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2021年の記録
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このページの本たち
タイタン・プロジェクト』A・G・リドル
接触』クレア・ノース
ドクトル・ジバゴ』ボリス・パステルナーク
短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ
我輩はカモである』ドナルド・E・ウェストレイク
 
100%月世界少年』スティーヴン・タニー
アーサー王ここに眠る』フィリップ・リーヴ
ネットワーク・エフェクト』マーサ・ウェルズ
第二の銃声』アントニイ・バークリー
時をとめた少女』ロバート・F・ヤング

 
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2021年09月25日
A・G・リドル(友廣 純/訳)
『タイタン・プロジェクト』ハヤカワ文庫SF2148

 2015年。
 作家のハーパー・レインは、ロンドンに向かう国際線305便に乗っていた。仕事上で決断を迫られ、押しつぶされそうになっているところだ。選択を誤れば、生涯、悔やみつづけることになるかもしれない。
 決断をさきのばししたいハーパーは、飛行機の現在位置を確かめてばかりいる。すでにイングランド上空だ。
 ニコラス(ニック)・ストーンも、305便に乗り合わせていた。
 迷惑な乗客をめぐって、ニックとハーパーは言葉を交わす。そのとき突然、後ろの方ですさまじい轟音が鳴り響いた。
 飛行機は墜落し、見回せば、後方が丸ごとなくなっている。機体が裂けていた。ギザギザの穴がぽっかりと口を開け、樹木の枝が顔をのぞかせていた。
 コックピットのドアは閉ざされたまま。混乱している客室乗務員に代わり、ニックは次々と指示を出していく。
 非常口が開けられ、緊急脱出用のスライダーが膨らんだ。動ける乗客たちが次々と脱出していく。
 救出部隊は現われなかった。外部と連絡をとろうにも、誰の携帯電話も通じない。医薬品は足りないし、食料もとぼしい。
 周囲を探ろうと派遣した偵察隊が、人工物を見つけてきた。
 原野の真ん中にそれはあった。ガラスと滑らかな金属でできた八角形の建築物は、ピカピカと輝いている。そこへ通じる道は一本もない。車も、看板のようなものも一切見当たらなかった。
 ニックは数名の仲間を連れて、人工物に向かった。食料を期待していたが、中にあったのは、ストーンヘンジだった。自動案内によると、対話式展示場だという。それから、ぼろぼろの服をまとった骨が1ダース。
 仲間のひとりが、突飛なことを言い出す。飛行機が、時空の異常エリアのようなものを通過したのではないかと言うのだ。重力が歪んで生じた天然のものか、あるいは、誰かが305便を連れてきたのではないか、と。
 なにしろ、ここはどう考えても現代イギリスではない。
 日が暮れ、人工物は上空からのサーチライトに照らされた。飛行船のような機体が飛んでいる。船はニックたちには気がつかなかったようで、墜落現場の方へ向かった。
 敵か味方かは分からない。
 ニックは、警戒しながら墜落機へと戻るが……。

 タイムトラベルもの。
 503便は2147年にタイムトラベルしてます。そのとき人類は、地球からほぼ一掃されてしまってます。
 その要因が〈タイタン〉プロジェクトです。
 生き残った人々は、〈タイタン〉プロジェクトのやらかしを修正したがってます。そこで、関係者が多数乗っていた503便をタイムトラベルさせました。ところが仲間割れが生じて、ややこしいことになってしまいます。
 ニックとハーパーは、元々の時間線では、〈タイタン〉プロジェクトに関わることになる人たちです。

 物語は、ニックとハーパーがそれぞれ語るスタイルで展開していきます。
 序盤はちぐはぐしていて、ぎこちないです。いろんな情報を小出しにしようと目論んだのが裏目にでたようです。
 たとえば、作中で、ニックの職業が意味ありげに伏せられてます。隠す必要がある職種とは思えませんし、そもそも登場人物一覧にバッチリ書いてあります。
 べつのことに労力を割いてもらいたかったな、というのが正直な所。


 
 
 
 

