《六連合》シリーズ最終巻
宇宙に版図をひろげる専制国家〈六連合〉は、優暦に基づく〈暦法〉によって領域を支配していた。
殺戮者ジェダオの記憶を持つチェリスは、ブレザンと共謀して暦法改新を行なう。さらに、6人いる総裁のひとりミコデスが、チェリスに与してほかの総裁5人を死に追いやった。混乱に陥った〈六連合〉は、チェリスの思惑どおり崩壊した。
だが、影で総裁たちを操っていた不死者クジェンを逃がしてしまう。
それから9年。
かつて〈六連合〉があった宙域の半分を占める〈協和領〉では、民主国家としてあらゆることを投票で決める体制を整えている。チェリスとは革命直後から連絡がとれておらず、ブレザンが最高指導者となった。ミコデスは助力してくれるが、表にはでてこない。
残り半分の宙域では、護民官を名乗るイネッサーが〈護民領〉を支配していた。イネッサーは、六連合の復活を目指している。
これまでブレザンとイネッサーは対立してきた。だが、共通の敵を前に手を結ぶことを迫られる。〈六連合〉に固執するクジェンが、ジェダオを復活させていたのだ。
ジェダオは、悪名高くても史上最高の戦略家。だが、目覚めたジェダオはアカデミーの1年生のつもりでいた。そのころは〈七連合〉の時代で、ジェダオもまだ殺戮者にはなっていない。
ジェダオは、クジェンに忠誠を誓うが……。
宇宙SF。
暦法改新9年後からはじまり、9年前の出来事も折りまぜつつ展開していきます。
一応、主人公はチェリス。9年かけて向かったのが、辺境の星系にある衛星テフォス。
テフォスにはクジェンの記録が秘密裏に保管されていて、クジェンはジェダオを伴って定期的に訪れてます。チェリスはジェダオとしてテフォスに現れ、維持管理している僕扶(ロボット)と交渉して記録を持ち出します。
とにかく設定が複雑。
シリーズ3作目とあって世界設定の説明は最小限にされてます。人物についてもきちんとした説明はありません。その一方で、これまでに判明していることを隠して驚かせようとしたりもします。
前作でもそんな感じだったので、そういうつもりではないのかもしれません。どうも、ちぐはぐさを感じてしまいました。
2023年09月05日
イーアン・ペアーズ
(池 央耿/東江一紀/宮脇孝雄/日暮雅通/訳)
『指差す標識の事例』上下巻/創元推理文庫
1642年。
イングランドでは、絶対王政を目指すチャールズ一世と議会との対立が激化し、内戦が勃発した。議会軍は〈長老派〉と〈独立派〉に分裂したが、すべてに勝利をおさめたのは〈独立派〉のオリヴァー・クロムウェルだった。
共和国が誕生するものの長くは続かない。クロムウェルが亡くなると国王を求める声が高まっていく。王政復古が成り、チャールズ二世が亡命先のオランダから帰国した。
1663年。
マルコ・ダ・コーラは、イタリアの貿易商の息子。医学校に通っていたが、医者になるつもりはない。
このころイングランドは、動乱後の荒廃からようやく立ち上がろうとしているところ。コーラの父はイングランドの貿易商と手を結び、さまざまな贅沢品を輸入して利益を分け合っていた。ところがトラブルが発生し、コーラがイングランドに赴くことになる。
イングランドについたコーラは恩師の紹介状をもとに、オックスフォードのロバート・ボイルを頼ろうとする。コーヒー・ハウスにいるというボイルを訪ねていくと、医者らしき男と助力を仰ぐ女のやりとりを目の当たりにした。
コーラは、退けられ立ち去る女に声をかけた。医者ではないが知識はある。なにかできるのではないか、と思ったのだ。
女の名はサラ・ブランディ。年老いた母が、脚の骨を折ったという。ブランディ母子は極貧にあえいでおり謝礼は期待できなかったが、コーラは真摯に治療してやった。
コーラはあちこちで交友し、情報を集めていく。
