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2019年の記録
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このページの本たち
バネ足ジャックと時空の罠』マーク・ホダー
ねじまき男と機械の心』マーク・ホダー
月の山脈と世界の終わり』マーク・ホダー
トム・ソーヤーの冒険』マーク・トウェイン
星夜航行』飯嶋和一
 
最終定理』アーサー・C・クラーク&フレデリック・ポール
旋舞の千年都市』イアン・マクドナルド
星間帝国の皇女 −ラスト・エンペロー−』ジョン・スコルジー
琥珀の望遠鏡』フィリップ・プルマン
もうひとつの街』ミハル・アイヴァス

 
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2019年09月15日
マーク・ホダー(金子 司/訳)
『バネ足ジャックと時空の罠』上下巻/創元海外SF叢書

 《大英帝国蒸気奇譚》三部作その1。
 1861年。
 サー・リチャード・フランシス・バートンは、王立地理学協会で、ジョン・ハニング・スピークの事故を知った。
 ふたりは、共にアフリカ探検をするほど親しかった時期もあった。だが、仲違いをし、今ではナイル川の水源をめぐって対立している。
 スピークは、銃弾を頭に撃ちこんだらしい。自殺か、事故か、分かっていない。バートンが引き金を引いたのではないか、と憶測まで流れた。
 衝撃を受けたバートンは、さらに事件に巻きこまれる。
 深夜ロンドンで、奇妙な亡霊に襲われた。ひどく脚が長く、頭は大きく、黒光りしていて、青い炎の環がそのまわりをつたっている。目は赤く、かぎ爪のような手をした男。
 バネ足ジャックだった。バートンはおとぎ話の登場人物に、暴力的な警告を受けてしまう。バートンには意味が分からない。
 翌朝、バートンは、首相のパーマストン卿から秘密任務を言い渡される。バッキンガム宮殿からの指名だった。
 警察も踏みこむのをためらうような大鍋(コールドロン)一帯に、人狼(ルー=ガルー)が出没しているらしい。バートンなら入りこめる。王室直属の密偵として調査してもらいたい、と。
 人狼とバネ足ジャックには、接点があるようだった。さらには、私設療養所に収容されたスピークが、何者かに連れ去られる事件が発生する。どうやら人狼が関わっているらしい。
 バートンは調査をすすめるが……。

 フィリップ・K・ディック賞受賞作。
 改変スチームパンク。
 この世界のイギリスでは、技術者(テクノロジスト)と優生学者(ユージニシスト)とが独自の技術を発展させてます。また、それら科学技術に対抗するように、放蕩者(リバティーン)という快楽主義的集団もいます。さらに、科学技術の進展に激しく反対する、より過激な道楽者(レイク)なる者も存在してます。
 そうなるに至った歴史の分岐点に、ある大事件が使われてます。
 序盤で明らかにされていますが、作者も、判明するまでは隠しておこうと工夫しているようでした。分かったときにはちょっとした衝撃で……。なので、なにが起こったのか、あえて触れません。

 作者は、本書がデビュー作。
 やはり構成がちょっとこなれてない印象。複雑な展開を少しでも理解しやすいように親切設計したのが裏目にでてしまったようです。
 改変歴史ものにしては珍しく、バートンは、本来の歴史を意識しています。途中で歴史が変わったけれど、本来はこうなるはずではなかった、ということを感じてます。そのうえで行動していきます。
 バートンが、探検家で語学に秀でていて剣術の達人、というのは史実です。そこを突き詰めた物語になっているので、改変歴史ものであると同時に、ヒーロー大活躍ものにもなってます。
 なお、冒頭のバートンとスピークの〈ナイル川水源論争〉ですが、知らなくっても問題ないです。(興味がある方は、書的独話「サハラとナイルと冒険と」で触れてますので、どうぞ)  


 
 
 
 