2021年09月27日
クレア・ノース(雨海弘美/訳)
『接触』角川文庫

 イスタンブールのタクシム駅前で、ジョセフィン・セブラは死んだ。
 狙撃手に殺された。胸に二発。足に一発。
 ジョセフィンの内部にいた〈私〉は、中年女に乗り移り、さらに白髪の老人に居所を変えた。老人の姿のまま、逃げる狙撃手を追跡し、満員電車の中で犯人に乗り移った。
 ジョセフィンと契約したのは3ヶ月前。
 ゴーストの〈私〉は身体と身体の接触により、人から人へ乗り移る。利用できるのは身体だけで、宿主の記憶を覗くことはできない。ゴーストが入ると宿主は意識を失ってしまう。気がついたときには時間が経過して、まったく違う場所にいるわけだ。
 娼婦をしていたジョセフィンとは3ヶ月の約束だった。
 好んで住み着くのは、活発で刺激的で健やかな若い身体。しっかり身辺調査をしたうえで契約を持ちかける。契約満了の暁には、新しい身分と好きな町での新しい暮らしを約束する。
 今回もそのつもりだった。
 しかし、ジョセフィンは殺された。
 どうも狙撃手は、ジョセフィンの内部にゴーストがいることを知っていたらしい。それならば、最初の一撃でゴーストが逃げたのは気がついたはずだ。なのに、ジョセティンに止めを刺した。
 狙撃手に乗り移った〈私〉は、所持品の中から報告書を見つけた。それは〈ケプラー〉と名づけられたゴーストの記録で、誰に乗り移りなにをしたのか、事細かに調べ上げられていた。
 ケプラーは〈私〉のことだ。
 報告書は完璧ではなかったが、かなりの精度だった。ただ、ジョセフィンの記述だけがおかしい。
 報告書では、ケプラーとジョセフィンは共謀して4人の研究者を惨殺したことになっている。そんな記憶はない。ジョセフィンもやっていないのは確かだ。
 ケプラーは、狙撃手のネイサン・コイルとして身を隠しながら、背後にある組織の正体を探ろうとするが……。

 SFサスペンス。
 SFっぽさはないですが。
 他称ケプラーの独白で物語は展開していきます。
 ケプラーは精神だけの存在で、他人の身体に乗り移りながら世界中を訪れてます。乗り移りは目まぐるしく、ばんばん回想しまくります。そのため、かなり読みにくいです。
 いつものクレア・ノース節なので、読書経験があればなんとかなると思います。はじめてだと、ちょっと厳しいかもしれません。


 
 
 
 

2021年10月02日
ボリス・パステルナーク(江川 卓/訳)
『ドクトル・ジバゴ』上下巻/新潮文庫

 19世紀末。
 ユーリイ(ユーラ)・アンドレーヴィチ・ジバゴは、10歳ばかりのときに母を亡くした。そのとき一家は零落していた。何百万という一家の資産を蕩尽しつくした父の居場所は分からない。
 ユーラは母方のニコライ叔父によって、親戚筋の家々に引きあわされていく。最終的に、化学の教授であるアレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・グロメコの家庭に預けられた。
 グロメコ夫妻には、アントーニナ(トーニャ)という娘がいた。ユーラとトーニャは仲良く育ち、グロメコ夫人から、ふたりを結婚させるつもりだと告げられる。
 そのときまでユーラはトーニャのことを、なんの説明もいらない自明の存在のように思っていた。実のところトーニャは、もっとも複雑で、もっとも理解困難な存在、つまり女だったのだ。ユーラはトーニャを新しい目で見はじめる。
 やがてユーラは医師となり、トーニャと家庭を築いていく。労働者階級の蜂起によってモスクワが危険になると、一家で地方に疎開するが……。
 一方、ラリーサ(ラーラ)・フョードロヴナ・ギシャールは16歳のとき、母の情人である弁護士のヴィクトル・イッポリートヴィチ・コマロフスキーと関係を持った。コマロフスキーは、実業界では冷血漢のやり手として知られている。自分の父親といってもおかしくない、頭に白いもののまじったハンサムな男性があれこれとしてくれるのが快感だった。
 ラーラは泥沼にはまっていることに気がつき、コマロフスキーと距離をおきはじめる。しかし心は晴れず、コマロフスキーの影がちらつく。ラーラは、いまの境遇から抜け出すためにコマロフスキーと話し合おうと決心する。
 ところがラーラは事件を起こしてしまう。
 コマロフスキーは、大変なスキャンダルになることを怖れた。自分の社会的立場が危機に瀕している。コマロフスキーは、ラーラに資金的援助をしつつもできるだけ距離を取るようになった。
 ラーラは幼なじみのパーヴェル(パーシャ)・パーヴロヴィッチ・アンチーポフにすべてを打ち明け、ふたりは結婚する。
 ラーラを受け入れたパーシャだったが、ある日、気がついてしまう。ラーラが愛しているのは、己の崇高な生き方だ。自分ではないのだ、と。
 パーシャは、ラーラを愛するがゆえに姿を消すべきだと決意する。そして、徴兵に応じ出征してしまった。
 パーシャの心内を知らないラーラは、バーシャのことが心配でならない。手紙が届かなくなると、看護婦の資格を取って、パーシャの消息を求めて従軍看護婦となるが……。