そんなとき、オックスフォード大学の教師であるロバート・グローヴ博士の死体が発見される。グローヴ博士の死因は心臓発作と思われた。だが、疑惑が生じる。
グローヴ博士は召使いの女と情交があると噂され、女を解雇していた。その女とは、サラ・ブランディ。コーラがコーヒー・ハウスで目撃した、サラの頼みを拒絶した男がグローヴ博士だった。
グローヴ博士の死因が砒素である可能性が示され、サラが毒を盛った疑いで逮捕されるが……。
歴史ミステリ。
グローヴ博士の死にまつわる謎を主軸に、4人の人物が手記をしたためます。
最初がコーラ。それを受けて、コーラは主張する通りの人物ではない、と指摘している人物が現れ、さらに、それは思いこみでコーラの正体はかくかくしかじかだと第三の人物が糾弾します。最後に登場するのは、客観的立場にあるかとおもいきやどっぷりはまってる第四の人物。
それらの人物が誰なのかも楽しみのひとつ。視点の違いからくる人物評の変遷が興味深いです。コーラがどう思われていたかもありますし、それぞれの人物がコーラからどう語られていたかもあります。
同じ出来事が4回語られるわけですから、角度の相違をおもしろく思える人もいれば、飽きてしまう人もいるかもしれませんね。
2023年09月07日
ラリイ・ニーヴン(小隅 黎/訳)
『インテグラル・ツリー』ハヤカワ文庫SF693
播種ラム・シップ〈紀律(ディシプリン)〉号の目的は、原初地球のような惑星がありそうな恒星を歴訪していくこと。目標に適した惑星が見つかったら、改良された藻類を弾頭につめたミサイルを投下する。
その恒星は、太陽とそっくりのスペクトルを持つ黄白色の星で、見えない伴星のまわりをまわっていた。
それから512年。
中性子星ヴォイを取り囲むスモーク・リングを人類の末裔たちが居住圏としている。科学技術の多くは失われ、過去の記憶の断片だけが意味も分からないままに受けつがれていた。
ギャヴィングは、クィン一族の少年。スモーク・リングに浮かぶインテグラル樹の支幹で暮らしている。
ギャヴィングがはじめて参加した狩りは、惨事に終わった。危険を顧みなかった〈議長〉の息子が、死んでしまったのだ。〈議長〉には、ただ行方不明と報告される。
このころクィン一族は、飢餓に陥りつつあった。一族を率いる〈議長〉は、新たな食料を得るために探検隊を送り出すことに決める。だが、それが名目であることは誰もが承知していた。
選ばれたのは不具者と厄介者ばかり。そこに新たにギャヴィングが加えられた。ギャヴィングにとっての安心材料は、探検隊の指揮をとるのがクレイヴだということ。
クレイヴは一族の人気も高く、随一の狩人だ。〈議長〉の娘婿でもある。ただ、妻と疎遠になっており、若い恋人たちがいた。それで探検隊に追い払われたのだ。
一行は新たな食料を求めて、インテグラル樹を登っていく。ついには、先祖たちが袂を分かったドールトン=クィン一族の縄張りの境目までたどり着いた。そして、ドールトン=クィンの者たちに見つかってしまう。
インテグラル樹に激震が走ったのは、戦いがはじまったときだった。
インテグラル樹も生き物だ。スモーク・リングから外れては生きていけない。そんなときには、中心からふたつに裂かれ、片方を捨てることで、もう片方を中心に引き戻す。
ギャヴィングたちは投げ出され、漂う樹皮へと避難するが……。
冒険もの。11年ぶりの再読。
人類の末裔たちは、生活環境から大幅に身長が伸び、また足の指が発達して手のように使えるようになってます。
最初はギャヴィングの視点だけで世界が説明され、インテグラル樹を登る冒険が始まります。やがてドールトン=クィン一族の者の視点が入り新たな冒険が始まります。それから……と、冒険がはじまるたびに登場人物が増え、世界が広がっていきます。
