物語には、ひとつの場面を記憶に縫いとめる力があります。文字で接した世界なのに映像になっていて、突然なにかのはずみで記憶からでてくるんです。
あれは、誰のなんという物語だったか。それも含めて思い出せるときもあれば、ただ場面だけを思い出してしまうこともあります。
ときには、まったく異なる物語だったと分かっているのに、似たような場面を記憶していることがあります。それらは混ざり合って、ますます判別が困難となっていきます。
チェス指し人形についての本を知ったとき、そのことを思い出しました。まったく異なる物語の似たような場面の大元は、こいつだったんだな、と。
トム・スタンデージ
『謎のチェス指し人形「ターク」』
1770年、ウィーンで常軌を逸した発明がベールを脱いだ。通称「ターク(トルコ人)」というロボットは、世界第一級のチェスの指し手だった! 本書は、チェスチャンピオンを打ち負かし、ナポレオンやエカテリーナ女帝をも驚かせたこのロボットのたどった歴史を追う。そして、ロボットの正体が明らかになる!
(引用「BOOK」データベースより)
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは、35歳の上級官吏。オーストリア=ハンガリー帝国の女帝マリア・テレジアに仕えています。
産業革命がはじまって10年。ヨーロッパの宮廷では、凝った機械玩具を余興に使うことが流行っていました。
ケンペレンは女帝に命令され、特別な自動人形(オートマトン)を製作することになります。ケンペレンが期待していたのは、褒美です。宮廷を喜ばし、女帝の関心を引き、自分のキャリアに役立てようと考えたのです。
そんなケンペレンがウィーンの宮廷で披露したのが、チェスを指すオートマトンでした。
そのオートマトンは、木製の飾りキャビネットの後ろに座り、東洋風の衣裳を着た人間の形をしていました。その恰好は、トルコ風スタイルとして流行している装いであり、チェスを指せることをほのめかしてもいました。
なにしろチェスは、700年〜1000年頃にかけてペルシアからヨーロッパに到達したのですから。
ケンペレンのオートマトンは、その外見から「ターク」と呼ばれるようになります。
ケンペレンの思惑どおり、タークは出世につながりました。それどころか、大絶賛を浴び、ヨーロッパ中に知れ渡ってしまいます。
それは、ケンペレンの望んだことではありませんでした。
タークが話題になることを嫌い、封印しては、忘れそうとしました。ところが、タークのもたらした衝撃は忘れられるはずもなく、なんのかんのと命令されては組み立て直し、披露するはめに陥ります。
1804年。
ケンペレンは仕組みを明かすことなく、この世を去ります。 製作者本人が忘れようとしたのですから、純粋なオートマトンではなかったのは容易に想像がつきます。
では、タークの秘密とはなんだったのか?
本書では、その秘密も明らかにしてますが、タークに関わった人々やその時代について語られてます。
遺族によって売却されたタークは、何人かの手に渡り、さまざまなところに連れられ、海を渡ってアメリカにも行くことになります。
いろんな有名人が絡んでます。
チャールズ・バベッジはタークを見て、チェスを指せる本物の機械が可能か考えます。タークが本物かどうかはさておき、論理計算を行なえる機械は作れると結論づけます。
それが現代のコンピュータに繋がっていきます。
一時期、チェスのチャンピオンとコンピュータの対戦が話題になりました。その源流でもあります。
エドガー・アラン・ポーはタークを見て、タークの正体について推察します。当時はまだ雑誌の編集者にすぎませんが、そのとき発表したエッセイは、のちに史上初の推理小説といわれるようになる「モルグ街の殺人」を彷彿とさせるものでした。
ケンペレンがタークを披露したときには、機械はなんでもできる、と思われていました。徐々に、機械にはできることとできないことがある、と意識が変わっていきます。そして、今はできなくてもできるようになるのでは、と発展していきます。
その流れとともにタークがいたのですね。またひとつ、記憶の中の似たような場面が増えました。
話題をさらったタークですから、また別の物語で会えるかもしれません。