 ユーラとラーラを軸とした群像劇。
 物語のはじまりは、ユーラの母が亡くなる1900年ごろ。
 そこから歴史的事件が目白押しです。
 1904年〜1905年に日露戦争。1905年には鉄道のストライキ。1914年に第一次世界大戦勃発。
 1917年二月革命でロマノフ朝が崩壊し、臨時政府へと権力移行。その後の十月革命でボリシェヴィキ政権が誕生し、スターリン独裁と大粛清がはじまります。
 ユーラとラーラは恋人となりますが、かなり早い段階から運命的な回合が、これでもか、これでもか、と繰り返されます。共通の友人がいたり、コマロフスキーがユーラの父の死去に居合わせて財産の処理をしてたり、ユーラが疎開中に遭遇した地方軍事委員ストレーリニコフの正体がパーシャだったり。
 けっきょくのところ不倫なので、ちょっと気持ち悪い部分もありました。とはいえ、特異な時代背景は読み応え抜群。生き残っていく物語はこういうものか、と。

 なお、ロシアの人名は「名前+父称+名字」というのが一般的で、父称は、性別で語尾が変化します。敬意をこめて呼ぶときには「名前+父称」となります。
 本書で、わざとらしさを込めるときにも「名前+父称」なんだな、と気がつきました。


 
 
 
2021年10月03日
ジョージ・ソーンダーズ(岸本佐知子/訳)
『短くて恐ろしいフィルの時代』角川書店

 とにかく小さい〈内ホーナー国〉には、国民が一度にひとりしか入れない。そのため〈内ホーナー国〉を取り囲んでいる〈外ホーナー国〉には〈一時滞在ゾーン〉があった。6人の内ホーナー人は小さくなって、自分の国に住む順番を待っていなければならない。
 フィルは外ホーナー人。もう何年も前、国境ごしに内ホーナー人のキャロルに恋をした。しかし、キャロルには内ホーナー人の恋人がいる。フィルは見向きもされなかった。
 キャロルが結婚してしまうと、フィルはどんどんひねこびていった。キャロルに息子が生まれるにおよんで、フィルのひねこびは頂点に達した。
 ある日フィルは、内ホーナー人から税金を取ろうと言い出した。彼らが立っている〈一時滞在ゾーン〉は〈外ホーナー国〉の領土だ。国土を占領しているんだから、日割りで税金を払わなければならない。
 フィルは自身を国境安全維持と区別調整官に任命し、内ホーナー人たちから、あらゆるものを徴収していく。
 内ホーナー人たちは〈外ホーナー国〉の大統領に手紙を書いた。大統領は若い頃、今より大きかった〈内ホーナー国〉に滞在していたことがあった。こんなひどいこと、大統領が許すわけがない。
 手紙を読んだ大統領は国境にかけつけるが……。

 大人向けのおとぎ話。
 短く、ギュギュッと詰まってます。やわらかい文体で語られる大量虐殺の、恐ろしいこと、恐ろしいこと。
 作者のソーンダーズには「小説家志望の若者に最も文体を真似される小説家」との異名があるそうです。翻訳だと分かりかねますが、原文で読んでみたくなります。


 
 
 
 

