2024年03月05日
B・S・ジョンソン(青木純子/訳)
『老人ホーム 一夜のコメディ』東京創元社
ひとりの寮母が、老人たちの面倒を見ている。
女性5人、男性3人。痴呆の進み具合は人それぞれ。身体の自由度も人それぞれ。老人たちに共通するのは、身寄りがほぼいない、ということ。
そんな老人ホームで、親睦の夕べが進んでいく。老人たちの意識は、外の世界に向いたり、過去の世界に飛んでいったり、てんてばらばら。
最初は食時。きちんと食べられる人、食べられない人がいる。
それから合唱。歌う人、わざと歌詞を変える人、歌えない人、歌わない人。
そのあと作業があり、遊戯をさせられ、歩行訓練にはげみ、競技を楽しむ。老人たちの集中力は、討論の時間まではつづかない。もはやどうでもよくなってくる。
老人たちを導く寮母もまた、意識を持っている。
寮母は……。
斬新な実験小説。
9人の独白が人ごとに披露されます。徐々に痴呆が進んでいき、最後に寮母、という順番です。時間経過とページを一致させてあって、みんなぴったり30ページ。
ある人物はアレコレと事細かに語るのに、ある人物は途中で居眠りして空白になってたり、ある人物は痴呆が進んでいるせいか断片的にしか考えてない。
コメディとある通り滑稽ですが、けっして笑えるという意味ではありません。
2024年03月07日
トンマーゾ・ランドルフィ(中山エツコ/訳)
『月ノ石』河出書房新社
ジョヴァンカルロ・スカラボッツォは、大学2年目で小さな詩集を自費出版したりもしているが、とても内気な青年だった。
ジョヴァンカルロはふだんは町に暮らしているが、夏にはPの村で過ごすことを好んだ。Pは一家の郷里で、大きな館もある。
この夏ジョヴァンカルロは、家族に先んじて休暇を過ごしにやってきた。そして、叔父の家でグルーと出会った。
グルーという女性のことを、ジョヴァンカルロはまったく知らない。
腰かけたその姿をよくよく見ると、スカートから、先の割れた山羊のひづめがのぞいていた。ガリガリのその足には、ごわごわの長い毛が房になって生えている。優雅な線を描いていて、なめらかな腿のいとも当然の続きであるかのように思えてくるから不思議だ。
叔父たちは、グルーの足に注意を払っていない。彼らはグルーの秘密に気づいていないのだ。
その夜ジョヴァンカルロは、グルーを途中まで送っていった。
ジョヴァンカルロはグルーのことが気になって仕方ない。好感をもたれ好ましく思われたいが、内気であるがゆえになにも話せなかった。グルーばかりが一方的に話しかけてくる。
月のきれいな晩だった。
その夜のことを、ジョヴァンカルロはよく憶えていない。ただグルーのことは忘れられず、居ても立ってもいられない。グルーが縫子をしていると耳にすると、扱いのむずかしい繕い物を頼む口実で呼びだした。
ジョヴァンカルロとグルーの交際がはじまるが……。
幻想小説。
軽妙な語り口が非常にそそられました。
謎にはっきりした回答があるわけではないので、そうしたことを求めるとがっかりしてしまうかも。
2024年03月08日
ポール・ギャリコ(亀山龍樹/訳)
『ミセス・ハリス、パリへ行く』角川文庫
旧題『ハリスおばさんパリへ行く』
《ミセス・ハリス》シリーズ
ミセス・エイダ・ハリスは、小がらでやせっぽち。いかにもロンドンの通いの家政婦といった風情で、パリに向かう旅客機に乗っていた。
ミセス・ハリスのバッグの中には、10ポンド分の紙幣が入っている。イギリスから国外へ持ち出せるぎりぎりの金額だ。ほかには、アメリカ紙幣で1400ドルも。
ミセス・ハリスは、パリのクリスチャン・ディオールの店までドレスを買いに行くところなのだ。
きっかけは、3年ほど前。
ミセス・ハリスは未亡人になってからずっと、通いの家政婦として働いている。報酬は、1時間3シリング。朝8時に仕事をはじめ夜の6時まで、お得意の家々をまわって働きづめ。
