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2023年の記録
目録
 
 
 
 4/現在地
 
 
 
 
 
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このページの本たち
ブルックリンの死』アリッサ・コール
フォワード 未来を視る6つのSF』ブレイク・クラウチ/編
ネコのつけた日記』ヨセフ・コラールシュ
スモモの木の啓示』ショクーフェ・アーザル
王子と乞食』マーク・トウェイン
 
犬の心臓・運命の卵』ミハイル・ブルガーコフ
最後の審判の巨匠』レオ・ペルッツ
ドン・キホーテ』セルバンテス
死体狂躁曲』パミラ・ブランチ
縮みゆく男』リチャード・マシスン

 
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2023年05月02日
アリッサ・コール(唐木田みゆき/訳)
『ブルックリンの死』ハヤカワ文庫MT

 シドニー・グリーンは、ブルックリンの〈ギフォード・プレイス〉で生まれ育った。結婚に失敗し、実家に帰って1年半。最近はブルックリンの歴史探訪に感心を抱いている。
 シドニーが〈歴史あるブルックリン褐色砂岩の旧邸宅めぐり〉ツアーに参加したのには、好奇心もあった。白人のツアーガイドは現在の居住者たちのことをなんと言うだろうか。
 昔の〈ギフォード・プレイス〉には、丸石敷きの道路と馬車と上流中の上流の人たちが所有した家があった。ツアーガイドは褐色砂岩の家の前で立ち止まるたび、100年前にそこに住んでいた金持ちの白人の暮らしぶりをていねいに説明する。いまそこにすんでいる黒人たちのことはなにも言わない。
 このところ〈ギフォード・プレイス〉では、住民が入れ替わりつつある。シドニーの家にも不動産会社がしょっちゅうやってきて、家を売るようにせっつく。シドニーは所有者である母の不在を口実につっぱねているが、応じる者も少なくない。
 閉鎖されたメディカルセンターが、〈ヴァレンテック製薬〉本社と研究センターの候補地となっていた。契約は決まったも同然だという。厖大な雇用と地域の活性化が約束されているが、元々の住民には、なにひとついいことはない。
 新しい住民との軋轢も生じていた。シドニーも、向かいの家に越してきたカップルに反感を抱いている。
 一方、シドニーの家の向かいに越してきたセオは、憂鬱な毎日を送っていた。
 一緒に暮らしているキム・デブリーズは、自分たちは結婚するのだからと家の購入に前のめりだった。キムは資産家の娘だが、セオはちがう。共同で家を買ったはいいものの、ふたりは仲違いし、セオは最上階に追放されている。
 セオは、ご近所(ブロック)パーティーの企画会議にもひとりで参加した。キムは、向かいの家の女性に難癖をつけて騒ぎを起こしたばかり。そもそも、こうした地元の催し物には参加しない。
 企画会議でセオは、向かいに住んでいる女性がシドニーだと知る。シドニーは独自の歴史探訪ツアーを予定しているが、手伝ってくれるはずの住民が突然いなくなり、困っていた。失業中で時間のありあまっているセオは立候補するが……。

 アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)受賞のスリラー。
 シドニーとセオがお互いを意識しながら、歴史探訪ツアーのための調べ物をしていきます。シドニーにもセオにもなにか秘密がありそうで、古くからの住民たちが次々といなくなってしまう不可思議さもあります。
 過去の状況が現在とリンクしていたり、趣向を凝らしている感じはあるものの、なにを読んでいるのか分からなかったです。ミステリといった雰囲気はなく、淡々と日常が過ぎ去っていきます。途中までは。
 いろいろと秘密が明らかになるにつれ、新たな謎もでてきます。終わってみれば、スリラーだったかもな、といった感じ。
 ジャンルに囚われない書き方、ということなのでしょうね。


 
 
 
 

2023年05月03日
ブレイク・クラウチ/編
ブレイク・クラウチ/N・K・ジェミシン/ベロニカ・ロス/エイモア・トールズ/ポール・トレンブレイ/アンディ・ウィアー
(東野さやか/幹遙子/川野靖子/宇佐川晶子/鳴庭真人/小和田和子/訳)
『フォワード 未来を視る6つのSF』
ハヤカワ文庫SF2392

