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このページの本たち
第四の書』フランソワ・ラブレー
第五の書』フランソワ・ラブレー
ウォーターダンサー』タナハシ・コーツ
文学刑事サーズデイ・ネクスト3』ジャスパー・フォード
ブッチャー・ボーイ』パトリック・マッケイブ
 
ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー
舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ
逃亡テレメトリー』マーサ・ウェルズ
ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫(訳)
ファニーフィンガーズ』R・A・ラファティ

 
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2022年07月20日
フランソワ・ラブレー(宮下志朗/訳)
『第四の書』ちくま文庫

ガルガンチュアとパンタグリュエル》第四巻
 6月のウェスタ女神の祭日。
 パンタグリュエルは、息子の旅の無事を祈るよきガルガンチュア王に別れの挨拶をすると、サン=マロに近いタラッスの港から船出した。目指すは、聖バクブックの神託所。仲間のひとりが提起した難問について〈酒びんのお告げ〉を授かろうというのだ。
 聖バクブックの神託所は、北方インドはカタイの近くにある。船旅は長期にわたると思われた。世界を見聞し、さまざまなことを学ぶ機会もあるだろう。
 船の総数は12隻におよび、また護衛の軍船なども同数あった。パンタグリュエルは司令官として、旗艦タラメージュ号に乗船している。パニュルジュや、昔からの従僕や奉公人のほか、危険な海路陸路を踏破してきた大旅行家クセノマーヌも同行していた。
 出航して5日目。一行は赤道地帯から遠ざかり、北極を迂回し始める。そんなころに商船と遭遇した。サントンジュ地方のフランス人で、ランテルノワ国から帰るところだという。
 パンタグリュエルは、ランテルノワ国の状況や国民の風俗習慣について尋ねる。
 そのころパニュルジュは、ダンドノーという商人と口論になってしまうが……。

 島をめぐっていく海洋冒険もの。
 全五巻シリーズの第四巻。 
 1548年に中途半端な形で出版されたのち、1552年に完全版として再刊行。正式タイトルは『第四の書。よきパンタグリュエルの英雄的な言行録』。
 この巻には、訳者による大量の訳注に加えて、ラブレーによる「難句略解」なる、難解な言葉づかいの説明が巻末にまとめられてます。
 もともと司祭だった時期もあったラブレーですが、今作はこれまでより、キリスト教の雰囲気が強いです。ただし、信仰万歳系ではないです。
 ちょうど英国国教会が独立した時期で、フランス国教会もローマ教皇庁と対立し、諍いが激化していたそうです。ラブレーは王権派で、教皇庁へは不満たらたら。あてこすってます。

 読み飛ばしてしまったのか、〈酒びんのお告げ〉でなにを知ろうとしてるのか、書かれてません。セリフの端でほのめかされている程度。
 そもそもの発端は、前作『第三の書』で延々と展開されたパニュルジュの結婚相談です。ただ単に、結婚するべきか否か、納得できるお告げを聞きにいく、というだけです。
 すでに大航海時代に入っているとはいえ海の情報は少なかったのか、特定の海域をモデルにしたわけではないようです。北方インドすら、インドの北ではないらしいのです。
 そのときどきのエピソードを、それぞれに楽しむべきなんでしょうね。


 
 
 
 
2022年07月22日
フランソワ・ラブレー(宮下志朗/訳)
『第五の書』ちくま文庫

ガルガンチュアとパンタグリュエル》第五巻
 (「お腹パンク島」「パンタグリュエルの滑稽な夢」収録)
 パンタグリュエルの一行は、バクブックの神託所を訪ねて船旅を続けていた。仲間のひとりが提起した難問について〈酒びんのお告げ〉を授かろうというのだ。
 船が〈鐘の鳴る島〉に近づいていくと、騒々しい音がひっきりなしに聞こえてくるようになった。島の住民たちの疲れを知らぬ歌声も聞こえてくる。パンタグリュエルは上陸し、アエディトゥス先生に島の事情を尋ねた。
 この島に最初に住んでいたのは、シティシーヌ族だったという。万物は変化するものであって、自然の摂理により、彼らは鳥類になってしまった。
 島には、学僧鳥や、修道士鳥、司祭鳥、女司教鳥、枢機卿鳥、教皇鳥、さまざまな鳥がいる。どれも大きくて、美しく、礼儀も正しいが、人間みたいな行動をする。鳥たちは、俗世間にも、浮き世にも属していない。
 教皇鳥だけは、一羽しかいなかった。アラビアの不死鳥さながらに、唯一の個体で構成され、それが永続的に継承されていく。
 それは始原より定められたこと。全世界に太陽がひとつしかないのと同じ。星辰により決定された避けがたい運命なのだという。
 〈鐘の鳴る島〉への訪問を終え、一行はふたたび海に乗り出す。〈金物島〉へ、〈カサード島〉へ、〈ウートル島〉へ……。
 順調な航海は続かず、海上で災難に遭遇して座礁してしまうが……。

 島をめぐっていく海洋冒険もの。
 全五巻シリーズの最終巻。
 正式タイトルは『第五番目にして、最終の書。よきパンタグリュエルの英雄的な言行録』。
 ラブレー死後の1564年に出版されたため、真偽問題がつきまとってます。有力視されているのは、ラブレーが残したふたつの草稿を使って別人が加工・編集した、という灰色説。
 読んでみると、少々、文章レベルが低いことは分かります。とりわけ鼻につくのが、いきなり登場する「わたし」です。
 これまでにも、地文に突然「わたし」がでてくることはありました。傍観者の立場としての「わたし」なので許容範囲でしたが、本作では、物語に堂々と介入します。「わたし」って誰だよ状態。

 船旅のそもそもの発端は、前々作『第三の書』で延々と展開されたパニュルジュの結婚相談です。『第四の書』では尻切れとんぼ的に終わりましたが、今作で、ついに目的地にたどりつきます。
 ほとんど義務感から読みました。