その日ミセス・ハリスは、男爵夫人の邸宅で2枚のドレスを目の当たりにした。〈イヴォワール〉は、レースとシフォンでできた夢まぼろしのような、クリームとアイボリー色のドレス。一方〈恍惚〉は、サテンとタフタの燃えるような深紅のドレスで、大きな赤い蝶の形のリボンと赤い大輪の花が一輪、かざりについていた。
ふるえがくるほどの美しさだった。
世界で最高に高価な店と折り紙のついている、パリのディオールの店から、なんとしてもドレスを買いたい。そのときからミセス・ハリスは、生活を切り詰め、身を粉にして働いてきたのだった。
そして今、ミセス・ハリスは、あこがれと夢と大望の結集された場所にいる。
ミセス・ハリスは、ディオールの衣装店にショーウィンドーがないことに不安をおぼえた。店に入っても、正面にでんとひかえている大階段があるばかり。ドレスはなく、誰もいない。
ミセス・ハリスが階段を登っていったとき2階では、女支配人のマダム・コルベールが机に向かって書き物をしていた。
マダムは衣裳部の主任。私生活で悩みを抱えているが、有能で経験豊富。たちまちミセス・ハリスの正体を見破った。
おかどちがいの人物ははじめてではない。これまでもたびたび、正面の大階段からあらわれたものだ。マダムがすることは同じで、手きびしくおもどりねがわねばならない。
ミセス・ハリスは、マダムに追いはらわれそうになるが……。
ミセス・ハリスの巻き起こす騒動記。
創業者のディオールが健在だった時代。オートクチュール全盛期で、既製品のドレスなんてものはありません。ショーを見て、買う物をきめて、体形に合わせて縫ってもらうんですね。
ミセス・ハリスは、実直で、信念があり、自分に自信をもってます。それでも、あまりにかけ離れた世界に気後れしたりします。とはいえ、軸はしっかりしているので尻込みしたりはしない。
そんなミセス・ハリスが周りの人を幸せにしていく。そういうほんわか系のいい話……と思って読みましたら、それだけではありませんでした。
見事にギャリコにやられた感じ。
なお、シリングは1971年以前の単位です。
1ポンド=20シリング
1シリング=12ペンス
現在は、1ポンド=100ペンス
《金田一耕助》シリーズ
昭和30年7月。
私立探偵の金田一耕助は馴染みのある岡山県で静養しようと、旧知の磯川警部に亀の湯を紹介してもらった。
磯川警部によると、亀の湯のある鬼首(おにこべ)村というのは、何ものにもわずらわされることのない閑静なところだという。人里離れたうんと不便な田舎で、そんな村のさらにはずれの湯治場が、亀の湯だ。実は、女あるじの青池リカは、昔あった迷宮入り事件の被害者遺族だった。
昭和7年。
鬼首村では、旧幕時代に庄屋だった多々羅家が没落し、広い田畑を持つ由良家と、山を所有している仁礼家が二大勢力として競っていた。
仁礼家がぶどう栽培をはじめたところ、大当たり。村の一大資源にまで成長したのが、由良家にはおもしろくない。対抗策として、村に副業をもちこもうとした。
由良家に商売の話を持ちこんだのが、恩田幾三という人物だ。その恩田が詐欺師ではないかと疑ったのが、青池源治郎だった。
一度村を出ていた源治郎は、妻リカと男児をつれ帰ってきたところ。恩田の尻尾をおさえると、宿に単身乗りこんだ。ところが、そのまま殺されてしまう。
源治郎は、囲炉裏のなかに顔を突っこむように倒れていた。死体は相当毀損していたが、親族一同が本人と確認した。
一方の恩田はそれっきり。完全に姿をくらましてしまった。農民からかきあつめた金をひっさらって、大陸へでも飛んだんだのだろうと言われている。
事件の翌年には、村で恩田の子が生まれた。大空ゆかりと名乗る芸能人へと成長し、全国的に大評判の人気者となっている。ゆかり御殿といわれるようなりっぱな家を建て、ちかくそこへ帰ってくるという。
そんな鬼首村を金田一耕助は訪れた。静養しているうち、多々羅放庵と知り合いになる。すっかり落ちぶれた多々羅家の末裔だが、何度となく結婚と離婚を繰り返し、今は独り身。
