《シャーロック・ホームズ》シリーズ
ジョン・H・ワトスンは、元陸軍軍医。私立探偵コンサルタントを自認するシャーロック・ホームズと、ベイカー街で共同生活を送っている。
ある日、ジェームズ・モーティマーなる男が尋ねてきた。
モーティマーは、チャールズ・バスカヴィル卿のかかりつけ医。
3ヶ月前、チャールズ卿は悲劇的な死を遂げた。バスカヴィル家に伝わる伝説を彷彿とさせる死に方だった。
17世紀。
ヒューゴー・バスカヴィルが、見初めた娘を拉致して〈館〉にとじこめた。ヒューゴーは得意満面。しかし娘は脱出し、荒れ地(ムーア)を横切って逃げた。
娘の逃走に怒ったヒューゴーは叫んだ。小娘に追いつくことさえできるなら、〈悪魔〉の前に身も魂も投げだして悔いなし、と。
娘を追ったヒューゴーは、その後、ムーアで遺体となって発見された。娘の亡骸と共に。ヒューゴーは、犬に似た、身の毛もよだつ黒く巨大な魔物に喉を食い破られていたという。
以来、バスカヴィル家では横死があいつぎ、日が落ちてのちムーアを横切ることなかれと、伝えられている。
バスカヴィル家は衰退したが、チャールズ卿は独力で資産を築きあげ、デヴォンシャーの所領に戻った。
チャールズ卿は、自分の一生のあいだにこの地方全体をうるおしたいと考えていた。〈バスカヴィル館〉を改修し、州の福祉事業にたいしても多大の寄付をしている。チャールズ卿の後継者に関心が高まっていた。
チャールズ卿は三人兄弟。次弟は早く亡くなったが、ヘンリーという息子がアメリカ合衆国にいる。
末弟のロジャーは、一族の持て余し者だったという。先祖の専横の血を濃く受け継いでいて、あのヒューゴーの肖像画に生き写し。放蕩が過ぎてイギリスにもいづらくなり、中米へ流れていった。黄熱病で死去したらしい。
まもなくヘンリーがロンドンに着く。
モーティマーはホームズに、ヘンリーの処遇をどうすればいいのか、相談したいという。なにしろ、貧しく、荒涼とした地域全体が繁栄するかどうかは、バスカヴィル家の当主の存在如何にかかっているのだ。
だが、デヴォンシャーでは危険が待っているかもしれない。その危険は、先祖代々取り憑いているというこの悪霊のもたらす危険かもしれないし、現実世界の人間からもたらされる危険かもしれない。
ホームズは興味を示すが……。
ホームズの長編3作目。
世界文学史上もっとも映像化された回数が多い作品。本作でも、ワトスンが語り手。
ロンドンに着いたヘンリーのもとには「ムーアより遠ざかるべし」という手紙が届けられます。何者かにつけられたり、靴の片方が盗まれたりという怪事件も起こります。
ヘンリーはバスカヴィル家の伝説を知りますが、それでもデヴォンシャーに赴くことを決断。ホームズは多忙を理由にロンドンに留まり、ワトスンがヘンリーと共に〈バスカヴィル館〉に向かいます。
現地にいるのはワトスンですが、ホームズの存在感の大きいこと。シリーズものゆえですね。
2020年10月22日
チャーリー・ジェーン・アンダーズ(市田 泉/訳)
『空のあらゆる鳥を』創元海外SF叢書
パトリシア・アームステッドがはじめて鳥としゃべったのは、6歳のときだった。
そのスズメは傷ついていて〈鳥の議会〉のとりわけ賢い鳥たちなら治してもらえると言う。かれらは〈議会の樹〉にいるはずだ。
〈鳥の議会〉を訪れたパトリシアは、魔法使いであることを証明しなければならなくなった。そのために、終わりなき質問を受ける。
「木は赤いか?」
その場で答えることはできなかった。
それから7年。
パトリシアはカンタベリー・アカデミーに通っているが、他の生徒たちとなじめない。だが、同じように疎外されているロレンス・デルファインとは仲良くなった。
ロレンスは、才能あふれる科学少年。両親からは、外の空気を吸わずにコンピュータにかじりついているのを心配されている。
学校には、セオドルファス・ローズがスクールカウンセラーとして潜入していた。
実はローズは、ネームレス暗殺結社の一員。アルバニアの暗殺者神殿に巡礼したとき、未来のビジョンを見た。
