2022年10月01日
メラニー・カード(圷 香織/訳)
『落ちこぼれネクロマンサーと黒魔術の館』創元推理文庫
『落ちこぼれネクロマンサーと死せる美女』続編。
エドワード(ワード)・デアスは、先祖代々ネクロマンサーという名家に生まれた。ところがワード自身は、ネクロマンサーとして認められはしたが、ごく簡単な呪文しか使えない未熟者。医学に興味を持ち医者への道に進もうとしたものの、そちらも頓挫している。
ワードはブラウェナル公国で、死神ギルドの殺し屋シーリアを助けた。ふたりは陰謀に巻きこまれ、逃走中。ブラウェナル公国を脱出し、ガイージャを目指している。
大勢の賞金稼ぎに狙われては、有能なシーリアであっても逃げるしかない。まともな道は避け、赤山連邦の北西側に広がる森を抜けて追手から逃れること一週間。ふたりは、丘の上に屋敷を見つける。
ガイージャを目指す巡礼者のための宿だった。古い巡礼の道に置かれた宿りの地は、すっかり閉鎖されたはずだ。何世代も前に、新しく安全な道が山間に開かれている。
その屋敷は、どこかちぐはぐな印象を与えた。屋敷の人たちも、どこかおかしい。
ワードは、ヤーボン人のクィリン・デイゲンハートと間違えられる。弟子候補として来ることになっているらしい。
シーリアはその勘違いに便乗する。ワードはためらうが、いかんせん塗れぼそり、腹をすかせて疲れている。しばらく他人のふりをすることにした。
館の主は、マセリオ・サンス・ド・コルチア。
ワードはすぐに、マセリオがインネクロエストリだと気がつく。彼らはシーリアを見て、ワードのヴェスペリティだと勘違いしたのだ。
ヴェスペリティは、邪悪な蘇りの呪文によって死から呼び戻された人々だ。人の血に宿る魂魔力を糧に生きている。通常の人間よりも強く、動きも機敏で、殺すのが難しい。
ワードは死んだシーリアの魂を呼び戻しはしたが、ヴェスペリティではない。そもそも、かけようとした呪文とはいささか異なってしまい、いつまで有効かも分からないありさま。彼らも、シーリアが通常のヴェスペリティとは違うことは気がついている。
ワセリオは、多くのヴェスペリティを従えていた。
しかもワセリオは、インネクロエストリの呪術書であるハビルの死書を所有していた。その書物には黒魔術がかけられており、持ち主にはさらなる力が与えられるという。
ワードは、真っ当なネクロマンサーとしての使命感にかられる。ハビルの死書を始末するため、盗み出そうとするが……。
異世界ファンタジー。
第2巻。
前作『落ちこぼれネクロマンサーと死せる美女』の1週間後からスタート。屋敷に到着して以降はその周辺だけが舞台となりますが、閉塞感はないです。
ワードとシーリアの他、前作で登場したナザリウスもいます。
ナザリウスは、ユニオン連邦における法組織クウェイエストリの高官。一応、味方ではありますが、予言者(シアー)の密命を受けて動いてます。シアーは、ワードのことも配下と見なしていて、ナザリウスを通じてあれこれ指示してきます。
ワードがインネクロエストリの弟子になりたがっていると勘違いする屋敷の人々もそうですし、いろんな人が、いろんな勘違いをします。そのズレが、ハラハラしたり、おかしかったり、考えさせられます。
物語は決着してはいますが、シリーズはまだまだ続くようです。前作からの謎がそのまま残っていたり、今作から新たにはじまったこともあり、もう少しスッキリさせてほしい、というのが正直なところ。
2022年10月03日
カーメン・アグラ・ディーディ&ランダル・ライト/著
(バリー・モーザー/絵、山田順子/訳)
『チェシャーチーズ亭のネコ』東京創元社
スキリーは、青みがかった灰色のネコ。
片方の耳はぎざぎざに裂け、ひっかき傷は数知れず、編目のような傷跡まである。尻尾の先が鍵形に曲がっているのは、骨が折れた跡だ。何年ものあいだ、のらネコとして生きてきた証だった。
スキリーが生まれたのは、救貧院の調理用ストーブの裏。そのため、凝乳と乳清とチーズが最初の記憶となった。チーズが好きなんて、ネコとしてはあるまじきことだ。
フリートストリートには、特別なパブ、イ・オールド・チェシャーチーズ亭がある。英国一のすばらしいチーズがあることで有名だ。そのチェシャーチーズ亭が、ネズミを獲るネコを探しているという。
