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2020年の記録
目録
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 10/現在地
 
このページの本たち
ガンメタル・ゴースト』ガレス・L・パウエル
カッコーの歌』フランシス・ハーディング
茶匠と探偵』アリエット・ド・ボダール
ドリトル先生アフリカへ行く』ヒュー・ロフティング
忘れられた巨人』カズオ・イシグロ
 
むすびつき』畠中 恵
魔法使いにキスを』シャンナ・スウェンドソン
ドゥームズデイ・ブック』コニー・ウィリス
恐怖の谷』コナン・ドイル
テメレア戦記 IV 象牙の帝国』ナオミ・ノヴィク

 
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2020年11月29日
ガレス・L・パウエル(三角和代/訳)
『ガンメタル・ゴースト』創元SF文庫

 1959年。
 フランスは、国家存続の岐路に立たされたていた。もはや体面を気にかけている場合ではない。そこでフランス首相は、イギリスに統合を提案した。両国の統一宣言は、ヨーロッパ統合へとつながっていく。
 2057年。
 ヴィクトリア・ヴァロアは、ロンドンに呼びだされた。別居中だった夫のポールが、何者かに殺されたのだ。
 犯人は、ポールのソウル・キャッチャーを奪っていた。ソウル・キャッチャーは、頭蓋骨埋めこみ型のウェブだ。小型で侵襲性が少なく、装着者の神経活動を記録する。死後に、人格の一時的なシミュレーションを作るために。
 ヴィクトリアは犯人をつきとめてやると誓う。
 ヴィクトリアは、ジャーナリストだった。引退したのは、ヘリコプター墜落事故のせいだ。
 そのときヴィクトリアは、メロヴィク皇太子の1年に及ぶ兵役を締めくくる数日を独占取材していた。そして、フォークランド諸島で、同乗していたヘリコプターが墜落した。
 ヴィクトリアは、損傷を受けた脳の大部分をジェルウェアに取り替える処置を受けた。ポールはセレステ社の記憶検索の専門家。損傷を受けたソウル・キャッチャーからの記憶抽出を手がけている。ポールのおかげで助かったのだ。
 しかし、もはや自力では読むことも書くこともできない。夫婦関係もうまくいかなくなり、別居するに至った。
 一方、ヘリコプター墜落事故を生きのびたメロヴィク皇太子は、学業に戻っていた。現在、パリ第一大学の19歳。母のアリッサ・セレスティン女公爵からは、学友のジュリー・ジラールとの交際を反対されている。
 メロヴィクは、警備をすり抜けジュリーと秘かに会うが、ジュリーの関心は没入型MMORPGに向けられていた。
 話題のゲームの舞台は、架空の第二次世界大戦。主役は、高射砲(アクアク)マカークと呼ばれる猿だ。
 人工知能の権利侵害について学んだジュリーは、アクアク・マカークがそのカテゴリーに分類されるのではないかと考えた。運営するセレステ社は、大きな侵害をしているのではないか。ゲーム・サーバーにAIを監禁しているのではないか。
 メロヴィクにとってセレステ社は、勝手知ったる母の会社だ。ジュリーを助けたい一心で、侵入を手助けする。
 実は、セレステ社が監禁しているのはAIではなく、猿だった。本物の猿を連れてきて、ジェルウェアによって知能を強化して知性をもたせたのだ。
 メロヴィクとジュリーは猿を連れ出すが……。

 英国SF協会賞受賞。
 マカークが初登場した短篇「アクアク・マカーク」も収録。
 改変歴史もの。ヨーロッパが統一されていて、イギリス王家が支配者として君臨してます。伝統の〈君臨すれども統治せず〉は引き継がれなかったようです。中国と対立し、一触即発の危機的状況。
 物語の軸は、セレスティン女公爵の野望。国王は暗殺未遂事件により昏睡状態にあります。メロヴィクの、本人も知らなかった極秘情報があばかれ、ヴィクトリアも巻き込まれていたことが判明します。
 なにより強烈なのが、アクアク・マカークの存在感。眼帯をつけた葉巻愛好者で、悪態をつきまくり。現実でもゲーム内と同様に行動します。

 個人的にライトノベルが苦手でして。どうも、その系統のようです。ヴィクトリアの名付け親が大富豪という設定に引き気味。こまかいことが気になって仕方ない。
 おそらく、ライトノベルが好きで読み慣れている方は、おもしろく読めるんじゃないかな、と思います。

「アクアク・マカーク」
 恋人のトーリは、アクアク・マカークという猿について話を作り、ウェブをベースとしたアニメを描いていた。高射砲をもって片目に眼帯をあてている猿は、オンラインではカルト的な人気があった。
 トーリは一方的に出ていった。
 トーリの新しい彼氏は、急成長中のソフトウェア会社のマーケティング部長。マカークを、バーチャルのオンライン・シミュレーション・ゲームに採用するが……。


 
 
 
 