2021年10月05日
ドナルド・E・ウェストレイク(池 央耿/訳)
『我輩はカモである』ハヤカワ・ミステリアス・プレス文庫

 フレッド・フィッチは、詐欺の常連被害者だった。
 何度となく詐欺の被害に遭っても、人をすぐに信じてしまう。貪欲ではないし無学でもない。とりわけ間抜けというわけでもない。言葉や習慣にうといわけでもない。ただ、疑うことを知らない性分だった。
 人が面と向かって嘘をつけるとは、フレッドにはどうしても信じられなかったのだ。ついつい、相手が本当のことを言っているように思ってしまう。
 ある日、弁護士のマーカス・グッドカインドから連絡があった。叔父のマシュウ(マット)・グリアスンが亡くなり、フレッドは31万ドル7000ドルを相続したという。
 フレッドは、叔父マットなんて聞いたこともない。個人的な友だちでもある詐欺捜査課のジャック・ライリーに通報してしまう。ところがグッドカインドは本物だった。
 マットの一生は、いわば穀つぶしのそれ。親類の者たちはことごとく蛇蝎のように忌み嫌い、彼を家にいれようともしなかった。親類は揃ってマットに冷たい仕打ちをしていたのだ。
 フレッドが両親からマットの話を聞くことはなかった。存在すら知らなかったのだから、冷たくしようがない。唯一冷たくしなかった親族として、マットはフレッドに財産を遺したらしい。
 しかし、ひとつ問題があった。
 マットは8年前にブラジルに渡った。そして3年後、50万ドルを越す財産を持って戻ってきた。
 実は、マットの正体は詐欺師。金の出所は犯罪からみである可能性が高い。しかもマットは鈍器で殴り殺されていた。
 フレッドの周辺では、おかしなことが起こりはじめる。
 スミスという女からは、命を狙われていると警告された。家に押しかけてきたガーティ・ディヴァインからは、マットからの手紙を渡された。そして黒い車につけられ、銃撃されてしまう。
 フレッドは、ライリーの彼女の家にかくまわれる。だが、その隠れ家も何者かに知られてしまった。
 居場所を知っているのは、警察と家主だけ。
 人をすぐに信じてしまうフレッドは、今度はあらゆるものを疑うようになってしまった。ライリーにも告げず、フレッドは、ひとりで調査することを決意するが……。

 アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作。
 スタイル的にはハードボイルド。転がり込んできた遺産の謎と、相続人として嫌疑がかけられている中での殺人事件の解決と、正体不明な相手からの逃走。それだけ聞くと硬派な雰囲気ですが、その実、ユーモア系です。
 60年代の作品ということもあってか、笑えるかどうかは人によるかも。


 
 
 
 

2021年10月09日
スティーヴン・タニー(茂木 健/訳)
『100%月世界少年』創元SF文庫

 月に、地球の宇宙飛行士がはじめて降り立って2000年。
 月に暮らすヒエロニムス・レクサフィンは16歳。
 200年ほどまえから月では、月世界凶眼症という奇病を持つ子が生まれていた。ヒエロニムスもそのひとり。100%月世界人とも呼ばれ、瞳が極めて珍しい色をしている。
 その色は自然界に存在する色ではない。特定の色をいくつか混ぜてつくれる色でもなく、完全に新種の色。三原色を超越した〈第四の原色〉とも呼ばれている。
 この色を見た人間は、たいてい発狂する。異常に興奮して理性を失ってしまう。今では色そのものが法律で禁じられている。
 禁じられた色を持つ100%月世界人は、瞳を誰にも見せないように、特製ゴーグルの着用を強いられた。誤ってでも見せてしまうと、月の裏にあるという秘密刑務所で暮らすことになる。そうでなくても行動は制限され、地球に行くことはできない。
 ヒエロニムスの叔父のリーノ・レクサフィンは、地球に住んでいた。古代文学の教授で、ときどき月に来て、月の裏の図書館に滞在する。そこは人類史上最大の紙書籍の図書館だ。
 数百年まえ、地球ではすべての化石燃料が使い果たされた。そのとき代用品となったのは、極めて燃えやすい素材で作られている紙の本だった。
 そのときすでに、人類の知性と文化水準は退行していた。理解できる言葉の数は減りつづけ、意味はどんどん失われていく。もはや過去の本に書かれている言葉を理解できないレベルにまで落ちていた。
 見捨てられた本を避難させた先が、月の裏側にある図書館だった。
 ヒエロニムスは、リーノに教えてもらった小説に驚く。1200年前のオリジナル版は、タブレットで表示する標準版の3倍は長い。一般読者の衰耗した語彙数に合わせ、アップデートの度に短縮されていった結果だった。
 ヒエロニムスの100%月世界人仲間であるスリュー・メムリングは、ある疑いを抱く。月世界凶眼症の扱いはあまりにひどい。法律も秘かに変えられてきているのではないか?
 そんなころ、ヒエロニムスは〈スズメの上に落ちてゆく窓〉と出会った。地球からきた〈スズメの上に落ちてゆく窓〉にヒエロニムスは一目惚れ。頼みこまれて、裸眼を見せてしまう。
 第四の原色は、軌道を描く。すべての物はこの色を引きずっている。と同時に、まだ動いていない物体がこれからどう動くのか、この色は明示してしまう。
 裸眼で〈スズメの上に落ちてゆく窓〉を見た瞬間、ヒエロニムスには彼女のその後が分かってしまうが……。

