書的独話

 
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2019年08月22日
サハラとナイルと冒険と
 

 05月08日に書的独話で「夢想の研究」を書きました。
 とある本の予備知識として、瀬戸川猛資『夢想の研究』を読みました、という話。19世紀の、バートンとスピークの〈ナイル川水源論争〉について知るためでした。
 簡単に、要約として触れられてあったのですが、さらに詳しく知るための資料紹介もありました。
 そのうちのひとつが、

アラン・ムアヘッド
『白ナイル −ナイル水源の秘密−』
 ナイル水源の秘密とは。地理学上最大の謎にいどむバートン、リビングストン、スタンレイら19世紀英米探検家たちの人間的冒険と悠久なるナイル河の叙事詩。
(引用:筑摩書房)

 『白ナイル』で扱われるのは、1856年〜1900年の、中央アフリカ探検およびその他諸々について。

 ナイル河の水源というのは、古代からの謎でした。支流のうち、青ナイルと呼ばれるものは知られてましたが、白ナイルについては最大の秘密だったんです。
 ちなみに、青ナイルは、エチオピア山中から現在のハルトゥームまで。ハルトゥームの南につらなる主流の支流が、白ナイルです。

 河なんだから遡っていけばいいのに……と思っていたのですが、白ナイルはそんな簡単な話じゃなかった。
  遡上しようにも瀑布があったり、パピルス葦の茂みが妨げになってたり。さらには、マラリアや、はげしい熱帯の暑気が障害となって立ちふさがり、異教徒たちの抵抗もありました。(異教徒というのは、キリスト教以外、ということ)
 容易に探検できなかったんです。

 伝説ではナイル河は「地中海から赤道までまっすぐに南下し、二つのまるい湖から発している」ことになってました。そして、湖の水は〈月の山脈〉という高い山脈から流れている。そういう話が信じられてました。

 1856年、ふたりの探検家が水源の探索にのりだします。
 リーダーは、一流の文化人だったリチャード・フランシス・バートン。相棒として行動を共にしたのが、ジョン・ハニング・スピークでした。

 ふたりはザンジバルから西へ向かい、白人が訪れたことのない暗黒地帯に入っていきます。
 まず発見したのが、タンガニーカ湖。バートンは、これこそナイルの水源であると確信します。
 ただ、地元には別の湖の噂がありました。そのときバートンは病のため動けず、スピークのみが探索を続けます。その結果、ヴィクトリア湖を発見します。(発見した湖に、ヴィクトリア湖と名づけました)
 スピークは、ヴィクトリア湖こそが真の水源だと確信します。けれども確認を怠ってしまいます。そこらへんが一流になれない所以なのかな、と。
 (バートンだって確認してないんですけどね)

 ふたりは合流し帰国の途につきますが、先に帰ってきたのはスピークでした。スピークはバートンを待つことなく、王立地理学会で講演してしまいます。
 帰国したバートンは大激怒。公開論争を行うことになりますが、その前日にスピークが亡くなってしまいます。公式には事故死ですが、実際のところは分からずじまい。

 その後、バートンとスピークの争いに決着をつけるべく、アフリカの英雄と呼ばれていたリヴィングストンが、ナイル河に挑みます。が、大変な苦難の末に果たせず、結局、ナイルの水源を確定したのは、ジャーナリストでもあるヘンリー・モートン・スタンリーでした。
 スタンリーによって〈ナイル川水源論争〉は決着しました。スピークが正しかったんです。

 という話が『白ナイル』の基軸ですが、それ以外のことにもかなりの文量が割かれてます。
 アフリカに魅せられた人たちについて。アフリカを舞台にした奴隷貿易について。白ナイルの近辺で発生した大事件について。

 1870年、エジプトを支配するイスマイルが、南方に軍隊を派遣します。野蛮な地方へ、現代世界の恩恵をもたらすため、という名目でした。

 1881年、アフリカ北東部のスーダンに、救世主(マハディー)を名乗るものが現われます。

 1882年、イギリスがエジプトを軍事占領します。

 1883年、マハディーが指導する回教徒の叛乱が本格化。このころのイギリスは、スーダン支配は乗り気ではありませんでした。

 1885年、ゴードン将軍が、マハディー軍に殺害されてしまいます。援軍到着の2日前のことでした。首都ハルトゥームはマハディーの支配下に入ります。

 1896年、イギリスが、2万5千の軍隊をスーダンに派遣。

 1899年、スーダンはイギリスの支配下におかれます。

 読み進めていき、266ページにふいに出てきたのが「A・E・W・メイソンの『四本の羽根』」の記述でした。どういう文脈かというと「事実とは関係のない本」として。

 『四本の羽根』は、1902年に出版されてベストセラーになったフィクションです。その後7回も映像化されてます。
 当時イギリスでは、アフリカの実情が知られていませんでした。情報源といえば、マハディーの捕虜になっていて脱走してきた白人たちくらい。当然、証言は一方的なものになってしまいます。
 「きちんと事実を調べられないままに書かれてしまった」というのがムアヘッドの主張。「それらの本が、マハディズムはとんでもない野蛮行為だという考えを広めていた」と。