「お腹パンク島」
 正式タイトルは「「お腹パンク島」と神秘的に解釈されているところの、いとも甘口ワイン生産的にして、いともがつがつ食べ物満載的なる、パニゴン王国のおなじみの描写」。
 パニゴン人の国の紹介文。
 王国は、さながら桃源郷。働かなくても、大いなる恵みをもたらしてくれる。いつの時代も、働くのに飽きた連中、暇な連中、食いしん坊たちが憬れ、パニゴン王国を捜し求めている。
 そのために苦労するなんてうんざりする人もいるでしょうけど。

「パンタグリュエルの滑稽な夢」
 脅威の存在パンタグリュエルの滑稽な夢の数々、という設定の人物図像集。妖怪というか怪物というか、異様な姿の人たちが、モノクロ線画で描かれてます。
 なんでもこれらの絵は、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルへと受け継がれていってるんだそうな。
 よく分からないなりに、本書で一番おもしろい。


 
 
 
 

2022年07月24日
タナハシ・コーツ(上岡伸雄/訳)
『ウォーターダンサー』新潮クレスト・ブックス

 19世紀中盤。
 ハイラムは記憶力が抜群で、あらゆることを覚えていられる子供だった。ところが、母のことだけは思いだせない。母はハイラムが9歳のときに逃げだして捕まり、父によって売られてしまった。母のことで知っているのは、すべて人から聞いたことだ。
 ハイラムの父は、ハウエル・ウォーカー。広大なロックレスの主人。山を切り開いた何千エーカーもの土地を所有している。それと、ハイラムのような黒人奴隷たちを。
 ハイラムが父の目にとまったのは、12歳のとき。屋敷に上がって教育を受け、自分は特別だと錯覚した。いずれ能力を示せる地位に就けるのではないか、と。
 教育は1年で終わった。それ以来、兄でもあるメイナードの面倒を見る仕事に従事している。阿呆で、がさつで、馬鹿なメイナードは、問題ばかり起こす。
 現在ハイラムは19歳。
 メイナードを乗せて軽装馬車を走らせているとき、踊る女を見た。母だ。間違いない。幽霊のような青色につつまれ、橋の上で手拍子をしながら踊っている。
 メイナードは気がついていない。馬でさえも、そこに人がいることに気がついていない。
 突如として沈黙が訪れた。車輪の下の道路が消えて橋全体が見えなくなり、ハイラムは失われた者たちの思い出を見出す。
 すぐに、川の水の冷たさに襲われた。氷のように肌を刺す水が、体内にどんどん入ってくる。急流に引っ張られてしまう。
 メイナードが助けろと叫んでいる。ハイラムは、何度となくメイナードを助けてきた。しかし、自分を救うだけの力も奮い起こせないときに、それは無理というものだ。
 幸い、ハイラムは助かった。川岸で、コリーン・クインに仕えているホーキングが見つけたのだという。
 コリーンはメイナードの許嫁。亡き両親の遺産を相続して裕福だが、男性中心社会のため切実に夫を必要としている。メイナードの足りないところを補う賢いパートナーとして、両家の利害が一致していたのだ。
 コリーンは喪服に身をつつみ、父を慰めにくる。ハイラムも呼ばれて、事故の様子を聞かれた。
 ハイラムの話を聞いているコリーンは、なにか考えているようだった。コリーンは、ハイラムの能力を知っているはずだ。死別と服喪のしるしとして譲ってくれるように、頼むつもりなのだろう。
 ここから逃げなければならない。
 ハイラムは、黒人の秘密組織〈地下鉄道〉とつながっているというジョージー・パークスに相談するが……。

 アメリカの奴隷制もの。
 ロックレスのあるヴァージニアは、かつては豊かな大地だったのに搾り取られてスッカスカになってます。農園の生産量は右肩下がり。上流の白人たちは、奴隷を売ることで贅沢な暮らしを維持してます。
 物語の鍵となるのが、ハイラムの秘めた能力〈導引〉です。
 〈導引〉とはなんなのか。母の記憶がないのはなぜか。踊る母の幻想はどういう意味があるのか。なぜハイラムだけが川で助かったのか。
 ハイラムは〈導引〉を知り、使いこなそうと試行錯誤します。
 逃亡奴隷たちを北部の自由州へと送り届ける〈地下鉄道〉は、実際にあった組織です。ハリエット・タブマンが、名前もそのままに登場します。救出100%の成功率で〈モーゼ〉と尊称されていたのは史実で、本書では、成功理由として〈導引〉能力を付加してます。

 超常能力である〈導引〉が、幻想的で美しいです。奴隷制は醜く恐ろしいもの。〈導引〉のファンタジックな要素が、現実の過酷さをいくぶん和らげているようでした。 


 
 
 
 
