海外SFの賞で有名どころといえば、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞の3つ。
ヒューゴー賞は、世界SF大会でのファン投票。
ネビュラ賞は、アメリカSFファンタジー作家協会の選出。
ローカス賞は、アメリカのセミプロSF情報誌が主催。
いずれかを、あるいは複数を受賞した作品をよく読みますが、もっともしっくりくるのが、ヒューゴー賞受賞作。やはりファン目線だからでしょうか。
そのヒューゴー賞の、第1回(1953年)長編小説部門受賞作は、アルフレッド・ベスターの『分解された男』(別題『破壊された男』)でした。
多くの超感覚者がふつうに生活している未来世界。人々は心を見透かされ、犯罪行為は計画することさえできない。そんな中、一大産業王国の樹立を目論むベン・ライクは、ド・コートニー・カルテルの社長殺害を企てるが……。
ベン・ライクを待ち受けるのが〈分解〉という刑罰。殺人を犯し、いかにして〈分解〉されるに至ったのか語られます。
〈分解〉は死刑よりも恐ろしく、目的は、全精神を粉砕すること。その人物の精神は消去され、強制的に生まれ変わります。
なぜそんなことをするのかと問われれば、社会にはむかうほどの才能と度胸があるなら、その人間は並以上の存在であるから。拘留して矯正し利用価値をプラスの値に変えるのが社会のためになる、と考えられているのです。
突然『分解された男』(別題『破壊された男』)を取り上げたのは、スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』を読んだから。
記憶喪失の男は、森の中の〈ブラックヒース館〉の招待客。何者かに襲われ気がつけば、違う人物による同じ日の朝を迎えていた。
謎の男が現われ、告げられる。
この同じ日は8回繰り返され、8人の異なる宿主の目を通じて、イヴリン嬢が殺される非道を正さねばならない。それが屋敷から脱出する唯一の方法。
記憶喪失の男はさまざまな困難を克服していくが……。
ここから、ネタバレが含まれます。イヴリン嬢に関するミステリについては書きません。今回は舞台設定についてのネタバレ。
それでもOKな方はどうぞ。
さて『イヴリン嬢は七回殺される』について。
舞台となる〈ブラックヒース館〉はその実、刑務所です。
この世界では、囚人を独房で朽ちさせるのではなく、殺人事件のなかに閉じこめる刑罰があります。そこでは、繰り返し繰り返し同じ一日を生きねばなりません。
他人の犯罪を解決することは、自身の犯罪を償う機会でもあります。囚人は、その日をどう生きるか観察されてます。釈放するに足ると証明できれば、釈放されるのです。
その証明こそが、殺人事件の解決なのです。
ただし、入所したそのままではありえません。〈ブラックヒース館〉に収容中、囚人の人格は破壊されていきます。
原型を留めないほどに。
そうなんです。
分解刑なんです。
今、まさに分解刑の真っ最中なんです。
主人公である記憶喪失の男の名は、エイデン・ビショップ。
〈ブラックヒース館〉には、2人の受刑者が収容されてます。エイデン以外に、2人。
エイデンは、受刑者ではありません。作中、〈ブラックヒース館〉を観察している査定官が、やたらと便宜をはかるのが不思議でした。それもこれもエイデンが、本来ならいるべきではない人物だったから。
エイデンは、被害者家族なんです。
ある囚人に親族を惨殺されて、復讐するために〈ブラックヒース館〉に入った被害者側の人間なんです。救うためではなく、加害者を情け容赦なく苦しめるために、自ら刑務所に入った人物なんです。
エイデンには、特別な配慮がなされてます。8回もチャンスがあるのは、そのため。他の囚人たちは1回こっきりなのに。
とはいえ〈ブラックヒース館〉の機能である人格の破壊を防ぐことはできません。すでに30年も滞在しており、記憶をなくし、もはや人格も失いつつあります。
自由を手に入れたエイデンは、真相を聞き、自分が〈ブラックヒース館〉にきた理由を知ります。そのうえで、刑罰は終了したと見なして殺人者を許します。それどころか、助けようとします。
でも、世間はまだ許してない。
記憶をなくして違う人物として生まれ変わっても、駄目なんです。決して許されない。それだけのことをしたとはいえ、なんのための刑罰なのか。
外野ほど、許すのは難しいのですね。
世間を騒がせたベン・ライクは、許されたのでしょうか。