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2019年の記録
目録
 
 
 
 4/現在地
 
 
 
 
 
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このページの本たち
デイナのひそかな生活』エリカ・リッター
ひげよ、さらば』上野 瞭
ラグランジュ・ミッション』ジェイムズ・L・キャンビアス
マルコ・ポーロの見えない都市』イタロ・カルヴィーノ
牧羊犬シェップ、がんばる』マージョリー・クォートン
 
ダーティホワイトボーイズ』スティーヴン・ハンター
砂漠の宝 −あるいはサイードの物語−』ジクリト・ホイク
ヴァレンタイン卿の城』ロバート・シルヴァーバーグ
薔薇の名前』ウンベルト・エーコ
静かな太陽の年』ウィルスン・タッカー

 
各年の目録のページへ…

 
 
 

2019年04月29日
エリカ・リッター(豊田菜穂子/訳)
『デイナのひそかな生活』WAVE出版

 デイナ・イェーガーは、カナダに暮らす貧乏ライター。
 恋人はたくさんいるけれど、みんな妻子もち。ほかの女の夫たちだ。
 奥さんと涙の対決をしたことはないし、その気もない離婚の約束をとりつけたこともない。別れるときになってお互いに安っぽい非難を浴びせ合ったこともない。
 デイナはこれまで、不倫関係のうわべだけをかすめとってきた。とはいうものの、近ごろの男にうんざりし始めてもいる。
 ミック・オライアンは、デイナの元恋人。今は良き相談相手。動物プロダクションで働いている。
 デイナはオライアンから、新しく始まる動物ドラマ『アメージング・グレース』に誘われる。脚本を書かないか、と。
 デイナは犬嫌いというわけではないが、好きでもない。むしろ、犬のために働くかと思うとゲンナリする。ひとまず断るものの、実のところ半失業状態。受けざるを得なくなる。
 そのころのデイナは、カール・ハートに恋していた。今は独身だというカールに、デイナはのめりこんでいく。ところがデイナは、元恋人ジェリー・グラスの犬を預かることになると、ジェリーとよりを戻せるのではないかと期待してしまう。
 デイナが預かったのは、雑種のオス犬マーフィー。
 ジェリーの彼女が、動物収容所にいたところをひきとって、ジェリーの家に連れてきた。ジェリーは彼女と別れたが、彼女は、あとで犬を迎えにくると言い残してそのまんま。
 ジェリーの新しい恋人マルタとマーフィーは、あまりうまくいっていない。
 デイナとマーフィーの奇妙な同居がはじまるが……。

 デイナとマーフィーの独白で構成。
 デイナが、すごくダメ人間で、そのことは本人も自覚してます。道徳観念もぶっとんでます。そこにひっかかってしまうと読むのがきつくなりそう。
 犬のマーフィーは人間たちの会話を理解してます。自分の立場も察しているけれど、ときどき犬っぽく本能に支配されて行動します。
 デイナがマーフィーの面倒をみるのは、あくまでジェリーのため。犬そのものには興味なし。そうした突き放したところが、新鮮でした。 


 
 
 

※新書版絶版のため、
リンク先は単行本版

2019年05月03日
上野 瞭
『ひげよ、さらば』上中下巻/理論社ノベルズ

 猫のヨゴロウザは気がついたとき、まったく見おぼえのない景色の中にいた。そこで、じぶんのよく知っている世界を思いだそうとするが、何も思いだせない。
 そんなヨゴロウザに声をかけたのは、片目の猫だった。灰色のすすけた毛をした大きな猫。左耳のつけ根のところから鼻の横まで、まるで縫いつけたような黒い傷跡が走っていた。
 片目と呼ばれる猫が言うには、ヨゴロウザは二本足の飼猫だったのだろう、と。なにしろヨゴロウザは毛並みもよく、きれいな鼻の頭をしていた。ヨゴロウザは、じぶんがどこからきたのか、それをまず知りたいと思うが、片目は意に介さない。
 ヨゴロウザは成り行きで、片目の相棒になった。
 そのあたりは、ナナツカマツカの丘と呼ばれる小さい山の中。丘には、じぶんの縄張りを持っている猫がずいぶんといる。その中で片目は、二本足が宝物殿と呼んでいるところに住んでいた。
 丘のとなりにあるのは、アカゲラフセコ。二本足の墓地だ。野良犬たちがいる。
 犬たちを率いているのは、タレミミとハリガネ。食料の乏しくなる冬にはナナツカマツカに侵入してくることが予想された。
 片目は、丘の猫をひとつにまとめようとしていた。だが、丘で長く暮らしているものには、いろいろと事情があって公平な気持ちになれない。
 一方でヨゴロウザには、どの猫に対しても先入観というものがない。ヨゴロウザは、猫たちを説得するように頼まれるが……。

