2021年01月01日
ニール・ゲイマン(金原瑞人/野沢佳織/訳)
『アメリカン・ゴッズ』上下巻 /角川書店
シャドウは、大柄で強面な32歳。
加重暴行と殴打の罪で服役して3年。模範囚としてすごし、刑期を終えようとしていた。
シャドウの愛する妻のローラが、待ってくれている。ジムの経営をしている親友のロビーは、またトレーナーとしてやとってくれるという。これからは静かに暮らしていくつもりだ。
最悪のことはもう起こってしまったのだから。
出所まであと2日。シャドウは喉の奥で、恐怖の味を感じていた。いやなことが起ころうとしている。
案の定、所長に呼びだされた。覚悟するシャドウに所長は、予定より2日早く出所することになったと告げる。知らせはもうひとつ。ローラが自動車事故で亡くなった。
帰宅途中、シャドウは、おかしな男に声をかけられる。
髪は赤毛交じりの白髪で、あごひげは白髪交じりの赤毛。角張ったいかつい顔に、淡いグレーの瞳。片目は義眼だろう。高そうなスーツに、樹の形をした銀細工のタイピンをしている。
男は、ウェンズデイと名乗った。自分のもとで働いてほしいという。多少の危険はあるが、生きのびればなんでも思うがままになるという。
シャドウは断った。ローラは亡くなったかもしれないが、ロビーが待ってくれている。
ところが、ロピーもローラと同じ事故で亡くなっていた。ふたりは不倫関係にあったのだ。
シャドウはウェンズデイの申し出を受け入れるが……。
ニール・ゲイマンの最高傑作、というのがうたい文句。
主軸は、古い神々と新しい神々の抗争。
信仰心と共にアメリカにやってきた人たちは、崇め奉る対象もつれてきていました。ところが、世代を下ると共に神々のことは忘れられていきます。神々は力を失っていき……というのが基本設定。
デジタルなどの新しい神々は、古い神々を抹殺しようとしています。シャドウは古い神々の側です。
数多の神や妖精が登場します。下巻の巻末に、102項目からなる一覧があります。
特徴ある神々の個性をうまく取り入れていて、逸脱してません。そのあたりが高評価なのでしょうが、その分、結末が想定の範囲内になってます。そういうことする神様だよね、と。
唯一の例外が、ローラの存在。
ある夜シャドウの前に、死んだはずのローラが現われます。防腐剤のにおいとか、埋められたときと同じ服装とか、靴に墓地の土がたっぷりついている、とか、まさしく死人な雰囲気満載で。
ローラは神々ではないので、予測不能なところがいいです。
《五神教》シリーズの中篇集。
それぞれ独立していますが、順番どおりに読みたい。
「ペンリックと魔」
ペンリック・キン・ジュラルドは、連州の田舎貴族の末っ子。
4年前に父が亡くなり、長兄ロルシュが領守を継いだ。
次兄ドゥロヴォは荒ぶる気性。昨年、貧乏な一族にふたたび富をもたらしてやると約束し、傭兵隊に入った。ところが戦利品を持ち帰る前に、発疹チフスでこの世を去った。
19歳になったペンリックは、裕福なチーズ商人の娘と結婚することになった。商人には貴族の称号を、ジュラルド家には持参金を。
おさがりの晴れ着で婚約式に向かったペンリックは、街道で倒れた婦人と遭遇する。
婦人の付き添いに、姫神の神殿護衛騎士がふたりいた。上級使用人らしい女もいる。婦人は神官らしい。病に倒れたようで、ひろげたマントの上にぐったりと仰臥していた。手助けを申し出たペンリックだったが、老女の手を握ってあげることしかできない。
ペンリックはそこで気を失い、気がつけば、母神の診療所で寝ていた。
実は、あの神官は最高位の神殿魔術師だったのだ。魔術師はその体内に、強大な力をもった〈魔〉を宿す。マーテンズブリッジの庶子神教団にむかう途中だったという。
〈魔〉は、単独で生きのびることはできない。通常〈魔〉は、魔術師が亡くなるときには儀式をおこなって、つぎの者に譲られる。婦人が急死したとき〈魔〉が選んだのは、ペンリックだった。
ペンリックは神殿護衛騎士に付き添われ、マーテンズブリッジへと向かうが……。
すべてのはじまりの中篇。
世界の基盤となっている《五神教》については、詳しくは言及されません。ペンリックに〈魔〉の知識がないため、そちらの解説はあります。
ペンリックに宿った〈魔〉は、馬とライオンと10人の女性を経て200年ほど生きています。女性たちは、神官や娼婦や医師などさまざま。それらがペンリックの口を使ってしゃべります。
