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2022年の記録
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このページの本たち
ヨーロッパ・イン・オータム』デイヴ・ハッチソン
リリアンと悪党ども』トニー・ケンリック
新訳 ピノッキオの冒険』カルロ・コッローディ
呑み込まれた男』エドワード・ケアリー
ガラスの顔』フランシス・ハーディング
 
赤い館の秘密』A・A・ミルン
青列車の秘密』アガサ・クリスティー
黄色い部屋の秘密 新訳版』ガストン・ルルー
イスカンダルと伝説の庭園』ジョアン・マヌエル・ジズベルト
めくるめく世界』レイナルド・アレナス

 
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2022年11月03日
デイヴ・ハッチソン(内田昌之/訳)
『ヨーロッパ・イン・オータム』竹書房文庫

 20世紀末。シェンゲン協定の発足により、ヨーロッパは国境のない大陸となった。
 21世紀に入ると、時代は逆回転をはじめる。経済は崩壊し、亡命者に対する疑心暗鬼がふくらみ、対テロ戦争の影響が影を落とす。ついには、パスポートと入国審査が復活した。
 そして、西安風邪の襲来。ヨーロッパだけで、死者が2千万〜4千万人に達したという。病気の蔓延を抑える手段として検疫検査と国境が採用され、シェンゲン協定は事実上廃止された。
 最近の流行は、国だ。ロマノフ家やハプスブルク家、さまざまな家系の子孫たちが、独自のポケット国家を設立しようとした。その数は、年を追うごとに増加していく。
 ルディはエストニア人だった。
 ポーランドはクラクフのレストラン〈レストラチア・マックス〉で、シェフとして働いている。その前4年間は、バルト海沿岸を放浪しながら、トルコ人やそのほかのシェフたちのもとで学んだ。
 エストニア人は、だれにもじゃまされずに国境を越えられる。ところがレストラン・オーナーのマックスは、ポーランドのパスポートを持っているために制約があった。
 独立シレジア国家ヒンデンベルクは、スラブの海に浮かぶゲルマンの島のような存在。かつてはポーランドの都市だったオポーレとヴロツワフを包有している。渋々ながらシレジア民族の故郷を明け渡したポーランドだったが、大ドイツへの陸橋をあたえることは拒否した。
 これを受けてヒンデンベルクは、ポーランド人むけのビザの発給要件を厳格化する。両国は互いに対抗しあい、為替レートを意図的に低く設定したり、列車を通過させなかったり、郵便を止めたりした。
 おかげでマックスは、ヒンデンベルク人のいとこに会うことはもちろん、電話も手紙のやりとりもできない。代わりにルディが、マックスのいとこに会うため、ヒンデンベルクに行くことになった。
 それはテストだった。
 ルディがうまくやれるかどうかの。
 ささやかな冒険から帰ってきたルディは、〈森林を駆ける者(クルール・デ・ポワ)〉から勧誘される。ああいうことを業にする気はないか、と。
 クルールは、国境紛争のせいで届かない郵便物を配達していた。簡単に言えば、密輸業者だ。人のこともある。
 ルディはクルールとなるが……。

 2014年の作品。
 ルディはシェフ(料理長)であることを誇りに思っていて、コック(料理人)呼ばわりされると訂正したりします。とはいえプライドから下働きを断固拒否することはなく、現実を見るタイプ。意地はありますが。
 なお、料理の話かといえば、そういうことはないです。シェフの立場だとコックたちにいろんな指示をだしたりすると思うので、そういう能力は生かされているのかな、と。

 ひとつひとつのエピソードがきっちり分かれていて、連作短編集のようでした。舞台設定をいちいち説明し直したりはしないので、分類は長編なのでしょうけど、気分は短編。
 それと、終盤に向けて収縮していくパターンはよくありますが、本作は逆。二部構成の第二部に入ってから、視点が一気に広がります。
 こういうやり方もあるのか、と。ちょっとおもしろい読書体験でした。


 
 
 
 