 猫のヨゴロウザの物語。
 大筋は、ナナツカマツカの猫とアカゲラフセコの犬との対決です。
 たくさんの猫たちが登場します。それぞれ外見や性格が名前になってます。詩作にふける歌い猫、血統(シャム)を誇りにしているオトシダネ、マタタビ依存症のくずれ猫、その他、学者猫やオオグライ、大泥棒、黒ひげ、ウラナイ、などなどなど。
 猫たちは擬人化されてますが、猫っぽさもあります。とにかく自分第一。犬たちのおそろしさは分かっているけれど、今の生活を変えたくない。
 みんな、どこまでいっても変わらない。
 そんな中、過去(自分自身)を失っているヨゴロウザだけが、変化していきます。はじめは渋々していた説得も、いつしか本心から取り組みます。そして、片目の策略で猫たちのリーダーに選ばれてしまいます。
 その後に怒濤の展開が待ってます。すごかった〜。

 本作は児童書(日本児童文学者協会賞受賞)らしいのですが、挿絵のない新書判で読んだからか、そういう雰囲気はなかったです。
 ところで、ヨゴロウザの毛並みは、白、黒、茶の三色まじり。雄の三毛猫の希少性について作者が意図していたのかどうか、考えてしまいました。


 
 
 

2019年05月07日
ジェイムズ・L・キャンビアス(中原尚哉/訳)
『ラグランジュ・ミッション』ハヤカワ文庫SF2054

 宇宙海賊キャプテン・ブラックは、本名をデビッド・シュオーツといった。ハイテク犯罪の絶対的頂点に君臨し、ウェブ上には5つのファンサイトがある。
 目下のところデビッドが狙っているのは、月のスミス海から地球に向かう貨物ユニット。積荷は、4トンのヘリウム3。20億スイスフランの価値がある。
 デビッドは海賊機を、地球と月のあいだのラグランジュ点に待機させていた。操作はどこからでもいい。今回は、バンコクのリゾートホテルだった。
 一方、アメリカでは、エリザベス・サンティアゴ大尉が宇宙管制センターにいた。操作するのは、ラグランジュ点にあるマリオ5。
 マリオ・シリーズは、他の衛星の補給と点検を表むきの目的としてきた。だが、マリオ5はやや攻撃的な機能を持つ。兵装を積んでいるのだ。
 月からの貨物ユニットを注視していた管制センターは、デビッドの海賊機に気がついた。攻防ののち、マリオ5は海賊機の捕獲に成功。ところが自爆されてしまい、マリオ5は制御不能に陥ってしまう。10億ドルが灰になったうえ、貨物ユニットも奪われてしまった。
 エリザベスは責任を取る形で、ベンチャー企業への出向を言い渡される。推進システムを開発している会社で、ミッション管制ディレクターとして実績をつくれば、やがて返り咲ける。エリザベスは命令に従いながらも、内心では海賊退治に意欲を燃やすが……。
 そのころデビッドは、マハムート・ガバミという謎の男の接触を受けていた。最後の仕事としてガバミの依頼を受けるが……。

 近未来のハイテクもの。
 デビッドはまだ若く、海賊稼業は遊びの延長線上。ガバミは絶対的な秘密主義で、デビッドも世間から隔離されてしまいます。それがおもしろくなくて、むくれてます。
 エリザベスは、ちょっと突っ走るタイプ。マリオ5の後継機が投入されないことを知って、いろいろ画策します。実は、ふたりには交際前歴があります。
 もうひとり、アン・ロジャーズという女性が登場します。アンは中古のキャビンクルーザー〈カリーナ号〉で一人旅をしているところ。航海のようすを〈気ままな航海日誌〉と題してネットにアップしています。

