

事実は小説よりも奇なり
この言葉の出所は、イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン卿の風刺詩「ドン・ジュアン」から。
そのバイロン卿の祖父が、ジョン・バイロン。イギリス海軍士官でした。
ジョン・バイロンが士官候補生として乗船したのが、ウェイジャー号です。
もとはといえば、東インド諸島との交易船。ジョージ・アンソン代将率いる小艦隊の作戦に参加するため、改造され、軍艦に生まれ変わりました。
すごい歴史があったもので、ウェイジャー号は……
小艦隊のなかの一隻として出航し、
病が広まり乗組員たちがバタバタと死んでいき、
嵐の中で遭難。
荒涼たる無人島に座礁し、
生き残った乗組員たちは反目しあった末
島から脱出した小舟がブラジルの海岸に漂着。
生存者たちは英雄視されたものの、後日、別ルートで生還した艦長に反乱分子として糾弾される。
世論を味方につけるべく、生存者たちは、航海日誌を出版するなどした。
そして開かれる、軍法会議。
その結果は?
そんな出来事をまとめたのが
デイヴィッド・グラン
『絶海 英国船ウェイジャー号の地獄』
財宝を積んだスペイン船を追う英国のウェイジャー号は、嵐で難破して南米南端の無人島に漂着する。145人のうち極限状態を生き延びた三十数人は2つのグループに分かれて母国に帰るが、島で起きた殺人や反乱を巡って裁かれる。米英仏のベストセラーが上陸
(出版社内容情報より)
本書は、3人の当事者が残した航海日誌や報告書を中心に書かれてます。
ひとりは、ウェイジャー号艦長のデイヴィッド・チープ。
スコットランドの領主の息子。父が亡くなって異母兄が相続したことで職探しをする必要に迫られ、海に活路を見出した男。
出港時には、旗艦センチュリオン号の一等海尉でした。作戦中、まわりまわってウェイジャー号艦長となります。経験がないのはいかんともしがたく……。
英国海軍の秩序を保とうとします。
もうひとりは、掌砲長のジョン・バルクリー。
下働きから出世した苦労人。砲術のみならず航海術にもサバイバル技術にも長けた、天性のリーダーシップの持ち主。
記録魔で、ことこまかに記してるし、記録が自分を守ってくれることを理解するだけの頭も持ってる。貴族や領主の息子じゃないから艦長になれなかった、というだけ。
艦長の意向が優先という建前と、生き延びるためにはどうすべきか考えてます。
そして、第3の人物こそが、ジョン・バイロン。
両派の間に立たされる士官候補生。チープにつきたいけれど、バルクリーの主張も分かる。遠征参加時には16歳でした。
生存確立、約14%。
生き残ってくれて、ありがとう。
そもそもの発端は、大英帝国が覇権争いをしているスペインにしかけた戦争でした。
1740年9月。
ポーツマス港を出航した小艦隊は五隻の軍艦と一隻の偵察用スループ船から構成され、二隻の貨物船が同行してました。
1741年5月。
小艦隊が難所であるホーン岬を通過するとき、すさまじい嵐に遭遇。ウェイジャー号は、他の船とはぐれ無人島に座礁してしまいます。
ポーツマツを出航したときには250人いた乗組員は、145人に減ってました。
1742年1月。
小舟で無人島を脱出したバルクリー派30人が、ブラジルの海岸に漂着します。(1人はすぐに亡くなってしまいます)
ウェイジャー号は全滅したと思われていたので、みんなびっくり。ブラジルの総督に手厚くもてなされ、英国に帰国します。本国でも関心を集めました。
それから半年。
別の小舟がチリのチロエ島に漂着します。
乗船していたのはチープ艦長たち3人。バルクリーたちは英雄ではなく反乱分子だと訴えます。かれらはスペイン領で捕虜となったのち、帰国します。
そして開かれる軍法会議。
反乱はもちろん、大事な船を失った艦長だって処分される可能性があります。生存者たちはそれぞれ事情があるけれど、国としての事情もある、という状況です。
結果は、ぜひ本書をお読みください。
実は……バルクリー派から分かれ、別ルートで帰国した者たちが3人いました。
かれらと一緒にブエノスアイレスの町はずれまでたどり着いたのに、帰国できなかった人物がいます。かれについては、一冊の本も、供述書も、1通の手紙さえも残されていない。
それが、自由黒人のジョン・ダック。
拉致され、奴隷として売られてしまったのです。
ただただ、絶句。