2023年07月27日
カズオ・イシグロ(土屋政雄/訳)
『クララとお日さま』早川書房
クララは、B2型第4世代の女子AF。
AFは、どれも独自の個性をもっている。クララは観察と学習への意欲がとりわけ強い。周囲に見えるものを吸収し取りこんでいく能力は、最新型のB3型にも負けはしない。
お店の中でクララが好きなのは、ショーウィンドーだ。外を見られるのが楽しい。それに、お日さまから栄養を得られるのもうれしい。
クララがジョジーと出会ったのは、ショーウィンドーだった。
ジョジーは少し足を引きずっている女の子。青白くて痩せている。ジョジーの部屋からは、お日さまの沈んでいく場所が見えるという。
クララはジョジーが好きになった。ジョジーも、できれば明日にでもまた来ると約束してくれた。ところがジョジーは現れない。
子供というのはよく約束をする。かならずまた来るから、ほかの誰かのところには行かないで、とかとか。その約束が果たされることはほとんどない。
クララも覚悟を決めるが、ついにジョジーが母親のクリシーを連れて現われる。病に倒れ、来られなかったのだと言っていた。
ジョジーはクララと一緒に帰るつもりだ。ところが、クリシーは乗り気ではないらしい。クララがジョジーをいかに観察しているか示すため、質問されたり、ジョジーの歩き方をまねするように言われる。
クララの回答にようやくクリシーも納得し、クララはジョジーの家に引き取られた。
クララは、すべての意識をジョジーに集中していく。ジョジーの最上の友だちになろうと努力しつづける。
ジョジーのため、クララはお日さまに特別の加護を願うが……。
AIをめぐる童話調SF。
AFというのは「人工親友」という意味らしいです。
ジョジーは「向上処置」を受けていて、お隣のリックと、将来の計画とやらをたててます。リックは「向上処置」を受けてません。
物語が進むにつれ、ジョジーの病の原因とか、社会のありよう、貧富の格差、途中まで話題にもでてこない父親がどうなっているのか、少しずつわかっていきます。
そこに重なる、クララの思考。
AIって科学技術の結晶のようなイメージがありました。そのAIが、原始的な太陽信仰している。すごく自信にあふれていて、不自然さがないんです。
不思議な存在ですね、AFって。
2023年07月29日
ミヒャエル・エンデ&ヴィーラント・フロイント
(木本 栄/訳)
『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』小学館
すさまじい嵐のなか、パパ・フトッチョの人形劇団の馬車が三頭のロバにひかれて進んでいる。パパ・フトッチョは御者席でうたた寝し、ママ・フトッチョは馬車の中で熟睡している。
そのとき息子のクニルプスは、こっそり馬車を抜け出していた。
クニルプスは、おそれとはなんなのか、まるで知らない。悪がなにを意味するのか、想像もつかない。そこでクニルプスは、悪の道においてまちがいなく大先輩であるロドリゴ・ラウバインをたずねることにしたのだ。
なにしろ盗賊騎士ロドリゴ・ラウバインは、盗賊のなかでもいちばんの悪党。とんでもなく残酷で、血もなみだもないやつだといううわさだ。
嵐の中、クニルプスはどんどん歩く。ロドリゴ・ラウバインがいる、ゾクゾク森の、トゲトゲ岳の、オソロシ城に向かって。