ギャヴィングは、激変していく環境に対応しながら大人になっていきます。
また、〈ディシプリン〉のAIがまだ生きていて、末裔たちと交信しようとしています。なぜスモーク・リングで暮らすようになったのか、それについては続編『スモーク・リング』に持ち越されてます。
2023年09月09日
ラリイ・ニーヴン(小隅 黎/訳)
『スモーク・リング』ハヤカワ文庫SF788
『インテグラル・ツリー』続編。
中性子星ヴォイは、スモーク・リングに取り囲まれていた。スモーク・リングには、インテグラル樹と共に多くの原生生物が棲息している。人類の末裔たちも、ちらばって生き延びていた。
シチズン・ツリーに市民たちが住みついて14年。冒険の日々は終わり、インテグラル樹をはなれることもなく平穏に暮らしている。
ある日〈科学者〉ジェファーは、〈監督官〉ケンディからの接触を受ける。
ケンディは、播種ラム・シップ船〈紀律(ディシプリン)〉号のコンピュータ人格。かつてシチズン・ツリーの市民たちと交信した際には良好な関係を築けず、ひそかに見張っていたのだ。
ジェファーはケンディから、燃えた木が接近しつつあることを警告される。
木は〈きこり〉のサージェント一家の持ち船だった。救助されたサージェント一家によると、ラグランジュ・ポイント〈クランプ〉に、アドミラルティという街があるという。アドミラルティは軍隊を擁し、さまざまなものが交易されているという。
ジェファーは新しい知識や交易品に興味を抱く。ケンディも、アドミラルティの様子が知りたくてたまらない。だが〈議長〉のクレイヴは訪問に消極的。
シチズン・ツリーは隠れたままでいることが議決されるが……。
冒険もの。11年ぶりの再読。
ただし、前作『インテグラル・ツリー』と比べてしまうと、かなり穏やか。はじめての街に行くのは冒険ですし、犯罪行為も行なわれますが、雰囲気は落ち着いてます。
ジェファーが中心になってあれこれ画策するものの、主人公らしいのはギャヴィングの息子ラザー。前作でのギャヴィングと同年代なので世代交替といったところでしょうね。
なお、地球と年数の数え方が違うので注意が必要です。
今作で、〈ディシプリン〉がやってきたころのことや、ケンディと乗組員たちの断絶理由が明らかになります。そちらを書くことが目的だったのかな、という印象でした。
2023年09月10日
チェーホフ(浦 雅春/訳)
『かもめ』岩波文庫
作家を目指しているトレープレフは、母のアルカージナと共に、伯父ソーリンの屋敷に逗留している。屋敷の庭園の一角に仮設舞台を設け、家庭劇を披露するところだ。
女優でもあるアルカージナには、トレープレフの劇が気に入らない。デカダンめいたお念仏に思えてしまうのだ。トレープレフが言う「ほんの座興」という言葉そのままに、劇の最中にも辛辣な意見を口にする。
怒ったトレープレフは、さっさと幕を下ろしてしまった。
そのとき舞台の上にいたのは、ニーナ。女優を志す、トレープレフの恋人。劇の失敗は、ふたりの仲に暗い影を落とす。
気分が晴れないトレープレフは、湖でかもめを撃ち殺した。卑劣なまねをした自覚はあり、やがては自分を撃ち殺すのではないかとニーナに打ち明ける。トレープレフは、ニーナの足もとに死んだかもめを置くと立ち去った。
屋敷には作家のトリゴーリンも滞在している。ニーナのもとにやってきたトリゴーリンは、死んだかもめから着想を得る。
ある湖の岸に若い娘が暮らしている。かもめのように湖が好きで、仕合わせで、かもめのように自由だった。ところが、たまたまやてきた男が退屈まぎれに娘を破滅させてしまう。
ニーナはトリゴーリンに惹かれていくが……。
戯曲。
チェーホフの四大戯曲のひとつ。
ニーナのセリフ「私はかもめ」が知られてますが、あまり深く考えたことはありませんでした。死んだかもめと、作家の題材が背景にあったとは。
