2022年04月09日
ジョンストン・マッカレー(井上一夫/訳)
『快傑ゾロ』創元推理文庫
18世紀末、スペイン領カリフォルニア。
ドン・ディエゴ・ベガは、家柄のいい24歳の若旦那。ちょっとした王国といってもいいくらいの農園と、ロス・アンゼルスの町に屋敷を持っている。そのうえ、いずれは父から、さらに多くの遺産を受け継ぐことになっている。
ドン・ディエゴは、元気のない男としても有名だった。
わずか4マイルばかりの遠乗りで疲れたなどという。伊達やスタイルのため以外には、滅多に剣を帯びない。女に対してはだれにでもいやに丁重だが、いい寄ることはしない。
そんな男が、ドン・カルロス・プリドの農園を尋ねてきた。
かつてのドン・カルロスは、地位といい富といい門地といい、ドン・ディエゴの父を除いては右に出るもののない人物だった。政争の弱いほうについてしまったのが運のつき。以来、総督の名をかりる収税吏にいじめ抜かれている。
そんなドン・カルロスにドン・ディエゴは、ひとり娘のセニョリタ・ロリタに求婚したいという。ドン・カルロスは大喜び。そもそも落ちぶれたプリド家の娘と縁組みしてやろうという大胆な男はほとんどいない。
ところがドン・ディエゴは、セニョリタ・ロリタが憤慨することを言ってしまう。
ドン・ディエゴは、求愛にともなうちょっとしたゲームを嫌っていた。窓の下でギターを鳴らしたり、うまいことをいって彼女の手をとったりなどという、余計な馬鹿らしいまねは面倒臭いのだと。
セニョリタ・ロリタとしては、結婚相手は、愛を求め、愛を勝ちとる人であってほしい。プリド家の窮状はよく分かっていたものの、求愛やロマンスを介さないドン・ディエゴに失望し、拒絶してしまう。
このころ世間では、快傑ゾロの話題でもちきり。
ゾロ(狐)と名乗る男は、スピストラノの疫病神とも呼ばれていた。マスクで顔をかくしてリーエル街道を駆けめぐっては、すばらしい剣さばきで人々を虐待する乱暴者をこらしめる。伝道開拓地や貧乏人の金を盗んだ役人から取り返してやる。
セニョリタ・ロリタは、砦の司令官につきまとわれているところをゾロに助けられ、求愛される。セニョリタ・ロリタは、鋭く勇気があるゾロこそ理想の相手だと心惹かれてしまうが……。
1924年発表の剣と恋と義侠のロマンもの。
読む前からゾロの正体を知っていたからか、最初の登場からゾロが誰なのかバレバレ状態。作中では、最後まで分からないように隠してます。知らずに読んでいたら、どのあたりで気がつけたのか。
活字で読むと、話し方が違うくらいしか分かりません。あとは、馬の乗り方とかも。その人物はゾロになるとき、姿勢や歩き方まで変えていたようです。
実際に目の当たりにしたら、すごい衝撃だったでしょうね。その変貌を映画で観たいです。(「アランドロンのゾロ」は観たことありますが、最初から正体が明かされてました)
古い時代の物語なので、あっさり風味。突っ込みどころもあります。それでもなお、ロマンスだけでなく、コミカルなところや、ゾロの颯爽としたかっこよさや度胸、などなど読み応え抜群。
ところで、ゾロのマスクって、目元だけを覆ったものを想像していました。食事をする際にいちいち裾を持ち上げるので、もっと大きいものだったようです。
2022年04月13日
ジャスパー・フォード(田村源二/訳)
『文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!』
ソニー・マガジンズ
1985年イギリス。