2020年12月02日
フランシス・ハーディング(児玉敦子/訳)
『カッコーの歌』東京創元社

 トリスが目覚めたとき、誰かの、あと7日、という声を聞いた。
 枕元には、女の人がいる。なつかしいのに、見覚えがない。どこからともなく言葉が漂いおりてきて、お母さんだと気がついた。
 お父さんと、お医者さんもいる。
 トリスは昨日、びしょ濡れになって帰ってきた。
 大人たちは、グリマーに落ちたのだろうと考えている。ゆうべは高熱でもうろうとしていて、両親のことも分からなかったらしい。
 医師の質問にトリスは答えていく。
 王さまの名前は、ジョージ五世。年は11歳。家は、エネチェスターのブナの木屋敷。
 トリスは、部屋にもうひとりいることに気がつく。冷ややかで鋭い目をしている。ペンだ。
 妹のペンは9歳。ペンは嘘つきだ。物は盗むし、投げるし、トリスのことをきらっている。憎んでさえいる。
 ペンは、そいつは偽物だと叫んでいる。怒りくるい、ドアからとびだしていった。
 両親は、いつものことだと気にもとめない。
 トリスの父は、土木技師だった。スリー・メイドゥンズ橋とマウント駅を設計した、大規模かつ革新的建築で有名な、偉大な土木技師。
 両親の会話を盗み聞きしたトリスは、ただならぬものを感じる。
 トリスがグリマーに落ちるのを目撃した人はいない。しかし村人が、水辺でふたり組の男を見ていた。男は、大きな黒のダイムラーに乗っていたという。
 両親は、ダイムラーに乗る男を知っているらしい。父は、あの男とのかかわりはすべて断ち切った、と言った。
 いい子のトリスには、両親に聞くことができない。
 トリスには、兄がいた。
 セバスチャンは、トリスの6歳の誕生日からほどなくして召集された。戦争が終わっても、セバスチャンは帰ってこなかった。それからだ、トリスの仕事がはじまったのは。
 トリスは、具合が悪くなるのが仕事になった。守られるのが仕事になった。いまは、うなずくのが仕事だ。
 トリスは、ひどくお腹がすいていることに気がつく。飢え死にしそうなほどだった。トリスは、自分がふつうでないことを隠そうとする。
 まもなくして、ペンの不可解な行動に気がつくが……。

 英国幻想文学大賞受賞作。
 舞台は、1920年。第一次世界大戦の後。
 死んだはずのジョナサンから届く手紙。ジョナサンの婚約者だったヴァイオレット・パリシュは、冬をまとっている。仕立て屋のジョセフ・グレイスは、トリスの病に心当たりがあるという。
 数々の不思議が起こります。
 冷たく張りつめた雰囲気があって、謎が盛りだくさん。トリスは自身の秘密を知り、ペンは変化していきます。
 児童書に分類されると思いますが、児童じゃないからと読まないのはもったいない。


 
 
 
 

2020年12月07日
アリエット・ド・ボダール(大島 豊/訳)
『茶匠と探偵』竹書房

 シュヤ宇宙を舞台にした短編集。
 シュヤは中国系国家。中国から独立して2世紀ほど経ってます。欧米系らしきギャラクティクと対立しているようです。
 南米系のメヒカや、ヴェトナムらしき大越帝国(ダイ・ヴィエト)などの難民を受け入れてます。
 主人公は女性が多いですが、女言葉を使わないのが印象的でした。
 あまりお目にかからない世界観のSF。ぐじぐじした内省が多いですし、価値観が独特なので読む人を選ぶと思います。はまる人は楽しめるけれど、そうでない人には厳しいかもしれません。

「蝶々、黎明に堕ちて」
 フェンリウのメヒカ地区で殺人事件が起きた。判官のユエ・マは、シュヤ政府機関中唯一のメヒカ出身者として事件を任される。
 被害者は、ホログラム作家のパパロトル。手摺りを越えて投げ出され、高くしつらえた中二階から墜死した。
 パパロトルは大メヒカ出身。12年前、姉のコアホクと戦火を逃げてきた。そして、メヒカの習慣に背を向けた。
 ユエ・マも同じだ。大メヒカで生まれ育ち、12歳で難民となった。シュヤ人としての名前を使い、メヒカを忘れようとしてきた。
 通報があったのは、四つ頃。発見者は、恋人のテコッリ。テコッリは、メヒカ大使館を警護する鷲騎士だ。
 ユエ・マは、テコッリに疑いを抱くが……。
 殺人事件を扱ってますが、複雑さはないです。むしろ、ユエ・マの内省の比重が大きいです。

「船を造る者たち」
 ダク・キエンは、意匠和合棟梁。
 生きた船を造るのが仕事だ。船は一万もの異物のつぎはぎではなく、一個の統一体。それらを星々の間の虚空を渡る存在へと変えるのに協力する。
 ダク・キエンは、今、メヒカ人の抱魂婦ゾキトルの子宮にいる胆魂専用に船を設計している。ゾキトルの胆魂だけが、この船を操れる。御魂屋を把握し、加速し、高速の星間航行が可能になる深宇宙へ導くことができる。
 ダク・キエンには自信があった。ところが、ゾキトルが尋ねてきて、出産が早まったという。もって一週間。
 船は用意ができていなければならない。
 ダク・キエンは、設計変更を余儀なくされるが……。
 英国SF協会賞受賞作。
 人間の脳を船につなぐ話はよくありますが、船となるべく胆魂を子宮で育てるって、なんとも大胆。ちなみに、人間の胎児は子宮外らしいです。

