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2022年の記録
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このページの本たち
宇宙へ』メアリ・ロビネット・コワル
パニック・パーティ』アントニイ・バークリー
ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』スザンナ・クラーク
世界の終わりの天文台』リリー・ブルックス=ダルトン
アル・シャーと時の終わり』ロシャニー・チョクシー
 
両方になる』アリ・スミス
ビンディ −調和師の旅立ち−』ンネディ・オコラフォー
美しき野生』フィリップ・プルマン
じんかん』今村翔吾
町かどの穴』R・A・ラファティ

 
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2022年03月01日
メアリ・ロビネット・コワル(酒井昭伸/訳)
『宇宙(そら)へ』上下巻/早川文庫SF2294〜2295

 1952年3月3日9時53分。
 隕石が、メリーランド州沿岸海上に落下した。その威力は原子爆弾の威力をも上まわり、ワシントンDCを中心に、半径数百キロが消滅。津波は全世界を襲った。
 隕石が落下した日、エルマ・ヨークは夫のナサニエルとふたり、久しぶりの休暇を山荘で過ごしていた。落下地点からは480キロも離れている。それでも衝撃はすざまじかった。
 エルマは、スタンフォード大学で物理学と数学の博士号をとった計算者。戦時中は、航空軍婦人操縦士隊のパイロットとして活躍した。現在、アメリカ航空諮問委員会(NACA)で、工学計算に従事している。
 ロケット科学者であるナサニエルは、NACAの宇宙計画の顔だ。
 ふたりは、ライト=パターソン空軍基地に身を寄せた。ナサニエルは対策会議に加えられる一方、エルマは、女であるというだけで閉め出されてしまう。
 基地の中には、災害はソ連の仕業だと主張する者もいる。ソ連がアメリカに〈巨大隕石〉を落としたのだと。ナサニエルが説明しても、ソ連陰謀説はなかなか消えない。
 エルマはナサニエルから、 隕石についての計算を頼まれる。その大きさや組成を計算すれば、ソ連には〈巨大隕石〉を操るなど不可能だと証明できるはずだ。
 計算結果は、驚愕のものだった。
 大気中に噴きあげられた噴塵と煙は、数年間、地球を冷やすだろう。しかし、空中に放出された厖大な量の水は、温暖化の原因となる。水蒸気は熱を蓄えて水分の蒸発を誘発し、大気中にはますます水蒸気がたまっていく。
 悪循環の果てに、地球は人間の居住に向かない惑星になってしまう。
 国際航空宇宙機構(IAC)が立ち上げられた。今すぐ、惑星の外にも目配りしなければならない。地球規模の宇宙開発がはじまり、エルマも計算者として働きはじめる。
 そんなときエルマは請われて、子供向けのテレビ番組に出演した。番組では空を飛ぶことにかかわる物理学をとりあげ、エルマは、女性宇宙飛行士(レディ・アストロノート)と呼ばれるはじめる。
 今はまだ、宇宙開発の現場から女は閉め出されている。だが、月にコロニーを建設するつもりなら、絶対に女が必要だ。
 エルマは宇宙飛行士を目指すが……。

レディ・アストロノート》シリーズ。
 改変歴史宇宙開発SF。
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、受賞作。
 物語のベースは、宇宙開発をスムーズにしてたらどうだったか。大災害後のアメリカを舞台に、さまざまな困難を乗り越えてロケットが開発されていきます。
 計算者がコンピュータと呼ばれていたり、IBMより人間の方が信用できるとか、聞き覚えのあるエピソードが次々でてきて、楽しませてもらいました。

 エルマは頭脳明晰で、パイロットとしても一流で、父親は将軍で、夫も理解があり、たいへん恵まれた素質と環境にあります。それを曇らせているのが、社会に根づいている男尊女卑と、学生時代に被った男たちからの妬みや敵対心に起因するトラウマです。
 特に酷いのがトラウマで、エルマの優秀さを打ち消し、それで全体のバランスをとっている印象でした。
 時代的に、ユダヤ人への偏見とか、黒人差別とか、セクハラ横行とか、いろいろ出てきます。エルマほど優秀でないと跳ね返せなかったんでしょうねぇ。それはそれで、哀しくなります。


 
 
 
 
2022年03月08日
アントニイ・バークリー(武藤祟恵/訳)
『パニック・パーティ』原書房

 《ロジャー・シェリンガム》シリーズ
 ロジャー・シェリンガムは小説家。ガイ・ピジョンが企画した4週間のクルーズ旅行に招待された。
 ピジョンは、思わぬいきさつで大金を手にしたという。かねてから金持ちになったら、無人島と大きなクルーザーを買うと決めていた。それを実行に移したのだ。
 クルーズに参加するのは、ピジョン本人も含めて15人の男女。詩人や株式仲買人、組合の代表者、探検家、貴族、と雑多な面々だった。
 ロジャーは計画の裏側を打ち明けられる。人選は、ジャーナリストのクリスタル・ヴェインと相談して決めた。これは単なるクルーズではない。観察するためなのだ、と。
 出航しても、ピジョンは目的地を明らかにしようとはしない。表向きは、みんなのクルーズだから目的地もみんなで決めようと言う。ところがシェリンガムには、この異常なグループが合意に達することは絶対にないと言い放つ。
 出航して6日。
 船は、ピジョンの無人島に立ち寄った。そこは、マデイラ諸島とバハマ諸島のあいだ。ジブラルタル海峡とパナマ運河間の航路からは250キロほどしか離れていない。
 一行は上陸し、さまざまな物資が運びこまれる。そのとき、ピジョンが恐怖におののき、悲鳴をあげた。視線の先には、遠ざかる船影があった。
 給仕たちにストライキされたという。無線はなく、助けは呼べない。船が帰ってくるのは2週間後らしい。
 実は、すべてピジョンのお膳立てだった。最初から、みんなを無人島に閉じこめるつもりでいたのだ。
 さらにピジョンは夕食の席で、ゲームをしようと言い出した。
 実は、この中に殺人犯がいる。クルーズが終わったら警察に突きだすつもりだ。たまたま証拠を手に入れたが、ほかに知っている人物はいない。
 ピジョンは、犯人を当てるゲームをしようという。
 ところが、招待客から非難されてしまう。まともな人間のすることではない、度が過ぎている、と。ピジョンは提案をひっこめるが、シェリンガムは、これも計画のひとつだと打ち明けられる。
 殺人犯などいない。目的は、常識的だとされている人びとの反応を観察すること。シェリンガムは呆れてしまう。
 翌朝、ピジョンは遺体となって発見された。崖から落ちたらしい。自殺か、事故か、他殺か。
 招待客たちは疑心暗鬼に陥っていくが……。