サーズデイ・ネクストは、特別捜査機関スペックオプス(SO)の一級捜査官。スペックオプスは、通常の警察が取り組むには異様すぎるか特異すぎると見なされた案件を担当しており、全部で30部局ある。その中で、文学刑事局(リテラテックス)のSO-27に所属している。
サーズデイが転任したくてしかたなくなっているころ、ディケンズ『マーティン・チャズルウィット』の直筆原稿が盗まれた。
記念館が賊に入られたのは明らか。ところが、防犯カメラにはまったくなにも映っていない。ガラスのケースはしっかりロックされたまま。ただ、ガラスの一部分が、ほんのすこし波打っていた。
捜査に行き詰まるなかサーズデイは、SO-5から接触を受ける。SO-5は、捜索および封じ込め局。現場捜査官長タムワースは、アシュロン・ヘイディーズを5年間追っているという。
アシュロンは冷静沈着で抜け目なく、冷酷きわまりない。わかっているだけで42人を殺し、強奪、窃盗、誘拐もしている。他人の心をあやつり、あらゆる嘘をつく。
アシュロンがフィルムやビデオテープに像となって残ることはない。実は、サーズデイはアシュロンの顔を知っている。
サーズデイが68年にスウィンドンの大学で英文学を学んでいたとき、講師のひとりがアシュロンだった。ちょっとした好色漢で、言い寄られたがはねつけたことがある。アシュロンを拒絶できる人間はほとんどいない。
タムワースによるとアシュロンが、『マーティン・チャズルウィット』を盗んだという。理由はわかっていない。
サーズデイは、一時的にSO-5に移籍して捜査に協力するが、最悪の結果になった。仲間は全滅。サーズデイも重傷を負ってしまう。
アシュロンは、車で逃走中に高速道でクラッシュして死んだ。『マーティン・チャズルウィット』も取り戻せなかった。
サーズデイは入院中、突然現れた女に告げられる。あいつは死んでない、スウィンドンのリテラテックの仕事を選べ、と。その女は自分だった。
サーズデイは、スウィンドン支局の三級捜査官となるが……。
歴史改変SF。
イギリスは、第二次世界大戦でドイツに占領され、ウェールズは共産国となり独立してます。今では、ゴライアス社という超巨大企業に事実上支配されてます。
チャーチルが早くに死去しているので、そこらへんが分岐なのかな、と。
帝政ロシアはソビエト連邦にはならずに、存続。1854年から、イギリスvs帝政ロシアでクリミア戦争がはじまってます。戦闘はとびとびで、膠着状態に陥ってます。
サーズデイの経歴は、警察→クリミアで従軍→警察→リテラテックス。このうち、クリミアが暗い影を落としてます。
クリミアで、サーズデイの兄アントンは戦死。婚約者のランデン・パーク=レインは片脚を失います。ランデンとは婚約解消して10年が経過してますが、サーズデイはランデンの写真を持ち歩いてます。
サーズデイの父もスペックオプスでしたが、お尋ね者になってます。時間旅行者で、たまに会いにきます。
伯父のマイクロフトは発明家。〈文の門(プローズ・ポータル)〉を発明して、それが本作の展開に大きく関係してきます。文章の中に入れる、という装置です。
情報量が多く、つかむまでは読むのが大変でした。
読んでいる最中と、読み終わって振り返ったときで、かなり印象が変わります。読みながら、いつになったらジェイン・エアを探しだすんだろう、などと思ってました。読み終わってみれば、このサブタイトルに納得。
おそらく、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』は読んでいないほうが楽しめると思います。ネタバレになっているので。
有名な物語だけど、みんな読んでないでしょ?