「包嚢(ほうのう)
 キュイは〈長寿ステーション〉に生まれた。
 ギャラクティクのプライムに留学したが、戻ったとき、科挙に失敗した。やむなく一族を手伝っている。ギャラクティクの考え方に通じていると思われている。
 〈長寿ステーション〉に来る観光客たちは、包嚢を使う。包嚢を身につければ別人になれる。完璧になれる。
 キュイは、 包嚢を着るときの感覚が大嫌いだ。だが、着なければならないときもある。テーブルでの給仕、大きな宴会の打ち合わせなど、お客を相手にする時は、着ることが当然とされている。
 貿易会社のトップが一族のレストランに来て、商談が始まった。キュイも呼びだされるが……。 
 ネビュラ賞、ローカス賞受賞作。
 包嚢はギャラクティクの技術。ステーションはギャラクティクとの戦争を経て独立してます。物語は、包嚢の中毒になっている人物の視点を交えて展開していきます。

「星々は待っている」
 異邦人宙域の隔離された一角に、遺棄船区域があった。
 そこは、避けられるなら避けたいところ。有魂船なら深宇宙を近道して飛びこしてしまう。紅毛の低速船なら、乗客が凍眠用寝台で眠っている間に通過するようなところ。
 ラン・ニェンは〈蔵六塞〉を探していた。より新しい世代に属する船で、輸送よりも航行と機動性を重視した、優雅で洗練された船だった。艦首と船体には、古い伝説や神話からとられた無数の意匠で装飾されている。
 ラン・ニェンの大叔母だった。
 〈蔵六塞〉は、一発の弾痕が御魂屋を貫通し、不随になった。遺棄船区域にあるという情報があり、ラン・ニェンは救出しようとしていた。
 一方、キャサリンは、子どもの時にギャラクティクに連れてこられていた。
 寮母からは、みじめで危険な蛮族たちのもとから救出されたのだと教えられた。文明の光の下へ連れてこられたのだと。忌しいものを孵すための牝馬とならないように、と。
 キャサリンは疑いを抱くが……。
 ネビュラ賞受賞作。
 ラン・ニェンとキャサリンの話が順繰りに語られます。

「形見」
 死後に永代者となることは、ギャラクティクにとっては恥でもなんでもない。ロンの難民たちにとっては、永代化は抵抗がある。魂は地下の黄泉にあって、輪廻転生にゆっくりと進むものだ。
 記録となった人物は、立場が弱い。グェン・ティ・カムは、そうした数すくないデータの密売に手を貸していた。
 かつて、西と東の大陸同士の戦争があり、シュアン・フォンの陥落や、残虐行為があった。ロンの大脱出があり、カムの母は、その両親の腕に抱かれて脱出したという。
 永代化され、ただの記録となった人物は、記憶や感情をバラされて、コードや戦争体験の断片として熱心なマニアに売られる。年長の世代のロンの戦争の苦しみは、シム・ビデオをたまらなく魅力的にする。
 闇市場では高値を呼んでいた。
 カムは、警察に目を付けられてしまう。免除をえさに協力を求められるが……。 

「哀しみの杯三つ、星明かりのもとで」
 クァン・トゥの母が亡くなった。
 デュイ・ユェンは、頭脳明晰で、回転が速く、状況を完璧に把握していた。遺されたインプラント・メモリによって、ようやく家族のもとに戻ってきてくれる。
 インプラント・メモリは、常に親から子へと渡されてきた。葬儀の四十九日の間、人格が移されて定着し、ファイルの上で先祖代々の列に加えられる。知識を有し、助言をしてもらうためのシミュレーションとなる。
 一族の財産であり、富だった。ところが役人は、インプラント・メモリはテュイエト・ホア教授に与えられるという。重要な研究を続けるために。
 大越帝国は、食糧を必要としていた。宇宙空間で育ち、収穫できる米が要る。大衆を養うための、より確実に収穫が得られる米が要るのだ。
 クァン・トゥは納得がいかないが……。
 英国SF協会賞受賞。
 三者の立場から、語られます。故人の長子であるクァン・トゥ。メモリを受け取ったテュイエト・ホア教授。クァン・トゥの妹であり船の胆魂である〈正榕虎〉。

「魂魄回収」
 テュイは、ダイバーだった。
 深宇宙は死体を裸にし、圧縮して、宝石にする。有魂船の残骸に遺される宝石は、人間たちダイバーが、金になるものと一緒に回収していく。
 テュイの娘のキム・アンもダイバーだった。深宇宙で死んだ。よくあることだ。
 テュイに、娘の遺体を回収できるチャンスがやってくる。ところが、テュイも非現実の流れに捕まってしまった。船につないだ命綱が引っ張られ、そして切れる。
 テュイは、深宇宙の奥深くへと運ばれてしまうが……。

「竜が太陽から飛びだす時」
 劉王愛は、大越帝国の属国のひとつ。
 ランは子どもの頃、劉王愛のお話を聞いた。
 劉王愛を照らす太陽が震えてゆらめき、光が弱くなって、一頭の竜がその中から飛びだしてきた。情け容赦のない竜は水だった。雨とモンスーンの精、水底の王国の精だったから、太陽は死んでしまった。
 住民は脱出し、帝国周縁のステーション群に疎開して今に至る。
 3つ年上のテュイエト・タンは、竜なんて嘘っぱちだと言うが……。
 大人が子どもにそういう物語をしたのかなぜか、というのが主題。