 科学技術がもたらす未来をテーマにした、書き下ろしアンソロジー。

ブレイク・クラウチ(東野さやか/訳)
「夏の霜」
 白昼堂々、ホテルからマセラッティを盗んだ女は、北に向かった。女を追いかけるライリーは、目的地を知っている。
 女はマックス。夫のオスカーのところに向かっている。マックスを見つけたライリーは、境界の先にあるものを見せると約束するが……。

 仮想空間とAIの話。マックスはゲーム用のAI。学習してシナリオから隔離されたことで進化していきます。

N・K・ジェミシン(幹 遙子/訳)
「エマージェンシー・スキン」
  〈創始者〉たちは、その惑星が滅びつつあると気がつき、別の星系の新たな惑星に逃げた。その時点で故郷の星は、いかなる生物も存続できないほど環境が破壊されていた。
 だが、人類の起源の地であることに変わりはない。必要不可欠な資源もそこにある。それらを持ち帰るため、人が派遣されるが……。

 ヒューゴー賞受賞作。

ベロニカ・ロス(川野靖子/訳)
「方舟(アーク)
 小惑星フィニスが発見されて20年。まもなくフィニスは、地球と壊滅的衝突を起こす。
 サマンサは〈アーク・プロジェクト〉に参加していた。人々が脱出した地球に残り、できるかぎり多くの遺伝物質を保存し、最後の船で脱出する。応募資格は、専門分野で修士号相当の学位を有し、犯罪歴がなく、精神疾患歴がなく、存命する家族がいないことだった。
 サマンサにはある計画を心に秘めていたが……。

エイモア・トールズ(宇佐川晶子/訳)
「目的地に到着しました」
 サムは妻のアニーに頼まれ〈ヴィテック〉を訪れた。
 〈ヴィテック〉は、21世紀の不妊治療研究所。遺伝情報の解析と行動科学により、妊娠に至らない夫婦の手助けをするだけでなく、生まれる子供の知力と気質に多少の影響を与えることを目的としている。高額なサービスだが、みんなの話では払っただけの満足を得られるという。
 先に〈ヴィテック〉の担当者と相談していたアニーは、サムに見せるため、3人の異なる子供たちのシミュレーションを手配していたが……。 

ポール・トレンブレイ(鳴庭真人/訳)
「最後の会話」
 目覚めたとき、分かっているのはベッドに横たわっていることだけだった。なにも覚えておらず、なにも見えず、わずかに動いただけで身体が悼んだ。
 ドクター・クーンの指導のもと、身体の機能を取り戻し学習していくが……。

アンディ・ウィアー(小和田和子/訳)
「乱数ジェネレーター」
 エドウィン・ラトリッジはラスベガスで〈バビロン〉を経営している。
 ある日、IT部門のニックがキノ・マシンのスイッチを切ってしまった。キノ・ラウンジは〈バビロン〉のために毎日20万ドルを稼いでいるというのに。
 呼びだされたニックは、クァナ・テクの最新の量子コンピュータのことを説明しだす。何ヶ月も前から警告していたが聞き入れられず、やむなくシャットダウンしたのだと。量子コンピュータがあれば、現行のキノ・マシンがつくる疑似乱数など簡単に予告できてしまうのだ。
 エドウィンはニックの警告を聞き入れ、量子コンピュータを導入するが……。


 
 
 
 

2023年05月04日
ヨセフ・コラールシュ/作
ジィークフリート・ワーグナー
/絵
(山口四郎/訳)
『ネコのつけた日記』富山房インターナショナル

 おすネコのシュルクは、ある二本脚のところに住んでいる。おそろしく体のでかいやつで、後ろ脚だけで歩く。しかもぶきっちょで、ちゃんと足音をしのばせて歩くことも、大きくすっとぶこともできない。
 それでもシュルクは、この二本脚のことが大好きだ。嫌気がさして家出してしまうこともあるけれど、けっきょくは戻っていく。
 ある日シュルクは、目に見えない秘密のネコの字で書かれたメッセージを見つけた。黄色いにゃん子からだった。
 シュルクが黄色いにゃん子をむかえると、黄色いにゃん子は、ずいぶんきたなくて、おそろしくやせてて、おなかをグウグウ鳴らしていた。
 夕めしをごちそうするシュルクに黄色いにゃん子は、まだ子どもだからいいけど、大人になると二本脚に追い出されて、自分と同じように、うろつき回らなきゃならなくなるというが……。

