日本史を学んだことがある人なら、関ヶ原の戦いという名称に聞き覚えがあると思います。
豊臣秀吉亡き後、台頭してきた徳川家康を排除しようと豊臣恩顧の者たちが蜂起し、関ヶ原などで激突しました。
豊臣方の西軍の実質的な首謀者といわれているのが、石田三成。そして、秀吉の親族でありながら徳川方の東軍に寝返ったのか、小早川秀秋でした。
とあるビジネス紙で、両家の現当主による対談を読みました。(PRESIDENT 2018年10月15日号)巻末に挙げられていたのが、現当主が選ぶベストご先祖様本。
・石田家当主、石田秀雄氏の推薦
桑田忠親『石田三成』中公文庫
・小早川家当主、小早川隆治氏の推薦
矢野隆『我が名は秀秋』講談社
先に読んだのが『我が名は秀秋』。
秀秋が21歳で急死していることもあって直系ではないのですが、さすが関係者が勧めるだけある内容。すごくヨイショされてました。
そもそも、秀秋が主人公になっている本自体珍しいので、選択肢が少ないのかもしれません。
さて、ここにきて、ようやく『石田三成』も読みました。
小説かと思っていたのですが、研究者が一般向けに書いたものでした。
最初の出版は、1974年エルム社から。1982年に講談社文庫に入り、5年後に著者他界。その後、2009年に中公文庫に収まりました。
そのため、内容はちょっと古め。
たとえば、和田竜の『のぼうの城』で一躍有名になった忍城の戦いでは、石田三成が水攻めを主導実行したことになってます。それが通説だったのですが、数年前に書状が発見されまして、様相が変わってます。
どうやら、三成は水攻めに批判的立場だったようです。とはいえ秀吉から命令されたのでしぶしぶ実行した(で、失敗した)というところのようです。
『石田三成』は、情報が古くはあります。ですが、三成を貶める通説に疑似を挟んだり、好意的に書かれている、といえると思います。それでもなお「人望がなかった」とされる三成。
それでも直系の子孫を残せたのですから、手を差し伸べようと思える人物だったんでしょうねぇ。
それはさておき。
今回は歴史書ですが、時代小説を読むたびに思うのが、知れば知るほどおもしろくなっていく、ということ。読むたびに知識が蓄積されていき、書かれていない場面をも把握できるようになっていきます。
とりわけ戦国時代から江戸時代に入るあたりは著作も多く、いろんな人物のさまざまな動きに思いを馳せられます。
『石田三成』では、朝鮮出兵のちょっとした記述に、飯嶋和一『星夜航行』でのアレコレを彷彿とさせられました。そのころあの人はどうしていたとか、太閤の勘違いはあの人のせいだとか。
時代ものファンの醍醐味って、そういうところなのかな、と思います。
知れば知るほど、深く読めるようになっていく。
間違いに遭遇して興ざめすることもあるのですけどね。