2022年11月04日
トニー・ケンリック(上田公子/訳)
『リリアンと悪党ども』角川文庫

 ドン・レイ・バーグストロームは、ある日突如として大衆の前に現れた。ジェーンという妻とシェレル・アンという愛娘がいて、まったく信じられないほどの大富豪だった。
 シェレル・アンの誘拐事件のことは、大々的に報道されて誰もが知っている。しかし、その後にバーグストロームの話題はなくなり、一家は忽然とかき消えた。彼らの身に何が起こったのか、知っている者は少ない。
 バニー・コールダーは、旅行代理店のセールスマン。実は、他人のアパートをタネに稼ぐ詐欺師だった。
 旅行の手配をしたバニーには、客がいつから留守にするか、いつ戻ってくるか、正確にわかっている。客の留守中に彼らのアパートを旅行客に貸すのがバニーの手口だ。
 エラ・ブラウンも被害者のひとり。さすがのバニーも予想していなかった。エラのアパートで、酔っぱらった宿泊客がラグビーをしはじめるとは。
 3年がかりで家具を集め、手を加え、変更し、改良したアパートはエラの自慢だった。完膚なきまでに破壊されたアパートに、エラは大激怒。弁護士に相談する。
 バニーの所業を突き止めた弁護士は、友人のビル・ラスキーに相談されたことを思いだしていた。アメリカ移民局に勤めるラスキーは、特殊な人材を求めている。頭の回転が早く、口もうまい、あきれるほどの役者を。
 少し前、アメリカに4人の男がやってきた。解放運動グループの非常に危険な男たちで、彼らは戦闘爆撃機を買うための資金を集めにきたらしい。とはいえ、いくら金がうなっているニューヨークでも、必要な2000万ドルは簡単には手に入らないだろう。
 ラスキーは、彼らが営利誘拐を目論むと考えていた。それならこちらは被害者を提供しよう、と。
 億万長者ドン・レイ・バーグストロームの役に、詐欺師のバニーはぴったり。呼びだされて犯罪行為を暴かれたバニーは、渋々ながら引き受けた。当局に睨まれては、そうするしかない。
 一方、ジェーン役を打診されたエラは憤慨する。バニーと一緒になにかするなど、あり得ないことだ。しかし、シェレル・アン役の少女リリアン・フェランのことを聞き、ほだされてしまう。
 9歳のリリアンは孤児。ホームは、危険だとわかっていながら子どもを貸した。エラは、自分がリリアンを手助けしてやらねば、と意気込む。
 ところが、実際に会ってみたリリアンは、まったく子供っぽくない。リリアンは、口汚いチェーンスモーカーの競馬マニアだったのだ。
 ラスキーは、リリアンなら富豪令嬢になれるというが……。

 ユーモア系の誘拐もの。
 1975年の作品。翻訳も1980年とちょっと古く、今では使われない差別用語も飛びだします。
 タイトルになったのはリリアンですが、主人公はバニーです。
 バニーは、旅行会社に勤める傍ら職業紹介所を経営してます。そちらでも詐欺のような斡旋をしていて、たっぷりと「頭の回転が早く、口もうまい、あきれるほどの役者」ぶりを見せてくれます。その分、ドン・レイ・バーグストロームになるまでが長いです。それで最初に、バーグストロームの出現と消失が提示されているのでしょうね。
 残念なのは、個性が炸裂しているリリアンが、タイトルにまでなっているリリアンが、あまり活躍しないんです。素の姿と富豪令嬢との落差はおもしろいですが、もうちょっとリリアンの見せ場が欲しかったな、と。
 それだけキャラクターが魅力的、ということなんでしょうけど。


 
 
 
 

