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2023年の記録
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このページの本たち
アクロイド殺し』アガサ・クリスティー
風の影』カルロス・ルイス・サフォン
タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ
マイ・フェア・レディーズ』トニー・ケンリック
夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ
 
リトル・カントリー』チャールズ・デ・リント
タイムラインの殺人者』アナリー・ニューイッツ
誰?』アルジス・バドリス
死者の書』ジョナサン・キャロル
三銃士』アレクサンドル・デュマ

 
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2023年03月28日
アガサ・クリスティー(羽田詩津子/訳)
『アクロイド殺し』ハヤカワ・クリスティー文庫3

 《名探偵ポワロ》シリーズ
 なにもないキングズ・アボット村の娯楽は、噂話。とりわけ、村に2軒しかない大きな屋敷の住民たちが恰好の的になっていた。フェラーズ夫人のキングズ・パドックと、ロジャー・アクロイドのファンリー・パークだ。
 フェラーズ夫人の夫アシュレー・フェラーズが亡くなったのは1年前。毎日浴びるように酒を飲んでは夫人を困らせており、夫人が毒殺したと噂がたった。フェラーズ夫人とロジャー・アクロイドの親密な間柄という噂もあった。
 ロジャー・アクロイドは、青年時代に子連れの未亡人と結婚している。やはりアルコール依存症で、4年で亡くなった。そのときアクロイドは、遺されたラルフ・ペイトンを養子にして育てた。
 そのラルフも今では25歳。自由気ままな性格で浪費家だったが、村人たちは好意を持っている。
 2年前からファンリー・パークには、アクロイドの弟の未亡人、セシル・アクロイド夫人と、その娘フローラもいた。噂では、ラルフとフローラは婚約しているという。
 そんなとき、フェラーズ夫人が亡くなった。睡眠薬を過剰摂取したらしい。自殺か事故か、噂が飛びかった。
 ジェームズ・シェパードは、キングズ・アボット村の医師。友人でもあるロジャー・アクロイドが、相談したいことがあるという。アクロイドはようすがおかしく、怯えてもいる。
 昨日のことだ。結婚を申し込んでいたフェラーズ夫人から打ち明けられた。粗暴な夫への憎しみが募り、とうとう恐ろしい手段をとってしまったことを。そして、そのことをある人物に知られてしまい、脅迫されていることを。
 アクロイドは動揺した。法を遵守する精神があり、愛のためにすべてを許すことができるタイプではない。フェラーズ夫人に頼まれるがままに時間的猶予を与えたら、亡くなってしまった。
 アクロイドは、これからどうするべきか悩んでいる。過去の事件をほじくり返す必要はあるのか。脅迫者に罪を償わせなくてもいいのか。
 アクロイドの元には、フェラーズ夫人の手紙がある。脅迫者の名前が書かれているはずだが、シェパード医師が勧めてもアクロイドは手紙を読まなかった。
 その夜、ロジャー・アクロイドは殺された。
 警察がよばれ、捜査がはじまるが……。

 《名探偵ポワロ》の長編第3作。
 シェパード医師の視点から語られます。発表時、ある論争を巻き起こしました。
 なお、本書では、ポワロではなくポアロ表記です。
 ポアロは、シェパード医師の隣家に越してきた謎の外国人として登場します。偽名で隠居生活をしていたのですが、フローラがその正体を知っており、調査を依頼します。ラルフが行方不明になっていて、警察はラルフを疑っていたんです。

 さすがにクリスティ、読みやすいです。
 断片的ないろんな情報がばんばんでてきます。誰それをどこで見かけたとか、こういう会話をしていたとか。当然ですが、噂が真実とは限りません。
 犯人が明かされたところでふりかえり、それでか〜となりました。ちょっと不思議に思ってたことが真相に関わっていて、なるほど、と。


 
 
 
 