オソロシ城についたクニルプスだったが、巨大な門のたたき金をつかって不気味な音をひびきわたらせても誰もでてこない。門のわきにひざをかかえてすわりこむと、眠りこんでしまった。
そのときロドリゴ・ラウバリンは、城で息をひそめていた。
ロドリゴ・ラウバインは、おそれていた。世のなかは悪人だらけで、いつか自分におそいかかり、身ぐるみはがそうと機会をうかがっているにちがいない、と。
ロドリゴ・ラウバインは背丈が2メートル近くもある大男だった。しかし、おそろしいのは見かけだけ。繊細でやさしく、虫も殺せない性格で、ひどいこわがり屋だったのだ。
世のなかからそっとしておいてもらいたい一心で、ロドリゴ・ラウバインは、自分で悪いうわさ話を広めてきた。これまでそれでうまくいっていた。
ところが、クニルプスには通用しない。
ロドリゴ・ラウバインと会えたクニルプスは感激し、一方的に従者を名乗る。相手の困惑などには気がつかない。
そんなクニルプスに、ロドリゴ・ラウバインは言った。
従者になるためには、なにごともおそれず、どんな悪事だろうとやってのける度胸がいる。ひとりで、できるだけ大きな危険に満ちた悪事をはたらかなくてはならない。それが嫌なら家に帰りなさい、と。
クニルプスは、ロドリゴ・ラウバインが期待したようにはあきらめなかった。度胸だめしに行ってしまうが……。
児童文学。
3章まではエンデが書いて、遺作をエンデ・ファンの児童文学作家が仕上げました。
物語はこのあと、クニルプスをさがす人形劇団の一行が絡んできて、さらにクニルプスが誘拐したフィリッパ・アネグンデ・ローザ姫をめぐる騒動が繰り広げられます。いろんな出来事がつながって結末へとなだれこみ、大円団。
エンデだったらどう書いただろう?
どうしても考えてしまいます。エンデが設定していたテーマは「悪」とは「おそれ」とはなにか、だったはず。そのあたりがサラッと書かれているような気がして。
先入観なしに読めればよかったのですが。
2023年08月06日
スチュアート・タートン(三角和代/訳)
『名探偵と海の悪魔』文藝春秋
アレント・ヘイズは、サミュエル(サミー)・ピップスの従者。サミーは謎解き人を自称する探偵だった。
アレントはこの5年、調査報告書を作ってきた。はじめは顧客への探偵報告のために。そのうち事務官たちが読みはじめ、商人たち、一般市民にまで人気となった。現実離れした冒険の数々は舞台で演じられ、吟遊詩人が歌にしたほどだ。
サミーは請われて、バタヴィア(ジャカルタ)にやってきた。貴重な〈愚物(ザ・フォリー)〉をが盗まれてしまったのだ。サミーは総督ヤン・ハーンのために働き、〈愚物〉を取り戻して、栄誉を称える晩餐会がひらかれた翌日、鎖につながれた。
サミーの罪状は明らかにされていない。
このたび総督は、ザーンダム号で帰国する。バタヴィアからアムステルダムまで8ヶ月。自由を奪われたサミーも連れられていく。
蒸し暑い不快な午後だった。
人々が乗船を待っているとき、病者が現れた。血に濡れた包帯が両手と顔を包んでいる。病者は予言した。
ザーンダム号の貨物は罪であり、乗船する者すべてに無慈悲な破滅がもたらされる、と。そのとき、長衣の裾から炎があがり、病者は炎に包まれた。まるで予期していなかったようだ。
倒れた病者の火を消したアレントは、苦痛で取り乱す男の舌が切り取られていることに気がつく。病者ではない誰かが話していたのだ。誰が、なぜ、この船を脅かそうとしているのか?