2019年09月17日
マーク・ホダー(金子 司/訳)
『ねじまき男と機械の心』上下巻/創元海外SF叢書

 《大英帝国蒸気奇譚》三部作その2。
 1862年。
 サー・リチャード・フランシス・バートンは、トラファルガー・スクウェアの騒ぎに気がついた。
 広場には、機械仕掛けの男がいた。ぴかぴかに磨かれた真鍮でできていて、ゼンマイ仕掛けのようだ。動力のゼンマイがすっかりゆるんで、止まってしまったのだろう。
 頭部には、バベッジ回路が備わっていた。バベッジ回路は、これまでにつくり出された機械のなかで、最も人間の脳に近い。これほど価値のあるものを広場に放置しておくとは考えにくいことだった。
 バートンは、この機械が囮ではないかと疑う。
 警察と手分けして見回ると、ブランドルウィードの宝石店が襲われ、金庫がそっくり空になっていた。金庫に収められていたのは、カンボジアの〈合唱石〉。
 黒色をしたダイヤモンドである〈合唱石〉は全部で七粒。1837年に、音楽的な共鳴音をもたらしたため、発見された。電場をたくわえて伝達したり、記憶をたもつことができる。
 現場には足跡が残されていた。イザムバード・キングダム・ブルネルのものだ。ブルネルは可動式の生命維持装置に入っており、足跡が特徴的だった。
 技術者(テクノロジスト)たちに指示するほどの、帝国じゅうで最も賞賛されてきた工学者(エンジニア)が盗みをしたのはなぜなのか。
 バートンはブルネルに追いつくが、〈合唱石〉は偽物だった。ブルネルよりも前に、誰かが盗み出していたのだ。
 伝説によれば、黒ダイヤは、先史時代に落ちてきた巨大な隕石が三つに割れたものだという。ひとつは新大陸に、ひとつはアフリカに、そして三つ目は極東にあった。これらは〈ナーガの目〉という名で知られている。
 カンボジアの〈合唱石〉が、極東の〈ナーガの目〉なのだ。それがなんらかの理由で共鳴しだした。バートンは、1837年という日付にバネ足ジャックとの関係を疑う。
 一方、世間では、サー・ロジャー・チャールズ・ティチボーンの話題で騒がしかった。行方不明になっていたサー・ロジャーを名乗る者が現われ、准男爵の地位と領地を請求したのだ。
 バートンは首相のパーマストン卿から、請求者について調査するように命じられるが……。

 改変スチームパンク。
 前作『バネ足ジャックと時空の罠』から半年後。ほぼつながってます。前作を読んでいて、ある程度覚えていることが大前提。
 今作はオカルト要素全開。蒸気機関も登場しますが、巨大な改変生物を使った多脚機械なんです。つまり、人が乗れるほど巨大な昆虫。生きてませんけど、想像できない、というより、したくない。
 ティチボーン事件は実際にあったそうで、流れとしては史実と同じ。とはいえ改変歴史ものなので、しっかりとこの世界に合致する形で展開していきます。
 関係なさそうな事件につながりがあり……という驚きの第二部でした。


 
 
 
 
2019年09月22日
マーク・ホダー(金子 司/訳)
『月の山脈と世界の終わり』上下巻/創元海外SF叢書

 《大英帝国蒸気奇譚》三部作その3。
 1914年。
 アフリカの湖沼地方で、フランク・ベイカーと名のる男が保護された。男は、ウケレウェ湖の西岸をうろついていた。
 このころイギリスとドイツは戦争の真っただ中。すでにフランスが陥落し、ベルギー、デンマーク、オーストリア=ハンガリーもドイツに落ちた。ヨーロッパは荒廃し、イギリスに残された最後の都市は、アフリカのタボラのみ。
 大戦が勃発したのは、およそ50年前。それは、ダル・エス・サラームと呼ばれる村で起こった。
 ドイツの調査隊がやってきて、女ゲリラ戦闘集団の指導者アル=マナートと戦闘になったのだ。アル=マナートはイギリス人だと噂されているが、正体は分からない。イギリスもドイツも次々と戦力を送りこみ、戦いは激化していった。
 ベイカーは記憶があやふやだった。ベイカーと名のったものの確信はない。
 そんなベイカーの正体に気がついたのは、〈タボラ・タイムズ〉紙の従軍記者ハーバート・ジョージ・ウエルズだった。ベイカーは、サー・リチャード・フランシス・バートンにそっくりだったのだ。
 バートンは、高名な探検家にして文筆家。だが、1890年に69歳で亡くなっていた。
 1863年。
 バートンは黒ダイヤ〈ナーガの目〉を回収するため、アフリカに旅立とうとしていた。
 アフリカに行くまでは、回転翼式飛行船〈オルフェウス〉号を使う。ロンドンからカイロに飛び、アデンを経由してザンジバル島まで南下する。だが、機械装置は湖沼地方では使えない。最後は徒歩になること必至だ。
 すでにザンジバルからデュスミ丘陵の村に物資を運んでいる。そこからカゼーにたどり着き、北の湖沼地方へ向かう。最終目的地は〈月の山脈〉だ。
 〈月の山脈〉に〈ナーガの目〉があるはずだった。
 宿敵ドイツは、ジョン・スピークとフェルナンド・グラーフ・フォン・ツェッペリン伯爵を〈月の山脈〉に送りこんだらしい。遅れをとっているが、アフリカ探検ではバートンに分がある。
 バートンは首相のパーマストン卿から、〈ナーガの目〉を回収すると同時に、アフリカ調査を命じられた。アフリカは、世界に残された未開発の巨大な資源。ドイツと同じように、イギリスも狙っていたのだ。
 バートンはパーマストン卿に反発するが……。