劇そのものには動きがないです。いろんな出来事が起こるのは劇の向こう側。その結果が、人びとの言葉や態度に現れてくる……という仕掛けになってます。
なんでも初上演時には、喜劇だと思われて観劇されてしまったために大失敗だったそうです。まるで、トレープレフの家庭劇のようだと、今にして思います。
2023年09月13日
リチャード・パワーズ(木原善彦/訳)
『惑う星』新潮社
宇宙生物学者のシオドア(シーオ)・バーンは、宇宙で生命を探す研究をしている。現在のアメリカでは、すぐには人の役に立たないような研究には、なかなか予算がまわってこない。だが、なかなか仕事に専念できない。
妻のアリッサが、息子ロビンを残して事故死した。
そのときから、ひとりでロビンを育てている。心にトラブルを抱えている子で、ふたりの医師がアスペルガーだと診断し、ひとりはおそらく強迫性障害だと言って、別のひとりは注意欠陥多動障害(ADHD)の可能性があると言った。
投薬治療を勧められたが、シーオの考えでは、向精神薬を飲ませるにはロビンは若すぎる。まだ小学3年生だ。だが、手に負えない癇癪持ちであることは変わらない。
ある日ロビンは学校で、ただひとりの友だちに水筒を投げつけ、頬骨を骨折させてしまった。校長に呼びだされたシーオは、脅されてしまう。必要な治療を与えるか、州政府の介入を受け入れるか、ふたつにひとつだ、と。
どうしようもなくなったシーオは、マーティン・カリアーに相談した。カリアーはアリッサの仲間で、恋人だった時期もある。シーオは複雑な思いでいるが、人間の感情を研究しているカリアー以外に、相談できる人がいなかった。
カリアーは今、コード解読神経フィードバック訓練法(デクネフ)がどれだけ有効かを試している。子供の被験者はデータとしてとても貴重だ。学内の研究論理審査委員会もパスできると、実験への参加を勧められた。
実験では、スキャニングを行なうAIが、脳内神経結合の活動パターンをすでに記録されたテンプレートと比較する。数年にわたる瞑想を通じて高度に安定した精神状態に達した人たちの合成パターンを与え、行動変容をうながすのだ。
シーオとしては、向精神薬を飲ませることなく、校長にも大学のプログラムに参加したと説明できる。ロビンも興味を示し、治療がはじまるが……。
専制的な大統領によって分断されたアメリカを舞台に展開される父と息子の物語。
シーオの回想録。アリッサ存命時の思い出なども豊富。シーオのセリフは「 」で括られてますが、その他の人については書体を変えることで対応しています。
序盤にダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』の話題があり、作中なんどか触れられてますが、そういう感じです。
保管されていたアリッサのデータを使い、ロビンは飛躍的によくなっていきます。シーオは、ロビンの中にアリッサがいるのではないかと、動揺したりもします。
『アルジャーノンに花束を』の記憶があるために、この後こうなるんだろう、と予測ができてしまいます。知らずに読めれば最高でしたが、知っていても、訴えるものがありました。
2023年09月17日
アヴラム・デイヴィッドスン(福森典子/訳)
『不死鳥と鏡』論評社
ヴァージルはナポリの魔術師(マグス)。
地下通路でマンティコアに襲われそうになっていたヴァージルは、トゥーリオという男に助けられた。トゥーリオの女主人は、前のナポリの公(ドージェ)だったアマデオの娘、コルネリア。
コルネリアは、カルスス国の自称王位継承者ヴィンデリチアンと結婚した。ヴィンデリチアンはコルネリアの策略で王座に就いたものの亡くなり、ナポリに帰ってきたコルネリアは、郊外の邸で暮らしている。