 SF。
 叫びながら自己を押し通そうとする人が目白押しで、読むのが辛くてしんどくて、何度となく挫折しかけました。人類の知能が退行している設定のため、そういう人を多く登場させたのかもしれません。だったら、語彙力のなさを言葉で表してほしかったな、というのが正直なところ。
 はじまりは、ヒエロニムスが〈スズメの上に落ちてゆく窓〉に裸眼を見せてとんでもないことになったあたりから。その後、そこに至るまでのことが、かなりの文量を使って語られます。そのため、500ページを越す分厚さにもかかわらず、おどろくほど紆余曲折がありません。
 どうも、作者の頭の中には〈絵〉があって、それを魅せるためにあれこれこじつけた、といった印象。そういったシーンはとても美しく好感持てるのですが。
 それだけに、いろいろと残念すぎました。


 
 
 
 

2021年10月10日
フィリップ・リーヴ(井辻朱美/訳)
『アーサー王ここに眠る』創元推理文庫

 紀元500年ごろ。
 農場が焼き打ちにあい、まだ幼いグウィナは逃げ惑っていた。
 ときは暗い冬のさなか。水たまりにはうっすら氷が張っている。襲撃者の先頭をいくのは、白馬に乗った男。銀の鱗をつづった甲冑は、魚のように輝いていた。
 ふつうの戦は収穫が終わったあと、雨で道がぬかるむ季節になる前にやる。よその土地に侵入して穀物や家畜を奪ってくるだけの人手のある季節にやるものだ。
 逃げるグウィナは川に入った。川のそばで育ったため泳ぎは得意だ。秋には主人に命じられて、魚とりの罠をしかけにもぐる。それが役に立った。
 水に隠れながら下流へと逃げたグウィナは、湖で岸に上がった。命は助かったものの、この先どうすればいいのか分からない。父も母もなく、頼れる人はいなかった。
 寒さでふるえるグウィナを拾ったのは、吟遊詩人のミルディンだった。
 ミルディンはアーサーに仕えている。農場を襲ったあの男だ。アーサーは領主に、守る代わりに貢ぎ物を要求した。しかし断られ、それならばと領地を手に入れにきたのだ。
 ミルディンはブリテン島が平和になることを願っている。そのために、アーサーを主人公にした物語を作る。アーサーを物語によって強くする。強き者こそが平和をもたらすのだから。
 グウィナと出会ったときミルディンは、ひとつの演出を思い描いていた。その中に、泳ぐ少女の姿がぴたりと当てはまる。
 グウィナはミルディンに頼まれて、湖に入った。
 南のしめった荒れ地一帯を治めているアイルランド人がいる。アーサーの盟軍としたいが、かれらは、楯にキリストのしるしをつけてる男は信用しない。古い神々もアーサーの味方だということを示す必要がある。
 アーサーはミルディンの指示で、湖に入り特別な場所に立った。水の中で神々に敬意を捧げている。見物人が見ているのはアーサーだけ。
 グウィナは水中からアーサーに近づくと、剣をさしあげた。ミルディンが用意した立派な剣〈カリバーン〉が、水面を割って宙に出る。驚愕したアーサーが剣を取ると、泳ぎ去った。
 アーサーでさえ信じた。湖の底に住む妖精の貴婦人が魔法の剣をさずけてくれた。ミルディンが、水の精を呼び出してくれた。さすがはブリテン島最大の魔術師だ、と。
 グウィナの成功にミルディンは上機嫌。 グウィナを男の子グウィンに化けさせ、自分の従者としてつれていくが……。