2023年04月01日
カルロス・ルイス・サフォン(訳者/訳)
『風の影』上下巻/集英社文庫

 《忘れられた本の墓場》四部作、第一部
 バルセロナに暮らすダニエル・センペーレは幼くして母を亡くした。もうすぐ11歳になるというころ、父につれられたダニエルは、はじめて〈忘れられた本の墓場〉に足を踏み入れる。
 〈忘れられた本の墓場〉は、絶対に秘密の場所だった。書棚は書物で埋めつくされ、迷宮のようになっている。いつからあるのか、誰がつくったのか、ほんとうに知っている人は誰もいない。
 この場所にはじめて来た人は、どれか一冊を持ち帰ることになっている。この世から消えないよう、守っていくために。ダニエルが選んだのは、フリアン・カラックスの『風の影』だった。
 生粋の古書店主である父もカラックスのことは知らなかった。珍稀な本に精通しているグルタボ・バルセロに聞くと、市場には出まわっていないという。あとはみんな焼かれてしまったのだ。
 バルセロはダニエルを、姪のクララに引き合わせた。
 1936年に内戦がはじまったとき、クララは母とフランスに逃れた。フランスでの家庭教師が露天の古書店で入手したというのが、フリアン・カラックスの『赤い家』だ。1945年の今日までにクララが知っていることは、多くはない。
 カラックスは、20世紀のはじまりとともにバルセロナに生まれた。パリに移ったのは、内戦がはじまったころ。本はたいして売れず、夜のクラブでのピアノ演奏を生業にしていたという。
 噂では、結婚式当日の決闘でどうにかなり、姿を消したとか。その後の話で、故郷で亡くなって共同墓地に葬られたとも。
 それから5年。
 ダニエルは見知らぬ男から、カラックスの『風の影』に5000ペセタを提示された。ダニエルは断るが、こわくなってしまう。カラックスを手に入れては燃やしてしまう人の話は耳にしていた。
 ダニエルは〈忘れられた本の墓場〉に『風の影』を隠す。ただならぬようすのダニエルに、管理人イサックが、娘ヌリアのことを教えてくれた。
 ヌリアは、倒産したカベスタニーで働いていた。カベスタニーは、カラックスのバルセロナでの出版元だ。
 ある日、在庫のカラックスをまるごと買いとりたいという申し出があった。その人物の名は、ライン・クーベルト。火事によって倉庫が焼けてしまったのは、その日の夜のことだった。
 ダニエルが〈忘れられた本の墓場〉で見出したカラックスは、秘かにヌリアが持ち出し、隠しておいたもの。ヌリアはカラックスに特別な思いを抱いていたのだ。
 ダニエルは、ライン・クーベルトが『風の影』に出てくる悪魔の名前だと気がつく。カラックスについて調べはじめるが……。

 謎の作家にまつわるミステリ。  
 物語がはじまるのは、1945年。
 第二次世界大戦が終わった年ですが、スペインは内戦(1936〜1939年)で国が疲弊しており、参戦してません。枢軸国寄りの一応中立国家でした。

 読む前は、ファンタジーに片脚突っ込んだ話なんじゃないかと思ってました。〈忘れられた本の墓場〉が幻想的で。読んでみたら、ずっと現実的でした。
 ダニエルは初登場時は10歳ですが、主軸は16歳からの数年間。カラックスについて本格的に調べはじめてから。
 フリアン・カラックスが分かってくるにつれ、ダニエルとの類似点が浮かびあがってきます。個人商店主の息子で、金持ちの友人がおり、その妹と恋に落ちてしまう。
 カラックスについて根拠不明の噂を語る人もいるし、なにかを隠している人、嘘をついている人もいます。証言が積み重なっていき、徐々にひとりの人間が立ち上がってきます。序盤に名前が出ていたある人物が後になってでてきたり、かなり複雑に緻密に編み上げられてます。
 途中までは。

 ネタバレになってしまうので詳細は省きますが、地道なあれこれに感銘を受けていたので、最後までその路線でいってほしかったな、というのが正直なところ。


 
 
 
 