2022年11月05日
カルロ・コッローディ(大岡 玲/訳)
『新訳 ピノッキオの冒険』角川文庫

 貧乏なジェッペットじいさんはあるとき、木彫りのあやつり人形を作ってみようと考えた。それもただの人形ではない。躍ったり、フェンシングをしたり、とんぼがえりをしたりするヤツだ。
 早速、ジェッペットじいさんは大工の親方をたずね、棒っきれをわけてもらった。ピノッキオと名付けると、あやつり人形作りに精をだす。
 すぐに髪が仕上がり、おでこ、目玉と進んでいく。作った目玉がギョロリと動いた。鼻ができて口にとりかかる。まだすっかりできあがらないうちから笑って、したをペロリとだした。
 完成し歩けるようになったピノッキオは、家から飛びだした。
 ピノッキオはその日のうちに帰ってきた。だが、ピノッキオを追いかけたジェッペットじいさんは帰れない。子供をいじめぬくヤツだと疑われ、牢屋にほうり込まれてしまったのだ。
 ひとり腹をすかしたピノッキオは、ものをいうコオロギに忠告される。親にさからって、勝手気ままに家を飛びだしたりする子は、決してしあわせにはなれない。にがい後悔を味わうことになる、と。
 ピノッキオの考えは違う。食べて、飲んで、寝て、遊びほうけて、朝から晩までのらくら過ごす生活が、この世でたったひとつ、お気に入りの仕事だ。ピノッキオが木づちを投げつけると、コロオギは壁にはりついたまま死んでしまった。
 反省したピノッキオは帰宅したジェッペットじいさんに、いい子になると宣言する。学校にも行くし、勉強をして優等生になる。
 そんなピノッキオのためにジェッペットじいさんは、ABCの練習帳を買ってきた。つぎはぎだらけの粗末な上着は売られ、ジェッペットじいさんはシャツ一枚。外は雪だというのに、それでも満足していた。
 ABCの練習帳を持って意気揚々と出かけたピノッキオ。途中で、フルートとドラムの音に引き寄せられてしまう。人形芝居の大一座だった。
 ピノッキオは、入場料を払うために練習帳を売り払ってしまう。
 人形使いの親方は、ピノッキオの話を聞いて感動していた。父親が、練習帳を買うためにたった一枚しかない上着を売ったとは。
 ピノッキオは親方から、金貨5枚をもらった。あたらしい上着が買えると、ピノッキオは大喜び。家路を急ぐ。
 そんなピノッキオを、一本の足をひきずっているキツネと両目の見えないネコが狙っていた。ふたりはピノッキオに〈不思議の原っぱ〉の話をする。金貨を1枚埋めて世話をすると、あくる朝には金貨500枚がなった木になるという。
 ピノッキオはなにもかもすっかり忘れて、キツネとネコのあとについて行くが……。

 児童文学。
 芥川賞作家が大人向けに翻訳したのかウリ。とはいうものの、やはり大人になってから読むのは少々厳しいです。
 キツネとネコの最初のエピソードの後で、仙女が登場します。この仙女が謎。
 仙女はずっとピノッキオと関わり、姉代わり、母親代わりを務めます。ピノッキオを人間の男の子にするだけの力を持っている一方、神々のような卓越した力は持っていない不思議な、都合のいい存在です。
 まぁ、児童書なので。

 なお、ピノッキオの父の名前はジュゼッペと記憶していたのですが、なんでも、ジュゼッペに親愛を込めて呼ぶとジェッペットになるそうです。 


 
 
 
 

2022年11月06日
エドワード・ケアリー(古屋美登里/訳)
『呑み込まれた男』東京創元社

 ジュゼッペは巨大魚の腹の中にいた。
 そもそも海にでたのは、息子が絶望のあまり海に身を投げたと人伝に聞いたからだ。もしかすると、ひどく残酷な冗談だったかもしれない。あのときは無我夢中だった。
 小さな舟を買い、沖へ漕ぎ進んでいく。徐々に、しっかりしてそうだった舟が心許なくなっていく。そうこうするうち海が真っ二つに割れ、目の前に黒々とした深淵が現れた。
 もう、そこに落ちるしかない。
 鮫か、その類いの魚か。先史時代から生き延びてきたメガトロンか。ジュゼッペは、一匹の大きな魚に呑み込まれた。
 暗いトンネルを転がり落ちると、広い空間になっていた。それ以来、ここにいる。
 はじめは、なにも見えなかった。手探りで動きまわり、木でできている壁に当たった。上に平らな部分があり、階段を見つけ、散らばる木箱に気がついた。
 火を得たのは、木箱にしまわれていた蝋燭と、右のポケットのマッチのおかげだ。ジュゼッペが魚の腹の中で発見したのは、三本マストの船だった。
 コペンハーゲンから来たマリア号。誰も乗っていない。ありがたいことに、食べ物やワイン、獣皮蝋燭、水は残されていた。それから、船長の航海日誌も。
 ジュゼッペはマリア号を住居とするが、日の射さないこの世界に乾いている場所はひとつもない。終わらない不快感の中、失敬した日誌に少しずつ書いてみることに決めた。
 ジュゼッペは、自分の過去や想いを書き綴っていくが……。