スキリーにその話をしたのは、フリートストリートの脅威、どらネコのピンチだった。生姜色の冷酷で凶暴なピンチは、チーズに寄ってくるネズミのことを考えている。スキリーは別のことを考えていた。
実は、スキリーはネズミが苦手。喰おうと思えばできなくもないが、それよりチーズの方がいい。そんなスキリーが、大胆で、狡猾で、無謀な計画を思いついた。
チェシャーチーズ亭に入りこんだスキリーは、パブの亭主を意識しながらネズミを捕まえる。これ見よがしに口からネズミの長い尻尾を垂らし、ゆうゆうと食堂を横切った。スキリーはネズミ獲りの名手と認められ、チェシャーチーズ亭で暮らすことが決まる。
スキリーは、階段の下でこっそりネズミを解放した。
ネズミの名はピップ。
スキリーの口の中で恐怖に震えていたピップだったが、独特の匂いに気がついてもいた。解放されたことに驚くが、なによりスキリーの好物に驚いていた。スキリーはチーズの匂いをぷんぷんさせていたのだ。
ピップはスキリーに取引を持ちかける。自分たちを安全に守ってもらえるなら、お返しとして、ネコには入れない部屋にあるチーズを持ってきてあげよう、と。
取引きは成立し、スキリーとネズミたちはいい関係を築きあげていく。そんなとき、チェシャーチーズ亭にもう一匹ネコが連れられてきた。ピンチだった。
スキリーはネズミたちに警告するが……。
児童書。
チェシャーチーズ亭は由緒ある実在のパブで、多くの文化人に愛されてきたそうです。
物語と並行して、ディケンズが登場します。ディケンズは、新しい雑誌のための小説の出だしに苦労している様子。それがなんと、秀逸な書き出しで有名な『二都物語』。
悩めるディケンズは、スキリーを観察しているうちあることに気がつきます。いつも同じネズミを捕まえている??? ディケンズは好奇心をそそられます……が、それは本筋ではなく、余興。とはいえ、ちゃんとオチがついてます。
スキリーとピップとピンチ、この顔ぶれだけでもなにかありそう。そこに、チェシャーチーズ亭の屋根裏でかくまわれているある生物が絡んできます。後年にまで語り継がれるだろう大事件まで起こります。
児童書ですけれど、一筋縄ではいかないです。児童書ゆえのやわらかい語り口や、アッサリとした雰囲気があり、読みやすくなってます。
2022年10月07日
イアン・マーキュアン(村松 潔/訳)
『恋するアダム』新潮社
1982年。
史上初の人造人間が売りに出された。初回の発売分は、アダムが12体、イヴが13体。さまざまな民族をカバーするかたちでデザインされ、86,000ポンドだった。
チャーリーはそのとき32歳。母が亡くなり実家を売りに出した金で、アダムを買った。
チャーリーは、ミュージシャンの父と村の訪問看護師の母のあいだの一人っ子だった。こども時代は文化的に貧しく、読書はもちろん、音楽のための時間や空間すらなかった。
名もない大学で人類学を学び、大学院の職業資格コースで法科に移ると、税務を専門にした。ところが、29歳にして税理士を除名処分になってしまう。刑務所行きは免れたものの、二度と定職には就けないと確信した。
以来チャーリーは、さまざまな事業に手を出してきた。何度となく成功したが、それと同じだけ失敗も経験した。2部屋の狭いアパートに暮らしながら、まとまった金が入るとアダムを買ってしまったように。
チャーリーは、上の階の住人ミランダに恋をしている。22歳のミランダは、大学で研究活動に勤しんでいる。感じのいい近所の友人として、コーヒーを飲みながら、友だちや政治やその他もろもろについておしゃべりをする仲だ。
チャーリーは、ミランダにアダムの搬入を手伝ってもらった。アダムのオンライン・ハンドブックは470ページもあり、最初の充電には16時間かかる。すぐには動かないのだ。
チャーリーは、ミランダをお礼として夕食に招待する。下心もあった。ところが、目覚めたアダムが、彼女は、意図的な悪意ある嘘つきである可能性がある、などと言う。
ミランダの来訪で、それ以上聞くことはできなかった。
アダムはインターネットと常時接続されている。世界中のあらゆるデータベースから目くるめく速度で知識を吸収し、情報を分析している。チャーリーは、アダムがミランダについてなにを知っているのか、気になって仕方ない。
ミランダとの食事は楽しかった。すべて思い通りに進んだ。あまりに自然で、チャーリーは拍子抜けがすると同時に不思議だった。ミランダはなにを考えているのだろう?