 この、槍玉に挙がっていた『四本の羽根』ですが、実は読んでました。
 最初に読んだのは、抄訳版の『四枚の羽根』。2013年のこと。それから、ちゃんとした版も読みたいと思って、翌年に角川文庫版の『サハラに舞う羽根』も読みました。

 と、いう記録が残っているのですが、内容がちょっと定かでない。覚えていることと言えば、主人公がエジプトに行って、大活躍したり、捕らえられたりしてたことくらい。
 がぜん興味がわいてきたので、改めて読んでみました。ムアヘッドを激怒させた記述がどんなものだったか。
 せっかくなので、翻訳者が違う版を選びました。

A・E・W・メースン
サハラに舞う羽根』(創元推理文庫)
 1882年夏、内乱に揺れるスーダンへの派兵を前に除隊した、若き将校ハリー。勇敢な軍人を志したはずの彼がなぜ? 彼のもとに出征した友人たちから「臆病者」を意味する三枚の白い羽根が届き、婚約者エスネも羽根を残して去る。汚名を雪ぐため、捕虜となった友らを救わんと、ハリーの長く孤独な戦いが始まる。『矢の家』の著者による歴史冒険小説の金字塔、初の完訳。
(「BOOK」データベースより))

 この内容紹介文、微妙に違いますけど。
 エジプト(※)に向かったハリーは、潜伏すること3年。ついに汚名を雪ぐ機会をつかみます。その後、友人のひとりが捕虜になっていることを知り、救出に向かいます。
 (※現在のスーダンのあたり)

 ちなみに、初の完訳と宣伝しているのは、角川文庫版より創元推理文庫版の方が1ヶ月早く出版されたため。角川文庫版も完訳だったと思います。
 角川文庫版は、公開映画とのタイアップとしての翻訳だったようですね。

A・E・W・メイスン
サハラに舞う羽根』(角川文庫)
 十九世紀末のロンドン―婚約を終え幸せの絶頂にある青年将校ハリーに、一通の電報が届く。戦況が悪化するエジプト遠征の要請だった。しかし愛するエスネへの想いと、幼い頃からくすぶる恐れから、ハリーは黙って電報を燃やしてしまう。そんな彼に送られた"四枚の羽根"。それは戦いに挑んだ仲間たちとエスネからの、"臆病者"のしるしだった―。全てを失い絶望し、姿を消すハリー。だが戦時下での仲間の危機を耳にすると、愛する者たちを救うため、苛酷な運命の待ち受けるエジプトの砂漠へと一人旅立った…。七度の映画化とともに英国で愛され続ける古典的名作が、新訳完全版にて復活。
(「BOOK」データベースより))

 この内容紹介文も、あれ?ってところが……。

 それはさておき、ムアヘッドが名指しするほどの野蛮行為が書かれていたかというと、どうなのかな、と。翻訳というフィルターがかかっているせいかもしれません。野蛮行為が柔らかい表現になっていたのかも。
 むしろ、ハリーの冒険がほとんど伝聞になっているので、よく分からないからあえて書かなかったのかな、と良心的に思えてくるから不思議です。

 ただ、イギリスから一方的に見た風景にはなってました。
 奴隷貿易のことはまったくなく、奴隷市場があることが1回触れられているのみ。マハディー側が過激なイスラム原理主義になっていて、叛乱が起こった原因は言及せず。(彼らがイスラム教徒なのはその通りですけど)
 ゴードン将軍を英雄として持ち上げているけれど、そもそも見殺しにしたのは、援軍を出し渋ったイギリスだったりするわけで。

 象徴的だと思ったのが、最終章。
 ある人物が「スーダン解放戦争」について書いている、というくだり。読み飛ばしてしまったのですが、よくよく考えてみれば、スーダンがイギリスの植民地にされた、という意味の「解放」なんです。
 全然、解放なんかされてない。エジプトのイスマイルが、野蛮な地方に現代世界の恩恵をもたらす、とこじつけて南方進出を企んだのとまったく同じ。
 アフリカ側からしたら、それは怒るな、と。マハディーにも問題はあったにしても、彼らは地元民なんですから。

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 なお、今回書いた固有名詞は『白ナイル』によってます。たとえば「マハディー」は、『サハラに舞う羽根』などの翻訳では「マフディー」表記になってます。ご了承ください。


 

 
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