などと言われてる気がしてきました。
2022年04月15日
ジョージ・ソーンダーズ(上岡伸雄/訳)
『リンカーンとさまよえる霊魂たち』河出書房新社
ハンス・ヴォルマンが46歳のとき、梁が落ちてきた。
医者の忠告に従ったヴォルマンは、治療に専念するためにある種の病箱に入った。病箱は病荷車に載せられ、病院地に運ばれた。それは今でもそこにある。
ロジャー・ベヴィンズ3世は、青春の初期の頃、自分がある嗜好を持っていることに気づいた。自分にとっての自然で素晴らしいものは、ほかの者たちにとっては、歪んでいて恥ずかしいものだった。それゆえに苦しみ、肉切り包丁で手首を切り裂いた。
朦朧として床に倒れた瞬間ベヴィンズは、気を変えた。この世のありとあらゆるものが素晴らしい贈り物であることに気がついたのだ。誰かに見つけてもらおうと這って行き、その場にまだとどまっている。
ヴォルマンとベヴィンズは友人になった。
1862年。
ウィリー・リンカーンが亡くなった。11歳だった。
ヴォルマンとベヴィンズが知るかぎり、大人と子供はルールが違う。子供はすぐに天に召される。
享年9歳のマシソンは30分もいなかった。6歳のルッソはたったの4分。17歳のパーシヴァルは40分。12歳のサリーは17分。
ところがウィリーは、1時間かそこら経っても、まだ白い石の家の屋根に坐っていた。まるで馬車がやって来て連れ帰るのを待っているかのようだった。
果たして、紳士がやってくる。すでに閉園している時間だ。異例のことだった。
紳士に気がついたウィリーは駆けて行ったが、抱き上げてはもらえない。そのまま体を通り抜けてしまった。
悲しみに打ちひしがれている紳士は、白い石の家に入ると病箱を壁のへこみから引っ張りだす。床に下ろして蓋を開け、横たわる少年を見下ろし、涙を流した。
紳士が病体を抱き上げてすすり泣いているとき、ウィリーは、すぐ近くを動き回っていた。父親に寄り添ったり、体をもたせかけたりしたが、まったく気がついてもらえない。苛立ちは耐えがたいほどになり、ついには自分の体のなかに入ってしまう。
紳士は、また戻って来ると約束して立ち去った。
霊たちは衝撃を受けていた。かつての場所から来た人がこのあたりをぶらつくのはなくもない。しかし〈触れたこと〉はなかった。
このときウィリーは、特別な存在となった。少年と話をしようとして並ぶ人々の長い列ができるが……。
ブッカー賞受賞作。
証言をよせ集めた風体の、少々変わった幽霊譚。
時代は南北戦争中。
リンカーン大統領が、病死した息子を安置した納骨所でひとり長い時間を過ごした、というのは実話。そのときの様子を、昇天できずにいる霊たちが語ります。
ヴォルマンとベヴィンズなど、少し長めの自分語りが入ることもありますが、数行での証言が圧倒的に多いです。実在する人物が残した証言から採用されているものもあるようです。
対象物は同じなのに見る人によって印象が異なる、ということを、さまざまな証言を集めることで具体化してます。バラバラなのにまとまっている、という、不思議な雰囲気を体験させてもらいました。
2022年04月19日
エミリー・セントジョン・マンデル(満園真木/訳)
『ステーション・イレブン』小学館文庫
カナダ・トロントの上演中の劇場で、リア王を演じていたアーサー・リアンダーが倒れた。真っ先に駆けつけたのは、最前列にすわっていたジーヴァン・チャウダリだった。
ジーヴァンは、救急救命士を目指して訓練を受けたところ。かつては写真家で、アーサーをパパラッチしたこともある。そんな仕事に嫌気がさしていた。
ジーヴァンはアーサーを助けようと心臓マッサージを開始する。心臓外科医もきた。しかし、アーサーは助からなかった。
その日の夜だった。
トロント総合病院で働いている友人から、電話が入る。モスクワ発の旅客機でトロントにやってきた少女が、今朝早く発病した。グルジアで流行しているという新型インフルエンザだった。
同じ飛行機に乗っていた乗客が次々と運ばれてきて、空港で働いていたゲート係員にも移った。すでに200人以上の患者が運ばれてきている。そのうち15人が死んだ。
誰も、何が起きているのか、わからない。わかっているのは、インフルエンザだってことだけ。たった数時間で症状が出て、ERは満員。スタッフの半分が倒れている。