「茶匠と探偵」
 〈影子〉は船魂だった。かつては従軍していたが、すでに除隊している。
 万旗党の蜂起の最中、情報不足のために深宇宙の最も深いところで事故に遭った。乗組員は死に絶え、恐慌に陥った。あらゆる接続が切れるか壊れるかしており、自殺もできない。
 幸い救出されたが、深いトラウマを負ってしまった。
 現在は船はそのままに、分身を投影して平静茶の調合師として生活している。
 ある日、竜珠(ロン・チャウ)が茶の依頼に訪れた。
 竜珠は、深宇宙での人体の変化を研究対象とし、腐敗について論文を書いていた。そのために深宇宙へ行く。そのとき、常にまともに考えられるような調合を欲していた。
 人間は船魂ではない。人間は、深宇宙ではまともに考えることができない。茶の調合が開発され、ようやく人間でも耐えられるようになったのだ。
 しかし、竜珠の身体は薬漬けだった。
 〈影子〉は、事故が起きた場合のことを考えた。ごく密接にモニターする必要がある。同行を申し出るが、深宇宙に行きたくはなかった。
 〈影子〉は竜珠を、深宇宙のごく浅い方の縁にただよう難破船に案内する。船は、技術的な動作不良により、モーターと御魂屋の半分を吹きとばされて死んだ。乗客は、船魂が提供していた深宇宙への防禦対策を失った。
 竜珠はひとりの死体に目をとめる。不審だという。難破したのは5年前。ところが、その人物が死んだのは、長く見つもっても1年前というところ。
 船の乗客ではなかったはずだ。
 竜珠は死の謎を調べはじめるが……。

 ネビュラ賞、英国幻想文学大賞受賞作。
 本書でもっとも長いです。
 竜珠が自分の仕事を「捜査コンサルタント」だと話したとき、シャーロック・ホームズを連想しました。(ホームズは探偵コンサルタント)その時点で物語を振り返ると、両者の共通点の多さに驚かされます。
 もっと驚いたことに、その後を読み進めると、まったく似てないんです。ただの勘違いだったのか、意図的にそうなっているのか。
 興味深いです。


 
 
 
 

2020年12月09日
ヒュー・ロフティング(金原瑞人/藤嶋桂子/訳)
『ドリトル先生アフリカへ行く』竹書房

 《100周年記念版》
 川のほとりのパドルビーという小さな町に、医学博士のジョン・ドリトルが住んでいた。ジョン・ドリトルはお金持ち。そして、いろいろなことをよく知っているりっぱなお医者さんだった。
 先生は動物が大好きで、いろんなペットを飼っていた。
 ある日、リウマチにかかっているおばあさんが先生の診察を受けにやってきて、ソファで寝ていたハリネガミの上にすわってしまった。おばあさんは二度と診察を受けにこなかった。
 動物のせいでこなくなった患者さんは、これで四人目。先生は、そういう患者さんより動物のほうが好きなんだと言った。先生が飼う動物はどんどんふえていき、先生のところへくる患者はどんどんへっていく。先生が貯めていたお金はみるみる少なくなっていった。
 そんな先生にネコのえさ売りは、人間の医者をやめて動物のお医者になったらどうだろうと言う。先生は、動物の医者はたくさんいるからと断った。
 それを聞いていたオウムのポリネシアが、先生に言った。
 動物はね、言葉を話せるんですよ。オウムは人間の言葉と、鳥の言葉をしゃべれるんです。
 ドリトル先生はポリネシアに手伝ってもらって、動物の言葉を勉強した。おかげで先生は、動物のいうことはなんでもわかるようになった。そして、動物のお医者になった。
 動物たちはどこがどう悪いのか教えてくれる。だから、治療はかんたんだ。医学博士ジョン・ドリトルのうわさは、世界じゅうの動物たちのあいだで有名になった。
 そんなとき、サルのチーチーが、アフリカにいるいとこから伝言を受け取った。ツバメが伝言を運んでくれたのだ。むこうのサルのあいだで、おそろしい病気がはやっていて、みんなその病気にかかって、つぎつぎに死んでいるらしい。
 先生は、アフリカに向かうことを決めるが……。

 本作は、作者の息子クリストファーが手を加えた100周年記念版。
 オリジナル版は差別的な言葉やエピソードがあって、いくつかの国では出版できなくなっていたそう。そうした箇所を書き直したのが本書。
 読んでいたのは小学生のころだったので、もはや記憶になく、違いは分かりませんでした。解説を読んで、そんな描写があったような気もするな、程度。
 ドリトル先生が口ぐせのように言う
「お金っていうのはめんどうだな」
 のセリフが響きます。
 そういう、金に頓着せずに動物を大切にしている先生だから、ポリネシアも動物の言葉を教えてあげようと考えたのでしょうね。


 
 
 
 

