予言者〉と呼んでいた。
 当初教皇庁は、〈予言者〉を相手にしていなかった。ところが、よくよく調べてみると、この人物は、細部に至るまで恐ろしいほどに詳しく正確だったのだ。おそらく、教会の者だろう。
 〈予言者〉は、大公妃の死去さえ言い当てた。もはや無視はできない。そこで派遣されたのが、アゴスティーノ・レイレだった。
 アゴスティーノの身分は、教皇庁秘書課の異端審問官。その実、諜報機関ベタニア団に所属していた。
 アゴスティーノはミラノにできたばかりの、 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に逗留し、ひそかに調査をはじめる。〈予言者〉の告発によると、数学、調和、音は、芸術作品に取りこめば、周囲によい影響をもたらす要素になるという。そこに、秘密があるらしい。
 今まさに、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院では、ミラノ大公に命じられたレオナルド・ダ・ヴィンチが、壁画「最後の晩餐」を製作しているところ。
 修道院長秘書はそれを「悪魔の作品」と蔑んだ。その絵には、聖書との相違点や、曖昧なほのめかしがあまりにも多すぎる。修道院長も懸念しているが、ミラノ大公に強く出られない事情もあった。
 〈予言者〉の正体とは?
 レオナルド師が絵画にこめた秘密とは?

 時代もの。
 アゴスティーノがそのころのことを思い出しながら語るスタイル。立ち会っていない場面も、後で聞きましたという設定で、ふつうに出てきます。
 発表当時、スペインで大ベストセラーになったそうです。40カ国以上で翻訳されて200万部突破。……らしいのでが、どうものめりこめず。
 おそらく、読み手がもっていて当然の基礎的教養が足りてなかったのでしょう。文中で背景説明はされますが、もっと根本的なところが欠けていたようです。


 
 
 
 

2018年05月13日
ウォルター・ジョン・ウィリアムズ(酒井昭伸/訳)
『必殺の冥路』ハヤカワ文庫SF919

 スチュワールがクローンとして目覚めたとき、15年分の記憶がなかった。オリジナルであるアルファが、記憶の更新をしていなかったのだ。しかもアルファは殺されたらしい。
 覚えているのは、企業国家〈コヒーレント・ライト〉の傭兵アイスホークの一員であるところまで。その後アイスホークは、惑星シェオールでの戦争に投入されている。
 シェオールには、異星人の遺跡があった。超科学が埋もれた惑星を、どの企業国家も欲しがった。だが、遺跡を確保するための戦争は、やがて、相手に渡さないための破壊行為へと変貌していく。
 遺跡戦争が終結したのは、本来の所有者である異星人〈能天使(パワー)〉が帰ってきたためだった。当時、彼らの登場で多くの企業国家が壊滅状態に陥った。〈コヒーレント・ライト〉も例外ではない。
 〈能天使〉は、居住星域への人類の立ち入りを禁止する一方、交易には応じた。ただし、窓口は限定されている。
 クローンのスチュワールはリハビリを続けるが、主治医が何者かに惨殺されてしまう。そして、スチュワールの元に、音声のみのメッセージが届けられた。
 収録されていたのは、自分の声。声は、企業国家〈コンソリデイテッド・システムズ〉のカーズンに雇われていること、ライバルの〈ブライター・サンズ〉 の本拠地である小惑星ヴェスタで、危険な任務についていることを告げていた。
 アルファは、なぜ記憶を更新しなかったのか?
 いったいなにをして殺されたのか?
 スチュワールは、アイスホーク時代の仲間グリフィスのツテで、〈スターブライト〉社の宇宙船ボーン号に職を得た。仕事でヴェスタへと向かうが……。

 サイバーパンク。
 企業国家がわんさか出てきて、大混乱に陥りながら、なんとか読み切れました。本筋と関係ない企業は省略してもらえると助かったんですが。おかげで、世界が、複雑にいびつに入り組んでいるのは、理解できました。
 サイバーパンクというジャンルそのものが廃れてしまったこともあり、今になって読むと、不可思議なところが多々あります。あまりこまかいところは気にせず、勢いで読み切るべきなんでしょうね。


 
 
 
 