ジーヴァンは街を出るように勧められるが、兄は車椅子生活をしている。車椅子に対応した車をすぐに手配するのは難しい。ジーヴァンは食料を大量に買い込み、兄とふたりで家に閉じこもる。
それから20年。
キルステン・レイモンドは、旅の楽団の一員。文明が崩壊したとき、アーサー・リアンダーと同じ舞台にいた。まだ8歳だった。
幼かったため、文明崩壊前の世界について、思いだせないことは山ほどある。アーサーのことは覚えている。アーサーは『ステーション・イレブン』をくれた。
作者は、M・Cとしか書かれていない。内容をすべて覚えているほど読んでいる。誰もこの漫画のことを知らない。
キルステンのいる楽団は、数人の軍楽隊から出発し、シェイクスビア劇団と合同で旅をするようになった集団だ。ヒューロン湖とミシガン湖のほとりにそって、西はトラバースシティまで、北東はかつての国境を越えたキンカーディンまでのあいだを行ったり来たりしている。変わり果てた世界の集落から集落へと旅して、シェイクスピアを上演している。
セントデボラの町を訪れるのは2年ぶりだった。
キルステンは、友人との再会を楽しみにしていた。ところが、町の様子がおかしい。住民は減っていて、友人も会いにきてくれない。
団員たちは、戸惑いながら「真夏の夜の夢」を上演するが……。
文明崩壊SF。
崩壊前の世界と、崩壊後の世界が断片的に語られます。
崩壊前の軸になるのはアーサー。アーサーと、友人と、最初の妻と。『ステーション・イレブン』を描いたM・Cは、アーサーの最初の妻です。
崩壊後はキルステンが主軸。20年後の世界を旅します。それ以前のエピソードもあります。
いろんな登場人物がいろんなところでつながってます。文明崩壊後の世界は移動手段が限られているので、偶然ではなく必然なのでしょうね。
時代を行ったり来たりする群像劇で、その切り替えが絶妙でした。なんでも作者は、犯罪を題材にしたクライム・ノベルを書いていた人で、本作は、長編第四作目。
SF作家ではない人のSFって、独特の味わいがありますね。視点が違う、とでもいいますか。
なお、発表は、2014年
2022年04月24日
アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン
(山田和子/訳)
『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
レッドは《エージェンシー》の工作員。
《エージェンシー》が支配する未来、レッド自身が存在しうる未来を造るため、時間を、平行世界(ストランド)を飛びまわっている。
そのときレッドは戦場にいた。
ふたつの巨大帝国が激突し、生き残ったのはレッドだけ。歴史のこのストランドを結紮し、切断し、完全に壊死させることに成功した。やがて彼らの灰の中から、新たな者が立ち現れる。《エージェンシー》の目的に、より適った者が。
満足して、レッドは戦場を歩く。そのとき、敵側の存在に気づく。死体の山だけがあるはずのところに、絶対にこの場所にあるはずのないクリーム色の紙を見つける。
《ガーデン》だ。
ミッションは成しとげられるとともに失敗に終わった。
《ガーデン》は《エージェンシー》と対立し、ちがう未来を構築しようとしている。彼らは基本的に、確実にうまくいくと考えられることだけを実行する。
賢明で慎重な対応は、そのまま放置すること。しかしレッドにとってこの手紙は、投げられた挑戦の手袋に等しい。どうしても読まないわけにはいかなかった。
手紙を残したのは《ガーデン》の工作員ブルー。
レッドはブルーに返事を書く。任務以外のこうした報復行動を取るのが規律違反であることを承知の上で。
〈司令官(コマンダント)〉は、このささやかな違反行動に気がつくだろうか。レッドに厳しい叱責を浴びせるだろうか。レッドは〈コマンダント〉の言動を注視する。
勝利するのは気分のいいものだが、勝利した上にさらに相手をからかうのは、もっともっと楽しい。だから、あえて仕返しをする。
一方ブルーは、21世紀のとある病院にいた。病院には、感染というデリケートな事態に対処するために派遣された。ところが、病院には誰もいない。