 《ロジャー・シェリンガム》シリーズ第十作。最終巻。
 一応、ミステリ。
 2週間と期間が限られていることもあり、衣食住に難儀することはありません。さすがに、新鮮な野菜がなくなっていったりはしますが、それほど不自由はありません。人間観察が主眼となってます。
 ミステリというより、漂流(無人島)ものに近い印象でした。
 少々、無理がある気がしないでもないのですが。


 
 
 
 

2022年03月17日
スザンナ・クラーク(中村浩美/訳)
『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』
全三巻/ヴィレッジブックス

 イギリスには、かつて偉大な魔術師たちがいた。
 現在では、巷で魔術が使われたという話は聞かないし、新聞で目にすることもない。魔術師といえば、昔におこなわれた魔術を研究するものたちをさす。理論魔術師たちのことだ。
 なぜイギリスから魔術が消えたのか。200年以上も前から問いつづけてきた問題にもかかわらず、誰も答えを知らない。
 1806年。
 ギルバート・ノレルが登場した。
 ノレル氏は人里離れた田舎にいて、すばらしい蔵書を所有し、昼夜を問わず稀少な魔術書の研究をしていた。ヨークの魔術師学会の知るところとなると、魔術を披露して実力を示した。イギリス魔術は滅んでいなかったのだ。
 史上最大の魔術師である大鴉の王は、いずれふたりの魔術師が現われると予言を残している。ノレル氏はそのうちのひとりだった。ただ、ノレル氏は大鴉の王をよく思ってはいない。
 ロンドンに拠点を移したノレル氏は、イギリスに魔術をよみがえらせたいと考えていた。現代の魔術師がどんなものか、人々に示したい。イギリスのために魔術を駆使したい。
 ところが機会に恵まれない。閣僚のサー・ウォルター・ポールの婚約者が亡くなったのは、そんなときだった。
 ノレル氏は支援者に促され、婚約者を生き返らせる。にわかに魔術師の有用性が認められ、ノレル氏はイギリス政府から依頼される立場になった。
 一方、 予言された魔術師のあとひとり、ジョナサン・ストレンジはウェールズとの境に近いシュロップシャーにいた。まだ30歳。魔術を学んだことはなく、教会の福牧師の娘アラベラに求婚中だ。
 ストレンジは、欲深くはなく、高慢でもなく、短気でもないし、無愛想でもない。これといった欠点はなく、とくに際立った長所も見当たらない。資産はあったが無職で、なにをしても長続きしなかった。
 横柄な父が急死し、ストレンジはアラベラに、これから魔術を学ぼうと思うと言ってしまう。ふたりは結婚し、魔術の方もうまくいった。
 ストレンジは大鴉の王を尊敬し、知識を吸収していくが壁にぶちあたる。ストレンジが魔術書を買おうすると、すぐに市場から消えてしまうのだ。ノレル氏が魔術書を買い占めていた。
 ストレンジは、ロンドンでノレル氏に面会するが……。

 ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞、ローカス新人賞、受賞作。
 歴史改変ファンタジー。
 1806年〜1817年の、魔術が存在しているイギリスを舞台にした物語。歴史的人物の登場もあります。(ワーテルローの戦いが1815年)
 三分冊と長く、登場人物も多彩。
 主軸は、ノレル氏とストレンジ。ふたりは師弟となりますが、相性はあんまりよくないです。ただ、魔術のはなしをしたかったらお互いしかいないという、微妙な関係。
 物語の合間には〈アザミの綿毛のような髪の紳士〉が暗躍します。ノレル氏が、死者を生き返らすために呼びだした妖精です。ハイテンションで、自己中、ある目的を持って、いろんな人にちょっかいを出します。
 伝説の魔術師として語られるのが、大鴉の王ことジョン・アスクグラス。三つの世界の王だった人で謎に包まれてます。無数の言い伝えと、ノレル氏、ストレンジそれぞれの考えが開陳されます。

 脚注で、物語とは関係ないエピソードが多数紹介されていて、この物語世界がきっちり作りこまれていることがうかがえます。土台がしっかりした物語は読んでいて安心感があります。
 また、ほんのスポット出演に思えた人が、最後までちょこちょこと登場したり重要な役割を担っていたり、あますことなく活用されていて、読んでいて気持ちがいいです。
 安心感があって気持ちいいとは、何度でも読みたくなります。


 
 
 
 