 アーサー王伝説からみのファンタジー。
 カーネギー賞受賞作。
 8年ぶりの再読。すごく覚えているつもりでいたのですが、冒頭と結末だけでした。新鮮な気持ちで読めました。忘却力ってすばらしいです。

 物語は、グウィナの回想というスタイルで語られます。
 少年に化けたグウィナは、男目線での世界を学びます。女であることが隠せない年頃になると変装を解き、女としての生活がはじまります。そのため、基本的にグウィナ視点ですが、広がりがあります。
 ミルディンは、アーサー王伝説でマーリーンと呼ばれるようになる人物です。口が達者で、聞き手を楽しませつつ、アーサーの偉大さを広めています。
 ミルディンがマーリーンとなるように、現実がいかにして物語となるか。粗暴なアーサーをどのようにして偉大な王に祭り上げていくか。
 アーサー王伝説で語られるエピソードをいくつかでも知っていると、より楽しめると思います。


 
 
 
 

2021年10月12日
マーサ・ウェルズ(中原尚哉/訳)
『ネットワーク・エフェクト』創元SF文庫

 〈弊機〉は、ボットと人体による構成機体の警備ユニットです。
 ハッキングしたため、統制モジュールから独立して活動しています。現在は、プリザベーション連合の評議会議長であるメンサー博士が後見人ということになっています。企業リムなら所有者ですが、プリザベーション連合にはそういう概念がないのです。
 メンサー博士から、アラダ博士が率いる調査ミッションへの同行を頼まれました。
 ミッションには、メンサー博士の長女であるアメナが参加します。調査隊に参加するのは、教育課程におけるインターンシップが目的で、業務経験のためです。危険を伴います。
 思春期のアメナは、〈弊機〉にいい感情を持っていません。
 メンサー博士の義弟にあたるティアゴもメンバーにいます。ティアゴは、姪のお目付役としてメンサー博士に信用されていない証拠と解釈しました。警備ユニットは危険という企業プロパガンダに汚染されています。
 実は〈弊機〉は、大規模な虐殺事件で中心的な役割をはたしたことがあり、リスク評価モジュールに深刻な問題をかかえていることは認めます。しかし脅威評価の成績はきわめてよく、93パーセントの確実さです。なにも問題ありません。
 問題があるのは人間のほうです。
 学術調査は予定より早く終わりました。母船に施設モジュールをドッキングし、帰路につきます。危険はありましたが、誰も死にませんでした。重要なのはそこです。
 ワームホールから出た直後、予想外の出来事が起こりました。攻撃されてます。謎の船が、施設モジュールへの強行ドッキングを狙っているようです。
 通話の呼びかけに反応がありません。とてもまずい状況です。
 敵は、牽引機群で研究施設をつかんでいます。引きつけていっしょにワームホールへ引きずりこむ考えのようです。そこで、母船と施設モジュールを切り離すことにしました。
 ところが敵の侵入が早く、避難が間に合いません。〈弊機〉とアメナはEVACスーツで脱出しましたが、捕捉され、エアロックに取りこまれてしまいました。
 敵の船は、ペリヘリオン号でした。〈不愉快千万な調査船(ART)〉の船です。かつて助けてもらったことがあります。
 わけが分かりません。
 船内でもARTの反応はまったくありません。〈弊機〉はアメナを守ろうとしますが……。

マーダーボット・ダイアリー》シリーズ。
 『マーダーボット・ダイアリー』続編
 〈弊機〉の独特な一人称で展開していきます。〈弊機〉はテレビドラマが大好き。とにかく内気で、相手の顔を見て話す、ということができません。このユニークな存在が気に入らないと、読むのが辛いことになります。
 前作で、この物語は「インタビューに応じたもの」ではないかと考え、今作でもそういう気分で読んでました。
 独立していますし、ある程度の説明はあります。単独でも読めるとは思いますが、前作のおぼろげな記憶に随分助けられました。


 
 
 
 