ブルーはMRIマシンの中で、ガラスのジャーが温められているのを見つける。そこに、レッドからの手紙を見つける。
こうして、ふたりの秘密のやりとりがはじまるが……。
時空SF。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞受賞。
訳者も指摘してますが、日本語に翻訳されると、超絶技巧と絶賛されて名だたる賞を総なめにした理由が見えにくくなります。日本語化によって、英語の持つ独特のニュアンスが失われてしまうそうです。
物語は、レッドとブルーで交互に展開していきます。出来事があり、相手からの手紙を読む……の繰り返し。手紙は常に、どこからともなく現れた〈シーカー〉に回収されていきます。
教養が増すほどおもしろさも増していくタイプの物語。物語の筋はさておき、作風についてどうこう言えるほどの教養はないな、というのが正直なところ。
いくつかの表現については気がつきました。けれど、気がつかないままに読んでしまった箇所の方が多そうです。
それぞれの出典について、訳者が巻末にまとめて紹介してくれてます。感謝。
2022年04月26日
ジョン・コナリー(田中志文/訳)
『失われたものたちの本』東京創元社
デイヴィッドは物語や本が好きな12歳。
やはり物語が好きな母親によると、この世界と昔話の世界とは並ぶように存在しているという。時どき、ふたつの世界を隔てる壁は、ひどく薄く、脆くなる。そうなると、両方の世界が混ざり合いはじめる。
病に倒れた母親の容態は、どんどん悪くなっていく。デイヴィッドの願いも虚しく、亡くなった。
それから5ヶ月と3週間と4日。
デイヴィッドは父親からローズを紹介された。デイヴィッドはローズのことが好きになれない。まもなくローズは妊娠し、デイヴィッドの父親と結婚した。
ローズの屋敷での4人暮らしがはじまる。
そこは、ロンドン北西部に建つ古い3階建ての大屋敷。前後には広大な庭園が広がり、周囲をぐるりと森に囲まれている。森の端にほど近い芝地には沈床園があった。
放置されて荒れ果てた沈床園は、壁のそこかしこに大きなひび割れが口を開けている。身をよじれば、石組みの隙間に這って入れそうだ。のぞくと、中は暗く、黴臭かった。
屋敷のてっぺんの部屋がデイヴィッドのものになった。すでに書棚と本でいっぱいで、ローズが、本が好きなデイヴィッドのことを考えて決めたらしい。デイヴィッドは2冊の表紙の裏側に、ジョナサン・タルヴィーの署名をみつける。
ジョナサンはローズの父の兄。14歳のとき、行方知れずとなった。そのとき、7歳のアンナも消えた。ふたりとも何かが起こって二度と戻らなくなってしまった。
ある日デイヴィッドは、ローズと大喧嘩してしまう。父親にも咎められ、外出禁止を言い渡される。反発するデイヴィッドは、異界の情景を透かし見、母親の声を聞いた。
自分は死んでいない、助けにきてほしい、と。
デイヴィッドは母親の声に導かれ、沈床園の壁の割れ目に入る。そこには、別の森が広がっていた。やってきた穴はふさがり、帰れなくなってしまう。
人狼に襲われたデイヴィッドは、木こりに助けられた。
木こりによると、この世界を治めてきた老王の手許に〈失われたものたちの本〉があるという。その本には一国を治めるための叡智が余すことなく記されていて、その本を見れば、家に帰る方法が分かるかもしれないという。
デイヴィッドは、木こりに導かれて旅立つが……。
異世界もの。
有名な童話を暗い方面に解釈し直したものがいくつか、物語の中に組み込まれてます。文体は児童書ですが、内容的には大人向けかな、と。
現実世界では、1939年のイギリスが舞台になってます。第二次世界大戦がはじまった年です。父親やローズに精神的余裕がないのも、そういった時代背景のせいでしょうか。
合えば楽しめるのでしょうが、合わなくて、粗が気になって仕方ありませんでした。
整合性のつかない描写がそこかしこに出てきます。その場その場で思いつきで書きなぐったとしか思えません。つっこみどころ満載、なんてレベルをはるかに凌駕しています。
その一方で、終盤のメッセージが力強く、読後感は好印象。イライラしながら読んでいても、読み終わると好印象になってます。不思議です。