2022年03月20日
リリー・ブルックス=ダルトン(佐田千織/訳)
『世界の終わりの天文台』創元海外SF叢書

 バーボー天文台は、北極圏の山の頂きに建てられていた。
 標準的な研究期間は6〜9ヶ月だが、オーガスティン・ロフタスがバーボー天文台にやってきて3年近くになる。
 1年と少し前、文明世界から戦争の噂が届いた。外の世界ではなにか壊滅的な出来事が進行中らしい。天文台は世間からは孤立しており、詳しいことは分からない。
 空軍部隊が到着し、隣接する基地を撤収していった。科学者たちも故郷へ運んでくれる。次の便はもうこない。
 オーガスティンだけが、留まることを選択した。すでに老境にさしかかっており、未練はない。ただ仕事をつづけようと思った。最新のデータを把握し、恒星の進化を記録する仕事を。
 基地には、12人の研究者が9ヶ月やっていけるだけの物資が蓄えられている。それだけで充分に思えた。
 ところが状況が変わってしまう。
 誰もいない宿舎のひとつに、少女がいた。忘れられた手荷物のように置き去りにされて、ベッドでひっそりとまるくなっていたのだ。少女はアイリスと名乗った。
 もつれた黒い髪を華奢な肩まで垂らしている。丸い目はハシバミ色。8歳くらいだろうか。静かで、ほとんど口をきかない子だった。
 オーガスティンは最寄りの軍事基地に知らせようとするが、果たせない。もはや外界と連絡が取れなくなっていた。オーガスティンはアイリスのために、アマチュア無線を試してみるが……。
 そのころ宇宙船〈アイテル〉は、宇宙で孤立していた。
 〈アイテル〉の目的は、木星調査。地球を飛び立ち木星にたどりついたところまではよかった。ところが、調査をはじめる直前に宇宙管制センターが沈黙した。
 深宇宙通信網は、地球の全周をカバーする3つの通信施設から構成されている。ひとつなら、あらゆる可能性が想像できる。しかし、完全な沈黙は考えられない。
 搭乗員たちは、あらかじめ決められていた調査をして、予定通り帰路に着く。ただ、人間の感情は抑えようがない。誰もが程度の差こそあれ、不安にかられていた。
 サリヴァン(サリー)は、6人いる搭乗員のうちのひとり。いまでも、きちんと業務を遂行しようとしている。それが、日々難しくなっていくのを感じている。  
 サリーは、地球からの声に耳を澄ますが……。

 終末SF。
 人類は滅亡しているようですが、具体的なことは分かりません。
 オーガスティンが耳にしていた戦争の噂、というのが唯一の情報です。気候が変動することも、遠くから音だけが聞こえるようなこともありません。なにかがあったんだろうけど、そのなにかが分からない。
 終末というより、もともと孤立していた人が放置されて途方にくれる話でした。
 終末SFだと思って読みはじめると、期待してたのと違う……となってしまいそうです。静寂が印象的でした。


 
 
 
 

2022年03月27日
ロシャニー・チョクシー(八紅とおこ/訳)
『アル・シャーと時の終わり
  −−目覚めしマハーバーラタの半神たち』
サウザンブックス社

 アル(アルンダティー)・シャーは、アトランタのオーガスタス学園に通う12歳。
 クラスメイトたちは、モルディヴやプロヴァンスといったリゾート地に別荘を持つ家の子だ。アルの家は、みんなと違って裕福ではない。仲間に加わるために、アルはさまざまなウソをついている。
 アルの住まいは、クラスメイトに語っている屋敷ではなく、母が館長をつとめる古代インド文化芸術博物館。父はいない。
 博物館には、呪われているという〈破滅のランプ〉があった。かつて、クルクシェートラの寺院にあったという。マハーバーラタの戦いの舞台となったところだ。その地で、パーンダヴァ5兄弟と100人の従兄弟たちが戦った。
 なんでも〈破滅のランプ〉に火をつけると、〈眠れし者〉という魔族が目覚めるという。目覚めた〈眠れし者〉は、シヴァ神を召喚する。恐ろしい破壊の神であるシヴァ神が世界にあらわれて踊るとき、時の終わりをもたらすといわれている。
 月曜日の午後。
 博物館の玄関ブザーがなり、電話中の母に代わってアルが対応した。そこにいたのは、3人のクラスメイトだった。ついにアルのウソがバレたのだ。
 アルは、呪われたランプの話もウソだと決めつけられてしまう。起死回生を狙ったアルは、ランプに火をつけた。すぐに吹き消せばいい、と思って。
 しかし、吹き消すことはできなかった。不思議な声がして、時間が止まった。クラスメイトも、何もかもが静止している。
 そんな中、玄関の石像のゾウが口を開き、鳩が現われた。
 鳩は神々より、〈破滅のランプ〉に火をつけたパーンダヴァを導くつとめをたまわっているという。ランプをともせるのはパーンダヴァ5兄弟だけ。アルは女の子だが、パーンダヴァの魂をもっているらしい。
 アルは鳩に促され、〈あまたの扉〉を通って、もうひとりの目覚めたきょうだいに会いにいく。
 待っていた少女は、ミニ(ヤーミニー)と名乗った。ミニは科学が好きで、医者を目指している。なにも知らないアルとは違い、両親からいろいろと教えられていた。
 〈異界〉で神々から〈宣告〉を受け、アルは、雷をあやつる天界の王、雷神インドラから黄金の珠を授かる。ミニは、死と正義をつかさどる冥界の王、冥府神ダルマラージャから小さな紫色のコンパクトを授かった。
 ふたりは世界を救うために旅立つが……。

 児童書。
 アルは想像力が豊かで、ウソつき。母は出張が多く、さびしい思いをしています。アルからするとミニの家庭環境が羨ましいのですが、ミニも問題を抱えています。
 ミニの家では、パーンダヴァの生まれ変わりは兄だと考えていました。これまでは男に転生していたので。ミニは疎外感を抱き、置いていかれることを極端に恐れています。
 英雄像とはだいぶズレているふたりのやりとりが、おもしろいです。

 インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』はどちらも読んだことがありますが、かなりうろ覚え。そんな状態でもインド神話は把握できていたので、かなり助けになりました。
 知らなくても困りはしません。必要な解説はあります。とはいえ、いかんせん情報量が多いので、ベースがあった方が楽だろうとは思います。
 逆に子供の場合は、本書から『マハーバーラタ』につなげたりするんでしょうね。
 なお、本書では終わってません。シリーズ第一巻でした。