2022年08月01日
ジャスパー・フォード(田村源二/訳)
『文学刑事サーズデイ・ネクスト3 だれがゴドーを殺したの?』
上下巻/ソニー・マガジンズ

 1985年。
 サーズデイ・ネクストは、特別捜査機関スペックオプス(SO)文学刑事局(リテラテックス)の捜査官。
 冷酷きわまりない犯罪者アシュロン・ヘイディーズを倒したことで、妹のエイオーニスの恨みを買ってしまう。エイオーニスはメモノモーフ。人の記憶を変えることができるという。
 サーズデイは、イギリスを事実上支配しているゴライアス社にも狙われ、〈本の世界(ブックワールド)〉に逃げこんだ。
 夫のランデンはゴライアス社によって根絶されたまま。存在を抹消され、ランデンのことを覚えているのはサーズデイしかいない。敵前逃亡は、ふたりの子供を出産するまでの一時的な撤退だと考えている。
 サーズデイを助けたのは、ディケンズ『大いなる遺産』に登場するミス・ハヴィシャムだった。サーズデイは、保安機関〈ジュリスフィクション〉の仕事を手伝うという交換条件のもとに〈ブックワールド〉で暮らすことを許可される。
 もともと〈ブックワールド〉には、キャラクター交換プログラムがあった。自分の役に退屈して不満をつのらせる作中人物は少なくない。そこで、役の交換による気分転換でストレス解消をしようというのだ。
 サーズデイは、『カヴァーシャム・ハイツ』という犯罪スリラーで、巡査部長メアリー・ジョーンズを演じることにした。
 『カヴァーシャム・ハイツ』は、あらゆる文学作品が創造される〈ロスト・プロットの泉〉のなかの一冊。ジャンル委員会・書籍監査部の報告書によっては、廃棄命令がいつ下ってもおかしくない。そうなれば、単語に分解されて〈テキスト海(シー)〉に投げこまれてしまう。
 不安定な状況に陥って10年。主人公ジャック・スプラット警部補は、この小説をもっと面白くしようと頑張っている。だが、ジャンルを超えた改造を申請するものの、叶えられていない。
 サーズデイは、外界人(アウトランダー)として意見を求められる。まずは自身を変えてみてはどうかと提案すると、ジャックは家族との関係を変えはじめる。
 サーズデイにも変化が訪れていた。自身の記憶を元にしたランデンの夢を楽しみにしていたが、エイオーニスが心のなかに巣くっていたのだ。エイオーニスに苛まされ足掻くが、徐々にランデンの記憶が薄らいでいく。
 サーズデイは、手助けにきてくれた祖母の助言を受け、エイオーニスに挑むが……。

 歴史改変SF。
 『文学刑事サーズデイ・ネクスト1』『文学刑事サーズデイ・ネクスト2』に続くシリーズ第3巻。これまでのあらすじはついてます。ただ、こまかいエピソードの積み重ねから構成されているため、あらすじでは網羅しきれてません。前作までを読んでいることが大前提。
 シリーズはまだまだ続く…らしいのですが、翻訳されているのはここまで。分かりやすいストーリーラインがないため、読みにくいと感じる人が多いのかもしれません。
 とにかく、いろんなことが起こるんです。そのゴチャゴチャしたところが楽しみのひとつ。

 今作は、〈ブックワールド〉に導入されようとしている〈ウルトラワード〉に絡んだエピソードがメイン。
 そのほかに、『カヴァーシャム・ハイツ』解体危機とエイオーニスとの戦いがあり、サーズデイが同居するふたりのジェネリック(これから書かれる本の登場人物となるべく創られた無個性キャラクター)の成長があり、〈ジュリスフィクション〉での仕事があります。
 サブタイサルから、ゴドー殺人事件を想定して読むと違うかな、と。嘘ではないですが。


 
 
 
 

2022年08月05日
パトリック・マッケイブ(矢口 誠/訳)
『ブッチャー・ボーイ』図書刊行会

 フランシス(フランシー)・ブレイディーは、ロンドンの私立学校から転校してきたフィリップ・ニュージェントが気になっている。
 フィリップは、コミックブックをたくさん持っていた。一度も見たことがないものまである。どれもこれも皺ひとつついておらず、ページの隅が折れたりもしていない。
 親友のジョーゼフ(ジョー)・パーセルが、なんとかしてあのコミックを手に入れようといいだした。そこでしたのが、コミックの取り替えっこ。クズ同然のコミックでもって、すっかり巻きあげた。
 ほんの冗談のつもり。いってくれれば返しただろうに。ところが、フィリップの母親のミセス・ニュージェントには通じなかったようだ。
 ミセス・ニュージェントは、フランシーの母アニーを激しく責め立てる。父バーナード(ベニー)のこともまくし立てる。朝から晩までパブにいりびたって家に帰ってこない。ブタのほうがよっぽどまし!
 ミセス・ニュージェントによると、フランシーの家族はブタらしい。ミセス・ニュージェントはいつも笑顔を浮かべ、道で会えば挨拶する。ところが心の中では、おまえたちはブタだと思っていたのだ。
 それからまもなくして、アニーは修理工場に連れていかれてしまう。本当は気狂い病院であることは、フランシーも知っている。認めたくなかったのだ。
 クリスマスを前に家に帰ってきたアニーは、〈肉屋の小僧(ブッチャー・ボーイ)〉というレコードを買ってきて、上機嫌に口ずさんでいる。動きまくってはとてつもない早口でしゃべりつづける。
 フランシーは、クリスマスのパーティを楽しみにしていた。尊敬しているアンディ(アロ)おじさんが来てくれるからだ。
 ところが、パーティの終わりに、ベニーとアロは大ゲンカ。ベニーが、アロの本当の姿を暴露してしまう。
 ショックを受けたフランシーは、家出した。ダブリンまで歩きつづけ、金を盗み、アニーのことを思いだし、プレゼントを買って帰ってきた。そして、アニーが、修理工場の近くにある湖の底で見つかっていたことを知った。
 フランシーは、ニュージェント家にまとわりつきはじめる。留守中に侵入し、やりたい放題。部屋で脱糞したところを捕まり、更生のために修道院に送られてしまうが……。

 モノローグもの。
 舞台は1962年のアイルランド。
 事件が起きてから30年ほど後のフランシーが回想している設定です。ただ、思考は当時の幼いまま。現在進行形のように展開していきます。

 解説によると〈意識の流れ〉というそうで。会話相手の発言もすべて、フランシーの思考を通して語られます。こう思ったけどいわなかった、という独白もあれば、妄想のような(実際に起こったことではない)発言もあり。
 句読点は省略がちですが、ひらがなと漢字の境目が句読点の役割を果たしていることもあり、それほど読みにくさは感じません。途中までは。フランシーの思考がどんどん乱れていくので、それに伴い、読みにくくなっていきます。
 その変化が見事としか言いようがないです。
 なお、ふつうに読めるのは〈意識の流れ〉小説を読んだ経験がそれなりにあるためです。はじめての人は最初から読みにくいだろうな、とは思います。


 
 
 
 