ペンリックは庶子ではないため、庶子神と関わることもなく、庶子神の〈魔〉についてもなにも知りません。先入観がなく、恐怖にふるえることもありません。
ペンリックは〈魔〉に、デスデモーナという名前を贈ります。呼びかけるのに名前がないのでは不都合だから。長く生きてきた〈魔〉にとってもはじめての贈り物で、それが両者の関係を良好にしたように思えます。
ペンリックの育ちのよさが、読んでいて心地いいです。
「ペンリックと巫師(ふし)」
ペンリックは田舎貴族の末っ子。予期せぬことから〈魔〉のデスデモーナを宿し、神殿魔術師となった。
それから4年。
ペンリックは王家直轄の自由都市マーテンズブリッジで、宮廷魔術師として王女大神官に仕えていた。
ある日、東都の父神教団の上級捜査官オズウィルが尋ねてくる。逃走した王認巫師イングリスを追跡しているという。
ボアフォード氏族の弱小分家の子息トリンが、牙で腹を裂かれて亡くなった。傍らには、咽喉を切られた猪。不幸な事故と思われた。
ところが、葬儀で疑義が生じた。トリンが神々に受け入れてもらえなかったのだ。
遺体を調べ直したところ、牙による傷の他に、短剣で刺された傷が見つかった。何者かが、トリンの心臓を貫いていたのだ。さまよっているはずのトリンの亡霊は見つかっていない。
その昔、古代ウィールドには森の魔法があった。森の魔法では、獣を生贄にして、その精霊を同種のべつの獣に憑依させる。それを何世代もくり返して大いなる獣をつくりあげた。人間にとりこませるために。
巫師協会は、神殿の戒律のもと魔法を復活させていた。
トリンと親しくしていたイングリスは、ごく最近、授賦を受けている。そして、トリンの死の翌日、姿を消していた。
森の呪師は、戦場で倒れた戦士の魂を連れ帰っていたという。
オズウィルは、イングリスが亡霊を伴っているのではないかと考えていた。手遅れになる前に追いつかねばならない。
オズウィルは、神殿魔術師や王宮護衛騎士と共にイングリスを追った。しかし、見解の相違からひとりになってしまう。そこで王女大神官に助力を願い出たのだ。
ペンリックはオズウィルと共に、北の峠に向かうが……。
イングリス、オズウィル、ペンリックの視点から語られます。
イングリスのフルネームは、イングリス・キン・ウルフクリフ。《五神教》シリーズの『影の王国』の主人公が、イングレイ・キン・ウルフクリフでした。作中では言及されてませんが、こういう繋がりって、シリーズものの醍醐味ですね。
「ペンリックと狐」
ペンリックは、マーテンズブリッジの宮廷魔術師。仕える王女大神官に連れられて、東都に上京しているところ。
事件は、東都から10マイルほど離れた丘陵地帯の森で起こった。
パイクプール領守の森で、死体が発見された。
父神教団の上級捜査官オズウィルが調べることになり、たまたま近くにいたペンリックも呼びだされる。殺されたのは神殿魔術師だったのだ。
通常、神と魂はすぐさまたがいを見つけだす。しかし、とつぜん暴力的な死に見舞われると、たがいを見失ってしまうことがある。
ペンリックが〈魔〉の目で見ても、道を失った亡霊は見当たらなかった。それどころか、宿りどころを失った迷子の〈魔〉の気配もない。
〈魔〉は、物質的な存在につかまらなければ遠くまで行くことはできない。人か、獣か、周囲に移行できる生き物がいない場合、消失してしまう。
魔術師に宿っていた〈魔〉はどこに行ったのか。
魔術師を殺害する理由のひとつとしてまず考えられるのは、魔を奪うことだ。しかし、魔術師を殺すのはとても難しい。
死んだ魔術師は、横臥していた。腹から矢尻が、背中に二本の矢柄が突き立っている。 近くで、同じ矢羽根が見つかった。それには、狐の、赤っぽいこわい毛の房がついていた。
ペンリックは〈魔〉が狐に宿ったのではないかと考えるが……。
ペンリックは相変わらずの知識欲。魔術師と巫師の違いなどを云々します。
2021年01月05日
O・R・メリング(井辻朱美/訳)
『歌う石』講談社
ケイ・ウォリックは、みなしごだった。
小さいときは施設にいて、里子にも出された。養子にはしてもらえず、16歳になると、ひとりでやっていくことにした。
もうすぐ18歳になるという春先。
ケイは、小包で18冊の本を受け取った。だれが送ってくれたのかは分からない。どの本も、ひとつのことを語っていた。