 
 
 
 

2022年03月28日
アリ・スミス(木原善彦/訳)
『両方になる』新潮クレスト・ブックス

 ジョージア(ジョージ)の母は、9月に亡くなった。
 母は、経済学者で、ジャーナリストで、インターネットゲリラ活動家。標準的な抗生物質に対する、予期できない悲劇的なアレルギー反応による突然の死だった。
 父は、キッチンでめそめそしていたり、家の中をうろついて明かりを点けたり消したりしている。まだ中学生のジョージは、毎週火曜日に、学校でカウンセリングを受けている。
 ジョージは母との思い出を、記憶の中にたどっていく。思いだしていく。
 生前に母は、5年前の出来事をきっかけに、ずっと監視下にあって、スパイにモニターされていると語っていた。しかも、監視されていることを気に入っていた。いくつかの証拠から、ジョージもその話を信じている。
 ジョージは、15世紀の画家フランチェスコ・デル・コッサの絵を母と見たことを思いだす。ジョージは、その画家の絵に惹かれていた。
 一方、フランチェスコ・デル・コッサは、自分が死んでいることを自覚していた。
 気がつけば、少年の背中を見ている自分がいる。少年が見ているのは、自分の絵だ。この部屋にある自分の絵は1枚だけ。
 フランチェスコは少年と繋がっていた。まるで、少年からのびる縄に体が縛り付けられているようだ。ほどくことができない。
 フランチェスコは少年の行動を見つめつづけるが……。

 実験的手法の謎小説。
 第一部、 ジョージの独白で語られていきます。
 母亡き後の1月からはじまり、母との回想を挟みながら、日々が綴られていきます。
 もうひとつの第一部は、フランチェスコの独白。
 死んだ後、少年を見つめるフランチェスコ。性別は服装から判断したのではないかと思います。また、フランチェスコは男装した女性です。回想で、ジョージも見た絵を描きます。
 両方とも〈第一部〉なのは、どちらから始めてもいいように。今回はジョージから始まってましたが、フランチェスコから始まる本もあるらしいです。

 読む人を選びます。
 読みはじめて早々に挫折しました。もっと読みやすい物語に退避して、気持ちを奮い立たせてなんとか読み切った感じ。
 でも、大絶賛する人もいるはず。はまればおもしろいだろうな、と思わせます。


 
 
 
 

2022年03月30日
ンネディ・オコラフォー(月岡小穂/訳)
『ビンディ −調和師の旅立ち−』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ

 ナミブのヒンバ族であるビンディ・エケオパラ・ズーズー・ダムブ・カイプカは、16歳。
 ヒンバ族としてはじめて、ウウムザ大学の入学許可を授けられた。数学の惑星間テストで高得点をあげ、合格し、奨学金も受けられる。しかし、家族も親友もだれも喜んでくれない。
 ビンディは家族に内緒で準備を整え、こっそりと家をでた。
 ビンディの暮らすオセンバ村に宇宙港はない。クーシュ族のコクレ市まで行かなければならない。そもそもヒンバ族は宇宙にでたりしないものだ。ヒンバ族は、神がお選びになった道を歩まなければならないのだから。
 ビンディの父は調和師師範(マスター・ハーモナイザー)で、ビンディが後継者になるはずだった。
 ビンディは父から、アストロラーベのことを学んだ。その芸術性、通信装置としての真価など。精神の流れと交信し、複数の流れをまとめてひとつのフローにする。300年ぶんの知識は、口頭で伝えられた。
 ビンディは、エダンを持っていった。エダンは、星形の多面体をしていて、変色した金属でできている。輪や渦巻き、らせんなど、全体に複雑な模様があるが、どれひとつとして交わる線がない。
 8年前に砂漠で見つけた。もはや骨董品としか呼べない、本来の目的すら忘れられた古い機器だ。父にも、エダンの正体は分からなかった。
 ビンディは〈サード・フィッシュ〉号で、惑星ウウムザ・ユニへ向かう。同じようにウウムザ大学に入学するクーシュ族の友だちもできた。ところが、途中で、メデュースに襲われてしまう。
 メデュースこそ、クーシュ族の最大の敵。クラゲ型異星種族で、大昔のちょっとした意見の対立をきっかけに敵対するようになり、そののち戦争に発展した。どうにか休戦協定を結んでいたはずだ。
 メデュースは、クーシュ族とヒンバ族を区別しないだろう。ビンディには、エダンをつかんで祈ることしかできない。
 そのとき、エダンが作動した。メデュースがひとり死に、ビンディは船室に立てこもる。
 ビンディはメデュースと交渉するが……。

 SF。
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、受賞。
 中篇3本をひとつにまとめたもの。
 第一部「ビンディ」で襲撃があり、解決までいきます。これで完結してます。受賞したのはこの第一部です。
 そこから1年が経過しているのが、第二部の「故郷」。ビンディが故郷に帰ります。一緒に、メデュースの友人オクゥがついてきます。「故郷」の直後からはじまり、続きになっているのが第三部の「ナイト・マスカレード」です。
 全体でひとつの長編のようでもあるのですが、別パートでの出来事の説明が入ることもあります。
 〈サード・フィッシュ〉号がエビの姿の生体宇宙船だったり、メデュースの外観がくらげだったり、アイデアてんこもりって雰囲気でした。

 著者はアフリカ系アメリカ人。ヒンバ族の風習などがアフリカを想起させます。アフリカ舞台のSFって数えられるほどしか知らなくて、そちらの面でも興味深く読みました。


 
 
 
 