 宇宙海賊というと、海賊の宇宙版のようなイメージだったのですが、本作では、地上から衛星を制御してドンパチします。そういうところが新鮮。


 
 
 

※単行本絶版のため、
リンク先は文庫版
2019年05月12日
イタロ・カルヴィーノ(米川良夫/訳)
『マルコ・ポーロの見えない都市』河出書房新社
  (文庫版『見えない都市』)

 マルコ・ポーロは派遣使として、フビライ汗に訪れた諸都市の様子を次々と報告した。ポーロは使者の中でも、フビライのお気に入り。
 フビライは考えていた。もしやこの帝国は、精神の黄道に宿る幻の星座にほかならぬのではないのか。
 ポーロは都市を、想像で語っている。そのことはフビライも分かっているが……。

 ストーリーらしきものは、ないです。
 ただただ、マルコ・ポーロの語る都市の描写が繰り返されるだけ。どれも短く、いくつか例外はありますが、だいたい2〜3ページで終わります。
 9部構成で、それぞれ最初と最後に、マルコ・ポーロとフビライの話がはさまります。そこが、ひとつの転換点になっているようで、都市の語られ方が微妙に変化していきます。

 いかんせん特殊な物語(?)なので、読む人を選ぶと思います。幻想に浸りたいときにはいいかも。


 
 
 

2019年05月13日
マージョリー・クォートン+シェップ(務台夏子/訳)
『牧羊犬シェップ、がんばる』東京創元社
  (文庫版『牧羊犬シェップと困ったボス』)

 ボーダー・コリーのシェップは、血統書をもつ牧羊犬。アイルランドで飼主のボスと暮らしている。
 シェップが牧場にやってきて、4年がたつ。
 最初の1年は、古い納屋に閉じこめられていて、毎日が退屈だった。仕事が始まったのは、1歳になってから。
 シェップは自分の好きなように仕事をさせてもらってる。やり方は自然とわかっていた。ボスときたら、訓練のやり方を知らなかったのだ。
 あるときボスは、隣人のジェイムジー・クインといっしょに、牧羊犬の競技会(トライアル)に行った。たちまちボスはトライアル熱にかかってしまい、もう一匹、純血種の犬を手に入れた。
 雌のジェスだ。
 ジェスの血統書は、シェップよりも上等。でもジェスは、どんなときも仕事をしない。羊たちが怖いのだ。
 ボスはそんなことには気づいてない。ジェスをチャンピオン犬に仕立てるつもりだ。ところがジェスは妊娠し、まもなく子犬を産んだ。
 ボスは子犬たちで大儲けをたくらんだ。そのためシェップは、腕利きの牧羊系訓練士であるデニス・オブライエンのとこに送られてしまう。シェップは、自分がアルバイトをすることになるとは思ってもいなかった。
 オブライエンが言うには、シェップは、強引すぎた。走りまわりすぎるし、接近しすぎる。適当な距離ってものがわかってない。
 シェップはがんばり、この国でも最高クラスの犬だと誉められるようになるが……。

 シェップの日記、というスタイルで展開。なので、犬視点。
 ボスは血統書をもっていない、とか、トライアル熱にかかったのは、小さいころに獣医に注射をしてもらわなかったからだ、とか、ちょこちょこと笑えます。
 犬好きさんによると、シェップは「まさしく犬!」なんだそうです。
 シェップはチャンピオン犬になりますが、トライアルの様子はあまりでてきません。シェップにとっては勝つのが当然なので、わざわざ書かなかった、ということでしょうか。ちょっと残念。


 
 
 