 児童書。
 シュルクが書いている日記、という設定で物語は展開していきます。シュルクは自由に家を出入りしています。別荘なようなところへも行きます。
 シュルクの飼い主は独身男性のようです。解説などはないので憶測ですが、作家自身ではないか、と。自分とシュルクの関係を、シュルク目線で問い直したのでしょうね。

 挿絵がふんだんに入っているのですが、これがまた独特。ネコだと思って見るからネコに見えなくもないけれど、ただ絵だけを見たらネコとは思わないだろうな、と。演劇でネコの扮装をした人間を思い出してしまいました。
 ちなみに、シュルクはシャム猫です。そうは見えなくても。
 物語は忘れても、この絵は忘れまい。


 
 
 
 

2023年05月05日
ショクーフェ・アーザル(堤 幸/訳)
『スモモの木の啓示』白水社

 1988年8月18日。
 バハールの母ロザーは、スモモの木の上で啓示を受けた。そのスモモの木は、53軒から成るラーザーンという村にある。
 ロザーが啓示を受けたまさにそれと同じ瞬間、バハールの兄ソフラーブは処刑された。裁判は行われず、目隠しをされて後ろ手に縛られたまま絞首刑になったのだ。
 そのときソフラーブは、他の政治犯とともに、テヘランの南にある砂漠に掘られた細長い穴に集団埋葬されることが決まっていた。ところが、あまりに人数が多く、計画どおりにはいかなかった。穴に入れられたが埋めることができないままに放置されたのだ。
 それはまだましなほう。次の日には、死体は刑務所の裏庭に高く積み上げられたまま悪臭を放ったのだから。
 そのことを、家族はまだ知らない。
 1979年2月9日。
 イランのイスラーム革命は頂点に達しつつあった。反ブルジョアという大義の下で、パフラヴィー朝の指導者や役人が処刑されていた。
 フーシャングと妻ロザーの家は、テヘランパールスにある。子どもは、ソフラーブ、ビーター、バハールの3人。
 ここにも、革命支持者たちが押し寄せた。彼らは、地下にあったフーシャングの作業部屋に押し入り、タール(弦楽器)や本やその他もろもろに灯油を掛け、火を点けた。つい数ヶ月前まで、フーシャングを先生と呼んでいた弟子たちだった。
 一家は悲しみにくれ、テヘランをあとにする。何日も道標のない曲がりくねった泥道を行き、森の中で道を見失い、また道を見つけることを繰り返して辿り着いたのが、ラーザーン。1400年前、逃げてきたゾロアスター教の人たちが住みついた村だという。
 受け入れられた一家はラーザーンに落ち着くが、北の僻地のラーザーンも安泰ではなかった。革命が押し寄せ、一家は更なる苦難に見舞われるが……。

 現実と幻想が入り乱れた、ある家族の物語。
 語り手は、13歳の末娘バハール。第5章で衝撃の事実が明らかになります。それまで、ちょっと不思議に思っていたことがあったのですが、それで合点がいきました。
 全19章ですから第5章なんて序盤。とはいえ、その仕掛けを明かすとはじめて読むときの楽しみを奪ってしまうことになりますから、ここでは書きません。
 スモモの木の上での啓示にはじまり、テヘランであったこと、両親が出会ったエピソードなど、過去を織り交ぜながら展開していきます。作中で、ガルシア=マルケス『百年の孤独』に触れられていますが、雰囲気が似てました。同じように、非現実的な出来事があたりまえのように起こります。
 かなり残酷なことを、幻想を交えることで中和しているようでした。ソフラーブの処刑なんて序の口。幻想がなかったら読み切れなかったかもしれません。

 作者はイランの人なのですが、政治難民として出国した経緯があります。原書はペルシア語ですが、本国では非公式なかたちでしか手に入らないそうです。(日本語への翻訳は、英語版からの重訳)
 読めば、なにがまずかったのか、すぐに分かります。よく書いたな、と。

 なお、イランのイスラーム革命は1978年1月〜1979年2月。その後、イラン・イラク戦争が勃発します。1980年9月〜1988年8月です。


 
 
 
 