 カルロ・コッローディ『ピノッキオの冒険』に登場する、ピノッキオを製作したジュゼッペの回顧録。
 『ピノッキオの冒険』はまるでうろおぼえ。それどころか、きちんと読んだことがあったかどうかも疑わしかったので、この機会に読み直しておきました。
 これが大失敗。
 うろ覚えのまま読むべきでした。

 暗いです。ケアリーの作風なのでしょうかね。
 ジュゼッペとピノッキオがいつ再会するのか、知らないままに読んだ方が緊迫感があるかもしれません。


 
 
 
 

2022年11月14日
フランシス・ハーディング(児玉敦子/訳)
『ガラスの顔』東京創元社

 〈地下都市(カヴェルナ)〉は、大長官によって支配されている。廷臣たちは大長官に気に入られようと必死だ。宮廷は、大長官の気まぐれによってどうにでもなる綱渡り状態に陥っていた。
 ムーアモス・グランディブルは、チーズの匠。幻を見せる特別なチーズをつくっている。宮廷を退いて自分のトンネルに引きこもり、外に出ることも、誰かを招き入れることもほとんどない。
 その私設トンネルに突然、5歳くらいの女の子が現れた。どこから入ったのか分からない。グランディブルは弟子にすることに決め、ネヴァフェルと名付けた。
 それから7年。
 ネヴァフェルは、鋭い耳とすぐれた記憶力と、絶えることのない質問とともに成長した。片時もじっとせず、肘はしょっちゅう棚から物を落とす。グランディブルから厳命されて、私設トンネルから出ることはなく、誰かに会うときには仮面をつけた。
 ネヴァフェルには幼いころの記憶がない。グランディブルのトンネルに現われる前、どこにいたのか。ときおり、断片的な映像のようなものが浮かぶものの、なんの助けにもならなかった。
 ある日、ヴェスペルタ・アペリンがグランディブルを尋ねてきた。アペリンは表情を教える〈面細工師(フェイススミス)〉。
 カヴェルナでは誰もが、表情を持たずに生まれてくる。赤ん坊は誰かに〈面〉と呼ばれる表情を教えてもらわなければならない。通常は、幼いころ習った〈面〉だけで生きていくが、とくに裕福なエリート層は、新しいデザインの〈面〉を求めてフェイススミスを雇うこともある。
 アペリンの要件は、グランディブルが大晩餐会のために作っているスタックフォルター・スタートンだった。大長官に注文された特別なチーズは、こんどが初お目見え。アペリンは、スタートンを食べたときの正しい〈面〉をデザインするため、試食したかったのだ。
 アペリンはグランディブルに、宮廷にもどるときに手助けすることを条件にだす。しかし、グランディブルから拒絶されてしまう。
 ネヴァフェルには、なぜグランディブルが断ったのか分からない。やさしげなアペリンに魅了されたネヴァフェルは、秘かに見本を包んで送ってしまう。
 宮廷を知らないネヴァフェルには想像できなかったのだ。中立の立場を捨て誰かに肩入れすることがどういう結果を招くか。
 グランディブルの考えを知り後悔したネヴァフェルは、スタートンを返してくれるよう、アペリンに頼んでみることを思いつく。アペリンに会うため、はじめて私設トンネルから外へとでていくが……。