2022年08月10日
ジェフリー・ディーヴァー (池田真紀子/訳)
『ゴースト・スナイパー』文藝春秋

 《リンカーン・ライム》シリーズ、第10作
 リンカーン・ライムは、犯罪学者。鑑識について高度な専門知識を有し、科学捜査の専門家としてニューヨーク市警に協力している。事故により四肢麻痺という障害を抱えるに至ったが、明晰な頭脳は健在。障害者だからと気を遣われることを何よりも嫌っている。
 5月9日。
 バハマの高級リゾートホテルで、アメリカ市民ロバート・モレノが射殺された。モレノは、麻薬取引に批判的な立場を取っている。
 バハマ警察は、麻薬カルテルによる暗殺だと考えた。なにより、バハマはアメリカ人観光客に依存している。アメリカを刺激することなく事件を終わらせようとしていた。
 5月15日。
 ライムのタウンハウスを、ナンス・ローレル地方検事補が訪れた。極秘捜査のため、組織とつながりのないライムに協力を依頼したいという。
 ローレルの説明によると、バハマで発生したモレノの死は、国家諜報運用局(NIOS)による暗殺なのだという。
 NIOSの長官シュリーヴ・メツガーは、モレノが爆弾テロを企てているという証拠をもとに命令を出した。しかし、その証拠は、都合良く切り取られたものだったのだ。
 モレノはアメリカ人でありながらアメリカを憎み、アメリカや21世紀の帝国主義を手厳しく批判していた。ラテンアメリカの先住民や貧困層を支援する運動を展開する一方で、真実のメッセンジャーを自称し、一部のテロ組織に関して好意的な発言もしている。
 暗殺を命じたメツガーは、超のつくタカ派。国家の安全を脅かす人物はすべて排除しなくてはならないと思いこんでいる。暗殺指令の根拠となった情報を、個人的な目的のために操作した疑いがあった。
 内部告発により事件を知った検事局は、モレノ殺害共謀事件として起訴することに決める。殺人事件そのものがアメリカ国外で発生したとしても、殺人の計画がニューヨーク州内で立案されたなら、共謀罪を問えるのだ。
 メツガーは、権限の範囲を逸脱した。しかし、リークされた情報は少ない。実行犯すら、コードネームしか分かっていない。
 難事件こそ、ライムの望むもの。仕事を受けるが……。
 そのころバハマでは、ジェイコブ・スワンが動き始めていた。指令元から、共謀容疑の捜査が始まっていると、一報が入ったのだ。スワンは、モレノ殺害の証拠隠滅を図るが……。

 犯罪小説。
 ライムと、恋人でもあるニューヨーク市警のアメリア・サックス、スワンやメツガーの視点からも語られます。チーム内で不信感を募らせたり、電話が盗聴されているのに気がついたり、無関係な事件とのつながりが見出されたり、いろいろあります。
 今回、特徴的なのが、料理がクローズアップされているところ。料理はスワンの趣味で、本格的。料理しているシーンもありますが、犯罪行為を料理で例えたり、幼少期の思い出に料理が関わっていたり、多彩です。
 ディーヴァーはどんでん返しのイメージが強く、わざとらしいミスリードのさそいかたが鼻についたこともありました。今作は、大転換がある、というより、二転三転といった感じ。
 楽しませてもらいました。


 
 
 
 

2022年08月15日
リチャード・パワーズ(柴田元幸/訳)
『舞踏会へ向かう三人の農夫』みすず書房

 デトロイト美術館に、一枚の写真があった。
 白黒の画面の中で3人の若者が、右肩ごしにこちらを見ている。立つ道はぬかるみ、服は微妙にサイズが合っていない。写真は、世紀の変わり目とおぼしき時代を感じさせた。
 キャプションは「舞踏会へ向かう三人の農夫」。ドイツ人のアウグスト・ザンダーによる1914年の作品だった。
 プロイセン・ラインラント地方の5月1日。
 アドルフ、ペーター、フーベルトのシュレック兄弟は、舞踏会に行こうとしていた。3人は兄弟と呼び合ってはいたが、生まれながらの兄弟ではない。
 アドルフの父は、妻子をそのままにしてオランダでも家庭を築いた。父が亡くなると、アドルフの母はペーターの母に脅かされてしまう。そのころアドルフの母は再婚してシュレックになっていたが、言われるがまま、ペーターを引き取った。ペーターの母が預かっていたフーベルトも一緒に。
 そんなわけで、3人は兄弟だが、兄弟というわけではなかった。
 その3人が、舞踏会に行くために歩いているところを自転車に乗った男が通りかかる。顎ひげを生やし、歳のころはおよそ30。男はニッカーボッカーにゲートルまでまいて、つば広の帽子をかぶっていた。
 男の自転車の、前輪の泥よけの上には道具をどっさり入れたリュックサック。男は、3兄弟のそばに自転車を停車させると、道を訊ねるような呑気な調子で写真の話をはじめた。
 ペーターは、野外写真機というものを信じていない。撮影は、背景幕をうしろに張って家の中でやるもの。見知らぬ男が、理想だか理念だかを写した写真を売りつけようとしている、と受けとめた。
 男は、ここで写真を撮ろうといいだすが……。
 1984年10月29日。
 ピーター・メイズは、雑誌編集者。その日は〈復員軍人の日〉だった。退役軍人たちが、コモンウェルス・アベニューを歩く。メイズはビル8階の編集部にいる。
 行進は、窓の真下まで来ているようだ。足がコンクリートを規則正しく打つ音が響く。編集部の面々は、興味津々。メイズも窓から下をのぞきこむ。
 ちょうどパレードが解散したところだった。
 メイズは、ひとりの女性に目をとめる。その衣裳たるや、長袖の19世紀スタイル。手にはクラリネット。明るいイチゴ色をした赤毛が、体のまわりに垂れている。
 それ以来メイズは、その女性のことが気になって仕方ない。謎のクラリネット奏者をさがして、興味もないコンサートを訊ね歩くようになるが……。  