なお、本書は、一見すると枠物語になってます。段落をあけて書体まで変えた別の物語が入ってますが、実際に読むと、ただの長いセリフです。枠物語を期待しているとがっくりします。
《リンカーン・ライム》シリーズ、第9作
リンカーン・ライムは、犯罪学者。鑑識について高度な専門知識を有し、科学捜査の専門家としてニューヨーク市警に協力している。事故により四肢麻痺という障害を抱えるに至ったが、明晰な頭脳は健在。障害者だからと気を遣われることを何よりも嫌っている。
ライムのもとに〈ウォッチメイカー〉の情報が入った。
〈ウォッチメイカー〉の本業は、目撃証人や政治家、大物企業家の暗殺。機械式時計の製作を趣味とし、それと同じ精密さをもって犯罪計画を練り上げる。ライムが計画を頓挫させたこともあったが、捕らえられなかった。
どうやら〈ウォッチメイカー〉は、メキシコ国内のどこかで仕事を請け負ったらしい。仲介者を通じてメキシコ連邦警察の協力を取りつけてあるが、ライムは、自分が動けないことにもどかしさを感じている。
そんなとき、重大犯罪捜査課から事件発生の連絡が入った。
アルゴンクイン・コンソリデーテッド電力会社の無人変電所でアークフラッシュが発生。バスの隣にあったバス停のポールを直撃し、バスに乗ろうとしていた乗客1名が凄惨な死を遂げた。何者かが、ケーブルを外に垂らしていたのだ。
その日、管理センターで最初に現れた兆候は、致命故障の赤ランプだった。
ハーレムにあるMH-12無人変電所を皮切りに、次々とオフラインになっていく。その結果、MH-10無人変電所に負荷が集中してしまう。しかもMH-10のブレーカー設定はリセットされており、安全負荷の十倍もの電圧を受け容れるようにされていた。
そして、アークフラッシュが発生した。
ライムのもとに、国土安全保障省、FBI、ニューヨーク市警が集まってくる。
FBIでは、新しいSIGINTシステムにより、クラウド・ゾーンで行なわれているやりとりを分析しているところ。まだ組織名の一部しか分かっていない。それには、ラーマンという名前の人物が関係しているらしい。
地球の日アースデイが近い。環境テロではないかと思われた。
昔ながらの捜査をしているFBIのフレッド・デルレイは、おもしろくない。自分の情報屋からはなにもあがってきていなかった。時代遅れになっていると痛感させられ、挽回しようと模索する。
ライムは、微細証拠物件の分析を依頼されるが……。
犯罪小説。
ライムはアルゴンクインの事件を手がけますが、ときおり〈ウォッチメイカー〉の動向の連絡も入ってきます。かなり早い段階で犯人の名前があがり、事件解決の雰囲気がでてきます。
もしかすると、前半がアルゴンクイン、後半〈ウォッチメイカー〉という構成なのかな……と思ったらとんでもなかったです。
ディーヴァーっていうと、どんでん返しの作家というイメージが強いのですが、どんでん返しというより、そうきたかーっといった感じ。
主人公はライムですけど、今回のスポットライトは、デルレイ。地道にもがいてます。
ディーヴァーはちょい役の人にもきちんと自分語りをさせるから重厚さがあるんでしょうね。その分、長くなりますが。
2022年05月05日
N・K・ジェミシン(小野田和子/訳)
『第五の季節』創元SF文庫
スティルネスは地球上でただひとつの大陸。
スティルネスでは、数百年ごとに〈第五の季節〉と呼ばれる大規模な天変地異が発生し、文明が崩壊の危機に立たされる。世界中に、荒廃した都市や誰も覚えていない記念碑、どこにも通じていない橋がある。こうした遺物をつくった人々は生き残れなかった。
大地はつねに村や町を喰おうと蠢いているのだ。
今回の終焉は、唯一無二の大都市ユメネスからはじまった。そのときユメネスにいたのは、700万人。新たな〈季節〉の到来を告げる巨大な地震に襲われて壊滅した。
地殻の激変で生じた揺れは、すぐさま南方面に伝わっていく。
小さな共同体(コム)のティリモは、ユメネスの南側地域にある。
ティリモに暮らすエッスンは42歳。10年前からティリモで、目立たないように生きてきた。石打ち工ジージャの妻となり、ふたりの子供をもうけた。託児院で教えている平凡な主婦だ。
実はエッスンは、造山能力者(オロジェン)だった。オロジェンは大地を操る能力を持つ。災厄を呼ぶものとして憎まれ、時に虐殺されることもあった。