〈歌う石〉だ。
ケイは、物語を調べるうち、アイルランドのどこかに〈歌う石〉が立っているはずだと確信を深めていく。自分のルーツがそこにあるはずだ。
アイルランドに旅立ったケイは、そびえ立つ巨石を見つけた。山の奥ふところのいちばん遠く人けのないところ。巨石はアーチをなしていた。
くぐったケイは、まったくの別世界にいた。
はてしなく広大な森が広がっている。そして、子どもがいた。
小柄できゃしゃ。髪は短く、豊かな赤みを帯びた金色をしているものの、なまくらな刃物で切ったようにぼさぼさ。狂ったように、目をぎらぎらと輝かせている。
ケイは、不思議な夢を見ることがあった。奇妙な幻視は、目覚めているときも心に浮かんでくる。子どもは、幻視の美しい女性を連想させた。
少女の名は、アエーン。
ここはイニスフェイルの島。アエーンは、トゥアハ・デ・ダナーン、ダヌー女神の一族。しかし、自分のこととなると、両親がだれかもわからない。
ケイとアエーンは、賢者フィンタン・トゥアンに助けを求めた。
そのころトゥアハ・デ・ダナーン族は、終焉を迎えようとしていた。彼らを救うためには、失われた4つの宝を、ふたたびひとつにしなければならない。
この世がまだ若かったころ、ダヌー女神の一族は、時の風の彼方にある北風のうしろの国に、4つの都を建てていた。
炎の山のまばゆきゴリアスでは〈剣〉が鍛えられた。
冷たく白き雪の美しきフィンディアスでは〈槍〉がつくられた。
海の輝きもてるマリアスでは〈大釜〉が造られた。
最高の宝は、石の都、もっとも麗しき都フェイリアスにあった。運命とまことを世界に向かって歌いかける〈運命の石〉リア・フェイルだ。正しきこと、かくあるべきことのすべてを、その声が告げたという。
自分を助けるには、まず人を助けねばならない。トゥアンに諭され、ふたりは探索の旅にでるが……。
紀元前の古代アイルランドを舞台にした物語。
8年ぶりの再読。
ケイは、魔術師として目覚めていきます。トゥアハ・デ・ダナーン族の行く末を伝承として知っているため、彼らを俯瞰して見ています。
ケイは何者なのか。知っているうえで読むと感慨深いです。
アエーンは、徐々に自分を取り戻していきます。一族を誇りに思っていて、内からの視点で見ています。
アエーンは何者なのか。ヒント山盛りでした。
他の物語を読むとき、トゥアハ・デ・ダナーンやドルイドが登場すると、本作のことが脳裏に蘇ります。いろいろ読みはじめるよりも先に読むと、より利点を得られる物語だと思います。
2021年01月09日
アンドリ・S・マグナソン(佐田千織/訳)
『ラブスター博士の最後の発見』創元SF文庫
あるときから、キョクアジサシは故郷へ帰る道を見つけられなくなった。ミツバチも方向感覚を失った。オオカバマダラは、越冬地である南を目指すかわりに、北へ向かって飛んでいった。
世界が信号や通信、放送、電場ですっかり飽和状態になっていたのだ。
ラブスターと呼ばれる組織が、信号問題に取り組んだ。ラブスターは、国際色豊かな鳥類学者や分子生物学者、空気力学者、生化学者たちが集まったグループで、リーダーのオルヴァル・アゥルトゥナソン自身もラブスターと呼ばれている。
計測装置の発達により、ラブスターは大発見をした。
微弱で無害な、蝶の脳みそほどの軽さの装置で拾うことができる鳥信号を使い、人間どうしで音やイメージやメッセージを伝達する方法を発見したのだ。もはや、銅線、光ファイバーケーブル、人工衛星、電波通信設備は時代遅れ。人類はコードから解放された。
それから40年。
ラブスターの本部は、アイスランド北部のオクシュナダールル渓谷に開かれたラブスター・テーマパークに置かれ、世界に君臨している。
ラブスター博士はアイデアに取りつかれていた。強力なアイデアは、その存在を脅かすものをなんでも攻撃する。ラブスター博士は、ラブデスというアイデアにつかまえられ、誕生を見守った。
それから、インラブにつかまった。
魂は半分であり、人生を真に輝かせるためにはもう半分と結びつく必要がある。インラブは、どのふたりがぴったり合うかを、正確に計算する。
インドリディ・ハラルドソンはコードレスの現代人。
シグリッドと出会ったのは、高校の卒業祝いのダンスパーティだった。一緒にいるふたりは円のように完璧。互いがいるだけで大満足。自分たちの関係は混じりけなしの真の愛であり、魂の片割れだと信じていた。