死と混沌が蔓延し、多くの都市が砕け散る。魔法と科学の大戦争が起こって世界を灰に変える。このすべての中心にいるのは、パトリシアとロレンスだ。
ネームレス暗殺結社には、未成年者の殺害を禁じる厳格な掟が定められていた。そこでローズは、別の手段をとることに決めた。
パトリシアに、ロレンスを殺すように勧めたのだ。
パトリシアにとってロレンスはたったひとりの友達。追い詰められたパトリシアは、ロレンスと距離を置きはじめる。もはや話し相手は、ロレンスが開発したスーパーコンピュータCH@NG3M3だけ。
ローズは、ロレンスの両親にも手を回していた。ロレンスを、軍隊式矯正スクールに送りこんだのだ。
ロレンスが失踪し、パトリシアは心配する。自身には、悪魔的な儀式を行なった嫌疑がかけられてしまう。
逃げだしたパトリシアは、秘密アカデミーに助けられた。当代最高の魔法使いたちが教師を務める魔法学校だという。
パトリシアは一日だけ猶予をもらい、監禁されたロレンスに接触する。そして、CH@NG3M3にある言葉を伝えるように頼まれた。それを聞けば、ショックで目覚めるかもしれない。
「木は赤いか?」
目覚めたCH@NG3M3はロレンスを助け、ネット上に姿を消した。
そして10年。
パトリシアはパーティでロレンスと再会するが……。
ネビュラ賞、ローカス賞、クロフォード賞受賞作
パトリシアとロレンスのふたりが主人公。
語り口がすごくやわらかいです。ジュニア・ハイスクール時代のふたりはどちらもいじめられていて、とりわけパトリシアは酷い扱いを受けてます。
オブラートにくるまれているといえ、いじめ被害に遭ったことのある人は読めないかもしれません。
世界は異世界ではなく、現代とほぼ一緒。
科学と魔法があり、どちらも世界の崩壊を憂いでます。同じ心配をしているのに、対話不足のため理解し合えません。
大人になったロレンスは、恋人と釣り合う男になろうと一生懸命になってます。パトリシアには人生で最低最悪の場面を見られているため、自分をつくる必要もなく、リラックスして話ができます。とはいえ、すべてを話しているわけではなく、パトリシアも同じ。
予想外な結末が、印象的で衝撃でした。
2020年10月26日
ティム・パワーズ(大伴墨人/訳)
『アヌビスの門』上下巻/ハヤカワ文庫FT
1802年。
魔術師ファイキーは、上主の命令で呪術を執り行った。
世界に君臨していた古代エシプトの神々がこの世を去って久しい。犬頭の大神アヌビスが守る、冥界とこの世を結ぶ門は閉まったまま。時代が下るにつれ、魔術の実行が困難になっていく。
そこで上主は、アヌビスを召喚しようと考えた。『トートの書』に記された呪文を用い、アヌビスを術者に宿らせるのだ。それと同時に、新たな門を開いて時の壁をも突き破らせる。
呪術は大英帝国の中心地で行なわなければならない。イギリス転覆が目的なのだから。カイロから動けない上主に代わり、魔術師ロマニーが儀式の手助けをするために派遣されていた。
ロマニーは呪術に懐疑的。
案の定、ファイキーは狂ってしまい、ジャッカルを思わす遠吠えをして闇の中に消えた。何かを成し遂げたが、本来目的としたことは達成できなかった。それだけが確かだった。
1983年。
ブレンダン・ドイルは、大富豪J・コクラン・ダロウの誘いを受けてイギリスに向かった。
ダロウが探していたのは、18世紀イギリスを代表する詩人サミュエル・コールリッジの専門家。
ドイルは、コールリッジに関する大部の評伝『身近な来訪者』を上程している。自信作だったがあまり評判にはならず、今は、同時代の詩人ウィリアム・アッシュブレスの評伝を準備しているところだ。
アッシュブレスの生涯にはとにかく謎が多い。1810年にロンドンに現われる前のことは、出生地すらはっきりしていない。
そのころのロンドンには、伝説的殺人鬼〈犬面ジョー〉が出現していた。〈犬面ジョー〉は人狼の一種と考えられていて、自分の望むときに望む相手と肉体を取り替えることができたという。だが、肉体を替えても人狼変容の呪いからは逃れられなかった。