2023年05月08日
マーク・トウェイン(大久保博/訳)
『王子と乞食』角川書店

 16世紀。
 トムの父親のジョン・キャンティは、泥棒でした。そしてトムは物もらいでした。
 トムは親切なアンドルー神父から、人の行くべき正しい道や、文字の読み書きを教わりました。トムは、アンドルー神父のしてくれる楽しい昔話や伝説が大好き。空想の翼を羽ばたかせ、いつしか自分で王子さまの役を演じはじめました。
 たった一度でいいから本当の王子さまを見たい。そう思いはじめたトムは、王さまの宮殿に行きました。
 トムの目の前、金で飾られた門の向うに、ひとりの少年がいます。トムと同じ日に生まれたエドワード王子でした。もっとよく見ようとしたトムは、門を守っていた兵隊に手荒く突き飛ばされてしまいます。
 そのようすが王子さまの目にとまりました。立腹した王子さまによって、トムは門の内側に入れてもらえました。しかも王子さまの私室に案内されて、トムは大喜び。
 王子さまは、王子さまらしい思いやりと躾とから、召使いたちをみんな引き下がらせました。そうすれば、この身分のいやしい客が気まずい思いをせずにすむだろう、と考えたからです。
 トムは王子さまからいろいろと質問されました。トムがする話は王子さまにとっても楽しいものでした。トムが、殿下がお召しになっておられるような着物を一度着てみたいともらすと、王子さまは、すぐにその願いをかなえてくれました。
 トムは王子さまのピカピカするものを、王子さまはトムのボロを着て、大きな鏡の前に立ちました。すると、衣裳替えなどしたなんて、ちっとも思えないのです。ふたりはそっくりでした。
 そのとき王子さまが、トムの手に打ち傷を見つけました。あの門のところで兵隊につけられたものです。王子さまは怒り、兵隊を罰するために飛び出していきました。
 残されたトムは、困ってしまいました。王子さまが戻ってこないのです。まわりの人に、自分はただの貧しいトム・キャンティだと訴えましたが、誰も信じようとしません。王子はお気が狂われたと噂がひろまりますが……。
 一方、兵隊を罰しようとした王子さまは、乞食のかっこうだったために平手打ちされ、宮殿から追い出されてしまいました。そのうえ王子さまを息子のトムだと勘違いしたジョン・キャンティが、王子さまを乱暴に扱います。
 王子さまは、マイルズ・ヘンドンという男に助けられますが……。

 児童文学。
 挿絵も当時のものを収録した完訳、完全版。
 乞食のトムと、エドワード王子のふたりが主人公。トムは機転が利きますし、王子は誇り高く、王子を助けるマイルズ・ヘンドンも大活躍します。
 序盤で父王が崩御し、エドワードは国王(エドワード6世)になります。そこから戴冠式までの1ヶ月にも満たない期間の物語です。
 序盤はトムが注目されてますが、物語をひっぱっているのはエドワードです。
 王子だ、国王だと主張しつづけるもののとりあってもらえず、ご先祖たちの苦難を思い出しては、自分にだってできると行動します。最底辺でさまざまな経験をして成長していきます。
 そんなエドワードを助けるマイルズ・ヘンドンは、貴族の次男坊です。ちょっとわけあり。
 ヘンドンは「下卑た連中に立ち向かう立派な王子さま」に感心してます。ただ、本物の王子だとは思ってません。虐待されておかしくなってしまった子供、と考えています。そのうえで、この子の〈夢と影の王国〉につきあってやろう、と。
 ヘンドンにも物語があり、その物語は王子のそれと共鳴するようになってます。とにかく、ヘンドンがいい人。何度でも会いたくなります。


 
 
 
 

2023年05月10日
ミハイル・ブルガーコフ
(増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ/訳)
『犬の心臓・運命の卵』新潮文庫

 ソビエト連邦を舞台にしたSF的中篇集。
 ちょこちょこと解説がついていて、それがどういう意味なのか、どういう風刺なのか、社会主義国がどういうところなのか、知らない人にも分かるように配慮されてます。かなりおちょくっていて、庶民には人気があったけれども絶版になったり発禁にされたりしていた時期があった、というのも頷けます。
 なお、執筆は1925年です。そのころの米英のSFとは毛色がまったくちがっていて、そういう面からも興味深く読みました。