そんな放庵のもとへ、離縁した女から復縁を願う手紙が届いた。放庵は大喜びで返事をだす。金田一耕助が村を離れたその日、女は村にやってきた。
その日以降、放庵の姿を見た者はいない。
女の姿もなく、その女がすでに亡くなっていたことが判明して謎は深まるばかり。やがて殺人事件が発生するが……。
探偵の金田一耕助が活躍するシリーズ。
過去作のタイトルがでてきたり、ちょっとした思い出話があったりもあります。物語的にはつながってません。知っているとニヤリとできるかな、程度です。
それにしても、わけありの亀の湯を紹介する磯川警部も人が悪い。内心、金田一耕助が解決してくれないかと期待していて、本人も村にやってきます。
発生した殺人事件は、過去の事件とつながりがあります。20年以上も経過して事件が動きだすのも納得の理由でした。
《通い猫アルフィー》シリーズ、8作目。
アルフィーは通い猫。エドガー・ロードを本拠地にしている。 本宅は、クレアとジョナサン夫婦の家だ。サマーとトビーというふたりの子どももいる。
エドガー・ロードで一人暮らしをしていたハロルドは高齢ゆえ、ホームに移った。ホームは猫禁止だ。ハロルドがかわいがっていたスノーボールは、アルフィーと一緒に暮らすことになった。
アルフィーとしては、スノーボールとの時間が増えたのは嬉しい。だが、ハロルドがいなくなり、さびしくてしかたない。そのうえ、ポリーとマットの一家も引っ越していってしまう。
アルフィーは喪失感に見舞われている。人間たちも悲しみに沈んでいた。
ハロルドの家はすでに若夫婦が暮らしているが、ポリーとマットの家はそのまま。ふたりは、家をどうするかきめかねているのだ。
クレアとジョナサンが鍵を預かっているものの、家のようすを見る役目を果たしているとはいえない。エドカー・ロードには、空き家に好ましくない人物が住みついているかもしれないと、危機感を募らせている住民もいる。その人たちが不法侵入者を見つけると大騒ぎになつてしまうだろう。
アルフィーは、自分が代わりに空き家を監視しようと考えた。ただ、アルフィーもなかなか時間がとれない。というのも、生まれて1年になる3匹の仔猫たちの面倒をみているのだ。
仔猫たちは、ふだんは隣家の母猫ハナのところにいる。よく遊びにきて、家の者たちにまとわりついては皆を困らせていた。そんな仔猫たちをしつけようと、アルフィーはてんてこまい。
仔猫はどうしてこんなに手間がかかるのか。
アルフィーはフル回転の騒がしさにうんざりし、ふいに、仔猫の学校というアイデアを思いつく。立派な猫になるために必要なことを、教えてやるのだ。具体的なことはまったく考えていないアルフィーだったが……。
シリーズ8作目。
安定したいつもどおり。安心して読めます。
ただ、この登場人物たちにイライラしてしまう人もいるだろうな、とは思います。いつまでもめそめそしているので。
ピリっとくるのが、隣人監視活動を趣味(?)にしてる一家。
通い猫になる前、アルフィーは野良猫でした。家のないつらさを経験しているので、不法侵入者がいれば力になってあげたいと考えてます。
仔猫の学校をやりつつ空き家のようすをさぐる……今作は、そういう話です。
《クロニクル 千古の闇》続刊
〈魂食らい〉との戦いから、2つの夏がすぎた。
氏族をもたないトラクは、ワタリガラス族のレンを連れ合いにしている。トラクは獲物を追跡するのが得意で、レンは森いちばんの弓の使い手。ふたりはいいパートナーだった。
ところがレンが、でかけたきり帰ってこない。
トラクはヤナギ族の狩人たちから、レンを見たと耳にする。2日ほど前、ずっと川下の方だったという。そのときレンは旅に出るみたいなかっこうで、カヌーをこぎ、荷かごも寝袋も持っていた。
レンは、ひそかに旅支度をしていたのだ。トラクは混乱しながらも、ひとりでさがしに行くことを決める。
兄弟である狼のウルフは、伴侶を得て子どもたちもいる。心強いが、きてほしいと頼むことはできない。