サミーはアレントに事件を調査するように言いつける。独房に閉じこめられたままでは、なにもすることができない。狭い独房は真っ暗で窓はなく、臭気が漂い、生きているのがやっとのありさまだった。
実は、アレントは総督と親しい間柄。アレントの記憶にある昔のヤン・ハーンはやさしく、伯父と慕っていたものだ。アレントはサミーのために総督に働きかけようとするが、たいした譲歩はひきだせない。
アレントは自分で事件を調査するが……。
航海中の船を舞台にしたミステリ。
悪魔崇拝が前面にでてきて、オカルトな雰囲気になってます。悪魔の象徴となっているマークが、実はアレントの手にあるものと同じだったり、謎が謎を呼ぶ、という展開。ミステリというよりホラーを読んでいるような気分でした。
アレントの調査に協力してくれるのが、総督夫人のサラ・ヴェッセル。総督より20歳若く、結婚して15年。恋愛結婚ではなく、政略結婚ですらなく、品物のように差し出された女性で、殴り殺されそうになること度々。叱責され、恥をかかされ、不機嫌をぶつけられても、折れることのない強さを持っています。
お約束のようにアレントとサラは互いに惹かれあっていくのですが、とってつけたような設定ではなかったので、そのあたりは作者のうまさでしょうね。
2023年08月11日
エイモア・トールズ(宇佐川晶子/訳)
『モスクワの伯爵』早川書房
アレクサンドル・イリイチ・ロストフ伯爵は、1889年に生まれた。1900年に両親がコレラで亡くなると、父の戦友で名づけ親でもあるデミトフ大公が保護者となった。
大公はよく言ったものだ。不運はさまざまな形をとってあらわれる、自分の境遇の主人とならなければ、その人間は一生境遇の奴隷となる、と。
1905年の革命が挫折したあと、抑圧が強まるなかにあって伯爵は詩を発表した。多くの者は、その詩を行動への呼びかけと考えた。伯爵の身分だったからこそできたことだ。
1918年、皇帝が処刑された。一族の屋敷がある田園地帯は大混乱に呑み込まれつつある。パリにいた伯爵はロシアに帰国し、祖母を国外に逃がすと自身はモスクワのメトロポール・ホテルで暮らすようになった。
1922年。
メトロポールのスイート317号室に住んでいるロストフ伯爵は、クレムリンに呼ばれた。ボリシェヴィキ政府は、貴族を快くは思っていない。銃殺刑になる可能性が高かった。
伯爵を救ったのは、あの詩だ。だが、無事にホテルに帰れることにはなったものの、メトロポールの外へ出れば銃殺刑が待っている。
伯爵は考えた。軟禁という終身刑に処された場合、自分の境遇の主人となるにはどうすればいいだろうか。伯爵は、実用的な事柄に身を委ねることに決める。
伯爵にあてがわれたのは、業務用階段を上った先の屋根裏部屋のひとつ。修道院の個室を思わせる部屋は、かつて、客が連れてくる執事やメイドのためにつくられたもの。
鋳鉄製のべッドと3本脚の整理箪笥と隅に小ぶりのクロゼット。それしかない。伯爵の持ち物は、わずかな私物をのぞいて人民のものになる。
伯爵は堂々とスイートルームに戻り、なにを持っていくか指図した。背もたれの高い椅子、コーヒーテーブル、磁器の皿のセット、テーブルランプ、妹の肖像画、革鞄、衣服と身の回り品。そして、デミトフ大公も使っていた机。
机には隠しスペースがあり、高価な金貨を詰めこんであった。
伯爵はメトロポールだけで暮らしはじめる。時代の変化をメトロポールに居ながらにして感じ取るが……。
伯爵の半世紀。
伯爵は、生まれついてのもてなし上手。ユーモアセンスがあって、ちょっと、共産主義には相容れないような人でした。軟禁されてなかったら、むしろ大変なことになっていた気がします。
序盤は、ノンフィクションを読んでいる感覚でした。伯爵視点だけれども、どこか遠くから見ているような感じ。リアリティを持たせるためでしょうか、書き方も意識しているのではないかと思います。