「犬の心臓」
 モスクワのプレチステンカ通りに、たいていの犬がそう呼ばれるように、コロと呼ばれる野良犬がいた。コロは、ひょろのっぽでヨレヨレしていて、毛がもじゃもじゃのやせっぽち。腹をすかし、ときには虐待されながらも人間たちを観察している。
 ある日コロは、見知らぬ紳士にソーセージをもらった。それも、高級なクラクフ風ソーセージを。コロはたちまち紳士に忠誠心を発揮する。
 紳士の正体は、フィリップ・フィリーパヴィチ・プレオブラジェンスキー教授。実は、下垂体と睾丸を同時移植する実験をするつもりでいる。
 自分がどうなるか知らないコロは、大喜びでプレオブラジェンスキー教授の飼い犬になった。贅沢なおいしいものを食べ、散歩させてもらい、充実した毎日を送る。
 その日は突然やってきた。プレオブラジェンスキー教授は死んだばかりの若い男性の臓器を手に入れると、コロに問題の臓器を移植したのだ。
 コロは徐々に人間のようになっていく。言葉をしゃべり、二本脚で歩き、自分の意見を表明する。やがて、ポリグラフ・ポリグラフォヴィチ・コロフと名乗りだすが……。

 序盤はコロの語りです。すぐには手術しないので、ちょっと夢見がちなコロのかわいらしさを堪能できます。それだけに、コロフとなって変わり果てた姿が痛ましい。
 教授は体制からはみ出した存在で、コロフは体制を逆手にとった存在です。体制って、滑稽。そう笑えるのも、体制下にはないから、なんでしょうね。

「運命の卵」
 ヴラディーミル・イパティエヴィチ・ペルシコフは、モスクワ動物学研究所長。両生類あるいは爬虫類に少しでも関係した分野にかけては世界でも3本の指に入る、超一流の学者だった。
 ある日、顕微鏡を覗いていたペルシコフは、不可思議な光線に気がついた。色とりどりのカーブした光の束の中に、特に目立ってくっきりと太い線があったのだ。これまで何度となく顕微鏡を覗いてきたが、そんな太い線は初めて。
 光線は鮮やかな赤い色で、まるで針のように、光の束から少し飛び出している。その光線を浴びた観察対象は、激烈な増殖を起こしていた。驚いたペルシコフは、カエルの卵を使って卵細胞に及ぼす光線の作用を調べた。
 助手は、生命の光を発見したと大興奮。巨大都市モスクワに、光線とペルシコフ教授のうわさがたち始める。
 そのころ連邦では、鶏の疫病が大流行していた。鶏が次々と死んでいき、ペルシコフも実験どころではなくなってしまう。病原菌を見つけようと、検査にかかりきり。疫病が収束したとき、連邦内に鶏は一羽もいなくなっていた。
 ペルシコフはいよいよ実験を再開できると意気込むが、アレクサンドル・セミョーノヴィチ・ロックに邪魔されてしまう。国営の集団農場長であるロックは、クレムリンからの秘密の命令書を持っていた。ペルシコフの発見した光線で、養鶏業を復興させようというのだ。
 ロックに実験で不可欠な装置を奪われ、ペルシコフは怒り心頭。鶏の卵ではまだ何の実験もしていないと、猛反対するが……。

 クリーチャーもの。
 ただ、そこに至るまでがちょっと長め。ブルガーコフの作風なんでしょうね。表面上だけでもおもしろいですが、解説を読むと、作中の出来事にさまざまな意味が込められていることが分かります。


 
 
 
 