ヴァージルはコルネリアから〈無垢なる鏡〉を作るように頼まれた。娘のラウラが、カルススからローマ街道を通ってナポリに向かったが到着が遅れている、という。ラウラの居場所を〈無垢なる鏡〉に問いたい、という。
最初に〈無垢なる鏡〉を覗いた人物は、一番見たいと願っている光景を見られる。過去や未来ではなく、その時点の、命に限りある人間の世界で実際に起きている場面を見ることができる。
理論的には〈無垢なる鏡〉を作ることはできる。作り方についての記録もある。だが、その依頼を受けるには難題が多すぎ、現状では不可能だった。
あくまで固辞するヴァージルだったが、魂のうちのひとつを奪われてしまう。ヴァージルは、コルネリアにそんなことができるとは思っていなかった。自分自身を取り返すため、引き受けざるを得なくなる。
最大の問題は、材料集めだ。
作業の根幹のすべては無垢なる物質を作ることにある。まだ人の手によって加工されていない、無垢なる錫と無垢なる銅が必要だった。錫や銅の鉱石は、ナポリで売られていない。
銅はキプロス島が産地だが、航路が、10年以上前から凶暴なフン族の船団により遮断されている。ローマ帝国は協定を結んでいるが、荷を運べるのは一年に一度きり。何年も前に発注しておかなければ希望の品を手に入れることはできない。
もっとやっかいなのは錫だ。産地がティンランドなのは分かっている。ティンランドは〈大暗海〉の北西にあり、タルティスよりずっと遠いらしい。経由地のタルティスはずっと昔に征服されて滅亡した。
タルティスの末裔たちの小さな共同体が、ローマ帝国内に何か所かある。ヴァージルは、かれらに接触をはかるが……。
古代ローマを舞台にした幻想もの。
ただし、舞台となる古代ローマは、のちの世のヨーロッパ大衆が勝手に思い描いていた空想上のもの。実在した詩人ウェルギリウスが、魔法使いとして活躍する武勇伝がひとり歩きしていたんだそうで。魔法と神話が入り混じってます。
ウェルギリウスは、古代ローマで最も偉大な詩人。『アエネーイス』『農耕詩』を残してます。ウェルギリウスの短縮形の英語読みが、ヴァージルです。
1969年の作品で、翻訳が新しいこともあって古さはありませんが、古い時代の物語らしくアッサリ風味。かなり運良く、物事が動いていきます。
ミステリとしての側面もあり。コルネリアの動機が謎なんですよ。〈無垢なる鏡〉を求めるのは、娘のことが心配だというだけじゃなさそう。
なにがどうなっているのか、掴みきれないままに読んでしまいました。真相が明らかになってみれば、なるほど、と。スッキリできました。
2023年09月18日
ロビン・スティーヴンス&シヴォーン・ダウド
(越前敏弥/訳)
『グッゲンハイムの謎』東京創元社
『ロンドン・アイの謎』続編
テッド・スパークの年齢は12歳と281日。大人になったら気象学者になりたいと思っている。
3ヶ月前テッドは、いとこのサリムと友達になった。サリムは今、グロリアおばさんとニューヨークにいる。
サリムと姉のカットは、メールのやりとりをしているらしい。テッドにはメールを送ってくれなかったのに。テッドは仲間はずれにされてショックを受けてしまう。
そんなとき、グロリアおばさんの招きでニューヨークへ行くことになった。
グロリアおばさんは、グッゲンハイム美術館の主任学芸員。グッゲンハイムは、フランク・ロイド・ライトの設計だ。よくある四角形ではなく円形をしていて、中にはらせん状のスロープがある。
ニューヨークに行ったことがないテッドは、旅行に不安を感じてしまう。だが、グッゲンハイムにはパターンがいっぱいあると知り、少し安心できた。パターンを見つけるのがうれしくてたまらない。