エッスンがオロジェンであることを知っているのは、3人だけ。自分と、我が子であるナッスンとユーチェだけだ。
ある日エッスンは、なにかが町をめざして進んでくることに気がついた。それは、ユメネスで生じた地殻変動の揺れの波。とっさに処置したために、揺れは町を迂回していった。
帰宅したエッスンは、ユーチェの死体を見つける。父親に殴り殺されたのだ。ユーチェはまもなく3歳だった。
おそらく、あの波がきたときにユーチェがなにかして、ジージャに気がつかれてしまったのだろう。それで殴り殺されたのだ。
エッスンは、ジージャがナッスンを連れていったことを知る。馬車に荷物を積んで、ティリモから出ていった。みんな気にもとめなかった。
ティリモが、北の方で異変があったことに気がついたのは、その後だ。
交易路をたどって被害のようすを偵察すると、周囲は壊滅状態にあった。最初の衝撃波に直撃されたところではなにもかもが倒れている。人間の、動物の死体が転がっていた。
その一方で、ティリモを中心とする半径数マイルは無傷。それで人々は、ティリモにオロジェンがいることを知った。
エッスンは、ジージャとナッスンを追って旅立つが……。
《破壊された地球》三部作、一作目。
ヒューゴー賞受賞作。
3つの物語が並行して語られていきます。
少女ダマヤはオロジェンであったことが発覚し、両親によって納屋に閉じ込められます。帝国の〈守護者〉シャファに引きとられ、その力をコントロールする訓練を受けるため、首都ユメネスに向かいます。
サイアナイトは、フルクラムで訓練された若手のオロジェン。オロジェンの血筋を残すために子づくりに従事すると同時に、海辺の町アライアで、船の障害となっている珊瑚礁を処理する仕事に赴きます。
ダマヤで世界の基礎を学び、サイアナイトで世界の解像度をあげ、そうした世界をエッスンが旅をする、といった感じ。ダマヤとサイアナイトの物語は、補完し合ってます。エッスンだけ、物語の語り手が「あんた」と呼びかけ、別格扱い。
3つの物語の関連性は予想の範囲内ですが、それでも、はっきり示されたときには爽快感がありました。
三部作というより、大長編の第一巻。ようやく物語のとば口にたどり着いた、といったところです。
2022年05月08日
ヨハンナ・シュピリ(松永美穂/訳)
『アルプスの少女ハイジ』角川文庫
明るく晴れた6月の朝。
テーデは5歳のハイジを連れて、山の上の牧草地(アルム)に向かっていました。ハイジはテーデにとって、亡くなった姉の子です。
父も亡くしているハイジは、4年前にテーデとその母に引き取られていました。ところが、テーデの母が亡くなって一緒に暮らせなくなり、アルムのおじいさんに預けられることになったのです。
アルムのおじいさんは、ハイジのお父さんのお父さんでした。怒りっぽい人で、頑固で、誰とも話をせず、かつてはふもとの小さな村(デルフリ)に住んでいましたが、今ではアルムに上がったきり、神さまとも人間とも仲たがいしたまま暮らしています。デルフリの人たちは、あの人に小さな子を預けるなんて、と驚きました。
アルムについたハイジは、はじめての場所が楽しくてなりません。いろんなものに興味津々で、ぴょんぴょん跳びはね、風の音に耳を傾けては黒い目を期待に輝かせました。
おじいさんはハイジのために寝床を作ってやり、いろんなことを教えました。ハイジは、なかなか賢い子です。見たものがちゃんと理解できますし、よく気がつくことができました。
ハイジが8歳のとき、テーデがハイジを引き取りにきました。ゼーゼマン家のクララお嬢さまの遊び相手になるためでした。
クララは、足が麻痺して病気がちで、車椅子を使っておいでです。家庭教師から勉強を教わっているものの、いつもひとりぼっちでした。そんなクララに家政婦長のロッテンマイヤーさんが思いついたのが、お屋敷での遊び相手だったのです。
ロッテンマイヤーさんが、仕事でパリに滞在しているゼーゼマン氏にお伺いをたてると、その子が気まずい思いをすることなく一緒にいてくれるなら、と条件つきで賛成してくれました。そこでロッテンマイヤーさんは、すれていない、その辺にはいないような特別な子を探しました。その話を耳にしたテーデが、ぴったりな子がいると申し出たのです。