2020年12月14日
カズオ・イシグロ(土屋政雄/訳)
『忘れられた巨人』ハヤカワepi文庫

 アクセルとベアトリスは、ブリテン島のブリトン人。暮らしているのは、人口60人ほどの小さな村。年老いてはいても健康で、まだ働き手の役目を担っている。
 アクセルは、ときどきふと、忘れていたことを思い出した。思い出したことを妻のベアトリスや村人に確認するが、彼らは覚えていない。そうなるとアクセル自身、本当にあったことなのか、夢の中のことだったのか、定かでなくなってしまう。
 奇妙な物忘れは〈霧〉と呼ばれていた。
 村人にとって、過去とはしだいに薄れていき、沼地を覆う濃い霧のようになっていくもの。たとえ最近のことであっても、過去についてあれこれ考えるなど思いもよらない。
 ベアトリスは、息子のいる村に行きたがっていた。
 息子は、なぜ一緒にいないのか。アクセルには思い出せない。その村は、大平野を東へ少し越えたところにあるはずだった。
 はじめは渋っていたアクセルだったが、決心を固める。ふたりはまず、サクソン人の村に向かった。
 ふたりが着いたとき、村では事件が起こっていた。
 兄弟とその甥が、悪鬼に襲われた。負傷しながらも逃げ延びたのは弟だけ。兄は殺され、12歳の甥はさらわれた。
 すぐに、この村の選りすぐりの力自慢12人が、捜索に出た。しかし、待ち伏せをしていた悪鬼に3人が殺されてしまう。さらわれた少年エドウィンの安否は知れない。
 村は打ちのめされた。そんなころ、村にウィスタンがやってきた。
 ウィスタンは、遠い国からきたサクソン人の戦士。ウィスタンは快くエドウィンの救出を引きうける。
 村人は興奮状態にあり、よそ者のブリトン人にとっては安全ではない。アクセルとベアトリスは、村にいるただひとりのブリテン人の長老にかくまわれる。
 エドウィンは夜のうちに助けられた。ところが、助けない方がよかったというほどの事態になってしまう。
 エドウィンの体に、小さな傷があった。ほんのかすり傷だ。だが、村全体が噛み傷だと呼んだ。サクソン人たちは、悪鬼に噛まれた者はいずれ悪鬼に変わると信じているのだ。
 アクセルとベアトリスは、エドウィンをブリトン人の村に連れていくことを頼まれる。その代わりウィスタンが、山の向こう側に出るまで同道してくれるという。
 その山は、クエリグの国だった。
 クエリグという雌竜は、アーサー王の時代からの生き残り。年老いて、もう山を離れることはめったにない。だが驚異であることに変わりはない。
 4人は旅だつが……。

 ノーベル文学賞受賞の2年前の作品。
 アクセルはベアトリスのことをお姫様と呼んでます。仲睦まじいですが、ふたりとも過去の記憶はなく、今を生きてます。
 読みはじめた当初は、忘れっぽい=現代人よりも脳が発達していない、と受け取ってました。そういうことではなく、霧に原因があると語られて、この世界の人々もあれこれと推測してます。
 物語は、アーサー王が亡くなった後の時代。
 アーサー王のおかげで島は平和ですが、悪鬼や魔獣が跋扈していたりもします。
 4人の旅人は、アーサー王からクエリグ退治を命じられた騎士と出会います。それが、アーサー王の甥のガウェイン。円卓の騎士ですね。
 ガウェインの回想で魔術師マーリンにも言及されますが、アーサー王との関連はそんな程度。伝説について知らなくても大丈夫だと思います。


 
 
 
 
2020年12月15日
畠中 恵
『むすびつき』新潮社

 《しゃばけ》シリーズ第17巻
 一太郎は、廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の若だんな。齡三千年の大妖を祖母にもつ。
 一太郎の世話をあれこれと焼くのは、手代の佐助と仁吉。ふたりの正体は、犬神と白沢。祖母によって送り込まれてきた。というのも一太郎が、商売よりも病に経験豊富であるほど病弱であったから。
 両親も手代たちも、遠方まで噂になるほどの過保護ぶり。一太郎は、甘やかされすぎることに憤るものの、それで性根が曲がることもなく、妖(あやかし)たちに囲まれた日々を送っている。

「昔会った人」
 寛朝は妖退治で有名な高僧。その寛朝の元に、蒼く丸い石が持ちこまれた。
 大きさは一寸もない。半分透き通った玉の表には、六本の光の筋が浮き出ている。大変高価な宝玉として、唐土より更に西にある国から渡ってきたという。実は、付喪神となっていた。
 蒼玉はまだ余り長く話せない。寛朝がどこへ行きたいか問うたところ「若」と言った。
 蒼玉を見た貧乏神の金次が、見たことがある気がするという。
 まだ日の本のあちこちで、国盗りの戦をしていたころの話。堺かどこかの商人が、借金の代わりに蒼玉を寄越した。金次が災難に見舞われ助けられたとき、礼として譲ったのが、その蒼玉だった。相手は、小さくて貧乏な村の若長をしている春七郎。
 金次は若長の用事につきあうが……。

「ひと月半」
 若だんなが箱根へ湯治に行ってから、一月半が過ぎた。
 暇を持て余す妖たちのもとに、三人の男達がやってくる。黒次郎、白三郎、紅四郎。いずれも死神だという。
 紅四郎は、若だんなの生まれ変わりだと語った。若だんなは三日前、突然の山崩れに巻き込まれて死んだ。齡三千年のおぎんの血を引く若だんなは、死んで直ぐ、早々に生まれ変わったのだという。
 しかも、黒次郎と白三郎も、若だんなの生まれ変わりだと言いはじめる始末。
 妖たちは納得がいかない。真偽を確かめようとするが……。

「むすびつき」
 鈴彦姫は、鈴の付喪神。貧乏神の金次が、生まれ変わる前の若だんなに会った話をきいて、じっくり考えてみた。金次が出会ったのだから、自分が会っていてもおかしくない。
 思い当たったのが、星ノ倉宮司のことだった。
 鈴彦姫の鈴が納められている五坂神社は、お寺の脇にある小さな神社。奉納金が少なく、宮司たちはいつもお金で苦労している。そこで神社で使う鈴や飾り物などを自分達で作りはじめ、余所の品も引き受けるようになった。
 星ノ倉宮司は若だんなのように、病弱で、ことに優しい方だったらしい。50年以上前に亡くなっていて、鈴彦姫も、星ノ倉宮司には会ったことがない。
 星ノ倉宮司は病で亡くなったが、そのとき作業所にいて、細工に使う金が消えていたという。死因は分からず、刃物などで殺されていた様子もなかった。関係者は全員調べられたが、刃物も毒も金も出てこなかった。
 星ノ倉宮司は、隣の寺に葬られている。その墓に、幽霊がでるという話があった。神に仕える身だったのに、何の心残りがあったのか。
 鈴彦姫は神社に戻り、星ノ倉宮司のことを調べようとするが……。