2018年05月16日
ディエゴ・マラーニ(橋本勝雄/訳)
『通訳』東京創元社

 フェリックス・ベラミーは、ジュネーヴの国際機関で働いていた。
 会議通訳局の通訳サービスの責任者になってしまい、戸惑うばかり。面倒ゆえに、同僚のだれも希望しなかったポストだ。将来さらに魅力ある役職を用意するからというあいまいな約束で説得されてしまった。
 ベラミーの母語はフランス語だが、他に知っているのは、高校時代に無理して習った古臭いわずかなドイツ語だけ。内心、多言語話者を受けいれることがどうしてもできなかった。
 しかも、通訳サービスの管理だけでなく対外交渉も担当することになってしまう。夜遅く家に戻る日が続き、時には週末もオフィスで過ごした。欧州や北米に点在するほかの国際機関への長期出張もある。
 妻のイレーネからは不満を訴えられてしまう。
 そんなある日、主任から報告を受けた。
 16カ国語を操るひとりの通訳が、同時通訳中に異常をきたすという。意味不明の言葉を発し、金切り声をあげたりするというのだ。
 ベラミーは問題の通訳につきまとわれてしまう。彼は、同時通訳の現場に固執していた。
 自分のなかで無意識のうちに謎の言語が成長している。それは、人間そのものと同じくらい古いもの。もしかしたら、人類が忘れた古代言語の復活かもしれない。通訳というはかない一瞬に、全体が遠くかすかに現れるのが聞こえる……。
 ベラミーは相手にしなかった。
 イレーネが去っていった心労も重なりベラミーは、解雇の書類にサインする。通訳はベラミーの前から姿を消した。
 ところが、通訳の狂気がベラミーに移ってしまっていた。
 ベラミーは、正しい言葉を選ぶことができなくなっていく。進退極まったベラミーは、あの通訳を診断したヘルベルト・バーヌンク博士に助けを求めた。
 ベラミーは、言語療法を受けることになるが……。

 ベラミーの視点で、淡々と語られていきます。
 作者のマラーニは、EUの通訳をやっていたときに、ユーロパントという人工言語を考案して小説を書いた、という異色の人物。
 おもしろいのが、バーヌンク博士による言語障害の治療というのが、他の系統の言語を学ぶという手法。ベラミーの症状の原因は、フランス語とドイツ語の衝突。そこで、ルーマニア語を処方されます。
 ベラミーはよくなっていくのですが、あの通訳のことは忘れられずにいます。その後、まったく予想していなかった展開が待ってます。
 なぜ、そうなる?
 と言いたくもあり、それはそれでおもしろくもあり。


 
 
 
 

2018年05月20日
藤沢周平
『漆の実のみのる国』上下巻/文藝春秋

 米沢藩は貧困に喘いでいた。
 かつて上杉家が会津を治めていたころは、120万石だった。それが米沢に移されて30万石に。その後、さらに15万石に減らされている。
 それでも、120万石のころの栄華が忘れられずいた。家臣を減らすこともせず、家の格は留めたまま。
 藩主の上杉重定は、政治には無関心。好きなのは、能楽乱舞。藩財政の窮迫をよそに奢侈にふけり、心ある家臣を嘆かせている凡庸の君主だった。
 家老の竹俣美作当綱(まさつな)らが改革に取り組むが、遅々として進まない。経済状況は悪化する一方。当綱が重定に封土返上を言上するほど、米沢藩は追い詰められていた。
 当綱は、藩世子の直丸に期待していた。
 とうとう重定が隠居し、直丸が治憲(はるのり)として藩主となると、治憲は、倹約から始まる改革に着手する。だが治憲の改革は、伝統にそぐわないものだった。昔からの重臣たちの抵抗にあってしまう。
 重定の協力もあり騒動をしずめることはできたが、いつまでたっても財政は好転しない。
 当綱は、新たな改革案を治憲に提出する。領内に100万本の漆の木を植え、国を豊かにする計画だった。長い年月がかかるが成功すれば、15万石が実質30万石になる。
 壮大な構想だった。
 治憲も、潤う米沢藩を夢見るが……。

 江戸時代屈指の名君と呼ばれる上杉鷹山(治憲)の伝記小説。
 藤沢周平の絶筆。
 米沢藩の現状解説など、学術書のようなところもたくさんあります。もう少し物語的なものを期待していたので、驚きました。
 治憲のスタンスは、方向を示し、道筋をつけてやること。部下たちに気づかせて、立案させて、施行させる。待ちの状態がけっこうあります。