チャーリーには、ミランダの本心がまったく分からない。ふたりはどういう関係にあるのか、確信が持てない。そのうえミランダはアダムと関係を持ち、チャーリーは嫉妬に苛まされる。
アダムは、ミランダに恋をしていると言い出すが……。
歴史改変SF。
この世界のイギリスは、フォークランド紛争で敗北して動揺しています。アラン・チューリングが生存していて、さまざまな技術がオープンにされてます。
チャーリーにとってチューリングはあこがれの存在。アダムの所有者として、かろうじて接点ができます。チューリングによると、アダムとイヴたちには自殺傾向があるようです。
なお、チューリングはアダムとイヴの製作に直接は関与してません。
実は、タイトルからしても、アダムの恋愛話かと思ってました。まったく違います。
本作は、ミランダの秘密についてのミステリでもあります。最初の「意図的な悪意ある嘘つき」とは、どういう意味か。それに対して、ミランダに恋しているアダムがどういう態度をとるか。
思考実験であることを意識させられました。
2022年10月08日
レオ・ペルッツ
(垂野創一郎/訳)
『テュルリュパン ある運命の話』ちくま文庫
1642年11月11日。
その日、全フランスの貴族17,000人が虐殺されるはずだった。前触れは、何週間も前からなされていた。
しかし、なにも起こらなかった。
陰謀の発端は、リシュリュー枢機卿だ。死を目前にして、偉大な、共和国フランスを夢見た。
だが、運命がそれを望まない。運命は、テュルリュパンという名の愚か者をみずからの道具に用いた。
タンクレット・テュルリュパンは、捨て子だった。教会の石段の上に捨てられていたのは、2歳のとき。
成長したテュルリュパンは夢見がち。一房ある白髪を、誰もが見えるよう額に垂らしつづけている。どこの誰とも知れない父親が、この徴で自分を見分けるのではないかと期待していた。
テュルリュパンは、この世には善の力と悪の力があると考えていた。ゆえに神を味方につけ、その助力を確保しなければならない。そのため教会のあらゆる教えを守り、慈善を行ない、物乞いの前を通るときには必ず施しを与えてきた。
1642年11月8日
その日テュルリュパンは、心が揺れていた。本心では物乞いを憎んでいるのに、幾度となく施しをしなければならなかった。橋の欄干にもたれて坐っている義足の男で、15人目だ。すでに懐には、真新しい8スー銀貨しか残っていない。
とうとうテュルリュパンは、物乞いを素通りしてしまう。橋から遠ざかるにつれ、心がどんどん重くなっていく。もう神の助けは期待できない。
テュルリュパンは心を決め、神の怒りを鎮めようと引き返すが、すでに男は死んでいた。貴族の馬に蹴り倒されてしまったのだ。今ごろ神に、テュルリュパンの行為を報告しているかもしれない。
動揺するテュルリュパンは、明日の葬儀について耳にする。まるで天からの指示のようだった。
翌日テュルリュパンは、祭壇に捧げるための蝋燭を携え教会へと向かう。ところが、物乞いの葬儀にしては様子がおかしい。聞けば、亡くなったのは、ラ・トレモイユ家のラヴァン公ジャン・ジェデオンだという。
帰ろうとするテュルリュパンは、架台の向こうで深い悲しみに沈む婦人に気がつく。マダム・ド・ラヴァンだった。不思議なことに、こちらに向けられた眼差しは、離れようとしない。
テュルリュパンは、視線にこもる沈黙の言葉に気がつく。母だ。額の白髪の房を見分けたのだ。