レンが夜を明かした入り江を見つけたトラクは、メッセージを読みとった。自分を追うなということと、ワタリガラス族の魔導師ダークを訪ねよ、と。
ダークのもとでトラクは、レンのおおよその行き先をつかむ。
おそらく北だ。はるか遠い北。極北の向うには〈世界の果て〉があるのだという。
言い伝えでは〈世界の果て〉では、海がとめどなく虚空へと流れ落ちているらしい。近くには島がひとつあり、川は煮えたぎり、山々は火を噴いているという。その島は昔死んだ巨大な生き物の霊に守られているとのことだ。
ダークは少し前に、イッカク族の幻影を見ている。かれらは、木ほども背丈のある巨大な毛むくじゃらの怪物の骨や牙で寝小屋をつくっていた。
その生き物は〈遠い昔〉の生き物。〈大寒期〉に生きていたもの。われわれの先祖があまりにもたくさん殺したので、死に絶えてしまった。
この大昔の聖なる生き物を、イッカク族はマンモスと呼んでいる。
ダークも、レンの理由については知らなかった。ただ、魔導師の血を引いているレンは、トラクを傷つけようとする何かが自分の中にあると語っていたらしい。自分の母親が関係しているのではないか、と。
トラクは、レンを追って〈世界の果て〉へと向かう。何かの理由があってレンが〈世界の果て〉に向かっているのなら、トラクもいっしょに立ち向かうつもりでいる。
ウルフも追いつき、トラクはウルフと共に旅だつが……。
6000年前のヨーロッパ北西部を舞台にした児童文学。
全六巻で完結したはずの《クロニクル 千古の闇》の続編です。
新シリーズ開幕といったところですが、基本設定がすべて説明されるわけではないので、読むとしたら第一巻から、となりますでしょうか。
本作で一段落はついてますが、まだまだ続きがありそうな雰囲気。と思ったら、原書は9巻まで出版されているとか。
続きがでてうれしいのか、全六巻でそっとしておいてほしかったのか、微妙な読後感でした。
2024年03月19日
レイ・ブラッドベリ(伊藤典夫/訳)
『華氏451度[新訳版]』ハヤカワ文庫SF1955
ガイ・モンターグは、昇火局に勤める昇火士(ファイアマン)。
本を所有している家庭におもむき、家ごと燃やすのが仕事だ。本というのは、みんな違うことをいっていがみあっている。善良な市民によくない影響を与えるため禁じられているのだ。
モンターグは、仕事を楽しんでいた。だが、心のどこかで引っかかりを感じてもいる。
その日、夜遅くに帰路についたモンターグは、白いドレスの少女と出会った。となりに越してきたクラリス・マクレランだ。クラリスの質問に、モンターグはびっくりする。
遠いむかし、ファイアマンは火をつけるのではなく火を消すのが仕事だったのは本当か、と。家というのは元から焼けないようにできている。だが、むかしは燃えてしまうことがよくあって、その火を消すためにファイアマンができた、というのだ。
動揺したまま帰宅したモンターグは、睡眠薬のガラス瓶が空っぽになっていることに気がつく。
妻のミルドレッドは両耳に超小型ラジオの〈巻貝〉をはめ、音楽とおしゃべりに没頭している。遠い土地に住む遠い人びとの声を、死にかけながら聞いている。
救急病院に連絡するが、医師はこない。機械のオペレーターがふたりきただけ。特別な装置で血液と血清をすっかりきれいにして、抗鎮静剤を与えられて、おしまい。
3〜4年まえからミルドレッドのような患者が増えてきて、もはや便利屋が対処するだけになった。そういう世界になっている。
朝になって目覚めたミルドレッドは、自分のしたことを憶えていない。モンターグの日常はつづき、毎日のように自由奔放なクラリスとはなす。モンターグは疑問でいっぱいになるが、突然、クラリスがいなくなってしまう。
そんなとき、老女が本を持っていると通報があった。
急行したモンターグは、山と積みあがった本の一冊一冊にケロシンを浴びせ、燃やしていく。ふと、ひとつの本を手にとって隠しもった。書物は本当に有害なのだろうか?