 異世界ファンタジー。
 トンネルから出ていくのは、ほんのとっかかり。そのときにはすでに、アペリンが名前を知られるようになったのは7年前、という情報があって、否が応でも期待が高まります。
 7年前になにがあったのか、というミステリでもあるのです。
 とにかく濃厚でした。展開が早く、ネヴァフェルは短期間でさまざまな経験をします。
 それは読者も一緒。一段落ついたところで一旦本をおくと、まだまだたくさんのページが残っている状態。その後にどんな事件が待ち受けているのか。落ち着いていられません。
 それだけに、終盤の仕掛けに物足りなさを感じてしまいました。今まできちっとこまかく追っていたのに、その手を使うのか、と。作中、そうすることのヒントはありますし、好みの問題だと思いますが。


 
 
 
 

2022年11月18日
A・A・ミルン(山田順子/訳)
『赤い館の秘密』創元推理文庫

 アントニー・ギリンガムは、21歳になったとき母の遺産を手に入れた。あくせくと働く必要がなくなり、大いに楽しみながら職を転々とする生活がはじまる。ロンドンでじっくりと人間観察をしながら、従僕や、新聞記者や、給仕や、店員を経験した。
 現在、ギリンガムは30歳。休暇でもすごそうと旅に出たところだ。ウッダム駅舎のたたずまいにひかれて途中下車してみれば、友人ウィリアム・ベヴァリーが滞在しているという赤い館まで1マイルほど。訪ねてみようと思いつく。
 赤煉瓦で作られている赤い館の主人は、マーク・アブレット。片田舎の牧師の次男坊だが、後援者である老婦人が相続財産を遺してくれた。
 マークは気前よく金を使って、芸術界の裾野をうろついたり、従弟のマシュー・ケイリーに庇護の手を伸ばしたりした。ケンブリッジを卒業したケイリーは、今ではマークの雑務を担っている。
 ギリンガムが赤い館に近づいていくと、なにやら様子がおかしい。玄関ホールでケイリーが、鍵のかかった部屋のドアをがんがんたたき、大声でどなっていた。ケイリーによると、事務室から銃声らしき音がして駆けつけたが、ドアに鍵がかかっているという。
 ふたりは、ギリンガムの提案で窓側にまわった。裏庭の芝生に面した両開きのフレンチウィンドウは、ぴったりと閉じられている。室内では、ひとりの男が倒れていた。
 ふたりでフレンチウィンドウを押し開け、ケイリーが男に駆け寄った。マークの兄ロバートが、眉間を撃たれていた。面会していたはずのマークの姿はない。
 ロバートは、15年前にオーストラリアに渡った問題児。手紙が届き、会いたいという。マークは、金の無心だろうと見当をつけていた。
 ケイリーの動揺ぶりに、ギリンガムは手伝いを申し出る。
 ギリンガムは、ケイリーの行動に不可思議さを感じていた。おそらくケイリーは、行方不明のマークが犯人だと思っている。だからこそ、むやみにドアをたたいて時間稼ぎをした。
 しかし、窓に行くときには、やけに遠回りな道を案内する一方で走っていた。なぜ急いだのか。
 事件当時、館のなかにいた人々のなかで利害が対立しないのはギリンガムだけ。ギリンガムは、真実を追究できる立場にいた。いろいろな職業を経験してきたギリンガムだが、私立探偵ははじめてだった。
 ギリンガムは、ベヴァリーを助手にして推理をはじめるが……。

 殺人ミステリ
 ギリンガムは何度となく、事件の謎を自問します。そのため、なにが問題になっているのか、読み手にとっても整理しやすく分かりやすい親切設計になってます。
 ただ、分かりやすいからおもしろいとは限らず。ギリンガムは、自分とベヴァリーをホームズとワトスンに例えてます。それが、少々鼻につく印象。
 好みの問題もあると思いますが。

 読了後、本作のギリンガムが、金田一耕助のモデルだと知りました。そういう目で読み返すと、素通りしていたなにげない場面すら感慨深くなります。
 知ったうえで読んだほうが、楽しめたかもしれません。


 
 
 
 