2021年10月15日
アントニイ・バークリー(西崎 憲/訳)
『第二の銃声』図書刊行会

 《ロジャー・シェリンガム》シリーズ
 探偵小説作家ジョン・ヒルヤードの邸宅のあるミントン・ディープス農園で、エリック・スコット−デイヴィスが死んだ。このときミントン・ディープスでは、趣向を凝らしたゲームが催されていた。
 題材は殺人事件。3人の探偵小説家が招かれ、現場を見て、手掛かりをもとに犯人を当てる。筋書きを考え演じるのは、主人夫妻とハウス・パーティの客たち。
 エリックは被害者役だった。実際に銃の犠牲者となったが、事故の可能性もあった。
 銃声が聞こえたのは、演じ終わってそれぞれが邸に引きあげようとしているとき。5分ほどの間隔を開けて二発。どちらかがエリックの息の根を止めたらしい。
 警察の捜査がはじまると、ピンカートンは自分が疑われていることに気がつく。それどころか、パーティの参加者たちから感謝される始末。ほぼ全員に、エリックを殺す動機があったのだ。
 追い詰められたピンカートンは、助言者を求めた。状況を客観的に見られる、中立の誰か。しかし、弁護士に来てもらうのは気が進まない。
 ピンカートンは、学友だったロジャー・シェリンガムを呼ぶが……。

 《ロジャー・シェリンガム》第6作。
 導入部以外はピンカートンの草稿というスタイル。事件が起こり、ピンカートンは自分が第一容疑者だと気がつきます。出来事を整理しようと、ハウス・パーティのそもそものはじまりから書き記していきます。
 そのため読者は、ピンカートンというフィルターを通してさまざまな出来事を知ることになります。

 ハウス・パーティの客は6人。
 シリル・ピンカートンは、ほどほどの収入があるため働いておらず、独身であることを楽しんでます。ヒルヤード夫人とは長い付き合いで、気心の知れた仲です。
 エリック・スコット−デイヴィスは、有名なプレイボーイ。父親の遺産が底をつきつつあり、一族の宝をも売ろうかという段階にさしかかってます。
 アーモレル・スコット−デイヴィスは、エリックの従妹。攻撃的で、淑女らしからぬ振る舞いにピンカートンは嫌悪感を抱いています。
 ポール・ド・ラヴェルとその妻シルヴィアは結婚4年目。実は、シルヴィアとエリックは不倫関係にあります。巷で大変な噂になって、知らないのはポールくらい、という状況にあります。
 エルザ・ヴェリティーは、21歳。両親を亡くし、莫大な遺産を相続してます。近しい親戚がいないため、母親の友人だったヒルヤード夫人が保護者をかってでてます。

 エリックはエルザにアプローチしていて、エルザは陥落寸前。目的は金であることは明らかで、ヒルヤード夫人はエルザの目を覚まさせようと、あれこれ画策しています。エリックとラヴェル夫妻をまとめて招待したのもそのため。
 ピンカートンはヒルヤード夫人に頼まれて、エルザとエリックを引き離そうと立ちまわります。エルザのことは好ましく思ってますが、結婚したいとまでは考えてません。事情を知らない周囲の人々は、ピンカートンはエルザに気がある、と誤解してます。
 このシリーズの主人公は、ロジャー・シェリンガムです。中盤になってようやく登場します。探偵小説家で、事件を解決(?)した実績があり、警察とも懇意にしてます。
 少々癖のある人物ですが、今作ではピンカートンのフィルター越しのため、ちょうどいい按配になったようです。  
 結末は、このシリーズならでは。
 ここまで読んできてよかった、と感慨もひとしおです。


 
 
 
 

2021年10月17日
ロバート・F・ヤング
(深町眞理子/小尾芙佐/岡部宏之/山田順子/訳)
『時をとめた少女』ハヤカワ文庫SF2115

 日本オリジナル短編集

「わが愛はひとつ」(深町眞理子/訳)
 フィリップは〈急速冷凍〉リハビリテーションを終えて、故郷に帰ろうとしていた。人工冬眠室送りという最高刑に処されてから100年の時間が流れている。世界の変わりようには戸惑うことばかり。
 100年前、フィリップはミランダと出会った。ミランダをはじめて見たそのときに、彼女こそが長らく探しもとめてきた、そして永遠にもとめつづけるだろう女性だと知った。自分でも、どうしてそうと知ったのかわからぬままに。
 フィリップは、ミランダの生きていた痕跡を求めるが……。
 結末はバレバレ。それでも泣かせにくるのが、いかにもヤング。