老女は自ら火をつけて、本とともに死んだ。
モンターグは隠した本をもって帰宅するが……。
ディストピアSF。
伊藤典夫による翻訳ははじめて。別の訳書は10年ほど前に読んでます。
どちらがいいとか、判断できるほど憶えていないのですが、あの本ではモンターグは「焚書官」だった、ということは記憶にあります。それほど「焚書」という言葉は強烈でした。
〈巻貝〉もそうですし、壁がスクリーンになっていて架空の家族がそこにいたりもします。科学が発達しても、最後には人間なんだ、と考えさせられました。
2024年03月23日
ミロラド・パヴィチ(青木純子/訳)
『風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語』東京創元社
「ヘーロー」
20世紀初頭。
ヘロネア・ブクルは、ベオグラードの女子学生。
呼び名はヘーロー。鮮明な世界像を持っているが、どうにも理解できないこともある。夢のことだ。
夢は不可解。それが、毎夜、耳と耳のあいだを駆け抜けていく。ヘーローは夢について考察するため〈夢の出納帳〉を記録しはじめる。
そのころヘーローは、シモノヴィチ氏の子どもたちの家庭教師となった。生徒はふたり。だが、いつもひとりの少年しかいない。
少年によると、会ったことはないが、カチュンツァという妹がいるという。両親だけが知っている妹だった。
シモノヴィチ夫人は、カチュンチツァのフランス語は未来形は完璧ないっぽう現在形と過去形がだめだという。そのためにヘーローを家庭教師にしたらしい。
戸惑うヘーローだが、月謝をふたり分もらえることに文句はない。そんなあるとき、へーローの頭のなかから現在形と過去形がすっかり抜け落ちてしまう。
影響は母国語にまで及ぶが……。
「レアンドロス」
17世紀。
チホリチ一族はドナウ河上流のヘルツェゴヴィナで、代々、石工、鍛冶、養蜂を生業としてきた。レアンドロスの父は家業に背を向け、ドナウ河河畔の町ベオグラードに移ってきた。そのため、レアンドロスに家業を教えたのは、祖父や伯父たちだ。
あるときレアンドロスは、時間の秘密に気がついた。観察を続け生命の律動を見分けられるようになると、相手が自分と同じリズムかどうか気になってしかたない。
父のリズムが違うことに気がついたレアンドロスは、巣離れの潮時を感じ取っていた。都への巡業にサントゥール弾きを捜していた商人にさそわれると、楽士として旅立つ。だが、サントゥールには早々に見切りをつけ、帰るころには商人になっていた。
あるときレアンドロスは、占い師に告げられる。レアンドロスの遠い未来に、生首が見える、と。レアンドロスの美しい首は、女性の手指と兵の剣を引き寄せるようだ。
占いには、安い料金の遠い未来と高い料金の近い未来の占いがある。それは風のようなもの。
雨の中を吹きぬけても風には乾いたままの部分があり、風の裏側という。風の表側を占う者あり、裏側を占う者あり。だが、どちらもおなじもの。もともとは一つの存在なのだ。
レアンドロスは、剣客への恐怖を募らせる。そんなころ、ひとりの娘が現れた。ふたりは恋仲となるが、呼吸はズレていた。
娘と別れたレアンドロスは、僧院の門をくぐり、見習い僧となるが……。
実験的小説。
ヘーローとレアンドロスは、ギリシア神話が元ネタ。
ヘーローに恋したレアンドロスは、毎晩、ヘーローの灯すランプの光に導かれて海峡を泳ぎ渡っていたが、嵐の夜に風が明かりを吹き消し、方角を見失ったレアンドロスは溺死してしまう。
本作では、ヘーローの兄の策略を絡めてます。