ところが、シグリッドだけにインラブから手紙が届く。魂の片割れは、デンマーク人のペル・ムラだというのだ。
ラブスターの計算によれば、間違った関係が続くのは最長でも5年と7ヶ月。ふたりがつきあいだして、5年6ヶ月と3週間がたっていた。シグリッドは家族に相談するが、誰もが科学的にふるまうべきだと説得しようとる。
シグリットは無視することを決めるが……。
フィリップ・K・ディック賞特別賞受賞作。
アイスランドのベストセラー作家だそうです。
今作は、アイスランド語で書かれたのちに英語翻訳されて、そこからさらに邦訳されてます。
読みはじめでは、内容がまったく頭に入ってきませんでした。仕方なく、理解できないままに読んでいった結果、楽しむことができました。
振り返ってみると、謎だらけ。
主人公は、インドリディ。実はクローンです。
最初のインドリディは悪童で、両親は保険会社に巻き戻しをすすめられます。誕生時に予備のコピーが保存されていて、子育てに失敗したと分かったときなどにやり直せるんです。最初のインドリディは連れていかれ、予備のコピーが生まれます。
インドリディは16歳になるまで、自分もいつか巻き戻されるのではないかという恐怖と共に、いい子として育ちます。
実は、この設定、物語に反映されてません。インドリディが本来もっているはずの悪童要素がでてくることはありません。最初のインドリディが実は生きていて……なんてこともありません。
だいたい、そんな感じ。
たくさんのアイデアが詰まっていて、それぞれがおもしろいんですけど、なんのための設定なのかが分からない。
まさしくディックな感じ。
深く考えずに、ただ雰囲気を楽しみたいときにはいいかもしれません。
『スターシップ −反乱−』の続編。
ウィルソン・コールは、共和宙域政府の航宙軍中佐だった。もっとも多くの勲章を授与された英雄として知られている。しかし、上層部とは折り合いが悪い。
投獄されてしまうが、部下たちに助けられて逃走した。
老朽巡視艦〈セオドア・ルーズベルト〉で向かった先は、中核辺境宙域。コールは、これからは海賊家業で生きていくと覚悟を決める。
追っ手がかかることを想定するものの、航宙軍は現われなかった。共和国はテロニ連邦と戦争中だ。それほど暇ではないらしい。
いよいよ海賊家業にとりかかるときがきた。コールはそう判断し、ルールを決める。
海賊を名乗ろうとも、無辜の一般市民を殺したり、財産を奪ったりする気はない。それが軍人の場合でも、命令を実行しているにすぎないのだから同じだ。
相手にするのは海賊たちだ。海賊船から略奪する。お宝はもちろん、なにより知識が必要だった。ライバルの活動のしかたや海賊が出没しそうな場所を知っている者が必要だった。
海賊たちをおびき寄せるため、〈セオドア・ルーズベルト〉は貨物輸送船に偽装された。そのうえで故障を装い救難信号を発する。長く待つことを覚悟していたが、狙いどおりに海賊船がやってきた。
海賊船には、惑星ブランタイヤ4原産のカットされていないダイヤ400個と、惑星バインダー10で盗んできた宝飾品があった。海賊で生き残ったのは、エステバン・モラレスのみ。まだ18歳のモラレスはただの下っ端。海賊家業には精通していないが、貴重な情報源となった。
コールはモラレスから、故買屋のデイヴィッド・コパーフィールドを教えてもらう。
コールはコパーフィールドの名前にヒントを得て、親しくなることに成功する。コパーフィールドから、特別の高値で引き取ると約束をとりつけるが、提示額は時価の5パーセントだった。
海賊のことが知れ渡っていた。ブランタイヤ4の開拓地が襲われ、7人の鉱山労働者が殺されていた。奪われたダイヤのことは、中核辺境宙域および共和宙域にいる宝石商や収集家の全員が知っている。
しかし、コールには食わせなければならないクルーがいた。故買屋には頼らない方法を思いつくが……。
宇宙SF。
前作『スターシップ −反乱−』を読んでから11年が経過してます。うすらぼんやりとだけ覚えていて、それでなんとかなりました。
物語は会話で展開していきます。そのため、おもしろくはあっても深みはないです。
本作のターニングポイントは、ヴァルキュリアの登場。
ヴァルキュリアは大柄の女性で、辺境宙域で一番の海賊と自認しています。コールと出会ったのは、部下に裏切られ、手塩にかけた海賊船〈ペガサス〉を失ってしまったころ。〈ペガサス〉を横取りしたハンマーヘッド・シャークへの復讐に燃えてます。