 改変スチームパンク。
 三部作の完結編。
 さすがに3作目だけあって、いろいろこなれてきた印象。バートンが友人に経緯を説明する、という体裁で、これまでの概略が語られます。とはいえ、やはり順番どおりに読みたいところ。
 20世紀と19世紀、ふたつのバートンの物語を行ったり来たりします。20世紀のバートンは徐々に記憶を取り戻していきます。それと呼応するように、19世紀での冒険が展開していきます。
 19世紀の結果を受けての20世紀ですが、この関係性がおもしろいです。
 20世紀で語られたことが19世紀で確かめられ、19世紀の事件が20世紀にも伝わる。それらが効果的に配置されていて、一作目のぎこちない構成からの進歩を感じさせました。
 なお、20世紀世界が滅亡寸前なので、暗いです。19世紀のアフリカ探検もとにかく苛酷。
 読むのに覚悟がいるかもしれません。


 
 
 
 

2019年09月23日
マーク・トウェイン(土屋京子/訳)
『トム・ソーヤーの冒険』光文社古典新訳文庫電子版

 トム・ソーヤーは、セントピーターズバーグというちっぽけな村に暮らしていた。母は亡く、母の姉であるポリーおばさんにひきとられている。
 トムは勉強が大嫌い。昼から学校をさぼって遊びにいってしまうような少年だった。
 ポリーおばさんにとって、トムは妹の忘れ形見。ほんとにだめにしないように、見のがしてやれば後ろめたい心持ちになるけど、叩けば叩いたで心が痛む。悪いことをすれば、罰として、友だちみんなが遊んでる日に仕事を言いつけなくちゃならない。
 土曜日にトムが言いつけられたのは、フェンスのペンキ塗りだった。おもちゃなどと交換に何がしかの労働を買うことも検討するが、いかんせんフェンスが長すぎる。この日にするはずだった楽しいことを考えて、トムの悲しみはいや増しに増していった。
 そのときトムに、インスピレーションがひらめいた。非凡にして絶妙と言うほかない思いつきだった。
 トムは通りかがる少年たちに、フェンスのペンキ塗りは、そうそうやらせてもらえる仕事ではないと言いくるめてしまう。たちまち少年たちはペンキを塗りたがり、トムは渋々とやらせてあげる演技をした。
 権利を売りさばいたトムは、ペンキ塗りの仕事から解放されるだけでなく、ひと財産築いていた。なにも知らないポリーおばさんからも誉められ、トムは得意満面。
 遊びに夢中になるが……。

 1840年代のトム少年の春から夏にかけての物語。
 唐突に終わるので、いささかびっくり。ページをめくったら、いきなり「かくして、物語は終わる。」の一文。あくまでも少年の物語だから、と。
 考えてみれば最後のシーンでは、トムは相変わらず子供っぽいことを言っているものの、立ち位置は大人側に入っていました。冒頭の支離滅裂さとは、ちょっと違う視点になっていて、突然終わらせるのも計算ずくだったんでしょう。
 トムは友だちと、海賊やらロビン・フットやら、さまざまなものになって遊びまくります。その感情の移ろい方が一貫しておらず、まさしく子供。少女に恋したり、犯罪の目撃者になったり、休む暇なし。
 楽しいことばかりでなく、おそろしい出来事もあります。最大のものは、親友の浮浪児ハックルベリー・フィンと一緒に、インジャン・ジョーの犯罪を目撃する一連のエピソード。