翌日テュルリュパンは母に会うため、郊外にあるラヴァン公爵の屋敷へと向かうが……。
伝奇歴史小説。
1924年の作品。背景は壮大ですが、出来事としてはたった4日のコンパクトな物語です。まるで演劇を見ているような感覚でした。
テュルリュパンというのは、人名(固有名詞)ではなく普通名詞だそうです。解説によると、意味のひとつに「大道道化役者」があるとか。
本作のテュルリュパンも、そんな雰囲気です。本人はなにも知らず、単純に、ラヴァン公爵夫妻が自分の両親だと信じているだけです。周囲がテュルリュパンについて勝手に解釈し、テュルリュパンがそれに応じることで物語が動いていきます。
そんな状態で、リシュリュー枢機卿の陰謀がどうやって食い止められたのか。中篇よりちょっと長いだけのコンパクトさの中に、要素がギュギュっと詰まってました。
2022年10月10日
ジョゼ・サラマーゴ
(雨沢 泰/訳)
『だれも死なない日』河出書房新社
その日、人はだれも死ななかった。
人が死ぬような状況はあった。交通事故により入り組んだ車の残骸から悲惨な人体が引っぱりだされ、まさしく十二分に息絶えたはずの人体は、死んでいなかった。致命的な墜落でも死ななかった。まぎれもない医学的証拠を前にした無力な人も、誰も死ななかった。
1月1日の午前零時以降、誰も死んでいない。
この国の人口は1000万人。海はなく、三か国に囲まれている。この国だけだ。死(モルト)が活動を停止したのは。国境の外側では、人が当たり前に死につづけている。
この国の人々は、比類なる脅威の人生を祝福した。もはや、日常の恐怖である死の女神(パルカ)のキーキー鳴る大バサミを恐れなくていい。死神(タナトス)の長い影から遠く離れ、歓喜に酔いしれてもいい。
悲観主義者も懐疑主義者も、反応は同じ。街に出て、いまや人生はほんとうに素晴らしいと大声でたたえる市民の巨大な潮流に身を投じていた。
しかし、ほどなく嘆きの壁にぶつかった。
葬儀社が成り立たなくなったのは言うまでもない。人が死なないために、生と死の循環が止まってしまった。病院や老人ホームで停滞が起こったのだ。
何人かが入ってきては、何人かが出ていく。その流れが滞り、来る日も来る日も人は生き続ける。依然として嘆かわしい状態のまま、生き続ける。
国境に近い田舎の村では、老人が、家族に最後の頼みごとをした。今のままでは、命はあるが死んでいるのと変わりない。その状況から抜け出るには、国境を越えるしかない。
家族は悲嘆にくれながらも希望を聞き入れるが……。
1998年にノーベル文学賞を受賞したサラマーゴの、2005年の物語。そのとき83歳。
とにかく文体が独特。〈意識の流れ〉系のように、セリフもすべて地文に組み込まれてます。ただ〈意識の流れ〉系とは違い、誰かの主観で語られているわけではないです。
前半は、だれも死ななくなった国に関する思考実験。
こんなことが起こるのではないか、そういったことが書き連ねてあります。葬儀社はどうするか、保険会社は、病院は、宗教は、犯罪組織は。
途中から〈モルト〉の物語になります。
モルトは擬人化されていて、人にのみ影響力を持ちます。思いつきで活動を停止したり、再開したり、ひねってみたりします。
あるときモルトは、死ぬ運命にあった人物が死んでいないことに気がつきます。前代未聞の不祥事に、モルトはどうしたか?