クルーとしてヴァルキュリアを迎え入れたコールは、〈ペガサス〉の奪還を手伝います。そこからが本番。
続編の『スターシップ −傭兵−』がありそうですが、いまだに出版されてません。打ち切られたのでしょう。つまらないわけじゃないんですげとね。
2021年01月14日
グレアム・ジョイス(市田 泉/訳)
『人生の真実』東京創元社
キャシー・ヴァインは20歳。
名づけ前の赤ん坊を抱いて、ナショナル・プロヴィンシャル銀行の白い石段に立っていた。連合国がヨーロッパで勝利して3週間。空襲を受けたイギリス・コヴェントリーの町は立ち直りつつある。
母のマーサも姉たちも、キャシーには育児なんて無理だと言う。
キャシーは気紛れな子、キャシーは頭がおかしい、キャシーほど子育てに向かない娘はいない。赤ん坊の父親はアメリカの軍人でもういない。赤ん坊は、ほしがってる人のところで、きちんと育てられたほうがいい。
みんなでよく考え決めたことだった。ところが、相手が遅刻していた。キャシーに迷いが生じる。
約束の時間から12分。
キャシーは雑踏の中から、まっすぐこちらへ向かってくる女性に気がつく。そのとき啓示を受けた。キャシーは赤ん坊を抱いたまま立ち去ってしまう。
家ではマーサと6人の姉たちが待っていた。
マーサは、奇妙な客や夢の訪れを受けとることがある。子どもたちに受け継がれなければいいと願い、なんとか切り抜けたと思ったとき、キャシーが生まれてきた。キャシーには確かに能力がある。
マーサははじめ、赤ん坊を手放すことに賛成していた。しかし、帰ってきた赤ん坊を見て、決断する。何かがうまくいかないのは、その何かが間違いだっていう証拠かもしれない。
マーサは娘たちに、分担して赤ん坊を育てると言い渡した。
赤ん坊は、フランク・アーサー・ヴァインと名づけられた。
マーサと一緒に暮らしているのは、キャシーの他はひとつ上の娘ビーティのみ。あとの5人は家を出ている。マーサは関節炎がひどく、杖にすがらなければ立ち上がるのも難しい。
フランクがもうすぐ3歳になるというころ、ビーティが家を出ることになった。そこでマーサはフランクを、牧場に嫁いだユーナに預けることにする。キャシーも牧場に住めばいい。
フランクはすぐに牧場が気に入った。
フランクのお気に入りの場所は、小川にかかった小さな橋だ。数枚の頑丈な厚板で造られた橋は、上の畑と下の畑をむすんでいる。裏側付近にはイバラやアザミが固まって生え、みっしりした茂みになっていた。
フランクは、厚板の下に隙間があることに気がつく。もぐり込めば、だれにも見えない絶好の隠れ家となった。そこには硬いものが埋まっていて、そのガラスの中には男がいた。
フランクは〈ガラスの中の男〉を秘密にするが……。
世界幻想文学大賞受賞作
フランクとキャシーを中心にした家族の物語。
物語のハイライトが過去の出来事という、ちょっと変わった構成でした。
マーサの娘たちは7人。うち4人に配偶者と恋人がいます。さらに、マーサの夫アーサーもいます。アーサーには驚かされました。結末まで知った上で読み返すと、なるほど納得の連続。
登場人物が多いですが、それぞれに特徴があるのと、フランクが転々とするのに合わせて徐々に紹介されていくため、それほど苦労はしませんでした。
フランクの見つけた〈ガラスの中の男〉がクローズアップされるのは終盤に入ってから。それまでは、子どもの想像力の産物のような印象でした。フランクには能力が受け継がれてますし。
自由奔放なキャシーをとりまく家族が、とにかくやさしいです。怒ったりもしますけど、基本的におだやかで、楽しいひとときを過ごせました。
ただ、表紙が、もうちょっと内容を反映してほしかった、というのが正直なところ。フランクが生まれて、長ズボンをはくまでの物語なので間違ってはいませんけど。
《(株)魔法製作所》シリーズ
キャスリーン(ケイティ)・チャンドラーは、魔法が通用しない免疫者(イミューン)。ニューヨークの株式会社MSI(マジック・スペル&イリュージョン)で、エルフや妖精や魔法使いと一緒に働いている。
ケイティは魔法使いのオーウェン・パーマーと婚約し、幸せいっぱい。ところが、ふたりの世界に邪魔が入ってしまう。
かつてMSIと敵対していたシルヴィア・メレディスだった。