2023年04月05日
ディーノ・ブッツァーティ(脇功/訳)
『タタール人の砂漠』岩波文庫

 士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドローゴの最初の任地は、バスティアーニ砦だった。それがどこにあるのか、どのくらいの道のりなのか。ドローゴは心許ないままに町を出立し、ひとり馬をすすめる。
 翌日になってドローゴは、オルティス大尉と出会った。
 オルティス大尉によると、新任の中尉なら、2年間の通常勤務になるはずだという。2年が経歴の上では4年に換算される。でなければ誰も砦勤務など申し出はしない。
 ドローゴは、自分の任期さえ知らなかった。そもそも砦を希望した覚えもないのだ。
 オルティス大尉は、バスティアーニ砦といえば大きな名誉だったという。なにしろ国境守備隊であるのだから。今では無用の国境呼ばわりされ、修繕もされず、古くて時代遅れなのだが。
 バスティアーニ砦の前面には、大きな砂漠があるだけ。石ころと乾いた大地だけ。これまで幾度あったかもしれない戦さのときでさえ、砂漠のむこうに渡った者はいない。
 そこは、タタール人の砂漠と呼ばれている。かつてはタタール人がいたのだろうが、もはや遠い昔の伝説にすぎない。タタール人の時代は過去のことだ。
 とはいえ、北の王国との間に根深い遺恨はある。幾度か戦さが人の口の端にのぼったこともある。
 ドローゴの眼前に現れた砦は、ひっそりと静まりかえっていた。城壁は低く、堂々としてもいなければ、美しくもない。塔や櫓もなく、牢獄か、見棄てられた王宮のようにも思えた。
 ドローゴは心のなかで、引き返そうと決める。第一副官のマッティ少佐のもとに出頭すると、心中を吐露した。町に家族もおり、町の近くにいたいのだ、と。なにしろバスティアーニ砦は、いちばん近くの村からも30キロほど離れているのだ。
 マッティ少佐からは、病気になるのが手っ取り早いと諭された。万事が簡単で、大佐の手を煩わすこともない。4ヶ月後の健康診断のときに、軍医に証明書を書いてもらえばいい。
 ドローゴは快諾した。
 ところが、単調な軍務のリズムに染まるには4ヶ月で充分だった。ドローゴのなかに、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろし、もはや帰りたいとは思わなくなっていたのだ。
 ドローゴは砦にとどまることにするが……。

 20世紀幻想文学の古典。1940年の作品。
 ドローゴを中心に、時間だけがむなしく流れていきます。ドローゴの心の中も書かれますが、寄り添うというわけでもなく、突き放すというわけでもなく、淡々としてます。
 事件がないわけではないものの、それすらも、静寂の中に横たわっている印象でした。

 巻末に解説がありますが、古典文学ですので、すでに知っている前提で書かれてます。古典でもはじめての読者がいる、という配慮は一切ありません。ご注意ください。


 
 
 
 

2023年04月06日
トニー・ケンリック(上田公子/訳)
『マイ・フェア・レディーズ』角川文庫

 1964年。ニューヨークで、石油王の妻がエメラルドのネックレスを盗まれた。
 ネックレスは宝石故買屋のフランク・カーツのもとに渡り、保険会社はカーツからの連絡を待った。保険金の半額40万ドルで買い戻すためだ。だが、接触はなかった。
 カーツは亡くなるとき、ネックレスをパートナーで友人のジョージ・デヴァインに託した。惚れこんでいた売春婦のロイス・ピンクに渡してもらうために。
 ヘンリー・レディングは、デーリー・ニューズ紙の事件記者。ある売春婦が殺されたことを知る。その売春婦は、ロイス・ピンクを装っていたらしい。
 カーツが亡くなって10年ほどたつが、デヴァインはまだロイス・ピンクを捜しているのだ。
 ロイス・ピンクのことでわかっていることは少ない。イギリスの上流階級出身であること。アメリカ東部の女子大を卒業していること。アメリカ人のふりをしていたこと。
 本名すら定かでなく、カーツの死の直前に行方をくらましたきり。写真は、カーツと一緒にうつっているぼやけたものだけ。デヴァインもロイスに会ったことがない。  
 レディングは、ぼやけた写真のロイスに似た、背が高くて黒っぽい髪の売春婦を捜した。偽のロイス・ピンクを仕立て上げ、デヴァインからネックレスをだまし取るつもりだ。
 レディングが目をつけたのが、マーシャ・ウィリアムズだった。特訓を受けたマーシャは、見事な演技を見せる。だが、中身までは洗練されたイギリス上流婦人になれない。
 レディングは作戦を切り替えた。商売女をレディにするより、レディを商売女にする方が簡単だ。ロイス・ピンクと同じように、アメリカ東部の名門女子大を卒業したイギリス人を捜せばいい。
 こうして見つけたのが、ジェニファー(ジェニー)・コープランドだった。ジェニーは演劇科を卒業したが、プロにはなれずにいる。レディングは、ブロードウェーのキャスティング係を装い接近をはかった。
 レディングの本当の狙いを聞いたジェニーは大激怒。いったんは追い返されたレディングだったが、報酬20万ドルの条件を提示される。
 ジェニーは完璧だった。レディングは渋々条件を受け入れるが……。