 1985年発表の〈私〉の物語。
 デトロイト美術館で〈私〉が見た写真は、被写体だったシュレック3兄弟はもちろん、メイズも関係してきます。
 1914年は第一次世界大戦勃発の年。シュレックたちはそれぞれに戦争と関わっていきます。
 メイズは、謎の女性を追ううちに「舞踏会へ向かう三人の農夫」の写真と遭遇します。実は、写真の関係者でもあります。
 写真に思いを馳せている〈私〉は、高齢の掃除婦ミセス・シュレックと出会います。〈私〉のパートは自伝のようで、ヘンリー・フォードやサラ・ベルナールのことを語ったりもします。
 なお、ザンダーは実在の写真家。「舞踏会へ向かう三人の農夫」も存在します。本書は、実在した3人の農夫のエピソードが語られるのかといえば、そんなことはなく、作者が3人について考えた結果が物語になってます。

 ちょっとクセがある作家だな、というのが正直なところ。ときどき、なにを読んでいるのか分からなくなります。少々、注意力散漫でした。
 きちんと解決されない事項もあります。あえてそうしたのだと受けとめました。そういうことが苦手な人は、おもしろがるどころではないかもしれません。


 
 
 
 
2022年08月16日
マーサ・ウェルズ(中原尚哉/訳)
『逃亡テレメトリー』創元SF文庫

 《マーダーボット・ダイアリー》シリーズ中短編集

「逃亡テレメトリー」
 場所はプリザベーション・ステーションのモールのジャンクション。3本の通路が交差する円形の空間で、人通りは多くないところです。
 そこで、死んでいる人間が発見されました。服装からは、訪問者のようです。実際のところは調べてみないとなんとも言えません。
 プリザベーションは、人間がひんぱんに死ぬ場所ではありません。殺人事件の発生確立は最低ライン。これ以下にするには無人惑星に行くしかありません。
 連絡を受けて弊機は、後見人のメンサー博士とかけつけました。メンサー博士は、グレイクリス社に狙われています。この不審死がメンサー博士への脅威のあらわれでないことを確認しなければなりません。
 上級警備局員のインダーもいます。弊機と警備局は、不穏な休戦状態にあります。警備局は弊機が、ステーションのシステムを乗っ取って人々を皆殺しにすると考えています。ばかげた考えです。
 メンサー博士は、弊機と警備局が協力して事件を解決することを望んでいますが……。

 〈弊機〉は、ボットと人体による構成機体の警備ユニット。恥ずかしがり屋さん。統制モジュールの不具合で作業員57人を殺した過去があります。現在は統制モジュールから独立して動いており、評議会議長であるメンサー博士が面倒をみてます。
 殺人事件がほとんどないため警備局にノウハウはありませんし、それは〈弊機〉も同じ。ドラマ大好きという設定を生かして、捜査していきます。
 ひとまず読むには手にとりやすい中篇。とはいえ〈弊機〉の名前のネタとか、シリーズで読んでないと分からないところも多々あります。やはり順番どおりに読むべきだろうな、と。

「義務」
 〈弊機〉は、半人半ボットの警備ユニット。だれもが怖がり、居心地悪くなる存在です。表向きは採掘場で警備に当たっていますが、統制モジュールをハッキングして娯楽メディアを楽しんでいるのは秘密です。
 そんなとき、人間がひとり、誤ってプラットフォームから落ちました。衝撃はありましたが、生きて動いています。90秒後には、採掘物といっしょに灼熱の集鉱機に落とされるはずです。
 弊機の仕事は、労働者による窃盗や傷害または殺人を防ぐことです。救助するのは保安ボットの仕事ですが……。

 メンサー博士と知り合う以前の小話。

「ホーム ——それは居住施設、有効範囲、生態的地位、あるいは陣地」
 アイーダ・メンサーは、トランローリンハイファで監禁されていたところを助け出され、プリザベーション・ステーションに帰ってきた。殺人機械の警備ユニットを連れて。
 アイーダは惑星評議会オフィスで、イフレイムと議論する。イフレイムは前期の惑星指導者であり友人。警備ユニットについて、イフレイムを説得しようとするが……。

 時期的には『マーダーボット・ダイアリー』と『ネットワーク・エフェクト』の間。メンサー博士の内面を書いた小話。当然〈弊機〉視点のものとは雰囲気が違います。


 
 
 
 

2022年08月17日
矢島文夫/訳
『ギルガメシュ叙事詩』ちくま学芸文庫

 古代メソポタミア文明の「ギルガメシュ叙事詩」の翻訳と解説。短編「イシュタルの冥界下り」も収録。

「ギルガメシュ叙事詩」
 ギルガメシュは、神官ルガルバンダと女神ニンスンとの間に生まれた。神々から、見目よさと、雄々しさを授けられている。英雄であり、周壁もつウルクの王だった。
 周壁もつウルクの貴人たちは、暴君でもあるギルガメシュに腹を立てている。その訴えを聴いた天空を司るアヌは、人間を創ったアルルを呼んだ。アルルにギルガメシュと競うものを創らせ、平和がやってくるようにしようというのだ。
 アルルが泥を取って平地に投げつけると、雄々しきエンキドゥが生まれた。エンキドゥは、アヌの精髄のように強く、絶えず山を歩きまわる。毛髪に覆われ、獣たちと草を食べる様子は、まさしく野獣であった。
 狩人から報告を受けたギルガメシュは、宮仕えの遊び女を送りこむ。
 女の魅力はエンキドゥを捕らえた。エンキドゥが豊かさに満足すると、野の動物たちが離れていく。こうしてエンキドゥは、人間になった。
 女は、エンキドゥに語りかける。なぜ動物たちと野原をうろつくのですか。私はあなたを広場あるウルクへお連れしましょう。アヌの住まわれる神殿へ。
 女が言うには、周壁もつウルクはギルガメシュが力を振るい、野牛のように人びとを支配しているという。
 エンキドゥは周壁もつウルクに行き、怒るギルガメシュと対決した。牡牛のように強くつかみあい、互いの力を認めると、ギルガメシュの怒りは収まり、ふたりは友となった。
 ふたりはウルクの人たちに別れを告げて、森の怪物フンババ征伐に赴く。
 フンババの叫び声は洪水、その口は火、その息は死。エンリル神が杉の森を守るため、人間たちに恐れさせるために置いた怪物だった。森につくとギルガメシュは弱気になり、エンキドゥが励ますが……。