シルヴィアはMSIに、取引きを持ちかけたいという。自身に危険がせまっており、守ってもらいたがっていた。その見返りとして、コレジウムの情報を提供する。
コレジウムは秘密結社。いくつかの魔法使いの家系による連合組織らしいが、すでに伝説と化している。
シルヴィアはコレジウムの構成員だった。協力していた魔法使いが失脚したために、窮地に立たされている。自分は消されるかもしれない。
実はコレジウムは、魔法界で権力を握るためにMSIをねらっている。シルヴィアが言うには、MSIの内部にコレジウムのメンバーがたくさんいるらしい。
ケイティが人事ファイルを調べると、魔法で隠された印つきの書類がたくさん見つかった。コレジウムの構成員である印らしい。彼らは、あちこちの部署に入りこんでいた。
シルヴィアが言っていたことは本当だったのだ。
CEOのマーリンは、コレジウムへの潜入調査を決める。
コレジウムは血縁で結ばれた者たちだが、イミューンだけは例外だ。イミューンが生まれるのは稀で、どうしても外部から採用せざるをえない。とはいえ、ケイティは素性が知られすぎている。
マーリンが調査員として選んだのはキムだった。キムは出世の大チャンスと大張り切り。MSIを解雇されて恨みを抱いているように装うが、コレジウムはなかなか接触してこない。
そんなころケイティは、営業部長にイライラを募らせていた。営業部では、会議が招集されても、本当に仕事の話をするのか、パーティの口実なのか分からないところがある。ついに不満が爆発してしまう。
その日ケイティは、転職のオファーを受けた。相手はケイティの正体を知っている。投資銀行を語っているが、コレジウムであることは間違いない。
保護する直前だったシルヴィアが行方不明になり、ケイティは決意する。自分が潜入調査するしかない。そのためには会社と決別し、オーウェンとの婚約も破棄しなければならない。
ケイティの計画は実行されるが……。
シリーズ8冊目。
いきなり登場したコレジウムは、むりやり取ってつけた印象。伏線があったように感じられないのが残念でした。シリーズも8冊目ともなれば、ネタも尽きるか、と。
読む前は、巨大カエルになっているオーウェンの上司が絡んでくるかと思ってました。チラリとも現われず。まったく関係ありませんでした。
シリーズ初期の、複数の出来事が矢継ぎ早に発生して、あっちにこっちに大忙し、という状況にはなりません。もう、楽しいドタバタを期待してはいけなんでしょうね。
ケイティとオーウェンのバカップルぶりは笑えますけど。
2021年01月19日
フィリップ・K・ディック(大森 望/訳)
『いたずらの問題』創元SF文庫
2114年。
世界を統一した道徳再生運動(モレク)は、集団相互監視システムによって高度な道徳的社会を維持していた。
モレクの尖塔と〈公園〉が世界の中心をなしており、〈公園〉には、政府公認のストレイター大佐の銅像がある。銅像は、124年にわたって立ちつづけている。
ストレイター大佐こそが、モレクの創始者。その時代に眠っていた道徳の力をよみがえらせた偉人。メディアの天才だった。
アレン・パーセルは、調査代理店(リサーチ・エージェンシー)の社長。
業界に君臨するビッグ・フォーにくらべれば、アレンのエージェンシーなど数のうちにもはいらない。財政的な自由もアイデアの貯えもない。しかし、業界最後発にしてもっともクリエイティブであることを自負していた。
ある日アレンは、スー・フロストの訪問を受ける。
スーは、マスコミを支配する公認政府トラスト〈テレメディア〉の行政官。
アレンのエージェンジーも、制作したパケットを〈テレメディア〉に納品している。いつも窓口となっているのは、局長のマイロン・メイヴィスだ。スーと直にやり取りしたことはない。
戸惑うアレンにスーは、局長のポストを打診した。
マイロンは辞任するつもりらしい。局長のポストには、むかしから代理店出身者がついてきた。
アレンは即答することができない。
実は、前夜、いたずらをしていた。
いたずらは、バケットをまとめるときに使う言葉。おなじテーマをあんまり何度もくりかえして使ってると、しまいにはパロディになる。陳腐なテーマで遊んだとき、いたずらという。
アレンは日曜日の夜、ストレイター大佐の銅像にいたずらした。
そして、月曜日の朝、スー・フロストがやってきた。偶然だろうか?