2023年05月13日
レオ・ペルッツ(垂野創一郎/訳)
『最後の審判の巨匠』晶文社

 1909年。
 ゴットフリート・フォン・ヨッシュは、悲劇的な騒動について手記をしたためた。
 あのとき、何百年もの過去から来た見えない敵、血肉を持たぬ恐るべき亡霊を追跡した。渦中にいるときには長く感じていたが、たった5日間の出来事だったとは。
 あの日の朝刊に、ベルクシュタイン銀行倒産が小さく載っていた。すでに預金を引き出していたため、ヨッシュに影響はない。ただ、舞台俳優のオイゲン・ビショーフのことが脳裏を横切った。
 オイゲンの周囲の人たちは、新聞を隠してしまった。他の心配事を片付けてから、と考えたらしい。ビショーフ邸を訪れたヨッシュもそのことを知ってはいる。
 ビショーフ邸でヨッシュは、ヴァルデマール・ゾルグループと出会った。再会らしいが記憶になく、ヨッシュは反発してしまう。ゾルグループが長々と、オイゲンの妻ディナの手にかがみこみ、熱心に何事かを話しかけていたからだ。
 その日、オイゲンは奇妙な話をした。
 ある若い海軍士官の弟が、突然自殺したという。遺族は自殺したことが信じられず、海軍士官が調査した。弟の習慣を調べ上げ、すべて自分で体験してみたのだ。
 2ヶ月がたったころ、海軍士官も自殺してしまう。所有していたリボルバーは使わず、どういうわけか窓から飛び降りた。残されていた書置には「怖るべき」と書きなぐってあったという。
 理由も原因も分かっていない。
 オイゲンは仲間たちに促され、リチャード三世を披露することになった。その前に軍服のボタンを見たいと言って、オイゲンは四阿に向かう。
 銃声を耳にした仲間たちが四阿にかけつけたとき、オイゲンは机のそばの床に横たわっていた。固く伸ばした右腕はリボルバーを握っている。まもなく息を引きとった。
 明らかに自殺だ。だが、ヨッシュはディナの弟フェリックスから告発されてしまう。
 ディナは、4年前にはヨッシュの恋人だった。そのことを知るフェリックスは、ヨッシュがビショーフ家に接近していくさまをずっと監視してきた。ヨッシュがオイゲンを自殺に追いこんだのだ、とフェリックスはいう。
 ヨッシュはうろたえるが、ゾルグループがヨッシュは無関係だと断言した。オイゲンの死は一連の不可解な自殺と関係している、と指摘するが……。

 ヨッシュの手記という体裁の、ミステリのような幻想のような。
 最初に「後書きに代わる前書き」があります。
 ほのめかし過多で、最初に読んだときには意味不明に思えたことも、後で読み返してみると、そういうことか、と。
 ヨッシュは男爵で、元軍人でもあります。ただし実戦経験はありません。ディナに未練たらたらで、フェリックスに非難されると、もしかして自分がやっちゃったのかも、などと考え始める始末。
 ミステリでいえば探偵役となるゾルグループも元軍人です。過酷な戦場を生き延びた経験があり、少々トラウマになってます。

 作者はミステリとして書いたつもりはないそうです。確かに、当事者の手記という、真偽に疑問がつくスタイルですから。
 ミステリを期待して読むと狐につままれた感じになってしまうかもしれません。


 
 
 
 

2023年06月04日
セルバンテス(牛島信明/訳)
『ドン・キホーテ』全六巻/岩波ワイド文庫

 ラ・マンチャ地方のある村に、キハーダ、あるいはケサーダ、それともケハーナと呼ばれている郷士が住んでいた。やせて頬がこけ、狩りが大好きで、50歳にならんとしていた。
 暇を持て余した郷士がむさぼるように読みふけっているのは、騎士道物語。来る日も来る日も騎士道物語に浸りきった結果、狩りに出かけることも、家や田畑を管理することも忘れて、ついには正気を失ってしまった。郷士の頭のなかは、魔法、途方もない出来事、恋愛沙汰、一騎打ちといった妄想でいっぱい。
 騎士道物語は、検閲官によって認可され、国王陛下の勅許を得て印刷された書物だ。ありとあらゆる人びとがひとしく喜びを覚えながら読み、誉め称える書物が嘘いつわりであろうはずがあるか。
 郷士は、騎士道物語がすべて本当にあったことだと思いこんでしまったのだ。
 思慮分別をすっかり失くした郷士は、冒険にでかけることを決意する。甲冑に身をかため、馬にまたがって遍歴の騎士となり、世界中を歩きまわっては世の中のあらゆる種類の不正を取り除くのだ。そうすれば、すでに忘れ去られた騎士道もこの世によみがえらせることができよう。
 郷士は、痩せた愛馬をロシナンテと名づけた。そして、自分自身は、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名のることにした。
 遍歴の騎士には、思い姫も欠かせない。
 ドン・キホーテは、ひところ思いを寄せていた田舎娘を思い出した。ほど遠からぬトボーソの村に住んでいた見目うるわしい娘は、名をアルドンサ・ロレンソといった。ドン・キホーテはアルドンサを、ドゥルシネーア・デル・トボーソと呼ぶことにした。
 用意万端ととのえて出発したドン・キホーテだったが、災難に遭ってしまう。騎士に任じられはしたものの、すぐに帰宅することになった。だが、遍歴の騎士の妄想はとどまらない。
 ドン・キホーテは、近所に住むサンチョ・パンサに声をかける。遍歴の騎士には従士がいるものなのだ。
 サンチョは、善良ではあるがちょっとばかり脳味噌の足りない農夫。島をくれるというドン・キホーテの口約束につられて、妻と子供を見捨ててまで従士におさまることになった。
 ドン・キホーテはサンチョをつれ、ふたりで旅に出るが……。