「イシュタルの冥界下り」
 イシュタルは、エレシュキガルの領域である冥界の門を訪れた。エレシュキガルは妹イシュタルを歓迎していないが、門を開ける命令をくだす。
 イシュタルは七つの門をくぐる度に、装身具を、衣服をはぎとられていく。冥界に下りつき、怒るエレシュキガルの宮殿に閉じこめられてしまうが……。

 標準版を基礎とした文学的再構成版。
 研究書ではないです。一般読者を念頭に、物語が首尾一貫するよう不足分を他版から持ってきたりしてます。それでも欠損箇所が随所にあって、解説必須。
 わずか266ページの文庫本にもかかわらず、叙事詩部分は半分以下。なんでも、全体で3600行あると推定されているものの、半分程度しか発見されてないそうです。
 最初に単行本が出たのが1965年。その後、手直しされて文庫化されましたが、内容は少々古いようです。それでも、一般人が理解できるように読めるのはありがたいです。
 なお、現在、第一人者とされているのは、月本昭夫氏(岩波書店から出版)だそうです。


 
 
 
 
2022年08月19日
R・A・ラファティ(牧 眞司/編)
(浅倉久志/伊藤典夫/牧眞司/深町眞理子/訳)
『ファニーフィンガーズ』ハヤカワ文庫SF2342

 《ラファティ・ベスト・コレクション2》
 日本オリジナル短編集。本書は「カワイイ」がテーマ。
 「愛すべきホラ吹きおじさん」の異名をもつラファティの、なんとも愛くるしい人たち満載。軽快でひょうひょうとした語り口で、異能を無邪気に駆使する人たちが目白押しです。本書はとりわけ子供比率が高いように思います。
 収録20作品のうち、作品集への初収録は5作品。そのため、ほとんど読んだことがあるはずなのですが、改めて接すると、そのおもしろさに驚かされます。
 コレクション1『町かどの穴』と同様、各短編に、編者による丁寧な解説がついてます。

「ファニーフィンガーズ」(浅倉久志/訳)
 オーリャド・ファニーフィンガーズの家は、町の北西のへりの丘にあった。そこで養父ヘンリーが、タイプライター修理店を営んでいる。
 店の半分は丘の内部というか地下にあった。奥には、果てしなくつづくトンネルと洞窟、そして部屋、部屋、部屋。それらは部品室で、この世界のありとあらゆる機械のありとあらゆる部品が見つかるのだ。
 オーリャドが養女となったのは、ヘンリーに似ていたから。それに、まぎれもなくファニーフィンガーズだった。
 9つになったオーリャドは、にこにこ顔のふしぎな少女。成長はゆったりとして、見かけはせいぜい4つか5つ。それでも、あらゆることを知っていた。
 オーリャドは世間体から小学校にかよいはじめるが……。

「日の当たるジニー」(浅倉久志/訳)
 ディスマス博士とミンデン博士は、ザウエン人について議論していた。
 これまでに発掘されているザウエン人の遺骨は、96人の子供と、3人の若者と、2人のおとなのもの。子供のうち86人がおなじ大きさで、しかも明らかに4歳だった。ザウエン人は現代人とも思えるが、その人口比率は現代的ではない。
 ディスマス博士の娘ジニーも4歳だった。
 ジニーは、奇々怪々な不協和音。いわば根源物質。だれもが世界一美しい子供だと思ってるが、一瞬でも止まったらグロテクスなことこのうえない。
 ジニーは、この世のだれよりも活発だ。ジニーは、暮らしている家にも、いままで見たおぼえがないと言うが……。

「素顔のユリーマ」(伊藤典夫/訳)
 アルバートは物覚えがわるかった。4つまで物もろくに言えず、6つまでスプーンの使い方をおぼえず、8つまでドアのあけ方も知らなかった。
 8つの年のなかばにさしかかって右と左の区別ができるようになると、奇想天外な記憶術を応用し、めざましい進歩をみせた。それでも、まあまあの字も書けないうすのろの子どものまま。
 そこでアルバートは、ずるをした。自分のかわりに字を書く機械を作ったのだ。計算のほうもからきし駄目だったため、自分のかわりに計算する機械も作った。
 14の年になったアルバートは、女の子がこわくてしかたがない。いつものように、外見も声もそっくりで、頭がよく、内気ではない身代わり人形のリトル・ダニーを作るが……。

「何台の馬車が?」(牧眞司/訳)
 9歳のジミーはキャンプが大好き。父のジムもキャンプ好きで、ふたりで夏のあいだじゅう出かけていた。
 ジミーは焚き火が燃えつきたあと、尾根を走っていく馬車の音を聞いていた。ところが、朝になって探しても轍が見つからない。音は毎晩するが、いつも西へばかり行く。
 ジムは、西のシエリトには小さな町があったことがあるという。だが、やってくる馬車は、毎晩1万台くらいにはなる。
 実は、ジミーはシエリトに大きな町があったことを覚えていた。ジムにシエリトへ行こうと言うが……。

「恐るべき子供たち」(深町眞理子/訳)
 カーナディン・トンプスンは、もうすぐ10歳になる9歳。モスバック・マッカーティ老巡査に、妙な質問をした。ナイフの血の落とし方を。
 マッカーティはびっくり仰天。聞くと、ナイフはユースタスが持っているという。
 ユースタスは、もうじき9つ。ナイフは、ある男の人から取ってきたという。そのとき、男の人はなにも言わなかった。
 マッカーティ老巡査がユースタスに、ナイフを見つけた場所に案内させると、見すぼらしい身なりの死人が横たわっていた。ナイフはその胸のまんなかに突っ立っていた。
 マッカーティ老巡査は、すぐそばの5軒の家の住人たちに話を聞くが……。