「くわれる」
 若だんなのもとに、綺麗で華やかな娘御が尋ねてきた。もみじと名乗った娘は、若だんなを知っているらしいが、若だんなには覚えがない。
 もみじは鬼女だった。要するに悪鬼だ。悪鬼は人を食う。
 もみじは、親が勝手に縁組みを決めて、逃げ出してきたのだという。添うなら若さんがいいと考えていたのだ。若さんは300年前の人。今の若だんなとは違うが、300年は悪鬼にとって、忘れ去るほどの時ではない。
 若だんなは困ってしまうが、どうしたわけかもみじが行方不明になってしまう。届いた脅迫文で名指しされていたのは、若だんなの幼なじみ栄吉だった。

「こわいものなし」
 猫又のダンゴの恩人に、三味線の師匠をしている笹女という三十路のおなごがいる。亭主に逃げられた笹女は体を壊して、ずっと調子が悪い。医者にかかるのも薬を買うのも金がかかるから、三味線を教える日が減っている笹女は、益々具合を悪くしていた。
 ダンゴは、同じ猫又のおしろに相談した。おしろは若だんなの知り合いだ。若だんなは薬種問屋を任されている。
 ダンゴと笹女の会話を、隣に住んでいる夕助が聞いていた。
 そのときダンゴは笹女を慰めていた。いつか生まれ変わったら、神様は笹女をきっともっと強い者にしてくださる。次がある。だから、嘆かなくてもいいのだと。
 夕助は、ダンゴが猫又だと気がついた。この世には妖がいて、神様も本当に、おいでだ。おまけに、死んでもまた生まれ変わる。死にそうだと怯えなくたって良くなる。
 怖いもの無しとなった夕助は、人助けに邁進するが……。


 
 
 
 
2020年12月17日
シャンナ・スウェンドソン(今泉敦子/訳)
『魔法使いにキスを』創元推理文庫

 《(株)魔法製作所》シリーズ
 キャスリーン(ケイティ)・チャンドラーは、魔法が通用しない免疫者(イミューン)だった。希少な存在として、ニューヨークの株式会社MSI(マジック・スペル&イリュージョン)で、エルフや妖精や魔法使いと一緒に働いている。恋人のオーウェン・パーマーも魔力を失い、イミューンとなっていた。
 ところが、ふたりが〈月の目〉を破壊した時、すべてが変わった。究極の権力をもたらす恐しく強力な魔法の宝石〈月の目〉は、ふたりに魔力をもたらしたのだ。
 ケイティは、魔術の習得が楽しくてしかたない。しかし、オーウェンとの関係から、魔力を獲得したことは公言できない。
 魔法界は依然として、オーウェンの実父母が魔法界を乗っ取ろうとしたことに神経をとがらせている。魔法界のほとんどの人たちが不信感を抱いたままだった。
 ケイティは秘密裏に訓練に励むが、魔力が衰えをみせはじめる。
 あの衝撃は、潜在する魔力を活性化しただけだった。魔法使いであるということは、周囲の環境や人々のなかに潜在する魔力を引き出して、それを利用できるパワーへと変換すること。生まれつきイミューンのケイティには、新たに魔力を取り込むことができない。
 そんなころケイティは、アシスタントのエルフ、パーディタから、1枚のビラを渡される。エルフの間に広がっているらしい。ビラは、エルフが魔法使いに抑圧されていると糾弾していた。
 エルフロードのシルヴェスターは、陰謀をあきらめてはいないらしい。
 MSIではエルフの辞職が目立って増えていた。エルフたちの失踪の報告もある。シルヴェスターを非難したエルフたちが次々に消えているらしい。
 パーディタも突然出社しなくなった。連絡もつかない。MSIの警備部が捜査にあたるが、ケイティとオーウェンは除外されてしまう。
 ケイティとオーウェンはデートを隠れ蓑に、街を歩いて怪しい建物を発見した。今でもオーウェンは、評議会の法執行官から一挙一動を監視されている。それを利用しようとあえて建物に入るが、ふたりは捕らえられてしまった。
 気がつけばケイティは、書店に併設されたコーヒーショップで働いていた。
 ケイティが広告の仕事を探して1年。いまじゃ面接を受けるチャンスさえない。恋人のジョシュは、結婚という永久就職をちらつかせてくる。
 そんなとき書店が買収され、新しいオーナーとしてオーウェンが目の前に現われた。彼にはどうしても気になってしまう何かがある。ケイティは、新しいボスに興味をもつが……。

 シリーズ7冊目。
 すぐに分かるので書いてしまうと、捕らえられたケイティとオーウェンは、魔法で洗脳されてしまいます。それがコーヒーショップのくだり。イミューンだったら魔法で洗脳はありえないことなので、うまいことつなげたなぁ、と。
 シリーズ初期のころにあった、にやにやしながら読みたいときに読むべき、という雰囲気が戻ってきました。ケイティとオーウェンはそうでなくては。