本そのものに仕掛けがあって、表紙と扉が両側にあり、ふたつの物語のあいだには水色の紙がはさまれてます。ひとつ読んだら本をひっくりかえして、もうひとつを読む、という流れです。
ふたつの物語は、直接的にはつながってません。キーワードが関連している感じ。時代順に(レアンドロス→ヘーロー)読んでみました。
レアンドロスの物語を読んだあとだからか、ヘーローの幻想寄りの物語には不可解さを感じてしまいました。レアンドロスの物語も幻想寄りですが、不可思議さといった雰囲気。
なんども読み返しては熟考するタイプの物語なのでしょうね。
2024年04月01日
ジョン・ケネディ・トゥール(木原善彦/訳)
『愚か者同盟』図書刊行会
イグネイシャス・ライリーは、ニューオーリンズはD・H・ホームズ百貨店の大時計の下で待ち合わせをしていた。
イグネイシャスのトレードマークは、緑のハンティング帽。動きの鈍い象のような恰好の巨漢で、大きな耳とボサボサ頭。大学と大学院に10年通って修士号を取得したが就職には失敗。30歳になった今でも無職だ。
この日イグネイシャスは、母アイリーンの運転する車で街にやってきていた。警察官に職務質問されたのは、医者に行った母を待っているときだった。
イグネイシャスは、自分があやしく見えるとは思っていない。ただのいい子が母を待っているだけ。イグネイシャスは警察官にくってかかる。
そんなイグネイシャスを、見知らぬ老人が援護してくれた。ところが、老人が警察官を共産主義者だと罵倒しはじめ、大騒動に発展してしまう。老人と警察官が取っ組み合いをしているなか、イグネイシャスは迎えにきた母と逃げだした。
ふたりは、バー〈喜びの夜〉で隠れながら一休み。客たちと楽しいひとときを過ごす。警察官がいなくなった頃合いを見計らって帰宅しようとするが、アイリーンの運転する車が民家に突っ込んでしまった。
事故現場にかけつけたのは、あの警察官。アンジェロ・マンクーソ巡査は親身にアイリーンの相談相手になるが、イグネイシャスはおもしろくない。
事故は示談で解決できたが、修理費は1020ドルだという。アイリーンの収入は亡くなった夫の遺族年金と、自分のわずかな年金だけ。貯金はすでにイグネイシャスの学費に消えている。
そんな状況でもイグネイシャスは他人事。とうとうアイリーンに、働きに出るように命じられてしまう。
イグネイシャスは渋々ながら就職活動をはじめ、事務職員を募集していたリーヴィ・パンツ社にたどりつく。
二代目社長のリーヴィ氏は会社経営に興味はなく、滅多に顔出ししない。会社を取り仕切っているのは、事務長のゴンザレス氏だ。そんなゴンザレス氏の悩みの種は、職員がすぐにいなくなってしまうことだった。
イグネイシャスはリーヴィ・パンツ社で大歓迎される。イグネイシャスは意気揚々と働きはじめるが……。
ピュリツァー賞受賞作。。
舞台は1960年代。執筆されたのも同じ。
イグネイシャスは、オタク的。子ども用レポート用紙に論考を書き散らかし、母親とも丁寧語でやりとりします。言ってることはメチャクチャ。
群像劇のように、とりまく人ひどにも焦点が当てられます。
間奏曲のように登場するのが、黒人のジョーンズ。黒人差別を嘆く一方で、差別を武器にもするしたたかさを持ってます。
ジョーンズは警察で、仕事を見つけないと浮浪罪で逮捕するとおどされ、週に20ドルという激安で〈喜びの夜〉の清掃員になります。行きつけの店にリーヴィ・パンツ社の工場で働く黒人がいて、新しくきた白人の巨漢がすることを耳にします。
終盤で一気に解決する流れが、とにかく気持ちよかったです。
ただ、500ページを越える分厚さ、そこにたどり着くまでは長いです。だからこそ、よけいに気持ちいいのかもしれませんね。