「超絶の虎」(伊藤典夫/訳)
 カーナディン・トンプスンは、今日で7つ。誕生日にプレゼントを4つもらった。
 白いゴムまり、緑のプラスチック蛙、赤い帽子、そして小さな針金パズル。重要なのは、赤い帽子だ。カーナディンは、偉くなったしるしに精霊から贈られたという。
 赤い帽子があれば、何でもできる。大人たちも、カーナディンがおかしいことに気がついた。カーナディンは、小さな針金パズルを難なく解いてしまうのだ。
 それは、あらゆる不可能パズルの白眉。見かけは単純で、解く方法が必ずありそうに見える。しかし、絶対に解けない。別の次元に行って解いて、もどってくるんじゃないかぎり無理。
 カーナディンは、不可思議なことをしでかしていくが……。

「七日間の恐怖」(浅倉久志/訳)
  (別題「七日間の恐怖」)
 クラレンス・ウイロビーは9歳。
 ある日、消失器をこしらえた。のぞき穴からのぞいて、目をぱちっとまばたきすると、のぞいたものがなんでも消えてしまう。もとにもどせるかどうかは分からない。どこに行ったかもわからない。
 クラレンスが町にでて消火栓を消すと、街路や排水溝は水びたし。大騒動になってしまう。
 コムストック巡査は、ウイロビーのとこの子供がなにかしたんだろうと疑うが……。

「せまい谷」(浅倉久志/訳)
 1893年、ポーニー族インディアンの生き残り821人に、土地の配分が行なわれた。とはいえ、ひと区画160エーカーぽっきり。そのうえ、白人なみに地租を払わなければならない。
 クラレンス・ビッグ=サドルは自分の土地に、でたとこまかせの呪文で魔法をかけた。わが谷がひろびろとしたよい谷で、よそものがやってきたときにはせまくなるように、と。
 魔法は効果を発揮した。おかげで、税金不払いで競売にかけられても、公有地としてホームステッド法が適用されても、だれも踏みこめない。
 そんなとき、ロバート・ランパートの一家がやってきて、くだんの土地の持ち主となるが……。

「とどろき平」(浅倉久志/訳)
 大科学者のアーパッド・アーカバラナン、ウィリー・マッギリー、ヴェリコフ・ヴォングの3人は、ABSMの一団のねぐらをつきとめるため、ブーマー平にやってきた。
 ブーマーの影のような第二の町、ブーマー平。そこは、貧相な赤粘土の平地。大科学者たちは、伝説の骨を、もしできるならば生きた肉体をさがしている。醜怪な雪男、略称ABSMを。
 この土地のある伝説によると、アフリカ系でもなくインディアン系でもない有色人が、砂地の茂みと川のあいだにすんでいるという。彼らは川岸の赤い泥地で暮らし、川そのものの中でも暮らしているというが……。

「レインバード」(浅倉久志/訳)
 ヒグストン・レインバードは、1779年6月の午後、ある決心をした。20歳で発明家になる決心を固めたのだ。
 レインバードは、65年の歳月をそれに捧げた。発明家としてのわき目もふらぬ人生で、名誉と富を手に入れ、しかし後悔していた。ものになる発明だけにとりくめたわけではなかったからだ。
 なんと多くの時間をむだにしたことだろう。失敗の数々は、必要のないものだった。
 時間遡航機を建造したレインバードは、65年の時間をさかのぼるが……。

「うちの町内」(浅倉久志/訳)
 (別題「われらの街で」)
 アート・スリックとジム・ブーマーは、あの町内にはおかしなやつがうようよしていると考えていた。
 その通りは、ちょうど1ブロックの長さ。突き当たりは線路の土手。ひとかたまりのバラックと、草ぼうぼうの空地しかない。
  とっかかりでは、12メートルのトレーラーのくっついた牽引用トラックが、バラックから荷物を積み出している。バラックは一辺2メートルあまりのまっ四角な箱みたいなもの。トレーラーが満杯になるまで荷物がでてくるが、そんな量が収まる場所などなかったはずだ。
 疑惑を深めたふたりは、ほかのバラックもたずねるが……。

「田園の女王」(浅倉久志/訳)
 1907年、成年に達したチャールズ・アーチャーは、巨額の遺産をうけついだ。
 アーチャーは物知りの人びとを訪ね、どんなふうに遺産を投資すればよいかと、助言を仰ぐ。ちょうどオクラホマに州制が敷かれた年で、繁栄の活気がみなぎっていた。
 最後まだ残ったのは、ふたつ。株式組織のゴム会社と、株式募集中の鉄道会社。新しく自動車というものが普及しだしており、ゴムが未来の花形になる見込み十分。一方、小さなローカル線も、未来の花形と目されていた。
 アーチャーはひとつを選び、ありったけの金をつぎこむが……。

「公明にして正大」(浅倉久志/訳)
 マイダス・マルドゥーンは、一本気な悪党だった。権力と地位と巨万の富を望み、羨望の的になりたがっていた。
 親友のクリストファー・カーニーはマイダスとは逆に、複雑で内向的。へこたれず、いろいろな方法でインサイダーになりきり、着々と財産を築いた。
 そんなふたりの間に、ブライディー・ケイスリーンがいた。
 とても美しいブライディーは、会計監査人の娘。よこしまで、頭が切れた。つねにマイダスに傾いていたが、クリストファーが22歳で百万長者になると、結婚を承諾した。
 ブライディーは、クリストファーのいとこであるコリン・カーニーに興味津々。コリンには、200万アイルランド・ポンドの財産と、アイルランドのお城がひとつ。しかも死病にかかっている。
 クリストファーは、ブライディーが一度も会ったことのない男に鞍替えをたくらんでいると疑うが……。