2022年04月01日
フィリップ・プルマン(大久保 寛/訳)
『美しき野生』上下巻/新潮文庫

 《ブック・オブ・ダスト1》
 マルコム・ポルステッドは、パブ兼旅館〈鱒亭(トラウト)〉の一人息子。初中等学校に通う11歳。
 マルコムの一番の楽しみは、守護精霊(ダイモン)のアスタとカヌー〈美しき野生号〉で遊ぶこと。だが、家業の手伝いも嫌いではない。給仕中に客たちのおしゃべりを聞けるからだ。
 〈鱒亭〉では、さまざまな話が飛びかっている。賄賂のような悪事や愚かな政府のこと。
 なかでもマルコムの関心は、自然科学にある。学者になるのが夢なのだ。天文学者か実験神学者になって物事の深遠な本質に関する大発見をしたい、あるいは自然科学者の弟子になりたい。
 しかし、それが叶わぬ夢なのもわきまえている。
 〈鱒亭〉は、オックスフォードからテムズ川をさかのぼったところにあった。橋を渡って対岸には、聖ローザマンド女子修道会がある。マルコムは、そこの修道院も手伝っている。
 その修道院が、 探検家のアスリエル卿の私生児を預かっていると噂が流れた。母親は、コールター夫人だという。
 ふたりの関係を知ったコールター氏は、アスリエル卿の屋敷に押し入って殺してやると脅し、逆に殺されてしまった。アスリエル卿は正当防衛が認められ、投獄もされず、絞首刑にもならなかった。ただ、全財産を没収され、赤ん坊は裁判所が保護することになった。コールター夫人が赤ん坊に関心を寄せなかったからだ。
 その赤ん坊が、秘密裏に修道院にいる。ただ、近所ではその話でもちきり。マルコムの耳にもはいり、マルコムは、親しい修道女に頼んで赤ん坊に会わせてもらう。
 コールター夫人は、今では、わが子を取り戻したがっているらしい。特別な魔女のお告げがあり、その対象がわが子だと知って手許に置きたがっているという。
 赤ん坊に魅了されたマルコムは、自分が守ってやろうと決心するが……。
 一方、オックスフォードのハンナ・レルフ博士は、真理計の研究のかたわら、秘密活動組織〈オークリー・ストリート〉のためにも仕事をしていた。もう2年になる。規律監督法院(CCD)に知られたら、ただではすまないだろう。
 真理計は真実を語るが、読み取るのが難しい。ハンナは、連絡員から受けとるはずだったものについて、真理計に問いかけた。回答は3つ。少年、旅館、魚。
 ハンナは〈鱒亭〉をつきとめ、マルコムと連絡を取り合う約束をするが……。

 異世界もの。
 《ライラの冒険》三部作の前日談のシリーズ1作目。
 どうも、すでに世界観を把握している人向けに書かれたようです。《ライラの冒険》であった「この世界とよく似た違う世界」という断り書きはなし。ダイモンについての説明もほとんどありませんでした。
 外伝ではなく異なるシリーズにするからには、はじめて読む人にも配慮してほしかったな、というのが正直なところ。
 マルコムとハンナの秘密のやりとりとか、暗躍する人とか、いろいろあります。ただ、紆余曲折するのは途中まで。あとは一直線だったので、やや拍子抜け。
 この物語の10年後が《ライラの冒険》としてすでに書かれているため結末は変えられない、という事情は分かりますが、物足りなさが残ってしまいました。


 
 
 
 

2022年04月05日
今村翔吾
『じんかん』講談社

 室町時代。
 多聞丸は齢14。伏見の山にある廃寺を塒にし、京から出入りする商人や足軽を襲って暮らしている。
 仲間は、自分のような身寄りのない子どもたち七人。唯一の女である日夏は齢13、最年少は9つ。大人たちは、相手が子どもと見れば気が緩む。油断したところを奇襲するのが常套手段だった。
 ある日、多聞丸たちは、ふたりの子どもを助けた。
 甚助は人懐っこく、その兄の九兵衛は無口。多聞丸と同じように、強い者が弱い者を食い物にする、そんな世を嫌っている。
 九兵衛の家は、京近郊の西岡と謂う地で小商いをしていた。足軽たちが村にやってきたのは、4年前。彼らは食べものを奪い、嘆願した父を殺した。
 糧を根こそぎ奪われた村は、その冬に多くの餓死者を出した。九兵衛の母は、自らを食えと言い残して首を括ってしまう。九兵衛は母を埋葬すると甚助をつれて村を出た。
 兄弟はとある寺に身を寄せていたが、住職が死ぬとその生活も終わった。そして、人買いに捕まっていたところを、多聞丸に助けられたのだ。
 多聞丸には夢がある。追剥ぎは、目的ではなく手段に過ぎない。足軽として召し抱えられ、戦場で手柄を立て、猫の額ほどでいいから領地を得たい。
 多聞丸は九兵衛に夢を打ち明け、他の仲間たちにもはなした。仲間たちは、武士を目指すなら姓(かばね)がいるという。そのとき日夏が、松永がいいと言った。
 塒である廃寺の横に、一本の若松が立っている。山間に松は珍しく、日夏は、身内のいない自分たちになぞらえていた。松の地の仲間が末永く、松永なのだ、と。
 多聞丸と九兵衛が出会って2年。多聞丸は、来春には夢の実現に向け動きだすつもり。世間では、細川高国と細川澄元が抗争を繰り広げていた。
 一旦は劣勢に立たされた高国は、12代将軍の足利義晴を担ぎ出して巻き返す。人が掻き集められ、素性の知れぬ足軽の値が高騰している。足軽から武士に取り立てられた者も現れ始めている。
 多聞丸は、この冬が最後だとして、高国が戦に備えて集めている兵糧を狙う。だが、追剥ぎに対する警戒は日に日に増している。恰好の獲物が現れるが、九兵衛が、何かがおかしいと言い出した。
 多聞丸は苛立ち、内心焦っていた。この機会を逃せば、次はいつ訪れるか分からない。日夏が九兵衛を慕っていることも気になっている。
 多聞丸は決行を決めるが……。