 奇想天外なミステリ。
 タイトルは、言語学者が花売り娘を貴婦人に仕立て上げた映画「マイ・フェア・レディ」(原作:バーナード・ショー『ピグマリオン』)から。
 マーシャがジェニーを売春婦に見えるように教育していきます。
 終盤はスピード感がありました。そのために読み飛ばしてしまったのか、どういうこと? あれはどうなったの? などと心残りがたくさん。
 エンタメなので深く考えず、軽く楽しむくらいがちょうどいいのでしょうね。


 
 
 
 

2023年04月09日
レオ・ペルッツ(垂野創一郎/訳)
『夜毎に石の橋の下で』図書刊行会

 1589年。
 プラハのユダヤ人街が疫病に襲われ、多くの子供たちが亡くなった。死者に理由をたずねた高徳のラビは、モアブの罪を犯した者がいることを知る。
 ラビは人々を集め、罪人に告白するよう迫るが……。
 1598年。
 ペトル・ザールバは、婚姻によって親戚になったイジー・カプリーシュに予言についてはなす。ザールバ・ゼ・ジュダー家のものは決して皇帝と会食しないし、そもそも同席さえしない。そんなことをすれば、ボヘミアを血と悲劇が覆うことになる。そういう予言があるのだ。
 イジー・カプリーシュは一笑にふすが……。  
 1609年。
 ユダヤ人ベルル・ラントファーラーは不運な男だった。監獄に入れられ、朝になれば、皮剥ぎ場で2匹の野良犬にはさまれ首を吊られることが決まっている。
 ラントファーラーは、野良犬がモルデカイ・マイスルの忘れ形見だと気がつく。大富豪だったマイスルは、何年か前に文無しとして亡くなったのだが……。

 幻想歴史小説。
 まるで繋がりがないかに思える小話14編とエピローグとで構成された長編。時系列に添っているわけでも、すべてに共通の登場人物がいるわけでもないです。最初の疫病のエピソードが、物語的には中盤になります。
 ちょこちょこ出てくるのが、大富豪のモルデカイ・マイスル、神聖ローマ帝国皇帝にしてボヘミア王国のルドルフ2世、高徳のラビ。ときどき、チゴイネル小路に下宿している医学生のヤーコプ・マイスルが小話を語っている、という枠物語の体裁をとります。

 霊とか予言とか秘術とか、不可思議なことで彩られてますが、史実ベースだそうです。翻訳した垂野氏がかなり詳しく書いてくれてます。
 この時代のことはほとんど知らず、後からあれこれ繋がってくることをおもしろく思ってました。時代の知識がついてから読み返すと、また違った味わいになりそうです。


 
 
 
 