「昔には帰れない」(伊藤典夫/訳)
 ヘレンの再婚が決まった。ヘレンは仲間たちのところに亡夫ジョン・パーマーの所持品であった骨と石くれを持ってくる。なかには、ムーン・ホイッスルもあった。
 ムーン・ホイッスルは、仲間たちで何度かホワイトカウ・タウンに出かけたときの思い出のかけら。ヘレンが吹くものだった。
 みんな、9歳か10歳になりたての子どもだったころ、ムーン・ホイッスルをもらった。ムーン・ホイッスルを吹くと、ホワイトカウ・ロックが下りてくる。ちっちゃな月だ。
 子どもたちは岩の最下部にある抜け穴にもぐりこみ、ホワイトカウ・ロックを探検するが……。

「浜辺にて」(浅倉久志/訳)
 オリヴァー・ミューレックスがその貝を見つけたのは、4歳のときだった。オリヴァーも貝も、頭でっかちで、うすぼんやり。どちらの目も、おなじようにつぶらで漆黒に輝き、生き生きとして、死んでいるようにも見えた。
 オリヴァーは、貝とともに成長した。
 心理学者によるとオリヴァーには、ふたつの同心円的な人格があるという。外側の人格は遅鈍。中核人格はなかなか聡明なものの、べつの媒体を使わなければ外界と接触できない。
 ある晩、貝類学を趣味とする男がミューレックス家を訪ねてくるが……。

「一期一宴」(浅倉久志/訳)
 ジョン・サワーワインは、苦虫ジョンと呼ばれる奇妙なものの収集家。酒場に、奇妙きてれつな奇っ怪野郎がいると聞き、かけつけた。
 その奇妙な男は、まるで墓場からほりだされたよう。大柄で痩せこけていた。豪快ごきげんな食いっぷりには、一同ただあきれて見まもるばかり。
 男は、マックスキーと名乗った。
 マックスキーの体は徐々に肥りはじめ、刻一刻とふくらんでいく。それと同時に、まるで体内に明かりがともったようになった。
 ジョンはマックスキーの話を聞くが……。

「みにくい海」(伊藤典夫/訳)
 苦虫ジョンは、モイシャ・ウーファヴォーナーについての話を耳にした。
 モイシャは、ユダヤ人としては珍しいことに海の男だった。海の男になる前のモイシャは、家業の高利貸しの手伝い。取立てで、海の臭いのするところへも足を向けていた。
 レストラン兼バー兼下宿屋の青魚亭へ行く用事も、取立てだった。青魚亭には、ボニーという足の悪い娘がいる。まだ12の小娘だったが、別嬪だった。物腰には分別があって、一徹そうな顔をしている。
 モイシャは、ボニーのことが気になってしかたない。仕事以外でも行ってみたが、船乗りの話に仲間入りもできず、どうにも場ちがい。
 ボニーは、海の男でないモイシャをいくらかそっけなく扱う。誰か海の男と結婚するという。足の悪い女と結婚すると死ぬ、という海の男のジンクスを気にしない男と。
 モイシャは海の男になるが……。

「スロー・チューズデー・ナイト」(浅倉久志/訳)
 (別題「火曜日の夜」「長い火曜の夜だった」)
 むかしは何ヶ月も何年もかかったものが、いまではほんの数分か数時間。人間の思考からアベバイオス阻害がとり除かれて以来、だれもが前よりもすばやい決断、よりよい決断をくだせるようになった。8時間で、かなりこみいった経歴をひとつどころか、ときにはいくつも重ねることができるようになったのだ。
 バジル・ベイグルベイカーは、深夜族であるニクタロップ人。爆発的ぎりぎりいっぱいまで富を築きあげたあと、思い切り派手に蕩尽するのを楽しんでいる。
 この火曜日の夜のバジルは、いつものように乞食だった。若いカップルから1,000ドルを借りるが……。

「九百人のお祖母さん」(浅倉久志/訳)
 セラン・スワイスグッドは、特殊様相調査員。特殊様相調査員の例にもれず、そもそもの始まりを知りたがる。セランを含む遠征隊は、プロアヴィタスという大きなアステロイドにやってきた。
 プロアヴィタスは、ゆさぶればチャリンと音がしそうなほど、潜在利益に満ち満ちている。商売上手な隊員たちは、大きな契約をとりつけていく。だが、生き人形のことがまだよく分かっていない。
 外を歩きまわっているのは若者ばかり。家から一歩も出ない連中も中年どまりで、年寄りの姿がない。だが、墓地も火葬場もなかった。
 セランが現地人のノコマに訊ねると、人が死ぬことはなく、年をとるとだんだん小さくなるのだという。新しい分家のため多くはない、というノコマの家でさえ、九百人のお祖母さんがいる。
 セランは、生きた先祖がそもそもの始まりを知っているはずだと大興奮。ノコマの家にこっそり侵入するが……。

「寿限無、寿限無」(浅倉久志/訳)
 それはすべてを引き裂く夜明け。
 天地創造は空虚をまっぷたつに引き裂く革命だった。ミカエルは純白の火に包まれ、ヘレルは黒と紫の炎でふくれあがる。ふたりの対立者は高くそそり立ち、そのまんなかに、かよわいボシェルが取り残された。
 ボシェルの存在は、原初の瞬間に時間そのものをつっかえさせた。この宇宙に無作為因子を持ちこんだのだ。ボシェルは優柔不断の咎で処罰されることになった。
 処罰方法を一任されたミカエルは、ある事業で、ボシェルを監督者にすることを思いつく。
 6匹の猿が6台のタイプライターの前にすわり、充分に長い時間をかけて打ちつづければ、いつかはシェイクスピアの全著作を一字一句たがわずタイプできるだろう。その証明事業は忍耐と秩序の感覚を教えこみ、時間の壮大さを認識させることができるはずだ。
 準備が整えられ、事業がはじまるが……。

 
 

 
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