2019年05月18日
スティーヴン・ハンター(公手成幸/訳)
『ダーティホワイトボーイズ』扶桑社ミステリー

 ラマー・パイは、州立マカレスター重犯罪刑務所の終身囚。
 ラマーは人殺しであり、刑務所の白人服役囚をしきるダディ・クールの庇護下にあった。図体のでかい、いとこのオーデルの威力もあてにできる。
 最近ラマーは、新入りのリチャードを保護してやっていた。
 リチャードは美術教師。 前科はなく、人殺しでもない。裕福な教養ある白人で、見せしめとして、3ヶ月だけ重犯罪刑務所に入れられることになったのだ。
 ラマーは日々に満足していた。リチャードに自分好みの絵を描かせ、楽しんでいた。格の高い終身刑囚として、ちょっかいを出すものはいない。
 ところが、オーデルがダディの機嫌を損ねたことから窮地に陥ってしまう。襲ってきた黒人服役囚を殺すが、もはやダディの庇護はない。誰も守ってはくれないのだ。
 ラマーは、オーデルとリチャードをつれ、脱獄した。
 ラマーたちの脱獄をバド・ピューティが知ったのは、夜中だった。
 バド・ピューティは、オクラホマ州のハイウェイパトロール。すでに、他の服役囚と看守の死体が発見されている。自動販売機の補充にきていたヴァンが奪われており、おそらく運転手も殺されているだろう。
 バドはティム・ジェイムズ警部から、厳戒態勢で巡回するように命じられる。二名ひと組が鉄則だ。バドは巡査部長であり、若手隊員のテッド・ペパーの面倒を言いつけられる。
 実はバド、テッドの妻ホリィと不倫していた。パトロール中も、考えているのはホリィとの“あのこと”ばかり。
 ラマーは発見できず、バドとテッドは、郊外の食堂に立ち寄った。ふたりは店員から、ステップフォード農場の様子を見てくれるように頼まれる。
 農場主のビルはこの10年間、毎朝食堂に立ち寄っていた。大雪が降った日にも来るくらい、この食堂のコーヒーがお気に入りなのだ。ところが、けさは来ておらず、電話をかけても通じない。
 バドとテッドは農場を訪れるが、そこにはラマーたちが潜伏していた。まったく無防備だったふたりは銃撃されてしまうが……。

 バイオレンスもの。
 実は《スワガー・サーガ》の外伝。そんなことは知らずに読みました。単独で読めますが、《スワガー・サーガ》本編を読むときには必読になるようです。
 ミスリードをさそっているような書き方が目につきます。助からないぞ、と思わせておいて、生き延びました、と。ただ、あっさりばらしてしまうので、効果はいまひとつ。
 善悪でいえば、バドが善でラマーが悪。ところが、バドがとんでもないゲス野郎なんです。バド自身、そういう自分を嫌悪しているようですが、正直なところ、バドが絶体絶命の状況を生き延びても、ちっともうれしくない。
 悪者であるラマーの方は、すぐ暴力に走る傾向があるものの、しっかりとした自分を持っています。学はないけれども犯罪者として天才的。終盤、あせりがあったのか、判断ミスしてしまうのが残念でなりませんでした。

 本作は、バドの下劣さを容認できないと読めないと思います。善側の人間が問題になるのって、珍しいですね。


 
 
 