2023年04月14日
チャールズ・デ・リント(森下弓子/訳)
『リトル・カントリー』上下巻/創元推理文庫

 マウズルは、かつて漁師の村だった。イワシの大群がこなくなり、今では、港を使うのは観光客ばかりとなっている。
 伝承音楽演奏家のジェーニー・リトルは、そんなマウズルで育った。母は駆け落ちし、祖母と父は亡くなっている。ジェーニーの家族は、みんなからじっちゃと慕われる祖父トマスだけ。
 恋人でもあった伴奏者と仲違いしたジェーニーは、傷心のままロンドンを離れ、マウズルに帰ってきた。次のツアーが刻々と近づいている。新たな伴奏者は見つかっていない。
 ジェーニーは屋根裏部屋で、埃と蜘蛛の巣をまとわりつかせたチェストを見つけた。興味をそそられ開けてみると、亡くなった祖父の友人ウィリアム・ダンソーンにかかわる資料の山。その中に、革表紙の本があった。
 ダンソーンの一作目『かくれすむ人びと』の主人公は、ハツカネズミほどの大きさしかない〈スモール〉といわれる人たち。奇想天外な物語は、いまも売れている。
 二作目『失われた音楽』では、音楽が人を、精神の隠れた領域へ、精神の知られざる状態へと導く鍵だと語られている。ジェーニーに道を示してくれた本だが、残念ながら一作目ほどは売れていない。
 出版されたダンソーンの本は、この2作だけ。ところが目の前に、革表紙のダンソーンの本がある。『リトル・カントリー』と題され、著作権のページに限定発行一部のみとあった。
 ジェーニーはダンソーンの大ファン。そのことは祖父も知っている。祖父は、その本が自分で時を選ぶような気がしていたという。
 ダンソーンは、『リトル・カントリー』に関して注意を書き遺していた。絶対に手ばなしてはならない、絶対に公表してはならない、なにがあろうと、内容も、存在そのものも秘密にしておかなければならない、と。
 祖父によると、ダンソーンが亡くなってしばらくは騒々しかったという。何者かに、ダンソーンの遺したものがないか、と探しまわられた。ここ5年くらいは静かなもの。
 ところが、3日前にひとりの女が、玄関のドアをたたいた。ダンソーンのいとこの孫だと主張する若いアメリカ女で、金を払うから作品でも記事でもなんでも渡すように話し、祖父を脅そうとした。なにかがあると、ちゃんと知っていたようだった。
 ジェーニーは不思議に思いながらも本を読みはじめるが……。

 ファンタジー。
 ジェーニーを心配してかけつける元カレとか、その元カレに惚れちゃう秘密結社〈灰色の鳩〉の女とか、人殺しがしたくて仕方ない男とか、まぁ、いろいろあります。
 そして、ジェーニーが『リトル・カントリー』を読みはじめる直後からはじまるのが、ボドベリーという港町を舞台にしたジョディの冒険物語。こちらも少しずつ語られていきます。
 流れ的にも、〈スモール〉という言葉が出てくることからも、ジョディの物語がダンソーンの作中作だろうと見当はつくのですが、残念ながら、ダンソーンのすばらしさが伝わってきません。個人的好みによるかもしれませんが。

 早い段階で、自分にはちょっと合わない物語だと気がつきました。読みながら、さまざまなことに反発してしまいます。人が成長する物語なので、序盤は主人公が嫌な感じなのも影響していると思います。
 ところが終盤が近づくと、役者が揃って世界が見えてきて、嫌な性格の人も考えを改めていて、俄然おもしろくなってくるから不思議です。中盤にさしかかる前にそうなっていれば……と思わずにいられませんでした。


 
 
 
 