 
 
 
 

2020年12月21日
コニー・ウィリス(大森 望/訳)
『ドゥームズデイ・ブック』上下巻
ハヤカワ文庫SF1437〜1438

 2054年12月22日。
 オックスフォード大学のブレイズノーズ・カレッジ中世史科は、14世紀に学生を送りだそうとしていた。これまで、歴史研究のためのタイムトラベルで中世を訪れた人はいない。学部長代理のギルクリスト教授は、世界初の偉業に得意満面。
 旅立つのは、キヴリン・エングル。中世に行くのだと信じて、入学当初から準備をしてきた。
 キヴリンにとって中世史科の教授たちは、忙しすぎるか、実用的なことを知らない人たちだった。当時の記録はたいして残っていないし、現場経験がある人などどこにもいない。実際に中世に行くならば、習慣をも知る必要があった。
 そこでキヴリンは、ベイリアル・カレッジのジェイムズ・ダンワージー教授に、非公式な指導教授としての役割を頼んだ。
 ダンワージーも歴史家だが、専門は20世紀。中世の研究からは遠ざかっている。ただ、なにを身につけておくべきかは熟知している。それだけに、キヴリンがどう準備しようと中世には行けないだろうと考えていた。
 14世紀は、十段階危険度ランクの10。黒死病、コレラ、天然痘、戦争、火焙り、その他もろもろがつまっている世紀だ。危険すぎるために閉鎖されている。
 ところが、史学部長がクリスマス休暇で不在になると、ギルクリストは学部長代理として、危険度ランクを刷新してしまう。各世紀に恣意的なランクを割り当て直し、14世紀を6にした。
 ダンワージーは史学部長に止めてもらおうとするが、誰も連絡先を知らない。とうとう当日を迎えてしまった。
 キヴリンが目指すのは、1320年。黒死病がヨーロッパに到達する前。現地時間で12月13日に到着し、28日に回収される。
 28日は降臨節の祝日なので、降下先の時間的位置を確認しやすい。回収されるときには、到着地点にいなければならないのだ。
 ダンワージーはキヴリンのことが心配でならないが、予想外のことが起こってしまう。到着確認を行っていた技術者バートリ・チャウドゥーリーが、病に倒れた。ダンワージーに「なにかがおかしい」と言い残して。
 一方、14世紀に到着したキヴリンは、森の中にいた。
 予定では街道のはずだった。旅の途中、追い剥ぎに襲われたという設定で、持ち物は盗まれ、置き去りにされて野垂れ死にしそうになっている乙女なのだと。なにしろ、女がひとりで出歩くような時代ではない。
 いくつか村があることを確認したキヴリンだったが、頭痛と疲労に襲われ倒れてしまった。時代人に助けられるが……。  

 《オックスフォード大学史学部》シリーズのうちのひとつ。
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞。
 7年ぶりの再読。今年読むべき、それもクリスマスシーズンに読むべき本として、暖めてました。通して読むのは3回目。

 21世紀では、バートリからはじまる謎の伝染病に襲われます。バートリはうわごとを口走り、意志の疎通ができません。
 発生源はなにか、誰と接触したのか。オックスフォードと隣接地域は閉鎖され、電話は通じず、物資は入ってこず、大学施設も臨時病院となります。
 ダンワージーの部下がトイレットペーパーの不足を何度となく訴えるシーンは、かつて読んだときには滑稽さしか感じてませんでした。今にして彼の苦難を思うと、送ってあげたくなります。一方で、今年だからこそ、それはありえないだろうと眉をひそめる箇所も。

 14世紀では、病に倒れたキヴリンが、村に滞在している領主の家に運びこまれます。回復しますが、到着地点が分からなくなってしまいます。自分を助けてくれた人物と接触しようにも、女から気軽に話しかけられる時代ではなく、もどかしいことこの上なく。
 結末を知っているうえで読むと、あらゆる会話にはりめぐらされた伏線の数々に気づかされます。

 ウィリスの特徴は、すれ違い。
 今作でも、人の話を聞かない人がたくさんでてきます。バートリの言った「おかしい」の真相が明らかになるまで、かなり時間がかかります。その後は怒濤の展開。
 その怒濤の展開を支えているのが、それまでの前フリ。長すぎる前フリが、実は短かったのだと思えるのが不思議です。 


 
 
 
 