国全体の出来事からモルトを焦点にした物語への転換はスムーズでした。それだけに、気がついたらモルトの話になっていることに戸惑いました。今までの思考実験はなんだったのか、と。
好みの問題でしょうけど。
2022年10月13日
フィン・ベル(安達眞弓/訳)
『死んだレモン』創元推理文庫
6月4日
フィン・ベルは死を目前にしていた。
8メートル下で波が逆巻く。頭を下にして、今にも崖から落ちそうになっていた。生きているのは、片脚が車いすごと巨石の間にはまっているからにすぎない。
ゾイル家の犯罪の証拠を見つけたとき、フィンもまた、ダレル・ゾイルに見つかった。事故で下半身の自由を失っているため、走って逃げることはできない。ダレルに痛めつけられ、海沿いの岩場まで運ばれた。
ダレルはきっと、事故か自殺を装うとしたのだろう。丘の頂上で揉みあった末、先に落ちたのはダレルだった。
そもそものはじまりは、5ヶ月前。
フィンは、精神に問題を抱え、離婚し、運転を誤って腰から下の感覚を失っていた。それまでの生活をリセットしようとしたフィンが選んだのが、リヴァトンだった。ニュージーランド南島の南端にある小さな港町だ。
フィンが買ったコテージは、さらに南の人里離れた海沿いにある。隣のゾイル家も遠く、孤立しているところが気に入った。
コテージに人なれした猫がやってきたことをきっかけに、フィンはコテージの歴史を調べはじめる。
1988年。
12歳のアリス・コッターが行方不明になった。6週間後、子どもの恥骨が発見される。見つかったのは、コテージのフェンスと、ゾイル家の農場沿いのフェンスの間にある空き地だった。
恥骨を調べてみると、付着していた組織が子宮の一部だと分かった。内部からは豚の精液が検出されている。しかも、恥骨と組織は存命中にはぎ取られていた。アリスは、6週間は生存していたのだ。
当時、ダレル家が疑われ、徹底的に調べられた。だが、証拠が見つからない。1年がたったころ、アリスの父ジェイムズも行方不明になった。
アリスの失踪から26年。どちらの事件も、まだ解決していない。
ダレル三兄弟に会ったフィンは、ただならぬ違和感に襲われる。彼らは、心がざわつく妙な空気を漂わせていた。
ダレル家の歴史は、リヴァトンよりも古い。町ができる前からそこにいた。マオリの土地を返せと動いた部族もいたが、古老からストップがかかったという。
フィンは事件について、さらに調べようとする。誰もがダレル家とはかかわり合いになるなというが……。
ミステリ。
物語は、6月4日を起点に、フィンの視点で過去を挟み込むという手法で展開していきます。
著者名と主人公が同姓同名ですが、主人公が本書を執筆した、というような設定ではないです。主人公の出自が作者と重なるところがある、ということはあります。
引っ越し直後のフィンは、町に知り合いがひとりもいない状態。そこから、町で唯一のセラピストであるベティ・クロウから呼びだされ、ベティと縁続の美容室オーナー・パトリシアと知り合いになり、さらにパトリシアから、マーダーボール競技者のタイ・ランギを紹介されます。
マーダーボールは、車いす競技。車いすラグビーの原型で、かなり過激。フィンを前向きにさせてくれます。なお、タイはマオリ族。フィンの友人になります。
あらゆる人が繋がっているのが、いかにも小さな町といった雰囲気。大きな町でやったら御都合主義ですけど、まったく違和感ないです。そんな小さな町でのゾイル家の存在感ときたら……。
作者は法心理学の専門家ということもあり、心理について語られることが多いです。語りすぎだと思わせるくらい。必要な語りではあるのですが。
タイトルは、ベティ・クロウの、人生の落伍者 (デッドレモンズ)という言葉から。フィンは、自分が人生の落伍者なのか、考えつづけます。
ミステリなので、できれば前情報なしに読みたいところ。
《魔法の国ザンス》シリーズ第1巻。
ザンスは魔法の国。魔法のシールドによって守られ、魔法によって支配されている。