「妖精の棲む樹」(深町眞理子/訳)
 ストロングは、樹木技術員(ツリーマン)。仲間たちと鯨座オミクロン星第十八惑星にやってきた。
 この惑星では、長年、巨大な樹の根元に集落がつくられてきた。今ではことごとく放棄され、ほとんどの樹が枯死している。
 唯一まだ生きている大樹も、伐採されることが決まった。樹は高さ千フィートにも達する。この先、なにかが起こって集落に倒れてきたら危険だからだ。
 最後の巨木には、すくなくともひとりの樹の精(ドライアド)が棲んでいるという。ストロングは、ドライアドなど信じていない。ところが、樹の上で不思議な少女を見かけ、動揺してしまう。
 ストロングは少女を気にかけつつ、樹を登り、枝を切り落としていく。樹液は血のように赤く、ストロングを怖じけさせるが……。

「時をとめた少女」(小尾芙佐/訳)
 6月の金曜日の朝、ロジャー・トンプソンは公園のベンチに腰かけていた。
 ロジャーは独身主義者。ぴっちりした赤いドレスを着た背の高いブルネット娘を見たときも、自身の主義が危機にさらされているとは考えなかった。ただ、転んだ女を助けただけだ。
 女の名前は、ベッキー・フィッシャー。たちまちロジャーは、ぞっこん惚れこんでしまう。
 あくる朝ロジャーは、またもや公園に行った。頭の中はベッキーのことでいっぱい。ところがあのベンチに、青いドレスのブロンド娘がすわっていた。
 彼女の名前は、アレイン。アレインは、宇宙船で〈アルタイルVI〉から来たのだというが……。
 コミカル風味な、おそろしい小話。アレインがかわいらしいのが救いでした。

「花崗岩の女神」(岡部宏之/訳)
 おとめ座アルファ星第四惑星には、かつては住民がいた。何世紀も昔に絶滅したか、ほかの星に移住したか。かれらは記録を残していない。
 惑星には〈乙女〉という名で知られている、女体そっくりの山脈があった。もともとは自然現象だったのだろう。巨大な土地の隆起として誕生し、彫刻家たちが仕上げを施した。
 マーテンは20歳のとき、上空から〈乙女〉を見た。
 ある高度で〈乙女〉は独特の美しさを持った生身の存在として現出する。その生々しい美しさは忘れ難く、マーテンはこれに匹敵するものを見たことがない。
 32歳になったマーテンは、単独で惑星を訪れて〈乙女〉を登攀するが……。
 登山もの。マーテンは自分の過去を振り返りながら、山登りしていきます。

「真鍮の都」(山田順子/訳)
 マーカス・N・ビリングズは、自動マネキン会社の時間旅行員。時間を逆行し、歴史的重要人物を未来に連れていくのが仕事だ。今回のターゲットは、『千一夜物語』の伝説的語り手シェヘラザード。
 スルタンのハーレムに潜入したビリングズは、シェヘラザードを連れ出すことに成功する。ところが不運が重なり、負傷したあげく、タイムスレッドの故障でどことも知らない世界に飛ばされてしまった。
 救い主を求めていたシェヘラザードは、ビリングズの登場に大喜び。〈隔ての地〉を越えて魔人の世界に入ったのだと断言するが……。
 長編『宰相の二番目の娘』の元々の短篇。

「赤い小さな学校」(小尾芙佐/訳)
 ロニーは、谷あいの村はずれにある、古ぼけただだっぴろい家を忘れられずにいた。村には赤い小さな学校があって、ロニーは、なによりスミス先生のことが大好きだった。
 ロニーがコウノトリ電車で両親のもとに送られて、ひと月たつ。以来、冷え冷えとした三部屋のアパートで、親のふりをしている青白い顔のふたりと暮らしている。ほんとうの両親はあの村のノラとジムなのに。
 ロニーは家出して、村に帰ろうとするが……。

「約束の惑星」(山田順子/訳)
 虐げられた国々の人民たちは宇宙船に乗り、それぞれの新世界へと旅立った。かれらは神を信じる敬虔な農民たちだ。
 レストンは、移民船のパイロット。移民たちを運ぶのが仕事だ。
 レストンの宇宙船は、ニュー・ポーランドに向かっていた。ところが、航行中に推進炉がトラブルに見舞われてしまう。生存可能な手近な惑星に、強行着陸せざるを得なかった。
 レストンは、移民たちの母語を話せない。レストンも予定外の惑星に足止めされ、ひとりで暮らしはじめるが……。

 
 

 
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