 三悪事で有名(?)な、松永久秀の物語。
 冒頭は、織田信長の小姓頭である狩野又九郎が久秀の謀叛を報告するところから。又九郎は、信長に八つ当たりされるんじゃないかと内心びびってます。
 このときの久秀は、大和信貴山城主、前の大和国主。実は、5年前にも謀叛しており、本拠の多聞山城を明け渡すなどして許された過去があります。
 信長と又九郎のやりとりを挟みつつ、久秀の孤児時代から語られていきます。信長が本人から聞いた話、という体裁のため、要所、要所のエピソードが取り上げられている、という印象でした。
 三悪事のところでは、久秀をヨイショする気配が強くなってます。善いところも悪いところもあってこそ人間、と思っていると、少々物足りないかもしれません。善良な久秀が読みたい人にはぴったりでしょうけど。

 なお、松永久秀は下克上の体現者ではあっても孤児ではなかったようで(母が84歳で死去した記録が残ってる)、そのあたりは創作のはず。作中では、多聞丸と九兵衛のどちらが久秀か、すぐには分からないようになっていたので伏せときます。


 
 
 
 

2022年04月07日
R・A・ラファティ(牧 眞司/編)
(浅倉久志/伊藤典夫/松崎健司/山形浩生/訳)
『町かどの穴』ハヤカワ文庫SF2342

 《ラファティ・ベスト・コレクション1》
 日本オリジナル短編集。本書は「アヤシイ」がテーマ。
 ラファティは「愛すべきホラ吹きおじさん」の異名がある作家。イカレた人たちやクスリと笑える秘密結社、無邪気な子供たちを書かせたら天下一品。不思議で奇妙、ひょうひょうとした語り口が楽しめます。
 ユーモアたっぷりというより、嘘つき系。その嘘がハマると魅力倍増。ただ、作品ごとに合う、合わない、はどうしても出てきてしまいます。
 収録19作品のうち、初収録は6作品。各短編に、編者による丁寧な解説がついてました。ありがたい。

「町かどの穴」(浅倉久志訳)
 ホーマー・フースは、意外性満点の妻レジナと5人の子供たちの7人家族。
 ある日ホーマーはレジナから、人がちがうみたいだと言われてしまう。そのときのホーマーは怪物で、レジナを食べはじめた。
 ホーマー・フースが帰宅すると、子供のひとりが、パパそっくりな怪物がママを殺して食べようとしているという。からかわれていると思ったホーマーだったが、家の中で怪物と遭遇。レジナを助けようとするものの、レジナは食べられながらも怪物ホーマーに味方する。
 人間ホーマーが町かどのコート医師に相談すると、コート医師は、町かどの穴を直さなくてはならないというが……。

「どろぼう熊の惑星」(浅倉久志/訳)
 6人の探検家から成る調査隊が〈どろぼう熊の惑星〉にやってきた。かれらは新進気鋭で、変則的なものの解明にかけては腕ききぞろい。
 これまでの探検家のこの惑星に関する報告書には、わけのわからないたわごとが書かれてあった。いわく、人間にとって肉体の健康にはなんの危険もなく、精神の健康にごくわずかな危険があるだけ。くすくす笑いの化物とも呼ばれるどろぼう熊が、あらゆるものを盗んでいくという。
 調査隊は、着陸後5分とたたないうちに、どろぼう熊による盗みを体験する。どろぼう熊は、はいりこめるはずのない場所へとはいりこみ、盗めるはずのないものを盗んでいく。ついには、隊員までもが盗まれた。
 残された隊員たちは、行方不明者を捜そうとするが……。 

「山上の蛙」(浅倉久志/訳)
 惑星パラヴァータで文明を築いたローアは、つい最近、愚鈍なオガンタにその席をゆずった。優秀種族が、劣等種族のまえに自発的に屈服した。滅多にあることじゃない。
 ガラマスクは多くの世界をめぐってきた気宇壮大な男。そんなガラマスクの夢枕に、パラヴァータの狩りで死んだ親友アリンが立った。
 パラヴァータの狩りといえば、銀河系でもっとも危険な狩りといわれている。三重山に挑戦し、4つの生き物を仕止める。
 アリンは狩りで死んだことになっているが、そうではないと死者は告げた。犯人は、ガイドとして雇ったオクラスという名のオガンダ。ガラマスクはアリンから、仇をうち、パラヴァータの謎を解きあかしてほしい、と頼まれる。
 ガラマスクは狩りを装い、惑星パラヴァータを訪れるが……。

「秘密の鰐について」(浅倉久志/訳)
 世界には無数の秘密結社がある。それらの秘密結社の大部分が作りだす奇妙な組織網の上に、世界のムードと傾向を支配する秘密結社〈鰐〉はあった。
 〈鰐の口〉結社は、そんな〈鰐〉の下部秘密結社のひとつ。世界のすべてのキャッチフレーズとスローガンを製作している。
 ある日〈鰐の口〉の面々は、陰険な攻撃を受けていることに気がついた。自分の作ったキャッチコピーに足をすくわれ、自分の作ったスローガンに切り刻まれている。予定どおりにうまくいったものは、ひとつもない。
 なぜ効果が無力化されるのか。その原因は何なのか。
 犯人として3人の人物が浮上してくる。かれらには、プログラムも目的も組織も報酬も共通の基盤も悪意もない。それぞれが、身ぶりで、しかめっつらで、声の抑揚で、〈鰐の口〉を打ちのめしていた。
 〈鰐の口〉は、秘密裏に3人と接触をはかるが……。