ザンスの者は、25回目の誕生日を迎えたあと、なんらかの魔法の力を発揮してみせないかぎり、誰ひとりとしてこの地にとどまることはできない。
ビンクは北の村の青年。まもなく25歳の誕生日を迎える。ビンクには悩みがあった。
ザンスで生まれた者は、誰もが魔法の力を持っている。人間だけでなく、動物や、植物、岩でさえも。にもかかわらず、ビンクはなにも持っていない。ビンクは不適格者だったのだ。
ビンクは婚約者のサブリナに促され、ハンフリーの城を尋ねる決心をする。
ハンフリーはよき魔法使い。百のまじないを知っている。ハンフリーなら、ビンクにどんな力があるのか、教えてくれるだろう。きっと、奥深くに眠っているだけだろうから。
ビンクはひとりで旅立った。
ハンフリーは荒野の孤立を好む。定期的に、城を移動させるか、城への道を変えてしまう。そのため、誰も城をみつけられなくなる。ビンクが頼りにするのは地図だけ。
苦難の旅の末、ビンクはハンフリーの城にたどりつく。ところが、ハンフリーにもビンクの力はわからないという。わかったのは、魔法の力がある、ということだけ。
村に帰ったビンクは、ハンフリーの書きつけを携えていた。ビンクにはまだ定義されていない魔法の力がある、と保証してくれたものだ。
ビンクは書きつけを王に渡すが、問題があった。
王は、かつては嵐を起こす一流の魔法使いだった。今日では力を失いつつあり、さまざまな厄介ごとが続出している。秩序を保ちたいと思っているのは間違いないが、年老いて、引退する分別を失ってしまった。
王になれるのは偉大な魔法使いだけ。誰もが魔法の力を持ってはいるが、偉大な魔法使いとなると、そうそういない。資格があるのは、追放された邪悪な魔法使いトレントと、ハンフリーくらいのものだ。
王は、ハンフリーのことをよく思っていない。そのため、ハンフリーの書きつけを無視した。ビンクが旅から持ち帰った魔法の水も捨ててしまう。
ビンクは、ザンスから追放されてしまうが……。
英国幻想文学賞受賞。
9年ぶりの再読。
ビンクは考える人です。疑問を呈して、ああでもない、こうでもないとひねくり回します。半ばでザンスから追放されますが、その前もその後も、いろいろあります。
シリーズ21巻で、ビンクの魔法の正体も、本作で脇役だった人たちや子孫のことも、いろいろと知っている状態で読み返しました。感慨深いです。すべては本作からはじまったのだな、と。長期シリーズの醍醐味ですね。
2022年10月18日
ヨアンナ・ルドニャンスカ(田村和子/訳)
『竜の年』未知谷
シルヴィヤは、祖母から、見た目のことで何度となく小言を聞かされてきた。家系の裏切り者だと。うちの家系の娘たちはみんな長い金髪をお下げにし、その美しい髪をめぐって決闘が起こったものだ、と。
祖母は背が高く、ほっそりとしていて、髪は輝くばかりに美しい灰色がかったブロンド。一方のシルヴィヤは、黒くて短い縮れ毛をしていて、眼鏡の上には太くて黒い眉。とても決闘は起こりそうにない。
シルヴィヤは父に似ていた。父は弁護士で、もじゃもじゃの黒い髪に黒い眉のがっしりと大柄な体格。家では無口だが、家族の中で歌う才能があるのは、父とシルヴィヤだけ。
世間では、竜のことが話題になっている。
実際に見たという人たちが、テレビで話をし、新聞にも取り上げられた。コメントは冗談半分。ところが、竜が現われたその場所で人が跡形もなく消え出して、冗談ではすまなくなってくる。
人々は恐怖に震えた。よろい戸をおろし、格子扉を閉め、外出禁止令が出たように夜ごと家に閉じこもる。そんな日々が続いて日常茶飯事になっていく。相手が竜では何の手立てもなく、どのみちなるようにしかならない。
シルヴィヤの14歳の誕生日。
父が帰ってこなかった。母は、出張で2日間出かけたのだという。シルヴィヤには信じられない。朝は、まったくいつも通りだった。
シルヴィヤはそっと家を抜け出す。すでに日は暮れ、人通りはない。近所にある劇場の、まるで門のように大きい二重扉の入口が少し開いていた。中では明かりが波打つように点滅している。