2022年11月19日
アガサ・クリスティー(青木久惠/訳)
『青列車の秘密』ハヤカワ・クリスティー文庫5

 《名探偵ポワロ》シリーズ
 キャサリン・グレーは、良家の生まれだったが父が破産したために、若い頃から働いていた。
 キャサリンがハーフィールド夫人の世話係として勤め始めたのは、23歳のとき。安らかなグレーの目をした物静かなキャサリンは、聞き上手。夫人は気むずかしいことで知られていたが、気に入られる。
 セント・メアリ・ミード村ではなにも起こらない。キャサリンに行動の自由はなく、精神的な自由だけはたっぷり。その生活は10年つづき、ハーフィールド夫人の死去で終わった。
 キャサリンは遺産を受けとったが、その額は想像以上。夫人は1万ポンドの収入があったが、年に400ポンド以上使うことはなく、すべて貯め込んでいたのだ。
 キャサリンは、いとこのレディ・タンプリンから手紙を受け取る。突然親愛の情を示した理由は明らかだ。いとこに近づきたがっているのは好意からではなく、実利目当てだろう。
 キャサリンはレディ・タンプリンの目的を見抜きつつも、招きに応じることにする。社交界に出てみたいと考えたのだ。双方に利益がある。
 仕度を整えたキャサリンは、レディ・タンプリンが暮らすリヴィエラに向け、ブルー・トレインに乗車した。
 一方、ルース・ケタリングは、夫デリクの浮気にやきもきしていた。
 ルースは、アメリカの大富豪ルーファス・ヴァン・オールディンの一人娘。28歳のとき、親親の反対を押し切ってデリクと結婚した。
 そのときから、相手が金目当てなのは分かっていた。デリクはレコンベリー卿の息子だ。もう2年も待てば、ルースがレコンベリー城の女主人となれる。
 それでも、女と遊びまわっているデレクが許せなかった。父からのすすめもあり、離婚を決意する。
 離婚を突きつけられたデリクは青ざめた。離婚となれば債権者が、羊の群れを襲う狼のごとくに押しかけてくるだろう。ルースが急死すれば、結婚したときにもらった金はすべてデリクのものになるのだが……。
 デリクは、離婚させようとするルーファスに抵抗する。実は、ルースの弱点を握っていた。ルースも浮気しているのだ。
 ルースはリヴィエラに行くことになっているが、本当はパリで恋人と落ち合うつもりだ。相手は、アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵。結婚前の恋人で、ペテン師だと父に強引に別れさせられた。
 予定どおりブルー・トレインに乗ったルースだったが、心は揺れる。食堂車でたまたま同じテーブルになったグレーの瞳の女性に、悩みの一端を打ち明けるが……。

 《名探偵ポワロ》の長編第五作。
 ルースがブルー・トレインで殺されるわけですが、そこまでが長い。非常に長いです。シリーズ主人公のポアロが登場するのも、亡くなってから。(本書では、ポワロではなくポアロ表記)
 本作の主人公は、おそらくキャサリン。生前ルースと会話したことで事件に関わってきます。レディ・タンプリンがデリクの知人という関係もあります。
 キャサリンはデリクに惚れられて、さらに、ルーファスの秘書ナイトンにも言い寄られます。

 謎の解明が、少々乱雑でした。すごく唐突で、どうも釈然としない。事前のヒントがないわけではないのですが。
 どうやら、プロ作家である以上どんなときにも書かなくてはならない、という時期に書かれた作品のようです。ミステリとしては難ありだと思いますが、ちゃんと楽しませてくれます。登場人物たちが生き生きとしていて、読んでいて楽しいのです。
 さすがクリスティー。

 なお、セント・メアリ・ミード村って《ミス・マープル》の村だ、と思ったのですが、あちらとは州違いでした。


 
 
 
 