アッシュブレスは、ロンドン到着の1週間後に〈犬面ジョー〉と関わっている。
ダロウと面会したドイルは、ダロウが時間旅行を開発したことを知らされた。
時の流れの中に〈孔〉がある。そこを出入りすることで時間旅行が実現するのだ。〈孔〉は、1802年の初頭を中心として、規則的に分布していた。数学を用いれば、どこに出現するか計算することも可能だ。
1810年9月1日、ロンドン郊外に〈孔〉が出現する。コールリッジが〈冠錨亭〉で講演をする日だ。
ドイルが依頼されたのは、ダロウの企画したツアーに参加し、コールリッジについて講義と解説をすること。
半信半疑のドイルだったが、時間旅行は本当だった。1810年のロンドンに大感激。コールリッジの講演も聞くことができた。あとは帰るだけ。
ところがドイルは、ひとりになったところをロマニーに誘拐されてしまう。
ロマニーは〈門〉の出現を計算し、何者かが現われることを予測していた。ドイルを捕らえ、彼らの正体を知ろうとしたのだ。
ドイルはなんとか逃げだしたものの、現代に帰れなくなってしまった。1週間待てば、アッシュブレスがロンドンに到着する。ドイルは、アッシュブレスと接触しようとするが……。
時間テーマSF+魔術。
16年ぶりの再読。
いろいろ覚えているつもりでいたのですが、それでもびっくりさせられる展開。
序盤に、ドイルがアッシュブレスについて語りますが、それは、その後に起こる出来事でもあります。忘れて読み進めても楽しめますし、覚えていれば、どうやってそこに繋がるのか楽しめます。
謎の詩人アッシュブレスは、エリザベス・ジャクリーン・ティチーと結婚することになってます。
エリザベスは、少年ジャッキーとしてドイルの前に現われます。婚約者が〈犬面ジョー〉の被害者となり、復讐を誓って情報収集しているのです。ドイルはジャッキーの正体に気がつきません。
なお、アッシュブレスは架空の人物です。
ドイルとアッシュブレス、ドイルを執拗に狙うロマニー、〈犬面ジョー〉を追い、ドイルとも協力し合うジャッキー、ダロウの時間跳躍の秘密の目的、などなどなど。
いろいろ入り乱れて紆余曲折しながらも歴史は変わらない。また忘れたころに読みたいです。
2020年11月01日
ジーン・ウルフ(安野 玲/訳)
『ナイト』全二巻/図書刊行会
《ウィザード・ナイト》二部作、第一部
ログキャビンのある森は、なだらかな丘陵地帯につながっていた。空気はぴりっと澄みわたり、木の葉も色づきはじめている。
寝ころんで空をながめていると、雲が空飛ぶ城になった。大塔や小塔が四方八方から飛び出している。石造りとしか思えない。
夜になり、雲のはずの城も見えなくなった。丘を越えて歩きだしたが、なかなかふもとにたどりつかない。闇の中、何者かにつかまれ、気がつけば海辺の洞窟のなかだった。
老婆が糸をつむいでいる。
老婆は、おまえは〈エイブル・オブ・ザ・ハイ・ハート〉だという。エルフがつれてきたという。
記憶が奪われてしまっていた。思い出せることも幾つかある。ログキャビンのことや、雲のこと。
それはずっと前のことで、その後のことは分からない。ただ、なんとなく、小さいころの自分がエルフについてなんでも知っていたことは分かっていた。
この世界はミスガルスルと呼ばれている。
上に3つ、下に3つ、全部で七つの世界だ。
ミスガルスルの上には、スカイ。天空人オーヴァーキュンが住み、ヴァルファーザーが統べている。エルフたちが暮らすエルフリースは下にある。
自分の家はグリフィンズフォードにあるはずだ。
そういう思いがあり、洞窟を出てグリフィンズフォードをさがしたが、村はなくなっていた。巨人族のアンガーボルンたちがやってきて、略奪していったのだ。
アンガーボルンは、戦わずに逃げた者と女子供をさらっていく。奴隷にするためだ。戦う者は殺される。破壊された村は跡形もない。
唯一、ボールド・バーソルドだけが生きのびていた。ボールド・バーソルドの弟もエイブルというらしい。
エイブルは、ひとりで小屋に住むボールド・バーソルドと暮らしはじめる。ボールド・バーソルドはちょっとおかしくなっていたが勇敢だった。いろいろなことを教えてくれた。
