複数性とはなにか。
全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られている哲学者ハンナ・アーレントによると、複数性とは、
独自の個性をもった人びとが、その独自性にもかかわらず、同じ人間として対等に複数で存在しているということを表わす多数性
これが世界に拡大された、世界の複数性。20世紀後半の分析哲学の牽引者デイヴッド・ルイスの主張は、
われわれの住むこの世界とは異なる独自の個性ある世界が、同じ世界として対等に存在しているのではないか。
ルイスには『世界の複数性について』という著作があります。実は、世界の複数性についての話は20世紀にはじまったものではありません。
1686年に出版されたのは、こちら。
ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル
『世界の複数性についての対話』
月の輝く秋の宵
G侯爵夫人の館の庭で、
恋のかけひきもそこそこに
諸世界への道行きが開始された。
月の夢岬から神酒の海、
あわただしい水星人から沈思冷静な土星人、
わが太陽系のさまざまな光景をあとにして
無数の恒星がきらめく諸銀河へ……。
一夜、二夜、三夜、四夜、五夜、六夜。
地表をうごめく人間たちを揶揄し、慈しみながら、
夜ごと、慎みのベールははずされてゆく。
本書見返しより
フォントネルは17世紀の思想家。フランスでルネサンス思想と啓蒙思想をつなぐ役割を果たしました。最初の啓蒙思想家といわれています。
元はといえば作家でした。思想的遍歴の結果、次第に科学に近づいていき、啓蒙書を書くまでにいたります。どういう思想家かといえば、デカルト派です。
柔軟性はあって、その理論を大筋においては受け入れながらも、誤りは躊躇なく認めて理論の修正を厭いません。とはいうものの、自身の理論に執着することもありました。
フランスでは、1666年に王立科学アカデミーが創設されてます。その終身書記(ほぼ会長)として1699年に就任し、活躍しました。
『世界の複数性についての対話』では、
話の上手な哲学者と侯爵夫人の対話というスタイルで、地球と宇宙について語られます。
侯爵夫人は、学問はないけれど聡明で、生き生きとした精神を持ち、いくらかの社交的偏見も身につけた若くて美しい女性、という設定。そうした女性でも理解できるように、比喩を用いた複数世界論が展開されていきます。
コペルニクスが『天体の回転について』を刊行したのが1543年。そこから150年ほどが経過しているものの、まだまだ天動説が根強く残っている時代です。
そのため『世界の複数性についての対話』では、天動説がいかに荒唐無稽か、地動説ならいろいろなことに説明が容易であるか、そういったところからはじまります。
なお、コペルニクスの天文学では、惑星がどうして太陽のまわりを回転するのかまでは説明できてません。そこで登場したのが、デカルトの過動論です。過動論は、ニュートンの万有引力にとって代わられるまで、宇宙を説明する唯一の理論でした。
フォントネルは、コペルニクスの地動説と、デカルトの過動論をミックスさせた新しい宇宙論を展開させます。
ちなみに、ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』を出版して万有引力の法則をとき、古典力学(ニュートン力学)を創始するのは1687年。残念ながらフォントネルは、自身の過動論に最後まで固執したようです。
閑話休題。
地動説を説明した『世界の複数性についての対話』は、月には人が住んでいる話に進みます。月世界の特徴を語り、他の惑星にも言及していきます。
金星、水星、火星、木星、土星……。
そうなんです。このころはまだ土星までしか発見されていないんです。さらに、衛星も惑星扱いされてます。
そして、会話の対象がついに夜空に輝く星に移ります。
光っている星、つまり恒星はすべて太陽で、それぞれがその世界を照らしている、それぞれが太陽系に似たひとつの世界の中心なのだ、と。
地球のように人間の住む世界が、ほかにも多数あり得る。
本書は空前のベストセラーとなり、サロンを席巻しました。最新の情報を折り込みながら版を重ね、翻訳されてヨーロッパ中で読まれます。
現代では、日本語でも読めるんです。
いかんせん17世紀。古さはあります。その分、このころすでに、こういう物の見方をしていたんだ、と新たな発見がありました。
月の輝く秋の宵までは間がありますが、SFに通じる世界観を古い時代に求めるのもおもしろいのではないでしょうか。