2023年04月17日
アナリー・ニューイッツ(幹 遙子/訳)
『タイムラインの殺人者』ハヤカワ文庫SF2290

 テスは、年代学アカデミーから時間旅行許可証を得ている時間旅行者。〈応用文化地質学研究会〉の地球科学者としてフィールドワークに従事している。
 正規の学術組織である〈応用文化地質学研究会〉は、〈ハリエットの娘たち〉の隠れ蓑だった。〈ハリエットの娘たち〉では、男性以外の者たちにも権利を獲得しようと活動している。禁じられていることだが、過去に介入してタイムラインを編集しているのだ。
 定説では、タイムラインを変えても影響されるのは小さな事象だけ。大きな事象は変化しない。18世紀よりも前に産業革命は起こらないし、独裁者を殺せば別の人が同じことをするだけだ。
 〈ハリエットの娘たち〉は仮説を立てていた。ひとりの人間がタイムラインを変えることは難しい。しかし、小さな変化の積み重ねが大きな変化を生むのではないか、と。
 テスは仲間に頼まれ、1992年に向かった。目的は、過激派が来ているというパンクバンド〈グレープエイプ〉のコンサート。会場でテスは、アンソニー・コムストックのまわりに群がっていた男を見つける。
 あれは1880年。道徳の聖戦士を気取るコムストックが、悪徳撲滅運動の講演会で避妊や妊娠中絶といった悪徳を罵っていた。女性の権利が宣言されているタイムラインを望まない者がいるのだ。
 かねてから〈ハリエットの娘たち〉は、自分たちに真っ向から対抗する組織があるのではないかと疑っていた。その組織をついに見つけたのだ。しかも彼らは〈マシン〉を閉鎖して、今後は時間旅行ができないようにするつもりらしい。
 これまでテスは、1880年で活動していた。コムストックが大きな政治的勝利を得たのは、1893年のシカゴ万博だ。そちらで対処するべきだったのだ。
 テスは、シカゴ万博に潜入するが……。
 一方、女子高生のベス・コーエンは、〈グレープエイプ〉のコンサートの帰り道に事件に巻きこまれていた。親友のリジーが、仲間を手にかけて殺してしまったのだ。リジーは正当防衛を主張し、みんなで遺体を人造湖に遺棄した。
 ベスは後悔するが、殺人罪で逮捕される以上に恐ろしいことを思い出す。それは、ルールを破ったことが知れたときに父から受ける仕打ち。ベスを理解し、助けてくれるのはリジーだけなのだ。
 そんなベスの前に、テスと名乗る女が現れる。テスは、未来のベスだといい、リジーと別れるように説得されるが……。

 歴史改変小説。
 テスと、ベスの物語を中心に語られていきます。
 雰囲気的には明るめ。軽い言葉で書かれてありますが、内容はとても重いです。
 フェミニスト側を絶対的な正義としていて、正義だからなにしたっていい的な雰囲気があります。確かにコムストックの主義主張は非人道的ですし、善悪が明確だと分かりやすいのですが、なにぶん一方通行で、反発する読者もいるのではないかと思います。
 視点人物の考えやすることをすんなり受けとめられないと、読むのが苦痛になりそうです。

 異色だとおもしろく感じたのは、タイムトラベルの設定です。過去の時代に登場する人たちが、時間旅行が可能であることを知っているんです。
 ベスは、目の前に未来からきたという自分が現れて驚きますが、タイムトラベルができることは知ってます。そのため、かなり話がスムーズに進みます。
 ただ、時間旅行を可能にする〈マシン〉については、謎が残ります。深く考えず、そういうものだと受けとめておくのがよさそうです。


 
 
 
 

2023年04月18日
アルジス・バドリス(柿沼瑛子/訳)
『誰?』図書刊行会

 ショーン・ロジャーズは、連合国政府(ANG)中央ヨーロッパ国境地区の保安責任者。この地区の安全保障局の長を7年間務めている。向こう側にスパイを送り込む当事者でもある。
 向こう側とは、ソビエト社会主義国のことだ。
 国境が設置されて40年。ソビエトについて知ることは難しい。すでに知っている情報、こちらが得た敵側情報、敵側が得たこちらの情報、それらこま切れの情報をつなぎあわせるしかない。
 今、ロジャーズはANG支配圏境界にいる。
 4ヶ月前、国境近くの研究所で事故があった。爆発のあとに救急隊を送り出したが、物理科学者のルーカス・マルティーノはソビエト側に連れ去られたあと。重傷だというはなしで、外交努力で解放されるまで4ヶ月を要してしまった。
 マルティーノは、最重要のK88計画に携わっている。そのことを彼らは知っているのか。マルティーノから何を訊き出したのか。また、マルティーノに何をしたのか、まだその支配下にいるのか。
 ソビエトの警備兵が遮断機をはね上げ、男を通した。国境線を越えた男の体は、ほとんど金属だった。
 スーツの袖からのぞく手は、片方は生身で、片方はそうではない。卵型をした頭部はつるんとして、口に相当する部分に格子がついた開口部があり、両側が上向きにカーブした半月形のくぼみの奥にはふたつの瞳がひそんでいた。
 金属の男は、ルーカス・マルティーノだと名乗った。
 ロジャーズは疑念でいっぱいになる。マルティーノは秘密を明かしてしまったかもしれないし、スパイになっているかもしれない。それに、ソビエトに眼や耳や肺を人工的な機器で置き換える技術があるのなら、なんだって偽造できるはずだ。
 もしマルティーノを返すだけのつもりなら、わざわざ手間暇かけて人間としての機能に近づける必要はなかった。最新技術を駆使したりせず、既存の方法で適当につなぎ合わせればよかったのだ。それなのに、なぜ?
 ロジャーズは専門家を呼び寄せ、マルティーノをさぐろうとするが……。