ニューヨークについたテッドとカットと母の3人は、グロリアおばさんにグッゲンハイム美術館を案内してくもらう。美術館は、来週からの新しい展覧会に向けて、修理したり改装したりとさわがしい。
すでに古い絵ははずされている。新しい絵は、スロープの塗装とギャラリーの改装が終わってからだ。まだ飾られている絵もある。
テッドたちは、ワシリー・カンディンスキーの〈黒い正方形のなかに〉を見させてもらった。赤や黒や黄色の線と図形があちこちへ飛び出している。天気のことを描いた絵だと教えられたテッドが見直すと、突然、空模様が見えた。
テッドは〈黒い正方形のなかに〉が大好きになった。
グロリアおばさんのアイスタントのサンドラも交えておしゃべりしているとき、騒ぎになった。何かが燃えている。白くて濃い煙が階下から雲のように立ちのぼっている。
館内にいた人たちが避難して消防隊が到着するが、火事ではなく、発煙筒だったという。そして、〈黒い正方形のなかに〉が盗まれていた。
警察の捜査でグロリアおばさんが疑われ、逮捕されてしまう。グロリアおばさんの無実を証明しようと、子供たちは自分たちで調べはじめるが……。
児童文学のミステリ。
テッドの一人称で展開していきます。テッドは、おそらく自閉スペクトラム症。パターンに気づくと安心したり、なんでもないようなことでパニックに陥ったりします。
なお、グロリアおばさんは母の妹です。
ダウトが2作目を書く前に亡くなり、残されていたタイトルと一作目のキャラクターから、本作が書き継がれました。
あまり違和感はないです。テッドの症状の出方に多少の変化を感じましたが、気にするほどではありませんでした。
作中、テッドは『オデュッセイア』を読んでます。そのため、ときどき『オデュッセイア』ネタがでてきます。知らなくても問題ないレベルとはいえ、読んであった方がいろいろ分かりやすいです。
2023年09月22日
デイヴィッド・ウェリントン(中原尚哉/訳)
『最後の宇宙飛行士』ハヤカワ文庫SF2367
2055年。
サニー・スティーブンスが、天体〈2I/2054D1〉に気がついた。スティーブンスはKスペースで、電波望遠鏡観測を使って恒星間物体を探すプロジェクトを担当している。
この時代、NASAは宇宙開発に携わっていない。火星に向かっていたオリオン号で失敗し、2024年に破産したのだ。宇宙開発は民間企業のものとなり、NASAは無人機を使って、気候変動がもたらす被害を調査する衛星探査や、太陽系の惑星を調べる深宇宙探査に機能をとどめている。
会社の注意をひけなかったスティーブンスは、NASAにアプローチした。データの意味に気がつく者たちが、NASAにはまだいる。
〈2I〉は、幅10キロメートル、長さ80キロメートル。ありえないことに、自発的に減速していた。
宇宙の物体が加速や減速できるのは、重力で引っぱられたり、なんらかの抵抗にあったときだけ。そのうえ〈2I〉はコースを変え、地球を目指しはじめる。6ヶ月後には月軌道の内側に入るだろう。
〈2I〉は深宇宙から来ている恒星船の可能性が高く、異星人が乗っていることも考えられる。すぐさま予算がつき、有人ミッションが許可された。
だが、現在のNASAには人材がいない。宇宙飛行士養成計画が停止して10年がたっていた。
サリー・ジャンセンは、失敗したオリオン6号の船長。
あのとき、火星への航路でトラブルに見舞われ、乗員をひとり死に至らしめることで、自分とふたりの宇宙飛行士を救った。そのまま地球に引き返し、火星にたどりつけないばかりか火星計画は頓挫。ジャンセンの心の傷は深く、世間の声も厳しかった。
今回NASAが使うのは、保管していた21年前のオリオン7号だ。4ヶ月後、実際に飛ばせる人間としてジャンセンに声がかけられる。