娯楽劇場は、まだ完成しないうちから倒壊の危険が取りざたされ、放棄された。誰もいるはずがなかった。
シルヴィヤが劇場をのぞくと、 舞台で竜が躍っていた。しかも陽気に歌っている。シルヴィヤは、父が歌っていた歌と同じだと気がつく。
翌日シルヴィヤは、ふたりの人間が跡形もなく消えたことを知った。父が、恐ろしい魔法のせいで、残忍な竜に変身していることを知った。
シルヴィヤの母方の家系は、魔女だ。ちょっとした魔力が、一世代おきに受け継がれている。
シルヴィヤは父の魔法を解こうと奮闘するが……。
児童書。
シルヴィヤの一人称で語られますが、ですます調のため、作文のような雰囲気でした。なかなか読むのが厳しかったです。
作者のルドニャンスカは、ポーランドの人です。
原書の発表は、1991年。ポーランドで非共産党政権が成立したのは、1989年。東西冷戦の終結は、同年12月。ポーランドからロシア連邦軍が全面撤退したのは1993年になってから。
そういう時期に発表された物語です。
シルヴィヤがいるのは東欧の国なんだな、と思わせる雰囲気があります。竜が三つ首なのは、あちらでは当たり前なのか。
実は、祖母のクリスティンカは、運命に翻弄されて壊れてしまってます。魔女の家系だと教えてくれたのは、おばのアグニェシュカ。おばはカナダで暮らしており、手紙でやりとりしてます。(郵便局の職員に読まれるかも、なんてサラリと書いてある)
ふだん接しない文化圏だけに、物語そのものよりも背景が興味深いです。
《リンカーン・ライム》シリーズ、第11作
リンカーン・ライムは、犯罪学者。鑑識について高度な専門知識を有し、科学捜査の専門家としてニューヨーク市警に協力している。事故により四肢麻痺という障害を抱えるに至ったが、明晰な頭脳は健在。障害者だからと気を遣われることを何よりも嫌っている。
ライムも逮捕に貢献したリチャード・ローガンこと〈ウォッチメイカー〉が、刑務所で死んだ。心臓発作だった。
〈ウォッチメイカー〉について分かっていることは少ない。確かなのは、カリフォルニアに何らかのつながりがあるらしいことだけ。共犯者の情報もなく、納得いくまで探る機会は失われた。
ライムは〈ウォッチメイカー〉の葬儀に、知人や仲間が現われることに期待するが……。
時を同じくして、ライムに待望の仕事が舞い込む。
マンハッタン地下のトンネルで、他殺体が発見された。マンハッタンのソーホー地区には、工場から工場へ物資を運ぶことを目的に作られた地下通路が広がっている。使われなくなって久しいが、迷路のようなトンネルはそのままだ。
被害者は地下の倉庫に下りたところで、点検口から侵入した犯人に捕えられた。そして、トンネルに連れこまれて殺害された。
この事件が特異なのは、被害者の腹部にタトゥーが彫られていたことだ。カリグラフィーのように美しく〈the second〉という文字がはっきり分かる。インクの代わりに毒物が使われ、タトゥーが被害者を死に至らしめた。
専門家によると、下絵を描かずに、いきなりタトゥーマシンのスイッチを入れて輪郭を描いたのだろうという。書体のオールドイングリッシュは、最近のニューヨークではめったに使われない。地方の田舎町出身の可能性が高い。
現場の徹底的な捜索が行なわれるが、残されていたものはあまりなかった。指紋もなく、犯人は、髪の毛一本にまで気をつかっていたようだ。
ライムのチームは、数少ない遺留物である、くしゃくしゃになった紙片に注目する。おそらく犯人のポケットに入っていて、被害者ともみあったときに破り取れたのだろう。
捜査の結果、紙片の文字から『シリアル・シティーズ』の一部だと分かる。アメリカで有名な殺人者たちに関する本だ。しかも、ライムが関わった〈ボーン・コレクター〉について書かれた章だった。
ライムは、数少ない証拠をもとに、次なる犯行を予想するが……。
犯罪小説。
シリーズ第一作『ボーン・コレクター』がクローズアップされてます。なぜ犯人は〈ボーン・コレクター〉の章を持っていたのか。