 SFスパイ・スリラー
 という触れ込みの、奇想天外もの。なお、発表は1958年です。
 ANGに帰ってきた男は誰なのか、というのが主軸。
 検査だけでは白黒つけられず、解放したうえでロジャーズが追跡し、正体を見極めようとします。マルティーノはスパイではないかと疑われますし、スパイもでてきますが、スパイ・スリラーという雰囲気ではないです。
 どちらかといえば、マルティーノの半生記かな、と。というのも、並行して、マルティーノの過去が語られるんです。かなり内向的な人のようです。

 読み終わってから物語を振り返り、あるおもしろさに気がついたのですが……ネタバレかもしれないので書けないのが悔しいです。


 
 
 
 

2023年04月20日
ジョナサン・キャロル(浅羽莢子/訳)
『死者の書』創元推理文庫

 トーマスは、亡くなったスティーヴン・アビイの息子だった。
 有名な映画俳優スティーヴン・アビイの実像を、誰もが知りたがる。どんな父親だったのか、あの噂は本当なのか。何度となく同じ質問を受けてきたトーマスは、その都度嫌な気持ちになる。
 屈折したトーマスを幼少期から支えてくれたのが、マーシャル・フランスだ。フランスの童話がトーマスに、正気を保てるよう手を貸してくれた。ファン・レターに返事が来た時には喜びに酔い痴れ、手紙を額に入れてもらったものだ。
 30歳になったトーマスは、アメリカ文学を教える教師になっている。休養が必要だと感じはじめており、その間になにをするか考えると、自然とマーシャル・フランスの伝記に行き着いた。
 サクソニー・ガードナーと出会ったのは、そんなころ。やはりフランスの大ファンであるサクソニーは、ずば抜けた調査能力を持っていた。
 ユダヤ人のフランスは、1922年にオーストリアで生まれた。そのときの名前は、マルティン・エミール・フランク。
 1938年にアメリカに渡ったフランクは、ニューヨークに住んだ。しばらくイタリア人の葬儀屋で働き、やがてミズーリ州ゲイレンに引っ越す。そのころ、名前をマーシャル・フランスに改めた。
 フランスは人前に出るのが嫌いで『緑の犬の嘆き』が成功したあとは、消えてしまったも同然になった。妻とは死別し、アンナという娘がひとりいる。そして、44歳の時に心臓麻痺で亡くなった。
 サクソニーがフランスについて調べる一方、トーマスはフランスの本の出版社を尋ねてみた。伝記の話を持ちかけてみようとしたのだ。伝記が書かれていないのも不思議だった。
 フランスを担当していた編集者は、デイヴィッド・ルイス。ルイスによると、これまでにもフランスの伝記を書こうという者たちはいたという。意気揚々と出発し、誰もゲイレンから帰ってこなかった。
 なにぶん、アンナが伝記の執筆に反対しているのが大きい。父親に関することはいっさい、誰にも話そうとしないのだ。それはフランスの意志でもあるのだが。
 トーマスはルイスから、アンナがいかに変わった女性か教えられる。マーシャル・フランスが本名であることや、サクソニーの調査を否定する話もあった。困惑するトーマスだったが、伝記を書きたい気持ちは変わらない。
 トーマスとサクソニーは、ふたりでゲイレンへと向かうが……。

 ファンタジー・ホラー。
 語り口が軽妙で、ホラーという雰囲気はないです。最初は。ゲイレンあたりから、軽妙さに不穏な空気がまざりはじめます。
 とにかく、ゲイレンなんです、問題は。たどりつくまでにも文量がそこそこあるので、ホラーだと思って読みはじめると、ちょっとちがう、となりそうです。
 もうひとつ問題は、トーマスの下劣さ。自分勝手に女性を品定めしてます。1980年の作品なので、仕方ないんでしょうね。