 騎士道物語のパロディ。
 アラビア人の史家シデ・ハメーテ・ベネンヘーリが実在人物(アロンソ・キハーノ)に注目して執筆したものを、セルバンテスが発見し、モーロ人に頼んでスペイン語に翻訳してもらい、セルバンテスが編集した、という設定の物語。もちろん、ベネンヘーリもキハーノ(ドン・キホーテ)も架空の人物。
 前篇(三分冊)を「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」として1605年に発表。1615年になって後篇(三分冊)として「機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」が世に出ました。
 間に10年があるため趣が異なっており、前後篇というより正伝と続編といった感じ。実際、前篇でひとまず終わってます。

 前篇は、ドン・キホーテの冒険そのものよりも、身の上話が多いです。小説の朗読などもあります。とはいえ、枠物語という雰囲気はないです。
 後篇で中核を成すのは、騎士道物語が好きでドン・キホーテの物語(前篇のこと)も読んでいる公爵夫妻が絡むエピソードです。この公爵夫妻が、自分たちのお楽しみのためにドン・キホーテとサンチョを愚弄します。金持ちってやつは……。

 ドン・キホーテは理論整然とした人物で、かなりマトモな発言がが多いです。騎士道が絡んだ途端ムチャクチャなことを言い出すので、その落差がおもしろみのひとつ。周囲の人たちは、どう扱えばいいのか苦慮することになります。
 物語が進むにつれ、少しずつ狂気の度合いが変化していきます。
 作中もっとも魅力的なのは、従士のサンチョ・パンサでしょう。欲張ったりもするけれど、自分の身の丈をわきまえてもいます。ちょっと魔が差しちゃったり、ドン・キホーテの言葉を鵜呑みにしたりもします。
 サンチョは、ときにはドン・キホーテと別行動で大活躍します。

 17世紀初頭のスペインの物語ですから、性差別、人種差別、宗教差別、てんこもりです。そのあたりは許容しないと読めません。
 当時のものと思われるギュスターヴ・ドレの挿絵が、絵画のようで、それだけで見応えがありました。


 
 
 
 

2023年06月08日
パミラ・ブランチ(小林晋/訳)
『死体狂躁曲』図書刊行会・奇想天外の本棚

 ベンジャミン(ベンジー)・カンは、釈放された。
 謀殺容疑で捕まり裁判で無罪となったものの、不安は拭えない。事件は新聞にも写真入りで載った。ベンジーは、人びとに顔を知られていることを意識している。
 それに、家に帰っても、もうレイチェルはいない。逆上したベンジーが絞殺してしまったからだ。
 そんなとき、クリフォード・フラッシュに声をかけられた。
 フラッシュも絞首台の縄を知っている。1937年にボーンマスで、フォークストンで、バースのすぐ近くで、殺したのは3人。一命を取り留めた4人目の証言のおかげで釈放され、その4人目と結婚した。
 その4人目の女性は結婚して3ヶ月で自殺している。本当に自殺だったのか、ベンジーは疑念を抱く。
 ベンジーはフラッシュに連れられ、アスタリスク・クラブにやってきた。
 裁判で無罪になった者だけが、アスタリスク・クラブに入会できる。会費はかからない。条件はただひとつ。財産を無条件でクラブに寄贈する旨の遺言状を作成しなければならない。
 ベンジーにもアスタリスク・クラブの利点は分かる。だが、恐怖に襲われてもいた。財産譲渡書類に書名することは、死刑執行令状に署名することも同然ではないか。
 フラッシュは、入会しなければならない義務はないという。決めるまで滞在していいというが、あいにく満員だった。アスタリスク・クラブの隣家がちょうど下宿人を募集しており、ベンジーはそこに泊まることになる。
 隣家は、ヒルフォード夫妻、バーコ夫妻という芸術家たちの共同住宅。ファン・ヒルフォードは画家、ヒューゴー・バーコは彫刻家、バーサ・バーコは工芸家だ。誰も、ベンジーの正体に気がつかない。
 緊張していたベンジーは安堵したものの、帰宅したピーター・ヒルフォードに気づかれてしまう。なにしろピーターは、写真家兼探偵作家。ベンジーの写真をとるために裁判所に行っていたのだ。
 ちょうど同じ日、共同住宅は補鼠官アルフレッド・ビーサムも迎えていた。ねずみが大量発生していたのだ。ビーサムはねずみについて延々と講釈を垂れ流す。
 ベンジーは、ピーターに気づかれたことで明日には下宿から出ていく気でいる。ねずみも嫌だ。だが、アスタリスク・クラブの面々が恐ろしくてならない。
 ベンジーはおののきながらも眠りにつくが……。