データを渡す見返りにオリオン7号の席を得たスティーブンスは、おもしろくない。ジャンセンこそが、自身の宇宙への夢を打ち砕いた張本人なのだから。
即席チームが〈2I〉に向け出発するが……。
ファーストコンタクトSF。
主人公はジャンセン。オリオン7号には他に、3人の即席宇宙飛行士が乗ってます。ジャンセンを擁護しているのはひとりだけ。スティーブンスも含むふたりは批判的。
宇宙飛行士それぞれの視点から語られていきます。
〈2I〉とは、まったく交信がとれてない状況です。さらに、Kスペースの宇宙船がいきなり登場して、先に〈2I〉にたどり着きます。
アーサー・C・クラークの『宇宙のランデヴー』と比べられがちなのですが、どちらかというと、実質的にジェントリー・リーが書いた『宇宙のランデヴー2』を連想してました。
オリオン7号チームの打ち解けてなさ、Kスペースとの対立がある分、〈2I〉の内部のようすや、未知の異星人との邂逅が削られてしまってます。
結末にたどりつくために必要だったのは分かりますが、もうちょっとプロフェッショナルな人たちを読みたかったな、というのが正直なところ。
2023年09月26日
オルダス・ハクスリー(大森望/訳)
『すばらしい新世界[新訳版]』ハヤカワepi文庫
フォード紀元632年。
安定を実現するため、世界国家が人びとを受精の段階から管理している時代。きっかけは9年戦争だった。統制か、破壊か、二者択一を迫られたとき、統制を受け入れたのだ。
今では、だれもが恵まれ、ほしいものは手に入り、手に入らないものはほしがらない。みんなが安全で、病気にかかることはなく、死を恐れることもない。
かつては、そこかしこに排他性がはびこっていた。家族がいて、一夫一婦制をしき、恋愛をしていたころには。現代は、激しい感情の対象となる人間関係は否定され、みんながみんなのものとなっている。
社会の善良で幸福なメンバーは、常に適切な行動をとるもの。試験管から産まれて胎児の段階で社会階級が細かく決定されると、孵化器にいるころから条件づけがはじまる。適切でない行動をとることは、事実上、不可能だ。
これこそ進歩。
アルファ階級のレーニナ・クラウンは、なみはずれた美貌の持ち主だった。
この4ヶ月レーニナは、ひとりとだけ交際している。友人から、ずっとひとりの相手と交際するなんて不健全もいいところだと指摘されてしまう。それは自分も分かっている。
何人かからアプローチを受けていたレーニナは、バーナード・マルクスを選んだ。バーナードには、ある噂がつきまとっている。真相はだれも知らない。
バーナードは下層階級に典型的な特徴を持っていた。瓶の中にいたころに手違いがあったのだと、人工血液にアルコールが投与されて発育が阻害されたのだと噂されている。不細工で、小さいのだ。
バーナードはひどく気に病んでいるが、レーニナは気にしていない。それより、バーナードが連れていってくれるという野人保護区に興味津々。野人保護区は管理されておらず、母親(なんて卑猥!)が存在しているらしい。
ふたりは案内されて、野人保護区に入るが……。
ディストピアもの。
舞台はロンドン。ただし、ロンドンの面影はないです。
きちんと条件づけされている人びとは、なにかに疑問を感じることもなく、明るく楽しい社会を実現しています。どちらかというと男性目線の明るく楽しい社会なのですが、女性側も、それが当然と受けとめてます。
ただ、卑屈になっているバーナードは楽しめてません。利己的な目的から、野人保護区で出会った母子を利用しようとします。
これまで、ディストピアものは暗い、というイメージがありました。読んでびっくりです。とにかく明るい。
明るいけれど、まぎれもなくディストピア。人びとは幸せをかみしめているけれど、麻薬のようなソーマを手放せないんですから。
なにが本当の幸せなんでしょうね。