 ときどき言及されるフランス作品が、すごくおもしろそうで、作中作として読めないのが残念でした。子供が夢中になるのも分かる。ほんの少ししか読めないから余計におもしろく感じる、というのもあるんでしょうね。 


 
 
 
 

2023年05月01日
アレクサンドル・デュマ(竹村 猛/訳)
『三銃士』全三巻/角川文庫

 1625年。
 ダルタニャンは、ガスコーニュの貧乏貴族。国王の親衛隊に仕官するつもりでパリへと旅立った。頼みは、トレヴィルをよく知っていたという父の手紙だけ。トレヴィルは国王ルイ13世の信任篤く、銃士隊の隊長をつとめているのだ。
 意気揚々と出発したダルタニャンだったが、持ち前のはげしい気性が災いし、マンの町で貴族とおぼしき男に手紙を盗まれてしまう。パリについたダルタニャンは、手ぶらでトレヴィルに面会するしかなかった。
 幸い、トレヴィルは父のことをよく覚えていた。だが、銃士隊には加えてもらえない。国王が定めた条件があったのだ。
 がっかりしたダルタニャンだったが、マンの男を見かけ、そのまま飛び出してしまう。あわてるあまり腕利きの銃士の不興を買うこと三度。それぞれと決闘の約束までしたが、マンの男は見失った。
 ダルタニャンの最初の決闘相手は、アトスだ。パリには知り合いがいないダルタニャンは、ひとりで指定場所に向かう。内心では、謝罪して決闘を中止できないか考えていた。
 一方のアトスは、介添人としてポルトスとアラミスを呼んでいた。ふたりは、このあとにダルタニャンと決闘する相手でもある。決闘はさけられず、ダルタニャンは腹をくくる。
 そのとき、枢機卿の親衛隊が通りかかった。こわいものなしといわれるリシュリユー枢機卿は、国王に対抗して自分の親衛隊を組織している。そして、トレヴィルの銃士隊とことあるごとに対立していた。
 親衛隊の面々は、禁じられている決闘をしていると咎め、3人の銃士を連行しようとする。銃士ではないダルタニャンは蚊帳の外。
 ダルタニャンは決断を迫られる。国王につくべきか、枢機卿に走るべきか。ひとたび選んでしまったら、変更はゆるされない。
 ダルタニャンは迷わなかった。劣勢な銃士たちについたのだ。4人は力を合わせ危機を乗り切った。
 ダルタニャンは三銃士たちと友人となり、パリで暮らしはじめる。あるとき、家主ボナシューから思わぬ相談を受けた。王妃のお下着係をつとめている妻が、誘拐されてしまったというのだ。
 スペイン出身の王妃は、イギリスのバッキンガム公から心を寄せられている。枢機卿はバッキンガム公を偽の手紙で呼び寄せ、王妃を罠にはめるつもりだ。その陰謀に、ボナシュー夫人も巻きこまれたらしい。
 ダルタニャンは、誘拐犯の特徴がマンの男と似ていることに気がつく。ボナシュー夫人救出のために行動するが……。
 

 冒険活劇。
 《ダルタニャン物語》第一部。
 ときどき、デュマが地文にでてきます。このころの風習は、今とはちがってこうだったんですよ、と。この場合の「今」とは、1844年のことです。
 芸術家のパトロンに○○夫人が多いのは、結婚してから恋愛するのが普通だったからと聞いた事があります。恋愛相手が配偶者とは限らない、というのが常識だったそうで。1625年も1844年も結婚と恋愛は別ものだったようですね。
 本作は、そういったことを頭に入れて読むべきでしょう。

 心理描写から風景描写への持っていきかたなど、物語の流れが気持ちいいほどスムーズ。内容は知っていてもきちんと読んだことはなかったので、改めて気づかされたり、重要だと思っていたエピソードがあっさりしてたり、新たな気持ちで楽しめました。
 なお《ダルタニャン物語》は、第二部『二十年後』と第三部『ブラジュロンヌ子爵』で完結です。
 有名なエピソードの「王妃の首飾り」は、ボナシュー夫人誘拐事件から。「鉄仮面」は、第三部の後半部分だそうです。

 
 

 
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