ふたりの暮らしにも慣れたころ。エイブルは、騎士のラーヴド・オブ・レッドホールから道案内を頼まれた。従騎士スヴォンだけを連れたサー・ラーウドは、グレニダム村を訪れようとしていた。
エイブルはサー・ラーウドに感化され、騎士という生き方を意識しはじめるが……。
冒険譚。
主人公のエイブルは、アメリカの少年。
兄に宛てた手紙、という形式で物語は進んでいきます。
エイブルは、苔のエルフの女王ディシーリと出会い、ディシーリによって失われた時間を戻されます。心は子供のまま身体だけが大人になって、女王の夫君たるにふさわしい偉大な騎士になると誓います。
行く先々で騎士だと名乗りますが、相手は半信半疑。エイブルは実績を残し、騎士であると認められていきます。
エイブルが子供だからか、頼まれたことを放置して冒険するのは日常茶飯事。エルフリースの方が時間経過が遅いので、ちょっと行ってる間にミスガルスルでは数年経っていたりするのですが。
そういうところが、どうにも好きになれませんでした。
なお、数々の謎が残ったまま終わってます。
《ウィザード・ナイト》二部作、第二部
セリドン王アーンソールは、アンガーボルンとの和平を考えていた。そこで、山脈の北にあるヨツンランドに使節を派遣した。
任されたのは、王家の血をひくビエル男爵。娘のイドゥンも連れている。イドゥンをアンガーボルン王と結婚させる予定だ。
途中、アンガーボルンの襲撃に遭い、贈り物にするはずだった宝を奪われてしまう。追いかけるが、予期せぬ知らせが舞い込んだ。
騎士のエイブル・オブ・ザ・ハイ・ハートが亡くなったという。
エイブルは、先行してヨツンランドに入っていた。ところが従者トゥッグの話によると、エルフリースで、ドラゴンのグレンガルムとの戦いで命を落としたという。
宝を奪ったアンガーボルンたちは、農場に入ったらしい。
農場に駆けつけ、トゥッグもアンガーボルンと戦った。そのとき緑の騎士が現れ、助けられた。騎士はエイブルだった。
あのときエイブルは、グレンガルムを倒し、ヴァルキュリエに迎えられた。ヴァルキュリエたちは、ヴァルファーザーのために討ち死にした勇者を集めている。
スカイを訪問したエイブルは、記憶をなくした。ただ、苔のエルフの女王ディシーリの面影だけは心のなかにあった。
エイブルは、スカイで20年ほどを過ごした末にディシーリを思い出し、ヴァルファーザーの許しを得てミスガルスルに戻ってきたのだ。ヴァルファーザーからたまわった力を使わないという約束で。
スカイの時間の流れは早く、ミスガルスルでは数日しかたっていなかった。
宝は取り戻され、ビエル一行はアンガーボルン王の居城ウートガルドにたどり着く。ギリング王との交渉に臨むが……。
英雄譚。
前作『ナイト』のそのまんま続き。これまでのあらすじはもちろん、作中での補足説明もないです。読んでいることが大前提になってます。登場人物も多いので連続して読みたいところ。
ウートガルドでの政変、セリドンの王都キングズドゥームでのあれこれ、悪鬼オスターリングたちとの戦いなどなど盛りだくさん。前作で呈示されていた謎も答えが用意されてます。
今作でも、エイブルが兄に宛てた手紙、という形式で物語は進んでいきます。前作ではほぼエイブル視点でしたが、今作では、エイブルが聞いた話もかなり入ってます。
とにかく、分かりづらいです。どういうことか理解できずに読み直すこともたびたび。
アーサー王伝説や北欧神話など、いくつかの元ネタには気がつきました。おそらく、いろんな伝承が下敷きになっていて、知らなくても大丈夫なこともあれば、知らないと意味が掴みかねることもあるのかな、と。(巻末解説でいくつか紹介されてました)
堪能しきるには知識量が足りなかったようです。
なお、エイブルの中身は子供のまま、という設定は引き継がれてます。スカイで20年を過ごしてなお子供、というのが謎ですけど。死んでいたので成長していないということでしょうか。
残念ながら、エイブルのことが好きになれず。暴力的で、上から目線で、どうも高潔な騎士とは思えずじまい。