終盤、映画「カサブランカ」が話題になります。観てなくても話は通じますが、観ていたら、登場人物の言葉の意味をストレートに受け取れて、感情がより揺さぶられるのではないかと思います。
そうです。感情が揺さぶられるんです。読みはじめたときには想像してませんでした。
2023年08月13日
マーク・トウェイン(大久保博/訳)
『不思議な少年44号』角川文庫
1490年。
そのころオーストリアは、まだ〈中世の時代〉だった。精神的には〈信仰の時代〉だったともいえる。
エーゼルドルフ村があるのは、そんなオーストリアのど真ん中。村の背後には絶壁があり、ローゼンフェルトの大きな城が頂きからしかめ顔でにらんでいる。
その絶壁にそって、同じような城がもうひとつあった。塔と胸壁とを備えた堂々として美しい城ではあったが、朽ちかけ崩れかけてもいる。家系はすでに絶え、川向こうの公爵が所有者となっていた。
そんな城のごく一部をハインリッヒ・シュタインが借りて、印刷所を経営していた。印刷は新しい技術で、オーストリアではほとんど知られていない。そもそも教会が、本が安くなって知識がやたらと普及することに反対していた。
ある日突然、城に、粗末な身なりの少年があらわれた。少年はひもじさを訴えたものの、シュタイン夫人は追い払おうとする。ただひとり、家政婦のカトリーナだけが声をかけた。
少年は仕事がしたいのだという。食べるものと寝るところさえあれば、給金はいらない。手荒な仕事でもやる、と。
住民たちは大論争になる。論争を聞いていたシュタイン氏は、犬の態度を見て決めた。荒くれの犬が、うなり声ひとつ立てなかったのだ。
名前をたずねられた少年は、第44号、ニュー・シリーズ864962と名乗った。それで批判が巻き起こる。名前が番号というのは、どうしたって囚人番号を想起させる。少年はなにも語らない。
疑惑がありながらも受け入れたシュタイン氏は、44号の働きぶりに大満足。印刷見習工に取り立てるが……。
トウェインの遺作。
印刷工の見習いで、16歳のアウグスト・フェルトナーの視点から語られます。フェルトナーは他人の目を気にするタイプ。44号と友だちになりたい気持ちはあるけれど、職人たちを気にして親切にできません。
途中で、なにを読んでいるのかわからなくなりました。
44号は、力強く疲れ知らずで人造人間のようでいて、超能力者のような能力を発揮したかと思えば、未来人のようなことを言い出すし、人から見えないように姿を消したり、その能力をフェルトナーに与えたりもします。
そんなすごい能力がありながら初登場時に腹をすかした乞食だったのが謎で、どうにも気になって仕方ありませんでした。そもそも印刷所に現れた理由はなんだったのか。印刷所である必要はあったのか。
なんでも、トウェインには推敲する時間が残されていなかった、という話です。公開されてしまったのは、ご本人には不本意だったかもしれませんね。
2023年08月18日
ジェフリー・ディーヴァー(池田真紀子/訳)
『ブラック・スクリーム』文藝春秋
《リンカーン・ライム》シリーズ、第13作
リンカーン・ライムは、事故により四肢麻痺という障害を抱えている。だが、明晰な頭脳は健在。科学捜査の専門家としてニューヨーク市警に協力している。
ライムのもとに、やっかいな事件が舞い込んだ。
アッパー・イーストサイドで、成人男性1名が、別の成人男性1名を拉致した。唯一の目撃者となったのは、9歳の子供。犯人は拉致現場に、ミニチュアの首吊り縄を置いていった。
誘拐された男性は裕福ではなく、トラブルに巻きこまれるような経歴もない。犯人の目的がみえない中、動画投稿サイトに動画がアップされた。目隠しをされ、縛られ、木箱に立たされた男性が、首吊り縄で絞め殺されそうになっている……。
動画では、ワルツの〈美しく青きドナウ〉が流されていたが、小節ごとに、人間のあえぎ声の断片が使われていた。フェイドアウトして表示されたコピーライトは「The Composer」。