2020年12月24日
コナン・ドイル(駒月雅子/訳)
『恐怖の谷』角川文庫

シャーロック・ホームズ》シリーズ
 ジョン・H・ワトスンは、元陸軍軍医。私立探偵コンサルタントを自認するシャーロック・ホームズと、ベイカー街で共同生活を送っている。
 ある日ホームズの元に、何度か有益な情報を提供してくれた人物から暗号文が届いた。ホームズは暗号を解き、バールストン館のダクラス氏に危険が迫っていることを知る。
 そんなとき、スコットランド・ヤードのアレック・マクドナルド警部が尋ねてきた。バールストン館のダグラス氏が殺されたという。
 バールストンは、サセックス州の北端。ごく小さな村で、古風な景観は富裕層にも好まれて、周囲の森のなかには瀟洒な別荘が建てられている。
 バールストン館は、かつては領主館だった。そのはじまりは、11世紀末のころの小要塞。そのため防御のための濠を持つ。水深は深くないが今でも館全体をぐるりと囲み、館へ入るには跳ね橋を渡らねばならない。
 ずっと空き家だったバールストン館を買い取ったのが、ジョン・ダグラスだった。歳は50がらみ。物腰がどことなく荒っぽく、隣人たちからよそよそしい好奇の視線を向けられている。
 その一方、物惜しみせず気取らない性格で、村人たちのあいだでは人気があった。金がうなるほどあるらしく、カリフォルニアの金鉱で大儲けしたのだろうと噂されている。
 家族は、20歳ほど若い夫人のみ。友人は、アメリカで知り合ったというセシル・ジェイムズ・バーカーのみ。
 その夜も、バールストン館にはバーカーが滞在していた。遺体を発見し、通報したのも彼だった。
 亡骸はあおむけに倒れ、部屋の真ん中で手足を投げだしていた。至近距離からまともに撃たれたらしい。頭は完全に吹き飛ばされていた。
 残されていたのは、銃身を短く切り詰めた散弾銃。謎の文字が書かれた紙。そして、開け放たれた窓枠には、血染めの靴跡。
 不可解なことに、結婚指輪がなくなっていた。その上にはめていた塊金の指輪はそのままだった。
 地元のサセックス州警察は、スコットランド・ヤードの応援を仰ぐことを決める。事件の一報を受けたマクドナルド警部は、ホームズに同伴を願いにきたのだ。
 ワトスンとホームズ、マクドナルド警部はバールストン館に向かうが……。

 二部構成。
 シリーズの第一長編だった『緋色の研究』と同じ構成で、第一部でホームズが推理し、第二部で、やがて事件になる事の発端が語られます。
 第二部の舞台は、アメリカで〈恐怖の谷〉と呼ばれた炭坑の町。都会で犯罪に手を染め逃げてきた男が、町の無法者集団で中心人物になっていきます。独立したミステリになってます。
 ただ、第一部を読んでしまうと、第二部のミステリ部分が弱くなってしまうのです。第一部でネタバレのようなヒントが出てしまっているので。第二部から読みはじめると、意外とおもしろいかもしれません。
 ところが、過去の出来事を知った上で第一部を読むと、推理するおもしろさが半減してしまうのです。
 なんとも難しいところです。


 
 
 
 
2020年12月27日
ナオミ・ノヴィク(那波かおり/訳)
『テメレア戦記 IV 象牙の帝国』ヴィレッジブックス

テメレア戦記》第四作
 19世紀初頭。
 フランスではナポレオンが権力を握り、大陸全土を狙っていた。イギリスは海峡をはさんでフランスと睨み合っている。
 ウィリアム・ローレンスは、英国空軍の戦闘竜テメレアのキャプテン。 派遣されていた中国から、陸路帰国の途についていた。
 同盟国プロイセンは、フランスとの戦争の真っ最中。英国が約束したというドラゴン20頭の援軍はなく、音信不通のまま。敗戦してしまう。
 ローレンスとテメレアは孤立して籠城しているプロイセン軍を助け、なんとか大陸を脱出する。英国は照明弾による信号にも反応しない。それどころか、一頭の伝令竜さえ飛んでこなかった。
 実は英国のドラゴンたちの間に、肺感染症が広まっていた。未知の竜疫になすすべなく、軽症のものを飛ばして存在を誇示するだけでも精一杯だったのだ。いずれは全頭が死滅するかもしれない。
 ローレンスとテメレアが海路で中国に向かっているとき、ドーヴァー基地で風邪が流行っているという噂を聞いた。どうやら風邪ではなかったらしい。
 テメレアは、仲間たちが養生するためにも快適なドラゴン舎の必要性を訴える。中国のドラゴンたちは快適な環境で暮らしていた。英国の待遇はあまりにひどい。
 ローレンスも環境改善のために奮闘するが、政府高官は動かない。それでも資金を集め、なんとか実現にこぎつける。
 ローレンスとテメレアは、できたばかりの新しいドラゴン舎を見に行った。ところが途中で、フランスの伝令竜と遭遇してしまう。ナポレオンが送ってきたスパイだった。
 逃げる伝令竜をなんとか捕らえたテメレアだったが、弾みで砂地につっこんでしまった。そこは、病の竜たちの隔離場。ローレンスは、テメレアが感染したことを覚悟する。
 ところが、テメレアは無事だった。捕らえた伝令竜は発症したが、テメレアはなんともない。免疫ができていた。
 中国への航海中、テメレアも風邪をひいた。思い返せば、症状が今回の竜疫と一致する。ドラゴン輸送艦がケープタウンに着いて養生すると、一週間もしないうちに症状が抜けた。風邪だと思っていたが、実のところ竜疫だったらしい。
 ケープタウンに、病を治すなにかがある。
 ローレンスとテメレアは仲間たちと共に、ドラゴン輸送艦でケープタウンへと向かうが……。

 改変歴史もの。
 史実にドラゴンを絡ませているのが特色。ただし、清が中国という国名になっていたり、トラファルガーの海戦で戦死したはずのネルソン提督が健在だったり、ちょこちょこと変えてます。
 シリーズものゆえか、本題に入るまでが非常に長いです。今作はタイトル的にも、アフリカでの出来事が主題のはずなのですが。アフリカ原産のドラゴンが特殊な立ち位置にありまして、そちらについて、もっときちんと読みたかったように思います。
 それから、これまでのあらすじがついてませんでした。新規の読者は想定外になってしまったのか。思い返す意味でも、まとめを読んでから入りたかったですね。残念。

 
 

 
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