 物語の前半部分は、当綱が中心。
 本格的に治憲が中心になるのは、後半から。終盤になっても、あと一巻ありそうな雰囲気でしたが、突然終わってしまいました。(寛三の改革がはじまったところでした)
 雑誌連載の途中で中断し、亡くなられたそうです。その後、結末部分の存在が明らかになったとか。
 まだまだ書きたかっただろうになぁ、と勝手に想像してしまいました。


 
 
 
 

2018年05月28日
チャールズ・ストロス(金子 浩/訳)
『シンギュラリティ・スカイ』ハヤカワ文庫SF1567

 ロヒャルツ・ワールドは、新共和国の植民星だった。
 新共和国では、世襲貴族制度にもとづく独裁政治が敷かれている。まるで地球の18世紀社会のようだった。その地球とは250光年隔たっているが、それほど遠いというわけでもない。
 ある日ロヒャルツ・ワールドに、電話の雨がふりそそいだ。
 何も知らない住民が電話に出ると、相手は、誰に対しても同じことを告げた。楽しませてくれ、知識を与えてくれ、そうすれば望むものをなんでも与えよう、と。
 ロヒャルツ・ワールドの経済体制は、またたくまに崩壊した。
 来襲したフェスティバルは、情報の探求者だ。256光年を旅して、16もの人が住む惑星を訪れてきた。その正体については、誰も知らない。
 ロヒャルツ・ワールド総督のフェリックス・ポリトフスキー公爵は、皇帝に助けを求めた。
 機動艦隊の派遣が決まるが、問題があった。ロヒャルツ・ワールドは辺境すぎる。今から駆けつけたのでは、まるで間に合わないのだ。そこで、時間を遡る決断が下される。
 マーティン・スプリングフィールドは、新共和国の宙軍省に雇われていた。請け負ったのは、巡洋戦艦〈ロード・ヴァネク〉の制御回路のアップグレード。
 マーティンは地球出身のため、新共和国の社会制度には息が詰まり気味。そんなころ、国連の情報部特殊作戦班所属のレイチェル・マンスールが接触してくる。マーティンはスパイ行為を求められるが、実のところ、すでに別の組織に情報を流し、秘密工作に加担していた。
 マーティンはレイチェルにも協力することになってしまう。
 レイチェルは、新共和国にある疑いを抱いていた。
 彼らは、因果律侵犯を侵そうとしているのではないか?
 因果律侵犯は、謎の高次知性体エシャトンによって禁じられていた。破れば容赦なく制裁されてしまう。新共和国だけの問題ではないのだ。
 新共和国側は、到着を侵略直後にすることによって因果律侵犯は回避できると判断していたが……。

 12年ぶりの再読。
 実はこの物語、世界設定がとても複雑です。初読のときには大混乱に陥りながら読んでました。今回は、いろんなことをほどよく忘れていて、なかなかいい案配に読めました。

 謎の高次知性体エシャトンが現われたのは、21世紀。
 彼らは、地球の人口9割を吸い上げて、さまざまな星系、まちまちな時代にばらまきました。民族的・心理的類縁性によって分けられたところもあり、その結果誕生したのが、新共和国。新共和国でも当初は内乱があり、今も革命家たちが活動しています。
 残された側の地球は、時間はかかったものの、ふたたび宇宙へと進出するまでに回復します。が、現在の地球とはまるでちがう体制になっています。地球には政府というものが存在しておらず、国連がそれに近い組織になっています。
 エシャトンはさまざまな禁止事項を設けていて、因果律侵犯もそのうちのひとつ。時間を遡ることでエシャトン誕生をなかったことにされてしまうのを防ぐためではないか、と憶測されています。が、正確なところは分かってません。
 エシャトンについて詳しく分からないのもミソ。どこまでOKなのか予測がつかないのです。

 物語は主に、〈ロード・ヴァネク〉とロヒャルツ・ワールドで展開していきます。
 艦隊の指揮をとるのは、クルツ提督。皇帝の叔父ですが、かなりの高齢で少々ボケ気味。〈ロード・ヴァネク〉には、マーティンとレイチェルの他、秘密警察のヴァシリーも乗艦します。
 マーティンの秘密とか、レイチェルの本来の任務とか、ヴァシリーの過去とか、いろんなことが伏されたまま、艦隊は突進して行きます。まずは遠未来へ、そして過去へ。
 終わってみれば、そういうことだったのか、と。


 
 
 
 