エイブルのことが好きになると、すっごく楽しめると思います。
2020年11月11日
コルソン・ホワイトヘッド(谷崎由依/訳)
『地下鉄道』早川書房
コーラの祖母アジャリーは、アフリカで捕らえられアメリカに連れてこられた。数年にわたって幾度も、売られ交換され転売され、ジョージアのランドル農園にたどり着いた。
ついた値段は292ドル。
アジャリーは農園の綿花畑で死んだ。娘のメイベル、孫のコーラを残して。
メイベルも、ある日突然消えた。メイベルが考えていることは誰にも分からなかった。コーラにさえも。メイベルは、後でそれと分かるキスすら残さなかったのだ。
それまで、ランドル農園から逃げおおせた者はいなかった。逃亡奴隷はつねに捕まり連れ戻されてきたのだ。連れ戻された者たちは、激しい暴力に耐えるまで死ぬことすら許されない。
しかし、メイベルは逃げおおせた。
メイベルに賞金をかけた老ランドルは亡くなり、農園の北半分を兄ジェイムズが、南半分を弟テランスが監督することになった。
コーラがいるのは北側だ。ジェイムズは白人の例に漏れず無慈悲で乱暴。だが、南半分から聞こえてくるテランスの逸話は、もっとぞっとくるものだった。
数年がたち、ランドル農園に新しい奴隷シーザーが来た。
シーザーが生まれたのは、ヴァージニアの老未亡人の小さな農場。地所の裏手にある二部屋のコテージに、両親と3人で暮らしていた。
夫人は、奴隷制を必要悪だと考えていた。彼らには教育が不足している。 自分が死んだら解放すると誓い、できる範囲で来るべき自由に備えさせた。
ところが、夫人は遺言を残さなかった。
奴隷は財産だ。夫人の相続人によって、シーザーの家族はばらばらに売られた。父はあちらへ、母はこちらへ、シーザーはランドル農園へ。
シーザーは白人の協力者を得た。その家までの30マイルを辿り着ければ、地下鉄道まで送り届けてもらえる。地下鉄道は、奴隷制反対派によって秘密裏に運営されていた。
コーラは、シーザーに誘われた。一緒に逃亡しようと。
おそらくシーザーは、メイベルの成功にあやかりたいのだ。コーラに逃亡するつもりはない。断ったが、シーザーはあきらめなかった。
そんなときジェイムズが亡くなり、状況が一変する。農園の北半分もテランスのものになったのだ。そこには奴隷も含まれる。コーラは決意した。
コーラとシーザーは地下鉄道の乗客となり、自由な北部を目指すが……。
ピュリッツァー賞、アーサー・C・クラーク賞受賞。
時代は、南北戦争より30年程前。
史実を下敷きにしてますが、地下鉄道は架空。当時は暗号名として存在していたそうです。それを現実のものにしたのが本書。
コーラは地下鉄道に乗りますが、直接、北部につれていってもらえるわけではありません。とにかく秘密にしなければならないため、どこをどのように通っているのか、どの駅が閉鎖され、線路がどちらに延長されたか、どういう経路をたどるのか、どのくらいの危険が待っているのか、事前には分かりません。
最初にたどりつくのは、サウス・カロライナ。まだ南部ですが、ジョージアとはかなり違います。
コーラには賞金がかけられ、奴隷狩り人のリッジウェイが追いかけます。リッジウェイは、メイベルを追いかけて果たせなかった過去があります。執拗にコーラを追いかけます。
作者は、ニューヨーク在住の黒人作家。地下鉄道は架空ですが、舞台となった時代は徹底的に調べ上げられているようです。同時代の既存作品を彷彿とさせられるのは、そのためかな、と。
鎖には、見えるものと見えないものがある。
身をもって気づいていくコーラ、まだ15歳ですよ。
2020年11月16日
コードウェイナー・スミス(浅倉久志/訳)
『ノーストリリア』ハヤカワ文庫SF710
《人類補完機構》
オールド・ノース・オーストラリア、縮めてノーストリリアは、全宇宙で唯一のストルーン生産地。乾ききった土地と、数すくない井戸の世界。
惑星に羊が導入されたとき、誰も結果を予想していなかった。病気になった羊から無限の富が生まれるとは。人間の寿命を無期限に延長できるサンタクララ薬、別名ストルーンが採れるとは。