2019年05月21日
ジクリト・ホイク(酒寄進一/訳)
『砂漠の宝 −あるいはサイードの物語−』福武書店

 アブリは12歳になり、はじめて隊商に加わることを許された。
 隊商を率いるのは、父のアフマド。他に、兄のハーリド、大叔父のアブドゥッラー、母の兄タカイェドゥが一緒だ。一行が訪ねたのは、砂漠北部の遊牧の民ケル=アジェル。
 その帰り、アブリは、大きな岩山の上に建つ土の砦を見た。長い城壁は崩れかけ、ところどころひびが入っている。とても人が住める状態ではない。ただ、いちばん高い塔の上に竿がたてられ、黄金に輝くハトがつるされていた。
 アブドゥッラーの話では、魔の城、風と孤独の民ケル=エスーフの棲処だと言い伝えられているという。かれらは生身の人間ではない。見えざる者、精霊、魔人だ。
 砦をすぎ、アブリは蜃気楼の湖に取り囲まれた。そのとき、こちらへ抜けでてくる黒い人影があった。ひとりで砂漠を旅するには大変な経験がいる。
 旅人はアフマドに受け入れられ、共に砂漠を越えることになった。名前を、スレイマン=エル=ハカヤティ。昔話の語り部だという。
 アブリは昔語りが聞きたくて仕方がない。スレイマンは休憩のたび少しずつ語っていく。
 イッサ=ベールと呼ばれる大河の、ある村に、サマキという魚師が住んでいた。サマキには、キタという名の妻がいる。ふたりには子どもがなかった。
 ある日、人間の女になりすました水の妖精(ベり)が、岸辺で幼子を見つけた。上流から流れてきた葦の小舟に、泣きさけぶ幼子が乗せられていたのだ。水の妖精は幼子に贈物を与え、古い大木の根元に寝かした。
 幼子を見つけたのは、サマキだった。
 サマキが幼子を家に連れ帰ると、キタは大喜び。サイードと名付け、親戚の子として育てることにした。
 成長したサイードは〈砂漠の宝〉のことを耳にする。それを得れば大金持ちになれるという。ただ、5つの品物を用意しなければならない。
 サイードは〈砂漠の宝〉を求め、長い旅をすることになるが……。

 児童書。
 読者の「物語はどうやって作るの?」という疑問へのひとつの回答になってます。
 スレイマンはたびたび、隊商の面々に、作中の出来事について尋ねたり、アブリが発見したものを反映させたりしてます。サイードという名はアブドゥッラーの亡くなった愛息子の名ですし、アブリの要望で、現代が舞台になっていたりもします。
 危険と隣り合わせとはいえ砂漠の旅は単調。その一方、サイードの物語は、イッサ=ベールからモロッコ、エジプト、イエメンと繰り広げられます。その対比が印象的。
 途中サイードは語り部の弟子となります。そのため、物語の中で物語るシーンもあるのですが、枠物語ではなく、ただのセリフになってます。児童書なので複雑になりすぎないように配慮したのかもしれませんが、ちと物足りない。


 
 
 

 

2019年05月27日
ロバート・シルヴァーバーグ(佐藤高子/訳)
『ヴァレンタイン卿の城』上下巻
ハヤカワ文庫SF608〜609

 マジプールは広く、古い。かつてはメタモルフたちの世界だったが、人間が奪い取った。今では、人間以外にも多くの異種族が住みついている。
 何十億という人間の上に君臨しているのは〈皇帝〉だ。アルハンロエル大陸の〈城ヶ岳〉から世界を統治している。〈皇帝〉は〈教皇〉の法令を施行し、秩序を維持し、あらゆる土地で正義をささえ、世界が混乱に陥るのをふせいでいるのだ。  
 ヴァレンタインは、気がつけば、ジムロエル大陸で最大の都市ピドルイドを見下ろしていた。ヴァレンタインは知らなかったが、ピドルイドは祭りのシーズンだった。
 2年前に〈皇帝〉ヴォリアックス卿が亡くなり、弟のヴァレンタイン卿が後継者に指名された。ヴァレンタイン卿が自分の領土を巡るのは今度がはじめて。ピドルイドは大騒ぎだった。
 ヴァレンタインは、己と同名の光輝ある人物について妙に心を動かされない。それどころか、自分が何者で、どこから来て、どこへ行こうとしていたのか、なにも覚えていなかった。
 ヴァレンタインが泊まった宿には、スカンダーのザルザン・カボルの一座がいた。一座には人間のスリートとカラベラが雇われていて、ヴァレンタインは彼らからジャグルを教わった。はじめての体験にヴァレンタインは興奮気味。
 最近、役者芸人に関する法令が布告された。3人以上からなる芸人の集団は、その3分の一がマジプール市民の人間でなくてはならない。ばかげた法令だったが〈皇帝〉の御前で技を披露するには無視できない。
 一座は、あとひとりの人間を必要としていた。ヴァレンタインは素質があると、スカウトされる。この先のことがなにも決まっていなかったヴァレンタインに居場所ができた。
 ヴァレンタインは練習を重ね、ジャグラーとして開花していく。楽しい日々だったが、不安もあった。
 ヴァレンタインは度々、不思議な夢を見た。お告げかもしれないし、そうではないかもしれない。ヴァレンタインは夢占い師にみてもらうが、意外なことを告げられる。
 夢占い師は、高いところから落ちたため、そこへ帰るべく登りはじめなければならない、というのだ。マジプールでもっとも高いところとは〈城ヶ岳〉のてっぺん。今ではヴァレンタイン卿の城と呼ばれているところ。
 ジャグラーのヴァレンタインこそが、正当な〈皇帝〉だというのだ。
 やがて周囲の人びとも夢のお告げを受けはじめる。ヴァレンタインは確信がないままに、母親である〈聖母〉に縋ろうと考えるが……。