ライムたちは、誘拐現場に残された微細証拠と動画の背景から、現場を特定する。被害者は助け出されたが、犯人は逃げた後だった。どうやら犯人は、国外に高飛びしようとしているらしい。
そのころイタリアでは、森林警備隊のエレコレ・ベネッリが産地偽装トリュフの捜査をしていた。張り込みからの犯人逮捕の寸前、市民に助けを求められてしまう。すぐ近くで人が誘拐されたというのだ。
やむなくかけつけたエレコレは、道路を封鎖し現場を保全した。通報を受け、国家警察のマッシモ・ロッシ警部、ナポリ県上席検事ダンテ・スピロもかけつけてくる。エレコレにとって、大きな事件に関われるチャンスとなった。
誘拐されたのは、停留所でバスを待っていた男性。ミニチュアの首吊り縄に気がついたのは、エレコレだけだった。ユーロポールの警戒情報にあったが、誰も見ていなかったのだ。
ロッシ警部に評価されたエレコレは捜査に抜擢される。国家警察に移籍する大チャンスに大喜び。アメリカに情報提供を依頼すると、直接ライムが乗りこんできた。
英語も話せるエレコレが、イタリアとアメリカの間に立つことになってしまうが……。
犯罪小説。
今回の犯人は、音に敏感なステファン・マーク。〈漆黒の絶叫(ブラック・スクリーム)〉に怯え、遠ざけようとしています。しきりに考えるのは、〈女神〉エウテルペのこと。
イタリアで誘拐された男性が難民で、難民問題がクローズアップされてます。
イタリアの警察組織がアメリカとどう違うか、という話題もあり、おそらく作者の狙いどおり新鮮で、興味深いです。ちなみに、アメリカの警察組織も日本とはかなり違います。
2023年08月20日
ウォルター・テヴィス(小澤身和子/訳)
『クイーンズ・ギャンビット』新潮文庫
エリザベス(ベス)・ハーモンは、8歳で孤児になった。
ベスにとって〈メスーエン・ホーム〉での新しい暮らしは、怖いことばかり。見た目には落ち着いているベスだが、心のなかでは不安や恐怖でいっぱいだった。
そんなベスを助けたのは、緑色の錠剤だ。1日に2回、子供たちに精神安定剤が配られる。飲むと胃の奥の方がほぐれていくような感じがして、ぼんやりしてくる。孤児院で感じる緊張から逃れられた。
ある日ベスは地下室で、チェスに出会った。用務員のシャイベルさんが、ひとりでチェスをしていたのだ。
ベスは、地下室が好きではなかった。かび臭かったし、シャイベルさんが怖かったのだ。それでも、シャイベルさんがしていることに興味をひかれていた。
ベスは、トイレに行く許可をもらって、たびたび地下室に行った。はじめはシャイベルさんに拒絶された。それでも食い下がり、やがてベスは、さまざまなことをシャイベルさんから学んだ。
ベスがシャイベルさんとチェスをするようになって3ヶ月。もう絶対に負けない。シャイベルさんが連れてきたチェス・クラブのガンズさんも、ベスの腕前に驚いていた。
その才能ゆえ、ベスは〈メスーエン・ホーム〉で特別な計らいを受ける。ところが、緑色の錠剤の配布が突然なくなって、ベスは追いつめられてしまう。ベスが錠剤を盗もうとしたことで特別扱いは終わり、チェスも禁じられてしまった。
まもなく13歳になるころ、ベスはウィートリー夫妻に引き取られた。
夫人はおしゃべり。ウィートリー氏は何も話さない。それどころか、スーツケースを持って家を出ていったきり帰ってこなかった。
ベスは、夫人が自分と同じ嘘つきであることを見抜く。ベスにはどうでもいいことだ。ただチェスをしたかった。
ベスは、はじめて参加したチェスの大会で優勝する。夫人にはチェスのことは分からない。それでも優勝賞金を見て、ベスがチェスをすることに大乗り気。
ベスが大きな大会に参加できるよう、夫人みずから、病欠ということにして学校を休ませてくれた。
ベスの快進撃がはじまるが……。
サクセス・ストーリー。
語尾がほぼ「た」で終わる、あっさり風味。ベスは精神安定剤に依存していて、酒浸りになったりもします。そうしたドロドロしたところもあっさり風味のおかげで楽に読めました。