 死体をめぐるミステリ。
 1951年の、ちょっと古い時代の物語です。
 ベンジーが眠りにつくところまでは、ほんの序章。その後、大騒動が勃発し、雰囲気も一気に変わって物語がはじまります。群像劇となっており、ベンジーは騒動の渦中にはいますが中心人物ではないです。
 出版社の紹介文を読んだとき、おもしろそうだと思いました。実際に読むころには、なにをおもしろそうだと思ったのか、きれいに忘れてました。おかげで、ベンジーが眠ったあとに起こった出来事にびっくり。
 あの紹介文を覚えていたらこの衝撃を味わえなかった! 事前知識なしで読むと、驚けます。裏表紙に書いてありますが、そちらに目を通すことなく、読みはじめることをおすすめします。


 
 
 
 

2023年06月09日
リチャード・マシスン(本間有/訳)
『縮みゆく男』扶桑社ミステリー

 スコット・ケアリーは、身体が縮みつづけていた。一日あたり、7分の1インチずつ。身長がゼロになる人生最後の一週間だというのに地下室に閉じこめられ、命を狙う蜘蛛から逃げつづけている。
 スコットは決心していた。とにかく生き抜こう、と。あと6日で消えうせるにしても。
 スコットは、裂いたハンカチでくるんだスポンジをベッドにしていた。コンクリートブロックにおかれた温水器の下にベッドを置き、暖をとれる避難所としている。上階に住む妻と娘は、スコットがここにいることを知らない。
 スコットが、縮んでいることを妻のルイーズに打ち明けたとき、発症してから1ヶ月が経っていた。ルイーズは、かつては見上げていたスコットが、自分と同じ身長になっていることに驚愕していた。
 ルイーズに懇願されて検査をしてもらったが、医師は困惑するばかり。大学病院でも治療法は見つからず、新薬の開発に望みをつないだが、効果はなかった。
 スコットが地下室に囚われて5週間が経つ。これまで、傷んだ食パン一枚が頼りだった。それももう終わり。なんとかして、食料を探さねばならない。
 スコットは、クラッカーが冷蔵庫の上にあることを知っている。自分がおき忘れたのだ。
 使われなくなり地下室に置かれた冷蔵庫は、あのころは、なんてことのない高さだった。しかし、7分の5インチ(1.8センチ)の人間にとっては巨大だ。
 スコットは、クラッカーを手に入れようと画策するが……。

 体が縮む奇病にかかった男の物語。
 最後の一週間が過ぎていく合間に、そこにいたるまでの過程が少しずつ明かされていきます。身長ゼロになったらどうなってしまうのか。そこが読みどころ。
 検査費用は厖大で、金が底をついても子供並みの体格になってしまって仕事を続けられず、世間から好奇の目で見られ、性的欲求は満たされない。
 苦悩の連続とはいえ、スコットがもうちょっと後先考える人だったら、と思わずにいられません。縮むスピードが一定のため、いつ、どういう体格になるのか、分かっていたはずなんですけど。
 スコットもルイーズも、そうなってから右往左往する印象でした。精神的なことはそのときにならないと分からない、というのはあると思います。それが中心ですけれど、どうしても子葉が気になってしまうのでした。 

 
 

 
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