2022年11月23日
ガストン・ルルー(高野優/監訳、竹若理衣/訳)
『黄色い部屋の秘密 新訳版』ハヤカワ・ミステリ文庫

 15年前、奇妙な事件が起こった。いわゆる〈黄色い部屋の謎〉だ。真相を突きとめたのは、当時18歳の駆けだし記者ジョゼフ・ルールタビーユ。
 事件が起こったのは、1892年10月25日。
 グランディエ城の離れの黄色い部屋で、マチルド嬢が襲われた。そこは、隣室につながる扉と、鉄格子のついた窓がひとつあるだけの密室。扉が開かれたとき、犯人の姿はなかった。
 グランディエ城は、パリ郊外、サント・ジュヌヴィエーヴの森の真ん中に位置する。アメリカから帰国したスタンガーソン博士が、森に囲まれた静かな環境を気に入り、住まいとした。そのときマチルド嬢は20歳。
 研究に情熱を傾けるマチルド嬢は、独身をつらぬこうとする。ただひとり、ロベール・ダルザックだけが熱心に求婚を続けていた。ついに結婚を承諾したとき、マチルド嬢は35歳になっていた。そして、その数日後に襲われた。
 その夜マチルド嬢は、離れの実験室にいた。スタンガーソン博士と、雑用を担う老僕ジャック=ルイ・ムスティエも一緒だ。深夜零時になり、マチルド嬢は就寝するため隣室に入る。
 ジャック老は、鍵だけでなく、扉のかんぬきもおろした音を耳にしている。その後、零時半を知らせる鳩時計が鳴り、異変が起こった。マチルド嬢が人殺しだと叫び、銃声と大きな音がたてつづけに聞こえたのだ。
 まだ実験室にいた博士とジャック老は、すぐに助けようとした。だが、扉を開けることができない。窓もしっかりと閉められたままだった。
 門番夫婦もかけつけ4人で扉に体当たりした。なんとか突き破ったものの、部屋は散々たるありさま。何もかもがひっくり返され、全身血だらけのマチルド嬢には意識がない。
 そして、ほかには誰もいなかった。
 捜査は、パリ警視庁きっての敏腕刑事フレデリック・ラルサンが当てられた。ラルサンは、迷宮入りになりかけていた事件を解明し、数々の大手柄をたててきた実績がある。
 〈レポック〉紙は、ルールタビーユを送りこんだ。ルールタビーユは、まだ16歳のとき大手柄をたてて記者見習いとして採用されてから、かわいがられると同時に目覚ましい働きをしてきた。今回も機転を利かし、いい記事を書こうとする。
 マチルド嬢は意識をとりもどすが、証言がはっきりしない。
 ラルサンは、ダルザック氏を犯人と考えていた。ダルザック氏に不利な証拠がいくつもあった。だが、本人は弁明しようとしない。
 ルールタビーユはラルサンの捜査に異を唱えるが……。

 ミステリ。
 語り手は、サンクレール。独立したばかりの弁護士の卵で、ルールタビーユの友人です。裁判を通じてダルザック氏と知り合いとなっていて、ルールタビーユを引き合わせます。
 ダルザック氏は、愛娘が襲われてショックを受けている博士の代理人になってます。ダルザック氏の計らいで、ルールタビーユはグランディエ城に滞在し、自由に調べることが許されます。

 いかんせん1907年の作品。それは無理があるのでは、とか、そうだと思った、という感想はどうしようもないです。しかも、ルールタビーユがけっこう嫌味っぽいんです。
 ルールタビーユは序盤から、すべてを見抜いているような言動をします。すごく鼻につくというか、人物像が好きになれないというか、素直に読めませんでした。
 それでもなお、物語が語られつくしたときには余韻が残り、さすがはオールタイムベストで名前が挙がってくる作品だ、と。
 ルールタビーユはルールタビーユで、いろいろあるんですよね。


 
 
 
 