この薬は、合成することも、類似品を作ることも、複製することもできない。ノーストリリアの平原にいる病気の羊からしか採れない。
ストルーンはノーストリリア人を大金持ちにした。
それでも彼らは変わらなかった。質素な生活を望み、寿命に上限を設け、みずから贅沢品に2000万パーセントの税金をかけた。そして、人口が増えすぎないように、人間を間引きすることを決めた。
16歳になった子供は審査される。標準に達しない子は死ななければならない。ただし、除外条項があった。そこで家系が途絶える場合には、最後の跡継ぎを心理改造することが許される。
ロデリック・フレドリック・ロナルド・アーノルド・ウィリアム・マッサーカー・マクバン151世は、由緒正しい、惑星最古の〈没落牧場〉の正相続人だった。通常、ロッド・マクバンと呼ばれている。
ロッド・マクバンは、半障害者だった。地球の基準で見れば正常そのものでも、ノーストリリア基準では不適格者。テレパシー感覚に障害をかかえていた。
これまでに3回、判決を受けている。その都度、判決を保留され、子供時代をやりなおした。テレパス能力が成長することを期待されたが、変わらずじまい。4回目が最後のチャンスとなる。
審問を経てロッドは、ついに市民として認められた。親族は大喜び。しかし、不服に思う人物がいた。
ホートン・サイム149世は、ストルーンが使えない体だった。ストルーンを生産しつつも、母なる地球の自然寿命一回きりで死ななければならない。ホートン・サイムにとってロッドは、全ノーストリリアに害をもたらす奇形なのだ。
身の危険を感じたロッドが相談したのは、祖先が遺してくれたコンピュータ。ノーストリリアに存在するはずのないコンピュータは、経済戦争を提案した。
ノーストリリアを一時的に破産させ、母なる地球そのものを買い取る。そうしてから人間と交渉して、自分のほしいものを手に入れればいい。
ロッドは、コンピュータの指示通りに証券取引を行ない、地球買収作戦を一晩で成功させた。ところが、それが別の危険を招くことになってしまう。
ロッドはノーストリリアを離れ、極秘に地球を訪れるが……。
18年ぶりの再読。
《人類補完機構》で唯一の長編。
地球を買い取ったロッドは、誰もが知る大富豪。噂が飛び交い、みんなが財産を狙ってます。そこで、蔑視されている下級民の猫男ク・ロデリックに変装し、地球に潜入します。エスコートするのは、もてなし嬢の猫娘ク・メル。
記憶しているのは、ロッドが金持ちになって地球に行き、ク・メルと冒険することだけ。読み返してみたら、それはごくごく一部で、もっと別のことが書かれてました。そっちの方が大事なことなのに、読み取れてなかったんですね。
再読してよかった。
2020年11月23日
陳 楸帆(チェン・チウファン/スタンリー・チェン)
(中原尚哉/訳)
『荒潮』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
スコット・ブランドルは、テラグリーン・リサイクリング社の仕事で、中国のシリコン島にやってきた。
シリコン島は、ゴミの島。
ゴミを輸入し、リサイクルしている。年間処理能力は数百万トン。経済規模は数十億ドルにのぼる。
シリコン島は、有力御三家が牛耳っていた。羅(ルオ)と、陳(チェン)と、林(リン)の三家に。
テラグリーン・リサイクリング社の提案に、三家は興味も示さない。産業の構造改革は、すなわち利益の再配分を意味する。
島民も無関心。この島での残りの人生でそれなりに儲けられればいいと思っている。出稼ぎ労働者も、金を稼いでさっさと故郷の村に帰るだけ。みんな、島の未来などどうでもいいのだ。
スコットは、助手として、陳開宗(チェン・カイゾン)を連れてきていた。
開宗はシリコン島生まれ。7歳のとき、両親につれられて海を渡った。ボストン大学の歴史学部を出たばかりだが、シリコン島の言葉を通訳するには、出身者でないと難しい。