 《マジプール年代記》の最初の巻。
 マジプールでは、〈皇帝〉〈教皇〉〈聖母〉〈夢の王〉がそれぞれ権力をもっています。
 〈皇帝〉は引退して〈教皇〉となり〈迷宮〉に入ります。そして新たな〈皇帝〉を養子とします。一方〈皇帝〉の生母は〈聖母〉として〈眠りの島〉に住みます。
 彼らとまったく別系統なのが、南の大陸スヴラエルの〈夢の王〉。〈夢の王〉は、人びとに悪夢を送ってます。

 古い時代の作品(1979年)のため、あっさり風味。紆余曲折はあっても、サクサクと読めます。
 ヴァレンタインは、〈皇帝〉ヴァレンタイン卿を名乗る人物を偽物として告発するわけですが、まず〈聖母〉と〈教皇〉の承認を得ようとします。そこまで行くのも大変ですが、すんなり会えるわけもなく、立ちはだかる官僚機構の分厚いこと、分厚いこと。なかなか先に進めないもどかしさ。じれったさ。
 でも、じめじめはしておらず、さっぱりと読めました。


 
 
 

 
2019年06月05日
ウンベルト・エーコ(河島英昭/訳)
『薔薇の名前』上下巻/東京創元社

 アドソはベネディクト会の見習修道士。
 見聞を広めるため、フランチェスコ会修道士に預けられた。以来アドソは、バスカヴィルのウィリアム修道士を師と仰ぎ、書記兼弟子として過ごしている。
 ウィリアムはかつて、イングランドやイタリアで異端裁判の審問官を務めていた。冷徹さにおいて高名を馳せてはいたが、大いなる慈悲心も併せもっている。ゆえに、皇帝から重要な任務を託されていた。
 1327年11月。
 ウィリアムとアドソの師弟は、北イタリア、ティレニア海が視野から消えてまもない山上の僧院を訪れた。ベネディクト会修道院であるここで、教皇側の使節団と、皇帝を後ろ盾とするフランチェスコ会側の使節団との会談が開かれることになっていた。
 僧院長アッボーネは、皇帝権力にきわめて忠実であり、しかも卓抜な外交手腕を用いて教皇庁にも嫌われていない。両派が邂逅する場所として、格好な中立の土地だった。
 ウィリアムは、到着してすぐにアッボーネから、事件のことを聞く。
 アデルモ・ダ・オートラントが、断崖の底で死体になっているのを発見された。アデルモは細密画家の修道僧。修道院には異形の建物があり、上層は文書館となっている。どうやらそこから堕ちたらしい。
 アッボーネとしては、配下の修道僧のなかから忌まわしい自殺の罪を犯した者が出たとすれば、それだけでも由々しき事態。そのうえ、もう一人の修道僧が、それに劣らぬ恐ろしい罪を犯していた。アッボーネがそのことを知ったのは、口外してはならない告解を通じて。
 アッボーネの願いは、闇のなかに葬っておかねばならない秘密を、理性の力によって一つ残らず解明してもらうこと。
 ウィリアムは、事件を調べることを承諾する。ただ、あの異形の建物の、最上階にだけは入ってはならないという。文書庫になっているが、許されているのは、文書館長のマラキーア・ダ・ヒルデスハイムだけらしい。
 ウィリアムはアドソをともない、修道僧から話を聞いていく。
 アデルモに最後に会ったのは、文書館長補佐のベレンガーリオ・ダ・アルンデル。ベレンガーリオは、アリストテレースの研究者であるヴェナンツィオ・ダ・サルヴェメックとも親しくしている。
 翌朝、ヴェナンツィオの死体が発見された。
 教皇側の使節団が到着するまで間もない。ウィリアムは、文書庫に謎の答があるとにらむが……。