2022年11月24日
ジョアン・マヌエル・ジズベルト(宇野和美/訳)
『イスカンダルと伝説の庭園』徳間書店

 アラビアの王の中の王アルイクシールには世継ぎがいなかった。アルイクシール王が己の名を世にとどめようと考えたのは、庭園をつくること。この世のありとあらゆる美しいものを集め、五感を魅了してやまない世界一の庭園をつくる。
 この世で最もすぐれた建築師として、イスカンダルの名前が挙がる。ペルシャ生まれの放浪の建築師は、一度目にすれば忘れられないみごとな建物を、東方のあちこちに残していた。
 アルイクシール王は、イスカンダルに全幅の信頼を寄せる。イスカンダルもまた、アルイクシール王の期待に全身全霊で応えた。
 イスカンダルは、提供された土地の水について調べ、地形を測量し、地質を確認し、地下の水脈をさぐった。時間により風向きや湿度がどう変化するか、日差しの角度は、影の具合は、気温は? 季節の移り変わりにともなう気候の変化が確かめられた。
 7ヶ月が過ぎ、ついに計画書ができあがった。440の折本からなる計画書に、アルイクシール王も大満足。美しさ、多様さ、調和においても、己の想像をはるかに超えていることを認めた。
 イスカンダルはアルイクシール王に、5年以内にすべてつくりあげることを約束する。
 工事が始まって50週。トルコ出身の盲の老人ソスが現れた。ソスは、東方一帯に名のとおった占い師。少年ハシブを道連れに旅をしている。
 ソスはイスカンダルに、不吉な予言を残す。アルイクシール王から、身を守らなければならなくなる日がくるという。
 イスカンダルは取り合わなかった。アルイクシール王の待遇には満足している。信用され、最高の人材と、最高の資材が揃えられているのだ。
 一方、アルイクシール王は疑念を抱いていた。アルイクシール王はソスを呼び寄せ、処刑してしまう。
 逃げ延びたハシブは、高名なタラバッドに拾われた。シリア出身のタラバッドは、夢や、まぼろしの町をうたわせたら右に出る者のない詩人。
 タラバッドはイスカンダルの行く末を案じるが……。

 児童書。
 大人向けの中短編集に入っていても違和感はなかっただろうと思います。
 権力者がすばらしいものを造らせたあとにどうするか、という問題は、今作に限ったものではありません。どうしても、この展開は知っている……となってしまいます。
 本作の場合そこで終わりではないです。


 
 
 
 

2022年11月26日
レイナルド・アレナス(鼓直/杉山晃/訳)
『めくるめく世界』図書刊行会

 1763年、セルバンド・デ・ミエルは、メキシコ北東部のモンテレイで生まれた。
 ドミニコ派の修道院に入ったセルバンドは、やがて神学博士となる。説教師として知られるようになると、グアダルペの聖母にちなんだ説教を大司教から頼まれた。
 グアダルペの聖母は敬虔なインディオであるファン・ディエゴの前に出現し、その証拠に自分の姿を写したマントを手渡したという。
 どう説教するか、考えあぐねていたセルバンドは、ある学説を耳にする。
 グアダルペの聖母の顕現は、スペイン人の到来以前だというのだ。つまり、メキシコは元々キリスト教の地であったのだから、スペイン人たちがとどまる大義名分はまったくない。
 感銘を受けたセルバンドは、大司教らの前で、メキシコの独立を力強く主張した。その結果、修道院の僧坊に監禁されてしまう。
 セルバンドは聴聞所への上訴を試みる。しかし、果たせない。監獄に移され、脱獄を試みるが……。

 セルバンドの伝記……というか伝奇。
 実在した人物で、その生涯が語られます。その手法が特殊なんです。
 当初は、ひとつの話題について視点を変えて別個に語られます。私だったり、あなただったり、お前だったり、彼だったり。そのため、チャプター1が3つあったりします。
 元となる出来事が、語るうちに誇張されて話が広がっていった、そういう感じ。奇怪で野蛮な方向に広がるので、好みは別れそう。
 やがて語り手は収束していき、ひとつの中で、さまざまに語られるようになります。
 話のおもしろさというよりも、書き方のおもしろさが印象的でした。

 なお、セルバンド(ホセ・セルバンド・テレサ・デ=ミエル=ノリエガ=イ=ゲッラ)の生涯については巻末に年譜があります。波瀾万丈。読了後に見てみると、奇怪なストーリーときちんと符合してました。
 先に生涯を知ってから読むのもおもしろいかもしれません。

 
 

 
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