とりわけ〈メスーエン・ホーム〉時代の友だちがいいんです。黒人で、それゆえの差別を感じていて、ベスを妬んだりもするし、まったくの善人というわけではないけれど、ベスを手助けしてくれるんです。
ラスボスは、ソ連の世界最強グランドマスター、ヴァシリー・ボルゴフ。
チェスの簡単な解説がついてます。基本的なルールは知ってる程度の知識でもなんとかなりました。
2023年08月23日
アーカディ・マーティーン(内田昌之/訳)
『平和という名の廃墟』上下巻
ハヤカワ文庫SF2383〜2384
『帝国という名の記憶』続編
ルスエル・ステーションは、人口3万人の小さな採鉱ステーション。かろうじて、テイクスカラアン帝国から独立を保っている。
ルスエルには秘密があった。イマゴマシンで、記憶と思考パターンの記録をとっているのだ。精密に調整された神経インプラントは、使っていた人物が亡くなったときには後継者の脳幹に移され、知識を伝える。これにより、寿命以上に生きることができた。
新任大使としてテイクスカラアンに赴いていたマヒート・ドズマーレには、前大使イスカンダーのイマゴを与えられている。ところが妨害工作があり、正常に稼働していない。
自身の危機も宮廷の陰謀も乗り切ったマヒートは、ルスエルの独立を守りきった。ルスエルの思惑どおり、いまやテイクスカラアンは未知の種族との戦争に忙しい。
一段落ついたマヒートはルスエルに帰郷した。
マヒートは、自分の頭の中がどうなっているのか、ルスエル・ステーションの誰にも話していない。誰が味方で敵なのか、まったく分からないのだ。
そんな中、妨害工作をしたと思われる評議員から、イマゴマシンのアップロードを促される。そんなことをすれば、マヒートの秘密が露見してしまう。
マヒートは、別の評議員に力を借りようとするが……。
ファースト・コンタクトもの。
ルスエル・ステーションの評議員の政治闘争があり、宮廷の政治闘争があり、戦争に派遣された艦隊内部も一枚岩ではないです。それらに関わってくるのが、テイクスカラアンと未知の種族との戦争。それから、将来の皇帝候補の成長物語。
『帝国という名の記憶』続編という立ち位置ですが、ほぼ上下巻です。前作のネタバレしないと語れないレベルですので、必読です。
未知の種族が本当に未知で、姿を見た人はいないし、どういう言葉を話しているのかも分からない状態。艦隊司令官が、通訳になれそうな人間を帝国に要求し、特命使節として派遣されたのが、前作でマヒートと関わったスリー・シーグラス。スリー・シーグラスはマヒートの能力を必要だと判断しルスエル・ステーションに立ち寄ってマヒートをピックアップしていきます。
未知の種族は、既視感がないわけではないです。それ意外の要素がたくさんあるため気にはなりませんでしたが。
2023年08月25日
アンドリ・S・マグナソン(野沢佳織/訳)
『タイムボックス』NHK出版
世間では、経済の状況が悪化している話題でもちきり。テレビには政治家や経済学者が出てきて、ああでもない、こうでもないと言いあらそう。すばらしい天気を外で楽しんでる人はいない。
シグルンの両親は、タイムボックスの中で待つことに決めた。みんながそうしている。「経済危機が去ったら、ひらく」という設定にして、タイムボックスで悪い時をやりすごすのだ。
タイムボックスに入ったシグルンが、扉がしまったと思った次の瞬間、扉があいた。
トウヒの大木が、床をつきやぶっている。すみのほうにはシダのしげみ。天井に穴があいていて、青空が見えた。家はすっかり動物の住処だ。
両親はまだタイムボックスの中にいる。シグルンには扉をあけることができない。
シグルンは、マルクスという男の子と出会った。案内されて街にでても誰もいない。街はあれはて、暗くなればオオカミがうろつくという。
ふたりは、グレイスというおばあさんの家に行った。グレイスによると、この世界にかけられてしまった呪いをとく方法があるという。グレイスは集まった子どもたちに、パンゲア国の王女オブシディアナの話をした。