 おそらく読んだことはあると思うのですが、トムの葬式のエピソードで記憶が終わっているので、抄訳版だったんでしょうねぇ。
 改めて読んでみてよかったです。


 
 
 
 

2019年10月09日
飯嶋和一
『星夜航行』上下巻/新潮社

 徳川家臣団を二分して争った一向宗乱から12年。
 沢瀬甚五郎は15歳になっていた。一向一揆衆に加勢して果てた父の記憶はない。甚五郎を育てたのは、祖父の松之助だ。
 松之助は、騎射に優るること家康陣中随一と謳われた人物。赦されて家康陣中に復帰し、3年前の遠江三方ヶ原の合戦において討死している。そのとき汚名をすすぐことができた。
 甚五郎は、松之助から剣や騎馬術、鉄砲術などを叩き込まれたが、賊徒の遺児のまま。下和田の地で、馬の世話をしながら生涯を送ると思っていた。
 そんなとき、転機が訪れる。石川修理亮(しゅりのすけ)に、馬飼いの腕前を見込まれたのだ。修理亮は、岡崎城主、徳川信康の小姓頭。父の春重は信康の傅役として仕え、筆頭家老の地位にある。
 甚五郎は、石川家の家士となった。そして、重陽の節句の馬競べへの出場が決まる。甚五郎が騎乗したのは、家康から処分を命じられた信康の愛馬だった。
 甚五郎は信康の目に留まり、小姓として取り立てられた。
 信康は家康の嫡男だが、親子仲はよくない。母の築山御前は、今川義元の姪に当たる。桶狭間の戦いで織田信長に義元が敗死すると、家康は信長と手を結んだ。ところが築山御前は、今川家を再興する野心を手放そうとしない。
 信康は築山御前から影響を受けている。ついに岡崎城を追われ、切腹させられてしまう。小姓頭の修理亮は追い腹を切って果てた。
 逐電した甚五郎は、無間観音寺住職の覚了にかくまわれ、剃髪して修行僧となった。覚了の紹介で堺の南宋寺に身を寄せるが、堺は岡崎にかかわる商人が少なくない。
 甚五郎は、小姓時代の師匠、伊奈熊蔵と再会し、菜屋助左衛門を紹介される。助左衛門は海の商いをしており、海賊の襲来に備えて戦える人材を求めていた。
 甚五郎は九州の山川にある出店を任され、商人の道に入った。
 そのころ世間では、信長が討たれ、羽柴秀吉が頭角を現していた。
 秀吉は、明をも手に入れようとしていた。明の皇帝に代って近隣諸国を支配し、四海にその名声を轟かせる。諌める声は耳に入らない。
 秀吉の野望に、甚五郎もふりまわされてしまうが……。

 ほぼ、天正3年(1575年)から慶長3年(1598年)まで。
 甚五郎の人生は、すっごいんです。逆賊の遺児として育ち、徳川家嫡男の小姓となるものの、主君の失脚により出奔。身を隠すために出家した後、商売人に転身し南蛮貿易で大活躍。何度となく死んでもおかしくない状況に陥りながら、逆転していく。
 なのに、すごく物足りない。
 いかんせん甚五郎以外に割かれる文量が多すぎる。時代背景が複雑すぎるせいもあるとは思います。

 一口に南蛮貿易といっても、ポルトガルとイスパニアの対立があり、その影響で、同じキリスト教なのにイエズス会とフランシスコ会は反目してます。文禄・慶長の役では、それまで朝鮮と貿易していた人々が画策し、朝鮮国も身分やら派閥やらがあって一枚岩ではないうえ、明国の事情もある。
 日本国内のアレコレはかなり端折られてます。それでも、甚五郎のいないところで起こっている出来事を絞りきれなかった印象。
 読んでいる最中は、物語がどこに向かおうとしているのか分からず、戸惑ってました。思い返せば絶品なんですけど、もうちょっと甚五郎その人を読みたかったな、と。