「クロコダイルとアリゲーターよ、クレム」(伊藤典夫/訳)
 クレム・クレンデニングは、腕利きの訪問セールスマン。順風満帆の人生を送っている。ところが、あるとき分裂してしまった。
 自分がもうひとりいることに気がついたのは、自分に電話をかけたら相手が出たため。クレムはよく、出張先の宿泊ホテルがきちんと仕事をしているか調べるため、自分に電話をかける。しかし、電話の向こうから自分の声が聞こえてきたのははじめて。相手も自分だと気がついたようだった。
 逃げだしたクレムは、分身と、愛妻ヴェロニカを監視しつづけるが……。

「世界の蝶番はうめく」(浅倉久志/訳)
 世界の蝶番(ちょうつがい)が回転すると、それまでにあった土地と、大地の底にあった土地とが入れ替わる。新しく持ちあがってきた土地は、山も、川も、町も、その住民も、以前とまったくおなじ姿をしている。
 住民たちが交替したことを、隣人たちはいずれ気がつくかもしれない。なにしろ、おなじ名前を持ち、おなじ外見をしていても、まったく違う人たちなのだから。
 西マルク諸島の蝶番は、ひとつはモロタイ島のベレベレのすぐ北に、もうひとつはジロロ島のガネディダレムにあった。
 この地域の人びとは、みんな穏やか。となりの部族との関係も、いつもたいてい平穏だった。伝説によると、大地の下にいる人びとは、火のような気性だという。
 オビ島の漁師がひとりジロロ島まで足をのばそうとしたとき、短くて重々しいうめきが聞こえた。強い衝撃がおそい、つぎに大波がやってきた。
 胸騒ぎを感じた漁師は、引きあげた網を見て確信する。つくろっておいたところの結び目が、大地の下の人たちのものになっていた。恐ろしい時代がまたやってきたのだ。
 かれらと遭遇した漁師は、首を落とされてしまうが……。

「今年の新人」(浅倉久志/訳)
 思考増強物質と体力増強物質が使われはじめて10年。新人たち、つまり増強された人びとは、毎年頭角を現わしては、ほとんどあらゆる分野で第一人者になる。
 ところが今年の新人たちは、平凡で、風采も上がらず、上品でもない。例年にもましてイモっぽいのだ。
 そのころマザー・マデロスは、役人の訪問を受けていた。
 マザー・マデロスの〈夜明けチリ・パウダー〉の原料が、危険なうえに非合法だというのだ。〈夜明けチリ・パウダー〉は、政府の犯罪施行部門からジャンクフード業者に通達がだされてしまうが……。

「いなかった男」(浅倉久志/訳)
 家畜商のミハイ・ラドーは、界隈きっての嘘つき。嘘をしんから楽しんでいる。
 〈牛飼い亭〉で飲んでいるとき、ラドーは常連客たちとひとつの約束をした。これまでにしゃべった嘘、かついだホラ話のひとつを真実にしてみせる。人間を縁のむこうへ送りこみ、完全にその姿を消してみせよう、と。
 ラドーがに狙いを定めたのは、ジェシー・ピッドだった。カウンターの端っこでコーヒーを飲んでるピッドは、のろまで目立たない、痩せた男。いつも顔色がよくなく、もともと影が薄い。
 ラドーは、ピッドが三日のうちには完全に消えるというが……。

「テキサス州ソドムとゴモラ」(伊藤典夫/訳)
 貧乏なマヌエルは、仕事を必要としていた。そこで国勢調査員になった。
 マヌエルは地図を読むことができなかったが、小さな丸っこい字を書くことはできる。そもそもマヌエルに地図は不要だ。受けもちの区域については、地図を作る連中よりも詳しいのだから。
 マヌエルは係員に要領を教えられ、送りだされた。対象は、人間だけ。動物はだめ。小さな人は、人間なら勘定に入れる。
 荒涼たる斜面地区の人口は、わずか9人。
 それから3日後。マヌエルはすっかりこびとになって帰ってきた。35年、かかったという。
 マヌエルは百万人分の名簿を提出するが……。

「夢」(伊藤典夫/訳)
 バスコム・スワイスグッドは、朝には強いタイプだった。ところが、その日は気が滅入って仕方ない。ケイヒルの店で朝食をとっているとき、ふたり連れの会話が耳に入ってきた。
 テレサがアグネスに、今朝の夢をしゃべっている。ひどい夢だったという。いやらしい夢。きたない緑の雨がしとしと降っている夢。
 バスコムもその夢を見ていたことを思いだす。それで調子が悪かったのだ。
 実は、汚れた緑の雨の夢を見たのはふたりだけではなかった。ずいぶんたくさんの人が夢を見て、それぞれが医者にかかった。新聞記者が記事にしたことで、さまざまな報告はひとつの夢だと分かるが……。

「苺ヶ丘」(伊藤典夫/訳)
 小さな町には不気味な噂がつきもの。町はずれに出ると、不気味な噂のたつ朽ちかけた家があったりする。幽霊住民は、人間住民がもっとも少ない場所でこそ最大になるのだ。
 ベリマン一家が苺ヶ丘に住みついて60年。
 一家は、兄ふたりと妹の3人家族。かれらを優しく思いやる人間はなく、同情を寄せる者も皆無。嫌われ、孤立し、属する教会もなく、かたくなに隠遁生活を送っていた。
 金曜日の夕方。
 9歳のジミー・ウエアは友だちの大反対を押し切り、苺ヶ丘の噂の屋敷に潜入調査しようとするが……。

「カブリート」(松崎健司/訳)
 ちっぽけな居酒屋の7脚のスツールに、7人の客が座っていた。両端の壁が鏡張りになっているため、鏡像により、店の中にはちょっとずつ離れた3つのグループがいるようだった。
 ただし、空士ルンドクヴィストだけは別。3人のルンドクヴィストがいて、各々が違った飲み物を啜りながら、違う話をしていたのだ。
 リアルのルンドクヴィストが、カブリートを食いにいこうと言い出した。仔山羊の串焼きカブリートを。連れのアイルランド人と席を立つと、ルンドクヴィストの鏡像も後からついていく。こいつらは生霊だった。
 カブリート屋についたルンドクヴィストたちのもとに、店のアマータがおしゃべりにやってくる。アマータは、カブリートがどこからやってくるか話しはじめるが……。