オブシディアナ姫は、ディモン王とサンビーム王妃のひとり娘。王妃が亡くなり、深い悲しみにおそわれたディモン王は、オブシディアナ姫にすべてを与えようと考えた。世界のすべてを。
遠征にでたディモン王は、領土を拡大していく。家臣たちには、姫には危険なものをいっさい近づけないように厳命した。オブシディアナ姫は、城から一歩も出ない生活をおしつけられてしまう。
世界を征服したディモン王は、今度は時間の征服にのりだした。世界一の宝であるオブシディアナ姫が、時の貪欲な胃袋にのみこまれないようにしようと考えたのだ。ディモン王は国中に、時間という最悪の敵を征服する方法を求めた。
タイムボックスを献上したのは、こびとの一行だった。その箱はクモの糸をぎっしりとすきまなくつむいで作られている。そのため、時間さえすりぬけることができない。
オブシディアナ姫は箱に入れられ、天気のいい特別な日だけ扉が開かれるようになるが……。
児童文学。
現代からはじまり、グレイスが子どもたちに話す、というスタイルでオブシディアナ姫の物語が展開されていきます。
クモの糸を密につむいで時間さえも遮断する、という考えかたがおもしろいですね。
ただ、グレイスはあたり前のように電気を使い、お菓子を用意します。戸惑いました。その電気はどうやって作られているのか、お菓子の材料はどこから調達したのか。
ひとつが気になると、他のどうでもいいようなことまで気になってしまいます。子どもの純粋な心があれば、素直に楽しめるのかもしれません。
2023年08月27日
クレイトン・ロースン(白須清美/訳)
『首のない女』原書房
グレート・マーリニは、元奇術師。〈奇術の店〉を経営するかたわら、素人探偵としても活躍している。
ある日店に、馴染み客ではない女が〈首のない女〉を買いにきた。あいにく店には、見本のものしかない。正規の値段は300ドルだが、女は見本品を700ドルで買い求めた。
興味をそそられたマーリニは、それほど急ぐ理由を教えてくれることを条件につける。女は断念するが、帰り際も不可解だった。
一旦店を出た女が戻ってきて、裏口から出ていったのだ。どうも女は見張られていたようだ。通路のはずれの男性用化粧室に、店をうかがっていたらしき男がいた。
その夜、店に泥棒が入り〈首のない女〉は盗まれた。店には、300ドルが残されていた。
マーリニは、女の正体をポーリン・ハンナムだと見抜く。
サーカスを興行しているラザフォード・ハンナム少佐の娘だ。マーリニがポーリンに会ったのは、まだ髪をおさげにして短い子供服を着ていた頃。だからすぐにはそれと気がつかなかった。
数日後、マーリニが興行中のハンナム・サーカスをおとずれると、見世物小屋に〈首のない女〉がいた。出し物に〈首のない女〉が、不法侵入するほど急いで必要だったのはどういうわけなのか、まだ分からない。
顔見知りに話を聞いたマーリニは、少佐の様子がおかしいことを知る。まず巡業地が妙だった。少佐はどうしたわけか、田舎町で割に会わない土地を選んでいた。給料が6週間遅れたと思ったら、いきなり全額払われたこともあった。
極めつけは、少佐の事故死だ。
昨夜、少佐は番外がまだ行なわれている最中に車で出かけ、猛スピードで橋台にぶつかり帰らぬ人となった。生きている少佐に最後に会った人物は、娘のポーリン・ハンナムだという。
マーリニは事故写真を見て、殺人事件だと確信するが……。
ミステリ。
物語の舞台は1940年。
語り手は、マーリニの友人で作家の、ロス・ハート。シリーズ第3作らしいですが、読むのは今作がはじめて。過去にてがけた事件の話がチラっとでてくるので、それが前作なんでしょうね。
ポーリンの口が重いとか、サーカスを誰が相続するかごたごたしているとか、いろいろあります。マーリニが犯人と疑われたりも。
奇想天外というか、どうも混乱してしまって。人物関係を自分でも整理しながら読むべきでした。