2021年の終わり。絶海の孤島に置き去りにされてしまった子どもたちの物語を読みました。
ジェラルディン・マコックラン
『世界のはての少年』
子供9人大人3人を乗せた船が、スコットランドのヒルタ島から、無人島へと出帆した。孤島で海鳥を獲る旅が、少年たちにとっては大人への通過儀礼なのだ。だが約束の3週間が経っても、迎えの船は姿を現さない。この島から出られないのではないかと不安が募り、皆の心を蝕み始める。そんななか年長の少年クイリアムは、希望を捨てることなく仲間を励まし、生きのびるために闘う。そして…。実際の事件をもとに描いた勇気と成長の物語。カーネギー賞を受賞した、感動の冒険物語。
(「BOOK」データベースより)
岩だらけで鳥しかいない、その鳥も冬には姿を消してしまう絶海の孤島で、子どもたちが生きのびようとする物語です。
クイリアムが年少の子どもたちを安心させようと披露する物語は、年長の子どもたちをも励まします。大人たちが頼りにならないのは、いろいろ経験しすぎている、ということもあるでしょうか。
物語とは関係ないですが、ヴィクトリア朝時代が舞台の英国ミステリを読んでいたら、壁伝いに登っていく人についてヒルタ島の住民が引き合いに出されてました。特に注釈もなく、知ってて当然って雰囲気で。
かれらの岩登りは、ヴィクトリア朝の人が口にしてもおかしくないし今でも常識、ということなんだろうな、と。感慨深い繋がりでした。
それはさておき「孤島で海鳥を獲る」という言葉で思いだして読みました。海鳥の捕獲事業について書かれた本です。
平岡昭利
『アホウドリを追った日本人 −−一攫千金の夢と海洋進出』
明治から大正にかけ、一攫千金を夢みて遙か南の島々へ渡る日本人がいた。狙う獲物はアホウドリ。その羽毛が欧州諸国に高値で売れるのだ。密猟をかさね、鳥を絶滅の危機に追い込みながら、巨万の富を築く海千山千の男たち。南洋進出を目論む海軍や資本家らの思惑も絡んで「帝国」日本の拡大が始まる。知られざる日本近代史。
(「BOOK」データベースより)
『世界のはての少年』の置き去り事件には、事情がありました。子どもたちを送りだした大人たちは、約束どうり迎えに行くつもりでした。ところが不測の事態が発生して、船を送ることができなくなってしまったんです。
置き去り事件は『アホウドリを追った日本人』でも登場します。事業主によってわざと置き去りにされた事件、として。
著者が南洋進出について調べたきっかけは、沖縄県の南大東島でした。
南大東島は、20メートルを越える断崖絶壁に囲まれている島です。砂浜などはありません。目的がなければ、誰も上陸しようとは思わなかったでしょう。
伊豆諸島最南端の鳥島も断崖絶壁です。尖閣諸島は岩だらけ。日本最東端の南鳥島は上陸は簡単ですが、低平のため居住には適していません。高波がきたらさらわれてしまいます。
明治期の日本人は、このように目的がなければ訪れないような孤島に進出していきます。先頭に立っていたのは、八丈島からやってきた人々でした。
かれらは何のために、その孤島を選んだのか。
その答えが、アホウドリでした。
明治以降、海鳥の羽毛が高値で売れることが紹介され、無人島での乱獲がはじまります。通常なら行かないような孤島に、日本人がどんどん進出していきました。
実際の作業に当たるのは、雇われた人たちです。船で人と物資が運ばれ、約束の時期がくると迎えの船がきます。
真っ先に船に乗せるのは、金になるものです。作業員たちには後から迎えにくると言い残し、そのまま放置しました。たまたま通りかかった船に助けられて事件が発覚します。
最初は迎えにいくつもりだったのか、最初から置き去りにするつもりだったのか。金の亡者ぶりを知ると、後者のような気がしますね。
乱獲でアホウドリが激減すると、金儲けの対象が広がっていきます。
たとえば、グアノ。グアノ(鳥糞)は、窒素やリンなどを含む良質な肥料として高値で取引されました。あるいは、リン鉱。良質なリン鉱は、軍隊も目をつけます。
対象だけでなく、海域も広がっていきました。
日本人はハワイの方にまで進出していきます。
ハワイはアメリカの領土ですから、日本近郊の無人島のように活動するわけにもいきません。そこで登場する常套手段が、漂着を装った無人島への上陸です。
迎えの船を手配したうえで意図的に漂着して、仕方ないよねって言い訳しながら密猟してたんです。
当時の日本人の商魂逞しさには、昨今の隣国による密猟を彷彿とさせられます。同じことを日本人もしていたとは。というより、自分の利益だけを求める人に民族は関係なかったか。
さて、このハワイ周辺での密猟に関連して『アホウドリを追った日本人』で一冊の本が紹介されてます。
須川邦彦
『無人島に生きる十六人』
大嵐で船が難破し、僕らは無人島に流れついた! 明治31年、帆船・龍睡丸は太平洋上で座礁し、脱出した16人を乗せたボートは、珊瑚礁のちっちゃな島に漂着した。飲み水や火の確保、見張り櫓や海亀牧場作り、海鳥やあざらしとの交流など、助け合い、日々工夫する日本男児たちは、再び祖国の土を踏むことができるのだろうか? 名作『十五少年漂流記』に勝る、感動の冒険実話。
(「BOOK」データベースより)
ちなみに、宣伝文句に使われた、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』はこんな感じの物語です。
夏休みを、ニュージーランドの港で帆船に乗って遊んでいた少年たち。だが、舫綱がほどけ、船は外洋へと流れ出してしまった。嵐に遭いながらも、南太平洋を漂流した一行は、やがて見知らぬ島に流れ着く。十五人の少年たちを待ちかまえるさまざまな冒険の数々。勇気と情熱への熱い想いを若者たちに伝えるメッセージとして描いた、巨匠ヴェルヌ不朽の名作。 『無人島に生きる十六人』が『十五少年漂流記』に勝るかどうはさておき。
そもそも、日本男児のたどりついた島の方が断然小さいこともあり、冒険らしい冒険はありません。
服は1枚きりだから裸で過ごそう! とか
島にいる間も勉強しよう! とか、そんな感じ。
見張り台を建設したり、別の無人島にも進出して支部にしたり、ウミガメ牧場をこしらえたり、などはあります。
『無人島に生きる十六人』の中核をなすのは、日本から遠くはなれた海域で座礁した龍睡丸の乗組員たち16人が、無人島で救助を待って10ヶ月暮らした実話です。体験者である、龍睡丸の中川船長から聞いた話、という形になってます。
どうして『アホウドリを追った日本人』で紹介されているのかと言えば、龍睡丸の目的は海鳥の密猟にあったのではないか、という疑いがあるためです。
そういった情報を脳裏に浮かべながら読むと『無人島に生きる十六人』はあやしさ満載でした。
密猟目的とは言えないからぼやかしたんだな、とか。
生きるためと言ってるけど、密猟するための行為ともとれるな、とか。
その後もアホウドリは撲殺され続け、姿を消してしまいます。絶滅したとも考えられました。幸い、再発見されて、保護活動が続いています。
かつて、金のために追いかけられたアホウドリ。これからの歴史は希望あるものにしたいですね。