テーデは、ハイジにとってもいい話だと思っていました。なにしろ、ゼーゼマン家はとてもお金持ち。フランクフルトでも一番すてきなお屋敷にお住まいなのですから。
テーデは反対するおじいさんに、ハイジを学校にも教会にも行かせていない、と非難して無理やり連れ出しました。
ハイジは、すぐにアルムに帰れると説得されて、仕方なくテーデについていきますが……。
児童文学。
大人向けの完訳版。『ハイジの修業と遍歴の時代』を第一部、続編の『ハイジは習ったことを役立てられる』が第二部としてひとつの物語になってます。
第一部のハイジの遍歴は、アルム→フランクフルト→アルム。もとは単独の物語のため、第一部にもクライマックスがあります。
ハイジは子どもっぽいところもあります。変に付託したりはしません。その一方で、おじいさんがひと目で見抜いた賢さが、悪いほうで発揮されてしまいます。
たった8歳のハイジが追い詰められていくさまが、涙なくして読めません。まさしく、名作といった感じ。
第二部では、アルムに帰ったハイジと、村人たちと和解したおじいさん、アルムにハイジを尋ねて来る人たち(ゼーゼマン家の関係者)で構成されます。
ハイジが精神的に成長してます。それと同時に、宗教色が前面に出てきてます。この部分はちょっと好みが別れそう。簡単に、気前よく、お金やら物が与えられるのも引っかかります。
第一部だけの方がよかったような……。
2022年05月10日
リン・マー(藤井 光/訳)
『断絶 (エクス・リブリス) 』白水社
〈終わり〉がきて、文明は滅亡した。シェン熱という真菌感染症が原因だった。
そのときキャンディス・チェンは、ニューヨークで働いていた。けっきょくは街を脱出したが、心のどこかでは、みんなと同じように熱病になるのを待っていた気がする。ぎりぎりまで待ったものの、なにも起きなかった。
街を捨てたキャンディスは、ボブをリーダーとする8人のグループに拾われる。彼らが目指しているのは、イリノイ州ニードリング。シカゴのすぐそばだ。
ボブが言うには、そこに〈施設〉があるのだという。二階建ての巨大な複合施設で、ボブが半分の権利を持っている。みんなが快適に安全に暮らすことができるらしい。
キャンディスがアメリカに来たのは、6歳のとき。
〈終わり〉がはじまったころには〈スペクトラ〉で働いて5年が経過していた。〈スペクトラ〉は、出版社から委託された本の製造工程を総括している会社だ。外部委託するのは、もっぱら中国の印刷業者だった。
キャンディスがしているのは、聖書部門の上級製品コーディネーター。聖書はいつだって年間ベストセラーの一位だ。同じ内容が、無限にある新しい組み合わせで何百回も包装し直される。
ある日、恋人のジョナサンが、ニューヨークを出ていくつもりだと言いだした。友人と一緒にヨットで旅立つという。決まっているのは、ピュージェット湾まで行くことだけ。
キャンディスも誘われるが、断った。確かに、仕事には幻滅している。アート部門への異動を希望しているが、叶えられていない。だからといって、辞めたいとは思わない。
その翌朝、公衆衛生警報が出され、生活が一変する。
シェン熱は、中国のシェンチェンが発生源らしい。ウイルスではなく、真菌の胞子を吸い込むことで感染する。初期症状は通常の風邪と間違いやすく、傍目には正常に見える。症状が進行すると、決定的な意識の喪失を引き起こす。
感染者は、まるでゾンビのように生活習慣のひとつを果てしなく繰り返しながら死に至る。それまで1〜4週間ほど。薬はない。
中国南部に依存している〈スペクトラ〉にとって、人ごとではなかった。N95マスクとゴム手袋が配られ、同僚にも感染者が出はじめる。キャンディスは仕事を続けるが……。
文明崩壊もの。
2018年の発表作。
ふたつのパートが同時進行で語られていきます。人間がいなくなった世界を旅する一行と、そこにいたるまでのキャンディス。幼いころの回想も入るので、そこにいたるまでの物語の方が手厚いです。
内容紹介文には「そこにいたるまでのキャンディス」パートの結末付近のことまで書かれているので要注意。最初からニューヨークを出ていくことになるのは分かっているものの、どうせなら詳細は知らないままに読みたいところ。