開宗の記憶の中のシリコン島は、貧しいながらも活気と希望にあふれていた。人々は友好的で助けあい、池の水は澄み、風は潮の香りがした。
今はゴミの島だ。
ゴミの分別を担う人々のことを、地元ではゴミ人と呼んでいた。
彼らの村は、掘っ建て小屋のような作業小屋とゴミから構成されている。廃材の山から価値のある部品を集め、分解し、溶かし、貴金属を取り出す。残りは燃やすか地面に捨てるかして新たなゴミの山になる。
保護具などだれもつけていない。
鬼節の祭りのとき、開宗は、ひとりの少女を助けた。
ゴミ人の米米(ミーミー)。羅家の地盤の村に暮らしている。羅家の長老、錦城(ジンチョン)が、米米を捕らえるように命じたらしい。
実は、錦城の幼い息子が、まれなウイルス性の脳膜炎にかかり、昏睡状態に陥っていた。現代医学ではどうにもならず、錦城は巫女にすがった。巫女は、火油の儀式が必要だという。
火油の儀式では、患者の代わりが死ぬ。かつて、裕福な家の大事な一員が死に瀕して手立てがないとき、最後の頼りとしておこなっていた。
そのために指名されたのが、米米だった。
倒れた息子が、最後に撮った被写体が米米だったのだ。錦城は息子を助けるため、米米を手に入れようとする。
米米は、陳家の作業小屋にかくまわれるが……。
サイバーパンク系のSF。
最初に中文で書かれたものが、作家のケン・リュウによって英語翻訳され、その際、加筆再構成されてます。今作は、最新の英語版をベースにしつつ、一部中文版も入っている、という状況らしいです。
物語は、米米、開宗、スコットの3人の視点で展開していきます。
中心にいるのは、米米。実は、錦城の息子と同じウイルスに冒されてます。悲劇に見舞われ、特殊能力を獲得します。
不思議だったのが、ある人物が得た情報が、別の人物もすでに知っていることになっている状況。どこでいつ知ったのか。どうも、こまかいことが気になってしまって。
その分、物語はスピードアップしながら展開していきます。
相性で評価が分かれそうです。
《(株)魔法製作所》シリーズ
キャスリーン(ケイティ)・チャンドラーは、魔法が通用しない免疫者(イミューン)。ニューヨークの株式会社MSI(マジック・スペル&イリュージョン)で、エルフや妖精や魔法使いと一緒に働いている。
大規模な魔法対決から3ヶ月。
ケイティの恋人オーウェン・パーマーは、かつては当代随一の魔法使いだった。すべての魔力を失い、今は、希少な古写本の研究に取り組んでいる。
なかでも〈蜻蛉の古写本〉は、きわめて危険なため魔力をもつ者や魔法の影響を受ける者は近づくことが許されない。魔法の知識や経験がありながらも魔力のないオーウェンは、翻訳者として最適だった。
翻訳に勤しむオーウェンとは違い、ケイティは暇を持て余している。
ケイティはマーケティング部長だ。3ヶ月前に唯一の競合会社だったスペルワークスがなくなり、MSIの独占市場となった。独占市場でのマーケティングなど、訓練すればサルでもできる。
暇なケイティは、古写本を見せてもらった。
オーウェンはちょうど〈月の目〉の在処について説明しているらしき記述を翻訳したところ。〈月の目〉は、人々がもう何世紀も捜し続けてる恐しく強力な魔法の宝石。所有者に、究極の権力をもたらす。
ケイティに見せているうちオーウェンは、記述が変化していることに気がつく。昨日は、せまい椅子の下に閉じ込められ、雲のなかを昇っていた。ところが改めて読むと、違うことが書かれていたのだ。
光り輝く星々、立方体のコマドリの卵、あまたの金、銀、宝石、要塞のごとく強固な守り、断食を解く場所。
ケイティは、ティファニーを思い浮かべた。そういえば、最初の記述は飛行機のようだ。〈月の目〉がティファニーにあるなら、回収して破壊しなければならない。
ふたりは半信半疑で、ティファニーへ向かう。すると、先客にエルフがいた。
エルフは〈アーンホルドの結び目(ノット)〉を捜していた。それを身につけたものは、事実上、不死身の体になるという伝説のブローチだ。エルフのもとから消えてもう何世紀もたつ。今朝になって、ここにあるというビジョンを見たという。