アレンは思い悩むが、モレク社会では、だれにも助けを求められない。そんなことをすれば、不適応者として放り出されてしまう。
社会に適応できない人間は、メンタル・ヘルス・リゾートに送られる。そこは、社会の落伍者やはみだし者の最後の避難場所。十光年も彼方の、時代にとり残されたど田舎で余生を送りたくはない。
アレンは秘密裏に、リゾートの医師マルパルトの診察を受けるが……。
ディストピア系のSF。
モレク社会から脱落すると、外宇宙のコロニーで、のんびりした消費生活を送らねばならなくなります。いや、まさに望むところではないですか。そう思えないところがディストピアなんでしょうけど。
アレンの「いたずら」が問題となるのは、自分で意識していない点。マルパルトは、アレンが能力者なのではないかと疑います。
最後の「いたずら」は意図的なものですが、かなり大がかり。あっさり書かれている分、ニヤリとさせられますし、楽しいです。
ディックの作品らしく、黒髪の美人さん、いつものように登場します。マルパルトの妹グレッチェンとして。
それと、北海道が登場します。「1972年の終戦の年からずっと不毛な死の大地」だそうです。それ以外の日本がどうなっているのか、気になりますが情報はありませんでした。
2021年01月22日
ミヒャエル・エンデ(大島かおり/訳)
『モモ』岩波書店
大きな都会の南のはずれに、小さな円形劇場の廃墟がありました。
市街地がつきて原っぱや畑がはじまり、家々のたたずまいもだんだんわびしくなってくるあたりです。このあたりには、びんぼうで、生活のつらさを身をもって知っている人たちが住んでいました。
ある日のこと、女の子が廃墟に住みつきました。
背がひくく、かなりやせっぽち。まっ黒なまき毛と、まっ黒な目。自分でつけたモモという名前をもっていました。ほかにもっているのは、どこかで拾うか、人からもらうかしたものだけです。
ある昼さがり、近くに住む人たちがなん人かでやってきました。
みんなは、モモが施設から逃げてきたことを知りました。モモの話を聞いて、長いことあれこれ評定したあげく、みんなの意見が一致しました。
モモはひとりでここに住んでいい。
それから、小さなモモと近所の人たちの友情がはじまったのです。みんなが力を合わせてモモのめんどうを見てくれました。モモがいることは、近所の人たちにとっても、たいへんな幸運でした。
小さなモモは、すばらしい才能をもっていたのです。
モモは、あいての話を聞くことができました。ただじっとすわって注意ぶかく聞いているだけです。それでも、モモに話を聞いてもらうと、いいけっかになりました。
モモにはたくさんの友だちができました。
ところが、しばらくして、モモのところに来る人が少なくなっていきました。伝染性の気ちがい病なんて病気のうわさもありました。心配したモモは、友だちをたずねあるきはじめました。なにが起こったのか、どうして話しに来てくれなくなったのか、聞き出そうと思ったからです。
大都会では、灰色の男たちがうろついていました。
灰色の男たちは、みんなに時間貯蓄銀行の口座をすすめます。口座を開けば、あとは時間を倹約するだけ。時間貯蓄銀行は、あなたの時間をあずかっておくばかりじゃなく、利子まで払うんです。
たくさんの人が時間貯蓄家になり「時間節約」をはじめていました。倹約した時間は、手もとにひとつものこりません。魔法のようにあとかたもなく消えてなくなってしまうのです。
そんなときに、モモが現われました。
灰色の男たちにとって、モモが話を聞いてまわるのは、許しがたいおこないでした。
ある日、円形劇場に灰色の男がやって来ました。モモをたくみに誘いますが……。
児童文学。
既読ですが、まったく内容を覚えておらず、気になっていました。