かなりうろ覚えでしたが、それは登場人物たちにとっても同じ。あのとき少女だったパムが、19歳になって再登場します。作中でも時間が経過しているんですね。当たり前ですけど。
犯人の、ビリー・ヘイヴンの視点からも語られます。
今作も、二転三転あります。これから読む人のことを思うと、いろいろ書けないのがもどかしい。
2022年10月30日
マイクル・イネス(桐藤ゆき子/訳)
『ある詩人への挽歌』現代教養文庫
ラナルド・ガスリーが死んだ。
エルカニー城の塔から転落して死んだ。
ガスリー家がエルカニーに居をかまえたのは、16世紀の宗教改革よりも昔のこと。17世紀末に没落し、城は見捨てられたも同然となったものの、借金と同様にプライドが高く、手放すことはなかった。そこから財産を作り、城の修繕はおろそかにしながらも、城主たちは結構、よい暮らしをするようになった。
ガスリー家は逸話に事欠かない。勇猛さは輝きを放ち、反逆すればけばけばしい色彩を持つ。誕生は影さす状況で発生し、その死は暴力か狂気か、あり得ないような状況下で行なわれる。
一族には、他人の目をひき、叫び声を上げさせたり、こそこそ内緒話が起こるような雰囲気を持っていた。今度の事件も同じだ。前代未聞の出来事は、最初から最後まで、悪魔の仕業としかいいようがない。
ラナルド・ガスリーが城主になったのは、1894年。
兄である当主が亡くなり、オーストラリアから帰国した。それから、召使いたちを追い払い、部屋の大部分を使えなくした。鍵をかけたり、鍵のない場所は自分自身で釘を打ったのだ。
ラナルドは、とにかくけち。お金は一銭も使わず、誰にも会わず、教会にも行かない。広大な土地を所有しながら、根性が汚く、粗野な男として知られるようになった。
ラナルドは、科学のある分野では学識ある男として知られている。詩人でもあった。だが、キンケイグの村人にとっては、気が狂う寸前の男だった。
ラナルドは最近になって、農場管理人を解雇した。ただひとりの小間使いも城を去り、残っている使用人は、差配人の老夫婦と下働きだけ。それと、城にはクリスティン・メイザースがいた。
クリスティンは、ガスリーの母親の弟の子。ほとんど村にはおりてこず、学校にも教会にも行かない。村人たちは、ラナルドの隠し子ではないかと噂していた。
クリスティンはニール・リンゼイと恋に落ちるが、ラナルドはふたりの結婚を大反対。リンゼイ家は、かつては男爵だった名家。没落してすべてを失い、今では貧しい小作人に過ぎない。なにより両家には確執があった。
ところが、突然ラナルドが折れた。結婚式はなし、結婚の告知もなし、ただ、リンゼイとともに行っていいと、クリスティンに言った。金をやるから、カナダに行けばいい、と。
ニールがクリスティンを迎えに行った約束の日、ラナルドは転落死した。ニールが疑われるが……。
1938年発表のミステリ。
舞台はスコットランド。
タイトルは、ラナルドが口ずさんでいた、ウィリアム・ダンバー『詩人たちへの挽歌(ラメント)』から。自分が死ぬと分かっていたときの詩だそうです。
何人かの書き手が順繰りに事件を語っていくスタイル。
最初のイーワン・ベルは、キンケイグ村の靴作りです。教会の長老でもある良識派。親族がクリスティンの乳母で、クリスティンと交流があります。
二番手は、ノエル・ギルビー。大雪のために道を誤って、エルカニーにたどり着いた通りすがり。転落事故に遭遇します。まっさらな視点を提供してくれます。
本作で探偵役になるのは、三番手の書き手であるエディンバラの弁護士ウェダーバーン。
事件の解明は二転三転。
その都度、ベルが語っていたのはこのことか! と気がつく楽しい読書になりました。そうなるためには事前の情報が必要で、序盤の情報量の多さに挫折してしまう人もいるようです。
ところで、登場人物一覧表は見ない方がいいと思います。ネタバレになっているので。予測は可能ですが、知らずに読んだ方がおもしろかっただろうに、と。
もしかすると、新訳版では改良されているかもしれませんが。