 アドソが晩年、死を目前にして書き綴った手記、という設定のミステリ。そのため、後年から見た意見なども挟まります。
 時代背景はちょっと複雑。
 本来、フランチェスコ会とベネディクト会は対立関係にあります。ただ、教皇と皇帝が争っていて、敵の敵は味方、という論法で両会は結びついてます。
 そういうことを知らない人でも理解できるように、しっかりとした説明があります。おかげで、予備知識がなくても読めると思います。それが難解さの原因なのかもしれません。
 上巻は、それらの説明がある分、展開がゆったりめ。ただ、そのときには無駄に思えても、後で非常に重要な場面だったということばかり。下巻に入るころには加速度的におもしろくなっていきます。
 知識が増えたころ再読すると、また別の読み方ができそうです。


 
 
 

2019年06月07日
ウィルスン・タッカー(中村保男/訳)
『静かな太陽の年』創元SF文庫

 ブライアン・チェイニイは未来学者。聖書の研究もしており、社会政治学にも造詣が深く、推測統計学者としての名声も博している。
 チェイニイは、イスラエルである巻物を研究し、翻訳出版した。クムランの僧侶か律法学者によって書かれたものだ。ところが、神の冒涜者として、覚悟していた倍以上の嵐を惹き起こしてしまう。
 古代ヘプライ人たちは、仮想の物語を好んだ。それらはミドラッシュと呼ばれていた。研究者なら誰もが知っているが、ミドラッシュでは聖書中の事件や人物が登場する。
 なにしろ厳しい時代で、国土はほとんどいつも侵略者に蹂躙されており、彼らは、もう何百年も昔から約束されている救世主の出現を待ちこがれていた。そこで、宗教物語や英雄伝説に仮託してその主義主張を訴えたのだ。
 チェイニイが翻訳したのは、ヨハネ黙示録の原典と考えられるものだった。少なくとも黙示録より100年前に書かれている。元版をフィクションとして呈示したことが、受け入れられなかったらしい。
 チェイニイは批判に飽き飽きしていた。くいさがる記者やレポーターに嫌気がさしていた。チェイニイの前にカスリン・ヴァン・ハイゼが現われたのは、そんなときだった。
 カスリン・ヴァン・ハイゼは、アメリカ基準局の研究主任。チェイニイにある仕事を頼みたいという。
 3年前にもチェイニイは基準局の仕事をしている。1970年の国勢調査からえられた数字を土台にして、現在から2050年までの動向を推測し本としてまとめた。
 今度は、実際に未来を調査するのだという。
 ウェスティングハウスの技術団が時間転換旅行機(TDV)を開発した。乗りこんで、実際に未来に行くことができる。調査隊の一員として、チェイニイに声がかかったのだ。
 調査隊は3人。チェイニイの他に、空軍少佐ウィリアム・モースビイ、海軍少佐アーサー・ソールタスも参加する。
 第一目標は西暦2000年前後。近未来における政治的な安定度をしらべ、一般大衆がどれほど幸福な生活を営んでいるか調査する。
 基準局の計画は極秘に続けられるが……。

 おそらく、時間SF。
 いろんな要素がごたまぜになっていて、終盤は傑作なんだけど、それ以外は、どうもいまひとつ。
 序盤でとかく話題になるクムランの巻物というか黙示録は、ある状況と似ている……という関連から物語に関わってきます。が、途中から黙示録のことを忘れてました。最後まで関連性を感じながら読むと、ちがった読み方ができたのかもしれません。
 チェイニイはソールタスと親しくなりますが、モースビイとは距離を置いてます。というのもモースビイは、あの翻訳を快く思ってないから。おかげで、モースビイのことはよく分からないまま。
 チェイニイはやたらと、カスリンが身につけていたデルタ形のビキニ・パンティーについて言及します。
 おそらく本書は、発表されたのが1970年のアメリカであることを念頭に読むべきなのでしょう。

 
 

 
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