 なお、甚五郎をひろった菜屋助左衛門は、大河ドラマ「黄金の日日」で主人公だった人物です。大河ドラマ「真田丸」でも少しだけ登場してました。 


 
 
 
 

2019年10月12日
アーサー・C・クラーク&フレデリック・ポール
(小野田和子/訳)
『最終定理』早川書房

 ランジット・スーブラマニアンは、スリランカの大学生。
 父親のガネーシュ・スーブラマニアンはヒンドゥー教寺院の僧院長だったが、ランジットは宗教よりも数学に興味をいだいていた。とりわけ数論の世界に。なかでも、17世紀フランスの数学者フェルマーによる最終定理に惹かれていた。
 フェルマーの最終定理は、すでにワイルズが証明済みだ。だがランジットは、ワイルズの証明に不満を抱いていた。
 ワイルズの証明は長すぎるし、手法が新しすぎる。フェルマーは別の方法で証明したのではないか?
 ランジットは大学ライフを満喫していたが、犯罪現場にいたために事件に巻き込まれてしまった。
 そのころ20光年彼方では、ある問題が持ち上がっていた。
 地球で使われた核兵器の余韻が届いたのだ。
 ワン・ポイント・ファイヴズは、フォトンの波が連続して通りすぎるのを検知したとき、地球から厄介な放射線が発せられたことを知った。つい最近生まれたばかりの二足性脊椎動物が、はた迷惑な兵器をつくっている。そればかりか、惑星規模の兵器産業さえ発達させていた。
 ワン・ポイント・ファイヴズはグランド・ギャラクティクスの従属種族だ。グランド・ギャラクティクスはこの問題を看過しない。好ましからざる種族を全滅させる指示がくだるのは間違いない。
 ワン・ポイント・ファイヴズは地球にむけて進撃を開始するが……。

 ランジット・スーブラマニアンの物語。
 当初は、悩みごとはあるものの、ノンキな大学生ライフが延々と続きます。スパイスになっているのが、時折挟まれるグランド・ギャラクティクス界隈の出来事。地球は攻撃される側ですが、彼ら異星人はユーモラスですらあります。
 これまでのクラークの共作ものって、アイデアとかはクラークだろうけど書いたの別の人でしょ、という印象のものが多かったのですが、遺作となった本書はかなりクラーク色が強いです。
 『楽園の泉』の宇宙エレベーターや、「太陽からの風」(収録『メデューサとの出会い』)のソーラーセイルなどなど、おなじみの科学技術の結晶が登場して、クラークな気分に浸りました。その分、クラークは好きなわけではない、という方はちょっと物足りないかも。


 
 
 
 

2019年10月17日
イアン・マクドナルド(下楠昌哉/訳)
『旋舞(せんぶ)の千年都市』上下巻/東京創元社

 2027年。
 トルコのイスタンブールは、都市という都市のなかの女王。ボスフォラス海峡をはさみ、アジアとヨーロッパが同居する町。悲願だったEU加盟を果たし、天然ガスとナノテク産業景気に沸いている。
 月曜日の朝。
 ネジャティベイ通りで、自爆テロが発生した。
 その日、ネジュデット・ハスギュレルは、いつもより早い路面電車(トラム)に乗っていた。そして、女の頭が爆発する瞬間を目撃した。
 ネジュデットは、兄のイスメットのところに越してきたばかり。エスキキョイはアダム・デデ広場の、かつてメヴレヴィー教団の僧院だった〈修道僧(ダルヴィーシュ)の館〉に暮らしている。警察とはかかわり合いになりたくなかった。イスメットが疑われる怖れがあるし、自身にも知られたくない過去がある。
 ネジュデットは、ひそかに現場から立ち去った。まもなく、ジンを見る能力に目覚めたことに気がつくが……。
 ジャン・デュルカンは、QT延長症候群だった。衝撃ひとつで心臓が止まってしまう。ひとつの叫び、突然の騒音で。ジャンに施された治療は、特殊な耳栓で音を遮断することだった。
 テロの発生に気がついたジャンは、玩具のナノボットを向かわせる。ナノボットは、ネジュデットが逃げようとしている姿をとらえた。
 ジャンは、イスメット・ハスギュレルのことが好きではない。なにしろ、遊び場にしていた〈ダルヴィーシュの館〉の空き部屋に居座っているのだ。イスメットはそこで、イスラーム法の裁判官のようなことをしているらしい。
 そして、最近越してきた弟のことも好きではない。ジャンがネジュデットを監視していると、何者かが同じようにナノボットで、ネジュデットを追跡していた。興味をひかれるジャンだったが、追跡者は他にもいた。
 追われたジャンは、なんとかして逃げようとするが……。