店員が見せてくれた写真には、重なり合った輪の中央に丸いサファイアがはめ込まれた金のブローチが写っていた。何者かが〈月の目〉と〈ノット〉を合体させていたのだ。しかも、売れてしまっていた。
ふたりは〈月の目〉の捜索にあたるが……。
シリーズ6冊目。
今作から、セカンドシーズン。とはいえ、前作までのあれこれが絡んできます。
それなりに紆余曲折はありますが、ほぼ〈月の目〉の探索と奪還。ケイティの祖母がやってきたり、新たな要素はあります。けれど、どうにも一本調子に感じてしまいました。
過去作の紆余曲折っぷりを読んできただけに、ハードルが上がっているのでしょうね。
単独ならばもっと楽しく読めるような気もするのですが、過去作を読んでないとオーウェンの事情が分からない。悩ましいところです。
2020年11月27日
ケイト・ウィルヘルム(酒匂真理子/訳)
『鳥の歌いまは絶え』創元SF文庫
デイヴィッドの一族は大所帯だった。長期休暇のときには、みんながサムナー農場に集まった。
デイヴィッドが23歳の元日。
サムナーおじいさんが突然言い出した。
ベア川の発電所のこちら側に、病院を建設中だと。ほかのなにものからも数マイルは離れている辺鄙なところだ。
サムナーおじいさんは、世界がほろびつつある兆候をつかんでいる、という。かつてないほどの正体不明の病気が蔓延しており、まもなく破局がやってくる。今後数年の話だ。
病院は研究所も兼ね、準備を整える。家畜と仲間を生かし続けるために。世界が大混乱に陥っても生き延びるために。
5月に、予想は現実になった。
ところが政府は、来たるべき破局の重大さを認めようとしない。景気の上昇を宣伝する派手なポスターを描くほうを選んだのだ。
10月にはインフルエンザが猛威をふるった。
11月になると、新しい病気が現われた。
12月、一族の者たちがやって来はじめた。
デイヴィッドの一族のなかには、農場主と、2〜3人の弁護士と、2人の医者と保険のブローカーと銀行家と製粉業者と金物屋と、その他の品物の小売商人たちがいる。誰もが、在庫品といっしょに帰ってきた。考えうるほぼあらゆる商売と職業の領域から、各々を代表する補給品があった。
都市は、配給制度と、闇市と、インフレと、略奪とで戦場になっている。ラジオとテレビが機能を停止し、政府は戒厳令を布告した。しかし、手遅れだった。
デイヴィッドは、叔父のウォルトを手伝ってクローニングの研究をしていた。
家畜の繁殖がうまくいっていなかった。家畜が不妊になりつつある。クローニングで、繁殖力が回復するかどうかが重要だった。
デイヴィッドは気がつく。人間も動物だ。やがて、仲間たちの死産と流産が相次ぎ、だれひとり子供を作る能力を持たないことが分かった。
人間もクローニングするしかない。
まもなくして、クローン人間が生まれるが……。
ヒューゴー賞、ローカス賞受賞作。
文明崩壊もの。
三部構成による年代記となってます。
第一部は、デイヴィッド。
第二部は、モリー。モリーは、クローン姉妹のひとり。繁殖力は回復しつつあり、ひとり産まれるとクローンが作られ一緒に育てられます。クローン同士には共感能力があり、それがあたりまえのものとして育ってます。
一族が準備した資源があと数年で尽きる、という状況で、クローンたちはワシントンへの遠征を計画します。モリーには、見て記録する能力があります。そのため選抜メンバーに選ばれます。
第三部は、マーク。追放されたクローンから生まれ、秘密裏に育てられていました。発見され、クローンたちと一緒に暮らしはじめます。クローン兄弟はおらず、共感能力はありません。
1976年の作品。
デイヴィッドの一族が中心なので、他地域のようすはわずかな伝聞のみ。その分、目の前の自然の美しさや荒々しさがクローズアップされてます。
古さを感じないわけではないですが、人間は変わらないですよね。気にならない程度の古さでした。
タイトルの出所はシェイクスピアから。マークが歩く森には鳥のさえずりがないんだ、と思うと重いです。作中で言及されていない(=それがあたりまえの状態)のがよけいに。