「その町の名は?」(浅倉久志/訳)
 エピクティステスは、口が軽い機械だった。おかげで、グレゴリー・スミルノフの研究は、研究所の全員が知るところとなってしまう。みんな興味津々。
 スミルノフは、あるものを見つけようとしていた。その存在が知られていないあるもの。自分がなにをさがしているのか分からないが、自分が忘れるように強制されたなにか。
 スミルノフは、証拠の不全を綿密に検討することによって、発見できると考えていた。エピクティステスに、それが決して存在しなかったという過大な証拠を検討するように命令するが……。

「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」(浅倉久志/訳)
 〈不純粋科学研究所〉の長グレゴリー・スミルノフは、過去の歴史の中の小さな一事件に干渉して、その影響を調べようとしていた

 シャルルマーニュ大帝の時代は、巨大な闇の中の一条の光明と呼ばれている。その光明が、ほかの光明をともすことなく燃えつきたのはなぜか。火が消えたために世界は400年の損失をこうむった。
 時は778年。場所はスペイン。クティステック・マシンのエピクティステスが干渉しはじめるが……。 

「他人の目」(浅倉久志/訳)
 〈不純粋科学研究所〉のチャールズ・コグズワースは、新しい大脳走査機を完成させた。この機械は、ふたりの人間の脳を共感的に連結する。
 どの人間も、住んでいる世界がちがうはずだ。潜在意識をつなげば、他人の心の中に入り、他人の目の奥から、自分のとおなじではありえない世界をのぞけるようになる。
 コグズワースが最初にためしたのは、所長のグレゴリー・スミルノフだった。
 スミルノフは、霊感にみちた、神に近い巨人の目で世界を見ていた。自分のよりよりよい世界だ。ずっと大きなひろがりを持ち、あらゆる細部が生き生きとしている。
 満足したコグズワースは、他の人物でもためすが……。

「その曲しか吹けない」(山形浩生/訳)
 トム・ハーフシェルは、直感力があり、リズム感もあり、活気にあふれ、熱意に満ち、音感も趣味もいい若者だった。ただ、賢さはなかった。
 主専攻はラッパ演奏。副専攻、郷愁民間伝承。付録課外科目、怪獣変身。父親からバランスが完璧ではないと言われて、主要課外科目としてハード地理学を取った。
 サムには巧妙さがある。完全じゃないが、いろんなことを実にうまくこなす。
 友人は、トムのことを相手のいない半分といい、教員は不完全だと称した。トム自身、釈然としない気分を抱えて日々を過ごすが……。 

「完全無欠な貴橄欖石」(伊藤典夫/訳)
 トルー・ビリーヴァー号は、リビアの肉桂海岸の沖にいた。見わたすかぎり青く澄んだ海。暖まった砂浜や、水をまいた庭園。すべてが澄みきってまばゆく、まるで息づき動くガラスを思わせる。
 オーガスト・シャックルトンは仲間と、集合的無意識に生じるある種のイメージ群の地理的故郷を発見しようという試みについて議論をたたかわせていた。そのとき、海に入っていた妻のジュスティーナが、水が変だと叫んだ。
 水のなかに草がある。葦や、いろんな沼地の草。泥と、緑色のぬるぬるがいっぱい。べっとりして重くて、虫もひどい。
 海から上がった仲間たちは、草と泥にまみれ、両手足とも傷だらけ。そのうえ、50メートルの深さで船が座礁してしまう。
 可視世界では、いまでも青い大洋が広がっている。シャックルトンは、みんなの頭脳を結集しようと仲間たちに呼びかけるが……。

「《偉大な日》明ける」(伊藤典夫/訳)
 メルキゼデク・ダフィーは、子どもに《偉大な日》がきたことを教えられた。夜明けまで1時間。ゴミの散乱する通りを早足に散歩しているときだった。
 若者たちがやってきて、メルキゼデクがしている腕時計の分針を折ってしまう。《偉大な日》では時間がちがうのだから、分針はいらない。街頭時計も、針がとられていた。
 コーヒーショップに入ると、客たちがコーヒーをカップなしで飲んでいる。メルキゼデクも、同じようにする。心ここにあらずといった調子で認めなければならない。だが、完璧にはできない。
 メルキゼデクは、自分が《偉大な日》を理解する神の恩寵を授けられていないことを痛感するが……。

「つぎの岩につづく」(浅倉久志/訳)
 その煙突岩は、人類よりもほんのすこし年老い、草よりもほんのすこし年若かった。そこに、5人の考古学者からなる調査隊がやってくる。
 調査隊の一員マグダリン・モブリーは、電撃的な魅力の持ち主。しかも、これから調査をするというのに、煙突岩のなかにあるものも古墳のなかにあるものも、教えてあげられるという。
 発掘がはじまると、すぐに完璧な壺が出土した。ろくろで捏ねた壺は、どういうわけか、ろくろのなかった時代のもの。しかし、押された文様は原プラノ期で間違いない。
 それから、なにかが彫られた堅い燧石も見つかった。風変わりな絵文字は、ナワトル=タノ語と推察される。解読すると恋愛詩だった。
 最後の絵文字は、槍を投げる男の絵が、時間を表わす絵とからみあっている。通常は、前方または遠くへ投げられたという意味だ。
 マグダリンは、その文字は「つづく」だという。まだそんな石はぞくぞくと出てくるのだ、と。
 マグダリンのいうとおり、続きの燧石が発見されるが……。

 
 

 
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