 月曜日にはじまり、金曜日に終わる物語。回想が多いので、時間的には広がりがあります。
 主要人物は6人。
 ネジュデットとジャンの他、ジャンを孫のようにかわいがっているゲオルギオス・フェレンティヌ。引退した老経済学者。若かりしころの恋人が47年ぶりに町に戻り、心をかき乱されてます。
 フェレンティヌの住まいの下の階で画廊を営んでいるのは、アイシェ・エルコチュ。半分になったコーランを入手します。アイシェは、伝説の蜜人探しの依頼を受けます。
 アイシェの夫のアドナン・サリオーリュは、オゼル物産ガス社に勤めるトレーダー。大博奕に打ってでます。
 新米マーケッターのレイラ・ギュルタシュリは、はとこのナノテク起業を手伝ってます。実は、会社の権利は一族のコーランに帰属しています。手もとにあるのは半分だけ。レイラは、失われた半分のコーランを探します。

 疾走感あふれる物語でした。
 登場人物が多く、情報量が半端ないです。速度を最優先にしたようで、説明は省略気味。ですが、予備知識などはない方が楽しめるかもしれません。
 ジャンとフェレンティヌ、アイシェとアドナンのように互いに面識のある人たちもいれば、ジャンとネジュデットのように一方だけが知っているパターン、アイシェとレイラのように読者だけが知っているつながり、など多種多彩。
 とにかく巧い。全容をつかんだ後に読みなおすと、また違った味わいが楽しめそうです。


 
 
 
 

2019年10月19日
ジョン・スコルジー(内田昌之/訳)
『星間帝国の皇女 −ラスト・エンペロー−』
ハヤカワ文庫SF2210

 カーデニア・ウー=パトリックは、星間帝国〈インターディペンデンシー〉の皇女。
 帝国の後継者としては、歳の離れた異母兄レナードがいた。ところがレナードは事故で亡くなり、カーデニアは期せずして後継者となってしまう。そのうえ皇帝アタヴィオ6世が病により崩御。
 カーデニアは、グレイランド2世として即位した。
 〈インターディペンデンシー〉の繁栄を支えてきたのは、権力バランスだった。議会は法律と正義を、ギルドは交易と富を、教会は精神性と共同体を司っている。皇帝はそれらの上に君臨し、秩序を保つ。
 そして、帝国の命綱が宇宙のフローだった。
 超光速で移動できるのは、フローのおかげ。宇宙船はショールからフローにアクセスする。フローは47の星系を結びつけ、その中心にあるハブを皇帝の一族が支配してきた。
 フローを制御することはできない。利用するだけ。人類はフローを利用できる宙域に進出したが、生存に適した惑星はそうそうない。
 唯一の例外が、惑星エンドだった。人類が地上で暮らしているのはエンドだけ。ただ、エンドはハブからもっとも遠い。フローを使っても9ヶ月かかる僻地だった。
 エンドのクレアモント伯爵は、フロー物理学者。皇帝アタヴィオ6世に命じられ、秘密裏にフローを研究してきた。フロー崩壊の可能性があったのだ。
 クレアモント伯は、いよいよフローが消滅する徴候をつかむ。そのときエンドでは、反乱が勃発していた。息子のマースを、皇帝のもとに派遣しようとするが……。

 軽快なスペースオペラ。
 カーデニアが中心人物。それ以外も多め。
 公家ラゴスのレディ・キヴァは、言葉使いが汚くて商売に関しては抜け目がない。商売以外のことはちょっと緩め。マースと関わっていきます。
 もっとも有力な公家ノハマピータン家は、長姉のナダーシェが策略家。レナードとの婚約が内定してましたが、叶わず、弟アミットとカーデニアとの結婚を画策します。そして、エンド公顧問として弟グレニーをエンドに送りこんでます。

