

役割語とは、日本語学者の金水敏氏による命名だとか。
なんとなく人物像が思い浮かぶ、そういう特定の言葉のこと。
語尾に、老人なら「〜じゃ」がついたり。
女性なら「〜のよ」とか「〜だわ」がついたり。
男性だと「〜だぜ」とかだったり。
役割語がない言語から翻訳するとき、役割語を付加することはどうなのか。その是非についての議論を耳にしたことはありました。
読者として、あまりにもステレオタイプなわざとらしいセリフにしらけることもありました。
昨年のことですが、女性の一人称で綴られた物語を読みました。
デイヴィッド・ラミレス
『果てなき護り』
地球を離れて347年目の世代宇宙船《ノア》。巨大な船内では数万人以上の住民が超能力を駆使し、豊かで平穏な生活を営んでいた。だがその陰で、ミンチ状の死体が次々と密かに発見される。義務である出産を終えた都市計画官ハナは、上司を失った捜査官バレンズとともに能力を駆使して事件の真相を追い始める。新鋭が放つ傑作宇宙SF!
(引用、上巻「BOOKデータベース」より)
物語が云々の前に、若い女性を想起させる役割語が地文になっていて……。
正直、読むのが辛くて仕方ありませんでした。役割語のセリフに引っかかることがあるくらいなのに、しゃべるだけでなく、頭の中で考えていることまで役割語とは。
お断りしておきますと。
残念ながら自分には合わなかった、というだけです。すごくおもしろく読んだ人もいると思います。
そんなこんなで、役割語について改めて考えてみようと、こちらの本を読んでみました。
平野卿子
『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』
日本語の「女ことば」。それは日本人に根付く「性別の美学」の申し子である。翻訳家としてドイツ語・英語に長年接してきた著者が、女ことばの歴史や役割を考察し、性差の呪縛を解き放つ。
(引用「BOOKデータベース」)
翻訳家である著者がドイツの小説を訳していた30年ほど前のこと。暴力シーンのセリフに高揚感を覚え、小さな疑念が生まれました。
日本にはなぜ女ことばがあるの?
女ことばってなんなのかしら?
ことばを発したのが男性で、女性ではなかったから。女性のことばだったら、解放されたような心持ちにはならなかっただろうから。
その後「女とことばの問題」は日本だけではないことに気がつきます。また、ドイツの日本文学研究者であるイルメラ・日地谷=キルシュネライトの論考『性別の美学』を手にすることで思考が一歩前進します。
長年澱のように心に溜まっていた問い
「日本にはなぜ女ことばがあるの?」
そんな疑問にひとつの答えを見出したのです。
『女ことばってなんなのかしら?』は、女ことばを手がかりに歴史的背景をも含めながら、その背景や使われ方、文化とのかかわりなどを考察したもの。日ごろなにげなく使っていることばを、ジェンダー格差の視点から見つめなおしてます。
各章のタイトルをご紹介しておきます。
第1章…
女ことばは「性別の美学」の申し子
第2章…人称と性
第3章…日本語ってどんなことば?
第4章…西洋語の場合
第5章…日本語にちりばめられた性差別
第6章…女を縛る魔法のことば
第7章…女ことばは生き残るか
第5章。
小説で、男性は名字で呼ばれるが女性は名前になりがち、というのにはげしく同意。
航本日誌では作中の表記を遵守して書いているので、どうしたって気がつきます。ときどき、性別関係なく統一されていると、うれしくなったりして。
実は、横溝正史の《金田一耕助》シリーズは、だいたい名前なんです。女も男も、名前呼び。すべて読んでいるわけではないので、だいたい、ですが。
ただし、意図してそうしたかは分かりません。
一族のドロドロ話が多いので、登場人物一覧に同じ名字の人が並びがち。そのため必然的に、女も男も名前呼びになっているのでしょう。
理由はともあれ、そういうのが普通になるといいな、と思います。