秋ですね。
秋といえば、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋……そして、やはり読書の秋でしょう。
そんなわけで、アルド・マヌーツィオの伝記を読みました。
アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ
『初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯』
私たちが普段読む本には、冒頭に【目次】や【序文】や【献辞】があり、【ページ数】が振ってあり、文章は【句読点】で句切られ、時折【書体を変えて強調】されている。巻末には【索引】がついていたり、時には【正誤表】が挟み込まれていたりもする。持ち歩いたり寝そべって読んだりするのに【文庫本】サイズはとても便利だし、書店に高く積まれた【ベストセラー】には興味をそそられる。
実は、いま【 】で強調したものすべては、今からおよそ500年前、たった一人の人物によって生み出されたものである。グーテンベルクによる活版印刷技術の発明からわずか半世紀後の自由都市ヴェネツィアを舞台に出版の世界に大変革を巻き起こし、現在も使われている書籍の体裁を発明した"出版界のミケランジェロ"ことアルド・マヌーツィオの激動の物語。
(出版社内容情報)
今から500年前。
ヨハネス・グーデンベルクが活版印刷を発明してしばらくたったころ。アルド・マヌーツィオは、ヴェネツィアで出版人になります。それから20年かけて、132冊の書籍を出版しました。
古典文学を、ラテン語で、ギリシャ語でも。当時、俗語だったイタリア語の書籍も。小冊子や、取るに足らない本も。
マヌーツィオは、元はといえば教師。
出版業に従事したのは、教師としての考えもあったから。学習に必要なテキストを生徒に与え、言語の知識が不十分な場合には、習得するための本、すなわち文法書も提供するため。
そんなわけで、最初の出版物は1495年、ギリシャ語の文法書でした。
マヌーツィオは、今では当たり前となっている書籍の体裁を考え、自身が出版する本で採用していきます。いきなりすべてを盛りこんだわけではなく、必要に応じて、ひとつずつ、実装していったのです。
マヌーツィオは、新たな活字の製作にも着手します。ローマン体は、タイムズ・ニューロマン体として今でも使われてます。なにより、より省スペースに印刷できるイタリック体は、大変な技術革新でした。
活版印刷の登場って、写本と置き換わった程度にしか考えてませんでした。実際、このころの印刷人が目指していたのは、写本と見分けがつかないほどの印刷本を作ること。一冊ずつ書き写さなくてもいいなんて、大発明ですよね。
でも、それだけじゃなかった!
そもそも写本は、内容が変化してしまうシロモノ。ミスのこともあれば、写し手の考えで修正されてしまうこともしばしば。印刷なら、それも防げます。
なお、マヌーツィオが書籍を出したのは、第一次イタリア戦争の真っ最中。同年、ヴェネツィアは神聖同盟を結成し、フランスを撤退させます。
第二次イタリア戦争は1499年から。このときのヴェネツィアはフランス王と同盟を結んでます。終結は1504年。
1508年からはカンブレー同盟戦争がはじまります。ヴェネツィア共和国を地図から排除しようとした戦争で、民衆も無関係ではいられません。戦争は、マヌーツィオが亡くなる翌年、1516年まで続きました。
戦争がなかったら、なにか違っていたのか、と考えたりも。
本書は、正直なところ、少々読みにくいです。
数学者のルカ・パチョーリ(※)は知っていたので、その箇所は読みやすかったように思います。おそらく、イタリア人の名前に馴染みがない、というのが読みにくさの主要因なのでしょう。なにしろ次から次へと登場しますから。
そこは覚悟のうえでどうぞ。
秋の夜長に、じっくりと、書籍そのものについて考えてみるのもいいかもしれません。
※ルカ・パチョーリ……書的独話「簿記は世界を変えるのか」で少しですがふれてます。