2018年05月30日
畠中 恵
『すえずえ』新潮社

 《しゃばけ》シリーズ第13巻
 一太郎は、廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の若だんな。齡三千年の大妖を祖母にもつ。
 一太郎の世話をあれこれと焼くのは、手代の佐助と仁吉。ふたりの正体は、犬神と白沢。祖母によって送り込まれてきた。というのも一太郎が、商売よりも病に経験豊富であるほど病弱であったから。
 両親も手代たちも、遠方まで噂になるほどの過保護ぶり。一太郎は、甘やかされすぎることに憤るものの、それで性根が曲がることもなく、妖(あやかし)たちに囲まれた日々を送っている。

「栄吉の来年」
 貧乏神の金次が床屋で、噂話を仕入れてきた。美春屋の栄吉が見合いをしたという。
 栄吉は若だんなの大親友。菓子屋の跡取り息子であるにもかかわらず不味い饅頭しかつくれず、安野屋で修行中の身だ。とても所帯を持てるような状況ではない。
 若だんなは、栄吉のことが心配でならない。妖たちに栄吉の見合い相手のことを調べてもらうが、妙な展開になっていく。
 栄吉は稲荷で、ちょいと気が強そうな娘と会っていた。どうやら見合い相手であるらしい。平手打ちをくらい、それでも怒らなかった。
 一方、見合い相手の実家に行ってきた妖たちは、年頃の娘が見知らぬ男と会っているところを見てきた。
 栄吉が若だんなに隠している事とは?

「寛朝の明日」
 江戸の名刹広徳寺の高僧寛朝は、妖封じで高名であった。だが、何もせぬ者を、妖だからと追いはしない。大人しい妖だけでなく、寄進をしてくれる者にも愛想がよい。
 そんな寛朝のもとに、天狗の黒羽坊が訪ねてきた。
 小田原の外れに、西石垣寺という、小さな寺があった。そこに、怪異が現れた。高僧ふたりが喰われたらしい。
 小田原の他の寺は大騒ぎ。僧のひとりが修験者に縋り、修験者から天狗へ伝わった。しかし、天狗が関わっては人喰いの罪を被せられるかもしれない。
 黒羽坊に頼み込まれた寛朝は、小田原へと旅立つことになってしまう。ところが、道中のどこにも怪異の噂がたっていない。
 黒羽坊が迎えにくるが……。

「おたえの、とこしえ」
 長崎屋の主の藤兵衛が、商いのため上方へ行った。その留守の間に、大坂で米会所の仲買をしている、赤酢屋七郎右衛門が訪ねてくる。長崎屋が商いでしくじり、その弁済のため店を寄越せという。
 赤酢屋が手にした証文には、店を赤酢屋へ譲り渡すことが記してあった。応対したおかみのおたえは、証文が偽物であることを見抜く。
 だが、藤兵衛と連絡がとれずにいることは事実。若だんなが上方に行って捜すことになるが……。

「仁吉と佐助の千年」
 長崎屋へ、次々と縁談が舞い込み始めていた。病弱だと思われていた若だんなが、上方へ行ったり、米相場で大金をかせいできた話が伝わったらしい。それで、良き婿がねとして、若だんなの株はぐぐっと上がった。
 そんな最中、仁吉と佐助がどうしても断れない用事で、長崎屋を空けることになった。若だんなの祖母おぎんの差し金だった。
 若だんなは、沢山の妖達と暮らしている。このままお嫁さんを迎えることはできない。仁吉と佐助は選択を迫られていた。
 そのころ長崎屋には、強引な仲人達が押しかけてきていた。若だんなは自分で立ち向かうことになるが……。

「妖達の来月」
 若だんなが建てた一軒家に、妖たちが引っ越すことになった。貧乏神の金次、猫又のおしろ、貘の場久の三人だ。
 これからは、表向き、人として暮らす事になる。掃除や買い物、湯屋へも通わなければならない。さもないと、近所で浮いてしまって暮らせない。
 妖たちはそれぞれに、若だんなから火鉢を、佐助から鉄瓶を、仁吉から箱膳を贈られて大喜び。ところが、引越で大騒ぎしている最中、泥棒に入られてしまう。
 犯人探しがはじまるが……。

 それぞれの未来に想いを馳せる連作作品集。
 若だんなは、寝込みながらも大活躍。貘の場久と夢で連絡をとりあったり、なかなかアクティブ。
 つながり具合はゆるやかで無理なく、いつもの面々なのでややマンネリ気味ですが、そんな中でも新鮮な部分もありました。

 
 

 
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