内容を覚えていないくらいですから、自分がどう思ったかも当然覚えていません。おそらく、いろいろなことを知っている今のほうが、心に刺さっていると思います。
児童文学を大きくなってから読む利点って、そこですよね。
本作には「寓意や思想が強すぎる」という意見があるそうです。どうも、隠されたメッセージを読み取るのが苦手なようで。自分の考えを持ったうえで読むには支障がないように思えます。
そういう意味でも、児童文学ですが、むしろ大人が読むべき類いの物語なのかもしれません。
2021年02月02日
ダン・シモンズ(柿沼瑛子/訳)
『殺戮のチェスゲーム』全三巻/ハヤカワ文庫NV
1942年。
ユダヤ人のソール・ラスキは17歳。生ける骸骨となって、ヘウムノの死の収容所にいた。
今日は第三木曜日。SSの看守たちがやってきて、4人の囚人を連れ出す日。彼らが戻ることはない。
その日、4人目に選ばれたのはソールだった。
動こうとしなかったソールは、何かに乗っ取られてしまう。何かが体内にいて、無理やり背をまっすぐに伸ばし、脳を、万力のようにぐいぐいと締めつけてくる。見えない力によって叫ぶこともできず、なすがままだった。
1980年
メラニー・フラーのチャールストンの屋敷に、ふたりの仲間がやってきた。1年ぶりの再会だ。
ニーナ・ドレイトンはメラニーより年上だが、もっと若く見える。
ヴィルヘルム(ウィリー)・フォン・ボルヒェルトは元ナチの大佐。出生を隠し、今はウィリアム・D・ボーデンを名乗っている。
3人は〈能力〉を持っていた。他の人間を操る〈能力〉を。
戦争が終わった直後、ウィリーはまるで打ちのめされた子犬みたいになってしまった。そのとき〈能力〉による殺しの成績を競うゲームを提案したのはメラニーだ。ウィリーを立ち直らせるために、はじめたのだ。
しかし、メラニーは今ではゲームに興味を失っていた。今年は偶発的な出来事がひとつあったきり。〈能力〉を使わなければ老け込んでしまうのは分かっているが、疲れていた。
メラニーは、ゲームからおりるとふたりに告げる。
そのときメラニーは、ニーナも同じようにゲームに飽き飽きしていることに気がついた。彼女はすでに、お遊びの次の段階に移る準備を整えている。
その夜、チャールストンから飛び立った飛行機が、空中爆発を起こした。乗員乗客85人の中には、ウィリーもいた。
メラニーは、ニーナの仕業だと確信する。
爆弾を用意する周到な手順といい、すべての記憶を封じ込めてしまう並々ならぬ力量といい、ちょっと隣合わせに座っただけの見知らぬ誰かを利用するというその離れわざ。相当に難航しただろう。しかし、ニーナならできる。
次は自分だ。確信したメラニーは、反撃するが……。
群像劇。
登場人物紹介表だと、筆頭はソール・ラスキ。メラニーは5番手です。
プロローグのソール・ラスキは、ニューヨークで精神科医になってます。戦争を生き延び、自分を操った大佐を捜してます。実はニーナと面識があります。
チャールストンで謎めいた殺人事件が発生したとき、大佐の〈能力〉に関連があることに気がつき、やってきます。
チャールストンの殺人事件では、ストリートでひとり、マリーナでひとり、メラニーの屋敷で3人が殺され、さらにホテルで4人が死にます。死んだ人たちの繋がりは、あったりなかったり。真相がまったく見えない怪事件でした。
チャールストンの事件は、ほんのとっかかり。
序盤はおどろきの連続でした。あからさまなミスリード狙いはないです。同じ出来事を異なる視点から語らせたり、おもしろいです。
ソールと読者が知っている情報を、メラニーは知らないまま。そのうえで行動するので、異なる視点がよりおもしろく感じられたのだと思います。
予期せぬ方向に話が展開していくので、予備知識なしに読みたいところ。