書的独話

 
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2019年07月22日
知ったことでも全部はいわない
 

 最近、あちらこちらでMMT(現代貨幣理論)についてのコラムを見かけるようになりました。自国通貨を持っている国なら、お金がないときには刷ればいいんだよ、と。
 当初はトンデモ理論扱いでしたけれど、そうでもないんじゃないかと論じる人が出てきた、と思いきや、あんなの異端でしょ、という主張もあり、なにがなんやら。

 MMTの主唱者の一人は「巨額の財政赤字でもインフレも金利上昇も起こっていない日本はMMTの成功例」なんて主張しているそうで。とはいうものの「景気拡大につながり、税収が増えれば大丈夫」がMMTらしいので、景気拡大しそうもない以上、
 やっぱりダメなんじゃ?
 と思ったり。

 さて、経済をどうするか考えるのは政治家の仕事でしょうが、国民の経済厚生を守るためにどう実行していくのか、金融政策を決定するのは中央銀行の仕事です。
 ここで、中央銀行に関する名著を勧められていたのを思いだしました。

 服部正也氏の『ルワンダ中央銀行総裁日記』
 一九六五年、経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは、財政と国際収支の恒常的赤字であった―。本書は物理的条件の不利に屈せず、様々の驚きや発見の連続のなかで、あくまで民情に即した経済改革を遂行した日本人総裁の記録である。今回、九四年のルワンダ動乱をめぐる一文を増補し、著者の業績をその後のアフリカ経済の推移のなかに位置づける。
(「BOOK」データベースより)

 実用書だけど小説並みにおもしろい、と勧めてもらっていたのがそのままになってました。
 初版は1972年。増補版でも2009年。当時はMMTなんてありませんでしたから、まったく関係ないです。 

 服部氏は、1918年生まれ。
 東京帝国大学法学部を卒業。戦時中は海軍大尉で、終戦後、ラバウル戦犯裁判弁護人になります。復員したのは、1947年。日本銀行員として中央銀行のスペシャリストになります。
 ルワンダ中央銀行の総裁の話は、国際通貨基金から。前任者も外国人でしたが、病で、任期を務められなくなったのです。
 承諾した服部氏は、1965年に赴任します。そして、1971年に帰国するまで6年間、職務に(職務外にも)邁進しました。
 その後、1980年には世界銀行副総裁にも就任してます。

 ルワンダというと、1994年に大虐殺があったところ、そんな程度の知識でした。
 ルワンダは東アフリカの国です。海に面しておらず、コンゴ、ウガンダ、タンザニア、ブルンジに囲まれてます。
 1961年まで、ベルギーの植民地でした。そのため独立後もベルギーが支援してますが、ちょっと消極的。服部氏が赴任したころにはアフリカ最貧国にあまんじていて、国際通貨基金からは、支援の条件として通貨切り下げを突きつけられている状況でした。

 本書には、服部氏がルワンダ中央銀行総裁として赴任した6年間が記されてます。タイトルに「日記」と入ってますが、日記を元にして書いただけで日記ではないです。小見出しをたてて、話題ごとにまとめられてます。
 服部氏はルワンダでいろんなことを、中央銀行総裁の仕事ではないようなことまでやってます。どこもこれもルワンダの経済に必要なのですが、いかんせん民間事業者が育ってない。それで仕方ないので中央銀行で引き受けましょう、と。
 別々の話題として、整理されて、分かりやすくまとめられて書かれてます。滞在していたのは6年ですから、実際は同時進行ですすめていたと思います。

 なお「九四年のルワンダ動乱をめぐる一文を増補」というのは、巻末に「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」という一文が追加されている、ということです。 

 本書でもっとも強烈に印象に残ったのが
知ったことでも全部はいわない
 の一文でした。

 ルワンダに到着した服部氏は、技術援助のために滞在している外国人顧問たちが、専門外のことにも助言していることに気がつきます。つい数年前までベルギーの植民地でしたから、ルワンダ人たちには、
 外国人の言うことは信じるべき
 という思想が根付いています。そのため、それが正しいのか間違っているのか、判断せずに鵜呑みにしてます。

 服部氏がはじめてカイバンダ大統領に面会したとき、こんなことを言います。

 (前略)ここの外国人のように知らないことにまで口を出すことはしません。私は銀行員として訓練を受け、知ったことでも全部はいわない習性がついているつもりです。(後略)

 隠しごとをする、という意味ではないです。
 銀行員の習性について語るのは、このときぐらい。ただ、この「知ったことでも全部はいわない」という姿勢は一貫してます。その後、聞かれたから言うけれど、というシーンもありました。

 この最初の面会で服部氏は、カイバンダ大統領から信じるに値する人物と見込まれます。
 もちろん大統領にも外国人顧問がついてます。その顧問があれこれ言うのですが、大統領には彼らの言うことが納得できず、不信感を募らせています。というのも外国人たちは、ルワンダ人の利益になることではなく、ルワンダにいる自分たちの利益になるようなことを言っていたんです。

 服部氏はルワンダの中央銀行総裁として、ルワンダ人のために働こうとします。その結果、大統領の信頼を得て、経済改革の全般について必要な措置の立案を頼まれます。
 それも極秘で。
 実は、ルワンダには外国人顧問たちも含めて、経済の知識のある人がいなかったんです。通貨切り下げをしなければならないのに、したらどうなるのか、誰も説明できなかったんです。
 そんなところに中央銀行のスペシャリストが登場して、しかもルワンダの発展につながるように考えて、それをきちんと説明してくれるんですから、信頼を寄せられて当然ですよね。

 服部氏はものごとを説明するときに、ときどき日本の例を出します。
 日本の高度経済成長が始まったのは、服部氏が日本銀行にいたころ。1968年にはGNP(国民総生産)が世界第2位になってます。
 敗戦国から経済大国になったもんですから、日本はこうやってます、と言うと、みんな耳を傾けるんです。読んでるこっちも、日本ってすごかったんだな、と思わせる。哀しいことに、過去形ですけど。

 『ルワンダ中央銀行総裁日記』は、ルワンダのことを知れるし、中央銀行の仕事についても分かる。そして、かつての日本の姿もかいま見せてくれます。


 

 
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