 罠だの陰謀だの政治的かけひきだの、ドロドロした部分もあるのですが、不思議と爽快。すれ違いなどはなく、会いたい人にすんなり会えるとか、嫌疑がかけられてもきちんと晴らせるとか、スムーズに、ストレスなしに読めます。
 ただ、本作では終わってません。もともとは二部作の予定で、三部作に修正された経緯があります。もっと長大なシリーズにもなりそうな雰囲気。
 続刊が出るといいのですが。


 
 
 
 

2019年10月26日
フィリップ・プルマン(大久保 寛/訳)
『琥珀の望遠鏡』上下巻/新潮文庫

 《ライラの冒険》三部作、最終巻。
 シャクナゲの群生した谷に、ほとんど隠れた洞くつがあった。そこに、瞑想と祈りに身をささげる聖女というふれこみで住みはじめたのは、マリサ・コールターだった。
 コールター夫人は、村人たちがこわがっていることを知ると、いい答えを思いつく。一部だけ、ほんとうのことを話すのだ。そこで、魔法で眠らされた娘がおり、魔法をかけた魔法使いから逃れながら治そうとしているのだと、娘を見せた。
 眠らされているのは、ライラ・ベラクア。12歳のコールター夫人の娘だ。だが、眠らせているのはコールター夫人だった。
 聖教会の規律監督法院は、ライラを排除しようとしていた。ライラは、魔女たちによってささやかれた予言の者。教会は、ライラがくだす決断をおそれている。
 コールター夫人はライラを守るために教会を裏切ったが、ライラに真意が伝わるとは思えず、眠らせてしまったのだ。
 一方、〈神秘の短剣〉の使い手であるウィルは、ライラの行方を追っていた。ウィルを導くのは、天使のバルサモスとバルク。
 そのころアスリエル卿は、共和国を建設し、オーソリティに戦いを挑もうとしていた。創造主として人びとを支配してきたオーソリティは、実は天使のひとりにすぎない。真実に気づいた離反天使たちもアスリエル卿のもとに集結している。
 バルサモスとバルクも共和国に加わるつもりでいた。しかも、重要な情報を持っている。ふたりが心配したのは、自分たちが高位ではないため、話を聞いてもらえない可能性がある、ということだ。
 そのためバルサモスとバルクは、ウィルと〈神秘の短剣〉を必要とした。〈神秘の短剣〉こそが鍵を握る、と言われているのだから。
 バルサモスとバルクはウィルに協力するが……。

 世界をまたにかけた大冒険物語の完結編。
 主人公はライラですが、おもに活躍するのはウィル。それと、ライラたちとは別の世界に、メアリー・マローン博士がいます。マローン博士は、暗黒物質の研究者。ライラの世界では、それは〈ダスト〉と呼ばれています。
 11年ぶりの再読。覚えていたのは、冒頭と結末だけでした。こんなに紆余曲折あったとは。
 教会を激怒させた、というのも納得。


 
 
 
 

2019年10月30日
ミハル・アイヴァス(阿部賢一/訳)
『もうひとつの街』河出書房新社

 雪がはげしく降っている日。
 カルロヴァ通りにある古本屋で奇妙な本を見つけた。濃い菫(すみれ)色のビロードで装丁された本は、とてつもなく滑らか。書名も、著者名も記されていない。開いてみると、見たことのない文字が印刷されていた。
 本に印刷された文字はこの世のものではない。丸味を帯びながらも先端が尖っている、そっけない文字だった。
 大学図書館で本のことを尋ねてみると、図書館員が言った。いちどだけ、この文字に遭遇したことがある、と。
 図書館員は昔、遺産で譲り受けたという書籍の処分を依頼されたとき、不思議な体験をした。この文字の本と出会い、だが、手に入れることはできなかった。図書館内には、誰も足を踏み入れたことのないエリアがある。本を追い求め、そこを探検する気にまでなったが、思いとどまった。
 この世には境界がある。奇妙な本は、私たちの世界の境界を想起させる。奇妙な本のことなど忘れた方がいい。
 忘れることのできない私は、手がかりを求めて街を彷徨うが……。

 チェコの作家による「私」の一人称小説。
 まるで夢のように、物事が唐突に起こります。幻想的というか、モヤがかかっている感じというか。それでいて、不思議と一貫しているんです。

 
 

 
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